スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
村上 哲哉(むらかみ てつや、1981年9月24日 - )は… 村上 哲哉(むらかみ てつや、1981年9月24日 - )は、山口県宇部市出身のフットサル選手・フットサル指導者。中国フットサルリーグの広島F・DO監督。ポジションはフィクソ。2009年からフットサル日本代表。川崎医療福祉大学卒業。左右両足から強烈なシュートを放つことができる。 山口県宇部市出身で、宇部市立藤山小学校、宇部市立藤山中学校を卒業。福岡県の東海大学付属第五高等学校では1学年下に多田大介などがいたが、3年時の高校サッカー選手権では福岡県大会で敗れている。高校卒業後に進学した川崎医療福祉大学でもサッカー部に所属していたが、名門フットサルチームの練習に参加してフットサルに目覚めた。大学卒業後の進路としては消防士を目指していたが、公務員試験の2ヶ月前に出場したフットサル大会で足首を捻挫したことで公務員試験の実技試験を受験できず不合格。
髙野 剛(たかの つよし、1973年10月4日 - )は、福… 髙野 剛(たかの つよし、1973年10月4日 - )は、福岡県那珂川市出身 のサッカー指導者。東海大学付属第五高等学校/セントラル・ワシントン大学卒業。 東海大学付属第五高等学校2年次の高校選手権ベスト4進出の経験を持つものの、当時はレギュラーではなくサブメンバーで3年間を過ごし、公式戦出場は数試合程度にとどまった。一つ上に足立修。 高校卒業後、語学目的でアメリカに渡りワシントン州を中心にサッカー選手、指導者として活躍。1999年にはユナイテッドサッカーリーグ(USL)・シアトル・サウンダーズFC選手としてプレー、スタッフとして働く。 2005年からサンフレッチェ広島に育成組織コーチとして入団。
大江 慶治(おおえ けいじ、1931年 - )は、日本の医学… 大江 慶治(おおえ けいじ、1931年 - )は、日本の医学者。産業医科大学名誉教授。 旧制第五高等学校を経て、1955年京都大学医学部卒業。 1964年から1975年までアメリカ合衆国、カナダにてRNAの基礎研究に従事。VA RNAの塩基配列決定(サンガー法)の仕事は、現在[いつ?]、pre-mRNA splicing研究の基質に使われているadenovirus E1A transcriptとして引き継がれている。 帰国後、広島大学医学部講師から産業医科大学教授。消化管ホルモン分泌の研究と臨床、肥満と肝機能障害の健康管理に携わる。ことに胃酸を中和する十二指腸球部粘膜のアルカリ分泌の発見に貢献した。
桃井 齊(ももい ひとし、1930年1月20日 - 2002… 桃井 齊(ももい ひとし、1930年1月20日 - 2002年2月26日)は、日本の地球科学者。専門は鉱物学・鉱床学。東京都生まれ。 旧制第五高等学校を経て、1953年九州大学理学部地質学科を卒業。1956年九州大学理学部助手、1968年同助教授。1976年愛媛大学理学部教授に転任。1987年から1995年まで同大学評議員。1995年定年退官。1962年、九州大学より理学博士の学位を取得。 学部から大学院にかけて冨田達の指導を受け、花崗岩および黒色頁岩中のラジウム含有量に関する研究を行った。1956年から吉村豊文のもとで、マンガン珪酸塩鉱物(イネス石、ダンネモル石、パイロクスマンガン石、バナジウム柘榴石、ばら輝石など)の鉱物化学的研究に従事した。
徳永 恂(とくなが まこと、1929年2月14日 - )は、… 徳永 恂(とくなが まこと、1929年2月14日 - )は、日本の哲学者。大阪大学名誉教授、大阪国際大学名誉教授。専門はドイツ現代思想・社会思想史・ユダヤ思想。フランクフルト学派研究の第一人者。 1929年、埼玉県浦和市で生まれた。父の転勤に伴い、鎌倉、横浜、長崎と移り住んだ。長崎中学に入学し、1945年に卒業。第五高等学校に進み、1948年に卒業。その後は東京大学文学部に進学し、1951年に卒業。1962年から1964年、フンボルト研究員としてドイツへ留学。テオドール・アドルノに師事した。1976年からはイスラエルへ留学。 帰国後、北海道大学文学部助教授に就いた。大阪大学文学部助教授に転じ、同大学人間科学部教授に昇格。
篠田 信義(しのだ のぶよし、1928年11月18日 - 2… 篠田 信義(しのだ のぶよし、1928年11月18日 - 2010年4月27日)は、日本の大蔵官僚。大阪国税局長、印刷局長、日本酒類販売副社長、同社社長、同社会長などを務めた。 大分県高田町(現:豊後高田市)で6人兄弟の5番目で4男として生まれる。宇佐中学校、第五高等学校を経て、東京大学法学部政治学科卒業。1951年 大蔵省入省(銀行局検査部管理課)。1952年5月 銀行局銀行課。1957年12月 相馬税務署長。 外務省在ベルギー大使館一等書記官、同大使館参事官などを経て、1972年7月3日 理財局国有財産第一課長。1973年7月3日 国税庁長官官房人事課長。1975年7月17日 福岡国税局長。
田邉 定明(たなべ さだあき、1928年7月27日 - 20… 田邉 定明(たなべ さだあき、1928年7月27日 - 2018年9月)は、日本の元陸上競技選手。熊本県玉名市出身。中央大学卒業。 陸上競技部の無い中学校の出身だったが、全学年が参加する2000m競走の体力測定が毎年あり、一番速かった。1946年に第五高等学校で戦後初の県大会が行われ、予選は一着で通過し、決勝では1位の選手と同タイムながら2位だった。 1947年に中央大学予科に入学。トラックでの成績は振るわなかったが箱根駅伝の6区を試走した際に、前回大会(第23回箱根駅伝)で6区を走った野谷守也を大幅に上回るタイムで走り、第24回箱根駅伝の6区に出場。氷点下8度の中、1時間20分38秒の記録で区間賞を獲得し、22年ぶりの総合優勝に貢献した。
有田 忠郎(ありた ただお、1928年(昭和3年)6月19日… 有田 忠郎(ありた ただお、1928年(昭和3年)6月19日 - 2012年3月11日)は、日本の詩人、翻訳家、仏文学者。専門はフランス詩。西南学院大学名誉教授。文芸誌『同時代』同人。 長崎県佐世保市出身。海軍主計将校だった父の転勤に従って鎌倉、台湾、再び佐世保と転々とした。長崎県立佐世保中学校、第五高等学校を経て、1953年九州大学文学部仏文科卒業。1958年九州大学大学院第二期修了、九州大学文学部助手。1963年北九州大学講師、1964年同助教授、1968年同教授。1975年西南学院大学教授。1999年同大学を退職。 シャルル・ボードレールらの詩が専門だが、ヴィクトル・セガレンの全訳やサン=ジョン・ペルスの翻訳でも知られる。
野﨑 元治(のざき げんじ、1928年 <昭和3年> 3月2… 野﨑 元治(のざき げんじ、1928年 <昭和3年> 3月21日 - 2023年 <令和5年> 5月20日)は、日本の経営者、銀行家。十八銀行頭取を務めた。位階は従四位。 東京都出身。1948年に第五高等学校を経て、1951年に東京大学法学部法律学科を卒業し、同年に大蔵省に入省した。1978年2月に大臣官房審議官、同年8月にアジア開発銀行理事、1982年9月に東洋信託銀行常勤顧問、1986年9月に西宮酒造副社長を歴任し、1989年6月に十八銀行副頭取に就任し、1990年2月には頭取に昇格。2000年6月には会長に就任。 2023年5月20日、老衰のために死去。95歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
徳永 徹(とくなが とおる、1927年9月15日 -2018… 徳永 徹(とくなが とおる、1927年9月15日 -2018年9月3日)は、日本の医学者、福岡女学院名誉院長。 1927年、東京で生まれた。父の転勤に伴い、浦和、鎌倉、横浜、長崎と移り、県立長崎中学に入学。卒業後は第五高等学校に進んだ。1年次に太平洋戦争が終結し、原爆で廃墟となった長崎へ戻った。 九州大学医学部で学び、1952年に卒業。同大学大学院に進学し、1959年に博士課程を修了し、学位論文『ニトロフラン、ピロン、オメガ環状脂肪酸及びベンゾチアゾールなどの誘導体の抗菌作用に関する研究』を提出して医学博士号を取得。 国立予防衛生研究所(現感染症研究所)に勤務し、研究と診療にあたった。結核部長、細胞免疫部長、エイズセンター長、同研究所長を務め、定年退官。
飯尾 憲士(いいお けんし、1926年8月21日 - 200… 飯尾 憲士(いいお けんし、1926年8月21日 - 2004年7月26日)は、日本の小説家。大分県竹田市生まれ。 父は1916年に日本統治下の朝鮮・京城から渡日した朝鮮人、母は日本人で、戸籍上は母の私生児であった。旧制竹田中学を卒業後、1944年陸軍航空士官学校に入学するも、終戦のため中途退学。1949年第五高等学校文科卒。新制高校の教師や、業界誌編集などの後、文筆業などに従事した。 1964年「炎」(『詩と眞實』)で芥川賞候補、『文學界』に転載される。1975年初の著書を刊行、1978年父の秘密を描いた「海の向うの血」ですばる文学賞佳作。1980年「ソウルの位牌」で、1981年「隻眼の人」で芥川賞候補、1982年、終戦直後に自決した航空士官学校時代の自身の区隊長であった上原重太郎大尉の真相を追う『自決』が直木賞候補となり注目される。
賀来 龍三郎(かく りゅうざぶろう、1926年〈大正15年〉… 賀来 龍三郎(かく りゅうざぶろう、1926年〈大正15年〉5月19日 - 2001年〈平成13年〉6月23日)は、日本の経営者・実業家。キヤノン元社長・会長・名誉会長。キヤノンカメラを大手情報機器メーカーに成長させるなど「キヤノン中興の祖」と呼ばれている。長年に渡り、経済同友会副代表幹事を務めた。 愛知県岡崎市田町生まれ。生後半年で岡崎市を離れ、父の郷里である大分県中津市で育った。20歳で、太平洋戦争の敗戦を迎えた後、代用教員や行商など苦学を重ねながら青山中学校、第五高等学校を経て千葉工業大学工学部に入学するも中退。その後、故郷の九州大学経済学部へ入学し、1954年(昭和29年)に卒業する。 九州大学卒業後、現在のキヤノン(旧キヤノンカメラ)に入社。
工藤 晃(くどう あきら、1926年2月10日 - 2024… 工藤 晃(くどう あきら、1926年2月10日 - 2024年9月20日)は、日本の政治家、経済研究家。元衆議院議員(日本共産党公認、通算4期)。日本共産党中央委員会名誉役員。 東京都出身。旧制第五高等学校(現在の熊本大学)、東京大学理学部地質学科を卒業。1976年の衆院選に東京7区から出馬し初当選。以後1990年に落選するまで衆議院議員を4期務めた。地盤は佐々木憲昭に譲る。議員時代は党経済政策委員会責任者や社会経済研究所副所長などを歴任する。議員引退後は、日本共産党中央委員会付属社会科学研究所で主に経済研究に従事する。 1999年、前年10月に新日本出版社より刊行した『現代帝国主義研究』が、「アメリカの軍事支配、多国籍企業の支配を最新の資料にもとづき解明」したことにより、第24回野呂栄太郎賞を受賞。
門脇 禎二(かどわき ていじ、1925年9月28日 - 20… 門脇 禎二(かどわき ていじ、1925年9月28日 - 2007年6月12日)は、日本の歴史学者。専門は日本古代史。大化の改新否定論や地域国家論で知られる。京都府立大学名誉教授、京都橘女子大学名誉教授。 1925年、高知県生まれ。第五高等学校在学中に応召。除隊後に京都大学文学部史学科に進み、1949年に卒業。同大学大学院に進んだ。 1954年、京都大学文学部助手に採用された。1957年、奈良女子大学文学部講師となった。1960年に同助教授、1966年に同教授昇格。1969年、学位論文『「大化改新」論:その前史の研究』を京都大学に提出して 文学博士号を取得。1975年10月、京都府立大学文学部史学科教授に転じた。
虎尾 俊哉(とらお としや、1925年1月13日 - 201… 虎尾 俊哉(とらお としや、1925年1月13日 - 2011年1月5日)は、日本の歴史学者、国立歴史民俗博物館・弘前大学名誉教授。日本古代史専攻。 長崎市出身。愛媛県松山市生まれ。1943年第五高等学校卒業、東京帝国大学文学部国史学科入学、兵役のため休学ののち1947年卒業。1952年同大学大学院(旧制)満期退学。1953年弘前大学理学部講師、1955年助教授、1962年「班田収授法の研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。1965年改組により弘前大学人文学部助教授、1967年教育学部教授、1969年文部省在外研修員としてロンドン大学に滞在、1974年プリンストン大学客員教授、1982年弘前大学教育学部長、1983年国立歴史民俗博物館教授、1990年定年退官、名誉教授。
瓜生 正美(うりゅう まさみ、1924年11月30日 - 2… 瓜生 正美(うりゅう まさみ、1924年11月30日 - 2021年6月27日)は、日本の劇作家・演出家。青年劇場顧問。 福岡県若松市(現・北九州市若松区)出身。旧制第五高等学校卒業、九州大学中退。 この項目は、舞台芸術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:舞台芸術)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
浜田 義文(濱田 義文、はまだ よしふみ、1922年(大正1… 浜田 義文(濱田 義文、はまだ よしふみ、1922年(大正11年)10月14日 - 2004年(平成16年)9月10日)は、日本の哲学研究者。法政大学名誉教授。日本を代表するカント学者。 東京府豊多摩郡(現東京都杉並区)出身。第五高等学校卒業、1947年東京帝国大学法学部政治学科卒業、1950年東京大学文学部哲学科卒業。1968年熊本大学法文学部教授。1969年熊本大学法文学部学部長。1973年法政大学文学部教授となり、同大学で図書館長、大学院議長、評議員などを歴任し、1992年に名誉教授となる。1983年「カント倫理学の成立 イギリス道徳哲学及びルソー思想との関係」で同大学文学博士。 日本倫理学会常任評議員、日本カント協会会長、日本哲学会編集委員、法政哲学会会長などを歴任した。
西牟田 久雄(にしむた ひさお、1922年5月16日 - 2… 西牟田 久雄(にしむた ひさお、1922年5月16日 - 2010年)は、日本の倫理学、哲学者。 長崎県生まれ。1949年第五高等学校卒業。東京教育大学卒業、1955年同大学院哲学研究科修士課程修了。1966年本州大学経済学部助教授(倫理学)。1974年校名変更で長野大学産業社会学部教授。1976年東京電機大学理工学部教授。1992年定年退職。ロシア語文献の翻訳を多く行った。
源 了圓(みなもと りょうえん、源了円、1920年7月27日… 源 了圓(みなもと りょうえん、源了円、1920年7月27日 - 2020年9月10日)は、日本の日本思想史学者。東北大学名誉教授、北京外国語大学名誉教授。日本学士院会員。 1920年、熊本県宇土市にて、浄土真宗住職の三男として生まれた。第五高等学校を経て、京都大学文学部哲学科に進んだ。1948年に同大学を卒業し、同大学大学院に進学。京都学派の田辺元や西谷啓治に学び、梅原猛と親交を結んだ。 日本女子大学文学部教授を経て、東北大学文学部教授に就任。1981年、学位論文『近世初期実学思想の研究』を東北大学に提出して文学博士号を取得。1984年、東北大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は国際基督教大学教授として教鞭をとった。
山口 四郎(やまぐち しろう、1919年6月22日 - 20… 山口 四郎(やまぐち しろう、1919年6月22日 - 2008年12月30日)は、ドイツ文学者、翻訳家。中央大学名誉教授。1976年に第49回オール読物新人賞を受賞した山口四郎は別人。 東京生まれ。東京帝国大学独文科卒。第五高等学校教授、第四高等学校教授、戦後東京学芸大学助教授、中央大学文学部助教授、教授。1990年定年退任、名誉教授。ゲーテ、ヘッセなどの詩の韻律研究を専門としたが、ドイツ児童文学の多くの翻訳をおこなった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
神田 慶也(かんだ よしや、1918年6月18日 - 201… 神田 慶也(かんだ よしや、1918年6月18日 - 2011年3月3日)は、日本の化学者。専門は分子分光学。九州大学総長や九州産業大学学長を務めた。 第五高等学校理科甲類を経て(1939年(昭和14年)卒業)、九州帝国大学理学部を卒業する。 1942年(昭和17年)より、母校の九州帝国大学理学部助手となり、助教授を経て教授に昇進、理学部長などを歴任後、1978年11月から3年間九州大学総長を務めた。その後、九州産業大学で学長を務めていた。 1994年、勲二等旭日重光章を受章。2011年3月3日、肺炎のため死去。 門下生に島田良一がいる。
大橋 正雄(おおはし まさお、1918年1月8日 - 197… 大橋 正雄(おおはし まさお、1918年1月8日 - 1975年10月4日)は、日本の政治家。2人目の和歌山県公選知事(1967年4月23日 - 1975年10月4日)として3期を務めた。長男は前和歌山市長の故 大橋建一。 和歌山市出身。父の仕事の関係で京畿道京城府(現・ソウル特別市)に生まれた。第五高等学校を卒業。1941年10月、高等試験行政科試験に合格。同年12月、東京帝国大学法学部卒業後、内務省に入省し千葉県属となる。千葉県警察部勤務を経て、短期現役海軍主計科士官(8期)を志願。1942年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月に卒業。1943年11月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎え解員(復員)した。
森 重敏(もり しげとし、1917年8月18日 - 2012… 森 重敏(もり しげとし、1917年8月18日 - 2012年3月14日)は、日本の教育心理学者、東京都立大学名誉教授。 大分県出身。1938年第五高等学校中退、小学校の代用教員、日中戦争(日華事変)で召集、ノモンハンへ行き、帰国後高校再入学、卒業。1942年東京帝国大学入学、1945年心理学科卒業、大学院進学、1954年鹿児島の八幡幼稚園園長、島根大学助教授、東京家政大学助教授、東京都立大学教授、1972年「わが国における優秀児の心理学的研究」で立教大学文学博士。1981年定年退官、名誉教授、創価大学教育学部教授。特任教授、1993年満期退任。同年、勲三等瑞宝章を受章。2012年3月14日、肺炎のため死去。
森 三十郎(もり さんじゅうろう、1916年3月19日 - … 森 三十郎(もり さんじゅうろう、1916年3月19日 - 2012年7月2日)は、日本の法学者、福岡大学名誉教授。元法学部長、理事。 福岡県鞍手郡鞍手町出身。第五高等学校を経て、九州帝国大学法学部卒。(宇賀田順三門下、在学中に高等文官試験に合格)。 九大助手、拓務省、大東亜省、外務省勤務、応召して陸軍主計中尉で敗戦を迎え、1948年戸畑専門学校教授(憲法、行政法)に就任。1950年新制八幡大学助教授、教授を歴任後1954年に退任。後鹿児島県立大学、久留米大学助教授。1956年福岡大学教授に就任。1987年、定年退任、名誉教授。 総合国家学研究所のち森国家学研究所を主宰し、天皇制擁護の論陣を張った。
北森 嘉蔵(きたもり かぞう、1916年(大正5年)2月1日… 北森 嘉蔵(きたもり かぞう、1916年(大正5年)2月1日 - 1998年(平成10年)9月29日)は、日本の牧師、神学者。東京神学大学の教授。神の痛みの神学の提唱者。 熊本県熊本市に生まれる。旧制第五高等学校在学中にルーテル教会で盲目の牧師・石松量蔵により洗礼を受ける。卒業後、当時ルター研究の第一人者であった佐藤繁彦の元で学ぶために1935年(昭和10年)に日本ルーテル神学専門学校に進学したが佐藤は同年4月に死去している。 1938年(昭和13年)3月、同校を卒業後の4月に、前年8月12日支那事変に応召出征した先輩・乾一郎牧師の後任としてルーテル芦屋教会(伝道所)の牧師となる。乾一郎は板垣退助の孫で、一郎の姉の夫・川瀬徳太郎牧師は、ルーテル神学専門学校の第1期卒業生に当たる。
東 明雅(ひがし あきまさ、1915年3月7日 - 2003… 東 明雅(ひがし あきまさ、1915年3月7日 - 2003年10月20日)は、日本の国文学者、俳人。専門は近世日本文学、特に井原西鶴。俳人としては「めいが」と読む。 熊本市生まれ。旧制第五高等学校を経て、1939年東京帝国大学文学部国文科卒業。同年、文部省宗教局勤務。1942年東京府立第一中学校(現・日比谷高校)教諭。1945年松本高等学校教授、1949年信州大学文理学部助教授、1959年同教授。1980年定年退官、名誉教授。1987年勲三等旭日中綬章を受章。 1961年から根津芦丈に師事し、信州大学連句会を結成した。その後、1982年に猫蓑会発足し、主宰となった。
岡 正芳(おか まさよし、1914年10月23日 - 没年不… 岡 正芳(おか まさよし、1914年10月23日 - 没年不明)は、日本の政治運動家。元日本共産党中央委員会幹部会副委員長。 佐賀県小城郡三日月村(現小城市)出身。旧制第五高等学校を経て東京帝国大学哲学科に進んだ。東大在学中から無産運動に入った。日本共産党に入党。中央委員、書記局員、政策委員会責任者、常任幹部会員、幹部会副委員長等を歴任し、のち名誉幹部会委員を務めた。 党内では理論・政策分野の専門家としての評価が高く、新聞記者たちからは“綱領の番人”と評された、という。 1967年3月に論文「『地域開発』反対政策の位置づけについて」を発表。これが同党の政策活動や大衆運動対応の画期となったとの見方がある。
外山 礼三(とやま れいぞう、1913年3月20日 - 19… 外山 礼三(とやま れいぞう、1913年3月20日 - 1947年)は、日本の植物学者である。コケ類を専門とした。 熊本市に生まれた。第五高等学校から京都帝国大学理学部植物学科に進み、大学入学後から植物学を学び、在学中の1935年に「東亜蘚類考察」という論文を発表し、キブネゴケなどを記載するが、ほとんどの新種はシノニムとなった。キブネゴケは新種・新属のKibunemuscus nipponicus として記載するが新属とは認められず、Rhachithecium nipponicum のシノニムとなった。京都大学にあったフランスの蘚苔類学者、カルド(Jules Cardot)によって同定された、ユルバン・ジャン・フォーリーが収集した標本を調べ、日本各地や朝鮮に採集旅行を行った。
水谷 啓二(みずたに けいじ、1912年2月22日 - 19… 水谷 啓二(みずたに けいじ、1912年2月22日 - 1970年3月19日)は熊本県八代市出身の人物。共同通信社勤務を経て、森田正馬の創始した精神療法「森田療法」の普及に尽力した。 (以下、生涯、略歴等の記述はおもに水谷啓二追想録編集委員会 (2010)による) 水谷啓二は明治45年(1912年)、熊本県八代に生まれる。両親は教師、四人兄弟の長男だった。旧制第五高等学校に在学時代、神経症に悩み五高を一年留年している。 五高時代に上京した際、本屋で森田正馬の著書『神経衰弱と強迫観念の根治法』に出会い、感銘を受けて本郷の森田正馬を訪ねるも、森田からまずは五高を卒業するよう言われた。 一年後(1932年)に父親の反対を押し切って上京。
鍋島 綱利(なべしま つなとし、1910年4月14日 - 1… 鍋島 綱利(なべしま つなとし、1910年4月14日 - 1969年9月26日)は、日本の実業家。住友電気工業元社長。佐賀県鹿島市出身。 朝鮮総督府通信技手・鍋島鋼三の長男。1927年(昭和2年)に第五高等学校に入学、弓道部で主将を務めた。 1933年に東京帝国大学法学部を卒業し、住友電気工業に入社した。翌年には、高校の後輩でのち住友ゴム工業社長となる下川常雄も入社し、下宿先を貸し出した。1939年4月1日、第2期経理部甲種幹部候補生として陸軍経理学校に入学し、同年9月23日卒業。歩兵第56連隊(55連隊とも)附主計少尉として太平洋戦争を迎える。淡路山丸よりコタバル上陸作戦に参加。翌年2月のジョホール水道上陸作戦では自ら戦線を志願し、背中に銃創を負う。
下川 常雄(しもかわ つねお、(1910年(明治43年)1月… 下川 常雄(しもかわ つねお、(1910年(明治43年)1月5日 - 2003年(平成15年)7月22日)は、日本の実業家。住友ゴム工業二代目社長・会長、兵庫県教育委員長。 福岡県嘉穂郡二瀬村(現:飯塚市)片島出身。地主・村長の下川久次郎の三男。1928年(昭和3年)に第五高等学校に入学、柔道部に属した。東京帝国大学商業学科を経て、1934年(昭和9年)、住友電気工業に入社。高校の1年先輩の鍋島綱利宅に下宿、その後も家族ぐるみでの交流を続けた。 日中戦争勃発後は内地の歩兵第24連隊留守隊に応召し、1937年(昭和12年)12月、歩兵少尉に任官。翌1938年夏、補充要員として上海に上陸し、歩兵第124連隊の連隊旗手となり、杭州、ついで南支方面に転じ、バイアス湾上陸作戦に参加した。
戒能 通孝(かいのう みちたか、1908年(明治41年)5月… 戒能 通孝(かいのう みちたか、1908年(明治41年)5月30日 - 1975年(昭和50年)3月22日)は、日本の法学者。専門は民法。早稲田大学教授、旧東京都立大学教授などを歴任。弁護士。 1908年、長野県飯田市生まれ。本籍は愛媛県。父は旧制飯田中学教師として飯田に赴任した。1927年、第五高等学校卒、1930年、東京帝国大学卒。法学博士。 師は穂積重遠、末弘厳太郎。在学中セツルメント法律相談部に参加。 満鉄調査部の宮崎正義が率いる日満財政研究会に、当時、東京帝国大学経済学部助手だった古賀英正(後の作家南條範夫)らとともに参加。軍による東亜支配を経済的に支える統制経済計画の策定に深く関与する。
高橋 良麿(たかはし よしまろ、1907年(明治40年)11… 高橋 良麿(たかはし よしまろ、1907年(明治40年)11月3日 - 1991年(平成3年)2月20日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。最後の官選和歌山県知事。 大分県出身。高橋兼太郎の二男として生まれる。第五高等学校を卒業。1928年10月、高等試験行政科試験に合格。1929年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し、熊本県属となる。 1941年、岩手県書記官・経済部長に就任。1942年3月から1943年12月まで南西方面海軍民政府セレベス民政部経済部長を務めた。以後、岡山県部長・警察部長、東京都経済局食糧課長、警視庁刑事部長、京都府警察部長を歴任。 1947年2月、和歌山県知事に就任。
厨川 文夫(くりやがわ ふみお、1907年7月30日 - 1… 厨川 文夫(くりやがわ ふみお、1907年7月30日 - 1978年1月16日)は、日本の英語・英文学者。文学博士(論文博士・1950年)(学位論文『古英詩研究』)。慶應義塾大学名誉教授。従四位勲三等旭日中綬章。 英文学者・厨川白村(辰夫)の長男で、父が第五高等学校教師で赴任していた熊本県で生まれた。母・蝶子は、ジャーナリスト・福地源一郎の次女(源一郎によると姪の娘)である。1923年(大正12年)9月の関東大震災で父を亡くした。その後は京都府立第三中学校から東京に移住し芝中学校を経て、慶應義塾大学に進学し、詩人・西脇順三郎の薫陶を受け、1931年(昭和6年)に卒業、同大学の助手となった。在学中には、叙事詩『ベーオウルフ』を翻訳し、1932年(昭和7年)に大学紀要に掲載されて岡倉賞を受賞した。
竹本 孫一(たけもと まごいち、1906年12月21日 - … 竹本 孫一(たけもと まごいち、1906年12月21日 - 2002年5月30日)は、日本の政治家。元民社党衆議院議員。 山口県に生まれる。第五高等学校を経て1931年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。国際労働機関嘱託として浅利順四郎の下で働いた後、1935年に内閣調査局に入局。奥村喜和男らと経済統制政策の立案に関わり、4年後に企画院調査官となる。企画院調査官として「新政治体制確立要綱(試案)」等を作成し近衛文麿らの新体制運動の政策策定に関与した。その後大政翼賛会制度部副部長・情報局出版課長を経て、1943年12月に満州国国務院総務庁参事官に就任。 戦後、逓信省嘱託から片山内閣での首相秘書官になるが、1947年に公職追放。
木塚 静雄(きづか しずお、1906年8月31日 - 196… 木塚 静雄(きづか しずお、1906年8月31日 - 1966年)は、日本の家畜衛生学者。獣医師。 佐賀県藤津郡嬉野町(現・嬉野市)に生まれ、木塚貞吾の養子となる。1925年福岡県立中学修猷館、1930年3月第五高等学校理科甲類を経て、1933年3月東京帝国大学農学部獣医学科を卒業。 1933年5月農林水産省畜産局に入省。1937年7月宮城県種畜場(現・宮城県畜産試験場)長となる。1938年9月、鈴木梅太郎が院長を務めていた満洲国大陸科学院副研究官に転じ、1939年7月大陸科学院の機関である奉天獣疫研究所を兼任する。1945年3月高級ゼラチン研究により満洲国文化褒賞を受賞。1945年6月大陸科学院研究官となる。
石川 覚七郎衛門(いしかわ かくひちろうえもん、1906年(… 石川 覚七郎衛門(いしかわ かくひちろうえもん、1906年(明治39年)8月21日 - 1981年(昭和56年)4月30日)は、日本の教育学者。勲等は勲三等瑞宝章。熊本大学教授。 熊本県立八代高等女学校、熊本県立青年学校教員養成所教諭、熊本青年師範学校教授、熊本大学教育学部教授、熊本音楽短期大学教授、九州女学院短期大学教授などを歴任した。 熊本市下職人町に亀井豊作の四男として生まれる。1931年(昭和6年)第五高等学校文化乙類を卒業後、東京帝国大学文学部宗教史宗教学科入学。1932年(昭和7年)石川サイと結婚し石川姓となる。1933年(昭和8年)教育学科に転科。1936年(昭和11年)同大学教育学科卒。
太田 三郎(おおた さぶろう、1905年4月5日 - 197… 太田 三郎(おおた さぶろう、1905年4月5日 - 1978年7月19日)は、日本の外交官、政治家。初代公選横須賀市長を経て、駐ビルマ特命全権大使、駐ポーランド特命全権大使、駐オーストラリア特命全権大使を歴任した。 茨城県出身。1925年第五高等学校文科甲類卒業。1928年東京帝国大学法学部卒業、外務省入省。1930年任外交官補、英国在勤。1931年在シドニー領事館補。1937年在ソビエト連邦大使館三等書記官。1940年外務省欧亜局第三課長。1943年外務省調査局第三課長。 1945年8月ポツダム宣言による終戦受諾により終戦連絡中央事務局第三部長、9月2日、ミズーリの艦上での降伏文書調印式では日本側全権団随員で参列した。
福山 敏男(ふくやま としお、1905年4月1日 - 199… 福山 敏男(ふくやま としお、1905年4月1日 - 1995年5月20日)は、日本の建築史家。京都大学名誉教授。 1905年、福岡県山門郡城内村(現柳川市)で生まれた。第五高等学校を経て、京都帝国大学工学部建築学科に進学。1927年に卒業。 修了後は、内務省造神宮使庁嘱託に採用された。1939年、京都帝国大学から工学博士の学位を取得。1942年、文部技師に昇格として宗教局に勤務。のち教化局総務課勤務を経て、1943年11月1日付けで教学局文化課勤務。 1947年より東京国立博物館附属美術研究所(東京国立文化財研究所)に勤務。1951年より同所資料部長、1954年より同所美術部長。1959年、京都大学教授に転じた。
小関 紹夫(おぜき つぐお、1905年 - 1987年5月4… 小関 紹夫(おぜき つぐお、1905年 - 1987年5月4日)は、日本の官僚・法学者・弁護士。 佐賀県生まれ。第五高等学校卒、1929年東京帝国大学法学部卒。高等文官試験行政科合格。彦根高等商業学校(現滋賀大学)教授、文部省、厚生省、興亜院に勤務、衆議院内閣委員会専門員、国立国会図書館調査員、1959年「イギリスにおける近代行政の展開」で関西学院大学法学博士。弁護士、専修大学法学部教授、理事、法学部長。1976年定年、名誉教授。
坂田 勝郎(さかた かつろう、1904年(明治37年)10月… 坂田 勝郎(さかた かつろう、1904年(明治37年)10月1日 - 1990年(平成2年)1月16日)は、毎日新聞社元常務取締役(大阪本社代表)、毎日放送(MBS)元社長・会長、テレビ東京(TX)元取締役、宮崎放送(MRT)元取締役。 宮崎県延岡市出身。旧制第五高等学校(現・熊本大学)を経て、京都帝国大学卒業後、1932年(昭和7年)に大阪毎日新聞社へ入社。1943年(昭和18年)に大阪毎日新聞と東京日日新聞は新聞統制で東西で異なっていた題号を「毎日新聞」に統一し、両紙の発行元であった大阪毎日新聞社は社名を「毎日新聞社」に改めてから、バンコク特派員、広島支局長、郷里である宮崎支局長、宮崎放送取締役を務め、毎日新聞社常務取締役(大阪本社代表)に就任した。
松田 武夫(まつだ たけお、1904年4月6日 - 1973… 松田 武夫(まつだ たけお、1904年4月6日 - 1973年10月11日)は、日本の国文学者・作家。 山口県岩国市出身。旧制第五高校(現・熊本大学)卒、1930年東京帝国大学文学部国文科卒。 1956年「金葉集の研究」で東京大学文学博士。1933年陸軍士官学校教授、1940年文部省図書監修官、1952年宇都宮大学教授。 1968年定年退官、専修大学教授。二松学舎大学教授。 勅撰和歌集を中心に平安時代の文学を研究した。創作もおこなった。
森末 義彰(もりすえ よしあき、1904年4月3日 - 19… 森末 義彰(もりすえ よしあき、1904年4月3日 - 1977年12月17日)は、日本史学者、東京大学名誉教授。 1904年、香川県生まれ。1922年に第五高等学校に入学し、1925年に卒業。東京帝国大学文学部国史学科に進学し、1928年に卒業論文「江戸初期に於ける演劇と社會との関係」をまとめて卒業した、史料編纂所業務嘱託、1932年史料編纂官補、1936年史料編纂官。 戦後、1954年に東京大学史料編纂所教授となり、1962年より所長を務めた。1965年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は白百合女子大学教授として教鞭をとった。 「国書総目録」編集委員のひとり。
三浦 義男(みうら よしお、1904年(明治37年)3月9日… 三浦 義男(みうら よしお、1904年(明治37年)3月9日 - 1999年(平成11年)1月31日)は、日本の官僚。官選山形県知事、衆議院法制局長。旧姓・妹川。位階は正三位。 福岡県福岡市出身。妹川将雄の四男として生まれ三浦良幹の婿養子となる。第五高等学校を経て、1929年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。前年10月、高等試験行政科試験に合格。 1929年、内務省に入り愛知県属となる。以後、茨城県学務課長などを務め、宮内省に転じた。帝室林野局庶務課長、宮内省参事官、内匠寮監理、内蔵寮用度、大膳寮庶務、主馬寮庶務、宮内省大臣官房連絡事務室長などを歴任。 福島県内務部長を経て、1946年10月、山形県知事に就任し1947年3月まで在任。
館林 三喜男(舘林 三喜男、たてばやし みきお、1904年1… 館林 三喜男(舘林 三喜男、たてばやし みきお、1904年1月25日 - 1976年10月22日)は、日本の内務官僚、政治家、実業家。 佐賀県副知事、衆議院議員(4期)、三愛石油株式会社社長(第2代)、株式会社リコー社長(第2代)などを歴任した。 内務省に入省し要職を歴任するも、太平洋戦争後は公職追放となる。第25回衆議院議員総選挙で当選を果たし、以降2回の落選を挟みながら4期務めた。第31回衆議院議員総選挙にて3度目の落選となる。以降はリコー三愛グループの事業に携わり、三愛石油の副社長を経て社長に就任し、のちにリコーの社長も務めた。 佐賀県西松浦郡有田町出身。第五高等学校を経て、1928年東京帝国大学法学部政治学科卒。
江藤 夏雄(えとう なつお、1903年(明治36年)7月9日… 江藤 夏雄(えとう なつお、1903年(明治36年)7月9日 - 1968年(昭和43年)1月28日)は、日本の政治家、衆議院議員(3期)。初代司法卿であった江藤新平の孫。 東京生まれ。父は江藤新平の二男で衆議院議員の江藤新作。冬に生まれた兄が冬雄と名付けられたのと同じく、夏に生まれたので夏雄と名付けられた。第五高等学校、1928年京都帝国大学経済学部卒業後、南満洲鉄道職員、満洲国官吏、興亜院秘書官などを経て1946年3月、第22回衆議院議員総選挙に日本自由党所属として佐賀選挙区に出馬し初当選を果たす。その後、GHQによる公職追放の余波もあり2期にわたり出馬しなかったが、1952年10月、第25回衆議院議員総選挙に自由党から再出馬する。
阿賀 正美(あが まさみ、1903年(明治36年)3月16日… 阿賀 正美(あが まさみ、1903年(明治36年)3月16日 - 1986年(昭和61年)4月9日)は、日本の内務・厚生官僚。最後の官選福島県知事。 佐賀県出身。阿賀末治郎の二男として生まれる。第五高等学校を卒業。1926年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年12月、高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し、東京府属となる。 以後、厚生省社会保険局監理課長、同体力局企画課長、同人口局管理課長、同局修練課長、山形県内務部長、愛知県部長・警察部長、岩手県内務部長などを歴任。 1947年3月、前任の石原幹市郎が知事選に出馬のため辞任したことに伴い福島県知事に就任。県議会議員選挙、知事選挙などを執行して同年4月に知事を退任。
大串 兎代夫(おおぐし とよお、1903年(明治36年)1月… 大串 兎代夫(おおぐし とよお、1903年(明治36年)1月19日 - 1967年(昭和42年)1月3日)は、日本の法学者、国家学者。東洋大学教授、國學院大學教授、名城大学教授、名城大学法商学部長、名城大学総長。従四位勲三等瑞宝章。 国民精神文化研究所では哲学者の小島威彦、教育学者の伏見猛弥と共に三羽烏と呼ばれる。 1903年、判事大村大代の三男として、大阪市に生まれる。1907年、長崎県西彼杵郡面高村の大串一郎の養子となる。1923年、第五高等学校卒業。1926年、東京帝国大学法学部英法科を卒業、同大学大学院に進学して上杉慎吉に師事する。1927年、高等試験司法科合格。1928年、大学院を修了すると、ドイツに留学。
馬場 元治(ばば もとはる、明治35年(1902年)12月2… 馬場 元治(ばば もとはる、明治35年(1902年)12月21日 - 昭和43年(1968年)6月23日)は、昭和時代の政治家、弁護士。自由民主党の衆議院議員で建設大臣を務めた。正三位勲一等瑞宝章。長崎県南高来郡南串山村出身(現雲仙市)。旧制長崎中学、第五高等学校、東京帝国大学法学部卒。三男は英国在住の俳優、トーゴ イガワ。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
龍野 喜一郎(りゅうの きいちろう、1902年(明治35年)… 龍野 喜一郎(りゅうの きいちろう、1902年(明治35年)9月27日 - 1981年(昭和56年)5月29日)は、昭和期の日本の政治家、内務官僚、実業家。衆議院議員、官選鹿児島県知事、初代大川市長。 福岡県出身。第五高等学校を首席で卒業。1924年(大正13年)11月、高等試験行政科試験に合格。1925年(大正14年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。 内務省に入省し北海道庁属となる。 以後、栃木県学務課長、鹿児島県農務課長、千葉県学務課長、鳥取県書記官・警察部長、宮城県書記官・警察部長、内閣情報部第二課長、京都府学務部長、警視庁刑事部長、兵庫県警察部長、近畿地方総監府第一部長などを歴任。