スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
舩津 真弓(ふなつ まゆみ、1977年8月24日 - )は、… 舩津 真弓(ふなつ まゆみ、1977年8月24日 - )は、熊本朝日放送 (KAB) の社員。アナウンサー。 熊本県八代市出身。熊本県立八代高校を経て、熊本大学法学部卒業後の2000年、熊本朝日放送入社。報道番組のキャスターと取材を主に担当する。2022年からKAB東京支社営業部(部長)兼経営戦略室付へ異動、2025年にアナウンサーとして復帰。 また、KABがアナログ放送を行っていた頃には地上デジタル放送推進大使も務めていた。 趣味は温泉めぐり、旅行、旅行を兼ねて各地のマラソン大会に出場すること。そういった趣味がきっかけで、温泉ソムリエと旅行業務取扱管理者の資格を取得した。 俳優の米村亮太朗は高校時代の同級生。
米村 亮太朗(よねむら りょうたろう、本名:米村 亮太郎〈読… 米村 亮太朗(よねむら りょうたろう、本名:米村 亮太郎〈読みは同じ〉、1977年8月4日 - )は、日本の俳優。熊本県八代市出身。劇団ポツドール所属。所属事務所はマッシュ。 熊本県立八代高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。 大学在学中に劇団ポツドールの三浦大輔と出会い、第5回公演に参加し、全ての公演に出演。 身長177cm。体重65kg。趣味は総合格闘技。特技は空手。 熊本朝日放送元アナウンサーの舩津真弓は高校時代の同級生。
内藤 大海(ないとう ひろみ、1976年3月)は、日本の法学… 内藤 大海(ないとう ひろみ、1976年3月)は、日本の法学者(刑事法)。熊本県八代市出身。熊本大学法学部市民法学教授。研究テーマは、人文・社会・刑事法学。
島野 聡(しまの さとし、1970年4月8日 - )は、熊本… 島野 聡(しまの さとし、1970年4月8日 - )は、熊本県八代市出身の音楽プロデューサー、作詞家、作曲家、編曲家。 最終学歴は明治大学卒業。 熊本県立八代高校卒業。高校時代は陸上部キャプテンをしていた。明治大学政治経済学部在学中より作曲家・穂口雄右の下で修行をする。その後、筒美京平のアシスタントとして活動。 1994年に園田利隆と共に音楽グループ『Love Lights Fields』を結成、翌95年7月にBMGビクターより「SECRET FEELING」でデビューし、計4枚のシングルと2枚のアルバムをリリースし97年解散。同グループ時代には、ラジオ「BAY FM」他にてパーソナリティも務めた。
平井 信行 (ひらい のぶゆき、 1967年9月22日 - … 平井 信行 (ひらい のぶゆき、 1967年9月22日 - )は、日本の気象予報士・防災士・気象防災アドバイザー。NHKの気象情報に出演し、講演、執筆活動を行っている。 熊本県八代市出身。1996年より埼玉県春日部市在住。 熊本県立八代高等学校を経て東京学芸大学教育学部を卒業後、1991年4月、財団法人(現在は一般財団法人)日本気象協会に入職。1994年8月に実施された第1回気象予報士試験に合格。気象予報士登録番号306号。1996年4月よりNHK総合テレビジョンの気象キャスターに就任。2003年3月で気象協会を退職したため、その後1年間は放送出演から遠ざかっていたが、2004年度からNHK気象情報に復帰。
堀江 隆臣(ほりえ たかおみ、1967年〈昭和42年〉5月2… 堀江 隆臣(ほりえ たかおみ、1967年〈昭和42年〉5月24日 - )は、日本の政治家。熊本県上天草市長(3期)。姫戸町議と上天草市議を歴任した。 熊本県天草郡姫戸町(現・上天草市)出身。姫戸町立姫戸中学校(現・上天草市立姫戸中学校)、熊本県立八代高等学校を経て、1990年(平成2年)3月、北九州大学商学部(現・北九州市立大学)卒業。同年4月、積水ハウスに就職。1995年(平成7年)2月、同社を退社。 1999年(平成11年)5月、姫戸町議会議員に就任。2004年(平成16年)3月31日、天草郡大矢野町、松島町、姫戸町、龍ヶ岳町が合併して上天草市が誕生。同日、上天草市議会議員となる。2005年(平成17年)に最初の市議選があり、2009年(平成21年)4月に再選。
幸村 ケンシロウ(ゆきむら ケンシロウ、1964年8月28日… 幸村 ケンシロウ(ゆきむら ケンシロウ、1964年8月28日 - )は、日本のプロレスラー。本名:幸村 賢一郎(ゆきむら けんいちろう)。
秋山 幸二(あきやま こうじ、1962年4月6日 - )は、… 秋山 幸二(あきやま こうじ、1962年4月6日 - )は、熊本県八代郡氷川町出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、右投右打)、野球解説者、野球評論家、監督。 現役時代はNPBの西武ライオンズと福岡ダイエーホークスに所属、通算2157安打、437本塁打、303盗塁を記録し、ドラフト外入団選手としていずれも最多記録を残した。西武で計8回、ダイエーで計2回のパシフィック・リーグ優勝に貢献した。西武時代には2度の3年連続日本シリーズ優勝(1986年から1988年、1990年から1992年)に貢献、ダイエー時代にも1999年の日本シリーズ優勝に貢献している。また個人タイトルとしては1987年にパ・リーグの本塁打王を、1990年に同リーグの盗塁王をそれぞれ獲得している。
永島 暎子(ながしま えいこ、1955年〈昭和30年〉7月2… 永島 暎子(ながしま えいこ、1955年〈昭和30年〉7月28日 - )は、日本の女優。熊本県下益城郡出身。フリーランス。 熊本県立八代東高等学校を卒業後、東北地方でのこけし制作や北海道での牧場労働を経験。 1976年、日活テレビ映画芸術学院(現・日活芸術学院)へ入学。同年、『四畳半青春硝子張り』のヒロインに抜擢されて映画デビュー。 1977年、日活ロマンポルノ『女教師』でエランドール賞新人賞を受賞した。 1983年、『竜二』の演技で国内の各種助演女優賞を総なめにした。
馬城 文雄(まのしろ ふみお、1953年3月3日 - )は、… 馬城 文雄(まのしろ ふみお、1953年3月3日 - )は、日本の実業家。日本製紙株式会社代表取締役前社長。元日本製紙連合会会長。 熊本県出身。熊本県立八代高等学校を経て、1975年九州大学農学部卒業、十條製紙(現日本製紙)入社。2000年日本製紙石巻工場原材料部長。2001年原材料本部林材部長兼海外植林推進室長。2006年取締役原材料本部長代理兼林材部。2007年取締役八代工場長。2009年取締役原材料本部長。2010年常務取締役原材料本部長。2012年常務取締役企画本部長。2014年から代表取締役社長を務め、洋紙の需要減退への対応にあたった。2016年から2018年まで日本製紙連合会会長。2019年6月27日、取締役会長。
村岡 晋一(むらおか しんいち、1952年 - )は、日本の… 村岡 晋一(むらおか しんいち、1952年 - )は、日本の哲学研究者、翻訳家。中央大学名誉教授。専門はドイツ観念論、ドイツ・ユダヤ思想。 1952年、熊本県八代市で生まれた。熊本県立八代高等学校を経て、中央大学文学部で学んだ。卒業後に同大学大学院文学研究科に進学。1984年に博士後期課程を中退。 1987年、中央大学に所属していた木田元との共訳でマーティン・ジェイ著『アドルノ』を出版。1995年、秋田経済法科大学地域総合研究所研究員となった。1996年より秋田桂城短期大学地域社会学科助教授。1998年、中央大学理工学部助教授に転じた。2004年、教授。2023年に中央大学を退任し、名誉教授の称号を授与。
折木 良一(おりき りょういち、1950年(昭和25年)2月… 折木 良一(おりき りょういち、1950年(昭和25年)2月10日 - )は、日本の元陸上自衛官。熊本県津奈木町出身。第31代陸上幕僚長、第3代統合幕僚長。1等陸佐までの職種は野戦特科。 熊本県立八代高校を経て、1972年(昭和47年)3月に防衛大学校(第16期)を卒業し、陸上自衛隊に入隊。第3特科群長、陸幕補任課長、同装備部長を経て、 2003年(平成15年)3月に陸将に昇任、第9師団長、陸幕副長、中部方面総監の要職を歴任し、2007年(平成19年)3月、第31代陸上幕僚長に就任。2009年(平成21年)3月には統合幕僚長に就任した。統合幕僚長就任直後に発生した北朝鮮による弾道ミサイル発射実験への対処、ソマリア沖の海賊対処及び自衛隊ハイチPKO派遣並びに自衛隊南スーダン派遣の実施計画の制定し、2011年(平成23年)3月に発生した東日本大震災では、3自衛隊10万人の統合任務部隊を編成、史上初の災害派遣態勢を確立して北澤俊美防衛大臣(当時)の指揮を補佐した。
田上 高(たのうえ たかし、1947年4月30日 - 200… 田上 高(たのうえ たかし、1947年4月30日 - 2009年2月19日)は、日本のレスリング選手、テニス選手。熊本県八代市出身、八代高校卒業。 レスリングを始めたのは日本体育大学進学後ながら、1969年から全日本レスリング選手権大会で4連覇を達成、同時期に開催されているレスリング世界選手権では1970年のカナダのエドモントン大会、1971年のブルガリアのソフィア大会のグレコローマンの68kg級において2大会連続の銅メダルを獲得した。大学卒業後は高校教諭となり、鹿児島県立甲南高等学校教諭時には1972年のミュンヘンオリンピックに出場が決まった。1回戦でモロッコのモハメド・マラモー、2回戦でスイスのハインツ・リンに勝利したものの3回戦でハンガリーのアンタル・ステアに敗れた。
矢野 暢(やの とおる、1936年〈昭和11年〉4月17日 … 矢野 暢(やの とおる、1936年〈昭和11年〉4月17日 - 1999年〈平成11年〉12月14日)は、日本の政治学者。専門は東南アジア地域研究。1986年『冷戦と東南アジア』で吉野作造賞を受賞。 ノーベル賞に関するテレビ番組等にゲストとして出演するなどマスコミ露出も多く、アウンサンスーチーの京都大学留学時代の恩師とされる。1993年に発覚した「矢野事件」で知られる。事件の責任をとり同年末に京都大学を辞職した。 熊本県生まれ。生後満洲国関東州の大連に転居。八代市内の高等学校(現在の熊本県立八代中学校・高等学校)を経て、1959年京都大学法学部卒業、1961年同大学院修士課程修了、1965年同大学院博士課程修了。
宮本 三喜彦(みやもと みきひこ、1935年3月5日 - 2… 宮本 三喜彦(みやもと みきひこ、1935年3月5日 - 2019年10月25日)は、日本の実業家。明治生命保険と安田生命保険の合併を実現させ、初代明治安田生命保険代表取締役会長を務めた。 熊本県出身。熊本県立八代高等学校を経て、1959年一橋大学社会学部卒業。安田生命保険入社。大学では一橋大学硬式野球部所属。 安田生命保険では営業畑を歩み、1971年新橋支店長、1983年取締役、1993年副社長。 1999年安田生命保険代表取締役社長。拡大路線を進めた。 2000年富国生命保険と業務提携開始。富国生命との統合も考えたものの、頓挫。 2001年東京建物、大成建設、朝日生命保険とともに、J-REITを組成。
本田 大三郎(ほんだ だいさぶろう、 1935年2月17日 … 本田 大三郎(ほんだ だいさぶろう、 1935年2月17日 - 2025年8月10日)は、日本のハンドボール・カヌーの選手。熊本県八代郡坂本村出身。日本初のオリンピックカヌー選手で、1964年東京オリンピックで正式種目として採用されたカヌー競技へ出場した。 熊本県立八代高等学校・日本体育大学体育学部体育学科・自衛隊体育学校卒業。横浜市消防訓練センター体育訓練担当教官(課長)定年退職。その後は各大学のカヌー部コーチを経て、神奈川県の三浦市にあるマホロバ・ホンダカヌースクールの代表役を務めている。 息子はレスリング選手・プロレスラーの本田多聞、サッカー選手の本田圭佑は兄の孫。 八代高校時代にはハンドボールをして、キャプテンを務めた。
森岡 賢一郎(もりおか けんいちろう、1934年3月4日 -… 森岡 賢一郎(もりおか けんいちろう、1934年3月4日 - 2018年8月19日 )は、日本の作曲家、編曲家。 熊本県八代市出身。熊本県立八代高等学校卒業。指揮を平井哲三郎、高階正光、ピアノをポール・ヴィノグラドフ、作曲を團伊玖磨にそれぞれ師事。 「君といつまでも」「恋のしずく」「ブルー・シャトウ」「今日でお別れ」で日本レコード大賞編曲賞を受賞。作・編曲の傍ら、映画やテレビ番組の音楽監督・プロデューサーとして活動。主な作品に、映画音楽「若大将シリーズ」「宇宙からのメッセージ」「山下少年物語」「典子は、今」など。 またカーティア・リッチャレッリのレコーディング、サルバトール・アダモのコンサートのプロデュースなど外人アーティストの音楽制作プロデュースも積極的に手がける。
福島 雄次郎(ふくしま ゆうじろう、1932年3月21日 -… 福島 雄次郎(ふくしま ゆうじろう、1932年3月21日 - 2005年1月21日)は、日本の作曲家。熊本県八代市出身。 終戦後に結核に侵され、23歳まで療養生活を送る。この間、東京音楽学校(現・東京藝術大学)の通信教育で作曲を学び始める。回復後、東京に出るまでは保険の勧誘員やミシンのセールスマン、五木の山に行って飯場の仕事などをしていた。 東洋音楽短期大学(現・東京音楽大学)卒業。作曲を箕作秋吉、指揮法をアルベルト・レオーネに師事。1962年、「ヴァイオリンとオーケストラのためのラプソディー」で第2回TBS賞(日本を素材とする管弦楽曲募集)入賞。1963年、「オーケストラのための<三連画>」で第32回日本音楽コンクール第3位入賞。
馬場 昇(ばば のぼる、1925年11月26日 - 2015… 馬場 昇(ばば のぼる、1925年11月26日 - 2015年6月15日)は、日本の政治家。衆議院議員、日本社会党書記長を歴任。 熊本県葦北郡湯浦町(現在の芦北町)に生まれる。熊本高等工業学校(現・熊本大学工学部)卒業。1947年、教職に就き、教員組合・教職員組合に加入。1951年頃より専従職員。1952年には熊本県高教組初代副委員長。1953年には日教組中央執行副委員長。1961年には熊本県総評副議長、1967年には同・議長。 1972年12月、第33回衆院選で旧熊本2区において日本社会党から出馬し初当選。 1980年6月には当選3回以下の議員を中心に53名で中間左派の党内派閥日本社会党新生研究会を結成し、当時当選4回の馬場は代表委員に就任。
渡瀬 憲明(わたせ のりあき、1925年10月8日 - 19… 渡瀬 憲明(わたせ のりあき、1925年10月8日 - 1998年8月1日)は、日本の政治家。衆議院議員。熊本県八代市出身。旧制八代中学、明治大学法学部卒業。 坂田道太の秘書を経て政界入り。1990年、第39回衆議院議員総選挙に坂田の後継者として旧熊本2区から自由民主党公認で立候補し、初当選(当選同期に岡田克也・佐田玄一郎・藤井裕久・鈴木俊一・亀井久興・中谷元・森英介・福田康夫・石原伸晃・河村建夫・小林興起・塩谷立・古屋圭司・細田博之・松岡利勝・小坂憲次・山本拓・赤城徳彦・簗瀬進など)。2期務め、河本派に所属した。この間、防衛政務次官、衆議院文教委員会理事、衆議院安全保障委員会委員、衆議院厚生委員会委員、石炭対策特別委員会委員などの要職を歴任。
内田 健三(うちだ けんぞう、1922年7月28日 - 20… 内田 健三(うちだ けんぞう、1922年7月28日 - 2010年7月9日)は、日本の政治評論家・政治ジャーナリスト。元共同通信社政治部長・論説委員長。退職後、法政大学法学部教授。東海大学教授を歴任。専門は、日本政治論、政治過程論。 熊本県八代郡氷川町(旧竜北町)生まれ、祖父内田康哉は外交官、政治家。旧制八代中学(現・熊本県立八代高等学校)、旧制第五高等学校卒業。旧制東京帝国大学在学中に、学徒出陣し、内蒙古・駐蒙軍に従軍。抑留・復員後、新制東京大学法学部に復学し、政治学者・丸山眞男に師事。1953年に東京大学法学部を卒業し、共同通信社に入社。以後岸内閣の安保闘争から小泉内閣まで50年以上にわたり、日本の政治の動向を取材・分析した。
坂田 道太(さかた みちた、1916年〈大正5年〉7月18日… 坂田 道太(さかた みちた、1916年〈大正5年〉7月18日 - 2004年〈平成16年〉1月13日)は、日本の政治家。位階は従二位、勲等は勲一等。 衆議院議長(第64代)、法務大臣(第40代)、防衛庁長官(第33代)、文部大臣(第91・92代)、厚生大臣(32代)、衆議院議員(17期)等を歴任した。 父は衆議院議員や八代市長を務めた坂田道男。 坂田道男の長男として熊本県八代市で生まれる。旧制八代中学校、旧制成城高等学校(現・成城大学)、1938年東京帝国大学文学部独文科卒業。石井光次郎商工大臣の秘書官を経て、1946年の第22回衆議院議員総選挙に熊本県全県区から出馬し、初当選した。以後、17期連続当選。
森 国久(もり くにひさ、正字体:森國久、1912年(明治4… 森 国久(もり くにひさ、正字体:森國久、1912年(明治45年)7月10日 - 1961年(昭和36年)6月26日)は、日本の政治家。熊本県天草地方で首長を務め、全国の離島の振興に力を注ぎ、天草五橋の実現に尽力した。 熊本県龍ヶ岳町長、熊本県町村会副会長、天草郡町村会長、天草振興協議会長、天草架橋期成会副会長、天草観光協会長、全国離島振興協議会副会長、内閣離島振興対策審議会委員(すべて死亡時)。 出生から学校卒業まで 1912(明治45年)7月10日、熊本県天草郡樋島村(現・熊本県上天草市龍ヶ岳町樋島)に生まれる。地元の小学校を卒業後、1925年(大正14年)4月、熊本県立天草中学校(現・熊本県立天草高等学校)に入学。
耕 治人(こう はると、1906年8月1日 - 1988年1… 耕 治人(こう はると、1906年8月1日 - 1988年1月6日)は、日本の小説家・詩人。本名の姓は「たがやす」と読む。 熊本県八代市生まれ。明治学院英文科卒業。千家元麿に師事して詩作を始め、1930年(昭和5年)『耕治人詩集』を上梓する。 戦前の1937年(昭和12年)から川端康成を頼り、1939年(昭和14年)7月には、『文學界』に初めての小説を載せてもらうなど世話になっていた。 戦中の1945年(昭和20年)3月に、左翼思想犯として逮捕される。 戦後、主として私小説を書き始め、長く不遇だったが、1970年(昭和45年)に『一条の光』で読売文学賞、1972年 (昭和47年に『この世に招かれてきた客』で平林たい子文学賞受賞。
小山 寛二(こやま かんじ、1904年8月3日 - 1982… 小山 寛二(こやま かんじ、1904年8月3日 - 1982年11月27日)は、熊本県八代市出身の小説家。 八代中学校卒業。早稲田大学中退。クロポトキンの影響を受け、アナキズム、左翼運動家の道を歩むが、1928年(昭和3年)、転向する。 三上於菟吉に師事し、大衆文学などを執筆した。作品に、1934年(昭和9年)に映画化された「明暦名剣士」、宮崎滔天を主人公とした「波浪の歌」、細川忠興の妻ガラシャを描いた「細川ガラシャ」、「曠野の父」、「風雲万里」、「江南碧血記」などがある。 随筆雑誌「騒友」主宰。1982年(昭和57年)、東京にて没した。
松村 秀逸(まつむら しゅういつ、1900年(明治33年)3… 松村 秀逸(まつむら しゅういつ、1900年(明治33年)3月1日 - 1962年(昭和37年)9月7日)は、日本の陸軍軍人、国会議員(参議院議員)。最終階級は陸軍少将。 熊本県出身。松村又熊の息子として生まれる。八代中学校(現熊本県立八代高等学校)、熊本陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1920年(大正9年)5月、陸軍士官学校(32期)を卒業。同年12月、砲兵少尉に任官し野砲兵第12連隊付となる。1928年(昭和3年)12月、陸軍大学校(40期)を卒業した。 1930年(昭和5年)12月、参謀本部付勤務となり、陸軍野戦砲兵学校教官、関東軍参謀部付を経て、1935年(昭和10年)8月、砲兵少佐に昇進し陸軍兵器本廠付(新聞班)に就任。
宮崎 松記(みやざき まつき、1900年(明治33年)1月1… 宮崎 松記(みやざき まつき、1900年(明治33年)1月10日 - 1972年(昭和47年)6月14日)は、日本の医学者。国立療養所菊池恵楓園の園長を勤め、その後インドで救らいセンターを作った。ハンセン病研究・患者の治療を行い、「日本のシュヴァイツァー」と呼ばれた。熊本県八代市日奈久町生まれ。位階は従三位。 第五高等学校学生時代、ハンナ・リデルの回春病院にいきハンセン病に興味をもつ。京都帝大をへて大阪赤十字病院外科部長。1934年(昭和9年)九州療養所所長。本妙寺事件、龍田寮事件などに関与した。1951年(昭和26年)の参議院に参考人として招かれ、光田健輔と共に隔離政策の強化を主張したが、批判をあび、後に発言を取り消した。
鋳方 末彦(いかた すえひこ、1894年8月27日 - 19… 鋳方 末彦(いかた すえひこ、1894年8月27日 - 1976年9月10日)は、日本の植物病理学者。学位は、農学博士(九州大学・論文博士・1941年)。 熊本県下益城郡小野部田村(現・宇城市)生まれ。八代中学校(後の熊本県立八代中学校・高等学校の前身のひとつ)卒業。 1916年(大正5年)鹿児島高等農林学校卒業。農商務省福岡県農事試験場、岡山県農事試験場を経て農林省農事試験場技師に。「小麦条斑病に関する研究」で日本農学会賞を受賞。1941年(昭和16年)には、「柿の重要寄生性病害に関する病理並びに治病学的研究」で、九州大学より農学博士の学位を授与される。更に「いもち病防除に関する試験研究」で富民協会賞、「小麦縞萎縮病に関する研究」等で農林大臣賞受賞、など多くの賞に輝く。
蓑田 胸喜(みのだ むねき、明治27年〈1894年〉1月26… 蓑田 胸喜(みのだ むねき、明治27年〈1894年〉1月26日 - 昭和21年〈1946年〉1月30日)は、日本の右翼思想家、反共主義者。慶應義塾大学予科、国士舘専門学校教授、原理日本社主宰、国際反共連盟評議員。 熊本県八代郡吉野村(現・氷川町)生。八代中学校を経て、第五高等学校(五高)に学ぶ。五高での同期には佐々弘雄、細川隆元がいる。 1917年(大正6年)、五高卒業後、東京帝国大学入学。最初は法科大学(法学部)に入学するが、文科大学(文学部)宗教学科に転学し、宗教学者の姉崎正治に師事する。1920年(大正9年)文学部卒業、さらに法学部政治学科に学士入学する。帝大在学中は、天皇機関説と激しい論争を展開したことでも知られる君権学派憲法学者の上杉慎吉が指導していた国粋主義的な学生団体である興国同志会に入会するとともに、三井甲之に私淑するようになる。
加来 止男(かく とめお、1893年(明治26年)11月8日… 加来 止男(かく とめお、1893年(明治26年)11月8日 - 1942年(昭和17年)6月6日)は、日本の海軍軍人。空母「飛龍」艦長としてミッドウェー海戦で戦死し、一階級特進で最終階級は海軍少将。 1893年11月8日、熊本県八代郡松高村に生まれた。外交官・加来美知雄は兄。熊本県立八代中学校2年に在学中、有明海に練習艦隊が入港したのを見て感激したのが契機となり、中学校卒業後、1911年9月に海軍兵学校42期に入学する。同期生には加賀艦長として加来と共にミッドウェー海戦で戦死する岡田次作がいた。18歳での入学はやや遅く受験では苦労したようで入学席次も入校時120名中98番である。しかし、卒業時には席次も117名中43番まで上がった。
鍋島 俊策(なべしま しゅんさく、1892年9月10日 - … 鍋島 俊策(なべしま しゅんさく、1892年9月10日 - 1948年4月28日)は、日本の海軍軍人。海軍少将。正五位勲二等瑞宝章。 熊本県下益城郡小川町(現・熊本県宇城市小川町)生まれ。小川小学校、八代中学校卒業。海軍兵学校および陸軍士官学校(第26期)を受験し、双方に合格している。1911年(明治44年)海軍兵学校に入学する。 1914年(大正3年)海軍兵学校を卒業(42期)し、海軍少尉候補生となり阿蘇乗組。1918年(大正7年)水雷学校普通科を卒業し、同年12月に砲術学校学生教程を卒業する。1920年(大正9年)海軍大尉に任ぜられ、翌年の1921年(大正10年)には水雷学校高等科を卒業する。
蔵原 敏捷(くらはら としかつ、1888年8月15日 - 1… 蔵原 敏捷(くらはら としかつ、1888年8月15日 - 1945年8月7日)は、日本の官僚、政治家。元和歌山県知事。衆議院議員(3期)。官僚としては内務省の警察関連部門で長く勤めた。 熊本県下益城郡小川町(現・宇城市)出身。小川尋常小学校、熊本県立八代中学校(1906年3月卒業)、第五高等学校(1909年7月卒業)を経て、1913年7月に東京帝国大学法科大学政治学科を卒業した。 大学卒業後の1913年10月に高等文官試験に合格した。以後は内務省官僚となる。1914年8月に大阪府警察部警部、1916年12月から同警視を務めた後、1922年6月に東京府理事官に異動し、その直後から欧米に約1年3か月出張した。
坂田 道男(さかた みちお、1887年(明治20年)5月18… 坂田 道男(さかた みちお、1887年(明治20年)5月18日 - 1973年(昭和48年)1月4日)は、日本の政治家(元衆議院議員)、教育者で八代市長、名誉市民。長男は防衛庁長官、衆議院議長を務めた坂田道太。 熊本県八代郡植柳村(現在の八代市)に生まれる。父は明治新田製造の功労者たる坂田貞である。 八代中学校(現・熊本県立八代中学校・高等学校)時代から秀才の誉れが高かった。1905年(明治38年)9月、第五高等学校第一部独法科に入学する。 1908年(明治41年)7月、同科を卒業し、ただちに東京帝国大学法科大学独逸法科に入学する。 1912年(明治45年)7月、同大学を卒業する。 1913年(大正2年)9月、第五高等学校教授(法制経済・独逸語担当)に任ぜられる。
川村 継義 は、日本の政治家。衆議院議員(7期)。
福島 和敏 は、日本の政治家。元熊本県八代市長(1期)。元熊… 福島 和敏 は、日本の政治家。元熊本県八代市長(1期)。元熊本県議会議員(3期)。
小林 健和(こばやし けんと、12月25日 - )は、山陰放… 小林 健和(こばやし けんと、12月25日 - )は、山陰放送のアナウンサー。 熊本県八代市出身。熊本県立八代高等学校に通っていた。また学生時代には、RKB毎日放送のアナウンサーたちが講師を務めるRKBアナウンススクールを受講していた。 2018年に山陰放送に入社し、同局のアナウンサーになる。入社1年目から『テレポート山陰』のキャスターを務めている。 2021年2月5日、さんいん中央テレビアナウンサーの岡部楓子と結婚した。そして同年8月に長男が誕生し、1児の父になる。
有田 雅明 は、NHKのチーフアナウンサー。
佐藤 好助 は、日本の元競泳選手。種目はバタフライ。1964… 佐藤 好助 は、日本の元競泳選手。種目はバタフライ。1964年東京オリンピック日本代表。50m・100m・200mバタフライ元日本記録保持者。熊本県出身。