スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
一木 立一(いちき りゅういち、1998年11月24日 - … 一木 立一(いちき りゅういち、1998年11月24日 - )は、群馬県桐生市出身のサッカー選手。ポジションはFW。 太田高校卒業後、東京学芸大学に進学。2020年12月26日、2021年シーズンからのザスパクサツ群馬加入内定が発表された。 2021年3月28日、J2第5節のギラヴァンツ北九州戦で後半途中から出場しプロデビューを果たした。2021年7月31日、FC刈谷へ期限付き移籍により加入した。 2022年、沖縄SVへ期限付き移籍。 2023年、沖縄SVに完全移籍。 2024年、VONDS市原に完全移籍。
こうちゃん(1997年11月28日 - )は、日本のクイズプ… こうちゃん(1997年11月28日 - )は、日本のクイズプレイヤー、ライター、YouTuber、プロ雀士。本名は渡辺 航平(わたなべ こうへい)。ワタナベエンターテインメント(オフコース)所属、日本プロ麻雀連盟所属、クイズ制作集団・Q星群メンバー。2017年6月から2023年12月末まで、ウェブメディア『QuizKnock』でも活動していた。 1997年11月28日、群馬県館林市に生まれる。館林市立第十小学校、館林市立第三中学校を経て、2016年3月に群馬県立太田高等学校を卒業後、東京大学文科一類に入学。2020年3月に東京大学法学部を卒業し、QuizKnockの運営会社に入社した。 東大クイズ研究会で交流があった川上拓朗に誘われてQuizKnockに参加。
鳥海 翔(とりうみ しょう、1985年8月14日 - )は、… 鳥海 翔(とりうみ しょう、1985年8月14日 - )は、日本の実業家、ファイナンシャルプランナー(FP)、投資家。株式会社Challenger代表取締役。YouTubeチャンネル「鳥海翔の騙されない金融学」を運営し、金融リテラシー向上を目的とした教育・コンサルティング活動を行っている。 群馬県太田市出身。群馬県立太田高等学校を卒業後、慶應義塾大学商学部に進学し、2008年に卒業した。 大学卒業後の2008年、三井住友海上火災保険株式会社に入社し、リテール営業および企業営業に従事した。 2016年に独立し、株式会社Challengerを設立、代表取締役に就任した。創業当初は損害保険および生命保険の代理店事業を中心に展開し、エージェント・オブ・ザ・イヤー(2017年)やベストエージェントアワードなどの表彰を受けた。
佐川 友彦(さがわ ともひこ、1984年12月12日 - )… 佐川 友彦(さがわ ともひこ、1984年12月12日 - )は、日本の篤農家。農業コンサルタント。ファームサイド株式会社代表取締役・創業者。 1984年、群馬県館林市生まれ。2000年、館林市立第二中学校卒業。2003年、群馬県立太田高等学校卒業、東京大学理科一類入学。2007年、東京大学農学部地域環境工学専修卒業。2009年、東京大学大学院農学生命科学研究科生物・環境工学専攻修士課程修了。新卒で入社したデュポン中央技術研究所先端技術研究部(アメリカ・ウィルミントン)で太陽光発電パネル素材の研究開発に従事。2011年3月、国立研究開発法人産業技術総合研究所派遣研究員。2013年4月、さがわ総研。
金井健雄(かない たてお、1984年11月5日 - )は、ト… 金井健雄(かない たてお、1984年11月5日 - )は、トップイーストリーグAグループAZ-COM丸和MOMOTARO'Sに所属するラグビー選手。 15歳からラグビーを始めた。 2003年、太田高校卒業後、慶應義塾大学に入学した。 2007年、慶應義塾體育會蹴球部の主将に就任した。なお同年度に全国大学選手権決勝進出を果たすが、けがで決勝戦は出場できなかった。 2008年、慶應義塾大学卒業後、サントリーサンゴリアス(現・東京サントリーサンゴリアス)に加入。同年9月14日に行われたジャパンラグビートップリーグ第2節の九州電力キューデンヴォルテクス戦に途中出場で公式戦初出場を果たした。 2009年4月25日に行われたアジア5カ国対抗2009カザフスタン戦で日本代表初キャップを獲得した。
吉田 学(よしだ まなぶ、1975年5月15日 - )は、群… 吉田 学(よしだ まなぶ、1975年5月15日 - )は、群馬テレビ営業部社員、元同社アナウンサー兼報道記者。 1975年5月15日、東京都新宿区高田馬場に生まれ、群馬県太田市(旧・新田町)で育つが、現在は太田市出身としている。 群馬県立太田高等学校、早稲田大学卒業。卒業後、1998年に群馬テレビに入社。報道局報道部に配属となった。 2017年1月より制作部に所属していたが、2018年4月より再び報道部に異動となった。 2020年3月27日放送の『ニュースeye8』をもってアナウンサーとしては卒業し、同年4月より営業部へ異動となった。 世界遺産検定2級、富岡製糸場世界遺産伝道師協会伝道師の資格を持っている。
後藤 克己(ごとう かつみ、1973年6月21日 - )は日… 後藤 克己(ごとう かつみ、1973年6月21日 - )は日本の政治家。立憲民主党所属の群馬県議会議員。県議会会派「リベラル群馬」の代表。立憲民主党群馬県連会長。自治労群馬県本部の組織内議員。 1973年(昭和48年)、群馬県明和町に生まれる。1992年(平成4年)、群馬県立太田高等学校卒業。1997年(平成9年)、早稲田大学商学部卒業。1998年(平成10年)、群馬県庁に入庁。2002年(平成14年)、群馬県職員労働組合専従となる。 2006年8月11日、自治労群馬県本部は翌年の群馬県議選高崎市選挙区に自治労群馬県本部で中央執行委員を務める後藤を擁立することを決定した。同月14日、後藤は群馬県庁舎で記者会見を開き、次期県議選への立候補を正式に表明。
茂木 創(もてぎ はじめ、1972年 - )は、日本の経済学… 茂木 創(もてぎ はじめ、1972年 - )は、日本の経済学者。現在は拓殖大学国際学部教授。専門は国際経済学。 群馬県太田市生まれ。群馬県立太田高等学校を経て、1997年3月高崎経済大学経済学部経済学科卒業。慶應義塾大学大学院経済学研究科経済学専攻修士課程修了、同博士課程単位取得退学。 2005年4月拓殖大学政経学部専任講師、2008年4月同学部准教授、2018年4月同大学国際学部准教授、2019年同学部教授。 中国社会科学院世界経済与政治研究所客員研究員、日本エネルギー経済研究所中東研究センター外部研究員、群馬県農政審議会、群馬県産業教育審議会どの委員を歴任した。
吉田 悦章(よしだ えつあき、1971年 - )は日本の銀行… 吉田 悦章(よしだ えつあき、1971年 - )は日本の銀行家、地域研究博士。イスラム金融の第一人者。ウズベキスタン共和国情報通信省副大臣を経て、同志社大学大学院ビジネス研究科教授。 神奈川県生まれ。群馬県立太田高等学校を経て、1995年一橋大学商学部卒業、日本銀行入行。大学在学中1993年から1994年までハーバード大学に留学し経済学を専攻。日本銀行で国際金融市場分析等を担当したのち、2007年から国際協力銀行アフリカ室兼中東担当調査役を務め、イスラム金融等を担当。 国際協力銀行外国審査部参事役、同部第3ユニット長等を務める傍ら、2008年から早稲田大学ファイナンス研究センター客員准教授、2015年から京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科グローバル地域研究専攻特任准教授。
田島 國彦(たじま くにひこ、1969年5月27日 - )は… 田島 國彦(たじま くにひこ、1969年5月27日 - )は、日本の政治活動家、元国会議員公設秘書。中島政希元衆議院議員の政策担当秘書として務めた。NPO法人公共政策研究所 常務理事・主任研究員。 2009年の第45回衆議院議員総選挙では民主党群馬県衆議院選対本部事務局長を務めた。群馬県太田市出身。 群馬県立太田高等学校、早稲田大学社会科学部卒業。足利銀行退職後、新党さきがけ群馬県本部事務局長、民主党群馬県総支部連合会常任理事を経て、鳩山由紀夫、石関貴史の秘書、中島政希の政策担当秘書を歴任。 大学卒業後、足利銀行に就職するが新党さきがけの群馬県本部設立の際、銀行を退職し事務局入りする。当時、さ
橋本 淳司(はしもと じゅんじ、1967年1月8日 - )は… 橋本 淳司(はしもと じゅんじ、1967年1月8日 - )は、日本の水ジャーナリスト。 群馬県館林市出身。群馬県立太田高校、学習院大学文学部国文学科卒業。卒業後、出版社勤務を経て、水ジャーナリストとして独立し、アクアスフィア・水教育研究所を設立して代表となる。 国内外の水問題と解決策についてテレビ・ラジオ等のメディアで発信し、国・自治体・学校・企業等で水に関する活動の企画運営とサポート、講演を行っている。 武蔵野大学非常勤講師、愛知県立大学非常勤講師、NPO法人ウォーターエイドジャパン理事、NPO法人地域水道支援センター理事、水循環基本法フォローアップ委員会委員、東京学芸大学客員准教授、国際協力機構(JICA)専門家(日中節水循環型都市構築プロジェクトに参加)、参議院第一特別調査室特別調査員(「国際問題、地球環境問題及び食糧問題に関する調査・報告 世界の水問題と日本の対外戦略」)などを歴任した。
柿沼 正明(かきぬま まさあき、1965年〈昭和40年〉9月… 柿沼 正明(かきぬま まさあき、1965年〈昭和40年〉9月26日 - )は、日本の政治家。民主党所属の元衆議院議員(1期)。 群馬県太田市生まれ。 太田市立宝泉中学校、群馬県立太田高等学校を経て、1989年に一橋大学経済学部(石弘光ゼミナール)を卒業し、日本興業銀行(のちのみずほフィナンシャルグループないしみずほコーポレート銀行)に入行。 2003年4月、14年間勤めた銀行を退職。同年11月、第43回衆議院議員総選挙の広島1区に初めて立候補するが、自由民主党で元内閣府特命担当大臣の岸田文雄に敗れ、落選。 2005年、第44回衆議院議員総選挙では、故郷の群馬3区に立候補するが、自民党で元農林水産大臣の谷津義男に敗れ、落選。
宮澤 淳一(みやざわ じゅんいち、1963年 - )は、日本… 宮澤 淳一(みやざわ じゅんいち、1963年 - )は、日本の音楽評論家。青山学院大学総合文化政策学部教授。 群馬県太田市生まれ。群馬県立太田高等学校を経て、1986年に青山学院大学国際政治経済学部国際政治学科卒業(政治学士)。早稲田大学に学士編入し、1988年に早稲田大学第一文学部文学科ロシア文学専修を卒業(文学士)。1990年に早稲田大学大学院文学研究科ロシヤ文学専攻修士課程修了(文学修士)。1995年に早稲田大学大学院文学研究科ロシヤ文学専攻博士後期課程単位取得退学。2005年『グレン・グールド論』で吉田秀和賞。同論文で、2007年に、東京大学から論文提出により博士(学術)の学位を取得。早大院助手、早稲田大学・慶應義塾大学・武蔵野音楽大学で非常勤講師、トロント大学客員教授大学非常勤講師、トロント大学客員教授などののち、現職。
室田 淳(むろた きよし、1955年7月26日 - )は、群… 室田 淳(むろた きよし、1955年7月26日 - )は、群馬県出身のプロゴルファー。
懸川 武史(かけがわ たけし、1955年2月 - )は、日本… 懸川 武史(かけがわ たけし、1955年2月 - )は、日本の教育学者である。群馬県館林市出身。 専門職学位課程実務家教員。群馬大学教育学部子ども総合サポートセンター長。元群馬大学大学院教育学研究科教職リーダー講座教授。専門は学校臨床心理学。現在、東群馬看護専門学校校長。 長い教員生活を経て、現在に至る。趣味は海外旅行。
長谷川 嘉一(はせがわ かいち、1952年〈昭和27年〉11… 長谷川 嘉一(はせがわ かいち、1952年〈昭和27年〉11月6日 ‐ )は、日本の政治家、歯科医師。 衆議院議員(2期)、群馬県議会議員(3期)、太田市議会議員(1期)、立憲民主党群馬県連会長などを務めた。 群馬県太田市由良町生まれ。1971年3月、群馬県立太田高等学校卒業。1978年3月、日本歯科大学新潟歯学部卒業。 1983年5月、太田市に歯科医院を開設。 1991年4月、太田市議会議員選挙で初当選、1期務める。 1995年5月14日、太田市長選が告示され、立候補を届け出た。5月21日の投開票の結果、新人の清水聖義が当選し、長谷川は候補者3名中最下位で落選。 1999年4月、群馬県議会議員選挙に太田市選挙区から無所属で立候補し初当選。
谷津 龍太郎(やつ りゅうたろう、1952年11月2日 - … 谷津 龍太郎(やつ りゅうたろう、1952年11月2日 - )は、日本の環境官僚、環境事務次官、中間貯蔵・環境安全事業株式会社代表取締役社長等を歴任した。 1952年11月2日群馬県太田市生まれ。群馬県立太田高等学校を経て、1976年3月東北大学工学部土木工学科卒業、厚生省入省。 1999年3月東北大学大学院工学研究科土木工学博士課程修了、工学博士。 1976年4月厚生省入庁後、環境庁大気保全局、厚生省水道整備課等を経て、1993年環境庁水質保全局企画課調査官、1995年平成7年環境庁企画調整局環境計画課計画官。1996年国連大学高等研究所派遣。1998年環境庁企画調整局地球環境部環境保全対策課調整官。
立川 談四楼(たてかわ だんしろう、1951年6月30日 -… 立川 談四楼(たてかわ だんしろう、1951年6月30日 - )は、日本の落語家、作家。本名∶高田 正一。出囃子は『喜撰』。落語立川流所属。群馬県邑楽郡邑楽町生まれ。 1970年3月群馬県立太田高等学校卒業と同時に、立川談志に入門。前座名は寸志。前座時代には林家種平、林家公平、柳家ほたるの4人で「少女ふれんど」というバンドを結成しレコードを出している。 1975年11月∶二ツ目昇進。談四楼と改名。1980年、NHK新人落語コンクール優秀賞受賞。 1983年、落語協会での真打昇進試験において、談四楼と兄弟子の小談志(後に談志門下を離れ喜久亭寿楽になる)が不合格になる。これをきっかけに談志は弟子をつれて落語協会を離れ、落語立川流を結成。
齋藤 一雄(さいとう かずお、1949年〈昭和24年〉1月1… 齋藤 一雄(さいとう かずお、1949年〈昭和24年〉1月12日 - )は、日本の経営者。群馬銀行頭取を務めた。 群馬県新田郡笠懸村(現・みどり市)出身。群馬県立太田高等学校を経て、1972年に新潟大学人文学部を卒業し、同年に群馬銀行に入行した。2005年6月に取締役に就任し、2006年6月に常務、2009年6月に専務を経て、2011年6月には頭取に就任。2019年6月から2022年6月までに会長を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大澤 正明(おおさわ まさあき、1946年〈昭和21年〉1月… 大澤 正明(おおさわ まさあき、1946年〈昭和21年〉1月21日 - )は、日本の政治家。 群馬県知事(公選第17・18・19代)、群馬県議会議員(4期)、第80代群馬県議会議長、尾島町議会議員(2期)などを歴任した。 1946年1月21日、群馬県新田郡尾島町尾島(現在の太田市尾島町)で生まれる。父は尾島町長を務めた大澤明治。1964年、群馬県立太田高等学校卒業。1969年、慶應義塾大学工学部卒業。 1970年、海上自衛隊幹部候補生学校卒業(20期1分隊)。 1971年、大沢建設株式会社入社。1978年に株式会社三協を設立し代表取締役となる。1983年に尾島町議に当選、連続2期務め議長にもなった。
若林 宏宗(わかばやし ひろむね、1944年1月 - )は、… 若林 宏宗(わかばやし ひろむね、1944年1月 - )は、日本の教育者。公立高校校長、太田情報商科専門学校および太田自動車整備専門学校校長、駒澤大学非常勤講師を歴任。 群馬県太田市生まれ。群馬県立太田高等学校、駒澤大学文学部地理学科卒業。同大学大学院修士課程修了。同大学院博士課程中退。群馬県立高校教諭(地理担当)となり4校勤務を経て県教育委員会事務局課長補佐。教頭、校長、県総合教育センター部長を経て県立桐生高校校長。太田情報商科専門学校・太田自動車整備専門学校の校長、駒澤大学文学部地理学科非常勤講師などを務める。2016年11月に瑞宝双光章を受章。 著書に「どろよけ人生此処にあり」「南極大陸まで」がある。
稲村 雅士(いなむら まさし、1943年4月20日 - )は… 稲村 雅士(いなむら まさし、1943年4月20日 - )は、群馬県出身の元競輪選手(日本競輪選手会群馬県支部所属)。日本競輪学校第16期生。59歳まで現役を続けた。息子に同じく競輪選手の稲村成浩(69期)、稲村好将(81期)がいる。
渡邊 一正(わたなべ かずまさ、1943年1月11日 - )… 渡邊 一正(わたなべ かずまさ、1943年1月11日 - )は、日本の実業家。群馬銀行相談役、元同行会長。 群馬県出身。群馬県立太田高等学校を経て、1966年3月高崎経済大学経済学部卒業後、同年4月群馬銀行入行。1990年2月舘林支店長、1992年11月営業企画部長、1994年6月太田支店長。1995年6月取締役。1997年10月営業統括部長。1999年6月常務。2005年6月専務。2007年6月副頭取。2010年6月会長。2011年6月より相談役。
吉田 多宏(よしだ かずひろ、1942年〈昭和17年〉12月… 吉田 多宏(よしだ かずひろ、1942年〈昭和17年〉12月12日 - 2021年〈令和3年〉1月5日[要出典])は、日本のサクソフォーン奏者・音楽家・作曲家。ジャズのサックス奏者・フルート・クラリネット奏者として活動した。 群馬県太田市(旧新田郡尾島町)出身。群馬県立太田高等学校卒。小学校5年生の時、トランペット奏者の実兄(後に「スマイリー小原とスカイライナーズ」「東京キューバン・ボーイズ」等で活動した吉田智次郎)の影響でクラリネットを始める。この頃米軍・極東放送網(FEM)から流れるジャズに触発され17歳でプロとなる。 翌年、米国のアルトサックス奏者チャーリー・パーカーに影響され、アルト・サクソフォーンに転向。
清水 聖義(しみず まさよし、1941年〈昭和16年〉12月… 清水 聖義(しみず まさよし、1941年〈昭和16年〉12月7日 - )は、日本の政治家。 群馬県太田市長(5期)、旧太田市長(3期)、群馬県議会議員(3期)、太田市議会議員(1期)などを務めた。 群馬県新田郡太田町(現・太田市)に、父孝一・母せんの長男として生まれる。1960年群馬県立太田高等学校を卒業し、1964年慶應義塾大学商学部卒業。同年シオノギ製薬に入社。学習塾の経営も行った。 1979年に太田市議会議員に初当選し1期務める。1983年群馬県議会議員選挙に太田市選挙区から無所属で立候補し当選。以降連続3期務める。同年自由民主党に入党、同党群馬県連副幹事長などを務める。 1993年に日本新党に党籍変更。
久保田 博南(くぼた ひろなみ、1940年〈昭和10年〉10… 久保田 博南(くぼた ひろなみ、1940年〈昭和10年〉10月10日 - )は、群馬県太田市出身の医療機器開発コンサルタント、サイエンスライターである。生体情報モニタの創始を手始めとして、心電図モニタ、パルスオキシメーターなどのワイヤレス化、小型・省エネ化、ポータブル化などによる関連機器群の普及活動に尽力している。 1963年、群馬大学工学部電気工学科を卒業後、日本光電工業株式会社に入社し医療機器の研究開発に従事した。1965年に生体情報モニタ、1975年にワイヤレス式の生体情報モニタを商品化し、ともに世界初の開発だったことから「ミスタモニタ」や「生体モニタの父」と呼ばれる。このとき開発された初号機「MBM-40」は現在麻酔博物館に展示されている。
斉藤 直身(さいとう なおみ、1936年?月??日 - 20… 斉藤 直身(さいとう なおみ、1936年?月??日 - 2023年3月3日)は、日本の政治家。群馬県大泉町長(1期)。 群馬県立太田高等学校を卒業後,東京歯科大学卒業。群馬県歯科医師会副会長を務めた。 2009年(平成21年)4月12日に行われた大泉町長選挙に立候補し、現職の長谷川洋を破り初当選を果たした。同年5月5日、町長就任。
田島 壮幸(田島壯幸、たじま もりゆき、1933年8月3日 … 田島 壮幸(田島壯幸、たじま もりゆき、1933年8月3日 - )は、日本の経営学者。1989年から1995年まで日本経営学会理事長、後に同名誉会員。一橋大学名誉教授。 群馬県佐波郡境町(現伊勢崎市)生まれ。1952年群馬県立太田高等学校卒業、1956年一橋大学商学部卒業、1961年同大大学院商学研究科博士課程単位修得。1974年商学博士(一橋大学)。藻利重隆ゼミ出身。 1961年一橋大学商学部専任講師、1965年同助教授、1973年同教授、1989年日本経営学会理事長、1991年から1993年まで同大商学部長。1997年一橋大を定年退官し同大名誉教授。1997年から石巻専修大学教授。この間青山学院大学、東京経済大学、東京女子大学、中央大学経済学部でも教鞭をとる。
戸澤 久夫(とざわ ひさお、1933年〈昭和8年〉1月1日 … 戸澤 久夫(とざわ ひさお、1933年〈昭和8年〉1月1日 - 2014年〈平成26年〉6月14日)は、日本の政治家。群馬県太田市長(5期)、群馬県議会議員(1期)。 群馬県新田郡宝泉村(現・太田市下田島町)出身。群馬県立太田高等学校卒。卒業後は青年団活動に参加し、群馬県青年団連合会副会長などを務めた。1958年(昭和33年)日本社会党衆議院議員東海林稔の秘書となる。1964年(昭和39年)中央大学専攻科法学研修課程修了。1968年(昭和43年)群馬県労農会議事務局長。 1971年(昭和46年)小川省吾の後継者として群馬県議選に社会党から立候補し当選(1期)。1975年(昭和50年)太田市長に当選し、5期務める。
橋本 萬太郎(はしもと まんたろう、1932年〈昭和7年〉1… 橋本 萬太郎(はしもと まんたろう、1932年〈昭和7年〉11月26日 - 1987年〈昭和62年〉6月7日)は、日本の言語学者。中国語の研究から、言語類型論と言語地理学を結び付けた言語類型地理論を提唱した。 群馬県新田郡沢野村(現太田市)生まれ。群馬県立太田高等学校、1955年に東京大学文学部中国文学科を卒業。1960年に同大学院博士課程中退。1965年、オハイオ州立大学で言語学の博士号を取得。 1966年2月から8月までハワイ大学助教授、4月大阪市立大学講師、1967年より助教授。1968年9月よりプリンストン大学准教授。1970年7月より東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所の助教授となり、1973年6月より教授。
佐藤 宗司(さとう そうじ、1932年11月20日 - 20… 佐藤 宗司(さとう そうじ、1932年11月20日 - 2008年10月15日)は日本の経営者。群馬県出身。慶応義塾大学法学部卒。慶応連合三田会 須藤研究会OB会会長。生前は、近藤電機工業、近藤電機株式会社、近藤シルバニア、GTE近藤シルバニア株式会社の各取締役社長を経て、日本フィリップス相談役およびフィリップス・ライティング株式会社取締役社長を経て会長。 群馬県立太田高等学校卒業。日本医科大学医学部医学科中退。1956年インドネシア共和国バンドン市で開催されたアジア・アフリカ学生会議に慶應義塾大学在学中、日本ユネスコ学生連盟代表で出席。1958年慶應義塾大学法学部卒業。コロンビア大学留学。カワイ楽器製作所入社後、住友スリーエムを経て、近藤電気株式会社代表取締役社長。
鈴木 悌次(すずき ていじ、1932年3月28日 - 200… 鈴木 悌次(すずき ていじ、1932年3月28日 - 2006年3月27日)は、日本の経営者。アキレス社長を務めた。群馬県出身。 1950年に群馬県立太田高校を卒業し、同年に興国化学工業(のちのアキレス)に入社。 1978年1月に取締役に就任し、1980年1月に常務、1985年12月に専務を経て、1992年6月に副社長に就任し、1994年9月には社長に昇格。1997年1月に取締役相談役を経て、1998年6月から顧問を務めた。 2006年3月27日心不全のために死去。73歳没。
岸部 清(きしべ きよし、1931年1月3日 - 2019年… 岸部 清(きしべ きよし、1931年1月3日 - 2019年2月11日)は、日本の歌手、実業家、元「東京ウエスタンボーイス」のメンバーで「ザ・サンズ・オブ・ドリフターズ」(現在の「ザ・ドリフターズ」)の初代リーダー。第一プロダクション創業者である。群馬県出身。
石原 信雄(いしはら のぶお、1926年〈大正15年〉11月… 石原 信雄(いしはら のぶお、1926年〈大正15年〉11月24日 - 2023年〈令和5年〉1月29日)は、日本の官僚。内閣官房副長官(在任 1987年 - 1995年)。位階は正三位。財務官僚で元内閣府審議官の石原一彦は長男。 自治省官僚時代に自治医科大学(1972年創立)の開学に関わった。東京都知事選挙落選後は、大宮操車場跡地ほか(現・さいたま新都心)への10省庁18機関の移転にも関わった。また、埼玉県さいたま市の合併・政令指定都市移行にも関わり、平成の大合併では講演会や顧問などの形で様々な市町村合併にも関わった。 1993年に出された、慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話(河野談話)に官房副長官として関与。
川本 崇雄(かわもと たかお、1925年〈大正14年〉3月2… 川本 崇雄(かわもと たかお、1925年〈大正14年〉3月23日- 2020年〈令和2年〉2月8日)は、日本の言語学者、上越教育大学・創価大学名誉教授。 群馬県碓氷郡安中町(現・安中市)生まれ。東京高等師範学校を経て、東京文理科大学英文学科卒。群馬県立太田高等学校教諭、近畿大学講師、奈良教育大学助教授、上越教育大学教授、89年定年退官、名誉教授、創価大学教授、2000年退任、名誉教授。日本語について、アルタイ系の基層語の上に南島系言語が重なったと推定している。 2020年2月8日、肺炎のため八王子市内の病院にて死去。94歳没。叙従四位、瑞宝小綬章追贈。
小川 省吾(おがわ しょうご 1922年〈大正11年〉3月2… 小川 省吾(おがわ しょうご 1922年〈大正11年〉3月29日 - 1993年〈平成5年〉12月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(5期、日本社会党)、群馬県議会議員(2期)。 群馬県新田郡生品村(現・太田市)に生まれる。旧制太田中学校(現・群馬県立太田高等学校)を卒業後、外務省の留学生として北京へ留学する。1943年(昭和18年)に北京大学法学院を卒業。外務省北京日本大使館文化局に勤務し、中国で終戦を迎えた後は復員事務に従事する。 帰国後は進駐軍の通訳などとして勤務したのち、1948年(昭和23年)から群馬県庁職員として勤務する。1958年(昭和33年)県労農会議理事、1961年(昭和36年)県衛生民生部世話課援護係長。
板橋 明治(いたばし めいじ、1921年〈大正10年〉6月2… 板橋 明治(いたばし めいじ、1921年〈大正10年〉6月25日 - 2014年〈平成26年〉12月24日)は、日本の農民運動家、政治家。毛里田村議会議員、太田市議会議員。毛里田村鉱毒根絶期成同盟会長として、足尾鉱毒問題の解決に奔走した。百年公害と言われた足尾鉱毒問題を解決に導き、幾多の指標的な成果を全国に提供したとされる。 1921年(大正10年)、群馬県山田郡毛里田村大字只上(現・太田市只上町)に、農業を営む板橋家の長男として生まれた。毛里田村の北側に、銅山と製錬所を擁する足尾山地を源流域とする渡良瀬川が、西から東へと流れている。その川は乳白色ににごり、毛里田の子供は川の水は、その色がもともとの川の水の色だと思って遊んだ。
内山 喜久雄(うちやま きくお、1920年〈大正9年〉6月2… 内山 喜久雄(うちやま きくお、1920年〈大正9年〉6月25日 - 2012年〈平成24年〉12月20日)は、日本の臨床心理学者。筑波大学名誉教授、医学博士。正四位勲三等瑞宝章受章。 群馬県佐波郡境町(現・伊勢崎市)生まれ。旧制太田中学校(現・群馬県立太田高等学校)、東京高等師範学校文科第3部を経て、1944年(昭和19年)東京文理科大学心理学科卒業。海軍予備少尉となる。 1945年(昭和20年)10月、群馬師範学校助教授となる。1951年(昭和26年)群馬大学助教授。1959年(昭和34年)「小児緘黙症に関する研究」で群馬大学より医学博士の学位を取得。1964年(昭和39年)東京教育大学助教授、1970年(昭和45年)同教授。
吉野 照蔵(吉野 照藏、よしの てるぞう、1918年〈大正7… 吉野 照蔵(吉野 照藏、よしの てるぞう、1918年〈大正7年〉7月19日 - )は、日本の経営者。清水建設9代目社長。 群馬県佐波郡境町(現・伊勢崎市)出身。旧制群馬県立太田中学校、旧制水戸高等学校、東京帝国大学工学部建築学科卒業。 1942年(昭和17年)、株式会社清水組(現・清水建設)に入社。 戦時中はセレベス島(現・スラウェシ島)のケンダリで第753海軍航空隊として勤務し、後に海上保安庁長官となる栃内一彦は上官であった。 1970年(昭和45年)、清水建設取締役に就任。 1981年(昭和56年)6月に清水建設社長に就任。 在任中は前社長野地紀一の積極経営路線を継承し、TQCを基盤とするEC(エンジニアリング・コンストラクター)化と国際化を推進し、請負体質からの脱却を図った。
大島 正光(おおしま まさみつ、1915年〈大正4年〉1月7… 大島 正光(おおしま まさみつ、1915年〈大正4年〉1月7日 - 2010年〈平成10年〉5月1日)は、日本の医学者、海軍軍医、航空自衛官。東京大学名誉教授。初代航空医学実験隊隊長。医用電子工学、人間工学、宇宙医学、航空医学などを研究。群馬県出身。 ノーベル化学賞受賞者の野依良治と土佐藩山内家第19代当主の山内豊功は娘婿。 群馬県前橋市出身。旧制太田中学校を四年修了し、旧制第一高等学校に入学。 1938年(昭和13年)に東京帝国大学医学部を卒業後、海軍軍医となる。 戦後は労働科学研究所(現・大原記念労働科学研究所)を経て、1958年(昭和33年)11月、航空医学実験隊長。1951年(昭和26年)に「精神疲労に関する研究」によって医学博士号を取得。
野口 省己(のぐち せいき、1911年(明治44年)5月31… 野口 省己(のぐち せいき、1911年(明治44年)5月31日 - 1999年(平成11年)1月)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。陸軍士官学校第46期生、陸軍大学第56期生。陸軍での最終階級は少佐で、戦後は陸上自衛隊に入隊。長男は外交官の野口雅昭。孫に登山家の野口健、曽孫に野口絵子がいる。 ※他、雑誌『丸』(光人社)などに多数の論文執筆。
斎藤 良輔(さいとう りょうすけ、1911年〈明治44年〉5… 斎藤 良輔(さいとう りょうすけ、1911年〈明治44年〉5月20日 - 1996年〈平成8年〉11月27日)は、日本の玩具研究家、新聞記者。 群馬県伊勢崎市生まれ。旧制太田中学校を経て、1935年(昭和10年)に早稲田大学文学部英文科を卒業。 1936年(昭和11年)朝日新聞社に入社。社会部に勤務する。編集出版局、応召でジャワに渡る[要出典]。1954年(昭和29年)からは『週刊朝日』副編集長を務めた。1966年(昭和41年)定年退職し、朝日新聞社客員となる。 1970年(昭和45年)より女子聖学院短期大学の講師を勤める。 1996年(平成8年)心不全により死去。 弟は芸能音楽評論家の斎藤茂(1922年 - )。
秋草 篤二(あきくさ とくじ、1909年〈明治42年〉7月7… 秋草 篤二(あきくさ とくじ、1909年〈明治42年〉7月7日 - 2001年〈平成13年〉11月22日)は、日本の逓信官僚、実業家。日本電信電話公社総裁。 群馬県山田郡矢場川村(現・栃木県足利市)に生まれる。旧制太田中学校(現・群馬県立太田高等学校)を経て、1934年(昭和9年)に東京商科大学(現・一橋大学)を卒業。卒業後、日本無線電信に入る。 戦後逓信省に入り、1947年(昭和22年)総務局監理課長。1949年(昭和24年)AT&T留学、電気通信省経理局会計課長となる。1952年(昭和27年)日本電信電話公社が発足すると同社に移り、資材部長、経理局長、理事、総務理事を経て1965年(昭和40年)副総裁。
小山 五郎(こやま ごろう、1909年〈明治42年〉3月25… 小山 五郎(こやま ごろう、1909年〈明治42年〉3月25日 - 2006年〈平成18年〉3月2日)は、日本の銀行家。三井銀行(現:三井住友銀行)の社長、会長を歴任した。位階は従三位。 群馬県新田郡鳥之郷村(現・太田市)に、大島戸一の五男として生まれる。旧制太田中学校(現・群馬県立太田高等学校)、旧制静岡高等学校を経て、1932年(昭和7年)に東京帝国大学経済学部卒業。三井銀行に入行。 三井銀行では数寄屋橋丸の内支店長などを経て1955年(昭和30年)総務部長、さらに1959年(昭和34年)取締役となり東京支店長に就任。1961年(昭和36年)大阪支店長を兼任して大阪事務所長委嘱、1963年(昭和38年)常務取締役となる。
小林 勇(こばやし いさむ、1908年〈明治41年〉7月16… 小林 勇(こばやし いさむ、1908年〈明治41年〉7月16日 - 没年不明)は、日本の経営者。興国化学工業(現・アキレス)社長を務めた。 群馬県出身。小林鉄蔵・ふさの五男。興国化学工業株式会社を設立した殿岡利男とは太田中学校の同級生であった。1931年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。 帝国生命での勤務を経て、1947年5月に双葉商会を設立し、社長に就任し、同年6月に興国化学工業常務、1962年6月に副社長を経て、1967年には社長に就任。1977年1月には会長に就任。 1970年10月に藍綬褒章を受章。
恩田 正一(おんだ しょういち、1907年〈明治40年〉7月… 恩田 正一(おんだ しょういち、1907年〈明治40年〉7月25日 - 1989年〈平成元年〉8月20日)は日本の政治家、社会運動家。群馬県議会議員、渡良瀬川鉱毒根絶期成同盟会長。 1907年(明治40年)、群馬県山田郡毛里田村(現・太田市)に生まれる。父は政七、母は寿世(スセ)。母方の祖父は群馬県会議員・武藤幸逸。1926年(大正15年)群馬県立太田中学校(現・群馬県立太田高等学校)を卒業し、慶應義塾大学英文学部予科へ進学するが中退。法政大学法学部を卒業する。 大学卒業後は家業の農業に従事。酪農も始めて東毛酪農協同組合を創立、初代会長に推された。群馬県毛里田村農業協同組合長、群馬県養蚕農協連合会会長を歴任。
殿岡 利男(とのおか としお、1901年1月1日 -1982… 殿岡 利男(とのおか としお、1901年1月1日 -1982年3月29日 )は、栃木県足利市出身のアキレス創設者。
飯島 祐之(いいじま すけゆき、1900年〈明治33年〉10… 飯島 祐之(いいじま すけゆき、1900年〈明治33年〉10月25日 - 1970年〈昭和45年〉8月29日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、群馬県邑楽郡多々良村長。 群馬県邑楽郡多々良村大字木戸(現・館林市)で、飯島忠四郎の二男として生まれる。1920年(大正9年)旧制太田中学校(現・群馬県立太田高等学校)を卒業。 その後は農業に従事して1933年(昭和8年)多々良村助役、1939年(昭和14年)同村長に就任した。群馬県町村会副会長、邑楽郡農会議員、多々良村産業組合長、同農業会長、群馬県購買販売利用組合連合会理事、同製粉精米加工組合理事長、同食糧営団理事、邑楽郡煙草耕作連合組合長となる。
境野 清雄(さかいの きよお、1900年〈明治33年〉1月9… 境野 清雄(さかいの きよお、1900年〈明治33年〉1月9日 - 1968年〈昭和43年〉7月2日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)。 群馬県山田郡桐生町(現・桐生市)で、境野源八郎の二男として生まれる。群馬県立太田中学校(現群馬県立太田高等学校)を経て、早稲田大学商学部を卒業した。 家業の輸出織物商を営む。桐生絹人絹織物配給常務取締役、群馬織物代表取締役、桐生布帛製品代表取締役、群馬県輸出織物社長、三山物産社長、桐生商工会議所会頭、群馬県地方労働委員会委員などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙で群馬県地方区から民主党公認で出馬して落選。竹腰徳蔵の公職追放に伴い同年8月に実施された第1回通常選挙・群馬県地方区補欠選挙に出馬して当選し、その後、民主クラブに所属し参議院議員に1期在任した。
笹沢 美明(ささざわ よしあき、1898年〈明治31年〉2月… 笹沢 美明(ささざわ よしあき、1898年〈明治31年〉2月6日 - 1984年〈昭和59年〉3月29日)は、日本の詩人。 横浜市の富裕な商人の家庭に生まれ育つ。東京外国語学校(現東京外国語大学)ドイツ語科を卒業後、1週間で勤めを辞し、遊民となる。ハイネによって詩に目覚め、リルケを始めとするドイツ語圏の詩と詩論を日本に紹介。新即物主義の先駆者。親の遺産を使い果たした後は貧困の中で暮らしていたが、戦後、昭和女子大学教授や工学院大学教授を歴任した。 詩集に『蜜蜂の道』『海市帖』『美しき山賊』『おるがん調』『冬の炎』『仮設のクリスタル』など。 三男は小説家の笹沢左保。自伝小説『詩人の家』に父の姿が描かれている。