加登川 幸太郎(かとがわ こうたろう、1909年(明治42年)7月7日 - 1997年(平成9年)2月12日)は、日本の陸軍軍人、戦史研究家。最終階級は陸軍中佐。 北海道上川郡当麻町出身。屯田兵・農業、加登川春吉の長男として生まれる。旭川中学校(現北海道旭川東高等学校)を経て、1930年(昭和5年)7月、陸軍士官学校(42期)218名中を皇王族(恒德王・李鍵公)を除いて9番の成績で卒業し、同年10月、歩兵少尉に任官し歩兵第25連隊付となる。1938年(昭和13年)5月、陸軍大学校(50期)卒業後、戦車学校教官に就任した。 その後、北支那方面軍参謀を務め、太平洋戦争時には陸軍省軍務局軍事課員(予算班)、第2方面軍、第35軍、第13軍参謀としてニューギニアの戦い、レイテ島、インドシナ、中国を転戦し中佐で敗戦をむかえる。
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