スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
橋本 星奈(はしもと せいな、1994年9月3日 - )は、… 橋本 星奈(はしもと せいな、1994年9月3日 - )は、チューリップテレビのアナウンサー。 富山県南砺市出身。富山県立砺波高等学校、富山大学芸術文化学部文化マネジメントコース卒業。大学時代は15代目プリンセスチューリップに選ばれる。 2016年(平成28年)北陸朝日放送(テレビ朝日系列)に入社。報道制作局報道部で報道記者を担当。事件や事故、地域のニュースを取材。ゼロから企画を立案、深掘りする特集枠を担当したり、高校野球や県警24時のディレクター(取材・構成・編集)も務めた。番組内では自らリポーターを務め、現場の臨場感をお茶の間に発信。 2020年(令和2年)ラジオ局のTOKYO FMに転職。
武部 知春(たけべ ちはる、1982年5月5日 - )は、北… 武部 知春(たけべ ちはる、1982年5月5日 - )は、北日本放送の元アナウンサー。富山県東砺波郡井波町高瀬地域(現・南砺市)出身。血液型AB型。8歳下の弟がいる。
上田 大樹(うえだ たいき、1978年 - )は、アートディ… 上田 大樹(うえだ たいき、1978年 - )は、アートディレクター。 映像ディレクターとして、TV・映画のタイトルバック、演劇の劇中映像、PVなどを手がける。富山県小矢部市出身。 富山県立砺波高等学校卒業、早稲田大学第一文学部中退。大学時代はiNSTANT WiFEという劇団を主宰していたが、現在のiNSTANT WiFEは上田による映像ユニット。 演劇分野ではナイロン100℃、大人計画、阿佐ヶ谷スパイダース、劇団☆新感線などの劇中映像を制作している。
熊野 智元(くまの ともゆき、1977年12月11日 - )… 熊野 智元(くまの ともゆき、1977年12月11日 - )は、北日本放送のラジオディレクター。富山県砺波市三島町出身。血液型はO型。入社は2003年で、同期に現在はフリーアナウンサーの鍛治絵里子がいる。 1990年砺波市立出町小学校卒業。1993年砺波市立出町中学校卒業。1996年富山県立砺波高等学校卒業。2001年早稲田大学第一文学部文芸専修卒業。2003年東京大学大学院人文社会系研究科社会文化研究専攻修士課程修了。 2009年3月にスタートしたご近所ラジオKNB!の月〜水曜日パーソナリティを金曜日ディレクター併任で2011年3月まで務め、同郷の先輩・ 鍋田恭子から「くまちゃん」と呼ばれて親しまれていた。
今井 隆信(いまい たかのぶ、1974年7月27日 - )は… 今井 隆信(いまい たかのぶ、1974年7月27日 - )は、富山エフエム放送(FMとやま)のチーフアナウンサー。ディレクターも兼任している。 富山県小矢部市出身。砺波高等学校、新潟大学教育学部特別教科(書道)教員養成課程卒業。1997年4月からFMとやまに在籍し、同局の様々な情報・音楽番組を担当している。またバスケットボールなどの試合のMCもやっている。血液型はA型で、特技は大学で専攻した書道で、高校書道の教員免許を持つ。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
石岡 ショウエイ(いしおか ショウエイ)、石岡 琉衣(いしお… 石岡 ショウエイ(いしおか ショウエイ)、石岡 琉衣(いしおか るい)、本名:石岡 昌英(いしおか まさひで、1974年7月19日 - )は、日本の漫画家、小説家。 富山県井波町出身。富山県立砺波高等学校、名古屋大学法学部卒。集英社の『月刊少年ジャンプ』 (MJ) 次いで『週刊少年ジャンプ』 (WJ) で活動。『MJ』時代は度々筆名を変更しており、別名義に「石岡昌英」「甲斐昌英」「石岡ショウエイ」「石波昌英」(いしなみ まさひで)がある。代表作は『ベルモンド Le VisiteuR』。2011年からは石岡 琉衣(いしおか るい)の名義で小説家として活動している。 愛知県で学生時代を過ごした後、テレビ局勤務を経て24歳のときに画家を志して会社を退職、その後漫画家志望に転向する。
山室 大輔(やまむろ だいすけ、1974年 - )は、TBS… 山室 大輔(やまむろ だいすけ、1974年 - )は、TBSテレビ(旧TBSエンタテインメント)制作1部所属のテレビドラマ演出家。 富山県小矢部市出身。小矢部市立津沢中学校、富山県立砺波高等学校卒。大阪大学文学部卒業後、1997年にTBSに入社。『さんまのSUPERからくりTV』や『ここがヘンだよ日本人』などのバラエティ番組でADを担当。その後、制作1部に移り土井裕泰、平野俊一等の下で演出補を担当した後、2003年の『ブラックジャックによろしく』の第7話で初演出(演出補兼任)。代表作に『いま、会いにゆきます』、『華麗なる一族』がある。 山室が演出を担当する回の撮影現場は雨になることが多く、スタッフから「あめ室」と呼ばれている。
太田 昌克(おおた まさかつ、1968年 - )は、日本のジ… 太田 昌克(おおた まさかつ、1968年 - )は、日本のジャーナリスト。共同通信社編集委員・論説委員。早稲田大学客員教授、長崎大学客員教授。博士・政策研究。 富山県生まれ。富山県立砺波高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、1992年共同通信社入社。広島支局、大阪社会部(大阪府警察本部担当)、高松支局、外信部、政治部(外務省、首相官邸担当)を経て、2003年から2007年まで、同社ワシントン特派員として、国務省、ホワイトハウス、連邦議会などを担当。その間、広島支局時代以来のテーマである核兵器の問題を取材し続けた。 1999年から2000年には、フルブライト・プログラム留学制度で米・メリーランド大学にリサーチ・フェローとして研修駐在。
柴田 崇徳 (しばた たかのり、1967年 - )は、日本の… 柴田 崇徳 (しばた たかのり、1967年 - )は、日本のロボット工学研究者。アザラシ型ロボット「パロ」の開発者。 1967年富山県東礪波郡城端町(現・南砺市)生まれ。富山県立砺波高等学校を経て、1989年名古屋大学工学部電子機械工学科卒業。1992年同大学大学院博士課程電子機械工学専攻修了。博士(工学)。産業技術総合研究所知能システム研究部門主任研究員。 主な業績は、「人と共存し、相互作用により、楽しみや安らぎを提供することを目的にするメンタルコミットロボット」の開発。主著は、「柴田・福田、人工生命の近未来-新たな生をつくるテクノロジー、時事通信社、1994」、「柴田、福田、ファジィロボット-インテリジェントシステムのためのソフトコンピューティング、朝倉書店、1997」。
津沢 寿志(つざわ ひさし、1948年6月8日 - )は、日… 津沢 寿志(つざわ ひさし、1948年6月8日 - )は、日本の柔道家(8段)。身長170cm。 富山県にて、警察官で柔道選手としても活躍した父親(講道館7段)のもと、5人兄弟(姉2人、兄1人、弟1人)として育った。幼少時はスポーツ万能で、走るのも早く、相撲も強かった。「当時はあまり玩具などもない時代で、近所の子供が集まって野山で駆けっこばかりして遊んでいた事で、自然に体力がついたのだろう」と津沢は語る。 南郷中学に入学と同時に柔道を始めたが、柔道部顧問が柔道の専門家ではなかったため、部活の練習は上級生が下級生に教えるというものだった。そのため、中学時代の主だった成績というのも、中学3年の時に個人戦で県2位に入賞した程度だった。
山本 久男(やまもと ひさお、1946年7月21日 - )は… 山本 久男(やまもと ひさお、1946年7月21日 - )は、日本の男子陸上競技(やり投)選手。富山県出身、順天堂大学卒。1960年代から70年代にかけて、日本陸上競技選手権大会のやり投げ種目で優勝5回、アジア競技大会金メダリスト。 富山県立砺波高等学校在学中の1963年(昭和38年)、第18回国民体育大会に出場し、高校男子やり投で優勝。全国高等学校総合体育大会でも1963年・1964年とやり投げで2連覇している。 順天堂大学に進学し、在学中の1967年(昭和42年)、日本陸上競技選手権大会のやり投で優勝。1967年(昭和42年)にはユニバーシアード(東京)の日本代表に選ばれ、銅メダルを獲得した。
山田 和(やまだ かず、男性、1946年3月14日 - )は… 山田 和(やまだ かず、男性、1946年3月14日 - )は、日本のノンフィクション作家。
真田 信治(さなだ しんじ、1946年2月24日 - 202… 真田 信治(さなだ しんじ、1946年2月24日 - 2022年11月13日)は、日本の日本語学者。大阪大学名誉教授。文学博士(大阪大学、1990年)。専門は社会言語学・方言学・接触言語学。 1946年(昭和21年)、富山県上平村(現・南砺市)に生まれる。1964年(昭和39年)、富山県立砺波高等学校卒業。1968年(昭和43年)、金沢大学教育学部卒業。1970年(昭和45年)、東北大学大学院文学研究科国語学専攻修士課程修了。1972年(昭和47年)、同博士課程退学。 椙山女学園大学専任講師、国立国語研究所研究員などを経て、1993年(平成5年)、大阪大学文学部教授。1999年(平成11年)、大阪大学大学院文学研究科教授(日本語学担当)。
綿貫 民輔(わたぬき たみすけ、1927年〈昭和2年〉4月3… 綿貫 民輔(わたぬき たみすけ、1927年〈昭和2年〉4月30日 - )は、日本の実業家、政治家。日本バドミントン協会名誉会長。 衆議院議長(第70代)、建設大臣(第55代)、国土庁長官(第15代)、北海道開発庁長官(第49代)、沖縄開発庁長官(第18代)、郵政政務次官(福田赳夫内閣)、通商産業政務次官(三木内閣)、裁判官弾劾裁判所裁判長、衆議院行政改革に関する特別委員長、同議院運営委員長、同大蔵委員長、同法務委員長、衆議院議員(13期)、富山県議会議員(2期)、国民新党代表(初代)、自由民主党幹事長(第32代)、平成研究会会長(第4代)などを歴任。 富山県東砺波郡井波町(現、南砺市)生まれ。生家は代々井波八幡宮(富山県南砺市井波)の宮司を務めており、綿貫自身も15代目にあたる神職である。
松本 正雄(まつもと まさお、1917年(大正6年)6月1日… 松本 正雄(まつもと まさお、1917年(大正6年)6月1日 - 1986年(昭和61年)10月20日)は、日本の建築家・土木技術者、政治家。郷里である富山県小矢部市の市長を4期14年務めた。市長としては「メルヘン建築」の建設で知られる。 1917年(大正6年)、富山県西礪波郡東蟹谷村平桜(現在の小矢部市平桜)に生まれる。砺波中学校(現在の富山県立砺波高等学校)、第四高等学校を経て、東京帝国大学に進む。 東京帝国大学工学部土木工学科を卒業後、内務省に入省。重要河川の改修工事に携わる。建設省北陸地方建設局長在任中の1969年(昭和44年)には、集中豪雨による富山大橋の橋桁沈下に対応した。同年、建設省を退官。
若狭 得治(わかさ とくじ、1914年〈大正3年〉11月19… 若狭 得治(わかさ とくじ、1914年〈大正3年〉11月19日 - 2005年〈平成17年〉12月27日)は、日本の運輸官僚、実業家。運輸事務次官、全日本空輸社長・会長・名誉会長を歴任した。親族に若狭和朋(甥)がいる。 富山県出身。富山県立砺波中学校、旧制富山高校を経て、東京帝国大学に入学した。 1937年(昭和12年)9月、東京帝大法学部政治学科在学中に高等試験行政科に3500人中の32番目で合格した。官庁訪問に際し、若狭は同郷で内務省地方局に所属していた片岡清一に尋ねていた。片岡は若狭に対し、「内務省は、警保局(警察行政全般を指揮していた警察庁の前身)の連中が日ごとに軍人気取りで威張り出してきた。
瀬島 龍三(せじま りゅうぞう、1911年12月9日 - 2… 瀬島 龍三(せじま りゅうぞう、1911年12月9日 - 2007年9月4日)は、日本の陸軍軍人、実業家。
佐藤 久雄(さとう ひさお、1900年(明治33年)1月9日… 佐藤 久雄(さとう ひさお、1900年(明治33年)1月9日 - 1982年(昭和57年)2月14日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・杉野。 富山県東礪波郡出町(砺波町を経て現砺波市)で、杉野久松の二男として生まれる。1918年(大正7年)砺波中学校(現富山県立砺波高等学校)を卒業。1924年(大正13年)早稲田大学商学部を卒業し佐藤組(現佐藤工業)に入社した。1925年(大正14年)佐藤與左衛門の養子となる。佐藤工業営業部長を経て、1940年(昭和15年)代表取締役、1945年(昭和20年)取締役社長を歴任。 また、柳瀬村会議員、大阪財務局(現近畿財務局)管内所得審査委員、富山県東礪波郡地方事務所参与などを務めた。
中村 勝平(なかむら かつへい、1894年〈明治27年〉12… 中村 勝平(なかむら かつへい、1894年〈明治27年〉12月5日 - 1971年〈昭和46年〉6月29日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。戦後は終戦連絡事務に尽力し、通称「中村機関」を率いた。 1894年(明治27年)12月5日、富山県東砺波郡五鹿屋村五郎丸(現砺波市五郎丸)で農業を営む父、中村宗平、母、ふしいの三男として生れる。1901年(明治34年)4月五郎丸尋常小学校に入学、出町高等小学校を経て1909年(明治42年)開校したばかりの礪波中学校(現富山県立砺波高等学校)に入学した。1914年(大正3年)9月10日、海軍兵学校45期に入校。1917年(大正6年)11月24日、海軍兵学校を首席で卒業。
堀 健治 は、日本の政治家。富山県高岡市議会議員を経て、同県… 堀 健治 は、日本の政治家。富山県高岡市議会議員を経て、同県高岡市長(官選1期、公選9期)を歴任。位階は従四位。
鷹西 美佳 は、日本テレビの社員(コンプライアンス推進室番組… 鷹西 美佳 は、日本テレビの社員(コンプライアンス推進室番組審議会事務局所属)、元アナウンサー。
前田 朱由(まえだ あゆ)は、NHKの元契約キャスター。 詳… 前田 朱由(まえだ あゆ)は、NHKの元契約キャスター。 詳細は基礎情報も参照。富山県立砺波高等学校、千葉大学卒業後、地元放送局などを経て、2000年4月から2004年3月までNHK金沢放送局で、同年4月からはNHK名古屋放送局でリポーターを務めた。名古屋では小野田真由美、辻本瑠美奈とともに、「ほっとイブニング」の「東海の技」のコーナーや、様々な企画リポートを担当。また「お元気ですか日本列島」の「ぐるっとニュース」にも出演した。在籍中は一部で歌手の一青窈に似ているといわれていた。 2008年3月、名古屋局のホームページで執筆していた「前田朱由キャスターのこぼれ話」で、3月限りでの出演終了と、中学校教員への転身を発表した。