スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
ヒロ・オクムラ(1989年7月13日 - )は、日本の男性お… ヒロ・オクムラ(1989年7月13日 - )は、日本の男性お笑い芸人。所属事務所はSMA NEET Project。ワタナベコメディスクール16期生。R-1グランプリ2025ファイナリスト。2020年からは三福エンターテイメントとのユニット「今夜も星が綺麗」としても活動。 桜井西小学校出身。桜井西中学校出身。奈良県立畝傍高等学校出身。 大学の後輩である森佳樹(現・おちもり)を誘って2012年4月にワタナベコメディスクールへ16期として入学し、「シカチャンネル」を結成するが12月に解散。その後、養成所の同期である亀井公作(現在は引退)と「シエスターズ」を結成し、ニュースタッフプロダクションに所属。
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梅本 由紀(うめもと ゆき、1986年12月6日 - )は、… 梅本 由紀(うめもと ゆき、1986年12月6日 - )は、日本の元女子プロ野球選手。奈良県吉野郡下市町出身。
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帯谷 博明(おびたに ひろあき、1973年 - )は、日本の… 帯谷 博明(おびたに ひろあき、1973年 - )は、日本の社会学者。甲南大学文学部教授。博士(文学)。専門社会調査士。 専門は、環境社会学、地域社会論、市民セクター・NPO研究。 1973年奈良県生まれ。奈良県立畝傍高等学校卒業、大阪大学法学部卒業。東北大学大学院文学研究科博士後期課程(社会学専修分野)修了。博士(文学)。 立正大学文学部専任講師、奈良女子大学文学部講師、同准教授などを経て、2017年より現職。
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脇田 珠樹(わきた たまき、1972年5月12日 - )は、… 脇田 珠樹(わきた たまき、1972年5月12日 - )は、日本の実業家。セブン&アイ・ホールディングス取締役 最高戦略責任者(CSO)。米セブン-イレブン取締役。ニッセンホールディングス代表取締役社長、シャディ取締役会長、イトーヨーカ堂取締役等を歴任。大阪府立大学(現大阪公立大学)経済学部卒業。Thunderbird School of Global Management(米国アリゾナ州)にてMBA(Master of Business Administration)修了。 大学在学時にアーチェリーを始め、体育会アーチェリー部の主将としてチームを率いると共に、個人として全日本大学アーチェリー選手権決勝戦、全日本フィールドアーチェリー選手権決勝戦、世界選手権大会の日本代表選考会等に出場。
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五代 ゆう(ごだい ゆう、1970年8月7日 - )は、日本… 五代 ゆう(ごだい ゆう、1970年8月7日 - )は、日本の小説家。奈良県出身。父親は東大寺学園中学校・高等学校の元国語教諭。 大学在学中、富士見書房主催の第4回ファンタジア長編小説大賞に応募し、『はじまりの骨の物語』で入選、初の大賞受賞者となった。同作品の出版に先駆け、『虚神の都』(『月刊ドラゴンマガジン』1993年4月号掲載)で作家デビューを果たした。 長編ヒロイック・ファンタジー小説『グイン・サーガ』を執筆していた栗本薫が2009年に亡くなった。栗本は生前から自分が死んだ後も誰かが物語を書き継いでくれることを望んでいた。五代は、宵野ゆめと2人で『グイン・サーガ』の正伝を2013年11月に発売された第131巻『パロの暗黒』より書き継ぐこととなり、141巻以降は単独で続刊中。
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堀内 大造(ほりうち たいぞう、1967年〈昭和42年〉9月… 堀内 大造(ほりうち たいぞう、1967年〈昭和42年〉9月22日 - )は、日本の政治家。奈良県大和高田市長(2期)。 大和高田市立片塩小学校、大和高田市立片塩中学校卒業。1986年(昭和61年)3月、奈良県立畝傍高等学校卒業。同年4月、航空自衛隊に入隊。1989年(平成元年)、航空機操縦者課程を修了し、戦闘機のパイロットを務める。1992年(平成4年)に除隊。 1999年(平成11年)から自動車整備業の経営に当たる。2014年度には市PTA協議会長を務めた。 2019年(平成31年)1月に大和高田市長の吉田誠克から市長後継の勧誘を受け、2月18日、任期満了に伴う大和高田市長選挙に立候補する意向を表明した。
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藤田 浩之(ふじた ひろゆき、Hiroyuki Fujita… 藤田 浩之(ふじた ひろゆき、Hiroyuki Fujita、1966年7月27日 -)は、日本出身、アメリカ合衆国在住の実業家。医療機器開発製造会社クオリティー・エレクトロダイナミクス(Quality Electrodynamics (QED))の創業者、社長兼最高経営責任者。在オハイオ州クリーブランド日本国名誉領事。キヤノンメディカルシステムズ株式会社CTMR事業統括部CTO(最高技術責任者)。 1966年7月27日、奈良県生まれ。1998年、米国ケース・ウェスタン・リザーブ大学(CWRU)物理学科博士課程修了、物理学博士。ゼネラル・エレクトリック(GE)を退社後の2006年、医療機器開発製造会社クオリティー・エレクトロダイナミクス(Quality Electrodynamics (QED))を創業。
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松田 美和(まつだ みわ、1965年1月19日 - )は、日… 松田 美和(まつだ みわ、1965年1月19日 - )は、日本の元弁護士。法務に就く前には放送業界で活動していた。 奈良県生まれ。奈良県立畝傍高等学校、大阪市立大学文学部人間関係学科卒業。大学在学時にはNHK大阪放送局のリポーターを務めていた。 大学を卒業後、1988年に朝日放送に入社。同局在籍時にはテレビ営業局に配属されていた。 1992年に朝日放送を退社し、フリーアナウンサーに転身した。 1994年にNHK松山放送局の契約スタッフになり、『おはよう四国』などを担当。そして1997年に東京都へ移住し、NHKの『週刊ハイビジョンニュース』を担当した。その翌年には『NHKラジオ夕刊』の担当になり、またこの頃に法律の勉強を開始する。
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奥村 太加典(おくむら たかのり、1962年3月15日 - … 奥村 太加典(おくむら たかのり、1962年3月15日 - )は、日本の実業家。奥村組代表取締役社長、全国建設業協会元会長。 奈良県出身。奈良県立畝傍高等学校を経て、1986年中央大学理工学部土木工学科卒業、奥村組入社。1994年取締役関西支社次長に昇格。1995年取締役東京支社営業部長。2001年常務取締役営業担当。同年から代表取締役社長を務め、免震事業の強化を進めるなどした。2008年大阪建設業協会会長に就任。2015年再び大阪建設業協会会長に就任。2020年全国建設業協会会長。国土交通省中央建設業審議会委員等も務めた。
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西井 孝明(にしい たかあき、1959年12月27日 - )… 西井 孝明(にしい たかあき、1959年12月27日 - )は日本の実業家。第13代味の素株式会社代表取締役社長。 奈良県生まれ。奈良県立畝傍高等学校を経て、1982年同志社大学文学部社会学科(現・社会学部)卒業、味の素入社。2002年から人事を担当し、味の素冷凍食品取締役家庭用事業部長を経て、2009年から味の素人事部長。2011年執行役員に昇格。2013年から取締役常務執行役員ラテンアメリカ本部長兼ブラジル味の素社長として、現場主義でブラジルの商店を回った。2015年から新興国担当者としては初めてとなる代表取締役社長を務め、機能性商品へのシフトを進めた。2022年味の素特別顧問。2023年花王取締役、第一三共取締役。
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阿古 和彦(あこ かずひこ、1958年〈昭和33年〉11月1… 阿古 和彦(あこ かずひこ、1958年〈昭和33年〉11月1日 - )は、日本の政治家。奈良県葛城市長(3期)。元葛城市議会議員、元當麻町議会議員。 奈良県當麻村(現・葛城市竹内)出身。1977年(昭和52年)3月、奈良県立畝傍高等学校卒業。1981年(昭和56年)3月、信州大学工学部卒業。1992年(平成4年)、阿古薬品株式会社の設立とともに同社の代表取締役に就任。 2001年(平成13年)、當麻町議会議員に就任。 2004年(平成16年)10月1日、 當麻町は新庄町と合併して廃止。葛城市が誕生する。以後、葛城市議会議員として職務を果たす。 2016年(平成28年)10月23日に行われた葛城市長選挙に出馬。
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梅本 隆(うめもと たかし、1956年9月22日[要出典] … 梅本 隆(うめもと たかし、1956年9月22日[要出典] - )は、奈良県御所市生まれの日本の写真家である。 1975年3月に奈良県立畝傍高等学校を[要出典]、1979年3月に大阪芸術大学写真学科を卒業した。1979年3月に株式会社ナニワ商会へ入社、1992年1月に退社した。同年より写真店「カメラのバンビ」を営業しながら、フリーランスの写真家として、奥吉野地方の撮影を続け、東京、大阪、京都、奈良等、各地で写真展を開催し、作品を発表する。2024年より、生まれ故郷・御所市の撮影に取り組む[要出典]。
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大西 孝典(おおにし たかのり、1956年3月30日 - 2… 大西 孝典(おおにし たかのり、1956年3月30日 - 2020年5月31日)は、日本の政治家。元衆議院議員(1期)。 奈良県吉野郡川上村生まれ。奈良県立畝傍高等学校、上智大学法学部卒業。大学卒業後は故郷に戻り、家業である木材業・林業を営む。1986年から衆議院議員(当時)・前田武志の秘書を務めた。1998年より民主党本部に勤務。 2009年、第45回衆議院議員総選挙に民主党公認で奈良4区から立候補したが、自由民主党の田野瀬良太郎に1,835票差で惜敗。重複立候補していた比例近畿ブロックで復活し、初当選した。なお奈良4区は、2000年までかつて秘書を務めた前田武志の地盤であった(前田は2000年の第42回衆議院議員総選挙で落選して以来、同選挙区からは立候補せず、参議院の比例区に鞍替えし当選)。
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吉川 元偉(よしかわ もとひで、1951年(昭和26年)3月… 吉川 元偉(よしかわ もとひで、1951年(昭和26年)3月13日 - )は、日本の外交官。2013年6月から2016年6月まで国連大使。2017年4月から国際基督教大学特別招聘教授。神田外語大学グローバル・コミュニケーション研究所客員教授。 奈良県御所市出身。1966年奈良県立畝傍高等学校に入学しESSに入部。部長の末吉高明(のちに思想史家・四国学院大学学長)と「松本亨NHKラジオ講座」を勉強する。1968年AFSでイリノイ州リロイのリロイ高校に留学。 1974年国際基督教大学教養学部社会学科を卒業する(18期)。大学では柔道部に所属。講道館の黒帯(初段)を取得。 1974年外務省に入る。スペイン語研修としてバリャドリッド大学及びマドリードのスペイン外交官学校に留学。
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麿 赤兒(まろ あかじ、本名:大森 宏、1943年2月23日… 麿 赤兒(まろ あかじ、本名:大森 宏、1943年2月23日 - )は、日本の俳優、舞踏家、演出家。暗黒舞踏集団・大駱駝艦主宰。所属事務所は同傘下の芸能事務所・キャメルアーツ。 父は海軍大佐の大森潤一(海兵54期卒)。長男は映画監督の大森立嗣、次男は俳優の大森南朋。 石川県金沢市生まれ。父親の潤一は大日本帝国海軍の軍人(中佐)で、第一航空艦隊参謀としてテニアン島に赴任。1944年(昭和19年)7月から始まるテニアンの戦いに参加して、翌8月2日、角田覚治司令長官らと塹壕に設えた司令部にて手榴弾で自決した(死後特進して大佐)。また母親の裕子が夫の戦死をきっかけに精神を病んだため、小学5年生の時に奈良県桜井市三輪山麓に住むおじ夫婦に預けられる。
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麿 赤兒(まろ あかじ、1943年2月23日 - )は、日本… 麿 赤兒(まろ あかじ、1943年2月23日 - )は、日本の俳優、舞踏家、演出家。本名は大森 宏。暗黒舞踏集団・大駱駝艦主宰。所属事務所は同傘下の芸能事務所・キャメルアーツ。長男は映画監督の大森立嗣、次男は俳優の大森南朋。
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菅谷 文則(すがや ふみのり、1942年9月7日 - 201… 菅谷 文則(すがや ふみのり、1942年9月7日 - 2019年6月18日)は、日本の考古学者。滋賀県立大学名誉教授、前奈良県立橿原考古学研究所所長。 1942年、奈良県宇陀郡榛原町(現・宇陀市)で生まれた。奈良県立畝傍高等学校を経て、関西大学文学部考古学科で学んだ。同大学院文学研究科に進学し、1967年に修士課程を修了。 同大学副手を経て、奈良県立橿原考古学研究所で古墳や寺院跡などの発掘に従事。北京大学に留学し、帰国後はシルクロード学研究センター研究主幹などを務めた。1995年、滋賀県立大学教授に就任。2008年に滋賀県立大学を定年退任し、名誉教授となった。2009年から橿原考古学研究所の第5代所長を務めた。
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脇田 宗孝(わきた むねたか、1942年 - )は、日本の陶… 脇田 宗孝(わきた むねたか、1942年 - )は、日本の陶芸家。奈良教育大学名誉教授。放送大学客員教授。 奈良県立畝傍高等学校を経て、奈良学芸大学(現在の奈良教育大学)を1965年に卒業し、父祖の地・明日香村で飛鳥赫窯を開窯し、創作活動に入る。教育者、古代陶器研究家、陶芸作家の顔を併せ持つ。飛鳥・奈良時代の土器・須恵器・三彩など古代の陶芸技法の研究・復元における第一人者である。ライフワークとして「陶芸における古代の造形美を探求し、その美と情感を多元的に具現すること」と、「陶芸の各種技法を習得し、土から生まれる創造的表現の喜びを体感させることにより、文化財の意味と価値を会得すること」を掲げている。
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山下 力(やました つとむ、1941年9月3日 - )は、奈… 山下 力(やました つとむ、1941年9月3日 - )は、奈良県出身の部落解放運動家。奈良県議会議員(6期)、奈良県部落解放同盟支部連合会理事長、国民民主党奈良県総支部連合顧問。 大阪市にて、下駄屋の店主の息子として生まれる。1945年3月13日、父母の故郷である奈良県磯城郡三宅村(現・三宅町)但馬の被差別部落に疎開し、以後そこで育つ。父が奈良に帰郷してから靴屋を営んで成功したため、一家は被差別部落の中では裕福だった。 私立青々中学校入学時から、父の言いつけで被差別部落出身を隠すようになる。奈良県立畝傍高等学校在学中、皇太子明仁親王夫妻が神武天皇陵へ参拝した時は、「自分は生まれながらに差別を受けているのに対して、彼らは生まれながらに敬愛されているというのは何やねん」という気持ちからポケットに石を詰め、皇太子夫妻に投石することを考えながら参拝を見に行ったことがある。
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辻本 憲三(つじもと けんぞう、1940年12月15日 - … 辻本 憲三(つじもと けんぞう、1940年12月15日 - )は、日本の実業家である。株式会社カプコンのCEO。コンピュータソフトウェア著作権協会(ACCS)理事長(1997年 - )、コンピュータエンターテインメント協会前会長(2002年 - 2006年)。 奈良県橿原市で鍛冶屋の家の三男として生まれる。1956年、父親の早逝から中学卒業後に近所の会社に就職し、同時に奈良県立畝傍高等学校の定時制に入学。1960年3月に同校を卒業し、伯父の食品卸会社に就職する。1963年3月、伯父が経営していた菓子卸業を譲渡してもらい独立、社名を辻本商店とするも経営に失敗して数百万円の負債を抱えることになった。
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西川 善文(にしかわ よしふみ、1938年〈昭和13年〉8月… 西川 善文(にしかわ よしふみ、1938年〈昭和13年〉8月3日 - 2020年〈令和2年〉9月11日)は、日本の実業家。「ザ・ラストバンカー」の異名をとった。 住友銀行頭取(1997年 - 2001年)、三井住友銀行頭取(初代、2001年 - 2005年)、三井住友フィナンシャルグループ代表取締役社長(初代、2002年 - 2005年)を歴任し、全国銀行協会会長を二度にわたって務めた(2000年、2004年)。三井住友銀行のトップを退いた後、郵政民営化を推進する小泉純一郎首相の要請を受けて日本郵政社長(初代、2006年 - 2009年)、日本郵政公社総裁(2007年4月 - 同年9月)を務めた。
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堀井 良殷(ほりいよしたね、1936年2月 - )は公益財団… 堀井 良殷(ほりいよしたね、1936年2月 - )は公益財団法人関西・大阪21世紀協会前理事長(現顧問)、一般社団法人心学明誠舎理事長、大阪財団社団連合会会長、日本放送協会(NHK)元理事・元大阪放送局長、歴史研究家。日本記者クラブ会員、畿央大学相談役理事、国立民族学博物館元外部評価委員、関西SDGsプラットフォーム顧問、「民都・大阪」フィランソロピー会議顧問。公益財団法人大槻能楽堂評議員、一般社団法人うるわしの桜井をつくる会会長、ツバル友好協会名誉会長、NPO法人奈良21世紀フォーラム元会長(現特別顧問)、奈良県立畝傍高校同窓会金鵄会前会長(現顧問)。同人誌『千里眼』(千里文化財団編集・運営)世話人。
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畑中 正一(はたなか まさかず、1933年3月23日 - )… 畑中 正一(はたなか まさかず、1933年3月23日 - )は、日本の医学者、医師。専門はウイルス学(ヒトがんウイルス分野)。京都大学名誉教授。
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大峯 顕(おおみね あきら、1929年7月1日 - 2018… 大峯 顕(おおみね あきら、1929年7月1日 - 2018年1月30日)は、日本の哲学者、浄土真宗僧侶、俳人。学位は、文学博士(京都大学・論文博士・1976年)。大阪大学名誉教授、元龍谷大学教授。専立寺前住職。学者としての専攻は宗教哲学。中期フィヒテ研究・西田幾多郎研究で知られる。俳号は大峯 あきら。 奈良県吉野郡大淀町出身。旧制奈良県立畝傍中学校を経て、1953年、京都大学文学部宗教学科卒業、1959年、京都大学大学院文学研究科博士課程修了。 1959年、京都大学文学部助手。1966年、大阪外国語大学助教授。1971年より1972年まで、文部省在外研究員としてハイデルベルク大学留学。1973年、大阪外国語大学教授。
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網干 善教(あぼし よしのり、1927年9月29日 - 20… 網干 善教(あぼし よしのり、1927年9月29日 - 2006年7月29日)は、日本の考古学者、関西大学名誉教授。専門は考古学、古代史、仏教史。明日香村名誉村民。 1927年、奈良県高市郡飛鳥村(現・明日香村)で生まれた。3歳のとき、父の網干順三が唯称寺の住職・順誠となり、一家で移り住んだ。唯称寺は石舞台古墳のすぐ下にある浄土宗の寺で、1933年から始まった第一次石舞台発掘調査に身近に接して考古学に関心を持つようになった。 旧制畝傍中学校(現・奈良県立畝傍高等学校)時代より、京都帝国大学考古学研究員であった末永雅雄(橿原考古学研究所初代所長、関西大学名誉教授、文化功労者、文化勲章受章者)が陣頭指揮を執る石舞台古墳の発掘調査に参加。
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阪本 道隆(さかもと みちたか 1927年7月31日 - 2… 阪本 道隆(さかもと みちたか 1927年7月31日 - 2017年4月19日)は、日本の銀行家。元南都銀行頭取。元奈良商工会議所会頭。奈良県橿原市出身。 1953年名古屋大学経済学部卒業後、南都銀行入行。支店長、人事部長等の要職を経験した後、常務取締役、専務取締役を経て、頭取及び会長を歴任。銀行業務を通じ地域の発展に寄与した。また、数多くの公職を務め、2003年には旭日中綬章を受章。
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吉田 之久(よしだ ゆきひさ、1926年12月4日 - 20… 吉田 之久(よしだ ゆきひさ、1926年12月4日 - 2003年3月24日)は、日本の元軍人、政治家。海兵74期。最終階級は少尉。戦後、衆議院議員(通算7期)、参議院議員(連続2期)。奈良県磯城郡田原本町出身。位階は従三位。
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森 一郎(もり いちろう、1923年4月19日 - 1991… 森 一郎(もり いちろう、1923年4月19日 - 1991年10月21日)は、日本の英語教師・俳人。 奈良県出身。奈良県立畝傍中学、東京文理科大学卒業。奈良女子高等師範学校附属高等女学校(現・奈良女子大学附属中等教育学校)英語科教諭、東京都立日比谷高等学校英語科教諭、関西学院大学教授、奈良産業大学教授、中央ゼミナール講師を歴任。 日比谷高校時代にまとめた入試頻出順の英単語集である『試験にでる英単語』(青春出版社)の初版の1967年以降、2006年現在までに累計1500万部を超える大ベストセラーとなり、大学受験参考書・英単語集の金字塔を打ち立てた。1975年に第一回目の改訂が行なわれ、当時社会問題化した環境問題等に関する単語を追加し、時事英語試験への対策を強化した。
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岡橋 四郎(おかはし しろう、1920年〈大正9年〉5月24… 岡橋 四郎(おかはし しろう、1920年〈大正9年〉5月24日 - 1999年11月)は、日本の政治家。元奈良県橿原市長(1期)。 奈良県出身。1939年〈昭和14年〉旧制畝傍中学校(現・奈良県立畝傍高等学校)卒。卒業後は住友金属に入社。1947年〈昭和22年〉に退社し、家業の米穀肥料店で働く。1979年〈昭和54年〉奈良県議会議員に当選。3期務め、1988年〈昭和63年〉に副議長に就任した。1991年〈平成3年〉橿原市長選挙に立候補するが、落選。1992年〈平成4年〉現職の辞職による市長選挙に立候補し、当選する。市長を1期務め、1995年〈平成7年〉に退任した。
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戸田 与三郎(とだ よさぶろう、1920年2月20日 - 1… 戸田 与三郎(とだ よさぶろう、1920年2月20日 - 1986年)は、奈良県出身のプロ野球選手(三塁手)、高校野球監督。 畝傍中学(現・奈良県立畝傍高等学校)卒業後、1939年3月10日に南海軍に入団。翌1940年に一軍出場を果たし、3月18日の巨人戦(西宮球場。トリプルヘッダーの3試合目だった)で初出場。しかし、自身の成績不振と戦局の悪化に伴い、一軍出場の期間は約1ヶ月と短く、4月20日の名古屋軍(鳴海球場)が最終出場となった。1940年シーズン終了後、軍に入営し、そのまま現役引退した。 戦後は、奈良県立高田高等学校の監督に就任。高田高校を1955年春の甲子園に導き、ベスト4に入る健闘をみせた(準決勝で稲川東一郎率いる桐生高〈この大会準優勝〉に3-6で惜敗)。
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森 義視(戸籍名:義己、もり よしみ、1917年〈大正6年〉… 森 義視(戸籍名:義己、もり よしみ、1917年〈大正6年〉6月6日 - 1977年〈昭和52年〉3月8日)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員、奈良県橿原市長。 奈良県高市郡鴨公村大字高殿(現橿原市高殿町)出身。1935年(昭和10年)奈良県立畝傍中学校(現奈良県立畝傍高等学校)を卒業した。 大阪大丸に入社。兵役に就き陸軍大尉に昇進。 1946年(昭和21年)労動運動に参画。奈良県労働組合総連合初代事務局長、同県全労協初代事務局長、同県山林組合書記長、同県地方労働委員、奈良総評初代専従副議長同事務局長、同県中小労連委員長などを歴任。その他、女子大附属小・中・高育友会長、奈良県陸上競技協会副会長を務めた。
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田村 圓澄(たむら えんちょう、1917年1月2日 - 20… 田村 圓澄(たむら えんちょう、1917年1月2日 - 2013年7月10日)は、日本史学者、仏教史学者、九州大学名誉教授。
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好川 三郎(よしかわ さぶろう、1916年〈大正5年〉10月… 好川 三郎(よしかわ さぶろう、1916年〈大正5年〉10月11日 - 1983年〈昭和58年〉4月4日)は、日本の陸軍軍人、政治家。奈良県橿原市の初代市長をつとめ、紀元節復活運動に尽力し、「紀元節市長」として全国的な知名度を有した。 1916年(大正5年)10月11日生まれ。 畝傍中学校(旧制、現・奈良県立畝傍高等学校)2年修了、陸軍幼年学校、陸軍士官学校(50期)を経て陸軍大学校(60期)を卒業。陸軍少尉任官、歩兵第37連隊付となり小隊長、中隊長として満州・中支に従軍。その後、陸軍参謀となり陸軍少佐として終戦を迎える。1947年(昭和22年)11月28日、元陸軍将校として公職追放指定。戦後は服飾学校「八木ドレスメーカー女学院」を経営した。
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北川三夫(ジョゼフ M. キタガワ、Joseph M. Ki… 北川三夫(ジョゼフ M. キタガワ、Joseph M. Kitagawa、1915年3月8日 - 1992年10月7日)は、日本出身のアメリカの宗教学者。シカゴ大学神学部名誉教授。宗教史研究の先駆者。 1915年大阪府生まれ。旧制奈良県立畝傍中学校卒業。1937年立教大学卒業。1941年渡米。1942年から1945年ニューメキシコ州とアイダホ州の日系人収容所で過ごす。1947年イリノイ州エバンストンにあるシーベリ・ウェスタン神学校(Seabury-Western Theological Seminary)卒業(B.D.)。1951年シカゴ大学神学研究科博士課程修了(Ph.D.)。ヨアヒム・ワッハに学び、博士論文のテーマは空海と真言宗。
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奥野 誠亮(おくの せいすけ/せいりょう、1913年〈大正2… 奥野 誠亮(おくの せいすけ/せいりょう、1913年〈大正2年〉7月12日 - 2016年〈平成28年〉11月16日)は、日本の内務官僚、政治家。 衆議院議員(13期)、第16代国土庁長官、第39代法務大臣、第95代文部大臣などを務めた。栄典は正三位勲一等。 奈良県南葛城郡御所町(現・御所市)出身。 父は浪速製氷冷蔵社長、御所郵便局長、奈良県議会議員、御所町長を務めた奥野貞治。 奈良県立畝傍中学校、第一高等学校を経て、1938年(昭和13年)3月、東京帝国大学法学部政治学科卒業。 同年4月、内務省入省。静岡県内務部配属。その後、山梨県内務部人事課長。 第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)に鹿児島県警察部特高課長として新興俳句弾圧事件の一つであるきりしま事件を指揮する。
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保田 與重郎(保田 与重郎、やすだ よじゅうろう、1910年… 保田 與重郎(保田 与重郎、やすだ よじゅうろう、1910年〈明治43年〉4月15日 - 1981年〈昭和56年〉10月4日)は、日本の文芸評論家。多数の著作を刊行した。湯原冬美の筆名も用いた。 奈良県十市郡桜井町(現桜井市)生まれ。旧制奈良県立畝傍中学校を経て、大阪市阿倍野区にあった旧制大阪高等学校から東京帝国大学文学部美学美術史学科卒業。大阪高校時代にはマルクス主義にも触れ、蔵原惟人や中条百合子の作品を評価していた。また、高校時代の同級に竹内好がおり、後に保田が中国を訪れた際には竹内が案内役となった。 東京帝大在学中から大阪高時代の同窓生と共に『コギト』を主宰。高校時代のマルクス主義からヘルダーリンやシュレーゲルを軸としたドイツロマン派に傾倒し、近代文明批判と日本古典主義を展開した。
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樋口 清之(ひぐち きよゆき、1909年1月1日 - 199… 樋口 清之(ひぐち きよゆき、1909年1月1日 - 1997年2月21日)は、日本の考古学者・歴史作家。國學院大學名誉教授、國學院大學考古学資料館名誉館長、國學院大學栃木短期大学名誉学長、全日本博物館学会名誉会長。文学博士。専門は考古学・民俗学。紫綬褒章、勲三等旭日中綬章受章。 奈良県桜井市生まれ。先祖は、織田長益(有楽斎)に発する旧家である。旧制奈良県立畝傍中学校在学中に、学術誌に十数篇の論考を投稿していた。1927年、鳥居龍蔵を慕って國學院大學に入学。1932年(昭和7年)國學院大學文学部国史学科卒業。在学中の1928年(昭和3年)4月には、自身の収集品をもとに博物館の必要性を訴えたことで、國學院大學内に考古学標本室が創設された。
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上島 治忠(うえしま はるただ、1906年11月16日 - … 上島 治忠(うえしま はるただ、1906年11月16日 - 1989年6月5日)は、日本の実業家。上島コーヒーグループの創業者。奈良県磯城郡田原本町出身。上島忠雄は弟。 1925年に畝傍中学校を卒業。翌年に上島商店(のちのウエシマコーヒーフーズ)を創業。1950年に社長に就任し、1970年に会長に就任した。 1989年6月5日急性腎不全のために神戸市の病院で死去。82歳没。
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森本 六爾(もりもと ろくじ、1903年〈明治36年〉3月2… 森本 六爾(もりもと ろくじ、1903年〈明治36年〉3月2日 - 1936年〈昭和11年〉1月22日)は、大正時代から昭和初期にかけての日本の考古学者。 奈良県磯城郡織田村大泉(現:桜井市)出身。1920年に旧制奈良県立畝傍中学校(現・奈良県立畝傍高等学校)を卒業する。奈良県磯城郡三輪尋常高等小学校の代用教員となり、香久山尋常高等小学校や生駒郡都跡尋常高等小学校でも代用教員を務めた。[要出典]1924年に上京して東京高等師範学校の校長であった三宅米吉の下で、歴史科に副手として勤務した。同年に東京考古学会を設立した。1929年、三宅の死去に伴い副手を辞任。1935年に夫人を結核で亡くし、翌年に神奈川県鎌倉市極楽寺の仮寓で同じく結核により32年の生涯を閉じた。
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淵田 美津雄(ふちだ みつお、1902年(明治35年)12月… 淵田 美津雄(ふちだ みつお、1902年(明治35年)12月3日 - 1976年(昭和51年)5月30日)は、日本の海軍軍人、キリスト教伝道者。海軍兵学校52期。最終階級は海軍大佐。 1902年12月3日、奈良県北葛城郡磐城村(現・葛城市)で教師の父・弥蔵と母・シカの三男として生まれる。旧制奈良県立畝傍中学校を経て、1921年(大正10年)、海軍兵学校に海兵52期として入学する。同期に源田実、高松宮宣仁親王らがいる。1924年7月24日、海軍兵学校を卒業、少尉候補生。 1925年12月、巡洋艦「矢矧」乗組。1926年12月、海軍砲術学校普通科学生。1927年4月、海軍水雷学校普通科学生。1927年7月、駆逐艦「秋風」乗組。
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新谷 寅三郎(しんたに とらさぶろう、1902年〈明治35年… 新谷 寅三郎(しんたに とらさぶろう、1902年〈明治35年〉10月30日 – 1984年〈昭和59年〉12月16日)は、日本の政治家、官僚。郵政大臣、運輸大臣を歴任。 新谷寅蔵の三男として、奈良県高市郡八木町(現・橿原市)で誕生。畝傍中学校(現・奈良県立畝傍高等学校)4年修了、1922年3月第一高等学校文科甲類、1925年東京帝国大学法学部政治学科を卒業。 逓信省に入省。灯台局長、海務院総務局長を経て、運輸通信省海運局長時代に東條英機首相から木造船の増産を命じられるも、「船釘を作る鉄が不足? 隠匿物資を探して来い」式のむちゃな指示にたまりかね辞職する。 戦後の1945年、同期入省の松前重義の要請により、逓信院次長となる(総裁は松前)。
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梅本 正倫(うめもと まさとも、1901年(明治34年)10… 梅本 正倫(うめもと まさとも、1901年(明治34年)10月 - 1951年(昭和26年))は、満州の会社役員。撫順セメント取締役。南満州鉄道参事。お笑いタレントの渡部建は孫。 奈良県吉野郡下市町出身。梅本馨とヒデの息子。旧制奈良県立畝傍中学校、旧制第三高等学校を経て、1926年に京都帝国大学経済学部を卒業。南満州鉄道に入社する。東郷採炭所庶務係主任庶務課労務係同人事係主任、古城子採炭所副長等を経て同社参事に任じ撫順炭鉱庶務課長となる。 1943年5月、新京に移転し、満鉄調査部から改組された満鉄調査局次長に就任する。 職場近くで妻とねと出会い、結婚する。終戦2年後に日本へと帰還し、妻とねの実家のある福岡で暮らす。
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大森 久司(おおもり ひさじ、1901年8月5日 - 197… 大森 久司(おおもり ひさじ、1901年8月5日 - 1976年8月13日)は、日本の政治家。位階は正四位。勲等は勲二等。参議院議員(2期)。奈良県議会議長。奈良県議会議員(6期)。奈良市議会議員(3期)。 奈良県桜井市初瀬町生まれ。旧制奈良県立畝傍中学校、関西学院大学卒業。 1930年、奈良市で大徳電気商会を設立。1944年、軍需省軍需監理部から発せられた「電気工事業整備要綱」に基づいて近畿地方の電気工事業者が統合し、設立された近畿電気工事株式会社の取締役に就任。 1961年、きんでん取締役社長。 1965年の第7回参議院議員通常選挙奈良地方区から自由民主党公認で立候補し、初当選。1971年、第9回参議院議員通常選挙再選。
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阿波野 青畝(あわの せいほ、1899年(明治32年)2月1… 阿波野 青畝(あわの せいほ、1899年(明治32年)2月10日 - 1992年(平成4年)12月22日)は、奈良県出身の日本の俳人。本名は敏雄。旧姓・橋本。原田浜人、高浜虚子に師事。昭和初期に山口誓子、高野素十、水原秋桜子ととも「ホトトギスの四S」と称された。「かつらぎ」主宰。 市井の生活を材に、鷹揚な表現で自在な句境を構築した。古典を素地にした叙情性も特徴。句集に『万両』(1931年)、『除夜』(1986年)など。 奈良県高市郡高取町に橋本長治・かね夫妻の4男として生まれる。父は八木銀行高取支店長で士族の家系。幼少の時に耳を患い難聴となる。1913年、奈良県立畝傍中学校(現・奈良県立畝傍高等学校)に入学。
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井川定慶(いかわ じょうけい、1898年12月18日 - 1… 井川定慶(いかわ じょうけい、1898年12月18日 - 1977年5月27日)は、浄土宗の僧侶。佛教大学名誉教授。 1898年、奈良県磯城郡平野村(現:田原本町)瑞花院で生まれた。県立畝傍中学校(現:奈良県立畝傍高等学校)、佛教専門学校を経て、京都帝国大学文学部国史科に入学。1923年に卒業した。 卒業後は、華頂高等女学校教諭となり、次いで京都大学嘱託となって近衛家文書調査にあたった。 1945年、大阪府高石市の専称寺住職となった。また、京都西山短期大学講師として教鞭をとった。佛教大学助教授となり、後に教授昇進。1962年、学位論文『法然上人絵伝の研究』を京都大学に提出して文学博士号を取得。1969年に佛教大学を定年退職し、名誉教授となった。
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松村 又一(まつむら またいち、、1898年(明治31年)3… 松村 又一(まつむら またいち、、1898年(明治31年)3月25日 - 1992年(平成2年)9月30日)は昭和期の作詞家、民謡作家。妻は歌人の松村君代。独特の作風から土の詩人と評される。
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前川 喜作(まえかわ きさく、1895年(明治28年)5月1… 前川 喜作(まえかわ きさく、1895年(明治28年)5月15日 - 1986年(昭和61年)7月19日)は、日本の実業家。前川製作所創業者。和敬塾創立者。 1895年、奈良県南葛城郡秋津村(現・御所市室)に林業を営む素封家の家に生まれた。前川福松の三男である。旧制奈良県立畝傍中学校(現、奈良県立畝傍高等学校)卒業。1920年、早稲田大学大学部理工科(機械工学科)卒業。 独立し、1924年、前川商店(現・前川製作所)創業。冷蔵庫製造業を創めた。1955年、東京都文京区目白台に地方から上京して都内及び周辺の大学へ通う学生達のための寮(和敬塾)を創設。 1986年7月19日朝、病により死去。 趣味は読書。
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山内 得立(やまうち とくりゅう、1890年〈明治23年〉6… 山内 得立(やまうち とくりゅう、1890年〈明治23年〉6月12日 - 1982年〈昭和57年〉9月19日)は、日本の哲学者。京都学派の哲学者。文化功労者。京都大学名誉教授。元京都学芸大学学長。西田幾多郎の弟子の一人。形而上学者として比較哲学の著しい貢献。主書は『ロゴスとレンマ』(1974)である。 奈良県生まれ。旧姓中川。京都帝国大学で西田幾多郎に師事した後、ドイツのフライブルク大学に留学しエトムント・フッサールとマルティン・ハイデッガーに師事。留学中に左右田喜一郎の推薦により東京商科大学(後の一橋大学)助教授に就任。後に京都大学教授等を歴任。蔵書や自筆ノートは山内文庫として一橋大学附属図書館に収められている。
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嶋中 雄作(しまなか ゆうさく、1887年2月2日 - 19… 嶋中 雄作(しまなか ゆうさく、1887年2月2日 - 1949年1月17日)は、昭和期の出版人・編集者。中央公論社社長。奈良県生まれ。兄は社会運動家の島中雄三。 奈良県磯城郡三輪町(現在の桜井市)出身。島中雄碩の四男。社会主義運動家で文筆家だった兄雄三と混同されることが多かったため、姓を先祖の「嶋家」に因み「嶋中」に変えた。 奈良県畝傍中学(現奈良県立畝傍高等学校)を経て1912年10月に早稲田大学文学部哲学科を卒業後、恩師の島村抱月、金子筑水両教授の推薦で中央公論社に入社した。1913年、『中央公論』の婦人問題特集号を企画、これが成功したことを追い風にして1916年、『婦人公論』の創刊にこぎつけ編集長となる。
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島中 雄三(しまなか ゆうぞう、1881年2月18日 - 1… 島中 雄三(しまなか ゆうぞう、1881年2月18日 - 1940年9月16日)は、日本の社会運動家・文芸評論家・編集者・翻訳家。 奈良県磯城郡三輪町(現桜井市)に生まれる。父雄碩(ゆうせき)、母棹枝(さおえ)の二男。5歳年下の弟に中央公論編集長を経て同社社長になった嶋中雄作(兄との混同を避け島中より嶋中に改姓した)がいる。 奈良県立畝傍中学(現奈良県立畝傍高等学校)卒業後、東京法学院(現中央大学)に学ぶが中退。 福島四郎の「婦女新聞」の記者(編集、校正助手)として働いた時期に、同じ編集部で机を並べた3歳年上の下中弥三郎と知り合い、以後無二の親友となる。下中は後に平凡社を創立、「大人名事典」を発行するが、その中の「島中雄三」の項目は、社長の下中自身が執筆したものだった。
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