藤田 敏八(ふじた としや、1932年1月16日 - 1997年8月29日)は、日本の映画監督、脚本家、俳優。 朝鮮・平安北道平壌府(現:朝鮮民主主義人民共和国平壌直轄市)に生まれる。 朝鮮鉄道の社員だった父に従って朝鮮半島を転々と移り住むが、釜山で終戦を迎え、三重県四日市市に引き揚げる。中学に編入後、三重県立神戸高等学校に進学するも、四日市市馳出に戻り三重県立四日市高等学校を卒業。浪人生活を経て東京大学に入学し、文学部仏文科に進む。在学中に演劇に熱中し、俳優座養成所に第5期生として入所する。同期に平幹二朗がいる。 1955年、大学卒業とともに日活に入社。助監督として舛田利雄、蔵原惟繕らにつく。
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