スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
白石 優生(しらいし ゆうせい、1997年〈平成9年〉3月2… 白石 優生(しらいし ゆうせい、1997年〈平成9年〉3月25日 - )は、日本の国家公務員、YouTuber。 農林水産省大臣官房広報評価課広報室で農林水産省の公式YouTubeチャンネル「BUZZ MAFF」の運用担当者を務め、2023年(令和5年)10月10日より農林水産省大臣官房政策課食料安全保障室に配属。 1997年(平成9年)3月25日、鹿児島県鹿児島市に生まれる。父は鹿児島県庁の農政部に勤務する地方公務員で、父方の祖父母は米の運送業を、母方の祖父母は農業を営んでおり、幼少期から農業が身近にある環境で育った。 3歳の時に父の仕事の関係で奄美大島に移住。奄美大島では海や川で父の職場の人や近所の人に教わりながら釣りをしていた。
園中 良寛(そのなか よしひろ、1991年3月22日 - )… 園中 良寛(そのなか よしひろ、1991年3月22日 - )は、ジャパンラグビーリーグワン九州電力キューデンヴォルテクスに所属するラグビー選手。 高校からラグビーを始めた。 2009年、加治木高校卒業後、筑波大学に入る。 2013年、筑波大学卒業後、九州電力キューデンヴォルテクスに加入。同年9月1日に行われたジャパンラグビートップリーグ第1節のNTTドコモレッドハリケーンズ戦に途中出場で公式戦初出場を果たす。
榮德 多賀子(えいとく たかこ、1984年3月10日 - )… 榮德 多賀子(えいとく たかこ、1984年3月10日 - )は鹿児島県を拠点に活躍する日本の女性ローカルタレントで、MBCタレントの一員。鹿児島県霧島市(旧・姶良郡隼人町)出身。 隼人町立日当山中学校、鹿児島県立加治木高等学校、東京家政大学卒。 元ポニーメイツ(31期 - 33期)で、ポニーメイツとしては、2000年以降では珍しい3年活動者でもある。 現在、産前産後休暇中につきすべての番組を休暇中。 ラジオ(レギュラー) テレビ(レギュラー) 主に鹿児島県内で放映されるテレビコマーシャルへの出演がある。
中重 真一(なかしげ しんいち、1977年〈昭和52年〉3月… 中重 真一(なかしげ しんいち、1977年〈昭和52年〉3月28日 - )は、日本の政治家。鹿児島県霧島市長(3期)。元鹿児島県議会議員(2期)、霧島市議会議員(2期)。 鹿児島県霧島市出身。鹿児島県立加治木高等学校、早稲田大学法学部卒業。 霧島市議会議員を経て、2007年(平成19年)4月の鹿児島県議会議員選挙に無所属で立候補し初当選。2011年(平成23年)、再選。 2013年(平成25年)11月17日に行われた霧島市長選挙に立候補するも落選。投票率は62.28%。 2017年(平成29年)11月19日に行われた霧島市長選挙に再挑戦し、現職の前田終止との一騎打ちを制し初当選を果たした(中重:29,455票、前田:28,892票)。
スマイリー園田(スマイリー そのだ、1975年〈昭和50年〉… スマイリー園田(スマイリー そのだ、1975年〈昭和50年〉1月23日 - )は、鹿児島県を拠点に活動する日本のローカルタレント、ディスクジョッキー、ミュージシャン。MBCタレントの一員でもある。 鹿児島県姶良郡加治木町出身で、後も在住しており離婚後は実家で母と2人暮らしをしている。血液型はO型。 加治木町立加治木中学校を経て鹿児島県立加治木高等学校に入学。高校生の頃からラジオ番組が好きで、『古田新太のオールナイトニッポン』やドリアン助川の番組などを、よく聴いていた。 1993年(平成5年)、鹿児島大学法文学部へ入学。大学時代の趣味は映画、釣り、旅、スポーツで、バーテンダー、家庭教師、警備員、酒屋の配達のアルバイトも経験。
諸麥 俊司(もろむぎ しゅんじ、1973年 - )は、日本の… 諸麥 俊司(もろむぎ しゅんじ、1973年 - )は、日本の工学者。博士(Ph.D.)。専門は医用工学、福祉工学、生体工学、生体情報計測。中央大学准教授(2022年度現在)。 鹿児島県姶良市出身。鹿児島県立加治木高等学校を経て、1997年に長崎大学工学部機械システム工学科を卒業。1999年に電気通信大学大学院情報システム学研究科博士前期課程を修了し、修士(工学)の学位を取得。2003年、カリフォルニア大学アーバイン校Dept. of Civil&Environmental Engineering博士課程(Ph.D course)を修了し、Ph.D.(博士号)を取得。 2002年長崎大学工学部助手着任、2007年同学部助教に配置換え。
枝元 真徹(えだもと まさあき、1961年3月9日 - )は… 枝元 真徹(えだもと まさあき、1961年3月9日 - )は、日本の農林水産官僚。 農林水産事務次官、農林水産省大臣官房長、農林水産省生産局長などを歴任した。 1961年、鹿児島県出身。高校は鹿児島県立加治木高校に通い、東京大学に進学した。 1984年に東京大学法学部第1類(私法コース)を卒業し、農林水産省に入省。 生産局長や農林水産省大臣官房長などを歴任し、2020年8月に農林水産事務次官に就任。2022年6月28日、退任。翌2023年1月1日、新日本科学顧問に就任。同年6月7日、大日本水産会会長に就任。
上脇 博之(かみわき ひろし、1958年7月25日 - )は… 上脇 博之(かみわき ひろし、1958年7月25日 - )は、日本の法学者。憲法学を専門として研究・教育する憲法学者。1994年「政治改革」は日本国憲法の議会制民主主義に逆行する改悪だったとして、その違憲の諸制度により過剰代表されて誕生する政権与党の暴走を監視するために、市民運動にも積極的に取り組んでいる。弁護士の支援を受けて情報公開訴訟を提起したり、政治資金・選挙資金問題を中心に多数の大臣ら政治家を刑事告発してきた。神戸学院大学法学部教授。 鹿児島県姶良郡隼人町(現・霧島市隼人町)の会社員の家庭に生まれた。3人兄弟の次男で、父は九州電力に勤めていた。幼い頃は、父の転勤で姶良郡内を幾度か転居した。
酒匂 一郎(さこう いちろう、1954年-)は、日本の法学者… 酒匂 一郎(さこう いちろう、1954年-)は、日本の法学者。法学博士、九州大学名誉教授。専門は法哲学(法理学)で、法システムの基本構造の他、多文化主義をめぐる現代正義論、情報社会の秩序問題、生命倫理と法、グスタフ・ラートブルフ及び関連の法思想、法的思考の比較思想史などについて研究。 1973年3月鹿児島県立加治木高等学校卒業。同年4月に九州大学法学部へ入学し、1978年3月に卒業。同年4月、九州大学大学院法学研究科基礎法学専攻へ進学し、1980年3月に修士課程修了、1984年3月に博士課程単位取得退学。同年4月から1986年3月まで九州大学法学部助手を務める。1987年3月に論文「全体性の法思想 その構造と展開」で九州大学より法学博士号授与。
月野木 隆(つきのき たかし、1954年 - )は、日本の映… 月野木 隆(つきのき たかし、1954年 - )は、日本の映画監督。 鹿児島県霧島市横川町出身。市立横川中学校時代は、剣道部で活躍した。昭和48年県立加治木高等学校卒業・映画監督・今村昌平主宰の横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)を1975年に1期生として卒業後、今村に師事した。『楢山節考』『女衒』『黒い雨』等の助監督を務め、『白い犬とワルツを』で監督デビューした。北野武の『その男、凶暴につき』の助監督も務めた。
笹山 義弘(ささやま よしひろ、1952年(昭和27年)10… 笹山 義弘(ささやま よしひろ、1952年(昭和27年)10月10日 - )は、日本の政治家。鹿児島県姶良市長(2期)、加治木町長(1期)、加治木町議会議員(1期)などを歴任した。 鹿児島県姶良郡加治木町(現姶良市)で生まれ育つ。1971年(昭和46年)3月、鹿児島県立加治木高等学校卒業。1972年(昭和47年)9月、大阪電気通信大学工学部中退。1973年(昭和48年)4月、山口眼鏡株式会社に就職。その後有限会社時計メガネのササヤマに移り、1994年(平成6年)9月に同社の代表取締役に就任。 1999年(平成11年)5月から2002年(平成14年)6月まで加治木町議会議員を務めた。2006年(平成18年)12月、加治木町長に就任。
猪俣 睦彦(いのまた むつひこ、1946年〈昭和21年〉6月… 猪俣 睦彦(いのまた むつひこ、1946年〈昭和21年〉6月2日 - 2019年〈令和元年〉10月10日)は、鹿児島県鹿児島市天文館生まれ、姶良市出身で同県を拠点に活躍していたローカルタレント。血液型B型。 鹿児島県立加治木高等学校卒業、東京での俳優修行し後に帰郷してMBCラジオの放送劇団に参加、やがて鹿児島のTV、ラジオ、CMになくてはならない存在となった。やや天然ボケ風だが気取らず軽妙な鹿児島弁トークに、時折ギャグを織り交ぜた明るく誰からも愛されるキャラクター。トレードマークの太い眉毛に団栗眼と人なつっこい笑顔は常に絶やさない。タレント活動以外にも、県内各地で行われるシンポジウムのゲストコメンテーターなどとしても活躍した。
村田 好夫(むらた よしお、1946年1月20日 - )は、… 村田 好夫(むらた よしお、1946年1月20日 - )は、朝日放送の元アナウンサーでフリーアナウンサー。 鹿児島県名瀬町(現:奄美市)出身。鹿児島県立加治木高等学校を経て、明治大学法学部卒業後、1969年に朝日放送アナウンサーとして入社。同期に乾龍介、嶋田崇彦、戸倉信吉がいる。1985年から夕方のローカルニュース番組『たいむ6』のキャスターを務めた他、『おはようコールABC』の司会、『おはよう朝日です』のニュースキャスターを長く務めた。その他にもテレビ朝日『ステーションEYE』の週末全国版のキャスターも務めた。また、朝日放送が制作に関係した鉄道ビデオでは、ナレーションを担当している。 その他には報道情報局専任局長も歴任し、2005年12月30日、ABCラジオのニュース(ABC朝日ニュース)をもってアナウンサーを勇退した。
朝倉 正昭(あさくら まさあき、1941年3月28日 - 2… 朝倉 正昭(あさくら まさあき、1941年3月28日 - 2020年3月15日)は、日本の教育学者、国士舘大学体育学部名誉教授、元同大学学長。専門分野は体育科教育学。学位は体育学(学士)、経済学(学士)。 鹿児島県姶良郡蒲生町出身。鹿児島県立加治木高等学校卒業。1963年3月、国士舘大学体育学部卒業。1967年3月国士舘大学政経学部二部卒業。 1963年より国士舘大学体育学部助手、1970年より講師、1973年より助教授。1986年より国士舘大学体育学部教授。1992年国士舘大学体育学部教務主任、同年日本体育学会体育科教育学専門分科会理事長、1996年日本体育科教育学会理事長、2000年国士舘大学体育学部附属体育研究所長、2003年全日本学生体操連盟会長、2004年国士舘大学生涯学習センター長、2006年国士舘大学学生部長、2007年国士舘大学就職センター長を歴任し、2009年12月より国士舘大学学長。
小里 貞利(おざと さだとし、1930年(昭和5年)8月17… 小里 貞利(おざと さだとし、1930年(昭和5年)8月17日 - 2016年(平成28年)12月14日)は、日本の政治家。衆議院議員(9期)、自由民主党総務会長(第41代)、自由民主党国会対策委員長(第39代)、労働大臣(第55代)、北海道開発庁長官(第61代)・沖縄開発庁長官(第30代)、総務庁長官(第21代)、震災対策担当大臣(村山内閣)、宏池会会長、鹿児島県議会議員(6期)を歴任した。国政進出以来一貫して整備新幹線事業に携わり、「ミスター新幹線」の異名を取った。
入部 久男(いるべ ひさお、1929年6月25日 - )は、… 入部 久男(いるべ ひさお、1929年6月25日 - )は、鹿児島県出身の元プロ野球選手。 鹿児島県立加治木高等学校から鹿児島市電を経て、1956年に大洋ホエールズへ入団。しかし公式戦出場は2試合に終わるなど結果を残せず、1957年に引退。その後は鹿児島市電の監督を務めた。
鶴ヶ嶺 昭男(つるがみね あきお、1929年4月26日 - … 鶴ヶ嶺 昭男(つるがみね あきお、1929年4月26日 - 2006年5月29日)は、鹿児島県姶良市(旧:姶良郡加治木町)出身で井筒部屋(ただし初土俵は時津風部屋名義)に所属した大相撲力士。本名は福薗 昭男(ふくぞの あきお)。最高位は西関脇(1956年5月場所・1962年9月場所)。得意技はもろ差し、右四つ、寄り、上手出し投げ。現役時代の体格は177cm、114kg。 旧制加治木中学校3年時の1944年8月、予科練に入り、鹿児島航空隊、次に小富士海軍航空隊31分隊に入隊する。戦時中は海軍年少兵として海軍相撲で鳴らし、やがて大相撲への興味を抱く。戦後、加治木中を卒業し、当地の農業会(農民組合)に勤務する。
山下 欣一(やました きんいち、1929年(昭和4年)2月5… 山下 欣一(やました きんいち、1929年(昭和4年)2月5日 - 2021年(令和3年))は、日本の民俗学者、文化人類学者。奄美の民俗学、ユタ研究の第一人者であった。文学博士、鹿児島国際大学名誉教授。 鹿児島県奄美大島の名瀬町(現・奄美市)に生まれる。名瀬国民学校から旧制鹿児島県立大島中学校に進学。県の土木技師であった父の本土転任にともない、旧制鹿児島県立加治木中学校に転校。旧制加治木中を四年修了して鹿児島農林専門学校獣医畜産科に入学、卒業。一度、新制中学校の英語教師となった後、早稲田大学法学部に編入学するが、母の病気等の事情により中退して鹿児島へ戻り、県立高等学校(英語教師)や県教育庁にて勤務。
川野 洋(かわの ひろし、1925年4月14日 − 2012… 川野 洋(かわの ひろし、1925年4月14日 − 2012年12月18日)は、日本の哲学者、美学者。文学博士(大阪大学、1986年)。東京都立科学技術大学名誉教授、東北芸術工科大学名誉教授。 旧満州国撫順市生まれ。鹿児島県立加治木中学校 (旧制)および第七高等学校造士館 (旧制)卒業。1951年東京大学文学部哲学科卒業、 1955年東京大学助手、1961年東京都立航空工業短期大学講師(1965年助教授)、1971年東京都立工科短期大学教授、1986年東京都立科学技術大学(現・東京都立大学)教授、1990年長野大学教授、1994年東北芸術工科大学教授。 1990年東京都立科学技術大学名誉教授、1996年東北芸術工科大学名誉教授。
村山 喜一(むらやま きいち、1921年〈大正10年〉7月2… 村山 喜一(むらやま きいち、1921年〈大正10年〉7月21日 - 1996年〈平成8年〉8月16日)は、日本の政治家。 鹿児島県議会議員、衆議院議員(10期)、衆議院副議長(第58代)などを歴任した。 鹿児島県姶良郡蒲生町(のちの姶良市)にて生まれた。鹿児島県立加治木中学校 (旧制)卒業。1941年に台南師範学校卒業後、小学校教員、鹿児島県評事務局長、鹿児島県議会議員を経て、1960年の第29回衆議院議員総選挙に日本社会党より立候補し当選、以後当選10回。 党内では和田博雄 – 勝間田清一 – 石橋政嗣の派閥に所属する。1982年2月、飛鳥田一雄委員長の下で国会対策委員長に就任、その後馬場昇書記長下ろしに伴う役員改選により、同年12月副委員長となる。
中馬 辰猪(ちゅうまん たつい、1916年2月27日 - 2… 中馬 辰猪(ちゅうまん たつい、1916年2月27日 - 2010年4月18日)は、日本の政治家。衆議院議員、建設大臣。 現在の鹿児島県霧島市国分に、参議院議員を務めた中馬猪之吉の二男として生まれる。鹿児島県立加治木中学校 (旧制)、第七高等学校 (旧制)を経て、1941年京都帝国大学法学部を卒業。陸軍主計大尉としてインパール作戦に従事し、負傷するものの危機一髪で生還した経験を持つ。帰国後は水産会社役員、鹿児島県煙草耕作連嘱託等を経て、1949年第24回衆議院議員総選挙に吉田茂率いる民主自由党公認で旧鹿児島2区から立候補し当選(当選同期に池田勇人・岡崎勝男・前尾繁三郎・橋本龍伍・麻生太賀吉・小渕光平・西村英一・橋本登美三郎・福永健司・塚原俊郎・藤枝泉介・木村俊夫・稲葉修・河本敏夫・森山欽司・床次徳二・有田喜一など)。
伊丹 明(いたみ あきら、英語名:デイヴィッド・アキラ・イタ… 伊丹 明(いたみ あきら、英語名:デイヴィッド・アキラ・イタミ〈David Akira Itami〉、1911年 - 1950年12月26日)は、アメリカ合衆国の陸軍軍人。愛称は“デイブ(Dave)”。 カリフォルニア州オークランド生まれ。3歳より、鹿児島県加治木町の叔母の下に預けられ、そこで少年期を過ごす。鹿児島県加治木中学校を卒業後、1928年より大東文化学院に入学し、漢籍やインド哲学を研究する。 1931年にアメリカに戻ると、1935年に日本国籍を離脱。カリフォルニア大学に入学し、日本語新聞の『加州毎日』の記者となる。1941年12月に勃発した太平洋戦争により、収容所生活を強いられるが、アメリカ陸軍情報部に勤務することとなる。
山口 正(やまぐち ただし、1909年(明治42年)8月26… 山口 正(やまぐち ただし、1909年(明治42年)8月26日 - 2000年(平成12年)5月26日)は、日本の国文学者。茨城大学名誉教授。上代文学、特に『万葉集』が専門だが、作文教育にも関わった。 鹿児島県加治木(現・姶良市加治木町)生まれ。鹿児島県立加治木中学校 (旧制)を経て、1930年3月第七高等学校造士館 (旧制)文科卒業。1933年東京帝国大学文学部国文科卒業。海城中学校(現・海城高等学校)教諭、1936年長野県飯田中学校(現・長野県飯田高等学校)教諭、釜山高等女学校教諭、水戸高等学校教授、茨城大学文理学部助教授、教養部教授、1975年定年退官、名誉教授。2000年5月26日、虚血性心不全のため死去。
浜田 尚友(はまだ ひさとも、1909年(明治42年)6月2… 浜田 尚友(はまだ ひさとも、1909年(明治42年)6月29日 - 1988年(昭和63年)3月3日)は、日本の政治家。帝国議会衆議院議員、国分市議会議長。 鹿児島県の国分村(現・霧島市)出身で国分小学校卒業。1927年(昭和2年)鹿児島県立加治木中学校 (旧制)卒業。1932年(昭和7年)早稲田大学政治経済学部政治科卒業。同年東京日日新聞社(現・毎日新聞社)に入社し、社会部・政治部記者。厚生大臣秘書官(1940年(昭和15年))などを経て、1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙(翼賛選挙)で翼賛政治体制協議会推薦候補として鹿児島県第2区にて当選。1943年(昭和18年)現職議員中より第一号陸軍二等兵として応召、硫黄島戦闘参加。
竹之下 休蔵(たけのした きゅうぞう、1909年1月30日 … 竹之下 休蔵(たけのした きゅうぞう、1909年1月30日 - 1988年3月20日)は、日本の体育学者。東京教育大学(現筑波大学)名誉教授。体育社会学を研究した。 鹿児島県鹿児島市出身。旧制鹿児島県立加治木中学校(現鹿児島県立加治木高等学校)を経て、1932年に東京高等師範学校体育科を卒業した後、1936年に東京文理科大学教育学科を卒業(東京高等師範、東京文理科大ともに東京教育大学の前身)。1937年、東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)助教授に就任し、その後、神戸商業大学(現神戸大学)予科教授、東京体育専門学校(東京教育大学体育学部の前身)教授を経て、1947年に文部省事務官となる。後に文部省大学学術局視学となり、1949年、学校体育指導要綱、学習指導要領体育編の作成で中心的な役割を果たす。
冨満 通哉(とみみつ みちや、1908年(明治41年)12月… 冨満 通哉(とみみつ みちや、1908年(明治41年)12月1日 - 1993年(平成5年)7月23日)は、日本の実業家。神鋼電機株式会社(現シンフォニアテクノロジー株式会社)第3代代表取締社長。昭和54年4月、勲三等瑞宝章 産業振興功労 受勲。 鹿児島県出身。旧制鹿児島県立加治木中学校(現:鹿児島県立加治木高等学校)を経て、第七高等学校造士館(現:鹿児島大学法文学部・理学部)理科甲類を1929年3月に卒業。1932年3月、京都帝国大学工学部電気工学科卒業。 1932年4月、神戸製鋼所 入社(1949年株式会社神戸製鋼所より分社化し神鋼電機株式会社が設立される)。1950年11月、神鋼電機株式会社取締役就任。
神崎 博愛(かんざき ひろちか、1908年(明治41年)4月… 神崎 博愛(かんざき ひろちか、1908年(明治41年)4月16日 - 1986年(昭和61年)8月25日)は、日本の農業経済学者。京都大学名誉教授。専門は農業経営学で、農家家計経済、農村社会学的日本農民論、近代経済学的農業経営論を主に研究。農学博士。 鹿児島県姶良郡清水村(現:霧島市)の後の国分清水地域出身。鹿児島県立加治木中学校 (旧制)を経て、1931年(昭和6年)3月に第五高等学校 (旧制)理科甲類卒業。1934年(昭和9年)3月に京都帝国大学農学部農業経済学科を卒業し、同年9月より朝鮮総督府技手。旧制五高・京大在学中は学生野球選手で、京大では関西六大学リーグ優勝を経験。1940年(昭和15年)京都帝国大学農学部教務嘱託、同年7月京都帝国大学農学部助手就任、1941年(昭和16年)3月京都帝国大学農学部講師嘱託。
川﨑 祐宣(かわさき すけのぶ、1904年(明治37年)2月… 川﨑 祐宣(かわさき すけのぶ、1904年(明治37年)2月22日 - 1996年(平成8年)6月2日)は、日本の医師・医学教育家・学校経営者・慈善家。総合社会福祉施設を設立して心身障害者の福祉のために尽力した。 鹿児島県姶良郡横川村(後の横川町、現霧島市の一部)出身。旧制鹿児島県立加治木中学校、旧制第七高等学校造士館を経て、旧制岡山医科大学(現・岡山大学医学部)を卒業後、勤務医を経て、川崎病院、社会福祉施設旭川荘、医療系学校法人川崎学園などを設立した。後に川崎医科大学附属川崎病院(現・川崎医科大学総合医療センター)病院長を務めた[要出典]。 岡山県の名誉県民、倉敷市の名誉市民をはじめ、中国において首都医学院(現・首都医科大学)、上海中医学院(現・上海中医薬大学)名誉教授の称号を受けている[要出典]。
小山田 政弘(こやまだ まさひろ、1903年〈明治36年〉8… 小山田 政弘(こやまだ まさひろ、1903年〈明治36年〉8月30日 - 1990年〈平成2年〉1月23日)は、日本の政治家。鹿児島県姶良郡蒲生町長(第10代、3期)。元は旧制鹿児島二中教諭を長く務めた教育者。 鹿児島県姶良郡蒲生村(後の蒲生町、姶良市の一部)生まれ。1922年3月鹿児島県立加治木中学校(現鹿児島県立加治木高等学校)卒業。1926年3月東洋大学国文科卒業。鹿児島実業学校(現鹿児島実業高等学校)、鹿児島和洋裁縫女学校(現鹿児島城西高等学校)勤務を経て、鹿児島県立第二鹿児島中学校(鹿児島二中、現鹿児島県立甲南高等学校)で国語・漢文の教諭を1927年8月31日から約20年間務める。1947年4月重富村立重富中学校初代校長に就任。
海音寺 潮五郎(かいおんじ ちょうごろう、1901年〈明治3… 海音寺 潮五郎(かいおんじ ちょうごろう、1901年〈明治34年〉11月5日 - 1977年〈昭和52年〉12月1日)は、日本の小説家・作家。本名は末冨 東作(すえとみ とうさく)。鹿児島県伊佐郡大口村(現・伊佐市)生まれ。次女は日本テレワークの社長を務めた末冨明子。 1901年、鹿児島県伊佐郡大口町(現・伊佐市大口里)の山師の家に生まれる。幼い頃に体が大きかったことから、1年繰り上げで小学校に入学。実際は何をするにも1歳年上の同級生たちに及ばず、学校生活は苦労の多い辛いものだった(のちにこれが文学を志すきっかけとなったと語っている)。國學院大學高等師範部国漢科を卒業後、中学教師を務めながら創作を始める。
前田 精(まえだ ただし、1898年3月3日 - 1977年… 前田 精(まえだ ただし、1898年3月3日 - 1977年12月13日)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍少将。海兵46期。1945年8月17日のインドネシア独立の平穏無事な実現に重要な貢献をした。栄典はインドネシア共和国建国功労章。兄は大本営海軍報道部長、第10航空艦隊司令長官前田稔海軍中将(41期)。弟は資生堂のデザイナー前田貢。 鹿児島県姶良郡加治木村小山田(現姶良市加治木町)出身。鹿児島県立加治木中学校(旧制)卒業後、海軍兵学校に入学(第46期)。同期生に山階宮武彦王、猪口敏平らがいる。 1918年(大正7年)11月21日卒業。翌年8月、少尉に任官。オランダ公使館付武官、大本営海軍参謀、バタビア在勤武官を歴任し、1945年(昭和20年)に海軍少将およびジャカルタ在勤武官。
原口 純允(はらぐち すみちか、1898年(明治31年)1月… 原口 純允(はらぐち すみちか、1898年(明治31年)1月24日 - 1980年(昭和55年)3月23日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、鹿児島県伊佐郡大口町長。 鹿児島県伊佐郡菱刈村(菱刈町を経て現伊佐市)で生まれた。旧制鹿児島県立加治木中学校(現 鹿児島県立加治木高等学校)を経て、1918年(大正7年)旧制第七高等学校造士館卒業。1921年(大正10年)東京帝国大学経済学部商業学科を卒業。 1921年(大正10年)5月、南満州鉄道(満鉄)に入社し、電気作業所に配属された。1926年(大正15年)6月、電気作業所が満鉄から独立し南満洲電気 (株) (のち大連都市交通)に改組し同社員となり、奉天支店長、長春支店長、新京支店長を歴任。
宇都宮 直賢(うつのみや なおかた、1898年(明治31年)… 宇都宮 直賢(うつのみや なおかた、1898年(明治31年)1月9日 - 1997年(平成9年)6月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 本籍鹿児島県。東京府で鉄道省技師・宇都宮新の二男として生まれる。加治木中学校(現鹿児島県立加治木高等学校)を経て、1920年(大正9年)5月、陸軍士官学校(32期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し近衛歩兵第4連隊付となる。1925年(大正14年)4月から1926年(大正15年)3月まで東京外国語学校英語科で委託学生として学んだ。 1930年(昭和5年)11月、陸軍大学校(42期)を卒業した。 1930年12月、近衛歩兵第4連隊中隊長に就任。1931年(昭和6年)9月、参謀本部付勤務となり、参謀本部員(米班)、参謀本部付(支那研究員、上海・香港駐在)、参謀本部付(上海武官補佐官)、陸軍省兵務局付(防諜班長)を務め、1938年(昭和13年)3月、歩兵中佐に昇進。
湊 慶譲(みなと けいじょう、1896年(明治29年)8月3… 湊 慶譲(みなと けいじょう、1896年(明治29年)8月30日 - 1982年(昭和57年)10月19日)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍少将。 鹿児島県立加治木中学校を卒業 し、海軍兵学校第44期へ入校した。席次は入校時100名中8番、卒業時95名中4番。新設された海軍省兵備局の第二課長として出師準備にあたり、軍需工業動員および生産力拡充の統制、物資の需給調整などを担った。
永田 良吉(ながた りょうきち、1886年(明治19年)9月… 永田 良吉(ながた りょうきち、1886年(明治19年)9月14日 - 1971年(昭和46年)5月11日)は、日本の政治家。衆議院議員、旧・鹿屋市長(第2・6・7代)。位階は正四位。 鹿児島県肝属郡大姶良村西俣(現・鹿屋市永野田町)出身。大姶良村会議員、大姶良村長、鹿児島県議会議員を経て、衆議院議員、鹿屋市長を歴任した。通称・飛行機代議士・請願代議士。現在の海上自衛隊鹿屋航空基地を始め、高隈ダムや星塚敬愛園を鹿屋市へ誘致した人物である。 1886年9月14日の午前9時に、永田助太郎の三男、3人兄弟の末っ子として誕生。永田家は西俣の大地主であったが、士族ではなく平民の身分であった。 1893年、西俣簡易小学校へ入学するが、同年中に南小学校に統合され、永野田の者は鹿屋村の田崎尋常小学校へ転校することになった。
川越 丈雄(かわごえ たけお、1884年11月1日 - 19… 川越 丈雄(かわごえ たけお、1884年11月1日 - 1966年3月11日)は、日本の大蔵官僚、銀行家。大蔵次官、法制局長官。 鹿児島県出身。川越武助の長男として生まれる。加治木中学、第一高等学校を経て、1910年10月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験に合格し大蔵省に入省。専売局書記兼大蔵属・専売局長官官房兼理財局勤務となる。 1918年6月、大蔵省主計官・主計局予算決算課に配属され、以後、大蔵書記官、主計局司計課長、同決算課長、同予算決算課長、預金部長などを歴任。1934年5月、銀行局長に就任。対満事務局次長を経て、1936年3月、大蔵次官となる。1937年2月、林内閣の法制局長官となり同年6月まで在任した。
逆瀬川 仁次郎(さかせがわ にじろう、1883年(明治16年… 逆瀬川 仁次郎(さかせがわ にじろう、1883年(明治16年)12月8日 – 1930年(昭和5年)10月29日)は、日本の衆議院議員(政友本党→立憲民政党)。ジャーナリスト。 鹿児島県姶良郡敷根村(現在の霧島市)出身。鹿児島県立加治木中学校 (旧制)を卒業して東京高等師範学校に進むが退学。第一高等学校 (旧制)を卒業し、1916年(大正5年)東京帝国大学法科大学政治科を卒業。大阪毎日新聞社に勤務した。 1924年(大正13年)の第15回衆議院議員総選挙に政友本党で立候補して落選するが、1926年(大正15年)11月1日の衆議院鹿児島7区補欠選挙で当選。
淵邊 善彦(ふちべ よしひこ)は日本の弁護士。第一東京弁護士… 淵邊 善彦(ふちべ よしひこ)は日本の弁護士。第一東京弁護士会所属。ベンチャーラボ法律事務所代表。 ベンチャー・スタートアップ支援、M&A,国際取引、一般企業法務を主な専門分野とする。 日弁連外国弁護士及び国際法律業務委員会委員、日弁連中小企業の国際業務の法的支援に関するワーキンググループ座長、日弁連法律サービス展開本部委員、日弁連国際活動・国際戦略に関する協議会委員、ヘルスケアAIoTコンソーシアム理事、日本CLO協会理事、アジア経営者連合会会員、一般社団法人日本パートナーCFO協会社外理事、YOXO(ヨクゾ) BOX メンター、NEXs Tokyo会員メンター、日本AIライティング協会 顧問、一般社団法人鹿児島イノベーションベース(KGIB)監事。
山口 綾規(やまぐち りょうき)は、日本のオルガン奏者。 鹿… 山口 綾規(やまぐち りょうき)は、日本のオルガン奏者。 鹿児島県姶良市加治木出身。鹿児島県立加治木高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部卒業。東京芸術大学音楽部別科オルガン専修から同大学大学院修士課程音楽研究科(オルガン)を修了。電子オルガンを橘ゆり、野田正純に師事し、パイプオルガンを大槻由美子、ブライアン・アシュレー、廣野嗣雄に師事。 2005〜2006年度、武蔵野市民文化会館オルガニストを務める。2008年4月より、パイプ・オルガン演奏の自主コンサートとして「オルガン・エンターテインメント」を毎年継続実施。第3回までを東京すみだトリフォニーホール(大ホール)、第6回までを横浜みなとみらいホール(大ホール)にて実施。
1960年3月1日生まれ、宅地建物取引士、霞が関地所株式会社… 1960年3月1日生まれ、宅地建物取引士、霞が関地所株式会社代表取締役社長、国士舘大学法学部卒業、筑波大学大学院科目等履修生(ビジネス科学研究群、博士前期課程)