スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
大友 宗(おおとも そう、1999年7月23日 - )は、大… 大友 宗(おおとも そう、1999年7月23日 - )は、大阪府高槻市出身のプロ野球選手(捕手・育成選手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 小学校3年で捕手として野球を始めると、高槻市立高槻第十中学校在籍中は「枚方ボーイズ」に所属した。 京都府立鳥羽高等学校に進学。1年秋から正捕手を担うも3年夏はベスト16で龍谷大学平安高等学校に敗れ甲子園出場はなかった。 帝京大学硬式野球部では1年春からベンチ入りし4年春から正捕手を担う。4年次にプロ志望届を提出するも指名漏れとなる。 大学卒業後は日本通運に入社。同期に古田島成龍。在籍中は木南了が在籍しており、出場機会が少なかったことを理由に外野手転向の提案を固辞し2023年末に同社を退団、ベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)の茨城アストロプラネッツに入団した。
西田 拓也(にしだ たくや、1991年8月25日 - )は、… 西田 拓也(にしだ たくや、1991年8月25日 - )は、日本将棋連盟所属の将棋棋士。森信雄七段門下。棋士番号は309。 5歳の時に父が買ってきた本を読んで将棋を始めた。 2003年、京都市立東和小学校6年時に第28回小学生将棋名人戦でベスト4(西日本大会で里見香奈に勝利し決勝大会に進出したが、準決勝で杉本和陽に敗退)。 中尾修指導棋士七段に教わり、中尾の弟弟子の森信雄門下となり2005年4月に関西奨励会入会。 三段リーグには2008年の第44回から参加。なかなか四段昇段を決められず、年齢制限が間近に迫る中、研究会への参加頻度を減らし一人での研究時間を増やしたことが転機となり、17期目の第60回では、三段リーグ史上初となる、開幕局から14連勝を記録し、2017年2月4日に行われた例会で2位以内を確定させ、最終日を待たずに四段昇段を決めた。
竹井 昴司(たけい こうじ、1990年7月30日 - )は、… 竹井 昴司(たけい こうじ、1990年7月30日 - )は、日本の元水球選手。ハンガリーのプロチームHonvedにてプレーしたこともある。 京都府出身。身長:176cm、体重:78kg。2013年~2014年シーズンのハンガリー国内選手ランキングにおいては、ゴール数で5位、ペナルティ・シュート数で7位などのほか、総合ポイントで2位となっている。
ヒラヤマンショー(1988年10月8日 - )は、日本のお笑… ヒラヤマンショー(1988年10月8日 - )は、日本のお笑いタレントであり、元マドモアゼルズのメンバー。本名は平山 洋祐(ひらやま ようすけ)。ワタナベコメディスクール18期生。
平野 佳寿(ひらの よしひさ、1984年3月8日 - )は、… 平野 佳寿(ひらの よしひさ、1984年3月8日 - )は、日本のオリックス・バファローズに所属するプロ野球選手(投手)である。
釜谷 真(かまや まこと、1983年8月19日 - )は、日… 釜谷 真(かまや まこと、1983年8月19日 - )は、日本の男性総合格闘家。京都府京都市伏見区出身。SWAG GYM KYOTO所属。 京都府立鳥羽高等学校時代は野球部に所属し、引退後にボクシングジムに通い始める。高校卒業後は美容室で働きながら通信制の美容学校に通い、国家資格を取得。山本KIDに憧れて京都市南区の成蹊館ジャパンクラブに入り、25歳で美容業界を離れて上京する。 2012年2月18日、DEEP 57 IMPACTで戸井田カツヤにKO勝ち。 2012年12月8日、DEEP CAGE IMPACT 2012で行われたバンタム級次期挑戦者決定トーナメント の1回戦で北田俊亮にTKO負け。
近澤 昌志(ちかざわ まさし、1982年6月26日 - )は… 近澤 昌志(ちかざわ まさし、1982年6月26日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手(捕手)。
佐藤 零郎(さとう れお、1981年7月24日 - )は、日… 佐藤 零郎(さとう れお、1981年7月24日 - )は、日本の映画監督である。 京都府京都市伏見区出身。京都市立桃山中学校と京都府立鳥羽高等学校で学んだ。大学を中退したのち、映画監督の佐藤真に師事した。 2009年、『長居青春酔夢歌』を監督した。同作では、大阪府の長居公園での野宿生活者に対する強制立ち退きを芝居によって阻止しようとする人々の姿が捉えられている。2009年の山形国際ドキュメンタリー映画祭において、「アジア千波万波」部門で上映された。 2017年、監督作品『月夜釜合戦』が公開された。佐藤にとって初の劇映画である同作は、古典落語の『釜泥』に着想を得ており、16mmフィルムで撮影された。
青柳 勧(青栁 勧、あおやぎ かん、1980年8月19日 -… 青柳 勧(青栁 勧、あおやぎ かん、1980年8月19日 - )は、京都府出身の水球選手。愛称は「皇帝」。 小学校3年生の時に京都踏水会で水球をはじめ、京都府立鳥羽高等学校へ進学。1998年には元ユーゴスラビア代表監督であり、日本水球界初の外国人監督であったドラガン・アンドリッチにより、水球男子日本代表に選出された。 その後筑波大学へ進み、大学1年を終えると同時にスペインへ渡ってプロ1部リーグでプレー。1シーズン20得点をマークしてチームに大きく貢献した。 2004年、イタリアのプロチーム・ベルガモ(セリエA)と契約、世界有数のスピードとシュートを武器にセリエA2北の得点王。 その実績が評価され、イタリアのセリエA1四強の一つ『ブレッシア』でプレー。
西川 晃啓(にしかわ あきひろ、1979年8月11日 - )… 西川 晃啓(にしかわ あきひろ、1979年8月11日 - )は、日本のお笑い芸人。お笑いコンビレギュラーの気絶ネタを行う方。かつては角刈りがトレードマークだった。相方は松本康太。京都府京都市出身。吉本興業(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)東京本社所属。
後藤 利幸(ごとう としゆき、1971年5月4日 - )は、… 後藤 利幸(ごとう としゆき、1971年5月4日 - )は、京都府京都市出身の元プロ野球選手(投手)。
大島 渚(おおしま なぎさ、1932年(昭和7年)3月31日… 大島 渚(おおしま なぎさ、1932年(昭和7年)3月31日 - 2013年(平成25年)1月15日)は、日本の映画監督、脚本家、演出家、著述家。フィクションだけでなくドキュメンタリーも制作した。 妹の大島瑛子は女優・プロデューサーで大島プロダクションの代表を務めた。美術監督の戸田重昌は瑛子の夫で義弟に当たる。妻は女優の小山明子、長男の大島武は東京工芸大学芸術学部教授、次男の大島新はドキュメンタリー作品監督。 1932年(昭和7年)3月31日、岡山県児島郡(当時)で生まれた。父方は長崎県対馬の出で、先祖は対馬藩士。母親は広島県呉市出身。父親は農林省の水産学者。仕事の関係で瀬戸内海を転々とし、カニやエビの研究をしていた。
増井 禎夫(ますい よしお、1931年1月1日 - 2024… 増井 禎夫(ますい よしお、1931年1月1日 - 2024年4月18日)は、日本生まれでカナダ国籍の細胞生物学者。トロント大学名誉教授、王立協会フェロー。 1971年、カエル卵の卵母細胞から卵成熟を引き起こす卵成熟促進因子(英語版)(maturation promoting factor, MPF)を発見。MPF は後に普遍的かつ中心的な細胞周期の制御因子であることが判明し、1980年代後半からのこの分野の爆発的な発展に大きく貢献した。
宅間 英夫(たくま ひでお、1926年9月16日 - 197… 宅間 英夫(たくま ひでお、1926年9月16日 - 1979年4月26日)は京都府出身の部落解放運動家。京都こどものとも社社長。部落解放同盟京都府連南丹地協議長の国府泰造から「兄ちゃん」と呼ばれる存在だった。 京都府船井郡富本村(現・南丹市)生まれ。父は郡是製糸社員。 京都府立第二中学校(現・京都府立鳥羽高等学校)時代から松居直や木島始と交際があった。松山高等学校 (旧制)の受験に失敗し、海軍通信学校に入隊したが1ヶ月で敗戦を迎える。 1946年、京都人文学園入学。1949年、同志社大学新聞学科に聴講生として学びつつ郷里の八木町青年団で活動。このころは朝田善之助や日本共産党の山林解放闘争のニセ情報を警察に200円で売ってなぶる計画の軍師だった。
神谷 信之助(かみたに しんのすけ、1924年3月15日 -… 神谷 信之助(かみたに しんのすけ、1924年3月15日 - 1999年1月8日)は日本の政治家。参議院議員(日本共産党公認、通算3期)。日本共産党中央委員会名誉幹部会委員。 京都府京都市下京区出身。日活撮影所の表具師の長男。1941年(昭和16年)旧制京都第二中学校卒業後、学徒出陣して久留米陸軍予備士官学校に入学。1945年(昭和20年)に東亜同文書院大学を卒業。翌年西日本新聞政治部記者となるが、二・一ゼネスト参加を理由に解雇される。1948年(昭和23年)京都府職員となり労働組合活動を始め、翌年には京都府職員労働組合書記長に就任した。1952年には日本共産党へ入党すると共に府職員労働組合書記長となる。
上原 重太郎(うえはら じゅうたろう、1921年10月14日… 上原 重太郎(うえはら じゅうたろう、1921年10月14日 - 1945年8月19日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大尉。宮城事件森赳近衛師団長殺害事件の首謀者の一人。 兵庫県神戸市生まれ。父は船員であった。京都府立二中、広島陸軍地方幼年学校から陸軍士官学校卒(55期)。陸軍戸山学校生徒を経て、陸軍挺進練習部(現 新田原基地)で落下傘降下を学ぶ。1944年陸軍航空士官学校(現入間基地)へ移る。 1945年8月15日、近衛師団司令部で森師団長を刺殺。同月19日、陸軍航空士官学校(修武台)裏の航空神社前で自決。なお、入間基地内に「上原大尉自刃之碑」がある。
安原 美穗(やすはら よしほ、1919年1月2日 - 199… 安原 美穗(やすはら よしほ、1919年1月2日 - 1997年3月20日)は、日本の検察官、法務官僚、検事総長、弁護士。 京都府出身。京都府第二中学校(現京都府立鳥羽高等学校)、第三高等学校 (旧制)を経て、京都帝国大学卒業。 1943年司法官試補。1947年検事となる。東京地方検察庁検事、オランダ大使館一等書記官などを経て、1973年法務省刑事局長、1977年法務事務次官、1979年東京高等検察庁検事長。1981年7月23日-1983年12月2日検事総長。 1984年弁護士を開業。のち財団法人国際研修協力機構理事長、財団法人矯正協会会長、株式会社住友銀行顧問弁護士を務めた。 著書『検察の窓から』(高文堂出版社、1985年)のほか、論文・記事を多数執筆している。
安原 美穗(やすはら よしほ、1919年1月2日 - 199… 安原 美穗(やすはら よしほ、1919年1月2日 - 1997年3月20日)は、日本の検察官、法務官僚、検事総長、弁護士。
牧田 茂(まきた しげる、1916年7月25日 - 2002… 牧田 茂(まきた しげる、1916年7月25日 - 2002年3月22日)は、日本の民俗学者。 京都府京都市出身。別名=茅原茂(チハラ)。1940年國學院大學文学部国文科卒、朝日新聞社に入社。東京社会部次長、「週刊朝日」編集長、東京企画部長などを経て、1971年退社後、社友となる。1976年日本大学講師、1977年白梅学園短期大学教授を務めた。旧制京都二中時代に柳田國男に出した手紙が縁で門下生になる。1940年閑院宮賞。1947年日本民俗学会設立に参加。柳田民俗学の後継者として民俗学を中心に多くの著作がある。
池田 松次郎(いけだ まつじろう、1915年10月28日 -… 池田 松次郎(いけだ まつじろう、1915年10月28日 - 1983年7月8日)は、日本の実業家。総合商社の丸紅の第7代社長。京都府出身。 彦根高等商業学校(現 滋賀大学経済学部)卒業後、大同貿易に入社。若年期から海外拠点に赴任し、戦時統合による大建産業期を経て丸紅へ転籍した。戦後は北米での勤務・経営経験を積み、米国丸紅会社の副社長を務めたのち帰国。帰国後は海外営業の統括や本部長職を歴任し、丸紅の代表取締役社長に就任した。 戦前から海外赴任が多く、商社生活45年のうち17年を海外で過ごし、戦後も北米での経営経験を持ち、現場実務と海外ビジネス双方に通じた経営者と評価されている。 社内では、穏やか、筋を通す、正直、プロフェッショナルといった評価が語られ、無理を避けつつも、商社としての拡大路線を堅持する現実的な経営姿勢を持っていた。
藤谷 俊雄(ふじたに としお、1912年7月2日 - 199… 藤谷 俊雄(ふじたに としお、1912年7月2日 - 1995年2月11日)は、日本の歴史学者、部落問題研究家である。 京都府京都市出身。生家は真宗大谷派の即現寺。京都府立第二中学校卒業後、1934年に高知高等学校文科甲類、1937年京都帝国大学文学部史学科卒業。1938年、治安維持法違反で検挙。その後、生家の住職、また京都市史編纂に参加。 戦後、日本史研究会創設に参加。また1966年には部落問題研究所理事長兼所長に就任し、文化厚生会館問題によって奈良本辰也・林屋辰三郎・原田伴彦らが去った後の研究所再建に尽力。
東 史郎(あずま しろう、1912年(明治45年)4月27日… 東 史郎(あずま しろう、1912年(明治45年)4月27日 - 2006年(平成18年)1月3日)は、日本の軍人(召集兵)、著述家、社会活動家。 京都第16師団、福知山第20連隊上等兵として南京攻略戦に参加し、南京大虐殺(南京事件)を著書『わが南京プラトーン』で告発した。中国やアメリカ合衆国などでも謝罪活動を続けた。日記の一部記述について元上官と名誉毀損裁判となり、二審まで東日記の記述の公表に公益性は認定されたものの、事実であるかについて客観的証拠がないと判定され、最高裁で上告理由がないとして、そのまま損害賠償を命じられた。 京都府竹野郡間人村(たいざむら)出身。間人小学校を卒業後、1926年(大正15年)に京都府立第二中学校に進学した。
中山 健男(なかやま たけお、1910年(明治43年)1月7… 中山 健男(なかやま たけお、1910年(明治43年)1月7日 - 1977年(昭和52年)10月17日)は、日本の法学者(憲法学)。法学博士(京都大学・1966年)(学位論文「国家と宗教に関する研究」)。日本法政学会理事。滋賀県出身。
千家 啠麿(せんげ てつまろ、1907年〈明治40年〉8月1… 千家 啠麿(せんげ てつまろ、1907年〈明治40年〉8月19日 - 1995年〈平成7年〉10月24日)は、日本の国立公園事業に尽力した造園家、国立公園行政官、観光行政官。国立公園制定や自然保護のほか、観光政策審議会や日本観光協会、日本レクリエーション協会など、各種審議会委員や団体理事等歴任。アメリカ合衆国シエラクラブ名誉会員、日本造園学会名誉会員。島根県生まれ。千家忠の養子。 千家尊福(男爵、東京府知事として水源林の拡充整備など尽力)の6男に生まれ、のち千家忠の養子。旧制大社中学校(現・島根県立大社高等学校)、途中から旧制京都二中(現・京都府立鳥羽高等学校)、旧制松江高等学校を経て東京帝国大学農学部林学科に進学。
田中 伊三次(たなか いさじ、1906年〈明治39年〉1月3… 田中 伊三次(たなか いさじ、1906年〈明治39年〉1月3日 - 1987年〈昭和62年〉4月11日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(15期)。位階は正三位、勲章は勲一等旭日大綬章。 衆議院副議長(第44代)、法務大臣(第22・23・31代)、自治庁長官(第7・8代)等を歴任した。 兵庫県にて田中宗吉の二男として生まれる。家が貧しく、17歳の時に郷里の兵庫県姫路の在からナマ米をかじりながら鉄道線路を歩いて大阪に出る。新聞配達、めし屋の注文取りなどをしながら貯めた金で汽車に乗り、京都に移る。 立命館中学、府立第二中学校、京都予備学校(のちの京都商業)を経て、立命館大学に入学した。1931年、高等文官試験に合格。
俵 静夫(たわら しずお、1905年10月3日 - 1992… 俵 静夫(たわら しずお、1905年10月3日 - 1992年1月8日)は、日本の法学者。神戸大学名誉教授。 静岡県静岡市生まれ。京都府立第二中学校、第三高等学校、1929年、京都帝国大学法学部卒、神戸商業大学助手、神戸経済大学助教授、神戸大学法学部教授。1968年、「地方自治法」で神戸大法学博士。1969年、定年退官、名誉教授。神戸学院大学教授、1987年、退職。 地方自治が専門。1975年勲二等瑞宝章受章。
三宅 宗悦(みやけ むねよし、1905年(明治38年)3月2… 三宅 宗悦(みやけ むねよし、1905年(明治38年)3月26日 - 1944年(昭和19年)11月6日)は、日本の人類学・考古学者。医学博士。 1905年(明治38年)3月26日、京都府京都市東山区で三宅宗淳・男依の4男として生まれる。京都府立第二中学校、旧制山口高等学校(のち山口大学文理学部、現同大学人文学部)を卒業後、京都府立医科大学に入学。考古学に興味を持ち、京都帝国大学考古学教室に出入りするようになる。濱田耕作や清野謙次などから考古学・人類学の薫陶を受け、1929年(昭和4年)には同教室による須玖遺跡(福岡県春日市)の発掘調査に参加している。 1930年(昭和5年)に同医科大学を卒業後、京都帝国大学医学部助手に任命される。
築山 治三郎(つきやま じさぶろう、1905年2月28日 -… 築山 治三郎(つきやま じさぶろう、1905年2月28日 - 1989年6月27日)は、日本の東洋史学者。 京都府京都市生まれ。京都府立第二中学校(現京都府立鳥羽高等学校)卒、東京高等師範学校地歴科卒、1934年東京文理科大学東洋史学科卒、群馬県立高崎中学校(現群馬県立高崎高等学校)教諭、神戸市立第一中学校(現神戸市立葺合高等学校)教諭、岩手県師範学校教授、北海道第三師範学校教授、青森師範学校教授、弘前大学助教授、1968年「唐代政治制度の研究」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。西京大学助教授、1953年京都府立大学教授、1969年定年退官、名誉教授、園田学園女子大学教授、京都産業大学教授。
小泉 貞三(こいずみ ていぞう、1905年2月4日 - 19… 小泉 貞三(こいずみ ていぞう、1905年2月4日 - 1975年2月9日 )は、経済学者、経営学者、経済学博士。関西学院大学名誉教授・ 元関西学院大学商学部長。 交通経済学の研究において数多くの研究、業績を残し、その学問の発展に寄与された。滋賀県神崎郡生まれ。
淀野 隆三(よどの りゅうぞう、1904年〈明治37年〉4月… 淀野 隆三(よどの りゅうぞう、1904年〈明治37年〉4月16日 - 1967年〈昭和42年〉7月7日)は、日本の文芸評論家。フランス文学者。 京都府紀伊郡伏見町(現・京都市伏見区)生まれ。本名・三吉。淀野家は伏見過書町で手広く鉄工所を営んでいた。京都府立京都第二中学校(現・京都府立鳥羽高等学校)を卒業後、1922年に第三高等学校(現・京都大学 総合人間学部)文科甲類に入学。野球部に入り、一高三高戦で三塁手として活躍した。三高劇研究会に所属し、卒業した先輩の梶井基次郎、中谷孝雄、外村茂と知り合う。 1925年、三高卒業後に東京帝国大学文学部仏文科に入学。前年に同校に進んでいた梶井基次郎、中谷孝雄、外村茂の創刊した同人誌『青空』の6月号・通巻4号から同人参加した。
木村 常信(きむら つねのぶ、1901年9月4日 - 199… 木村 常信(きむら つねのぶ、1901年9月4日 - 1991年4月24日)は、日本の民法学者。京都大学名誉教授。長女は推理小説家の山村美紗、長男は政治学者で北海道大学名誉教授の木村汎、孫は女優の山村紅葉。
岡田 希雄(おかだ きゆう、1898年(明治31年)3月15… 岡田 希雄(おかだ きゆう、1898年(明治31年)3月15日 - 1943年(昭和18年)1月31日)は、日本の国語学者、国文学者、辞書学者。 京都府葛野郡七条村(現在の京都市下京区)に農家の服部家の次男として生まれる。名は市治郎。3歳で父の浅吉を亡くし、5歳で母のヤヱを亡くした後、乙訓郡久世村(現在の京都市南区)にある曹洞宗の鷲尾寺の住職である岡田希僊に引き取られる。1904年(明治37年)に養子として入籍し、1910年(明治43年)に得度を受けて「希雄」と名前を改め、翌1911年(明治44年)3月に僧籍に登録された。 1915年(大正4年)に京都府立京都第二中学校を卒業後、第三高等学校に入学する。
廉 想渉(れん そうしょう、ヨム・サンソプ、1897年8月3… 廉 想渉(れん そうしょう、ヨム・サンソプ、1897年8月30日 - 1963年3月14日)は、朝鮮の小説家、言論人。本貫は坡州廉氏。本名は尚燮、号は横歩。8人兄弟の3番目に生まれた。朝鮮文学に初めて自然主義という語を植え付け、朝鮮の自然主義文学の祖となった。
菅原 明朗(すがはら めいろう、Méireaux Sœgah… 菅原 明朗(すがはら めいろう、Méireaux Sœgaharat、1897年(明治30年)3月21日 - 1988年(昭和63年)4月2日)は、日本の作曲家、音楽の教育者、指導者、啓蒙家。本名は吉治郎。 兵庫県明石市大蔵町生まれ。菅原道真の菅原氏の末流。プロテスタントの幼稚園に通ったことから、明石第二尋常小学校(現在の明石市立人丸小学校)通学中の1908年(11歳)、洗礼を受ける(後年、カトリックに改宗)。1910年(13歳)京都二中(現在の京都府立鳥羽高等学校)に入学。その時代、陸軍軍楽隊長小畠賢八郎にホルンとソルフェージュを習った。 1914年(17歳)上京し、1918年(21歳)まで川端画学校洋画科で藤島武二に学んだ。
桃井 直美(ももい なおみ、1896年(明治29年)7月10… 桃井 直美(ももい なおみ、1896年(明治29年)7月10日 - 1966年(昭和41年)1月9日)は日本の政治家、内務官僚。官選岐阜県知事、公選高知県知事。旧姓・公文。 高知県長岡郡国比左村比江36番屋敷で、県会議員・公文伊三郎、亀寿の三男として生まれた。粟島航海学校に進み海軍兵学校を目指したが、近視のため断念。同海員学校長の桃井百太郎(?〜1945年11月14日)の養子となる。 その後、京都府第二中学校に編入し、第六高等学校を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し福島県属・内務部勤務となる。 その後、福島県警部、岩手県・富山県・三重県各勤務、佐賀県書記官・経済部長、山梨県書記官・警察部長、和歌山県書記官・警察部長、鹿児島県書記官・警察部長、神奈川県書記官・学務部長、愛媛県書記官・総務部長、埼玉県部長・内政部長などを歴任。
川崎 俊一(かわさき しゅんいち、1896年(明治29年)1… 川崎 俊一(かわさき しゅんいち、1896年(明治29年)1月24日 - 1943年(昭和18年)1月19日)は、日本の大正から昭和期における地球物理学者。 京都帝国大学理学部宇宙物理学教室の最初の卒業生で、水沢緯度観測所第二代所長を務めた。 滋賀県栗太郡治田村(現在草津市と栗東市にまたがる)に生まれる。姉の英子は、天文学者で京都帝国大学教授山本一清の妻となる。京都府立第二中学校、1912年(大正3年)広島高等師範学校に入学し、京都帝国大学理学部に1917年(大正8年)入学、1920年(大正11年)京都帝国大学理学部宇宙物理学教室第一期生として卒業する。 1920年(大正11年)京都帝国大学卒業後水沢緯度観測所に技師として入所する。
野村 光一(のむら こういち、1895年9月23日 - 19… 野村 光一(のむら こういち、1895年9月23日 - 1988年5月22日)は、日本の音楽評論家。 娘の輝子は東京藝術大学ピアノ科を卒業し、谷崎潤一郎の娘にピアノを教えていたが、安田善次郎の曾孫で建築設計士の安田紫気郎と結婚した。遠縁に佐々木勇之助(佐々木の妻の兄の養子が光一の父)
金子 鷹之助 (かねこ たかのすけ、1892年11月7日 -… 金子 鷹之助 (かねこ たかのすけ、1892年11月7日 - 1951年5月7日)は、日本の歴史学者。東京商科大学(現一橋大学)教授を務めたが、日本の降伏後、教職追放令により免官された。 京都市出身。京都府立第二中学校(のちの京都府立鳥羽高等学校)卒業後、1915年東京高等商業学校(のちの一橋大学)本科卒業。1917年同専攻部貿易科を総代で卒業し、同校講師に就任。上田貞次郎門下。1919年同校教授。 1920年東京商科大学附属商学専門部教授。同年から1923年までイギリス、フランス、ドイツに留学。のち、東京商科大学教授兼附属商学部教授となり、1938年に全国高商文化聯合会が設立されると会長に就任。
高山 義三(たかやま ぎぞう、1892年(明治25年)6月1… 高山 義三(たかやま ぎぞう、1892年(明治25年)6月15日 - 1974年(昭和49年)12月6日)は、日本の弁護士、政治家。京都市長(第19代)。国立京都国際会館初代館長。京都自由人権協会理事長。初代京都市会議長で第1回衆議院議員を務めた中村栄助の三男。 中村栄助の三男として京都市に生まれる。京都府立二中では野球部で小西作太郎とバッテリーを組んでいた。第五高等学校を経て1918年に京都帝国大学法科大学法律学科を卒業。学生時代は河上肇を顧問とする労学会に所属、キリスト教社会主義運動に参加。1917年、友愛会の初代京都支部長に選ばれた。賀川豊彦の影響により普選運動に携わった。 京大助手、同志社大学講師を経て、神戸で弁護士を開業した。
小西 作太郎(こにし さくたろう、1892年5月25日 - … 小西 作太郎(こにし さくたろう、1892年5月25日 - 1985年2月5日)は、日本の実業家。朝日新聞社元常務。全国高校野球の生みの親でもある。京都府京都市出身。 京都第二中学、旧制三高を経て、1918年に京都帝国大学工学部卒業。1921年に朝日新聞社に入社。印刷部長、印刷局長、常務などを歴任し、特に印刷部門でアメリカから高速度輪転機を導入したり、他社よりも先駆けて扁平活字を考案し採用した。 京都二中時代は捕手を務め、のちに京都市長となる高山義三とバッテリーを組んだ。第三高校では主将となり、高山と相談した上で、大阪朝日京都通信部主催で、中等野球の京津大会の開催を実現させた。これが契機となり、全国中等学校優勝野球大会が始まった。
11代 池本 甚四郎(いけもと じんしろう、1890年(明治… 11代 池本 甚四郎(いけもと じんしろう、1890年(明治23年)11月18日 - 1964年(昭和39年)1月30日)は、大正から昭和期の農業経営者、醸造家、政治家。衆議院議員、京都府会議長、京都府久世郡小倉村長、宇治市長。旧名・嘉一郎、号・水也。 京都府久世郡小倉村大字小倉小字久保(現宇治市小倉町)で、素封家の10代池本甚四郎、静の長男として生まれる。小倉尋常小学校(現宇治市立小倉小学校)、久世郡組合高等小学校、伏見彰徳高等小学校、府立京都第二中学校(現京都府立鳥羽高等学校)を経て、1913年(大正2年)3月、山口高等商業学校を卒業した。卒業後、家業の醤油醸造業に従事した。1920年(大正9年)4月、京都市立第一商業学校(現京都市立西京高等学校・附属中学校)教諭に就任し、また宇治に設立された夜間中学の教師も務めた。
梅園 篤彦(うめぞの あつひこ、1889年〈明治22年〉7月… 梅園 篤彦(うめぞの あつひこ、1889年〈明治22年〉7月17日 - 1978年〈昭和53年〉8月4日)は、大正から昭和期の神職、政治家、実業家、華族。貴族院子爵議員。 男爵・梶野行篤の七男として生まれ、1913年(大正2年)6月、子爵・梅園実師の養子となる。養父の死去に伴い、1917年(大正6年)10月10日、子爵を襲爵した。 1909年(明治42年)京都府立第二中学校を卒業。1912年(明治45年)3月、大阪市立高等商業学校を卒業。その後、京都帝国大学法科大学を修了した。 1916年(大正5年)官幣中社白峯宮主典に就任。以後、府社男神社社司、京都市主事、京都市嘱託、滋賀県嘱託、京都薬学専門学校講師、京都計理士会会長、三島製紙常務取締役、精版印刷監査役などを務めた。
梅原 龍三郎(うめはら りゅうざぶろう、1888年〈明治21… 梅原 龍三郎(うめはら りゅうざぶろう、1888年〈明治21年〉3月9日 - 1986年〈昭和61年〉1月16日)は、日本の洋画家。京都府京都市下京区生まれ。はじめ龍三郎、1914年(大正3年)までは梅原 良三郎(うめはら りょうざぶろう)と名乗り、再び龍三郎と名乗った。 ヨーロッパで学んだ油彩画に、桃山美術・琳派・南画といった日本の伝統的な美術を自由奔放に取り入れ、絢爛な色彩と豪放なタッチが織り成す装飾的な世界を展開。昭和の一時代を通じて日本洋画界の重鎮として君臨した。 京都府京都市下京区生まれ。生家は染物問屋だった。京都府立第二中学校(現・京都府立鳥羽高等学校)を中退し、伊藤快彦の画塾・鍾美会で学んだ後、浅井忠が主催する聖護院洋画研究所(現・関西美術院)に入った。
駒井 徳三(こまい とくぞう、1885年(明治18年)6月1… 駒井 徳三(こまい とくぞう、1885年(明治18年)6月10日 - 1961年(昭和36年)5月13日)は、満洲国国務院初代総務庁長官・満洲国参議府参議。 滋賀県栗太郡常盤村(現・草津市)字穴に、医師・駒井徳恒の二男として生まれる(族籍は元士族)。 日清戦争の頃、荒尾精に感化されて初めて中国を意識するようになる。京都府立二中に通う傍ら、杉浦重剛の分塾「浮雲塾」に学び、中国への憧憬を深めた。その後宮崎滔天の著作『三十三年の夢』に学んで「支那研究」の想いを募らせ、周囲の反対を押して札幌農学校(のち東北帝国大学農科大学と改称)に進学、「満洲大豆論」を卒業論文に選び、1911年に農学科(農業経済学および農政学)を卒業した。
松阪 広政(まつざか ひろまさ、1884年(明治17年)3月… 松阪 広政(まつざか ひろまさ、1884年(明治17年)3月25日 - 1960年(昭和35年)1月5日)は、日本の司法官僚・政治家。 検事総長、および太平洋戦争時の司法大臣を歴任した。 京都府久世郡宇治町(現在の宇治市)の地主で製茶業の家に生まれた。京都二中、東京神田中学校、一高を経て、1910年(明治43年)、東京帝国大学法科を卒業。1912年(大正元年)、検事となる。 名古屋裁判所の検事だった1925年3月に定型犯として賭博に関する調査を命じられた。7月に東京へ転出した後も高木常七により継続され12月に完成。あくまで事務処理の利便目的だったが結果が優れていたため、司法資料に取り上げられた。
春乃 さくら(はるの さくら、3月11日 - )は、宝塚歌劇… 春乃 さくら(はるの さくら、3月11日 - )は、宝塚歌劇団宙組に所属する娘役。
松田 太郎 は、日本の経営者。鳥取県鳥取市出身。
宇良 和輝 は、大阪府寝屋川市出身で木瀬部屋所属の現役大相撲… 宇良 和輝 は、大阪府寝屋川市出身で木瀬部屋所属の現役大相撲力士。本名同じ。身長176.0cm、体重138kg、血液型はB型。最高位は西小結(2024年1月場所)。平成4年度生まれの関取を指す「花のヨン組」の1人。幕内経験後に怪我の長期休場により西序二段106枚目まで降格したが、その後再入幕を果たすという史上最低地位からの幕内復帰記録を持つ。廻しの色はピンク。珍しい決まり手を使うこともある技巧派力士、メディアによってはアクロバット相撲とも評されている。