スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
松岡 将(まつおか しょう、1988年 - )は、日本の財務… 松岡 将(まつおか しょう、1988年 - )は、日本の財務官僚。 三重県伊勢市生まれ。四日市周辺地域の出身者。四日市高等学校、京都大学法学部卒業。京大法学部在学中に国家公務員一種試験(法律)に合格。2011年 財務省入省(主計局総務課)。同期にGlocal Innovation Holdings代表取締役の山内絢人がいる。予算編成を取りまとめる。2016年7月 名寄市参事監(企画担当)。2019年7月 文部科学省初等中等教育局初等中等教育企画課教育制度改革室長補佐。2021年7月 大臣官房文書課企画調整室課長補佐(企画調整)。
宮脇 憲一(みやわき けんいち、1984年10月16日 - … 宮脇 憲一(みやわき けんいち、1984年10月16日 - )は、RKB毎日放送のアナウンサー。 三重県四日市市の出身で、三重県立四日市高等学校から早稲田大学を経て、2008年4月1日付でアナウンサーとしてRKB毎日放送へ入社。入社当初は、主にエンターテインメント系の番組を担当した。 若手時代には、先輩アナウンサーの川添麻美と番組などで共演する機会が多かった。川添が今井正人(トヨタ自動車九州陸上競技部に所属する長距離走・マラソン選手)との結婚を機に退社したことを受けて、川添が在職中に従事していた地上デジタル放送推進大使の役割を2011年の初頭から継承。RKBを代表して、北部九州(福岡県・佐賀県)における地上デジタル放送への完全移行に向けたPRを川上政行(当時『今日感テレビ』のMCを務めていたTXN九州出身のフリーアナウンサー)と共に担った。
定食王(ていしょくおう、本名: 岡澤 創人(おかざわ はじめ… 定食王(ていしょくおう、本名: 岡澤 創人(おかざわ はじめ)、1979年8月15日 - 2023年8月26日)は、日本の編集者、フードインスタグラマー、フードライター、デジタルマーケター。Hajimedia名義でも活動をしている。JSFA認定お米ソムリエ。 愛知県名古屋市生まれ。名古屋市立榎小学校、桑名市立陵成中学校、高校ではイギリスWhickham Schoolへ留学。帰国後、三重県立四日市高等学校・国際科学コースを卒業。2003年に慶應義塾大学環境情報学部を卒業。株式会社光文社に入社。 光文社では「JJ」、「Gainer」編集部で、雑誌とウェブの編集を担当。その後、日本マイクロソフトでは「MSN」のエディター、「Windowsアプリ」に携わる。
樋口 智一(ひぐち ともかず、1974年11月9日 - )は… 樋口 智一(ひぐち ともかず、1974年11月9日 - )は三重県四日市市出身の企業経営者。ヤマダイ食品株式会社 会長兼社長。株式会社モカフードジャパン 会長、株式会社茨城もぎたてファクトリー 代表取締役会長兼CEO、株式会社茨城ハッピー食品 代表、HOT FOOD(Thailand) Directorでもある。また一般財団法人モカ育志奨学基金を設立後、理事長に就任し高校生の支援を行っている。 毎年初の中日新聞朝刊、日本経済新聞中部版朝刊、日経産業新聞に、年頭所感を掲出している。
稲垣 昭義(いながき あきよし、1972年6月10日 - )… 稲垣 昭義(いながき あきよし、1972年6月10日 - )は、日本の政治家。新政みえ所属の三重県議会議員(6期)。三重県議会第114代議長、三重県議会第115代副議長。 1972年6月10日、三重県四日市市東坂部町生まれ。大池中学校・四日市高校・立教大学法学部卒業。立教大学在学中、早稲田大学の政治サークル鵬志会にて活動。 1995年4月、株式会社三重銀行入行。1998年8月、同行退社。 2003年4月、三重県議会議員選挙で、当時30歳最年少で当選。 2016年11月に行われた四日市市長選挙に民進党推薦で出馬するが、2087票差で森智広に敗れる。四日市は民進党の代表を務めたこともある岡田克也の地元であり、国政選挙区とあって、岡田が支援する旧民主-民進系の市政が20年間続いていたが、これが途絶えることとなった。
須原 伸太郎(すはら しんたろう、1970年9月29日 - … 須原 伸太郎(すはら しんたろう、1970年9月29日 - )は、日本の実業家。エスネットワークス共同創業者で、同社代表取締役社長を経て、USEN-NEXT HOLDINGS監査役、キネマ旬報社取締役、ラオックス取締役、ヴィレッジヴァンガードコーポレーション取締役などを歴任し、ファイントゥデイ取締役最高財務責任者。 三重県四日市市生まれ。1989年三重県立四日市高等学校卒業。1992年公認会計士試験合格。1993年一橋大学経済学部卒業。アルバイト生活を経て、同年監査法人トーマツ入社。1996年須原公認会計士事務所設立。1997年マッキャンエリクソン入社。1999年佐藤英志とエスネットワークスを共同設立し、代表取締役副社長に就任。
伊吹 有喜(いぶき ゆき、女性、1969年 - )は、日本の… 伊吹 有喜(いぶき ゆき、女性、1969年 - )は、日本の小説家。 四日市市観光大使(三重県)、おわせ観光大使(三重県)、みちのく盛岡ふるさと大使(岩手県)。 三重県尾鷲市生まれ、四日市市育ち。三重県立四日市高等学校、中央大学法学部法律学科卒業。 1991年、出版社に入社。雑誌主催のイベント関連業務、着物雑誌編集部、ファッション誌編集部を経て、フリーライターになる。2008年に永島 順子(ながしま じゅんこ)名義で応募した『風待ちのひと』(応募時のタイトルは『夏の終わりのトラヴィアータ』)で第3回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞。2009年に筆名とタイトルを改め同作で小説家デビュー。 「」内が伊吹有喜の作品。
川村 ケンスケ(かわむら けんすけ 1965年 - )は、日… 川村 ケンスケ(かわむら けんすけ 1965年 - )は、日本の映像ディレクター。主にCM、PVなどの作品を手掛けている。
川北 眞紀子(かわきた まきこ、1963年 - )は、日本の… 川北 眞紀子(かわきた まきこ、1963年 - )は、日本の経営学者。南山大学経営学部教授。専門は、マーケティング・消費者行動分析。 三重県四日市市出身。三重県立四日市高等学校、筑波大学芸術専門学群卒業。リクルート勤務を経て、名古屋市立大学経営学研究科、慶應義塾大学大学院経営管理研究科博士課程単位取得満期退学。経営学博士(慶應義塾大学:2009年)。 豊橋創造大学情報ビジネス学部准教授、中部大学経営情報学部教授などを経て2014年より現職。
瀬木 直貴(せぎ なおき、1963年 - )は、日本の映画監… 瀬木 直貴(せぎ なおき、1963年 - )は、日本の映画監督、TV・CFディレクター。三重県四日市市出身。三重県立四日市高等学校、立命館大学文学部卒業。みえの国観光大使・四日市市観光大使・明和町観光大使・福島県しゃくなげ大使・宇佐市観光交流特別大使。2008年市制111周年記念 四日市市民文化奨励賞受賞。 立命館大学文学部日本史学専攻在学中、京都東映太秦映画村でアルバイトをしたことがきっかけで映画の世界に興味を持つようになった。1987年大学卒業後、映像制作プロダクションに就職。その後映画監督の道を志し退社した。 退社後は市川崑監督作品制作などに参加。演出家、ディレクターとしての修行を重ね、2000年映画制作会社ソウルボートプロダクションを設立し、現在に至る。
高川 裕也(たかがわ ゆうや、1962年11月8日 - )は… 高川 裕也(たかがわ ゆうや、1962年11月8日 - )は、日本の俳優、ナレーター、演出家。三重県四日市市出身。ベルベットオフィス所属。無名塾出身。 三重県立四日市高等学校卒業(1981年)。1984年に無名塾に入り、同年渋谷パルコ劇場他で上演された無名塾の公演『ハロルドとモード』にて初舞台。 身長176cm。体重65kg。血液型はA型。趣味はブルース鑑賞。特技は乗馬、殺陣、書道。ペットに猫を飼っている。好きな色は黒。妹がいる。 妻は同じく無名塾出身で女優の赤間麻里子。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
重盛 啓之(しげもり ひろゆき、1961年〈昭和36年〉4月… 重盛 啓之(しげもり ひろゆき、1961年〈昭和36年〉4月5日 - )は、CBCテレビ(CBC)アナウンス部デスク。 三重県三重郡菰野町出身、血液型はA型。三重県立四日市高等学校→東京都立大学経済学部経済学科を卒業。大学在学中はビートルズのファンクラブでアルバイトをしていたことがあった。大学卒業前に放送局を数社受験するも1回目は叶わず、その後オーストラリアに渡ってレストランで働きながら英会話を学び、約1年間を過ごした。帰国し再び入社試験を受け、1985年にCBCにアナウンサーとして入社した。同期アナウンサーは水分貴雅、松山香織、福島敦子。 以後、同局の長寿ラジオ番組「CBC歌謡ベストテン」や90年代の同局の看板テレビ番組であった「ミックスパイください」など多くの同局のテレビバラエティー、ラジオ番組で司会やレポーターを担当。
谷口 桂子(たにぐち けいこ、1961年2月23日 - )は… 谷口 桂子(たにぐち けいこ、1961年2月23日 - )は日本の俳人、作家。三重県四日市市出身。茶道の表千家不審庵講師も務める(雅名・宗桂)。 三重県立四日市高等学校を経て、東京外国語大学外国語学部イタリア語学科卒業。大学在学中に新聞社でアルバイトを始め、カタールの首都ドーハで初めて開かれた日本週間に茶道の講師として招かれる。 帰国後、フリーランスで雑誌等のインタビューを始め、元首相、ノーベル賞受賞者から山谷の日雇い労働者まで幅広くインタビューを手掛ける。週刊朝日連載「夫婦の階段」「夫婦の情景」では著名夫婦350組をインタビュー。著名人インタビューは1000人を超える。 20代で俳人・鈴木真砂女に出会ったのがきっかけで俳句を始め、加藤楸邨主宰の「寒雷」へ。
稲垣 久生(いながき ひさお、1961年1月10日 - )は… 稲垣 久生(いながき ひさお、1961年1月10日 - )は、日本の外交官、情報技術者。シアトル総領事を経て、駐トンガ特命全権大使。 三重県四日市市出身。父はモールス信号の技師を経て、日本の降伏後日本電信電話公社に入社。兄もコンピューター関連。 三重県立四日市高等学校卒業後、1983年名古屋工業大学工学部第一部電気情報工学科卒業。1985年東京工業大学(のちの東京科学大学)大学院理工学研究科修了、外務省入省。1991年マサチューセッツ工科大学大学院修了、修士。 作家の佐藤優は入省同期で、読書術などを学んだ。技術系であり、入省後はホストコンピューターに関する業務から始め、情報通信技術などを担当し、人事・会計業務のシステム化、LANの整備、情報セキュリティ対策などを進めた。
樋口 章憲(ひぐち あきのり、1959年11月7日 - )は… 樋口 章憲(ひぐち あきのり、1959年11月7日 - )は日本の実業家。三洋化成工業代表取締役社長。 三重県四日市市出身。三重県立四日市高等学校卒業、東京理科大学大学院工学研究科修了 。2021年6月より三洋化成工業代表取締役社長。
野島 博之(のじま ひろゆき、1959年 - )は、日本の予… 野島 博之(のじま ひろゆき、1959年 - )は、日本の予備校講師(日本史)。駿台予備学校、東進ハイスクールを経て、現在は学研プライムゼミ特任講師。 三重県四日市市出身。三重県立四日市高等学校、東京大学文学部日本史学科卒業。日本史担当の予備校講師として、駿台予備学校、東進ハイスクールに務めた。妻は歴史学者の加藤陽子。 集英社の「学習まんが 日本の歴史」には総合アドバイザーとして参加した。
野原 佐和子(のはら さわこ、1958年1月16日 - )は… 野原 佐和子(のはら さわこ、1958年1月16日 - )は、イプシ・マーケティング研究所代表取締役社長。慶應義塾大学大学院特任教授。産業構造審議会委員。 現在、同社社長として、NGN、ユビキタスネットワーク社会、SaaS、動画配信サービス、情報セキュリティ、ケータイビジネス、Webビジネスなど、ITビジネスに関する調査及び戦略コンサルティング事業を展開している。 三重県立四日市高等学校を経て、1980年、名古屋大学理学部化学科卒業後、三菱油化(現・三菱ケミカル)に勤務。その後、お茶の水女子大学大学院修士課程の在籍を経て、1988年12月生活科学研究所に入社。同所において、生活者の視点でマーケティング、ライフスタイル等を研究した。
入舩 徹男(いりふね てつお、1954年7月5日 - )は、… 入舩 徹男(いりふね てつお、1954年7月5日 - )は、日本の地球物理学者。愛媛大学特別栄誉教授。三重県出身。
椎川 忍(しいかわ しのぶ、1953年11月 - )は、日本… 椎川 忍(しいかわ しのぶ、1953年11月 - )は、日本の自治・総務官僚。元総務省自治財政局長、日本ゲートボール連合会長。瑞宝中綬章受章。
羽場 久美子(はば くみこ、羽場 久浘子、1952年8月18… 羽場 久美子(はば くみこ、羽場 久浘子、1952年8月18日 - )は、日本の政治学者・国際政治学者。青山学院大学名誉教授。法政大学講師・助教授・教授(1985-2007)、青山学院大学教授(2007-21)、神奈川大学教授(2021-23)、早稲田大学招聘研究員(2023ー)を経て、2025年より城西国際大学大学院特別栄誉教授(Distinguiished Professor)。 日本国際政治学会理事(200-06 )、日本政治学会理事(2008-12 )、ロシア東欧学会理事(1997-20 18 )事務局長、スラブ東欧学会理事(2000-18)日本EU理事(2002-23)、日本学術会議会員(2005-11) 、学術会議地域研究委員会副委員長、政治学委員会副委員長、外務省、財務省、文部科学省諸委員を歴任。
田中 俊行(たなか としゆき、1951年(昭和26年)10月… 田中 俊行(たなか としゆき、1951年(昭和26年)10月27日 - )は、三重県の政治家。第16代四日市市長。 尊敬する人物は宮本武蔵。好きな食べ物はカレーライス。愛読書は夏目漱石のこころ。趣味は楠町立楠中学校時代の四日市市と三重郡の三泗地区大会で優勝したテニス。カラオケ。絵画鑑賞。映画鑑賞。東京大学卒業の高学歴である事から四日市市議会議員で自身の支持者から逆学歴差別をされて三重県議会議員など上級の議員と公職を目指した。四日市市のホームページに四日市市長のページとして、「トッキーのおもしろ情報」という新コーナーを設けた。ブログ形式であり、「トッキー」とは女性支援者が田中俊行市長につけたニックネームである[要出典]。
水谷 久和(みずたに ひさかず、1951年8月12日 - )… 水谷 久和(みずたに ひさかず、1951年8月12日 - )は、日本の実業家。前三菱航空機株式会社取締役会長。 三重県出身。三重県立四日市高等学校を経て、1975年名古屋大学経済学部卒業、三菱重工業入社。三菱重工業名古屋航空宇宙システム製作所に配属される。同所や三菱重工業名古屋誘導推進システム製作所など、三菱重工業での42年のうち、32年間を名古屋市で勤務し、2006年には名古屋誘導推進システム製作所副所長に就任。 2007年から本社に移り、内部監査室長に就任。2010年執行役員航空宇宙事業本部副事業本部長に昇格。2011年取締役執行役員経営監査部長。2013年取締役常務執行役員(経営監査、総務、法務および人事担当)。
林 良嗣(はやし よしつぐ、1951年1月2日 - )は、世… 林 良嗣(はやし よしつぐ、1951年1月2日 - )は、世界規模で活動する国土・交通工学者。中部大学卓越教授(持続発展・スマートシティ国際研究センター)。名古屋大学名誉教授、清華大学客員傑出教授、同済大学世界交通研究共同センター長、ローマクラブ正会員兼日本支部代表兼本部執行役員、日本工学アカデミー中部支部長、富士電機社外取締役、電力中央研究所評議員、国際マネジメント学会(SSMS)会長、NPO「知多から世界へ」理事長。世界交通学会(WCTRS)会長(2013-2019)、土木学会副会長、日本環境共生学会会長などを歴任した。 三重県四日市市出身。1969年三重県立四日市高等学校卒業。1974年名古屋大学工学部土木工学科卒業。
種橋 潤治(たねはし じゅんじ 1950年(昭和25年)7月… 種橋 潤治(たねはし じゅんじ 1950年(昭和25年)7月22日 - )は、日本の銀行家。元三重銀行頭取。三重県商工会議所連合会会長。三重県公安委員会委員長。元三井住友銀行代表取締役・専務。三重県出身。 三重県四日市市出身。三重県立四日市高等学校を経て、1973年名古屋大学経済学部卒業。同年住友銀行入行。三井住友銀行取締役・専務執行役員等を経て、2008年三重銀行副頭取。2009年三重銀行頭取に就任。三井住友銀行時代には、全国銀行協会企画委員長も務め、郵政民営化に対する銀行業界からの主張も行った。 林良嗣名古屋大学名誉教授は三重県立四日市高等学校の同級生。
南川 秀樹(みなみかわ ひでき、1949年12月27日 - … 南川 秀樹(みなみかわ ひでき、1949年12月27日 - )は、環境省の官僚。自然環境局長、地球環境局長、官房長、地球環境審議官を経て2011年1月から2013年7月まで環境事務次官を務めた。三重県四日市市出身。 自然環境局長在任中(2005年)、「日光国立公園」を「日光尾瀬国立公園」と改称してほしいという群馬県、福島県、新潟県等からの要望に対し、尾瀬地域を日光国立公園から分離し、尾瀬国立公園として独立させる案を打ち出し注目を集めた。(その後、この構想は実現し、2007年尾瀬国立公園が制定された。) 地元三重県知事選挙への出馬について民主党から打診され意欲を見せていたものの、事務次官昇格が決まり翻意、2011年に環境事務次官に就任した。
二宮 宣文(にのみや のりふみ、1949年11月17日 - … 二宮 宣文(にのみや のりふみ、1949年11月17日 - )は、日本の医学者。日本医科大学多摩永山病院 特任教授を経て、大学病院を除く病院の中では日本最大級の私立総合病院である医療法人鉄蕉会 亀田総合病院の救命救急科部長。医療法人塩田記念病院の救急科部長を歴任。 2017年2月社会医療法人社団正志会南町田病院院長、2019年4月に同病院顧問及び救急科部長に就任。2019年には最先端医療機器開発のクリメディス株式会社の最高顧問及び取締役に就任すると共に、2020年にはドクターカーや医療モビリティの開発を行う一般社団法人医療・福祉モビリティ協会(MWMA)理事長に就任し活動の幅を広げる 2021年3月には社会医療法人社団正志会花と森の東京病院救急顧問に就任した。
松尾 大(まつお ひろし、1949年 - )は、日本の美学研… 松尾 大(まつお ひろし、1949年 - )は、日本の美学研究者、翻訳家。東京藝術大学名誉教授。文学修士(東京大学)。 専門は美学・西洋古典学。 芸術学、特に美学の分野において論文発表や翻訳を行っており、美学が成立する根拠を多角的に問い直している。 三重県に生まれる。1968年、三重県立四日市高等学校卒業。1968年、東京大学教養学部文科三類入学。1970年、同文学部第一類(文化学)進学。1972年、同文学部第一類卒業。1972年、東京大学大学院人文科学研究科修士課程(美学芸術学専攻)入学。1975年、同課程修了。1975年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程(美学芸術学専攻)進学。1978年、同課程単位取得退学。
平田 耕一(ひらた こういち、1948年(昭和23年)11月… 平田 耕一(ひらた こういち、1948年(昭和23年)11月9日 - )は、日本の政治家、実業家。財務副大臣(福田康夫改造内閣・麻生内閣)、経済産業大臣政務官(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)を歴任。 四日市市天ヶ須賀(富洲原地区住吉町)生まれ。実業家だった父の方針で、特別教育を受けるために公立の四日市市立富洲原小学校ではなく私立小学校(暁学園)の暁小学校、暁中学校で学び、三重県立四日市高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部を卒業[要出典]。 石膏ボードメーカーの千代田建材工業に入社して、1988年(昭和63年)から1995年(平成7年)まで同社の社長を務める。
安田 安之(やすだ やすゆき、1947年? - 1972年5… 安田 安之(やすだ やすゆき、1947年? - 1972年5月30日)は、日本の新左翼活動家、テロリスト、革命家。1972年5月30日に奥平剛士、岡本公三らとテルアビブ空港乱射事件を起こして死亡。 日本赤軍のメンバーの一人として紹介されることがあるが、厳密にいえば乱射事件発生時点では、日本赤軍は結成されていない。 三重県員弁郡北勢町(現・いなべ市)で製材業を営む父親の元に生まれる。1966年、三重県立四日市高等学校を卒業。同年京都大学工学部建築科へ入学。1970年に同校を休学。1971年9月30日、家族にギリシャへ建築の勉強に行くと言い残して出国。1972年1月、レバノンのベイルートで京都大生が水泳中に死亡する事故があったが、この際に一緒に行動していたことが確認されている。
城島 明彦(じょうじま あきひこ、1946年7月10日 - … 城島 明彦(じょうじま あきひこ、1946年7月10日 - )は、日本の小説家、ノンフィクション作家・ジャーナリスト。 三重県桑名市(母親の実家)生まれ。小学3年生の夏、同県員弁郡(現大安町)から四日市市内に転居し、大学入学まで同地に居住[要出典]。三重県立四日市高等学校を経て、1970年早稲田大学政経学部卒業。 東宝助監督を経て、1973年ソニー入社、ソニーでは宣伝部門・広報部門に籍を置く[要出典]。東宝時代に師事した監督は、入社時の保証人だった森谷司郎、小谷承靖、堀川弘通、石田勝心ほか[要出典]。 1983年に「けさらんぱさらん」で文藝春秋「オール讀物新人賞」を受賞し、作家デビュー。以後、幅広いテーマで小説、ノンフィクションを執筆。
樋口 清司(ひぐち きよし、1946年 - )は、日本の科学… 樋口 清司(ひぐち きよし、1946年 - )は、日本の科学技術技官。宇宙航空研究開発機構副理事長や、国際宇宙航行連盟会長を務めた。 三重県四日市市生まれ。三重県立四日市高等学校を経て、1969年名古屋大学理学部数学科卒業、科学技術庁入庁、宇宙開発推進本部配属。同年の宇宙開発事業団発足時に移籍。1977年マサチューセッツ工科大学航空宇宙学科大学院修士課程修了。 H-Iロケットの設計や、国際宇宙ステーション計画などに携わり、宇宙開発事業団企画部で課長や部長を務めたのち、2003年宇宙航空研究開発機構理事(経営企画担当)。2009年有人宇宙システム副社長。2010年宇宙航空研究開発機構副理事長。2012年国際宇宙航行連盟会長。
笠原 洋子(かさはら ようこ、1945年8月4日 - )は、… 笠原 洋子(かさはら ようこ、1945年8月4日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 三重県津市出身。中学在学中に「なんとなく」バレーボールを始める。四日市高校在学中はインターハイなどで活躍した。 実業団チームである鐘紡四日市監督の水野崇光から声がかかり、同チームの児玉三代子や吉田節子に憧れていたこともあり入部を決意した。 1965年に全日本メンバーに初選出され、1968年のメキシコオリンピックにおいて銀メダル獲得に貢献した。ロサンゼルスオリンピック銅メダリストの杉山加代子は親戚。
森下 俊三(もりした しゅんぞう、1945年4月8日 - )… 森下 俊三(もりした しゅんぞう、1945年4月8日 - )は、日本の実業家。 三重県亀山市生まれ。名古屋大学工学部電気電子工学科卒。名古屋大学大学院工学研究科修了。NTT西日本代表取締役社長等を経て、阪神高速道路株式会社取締役会長、一般財団法人関西情報センター会長、NHK経営委員会委員長。 関西経済同友会代表幹事、関西経済連合会副会長、駐大阪トルコ共和国名誉総領事、大阪府特別顧問、大阪府公安委員会委員長、関西テレビ放送番組審議委員、同志社大学客員教授を歴任。 2018年に日本郵政に関する報道に絡み、長門正貢社長や鈴木康雄上級副社長らの圧力を受け、上田良一NHK会長をNHK経営委員会が厳重注意した際に議事録にこのことが記載されなかったことに関し国会で追及を受けた際には、議事録について「内規で非公開としている」と答えた。
因田 宏紀(いんでん ひろき、1942年 - )は、日本のア… 因田 宏紀(いんでん ひろき、1942年 - )は、日本のアナウンサー、テレビプロデューサー、実業家。朝日放送(ABC)アナウンサー、ABCゴルフ倶楽部代表取締役社長・支配人。樺太出生、三重県育ち。 1942年、樺太に生まれ、第二次世界大戦の終戦さ中に北海道へ引き揚げ船で辿り着き、父親の故郷である三重県鈴鹿の麓に移る。四日市市の中学・三重県立四日市高等学校に進学し、テニスと出合う(黒松秀三郎や九鬼潤らと同世代)。高校では、陸上競技でインターハイ、スキーで国体に出場した。大学は新聞記者を目指して中央大学法学部に入学し、放送研究会に所属。 1965年、中央大学法学部を卒業後、朝日放送へ入社(同期に道上洋三や辻豊人らがいる)。
三上 治(みかみ おさむ、1941年4月9日 - )は、日本… 三上 治(みかみ おさむ、1941年4月9日 - )は、日本の編集者・文筆家・評論家、元政治運動家。 本名・味岡修。三重県出身。 三重県四日市市生まれ。三重県立四日市高等学校卒業。1960年、中央大学法学部政治学科に入学し、安保闘争に参加。1962年、再建された社会主義学生同盟の全国委員長になる。1966年、中央大学中退、第二次ブントに加わり、全共闘運動やベトナム反戦闘争にも加わる。1969年、ブント内部の党派闘争で統一派として赤軍派と対立する。 1969年4月28日の沖縄闘争で指名手配され、9月に逮捕。1970年、いったん保釈されるが、保釈取り消しで東京拘置所に入所。この間、神津陽と共に共産主義者同盟叛旗派をつくり、同派のリーダーとなる。
大橋 歩(おおはし あゆみ、1940年6月16日 - )は、… 大橋 歩(おおはし あゆみ、1940年6月16日 - )は、日本のイラストレーター、デザイナー。週刊「平凡パンチ」の表紙のイラストを創刊号から担当したことで知られる。本名、石井久美子。夫は彫刻作家の石井厚生。 三重県津市出身。三重県立四日市高等学校卒業。1959年、多摩美術大学絵画科油絵専攻入学。大学3年生の時、河原淳のゼミナールに入る。 1963年、イラストレーターを目指していた大橋は、大学4年生の時に同級生の紹介でヴァンヂャケットにデザイン画を持ち込む。そのとき会ったのが石津謙介の長男で企画部長の石津祥介で、その場で「メンズクラブ」のイラストを依頼される。1964年1月、「メンクラ」3ページに初めてイラストが掲載される。
津田 勉(つだ つとむ、1939年10月6日 - )は三重県… 津田 勉(つだ つとむ、1939年10月6日 - )は三重県の政治家で教育者。学校法人津田学園の創設者で初代理事長。津田学園最高顧問(現在)。1975年から1999年までの6期24年間に三重県議会議員として活動していた。元三重県議会議長。三重県四日市市小山田地区の美里町出身。平成21年に旭日小綬章を受勲。平成25年に県民功労者表彰(地方自治功労賞)を受ける。 昭和14年生まれで昭和27年3月に三重郡小山田村立小山田小学校(現在の四日市市立小山田小学校)を卒業。昭和30年3月に三重郡水沢村立水沢中学校(現在の四日市市立西陵中学校)を卒業。東洋町商店街周辺の富洲原地区民になり三重県立四日市高等学校普通科に通う。
井上 哲夫(いのうえ てつお、1938年(昭和13年)7月1… 井上 哲夫(いのうえ てつお、1938年(昭和13年)7月12日 - 2019年(平成31年)2月21日)は、日本の政治家。三重県出身で、参議院議員(1期、三重県選挙区)、第15代四日市市長(3期)を務めた。 三重県四日市市海蔵地区生まれ。三重県立四日市高等学校、名古屋大学法学部卒業。 民間企業で働きながら司法試験に26歳で合格。司法修習20期を経て、弁護士登録。司法修習の同期には高村正彦(元外務大臣)、江田五月(参議院議長)、横路孝弘(衆議院議長)、神崎武法(元公明党代表)、松尾邦弘(元検事総長)らがいる。四日市市ぜんそく公害訴訟の原告弁護団の一員を務める。 その後三重県弁護士会会長も務める。
高橋 正勝(たかはし まさかつ、1938年(昭和13年)2月… 高橋 正勝(たかはし まさかつ、1938年(昭和13年)2月26日 - )は、三重県出身の元プロ野球選手(投手)。 三重県三重郡菰野町出身。水谷貞雄監督率いる四日市高校では巽一、島田光二の1年後輩になる。1955年にエースとして春季中部大会決勝に進み、岐阜高を降し優勝。同年夏の甲子園三重県予選も勝ち抜き、三岐大会決勝で岐阜商の清沢忠彦に投げ勝って夏の甲子園への出場を決める。大会では準々決勝で西岡清吉、土居章助のいた城東高に完封勝利、準決勝では優勝候補の中京商を破る。決勝は坂出商の岡崎秀智(中大-電電関東)に投げ勝ち4-1で初優勝を飾る。8月には全日本高校選抜チームとして初のハワイ遠征を果たす。同年の神奈川国体は準決勝で立命館高の富永格郎を打ち崩し、決勝は浜中祥和のいた若狭高との接戦を4-3で制しまたも初優勝。
島田 光二(しまだ こうじ、1936年4月12日 - )は、… 島田 光二(しまだ こうじ、1936年4月12日 - )は、三重県四日市市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者。 四日市高校では3年次の1954年に夏の甲子園県予選を勝ち抜くが、三岐大会で森昌彦捕手を擁する岐阜高校に敗退、甲子園出場を逸する。高校同期にエースの巽一がいるほか、1年下の高橋正勝(巨人に入団)は、翌年夏の甲子園で主戦投手として初優勝している。 卒業後の1955年に近鉄パールスに入団し、1年目の同年から一軍出場。内野の準レギュラーが長かったが、1962年に一塁手の定位置を獲得し、規定打席(打率.278、18位)に到達。その後も内野全般をこなすユーティリティプレイヤーとして活躍し、通算1029試合に出場した。
巽 一(たつみ はじむ、1936年4月8日 - )は、三重県… 巽 一(たつみ はじむ、1936年4月8日 - )は、三重県多気郡宮川村(現・大台町)出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。 四日市高校では1954年にエースとして春季中部大会決勝に進み、岡崎高の河井学(のち毎日オリオンズ)と投げ合うが惜敗。同年夏の甲子園三重県予選も勝ち抜くが、三岐大会準決勝で森昌彦のいた岐阜高に敗退し、甲子園には届かなかった。高校同期に島田光二がいた。四日市高校は翌1955年に左腕エース高橋正勝を擁し、夏の甲子園で優勝している。 卒業後は慶應義塾大学へ進学。東京六大学野球リーグでは、1956年秋季リーグで衆樹資宏・中田昌宏らの強力打線に援護され、エースの林薫との二本柱で優勝を果たす。
岡田 邦彦(おかだ くにひこ、1935年7月11日 - )は… 岡田 邦彦(おかだ くにひこ、1935年7月11日 - )は、日本の実業家。初代J.フロント リテイリング代表取締役会長、第6代松坂屋代表取締役社長、第25代名古屋商工会議所会頭。 三重県出身。1954年三重県立四日市高校卒業、1958年名古屋大学経済学部卒業、松坂屋入社。1991年取締役本社開発事業部長に昇格。1997年常務取締役本社総合企画室長兼広報室長兼関連事業部長。1999年代表取締役社長。2001年キタン会会長。 2006年から松坂屋ホールディングス代表取締役会長兼松坂屋代表取締役会長を務め、大丸との経営統合にあたり、2007年に新設されたJ.フロント リテイリングの初代代表取締役会長に就任した。
服部 武夫(はっとり たけお、1932年11月28日 - )… 服部 武夫(はっとり たけお、1932年11月28日 - )は、三重県四日市市出身の元プロ野球選手(投手)。 四日市高卒業に当たって、南海球団社長・松浦竹松の友人の紹介でテストを受けて合格し、1950年に南海ホークスへ入団。 2年目の1951年に31試合登板し、10勝7敗、防御率2.03を記録して南海の優勝に貢献した。防御率2.03はリーグ1位の成績だったが、この年だけ導入された資格投球回数算定法によって南海ホークスの標準回数が164回と決まっており、投球回数が155回だった服部は規定未満として最優秀防御率のタイトルを逃し、2.08で2位だった同僚の柚木進がタイトル獲得となった。読売ジャイアンツとの日本シリーズにも出場し、第1戦と第2戦はリリーフで登板。
藤田 敏八(ふじた としや、1932年1月16日 - 199… 藤田 敏八(ふじた としや、1932年1月16日 - 1997年8月29日)は、日本の映画監督、脚本家、俳優。 朝鮮・平安北道平壌府(現:朝鮮民主主義人民共和国平壌直轄市)に生まれる。 朝鮮鉄道の社員だった父に従って朝鮮半島を転々と移り住むが、釜山で終戦を迎え、三重県四日市市に引き揚げる。中学に編入後、三重県立神戸高等学校に進学するも、四日市市馳出に戻り三重県立四日市高等学校を卒業。浪人生活を経て東京大学に入学し、文学部仏文科に進む。在学中に演劇に熱中し、俳優座養成所に第5期生として入所する。同期に平幹二朗がいる。 1955年、大学卒業とともに日活に入社。助監督として舛田利雄、蔵原惟繕らにつく。
伊藤 亘行(いとう のぶゆき、1921年(大正10年)2月6… 伊藤 亘行(いとう のぶゆき、1921年(大正10年)2月6日 - 2002年(平成14年)11月10日)は日本の声楽家(バリトン)、オペラ歌手、音楽教育者、作曲家。 三重県四日市市京町生まれ。伊藤家はタイル業、万古焼業を営み父が仕事中にヴァイオリンを弾くのを聞いて、叔母の家でオルガンを弾いたりして幼少年時代を過ごす。旧制富田中学校(現在の三重県立四日市高等学校)卒業。父や親戚を説得して東京音楽学校声楽科(現在の東京芸術大学)へ進学し、木下保や中山悌一に師事して1941年(昭和16年)に卒業。大東亜戦争中で音楽関係の仕事がないことから、郷里の東海地方に帰り現在の愛知県立旭丘高等学校や愛知県立明和高等学校の音楽担当の教師となり音楽を教えた。
三輪 勇之助(みわ ゆうのすけ、1920年2月26日 - 1… 三輪 勇之助(みわ ゆうのすけ、1920年2月26日 - 1990年1月1日)は、三重県四日市市出身の日本の洋画家。 同じ四日市市生まれの従兄弟に芥川賞受賞作家の近藤啓太郎がいる。
小嶋 千鶴子(こじま ちづこ、出生時の戸籍名は岡田 千鶴子(… 小嶋 千鶴子(こじま ちづこ、出生時の戸籍名は岡田 千鶴子(おかだ ちづこ)、1916年〈大正5年〉3月3日 - 2022年〈令和4年〉5月20日)は、日本の実業家。イオンの前身であるジャスコの創設者で、イオングループの共同創業者。イオン株式会社名誉顧問などを歴任した。 1916年(大正5年)3月3日に三重県四日市市に生まれる。父は岡田惣一郎で母は岡田(旧姓・美濃部)田鶴。夫妻の第二子で、5人きょうだい(一男四女)の二女であった。千鶴子の後にも2人続けて女子が誕生したことから、5人目も女子なら家系を絶やさぬよう婿養子を迎えることを検討していたが、5人目で男子の卓也が誕生した。千鶴子が誕生した時は血縁関係の父方の祖父の岡田惣七(婿養子に入る前の旧姓が前田末吉)と四日市岡田家の家系の祖父の岡田惣右衛門の2人の四日市岡田家の祖父が存命中であり、2人の祖父からかわいがられて教育された。
田村 泰次郎(たむら たいじろう、1911年11月30日 -… 田村 泰次郎(たむら たいじろう、1911年11月30日 - 1983年11月2日)は、日本の小説家である。三重県三重郡富田村(現・四日市市富田)出身。早稲田大学在学中より小説を多く書いたが、応召して中国を転戦。戦中の経験に基づく独特の生命観に裏打ちされた「肉体派作家」として熱狂的に支持された。 高知県出身の中学教師である父親と、京都府出身の母親のもとに生まれる。母親は文章や歌を書くことが好きな人だった。11歳上の姉と5歳上の兄がおり、姉も文学好きだった。父親が校長を務めていた四日市の旧制富田中学(現三重県立四日市高等学校)を経て、1929年第二早稲田高等学院に入学。1931年早稲田大学文学部仏文科に進学した。
山本 幸雄(やまもと さちお、1911年〈明治44年〉2月2… 山本 幸雄(やまもと さちお、1911年〈明治44年〉2月26日 - 2007年〈平成19年〉2月6日)は、日本の政治家、内務・建設官僚。位階は従三位。 衆議院議員(7期)。自治大臣(第32代)、国家公安委員会委員長(第41代)を歴任した。 現在の三重県桑名市に生まれる。旧制富田中学、松本高等学校文科甲類を経て1933年(昭和8年)に東京帝国大学法学部政治科に入学。在学中に高等文官試験行政科に合格し、1936年、大学卒業。 1936年、内務省に入省する(同期に山田正雄陸上幕僚長)。入省後、愛媛県で別子銅山の公害調査、富山県で内務省高等官として都市計画等の地方行政に携わる。終戦後の1946年、当時内務政務次官であった世耕弘一の下、経済警察の立場で隠退蔵物資摘発に携わった後、神奈川県国家地方警察隊長、国家地方警察本部人事課長、防衛庁人事局長、警察庁長官官房長、大阪府警察本部長、建設省官房長を務め、建設事務次官を最後に退官。
田中 覚(たなか さとる、1909年(明治42年)12月15… 田中 覚(たなか さとる、1909年(明治42年)12月15日 - 2002年(平成14年)8月10日)は、日本の政治家で、三重県知事(5期)、衆議院議員(1期)を務めた。三重県四日市市塩浜地区出身。学歴は東京帝国大学卒業である。元四日市市長の加藤寛嗣は従兄弟である。1944年(昭和19年)佐藤喜代子と結婚して、2女をもうける。喜代子と死別後の1975年(昭和50年)には元総理大臣三木武夫の妻睦子の妹である三重子と再婚した。元衆議院議員の松崎哲久は義理の息子、映画監督として人気のあった藤田敏八は甥(姉の子)である。 1909年(明治42年)12月15日、三重県四日市市蔵町の母の実家で生まれる。塩浜尋常小学校、塩浜高等小学校、三重県立第二中学校(現・四日市高校)から東京府立第五中学校(現・小石川高校)へ転校して、第八高等学校 (旧制)を経て東京帝国大学農学部農業経済学科を卒業した。