北島 孝久(きたじま たかひさ、1956年10月30日 - … 北島 孝久(きたじま たかひさ、1956年10月30日 - 2015年7月29日)は、日本の元検事、弁護士。日本大学法科大学院教員。 大阪府出身で、京都大学法学部卒業後、1984年検事任官。同期に大坪弘道ら。東京地検特捜部での経験が長く、金丸事件・ゼネコン汚職事件・カネボウ粉飾決済事件などの大型事件の捜査を手がけた。公正取引委員会に出向したこともある。退官時の役職は東京地検特捜部副部長。2015年7月29日、癌のため死去。
佐々木 知子(ささき ともこ、1955年〈昭和30年〉3月2… 佐々木 知子(ささき ともこ、1955年〈昭和30年〉3月2日-)は、日本の政治家、元検事、弁護士、作家、大学教授。勲等は旭日中綬章。 参議院議員(1期)を歴任。 神戸大学附属明石中学校、兵庫県立明石高等学校をへて神戸大学法学部卒業。 1992年、長編推理小説『恋文』で第12回横溝正史賞を受賞してデビューした。松木麗(まつき れい)名義。『恋文』は、1992年12月7日、TBSで池上季実子主演でテレビドラマ化された。
服部 三男雄(はっとり みなお、1944年11月10日 - … 服部 三男雄(はっとり みなお、1944年11月10日 - )は、日本の政治家、弁護士、元検事。自由民主党所属の元参議院議員(2期)。東京都立九段高等学校、東京大学法学部卒業。 父は郵政大臣を務めた服部安司。 政治家の三男として生まれたが、父への反発から検察官の道を選んだ。検察官を志したきっかけは、司法修習生時代に検事の取調室を覗き、「悪いやつは許さない」という姿勢に憧れたことだった。1972年(昭和47年)4月12日付で司法修習生の修習を終え、同年4月12日付で東京地方検察庁検事に任命された。 その後、青森地検・浦和地検・長野地検などに赴任。連合赤軍事件の公判も担当し、12年間で自ら50件以上の逮捕状を請求した。
横田 尤孝(よこた ともゆき、1944年〈昭和19年〉10月… 横田 尤孝(よこた ともゆき、1944年〈昭和19年〉10月2日 - )は、日本の最高裁判所裁判官、弁護士、元次長検事。長島・大野・常松法律事務所顧問。
松尾 邦弘(まつお くにひろ、1942年9月13日 - )は… 松尾 邦弘(まつお くにひろ、1942年9月13日 - )は、日本の検事総長(在任 : 2004年6月25日 - 2006年6月30日)。弁護士。東京都出身。
古田 佑紀(ふるた ゆうき、男性、1942年4月8日 - )… 古田 佑紀(ふるた ゆうき、男性、1942年4月8日 - )は、日本の元検事、最高裁判所判事(2005年8月2日- 2012年4月7日)。
北島 敬介(きたじま けいすけ、1936年11月27日 - … 北島 敬介(きたじま けいすけ、1936年11月27日 - 2008年3月2日)は、東京都出身の検事総長、弁護士。正三位瑞宝大綬章。東京地検検事正時代には、ゼネコン汚職事件の捜査を指揮したことでしられている。
土肥 孝治(どひ たかはる、1933年〈昭和8年〉7月12日… 土肥 孝治(どひ たかはる、1933年〈昭和8年〉7月12日 - 2023年〈令和5年〉8月1日)は、日本の弁護士、元検事総長。位階は従三位、勲章は瑞宝大綬章。俗にいう「赤レンガ組」に対して、吉永祐介同様に「(捜査)現場派」であった。 7代続く船場の老舗漆器店に生まれる。大阪第一師範男子部附属国民学校(現・大阪教育大学附属天王寺小学校)に入学。5年生の1944年(昭和19年)7月に大阪府から学童縁故疎開要項が発表されたため、母と9月に石川県金沢市へ縁故疎開した。 太平洋戦争終戦後、石川県立金沢第一中学校(旧制)2年生の時に大阪へ戻り、府立天王寺中学校に転入。在学中に学制改革と男女共学化という転換期を経験し、新制の高等学校となった大阪府立天王寺高等学校を卒業。
加藤 晴明(かとう はるあき、1928年4月 - )は、日本… 加藤 晴明(かとう はるあき、1928年4月 - )は、日本の検事。 秋田県平鹿郡大森町(現・横手市)生まれ。1943年から1953年にかけて秋田県や横浜市の小学校教諭を務め、1954年中央大学法学部(夜間)卒業、司法試験合格。司法修習生を経て1957年検事に任官、名古屋、福井、大分、京都、東京、札幌の各地検に勤務。1973年法務総合研究所事務局長兼教官。1976年東京地検交通部副部長。1977年人権擁護局総務課長兼教官。1979年横浜地方検察庁刑事部長。1981年水戸地方検察庁次席検事。1982年福岡法務局長、1985年東京法務局長、1987年新潟地方検察庁検事正。1989年退官、東京法務局所属公証人。
臼井 滋夫(うすい しげお、1926年 - )は、日本の法学… 臼井 滋夫(うすい しげお、1926年 - )は、日本の法学者(刑事法)、元検事、元東海大学教授。 現在の東京都に生まれる。1948年に東京大学法学部を卒業し、1950年に検察官に任官した。 新潟・札幌・東京の各地方検察庁で検事を務める。その後、法務省刑事局参事官を経て、東京高等検察庁および最高検察庁検事、千葉地方検察庁検事正、最高検察庁公判部長、高松高等検察庁検事長、福岡高等検察庁検事長、名古屋高等検察庁検事長を歴任した。1988年、大阪高等検察庁検事長を最後に退官。 退官後は、東海大学教授、司法試験考査委員、慶應義塾大学非常勤講師を務めた。 捜査実務、刑事訴訟法の研究で知られる。特に『国税犯則取締法』(1990年6月20日、信山社)は、研究の乏しい行政刑法における貴重な専門書・文献として現在でも高い価値を有している。
伊藤 栄樹(いとう しげき、1925年2月3日 - 1988… 伊藤 栄樹(いとう しげき、1925年2月3日 - 1988年5月25日)は、日本の検事総長・東京高検検事長・法務事務次官。「ミスター検察」と呼ばれた。名前の「栄」の正しい表記は旧字体の「榮」。没後、従三位を贈られた。
安原 美穗(やすはら よしほ、1919年1月2日 - 199… 安原 美穗(やすはら よしほ、1919年1月2日 - 1997年3月20日)は、日本の検察官、法務官僚、検事総長、弁護士。 京都府出身。京都府第二中学校(現京都府立鳥羽高等学校)、第三高等学校 (旧制)を経て、京都帝国大学卒業。 1943年司法官試補。1947年検事となる。東京地方検察庁検事、オランダ大使館一等書記官などを経て、1973年法務省刑事局長、1977年法務事務次官、1979年東京高等検察庁検事長。1981年7月23日-1983年12月2日検事総長。 1984年弁護士を開業。のち財団法人国際研修協力機構理事長、財団法人矯正協会会長、株式会社住友銀行顧問弁護士を務めた。 著書『検察の窓から』(高文堂出版社、1985年)のほか、論文・記事を多数執筆している。
安原 美穗(やすはら よしほ、1919年1月2日 - 199… 安原 美穗(やすはら よしほ、1919年1月2日 - 1997年3月20日)は、日本の検察官、法務官僚、検事総長、弁護士。
河井 信太郎(かわい のぶたろう、1913年10月1日 - … 河井 信太郎(かわい のぶたろう、1913年10月1日 - 1982年11月15日)は、愛知県宝飯郡蒲郡町(現・蒲郡市)出身の検事。「東京地検特捜部生みの親」とされる。 1913年(大正2年)10月1日に愛知県宝飯郡蒲郡町(現・蒲郡市)に生まれ、愛知県立蒲郡農学校(現・愛知県立蒲郡高等学校)在学中に兄のいる東京に上京した。東京実業学校から中央大学法学部の夜間部を経て、高等文官試験に合格。官吏になるまでの間、海軍経理学校短期現役学生(いわゆる短現組)に選ばれたエリートであった。そこで経理・会計を修得したことが、のちの特捜時代に役立った。 東京地方検察庁の隠退蔵事件捜査部が1949年に東京地検特捜部に改組された時から特捜部に加わっており、経済事犯に対応するため中央大学経理研究所などで制度確立のための研究に没頭していた。
大脇 英夫(おおわき ひでお、1908年(明治41年)7月2… 大脇 英夫(おおわき ひでお、1908年(明治41年)7月22日 - 没年不明)は、日本の検事、弁護士。島根県弁護士会副会長。松江市公安委員会長。 鳥取県米子市西町出身。弁護士・大脇熊雄二男。 1933年3月東京帝国大学法学部卒業。1934年11月高等試験司法科合格。検事となり神戸、仙台、広島地検等に勤務し1945年退職。 趣味は読書。宗教は禅宗。住所は島根県松江市北田町。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
平出 禾(ひらいで ひいず、1906年 - 1980年)は、… 平出 禾(ひらいで ひいず、1906年 - 1980年)は、元検事、翻訳家。弁護士・作家の平出修の長男として東京に生まれる。少年時代に父を亡くし、1930年東京帝国大学法学部卒業、検事となる。最高検察庁公判部長を最後に66年定年退官、専修大学法学部教授、77年定年退任。E・S・ガードナーの法廷もの小説の翻訳もある。 ウィキソースには、平出禾の著述の原文があります。
関 之(せき いたる、1903年3月19日 - 2001年4… 関 之(せき いたる、1903年3月19日 - 2001年4月25日)は、検事、弁護士。 長野県諏訪郡湖南村(諏訪市)出身。小学校卒業後、専門学校検定試験(専検)合格。第一高等学校を経て、1932年東京帝国大学法学部卒。1934年検事となり、東京控訴院検事などをへて、1948年発足した人権擁護局の第一課長。1949年東京高検検事、1952年公安調査庁総務部長となり、破壊活動防止法や人権擁護委員法の草案を作成する。1963年最高検察庁検事、1966年総務部長。同年弁護士に転じ、中央学院大学教授。1974年定年退任。墓所は多磨霊園(17-1-8)
橋本 乾三(はしもと けんぞう、1901年(明治34年)5月… 橋本 乾三(はしもと けんぞう、1901年(明治34年)5月14日 - 1983年1月21日)は、日本の検事。東京市渋谷区出身。 大日本麦酒(現・サッポロビール)の常務を務めた橋本卯太郎の三男で、首相を務めた橋本龍太郎、高知県知事を務めた橋本大二郎兄弟の伯父にあたる。 1901年(明治34年)5月14日、日本麦酒社員・橋本卯太郎とマツの三男として生まれた。旧制第一高等学校を経て、1926年(大正15年)6月に東京帝国大学法学部を卒業。 1927年(昭和2年)3月司法官試補、東京地方裁判所詰。1928年(昭和3年)12月検事 東京地方裁判所予備検事。秋田地方裁判所予備検事。 1929年(昭和4年)12月秋田区裁判所検事。
生島 五三郎(いくしま ごさぶろう、前名・敏治、1896年〈… 生島 五三郎(いくしま ごさぶろう、前名・敏治、1896年〈明治29年〉11月27日 - 1973年〈昭和48年〉5月13日)は、日本の検事、弁護士。石川島播磨重工業顧問。 兵庫県神戸市出身。先代五三郎の長男。 1920年、東京帝国大学法学部仏法科を卒業。1933年、家督を相続し、前名敏治を改め襲名する。大阪、神戸各検事を経て1940年、京都地方裁判所検事。神戸保護観察所長。 1944年、高松地方検察庁検事正。1945年、福岡地方検察庁検事正。後に退官し弁護士となる。 1973年、心臓弁膜症のため大阪府豊中市内の自宅で死去。満76歳没。 生島五郎兵衛の養甥。多額納税者である。著書には『皇陵巡拝記』がある。
濱尾 四郎(はまお しろう、1896年4月24日 - 193… 濱尾 四郎(はまお しろう、1896年4月24日 - 1935年10月29日)は、日本の検事、弁護士、探偵小説家。子爵。貴族院議員。戦後の版では「浜尾四郎」表記が一般的である。作家活動は実働足かけ6年に過ぎず、作品量は長短20篇に及ぶだけだが、戦前派作家として逸することのできない足跡を残している。
花井 忠(はない ただし、1894年〈明治27年〉12月3日… 花井 忠(はない ただし、1894年〈明治27年〉12月3日 - 1973年〈昭和48年〉10月5日)は、弁護士・検事総長。茨城県生まれ。従三位。勲一等瑞宝章受章。岳父は花井卓蔵(元衆議院副議長・法学博士・弁護士)。 茨城県行方郡麻生町(現:行方市麻生)にて福田病院の院長・福田安次郎の四男三女の次男として誕生する。麻生町立尋常小学校、県立水戸中学校、第八高等学校を経て、1919年7月東京帝国大学法学部(独法兼修)を卒業。 1921年7月に弁護士名簿に登録。著名な弁護士であった花井卓蔵の法律事務所に入る。1925年5月、花井卓蔵の次女・稲子と結婚し、花井卓蔵の養子となる。1929年よりベルリン大学、ウィーン大学にて刑事学を研究、帰国後、海軍軍人と民間人が政財界人を暗殺した五・一五事件や神兵隊事件の弁護人を務める。
池田 克(いけだ かつ、1893年5月23日 - 1977年… 池田 克(いけだ かつ、1893年5月23日 - 1977年9月4日)は、日本の司法官僚、検事、裁判官。最高裁判所判事。 静岡県出身。幕臣、郡長・池田忠一の三男として生まれる。三重一中、第一高等学校を経て、1917年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(仏法)を卒業。同年8月、司法省に入り司法官試補・東京地方裁判所詰となる。 1917年7月、東京地裁予備検事に発令され、同検事、兼司法書記官・行刑局付、刑事局兼行刑局(思想部長)、大臣官房調査課長などを歴任。治安維持法などを立案し、その後、思想犯担当検事(通称・思想検事)となる。 1935年3月、大審院検事に就任。以後、東京刑事地方裁判所検事正、司法省刑事局長、名古屋控訴院(現:名古屋高等裁判所)検事長を歴任し終戦を迎える。
黒川 渉(くろかわ わたる、1892年(明治25年)5月21… 黒川 渉(くろかわ わたる、1892年(明治25年)5月21日 - 1950年(昭和25年)12月25日)は、司法官僚、検事。 東京市出身。1910年(明治43年)、東京府立四中卒業。1917年(大正6年)、東京帝国大学法科大学独法科卒業。同年、司法官試補となり、東京地方裁判所に勤務した。 翌年、検事となり、神戸地方裁判所、東京地方裁判所を歴任した。1926年(大正15年)より書記官として司法省刑事局に勤務し、1932年(昭和7年)には大臣官房会計課長となる。1935年(昭和10年)、大審院検事に転じる。1939年(昭和14年)には司法省刑事局長となり、東京控訴院検事を経て、1941年(昭和16年)に大審院検事となった。
宮本 安蔵(みやもと やすぞう、1892年〈明治25年〉2月… 宮本 安蔵(みやもと やすぞう、1892年〈明治25年〉2月10日 - 1923年〈大正12年〉9月1日)は、日本の検事、判事。位階は従六位。 宮本佳代子(元内閣総理大臣・小泉純一郎の元妻)は孫、俳優・タレントの小泉孝太郎、衆議院議員の小泉進次郎は曽孫にあたる。 東京市麹町区上二番町(現・東京都千代田区一番町)出身。東京府士族、地家主、書籍商、貸金業・宮本央の四男。1914年に第七高等学校造士館卒業。 1917年7月に東京帝国大学法科大学法律学科卒業、同年8月に司法官試補、東京地方裁判所詰。1919年3月に検事、東京地方裁判所予備検事、同年4月に千葉地方裁判所検事。 1920年3月に熊谷区裁判所検事、同年12月に判事、東京地方裁判所判事。
大河原 重信(おおかわら しげのぶ、1890年(明治23年)… 大河原 重信(おおかわら しげのぶ、1890年(明治23年)12月20日 - 没年不詳)は、日本の検事。朝鮮総督府官僚。海軍司政長官。弁護士。 長野県に石田善吉の三男として生まれ、大河原昇五郎の養子となった。1917年(大正6年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、朝鮮銀行に入ったが翌年に退職した。1919年(大正8年)に司法官試補となり、東京地方裁判所判事、土浦区裁判所検事・水戸地方裁判所検事、八日市場区裁判所検事・千葉地方裁判所検事、東京区裁判所検事・東京地方裁判所検事を歴任。 1930年(昭和5年)、朝鮮総督府道事務官に転じ、咸鏡北道財務部長、黄海道警察部長、全羅南道警察部長、慶尚北道警察部長、咸鏡北道内務部長、忠清南道内務部長、釜山税関長を務めた。
早田 福蔵(はやた ふくぞう、1890年〈明治23年〉9月2… 早田 福蔵(はやた ふくぞう、1890年〈明治23年〉9月25日 - 没年不詳)は、日本の検事。朝鮮総督府官僚。弁護士。税理士。 長崎県上県郡佐須奈村(現在の対馬市)出身。1917年(大正6年)、東京帝国大学法学部独法科を卒業。大邱地方法院司法官補、同判事、平壌地方法院検事、平壌地方法院新義州支庁検事、京城地方法院水原支庁検事、同春川支庁検事、清津地方法院検事、大邱覆審法院検事、全州地方法院検事、京城地方法院検事、公州地方法院検事正、大田地方法院検事正、釜山地方法院検事正、大邱地方法院検事正を歴任。1943年(昭和18年)、朝鮮総督府法務局長に就任した。 戦後は弁護士および税理士を開業し、静岡地方裁判所、同家庭裁判所各判事、裁判所調停委員、保護司、静岡県保護司連盟会長を歴任した。
柳田 宗一郎(やなぎだ そういちろう、1889年(明治22年… 柳田 宗一郎(やなぎだ そういちろう、1889年(明治22年)5月7日 - 1933年(昭和8年)6月18日)は、衆議院議員(立憲民政党)、弁護士、検事。 茨城県筑波郡葛城村(のち谷田部町を経て、現在のつくば市)出身。1912年に中央大学を卒業し、同年、判事検事弁護士試験に合格。翌年から弁護士業務に従事した。1923年に検事に任命され、1926年に退官するまでの間に、青森区裁判所兼青森地方裁判所検事、大館区裁判所兼秋田地方裁判所検事、仙台地方裁判所検事を歴任した。 退官後は再び弁護士業務を行っていたが、1929年に東京市会議員に立候補し、当選した。さらに1932年の第18回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
古田 正武(ふるた まさたけ、1888年(明治21年)1月1… 古田 正武(ふるた まさたけ、1888年(明治21年)1月13日 – 1939年(昭和14年)9月8日)は、日本の司法官僚・検事、満州国国務院司法部次長・満州国参議府参議。 岐阜県土岐郡日吉村(現在の瑞浪市)出身。1914年(大正3年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、司法官試補として東京地方裁判所に勤務した。1916年(大正5年)、東京地方裁判所検事となり、司法書記官、警察講習所教授、大審院検事を歴任した。 1933年(昭和8年)、満州国に招かれて司法部総務司長に就任し、1936年(昭和11年)からは司法部次長を務めた。 その後、日本に帰国して司法省刑事局長を務めた墓所は多磨霊園
大森 洪太(おおもり こうた、1887年(明治20年)6月1… 大森 洪太(おおもり こうた、1887年(明治20年)6月10日 - 1946年(昭和21年)5月24日)は、日本の司法官僚、判事、検事。
水野 重功(みずの しげかつ、1885年(明治18年)3月2… 水野 重功(みずの しげかつ、1885年(明治18年)3月20日 - 1960年(昭和35年)5月4日)は、日本の検事、弁護士。朝鮮総督府官僚。 山形県鶴岡市出身。水野重慎の息子として生まれる。荘内中学校(現山形県立鶴岡南高等学校)、第四高等学校を経て、1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業。統監府判事を経て、朝鮮総督府判事となった。平壌地方裁判所判事、京城地方法院判事、同検事、京城覆審法院検事、京城地方法院検事、大邱地方法院検事、京城覆審法院検事、高等法院検事、朝鮮総督府法務局刑事課長、同法務課長、高等法院検事を歴任し、1930年(昭和5年)に欧米諸国を視察した。帰国後、京城地方法院検事正、平壌覆審法院検事長、京城覆審法院検事長を経て、1943年(昭和18年)に高等法院検事長に就任した。
古山 春司郎(ふるやま はるしろう、1883年(明治16年)… 古山 春司郎(ふるやま はるしろう、1883年(明治16年)1月16日 - 1953年(昭和28年)5月11日)は、日本の検事。弓道家。 千葉県上埴生郡豊栄村(現在の長生郡長南町)出身。1912年(明治45年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、司法官試補となる。鹿児島地方裁判所予備判事、大分地方裁判所・大分区裁判所判事を経て、1916年(大正5年)に検事に転じ、名古屋地方裁判所・名古屋区裁判所検事、岐阜地方裁判所・岐阜区裁判所検事、甲府地方裁判所・甲府区裁判所検事、東京地方裁判所・東京区裁判所検事、横浜地方裁判所検事、東京控訴院検事、長崎控訴院検事を歴任した。 その後、台湾総督府法院検事となり、台北地方法院検察官長、高等法院検察官長を務めた。
増永 正一(ますなが しょういち、1882年(明治15年)1… 増永 正一(ますなが しょういち、1882年(明治15年)12月25日 - 1944年(昭和19年)8月1日[要出典])は、日本の裁判官、検事。勲二等、従三位。 千葉県出身。1908年(明治41年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、司法官試補となった。前橋地方裁判所判事、横浜地方裁判所判事、横須賀区裁判所判事、横浜区裁判所判事を歴任。1920年(大正9年)に朝鮮総督府裁判所に転じ、1925年(大正14年)に欧米に出張した。帰国後、高等法院判事、高等法院部長を経て、1934年(昭和9年)に朝鮮総督府法務局長となり、1937年(昭和12年)に高等法院検事長に就任した。 1943年(昭和18年)、退官。
岩松 玄十(いわまつ げんじゅう、1881年〈明治14年〉2… 岩松 玄十(いわまつ げんじゅう、1881年〈明治14年〉2月5日 - 1976年〈昭和51年〉3月5日)は、日本の検事。 佐賀県佐賀市出身。1908年(明治41年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業し、司法官試補となる。大津地方裁判所判事、奈良区裁判所検事、東京区裁判所検事、長野地方裁判所検事、千葉地方裁判所検事、同検事正、台湾総督府高等法院検察官長、横浜地方裁判所検事正、東京控訴院検事、司法省行刑局長、宮城控訴院検事長、長崎控訴院検事長を歴任し、1941年(昭和16年)からは大阪控訴院検事長を務めた。 1976年(昭和51年)3月、急性心不全で死去した。
後藤 和佐二(ごとう わさじ、1880年(明治13年)8月6… 後藤 和佐二(ごとう わさじ、1880年(明治13年)8月6日 - 没年不詳)は、日本の検事、裁判官。 長野県上水内郡三輪村(現在の長野市)出身。水品安吉の二男として生まれ、後藤省三の養子となった。1903年(明治36年)、東京帝国大学法科大学を卒業し、司法官試補となる。1907年(明治40年)、陸軍三等主計。東京地方裁判所予備判事、横浜区裁判所・横浜地方裁判所判事、横浜地方裁判所部長、東京控訴院判事、静岡地方裁判所部長を歴任した。 広島控訴院部長を務めた後、台湾総督府法院判官に転じ、高等法院上告部判官、高等法院検察官長、高等法院長を務めた。 1933年(昭和8年)に退官した後は、公証人となった。
山中 秀二郎(やまなか ひでじろう、1879年(明治12年)… 山中 秀二郎(やまなか ひでじろう、1879年(明治12年)12月15日 – 1944年(昭和19年)3月1日)は、日本の検事、鉄道官僚。貴族院男爵議員。 陸軍中将・男爵山中信儀の二男として生まれ、1926年(大正15年)5月15日に男爵を襲爵した。1912年(明治45年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業。翌年に司法官試補となり、東京地方裁判所・区裁判所検事、広島地方裁判所・区裁判所検事、福岡地方裁判所・区裁判所検事を歴任した。1923年(大正12年)、東京鉄道局副参事に転じ、水戸運輸事務所長、人事係長、参事、鉄道省事務官、鉄道監察官を歴任した。 1939年(昭和14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され、公正会に所属して活動し死去するまで在任した。
池田 寅二郎(いけだ とらじろう、1879年(明治12年)1… 池田 寅二郎(いけだ とらじろう、1879年(明治12年)11月20日 - 1939年(昭和14年)2月9日)は、日本の判事(大審院長)、検事、司法官僚。 佐賀県出身。1899年第五高等学校卒業。1903年(明治36年)に東京帝国大学法科大学英法科を卒業し、司法官試補となる。1905年(明治38年)、東京地方裁判所判事となり、東京地方裁判所部長、司法省参事官、東京地方裁判所検事、大審院検事、司法省民事局長を歴任した。その間の1918年(大正7年)に法学博士号を取得している。 1928年(昭和3年)、判事として大審院部長に任命された。1936年(昭和11年)には大審院長に就任した。
武富 済(たけとみ わたる、1879年(明治12年)4月23… 武富 済(たけとみ わたる、1879年(明治12年)4月23日 - 1937年(昭和12年)4月20日)は、日本の検事、弁護士、衆議院議員(憲政会→立憲民政党)。正しくは武富 濟。
金山 季逸(かなやま きいつ、1878年(明治11年)9月2… 金山 季逸(かなやま きいつ、1878年(明治11年)9月22日 - 1943年(昭和18年)3月11日)は、司法官僚、検事。旧姓・武部。 富山県上新川郡山室村(現在の富山市)に武部尚志の四男として生まれ、同郡吏の金山彦一の養子となった。1904年(明治37年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業。同年、司法官試補となり、東京地方裁判所に勤務した。1906年(明治39年)、検事となり、東京地方裁判所予備検事、前橋地方裁判所検事、八王子区裁判所検事、東京区裁判所検事、東京地方裁判所検事、横浜地方裁判所検事正、東京控訴院検事、横浜地方裁判所検事正、大阪地方裁判所検事正、東京地方裁判所検事正、長崎控訴院検事長、大審院検事を歴任した。
福田 五郎(ふくだ ごろう、1877年(明治10年)10月3… 福田 五郎(ふくだ ごろう、1877年(明治10年)10月3日 - 1931年(昭和6年)6月23日)は、日本の衆議院議員(憲政会→立憲民政党)、検事。 佐賀市出身。兄は佐賀商業会議所会頭となった福田慶太郎。1905年(明治38年)、京都帝国大学法科大学卒業。司法官試補から福岡地方裁判所判事、小倉区裁判所判事、熊本区裁判所検事、熊本地方裁判所検事、福岡地方裁判所検事、仙台区裁判所検事、神戸区裁判所検事兼神戸地方裁判所検事を歴任した。1919年(大正8年)、官を辞し、海運業を営んだ。 1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、3回の当選を重ねた。その間、濱口内閣で逓信参与官を務めた。
笠井 健太郎(かさい けんたろう、1877年(明治10年)2… 笠井 健太郎(かさい けんたろう、1877年(明治10年)2月8日 - 1937年(昭和11年)11月2日)は、日本の検事。裁判官。 香川県高松市出身。1904年(明治37年)、京都帝国大学法科大学法律科を卒業し、司法官試補となった。福島地方裁判所判事、熊谷区裁判所判事、東京区裁判所判事、東京地方裁判所判事代理、東京控訴院判事代理、横浜地方裁判所判事、横浜地方裁判所検事・同区裁判所検事、土浦区裁判所検事を歴任し、1920年(大正9年)に朝鮮総督府検事に転じた。京城地方法院検事、法務局刑事課長、高等法院検事、京城地方法院検事正を経て、1932年(昭和7年)に法務局長に就任した。1934年(昭和9年)から高等法院検事長を務めた。
森 勇(もり いさむ、1876年(明治9年)11月3日 - … 森 勇(もり いさむ、1876年(明治9年)11月3日 - 1958年(昭和33年)10月)は、日本の検事。富山市長。 岐阜県羽島郡中屋村(現在の各務原市)出身。1900年(明治33年)、明治法律学校(現在の明治大学)を卒業した。1902年(明治35年)、判事検事登用試験に合格し、司法官試補として金沢地方裁判所に勤務した。1905年(明治38年)に検事となり、高松区裁判所検事、大津区裁判所検事、大阪地方裁判所検事、大津地方裁判所検事、広島区裁判所検事、山口地方裁判所検事、呉区裁判所検事、広島地方裁判所検事、広島控訴院検事を歴任した。1928年(昭和3年)に那覇地方裁判所検事正となり、以後、富山地方裁判所検事正、奈良地方裁判所検事正、金沢地方裁判所検事正を務め、1939年(昭和14年)に退官した。
深沢 新一郎(ふかざわ しんいちろう、1875年(明治8年)… 深沢 新一郎(ふかざわ しんいちろう、1875年(明治8年)9月 - 1934年(昭和9年)9月1日)は、日本の検事。裁判官。 長崎県出身。1903年(明治36年)、東京帝国大学法科大学法律科を卒業した。横浜区裁判所検事、横浜地方裁判所検事、統監府判事、同検事、京城地方裁判所判事、同控訴院検事、京城覆審法院検事、釜山地方法院検事正、高等法院検事、法務局刑務課長、京城地方法院検事正を歴任。1925年(大正14年)、大邱覆審法院長となり、法務局長を経て、1932年(昭和7年)から高等法院長を務めた。
皆川 治廣(みながわ はるひろ、1875年(明治8年)3月7… 皆川 治廣(みながわ はるひろ、1875年(明治8年)3月7日 - 1958年(昭和33年)3月7日)は、司法官僚、検事、判事。 愛媛県松山市出身。旧制第一高等学校を経て、1903年(明治36年)に東京帝国大学法科大学を卒業し、司法官試補として大阪地方裁判所に勤務した。翌年、日露戦争が勃発すると第四軍司令部附国際法顧問として従軍した。 1906年(明治39年)、大阪地方裁判所予備検事となり、小倉区裁判所検事、東京地方裁判所検事を歴任した。1910年(明治43年)、ブリュッセルで開催された万国刑法会議に出席した後、フランス・ドイツ・スイスに留学した。1913年(大正2年)に帰国後、司法書記官・大臣官房職員課長に任命され、法律取調委員会幹事も務めた。
村上 清(むらかみ きよし、1875年(明治8年)2月2日 … 村上 清(むらかみ きよし、1875年(明治8年)2月2日 - 1935年(昭和10年)12月31日)は、日本の検事。高知市長。財団法人板垣伯銅像記念碑建設同志会第6代会長。 高知県香美郡山北村(現在の香南市)出身。通信書記、海軍属を経て、1899年(明治32年)に明治法律学校(現在の明治大学)を卒業した。翌年、判事検事登用試験に合格し、高知、福知山、京都、堺、大阪、五條、青森の各裁判所で検事を務めた。1908年(明治41年)、韓国の検事に転じた。その後、朝鮮総督府裁判所検事を務め、1920年(大正9年)には朝鮮総督府地方法院検事正に任ぜられ、勅任官待遇となった。1924年(大正13年)、退官して弁護士を開業した。
竹内 佐太郎(たけうち さたろう、1875年(明治8年)1月… 竹内 佐太郎(たけうち さたろう、1875年(明治8年)1月3日 - 1966年(昭和41年)12月6日)は、日本の裁判官、検事。 富山県下新川郡入善町出身。1903年(明治36年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業し、司法官試補となる。浦和地方裁判所判事、東京区裁判所判事、長野区裁判所検事、東京区裁判所検事、東京地方裁判所検事、和歌山地方裁判所検事正、高知地方裁判所検事正、神戸地方裁判所検事正、横浜地方裁判所検事正を歴任。その後、台湾総督府法院に転じ、高等法院検察官長、高等法院長を務めた。 1935年(昭和10年)、広島控訴院検事長となった。1937年(昭和12年)に退官した後は弁護士を開業した。
松井 栄尭(まつい えいぎょう、明治5年7月12日(1872… 松井 栄尭(まつい えいぎょう、明治5年7月12日(1872年8月15日) - 昭和10年(1935年)3月9日)は、日本の検事、台湾総督府官僚。 石川県出身。旧名は豊松。1899年(明治32年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業。函館区裁判所判事、函館地方裁判所判事、福岡地方裁判所判事を経て、台湾総督府判官となった。さらに台南地方法院検察官長、台北地方法院検察官長を歴任し、台南州知事に就任した。 1924年(大正13年)に退官した後は、公証人となった。
境 長三郎(さかい ちょうざぶろう、明治4年(1871年)1… 境 長三郎(さかい ちょうざぶろう、明治4年(1871年)10月 - 没年不詳)は、日本の検事。 佐賀県出身。1901年(明治34年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業し、司法官試補となる。名古屋区裁判所判事、岡崎区裁判所判事、福岡地方裁判所判事を歴任。1908年(明治41年)、統監府判事に転じ、京城地方裁判所部長となり、1910年(明治43年)からは朝鮮総督府検事となり、京城地方法院検事、高等法院検事、京城地方法院検事正、大邱覆審法院検事長、京城覆審法院検事長を経て、1932年(昭和7年)に高等法院検事長に就任した。
松寺 竹雄(まつでら たけお、明治3年9月26日〈1870年… 松寺 竹雄(まつでら たけお、明治3年9月26日〈1870年10月26日〉[要検証 – ノート] - 1935年〈昭和10年〉2月5日)は、日本の検事。朝鮮総督府官僚。正三位勲二等。 加賀国出身。金沢藩士、戸水信義の二男として生まれ、1886年(明治19年)、松寺敦行の養子となり、1891年(明治24年)に家督相続。 1893年(明治26年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業した。司法官となり、京城地方法院検事正、平壌覆審法院検事長、大邱覆審法院検事長、朝鮮総督府法務局長を歴任し、1929年(昭和4年)から朝鮮総督府高等法院検事長を務めた。1932年(昭和7年)12月、退官。 1935年(昭和10年)2月5日、病気療養中に東京府東京市豊島区池袋の自宅で死去、64歳。
和仁 貞吉(わに ていきち、明治3年5月12日(1870年6… 和仁 貞吉(わに ていきち、明治3年5月12日(1870年6月10日) - 昭和12年(1937年)12月3日)は、日本の判事(大審院長)、検事。 東京府出身。父の元利は宇都宮藩の藩医だった。1894年(明治27年)に東京帝国大学法科大学英法科を卒業し、司法官試補となる。1896年(明治29年)、浦和地方裁判所判事となり、東京区裁判所判事、東京地方裁判所部長、東京控訴院判事、東京控訴院部長、大審院判事、京都地方裁判所所長、大阪地方裁判所所長を歴任。その間の1920年(大正9年)4月には法学博士号を取得している。同年7月より検事となり、長崎控訴院検事長、大阪控訴院検事長、東京控訴院検事長を歴任した。
横田 五郎(よこた ごろう、明治2年10月8日(1869年1… 横田 五郎(よこた ごろう、明治2年10月8日(1869年11月11日) - 没年不詳)は、日本の裁判官、検事。男爵横田國臣の弟。 豊前国宇佐郡封戸村(現在の大分県宇佐市)にて、島原藩士の子として生まれる。1898年(明治31年)、東京帝国大学法科大学を卒業し、司法官試補となる。東京地方裁判所判事、同部長、検事・司法省参事官、東京控訴院検事、横浜地方裁判所所長を歴任した。のち、朝鮮総督府法務局長に転じ、さらに朝鮮総督府高等法院長も務めた。