スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
安田 つぐみ(やすだ つぐみ、2000年9月27日 - )は… 安田 つぐみ(やすだ つぐみ、2000年9月27日 - )は、群馬県出身のハンドボール選手。日本ハンドボールリーグ(リーグH)のハニービー石川所属。 群馬県立富岡高等学校時代は2017年に第7回ユースアジア選手権の日本代表U-18に選出。 2018年は第7回ユース世界選手権の日本代表U-18、第6回U-22東アジア選手権の日本代表U-22(U-18で構成)に選ばれた。同年の全国高等学校総合体育大会(インターハイ)では優秀選手に選ばれた。 高校卒業後は桐蔭横浜大学へ進学。2019年は第15回ジュニアアジア選手権の日本代表U-20に選出された。 2023年1月に日本ハンドボールリーグの北國銀行へ加入。
三橋 健也(みつはし けんや、1997年7月11日 - )は… 三橋 健也(みつはし けんや、1997年7月11日 - )は、日本の男子バドミントン選手。 群馬県前橋市出身。富岡第一中学校から群馬県立富岡高等学校に進む。 高校時代は渡辺勇大とペアを組み、インターハイ個人戦ダブルス優勝や、全国高校選抜で個人戦ダブルス2連覇などの成績を残した。 高校卒業後は日本大学に進学。 2017年のユニバーシアード(世界大学生大会)に、玉手勝輝とのペアで出場。準決勝では、後の東京五輪金メダリストの李洋と李哲輝のペアを破り決勝に進出。決勝では金載煥 / 徐承宰に敗れ準優勝となった。 大学卒業後は、日本ユニシス(現BIPROGY)に入社。2歳年上の井上拓斗とペアを組む。2021年の全日本総合準優勝や、2022年の全日本社会人優勝などの成績を残した。
瀧澤 尚也(たきざわ なおや、1994年4月14日 - )は… 瀧澤 尚也(たきざわ なおや、1994年4月14日 - )は、群馬県富岡市出身の元ハンドボール選手。 富岡市立南中学校時代は2009年の第18回JOCジュニアオリンピックカップで優秀選手に選ばれた。 中学卒業後は群馬県立富岡高等学校へ進学し、2010年は日本代表U-16に選出された。 高校卒業後は明治大学へ進学。2013年8月に第5回男子ユース世界選手権の日本代表U-19に選ばれた。 2014年は第14回男子ジュニアアジア選手権の日本代表U-21に選出。 2017年2月に日本ハンドボールリーグの大同特殊鋼へ加入。 2018年7月に第24回世界学生選手権の日本代表U-24に選出された。 2024-25年シーズン限りで現役を引退。
小賀野 龍也(おがの たつや、1988年4月5日 - )は、… 小賀野 龍也(おがの たつや、1988年4月5日 - )は、群馬県富岡市出身の元ハンドボール選手。 2011年2月に日本ハンドボールリーグの湧永製薬へ加入。 2012年9月にドイツ2部のSCデイアフカー・ライプツィヒへ期限付き移籍することが発表された。 2013年にドイツ3部のSVアンハルト・ベルンブルクへ移籍。 2014-15年シーズンから湧永製薬へ復帰。 2018年1月には第18回アジア選手権の日本代表に選ばれた。 2020-21年シーズン限りで現役を引退。
小林 太志(こばやし ふとし、1983年5月11日 - )は… 小林 太志(こばやし ふとし、1983年5月11日 - )は、群馬県富岡市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 現役時代の愛称は「ハマのエクスプレス」。 中学時代は軟式野球をし、高校入学時に大学で野球をしたいと思い、野球部監督が立教大学OBの群馬県立富岡高等学校へ進学した。在籍時には最速144 kmのストレートで注目されたが、初戦敗退を喫する。 一般入試で進学した立教大学ではエースとして東京六大学野球リーグで活躍し、リーグ戦通算10勝を挙げた。大学3年時に埼玉西武ライオンズのスカウトが注目するも指名はされなかった。 大学卒業後の2006年にJR東日本に入社。堀井哲也監督の指導のもと、JR東日本硬式野球部で1年目からチーム投手陣の主軸に抜擢され、第77回都市対抗野球では2試合に先発、シダックスから補強された森福允彦らと共にチームのベスト4入りに貢献した。
中野 新太郎(なかの しんたろう、1981年10月26日 -… 中野 新太郎(なかの しんたろう、1981年10月26日 - )は、日本の歌手。群馬県甘楽郡甘楽町出身。本名:中野繁則、。甘楽町立第三中学校を経て群馬県立富岡高等学校定時制卒業。愛称はシンちゃん。自らの個人事務所である、officeナカノ所属。 2005年までは本名の中野 しげのり名義で活動していた。妹2人のいる3人兄弟の長男。 群馬県 甘楽郡 甘楽町 大字秋畑 字那須の農家に生まれ、幼少期より曾祖母、祖父母の影響で淡谷のり子、二葉あき子などの歌を聞きながら育つ。6歳より、ピアノ教室に通い、ピアノと声楽を習う。高崎経済大学附属高等学校音楽系を中退後、群馬県立富岡高等学校定時制に再入学。社交ダンス教室などにも通っている。
矢野 東(やの あずま、1977年7月6日 - )は、日本の… 矢野 東(やの あずま、1977年7月6日 - )は、日本のプロゴルファー。群馬県出身。日本大学卒業。 モデルのようなルックスでゴルフ界のイケメンプレイヤーとして有名。 日本大学ゴルフ部出身。日本大学時代には、「関東アマ」「朝日杯全日本学生」「全日本学生王座決定戦」を制している。 大学卒業後に、プロ転向を表明を行い、2002年に初シードを獲得した。現在まで、日本男子プロツアー3勝。2012年頃から、椎間板ヘルニアなどなで苦しみ、14年に12年間守ったシードを手放す。さらに、17年に右ひじの悪化により手術し、特別保障制度の適用を受ける。18年「RIZAP KBCオーガスタ」で1年3カ月ぶりにツアー復帰した。
斎藤 嘉彦(さいとう よしひこ、1972年2月12日 - )… 斎藤 嘉彦(さいとう よしひこ、1972年2月12日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は400mハードル。 富岡高校時代に名将佐藤敏明(高崎商業高校OB)の勧めで陸上競技部に入部、才能を開花させた。日本人として初めて48秒台の記録を出して、苅部俊二・山崎一彦らとともに日本の400mハードルを世界レベルに押し上げた。1992年、バルセロナオリンピックに出場。その後長く低迷しアトランタオリンピック出場を逃した。 1998年、郷里の群馬綜合ガードシステムに入社。復調し48秒64の自己新記録で日本選手権優勝。2000年、シドニーオリンピック出場を目指したが、若手の為末大らの台頭もあり、あと一歩で出場を逃し選手生活を引退、その後、群馬県高崎市にある東京農業大学第二高等学校教諭として後進の指導にあたっている。
榎本 義法(えのもと よしのり、1969年〈昭和44年〉1月… 榎本 義法(えのもと よしのり、1969年〈昭和44年〉1月7日 - )は、日本の政治家。群馬県富岡市長(2期)。 群馬県富岡市出身。富岡市立西小学校、富岡市立富岡中学校、群馬県立富岡高等学校卒業。1991年(平成3年)3月、東京経済大学経営学部卒業。高校、大学、社会人を通じてラグビー部に所属した。同年4月、太陽神戸三井銀行に就職。1994年(平成6年)3月、さくら銀行を退職。同年4月、学校法人榎本学園に転職。 2005年(平成17年)1月、富岡青年会議所理事長に就任。 2007年(平成19年)1月、日本青年会議所常任理事に就任。 2009年(平成21年)1月、日本青年会議所副会頭に就任。 2014年(平成26年)4月13日に行われた富岡市長選挙に立候補するも、元職の岩井賢太郎に敗れ落選。
広木 政人(ひろき まさと、1960年1月7日 - )は、群… 広木 政人(ひろき まさと、1960年1月7日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 群馬・富岡高では、エースとして1977年春季関東大会準々決勝に進出するが、駒崎幸一のいた川口工に敗れる。同年夏は県予選を勝ち抜き、北関東大会準決勝に進むが甲府商に敗退、甲子園には出場できなかった。 同年のドラフト3位でロッテに入団。本格派右腕と期待され、ルーキーながら1978年5月に初登板。同年6月には初先発も果たすが、結果を残せず、翌年以降は登板の機会がなかった。1984年限りで現役引退。カーブ、シュートを武器とした。引退後は建設会社の広木工業に入社。
阪本 孝男(さかもと たかお、1958年12月19日 - )… 阪本 孝男(さかもと たかお、1958年12月19日 - )は、1970年代から1980年代の日本の元陸上競技選手で、陸上競技指導者、陸上競技解説者。現役時代の専門種目は走高跳で、元日本記録保持者。1984年ロサンゼルスオリンピック日本代表。群馬県出身。 群馬県立富岡高等学校から筑波大学に進む。1977年10月の日本学生陸上競技対校選手権大会で、2メートル21の日本タイ記録を達成した。1978年、日本陸上競技選手権大会に初めて優勝し、代表として出場したアジア競技大会(バンコク)でも優勝する。1979年4月の静岡リレーカーニバルで2メートル25の日本新記録を樹立した。1980年モスクワオリンピック代表に選ばれたが、日本が不参加のため出場できなかった。
茂原 正秀(もはら まさひで、1958年〈昭和33年〉11月… 茂原 正秀(もはら まさひで、1958年〈昭和33年〉11月23日 - )は、日本の政治家。群馬県富岡市長(1期)。元富岡市議会議員(6期)。 群馬県富岡市出身。群馬県立富岡高等学校、同志社大学商学部卒業。 家業の商店を継ぎながら学習塾を経営。一ノ宮地区の子ども会育成会連絡協議会や小中学校のPTAの会長を務める中で周囲から勧められ、2002年、富岡市議会議員選挙で初当選。以後6期務める。 2025年11月14日、翌年の富岡市長選挙への立候補を表明。2026年4月12日に市長選の投開票が行われ、茂原が現職の榎本義法ら4人の争いを制し初当選した。
岩井 寿史(いわい ひさし、1955年 - 2020年10月… 岩井 寿史(いわい ひさし、1955年 - 2020年10月13日)は、日本の陸上競技選手である。専門は十種競技。群馬県出身。1970年代後半から1980年代前半にかけて活躍し、アジアの鉄人と呼ばれた。 群馬県立富岡高等学校、順天堂大学を卒業。1977年、日本選手権で7207点をマークして優勝。1978年(昭和53年)、日本選手権を7184点で制し、アジア大会代表に選出。タイ・バンコクで開催された第8回アジア大会陸上競技男子十種競技に日本代表として出場し、当時の世界でトップレベルだった中国、インドの選手を退け、7003点をマークし、優勝した。 2020年10月13日に逝去。 棒高跳の競技中に右足かかとを骨折し、まともに競技ができる状態ではなかったが、痛み止めの注射を打ち、精神力で残りの競技を行った。
塩山 芳明(しおやま よしあき、1953年9月10日 - )… 塩山 芳明(しおやま よしあき、1953年9月10日 - )はエロ漫画編集者。編集プロダクション「漫画屋」代表。文筆家。群馬県富岡市在住。 群馬県富岡市一ノ宮生れ。群馬県立富岡高等学校、明治大学二部卒業。1977年、遠山企画に入社。1993年、「漫画屋」設立に参加。 一方で、読書家、映画マニアとしても知られる。 公私にわたる強烈な毒舌と、渋い趣味の本や映画の感想がつづられる日記エッセイ「嫌われ者の記」を、様々なエロ漫画雑誌をまたいで長期連載中。1996年にはその初期の連載分が単行本にまとめられ、また2006年には、20年分の連載内容からセレクトしたヴァージョンがちくま文庫から刊行された。 近年は、「ちくま文庫版」のセレクションを担当した南陀楼綾繁と親交が厚く、南陀楼が主催するトークイベントにしばしばゲスト出演している。
蒲谷 良充(かばや よしみつ、1952年8月26日 - )は… 蒲谷 良充(かばや よしみつ、1952年8月26日 - )は、高校野球指導者。群馬県出身。群馬県立富岡高等学校、立教大学法学部卒。 高校、大学と野球選手として活躍。特に、立教大学時代は四番打者として江川卓投手と対戦するなど東京六大学リーグで活躍する。卒業後は、社会人野球の大丸(京都市)に所属し小林繁投手らとともに活躍した。 その後、地元群馬県内の高校野球指導者として、高崎北高校、藤岡高校、富岡高校の監督をつとめる。富岡高校監督在任中には、21世紀枠の群馬県候補校に選出された。また、大学野球で活躍する多くの選手を育成した。打者出身であるが、横浜DeNAの小林太志投手などの好投手も育てている。 高崎市立高崎経済大学附属高等学校野球部監督をつとめたのち、2013年3月定年退職。
関口章(せきぐち あきら、1952年2月14日 - )は、日… 関口章(せきぐち あきら、1952年2月14日 - )は、日本の化学者。専門は有機化学。群馬県出身。理学博士(筑波大学)。ケイ素 などの高周期有機元素化学分野で有名。 群馬大学時代は右田俊彦教授、筑波大学時代は安藤亘教授、東北大学時代は櫻井英樹教授の下で研究。
土屋 博映(つちや ひろえい、1949年3月3日 - )は、… 土屋 博映(つちや ひろえい、1949年3月3日 - )は、日本の国文学者。元跡見学園女子大学短期大学部言語文化科日本語専攻教授。元代々木ゼミナール古文科講師。 1979年より代々木ゼミナールで古文講師を勤めた。授業の合間に受験生を励ます替え歌を歌ったり、様々なエピソード、雑談を交えたスタイルから「お祭り講師」と呼ばれた。「わくわく動物ランド」「上海紅鯨団が行く」などのバラエティ番組でレギュラー出演をする。わくわく動物ランドに解答者としてオファーを受けた時には、当時「クイズダービー」のレギュラー解答者で学習院大学教授の篠沢秀夫に相談し、そこで数々のアドバイスと励ましを受けて、出演することを決めたという。
清水昇(しみず のぼる、1944年12月6日 - )は、日本… 清水昇(しみず のぼる、1944年12月6日 - )は、日本の歴史作家。 群馬県生まれ。群馬県立富岡高等学校卒。歴史小説、歴史書、小説のほか、各出版社の歴史雑誌に論考や歴史評論を発表している。
団 しん也(だん しんや、本名:五十貝 勝(いそがい まさる… 団 しん也(だん しんや、本名:五十貝 勝(いそがい まさる)、1944年〈昭和19年〉4月16日 - )は、群馬県富岡市出身の芸能人。 歌手、ジャズシンガー、芸人、コメディアン、声帯模写、司会者、俳優、声優などの多彩な顔を持つ。日本屈指のエンターテイナーかつ、本格的なボードビリアンとしてテレビ・舞台・ライブなどで多岐に活躍している。富岡市ふるさと大使。 他、あまり人のやらない外国人のもの真似など、無数にある。
里見 進(さとみ すすむ、1943年8月21日 - )は、群… 里見 進(さとみ すすむ、1943年8月21日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手。現姓は夏目。 群馬県立富岡高等学校から1962年に毎日大映オリオンズへ入団。戦力としては「4番手捕手」と扱われていたが、実際には当時の主力投手(小山正明、木樽正明、成田文男)の投球をブルペンで受けることが多く、練習では強打で鳴らした主力打者(江藤慎一、山崎裕之、有藤通世、ジョージ・アルトマン、アルト・ロペスなど)を相手に打撃投手も務めていた。 NPBが1970年のシーズン終了後に(「加盟全12球団の戦力の均等化」を目的にドラフト会議と同じ要領で)プロ野球選抜会議(トレード会議)を始めるに際して、1球団が保有する支配下登録選手の20%に当たる指名対象選手リストへ掲載されたところ、第1回選抜会議の3巡目で南海ホークスから指名された。
山崎 益吉(やまざき ますきち、1942年〈昭和17年〉7月… 山崎 益吉(やまざき ますきち、1942年〈昭和17年〉7月9日 - )は、日本の経済学者。高崎経済大学特任教授。専攻は日本経済思想史、経済学方法論。 群馬県甘楽郡甘楽町生まれ。1961年3月群馬県立富岡高等学校卒業。1965年高崎経済大学経済学部卒業。1969年3月青山学院大学大学院経済研究科修士課程修了。同年4月助手として高崎経済大学に着任した後、1972年講師、1974年助教授、1982年教授として奉職。1991年に1年間文部省の在外研究員としてロンドン大学歴史研究所に留学。1994年には高崎経済大学付属産業研究所所長に就任し、1996年から1999年まで第19代高崎経済大学学長を務める。
岩井 賢太郎(いわい けんたろう、1941年〈昭和16年〉1… 岩井 賢太郎(いわい けんたろう、1941年〈昭和16年〉11月6日 - )は、日本の政治家。群馬県富岡市長(通算2期)、群馬県議会議員(6期)。 群馬県北甘楽郡吉田村(現・富岡市)に生まれる。1961年(昭和36年)、群馬県立富岡高等学校卒業。岩井建設に入社し、常務取締役を勤める。 1983年(昭和58年)、群馬県議会議員選挙に富岡市選挙区から無所属で出馬し初当選。同年5月9日に自民党に入党した。以後6期連続当選。1987年(昭和62年)、群馬県監査委員に就任。1995年(平成7年)、自民党群馬県支部連合会政調会長に就任。1996年(平成8年)6月3日、群馬県議会副議長に就任。1997年(平成9年)6月3日に副議長を退任した。
岡野 光利(おかの みつとし、1941年〈昭和16年〉1月1… 岡野 光利(おかの みつとし、1941年〈昭和16年〉1月18日 - )は、日本の政治家、元群馬県富岡市長(1期)。 群馬県出身。富岡市立吉田中学校、群馬県立富岡高等学校卒。卒業後は沖電気に入社する。1990年富岡市議会議員に初当選し、5期務める。2010年富岡市長選挙に立候補し、現職の岩井賢太郎を破って当選する。市長を1期務め、2014年に退任した。
伊藤 基隆(いとう もとたか、1938年〈昭和13年〉10月… 伊藤 基隆(いとう もとたか、1938年〈昭和13年〉10月25日 - 2017年〈平成29年〉7月11日)は、日本の政治家。参議院議員(比例区、2期)。会派は民主党・新緑風会。参議院民主党国対委員長を務めた。 群馬県北甘楽郡一ノ宮町(現・富岡市)に生まれる。群馬県立富岡高等学校卒業。 田邊誠の実質的な後継者である。全逓書記長在任時の1990年、郵政反マル生闘争における被処分組合員の扱いを巡って、郵政省(当時)との裏交渉で「職場復帰の道が開かれた」として、1991年に処分撤回を求めた裁判を取り下げたが、省は誰一人として被処分者を再雇用しなかった。そればかりか、再雇用されなかった被処分組合員全員を組合組織から追放という結末を演じている。
菅沼 晃(すがぬま あきら、1934年〈昭和9年〉4月5日 … 菅沼 晃(すがぬま あきら、1934年〈昭和9年〉4月5日 - 2016年〈平成28年〉4月7日)は、日本の仏教学者。東洋大学名誉教授。 群馬県富岡市星田の伝宗寺住職・菅沼万休の長男として生まれる。群馬県立富岡高等学校を経て東洋大学卒業後、1962年東洋大学大学院博士課程中退。1974年「入楞伽経の思想史的研究」で文学博士。東洋大学文学部印度哲学科教授、同学部長。同短期大学学長を経て、1991年-1994年、東洋大学学長。2005年に定年退任し、名誉教授。 1975年、日本印度学仏教学会学会賞を受賞。
金山 勝巳(かなやま かつみ、1933年5月22日 - )は… 金山 勝巳(かなやま かつみ、1933年5月22日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手(投手)。1953年から1959年までの登録名は布施 勝巳。
田村 孟(たむら つとむ、1933年〈昭和8年〉1月5日 -… 田村 孟(たむら つとむ、1933年〈昭和8年〉1月5日 - 1997年〈平成9年〉3月28日)は日本の脚本家。青木 八束(あおき やつか)名義で小説家としても活動した。 群馬県甘楽郡妙義町(現・富岡市)出身。群馬県立富岡高等学校を経て、1955年東京大学文学部国文学科卒(卒業論文は「内村鑑三研究序説」)。高校生時代、大学生時代とも演劇をやっていたが、日本映画を一本も見たことが無く、映画監督などにもなる気は無かったという。 元々新聞記者志望で、産経新聞に入社が内定していたが、「胸に影あり」と診断されたことで採用が先延ばしになり、改めて松竹の試験を受け、1955年、松竹大船撮影所に入社。大島渚、石堂淑朗らと松竹ヌーヴェルバーグに関わる。
黛 弘道(まゆずみ ひろみち、1930年4月24日 - 20… 黛 弘道(まゆずみ ひろみち、1930年4月24日 - 2010年12月17日)は、昭和・平成時代の日本の歴史学者。専攻は日本古代史。学習院大学名誉教授。 東京大学教授の坂本太郎の弟子。律令国家・律令制度の成立史に関する研究で博士号を取得した。
広木 康二(ひろき やすじ、1929年〈昭和4年〉5月27日… 広木 康二(ひろき やすじ、1929年〈昭和4年〉5月27日 - 2015年〈平成27年〉10月4日)は、日本の政治家。群馬県富岡市長を3期12年務めた。富岡市文化協会名誉会長、群馬県猟友会理事、全国市長会評議員、全国市議会議長会理事などにも着任した。 群馬県富岡市出身。1946年(昭和21年)富岡中学校(現群馬県立富岡高等学校)を卒業した。 1970年(昭和45年)富岡市議会議員に当選し、1975年(昭和50年)から同議長を務める。1983年(昭和58年)現職の市長を破って富岡市長に当選。2期目となる1987年の市長選でも2位に大差をつけて当選した。富岡まつり実行委員会の会長も兼務し、1988年(昭和63年)の天皇の体調不良に際しては同年10月15-16日開催予定だった第14回富岡まつりの中止を決定している。
風見 章子(かざみ あきこ、1921年〈大正10年〉7月23… 風見 章子(かざみ あきこ、1921年〈大正10年〉7月23日 - 2016年〈平成28年〉9月28日)は、日本の女優。群馬県富岡市出身。本名は中村 フサ(なかむら - )。最終所属先は放映新社。 1921年、群馬県富岡市七日市に生まれる。 富岡高等女学校(現・群馬県立富岡高等学校)を中退し、父が芸事を好んでいたことからエノケン一座に入団。 1937年に日活のオーディションに合格。 1939年に公開された内田吐夢監督映画『土』で主役に抜擢された。 1940年代後半からは松竹・新東宝・東映などの映画にも出演し、1960年代前後からテレビドラマでも活動を開始。 2000年、『忘れられぬ人々』で第22回ナント三大陸映画祭主演女優賞を受賞。
黒沢 丈夫(くろさわ たけお、旧字体: 黑澤 丈夫、1913… 黒沢 丈夫(くろさわ たけお、旧字体: 黑澤 丈夫、1913年(大正2年)12月23日 - 2011年(平成23年)12月22日)は、大日本帝国海軍少佐、戦闘機操縦士、政治家。 群馬県上野村村長を10期連続40年務めた。日本航空123便墜落事故の事故処理に尽力したことで知られる。また「御巣鷹の尾根」の命名者でもある。称号は上野村名誉村民。正五位、旭日重光章。 1913年(大正2年)12月23日、群馬県多野郡上野村の酒造業を営む家に生まれた。父は後に上野村村長となっている。群馬県立富岡中学校を卒業。 1932年(昭和7年)4月に海軍兵学校に第63期生として入隊した。1936年(昭和11年)、兵学校を卒業し、アメリカ合衆国のニューヨークまでの遠洋航海に出た。
折茂 豊(おりも ゆたか、1912年〈明治45年〉1月2日 … 折茂 豊(おりも ゆたか、1912年〈明治45年〉1月2日 - 1994年〈平成6年〉1月8日)は、日本の法学者。専門は国際私法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1957年)(学位論文「国際私法の統一性」)。東北大学名誉教授。 群馬県富岡市一ノ宮出身。旧制富岡中学校(現・群馬県立富岡高等学校)、旧制第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業。同助手、助教授[要出典]。1951年(昭和26年)東北大学法学部教授となり、1966年(昭和41年)法学部長。1975年(昭和50年)に定年退官、名誉教授。 国際私法を専攻し、1957年(昭和32年)「国際私法の統一性」で法学博士(東京大学)の学位を取得。
東野 英治郎(とうの えいじろう、1907年(明治40年)9… 東野 英治郎(とうの えいじろう、1907年(明治40年)9月17日 - 1994年(平成6年)9月8日)は、日本の俳優、随筆家。戦前期の芸名は本庄 克二。身長159cm。 新築地劇団を経て小沢栄太郎、千田是也らと俳優座を創設し、その中心として活躍。戦中からは映画にも出演し、個性的な名脇役として330本以上の作品に出演した。主な出演映画に『東京物語』『用心棒』『秋刀魚の味』『白い巨塔』など。テレビドラマ『水戸黄門』の初代黄門役でも知られる。著書に『私の俳優修業』など。長男は俳優の東野英心。 1907年(明治40年)9月17日(火曜日)、群馬県富岡市七日市の造り酒屋の家に生まれる。父は江州の山村から単身で関東に移り、辛苦して酒造家となった人で、根っからの日野商人(近江商人)だった[要文献特定詳細情報]。
関牧翁(せき ぼくおう、1903年〈明治36年〉4月15日 … 関牧翁(せき ぼくおう、1903年〈明治36年〉4月15日 - 1991年〈平成3年〉2月13日)は、日本臨済宗の僧侶。 臨済宗天龍寺派管長。天龍寺二百四十一世。俗姓は岩井のち関。諱は巍宗。号は叱咤室また集瑞軒。天龍寺規則・宗制の改正を断行し、自由奔放な禅者として知られた。主な弟子には大森曹玄、加藤隆芳、平田精耕、荒金天倫がいる。 群馬県甘楽郡下仁田町に生まれる。初名は岩井 敏夫。旧制富岡中学校を卒業し、慶応義塾大学医学部予科に進学するが、中退。武者小路実篤の提唱した「新しき村」の思想に感化され、伊吹山麗の「愛の村」で青年を指導。 1928年(昭和3年)岐阜県揖斐郡揖斐川町の瑞巌寺の岡部洪宗和尚について得度。
岩井 文男(いわい ふみお、1902年〈明治35年〉8月9日… 岩井 文男(いわい ふみお、1902年〈明治35年〉8月9日 - 1983年〈昭和58年〉8月12日)は、日本基督教団牧師、教育者。 群馬県北甘楽郡高瀬村(現・富岡市高瀬)に生まれる。1918年(大正7年)16歳で、日本組合甘楽(基督)教会にて岡部太郎牧師より受洗。旧制富岡中学校(現・群馬県立富岡高等学校)を経て、同志社大学法学部を卒業。三井銀行に入行したが2年で退職。大学の恩師で法学部教授・中島重に共鳴、日本労働者ミッション派遣員として京都府綴喜郡下草内村で伝道、のち、賀川豊彦の支援により岐阜県加茂郡富田村で農民福音運動やセツルメント活動に従事、兼松沢一らを指導した。 1934年(昭和9年)-1937年(昭和12年)、同志社大学文学部神学科に学んだ後、日本組合渋谷基督教会、日本組合永福町基督教会牧師を歴任。
黛 治夫(まゆずみ はるお、1899年10月2日 - 199… 黛 治夫(まゆずみ はるお、1899年10月2日 - 1992年10月29日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。ビハール号事件におけるBC級戦犯として禁錮刑に処された。 1899年10月2日、群馬県北甘楽郡富岡町(現富岡市)で、養蚕製糸業を営む父・治良と母・かよの長男として生れる。姉・邦子は後に内田市太郎(最終階級は海軍大佐)と結婚している。富岡中学校、横浜一中を経て、1919年10月、海軍兵学校(47期)を卒業し、少尉候補生として練習航海に出発。1920年8月1日、海軍少尉に任官。1925年11月、海軍砲術学校高等科を卒業、「伊勢」分隊長となる。1926年11月、海軍砲術学校教官兼分隊長に任命。
福沢 一郎(ふくざわ いちろう、1898年(明治31年)1月… 福沢 一郎(ふくざわ いちろう、1898年(明治31年)1月18日 - 1992年(平成4年)10月16日)は、日本の洋画家。日本にシュルレアリスムを紹介した画家として知られる。文化功労者、文化勲章受章、群馬県名誉県民。 1898年(明治31年)1月18日、群馬県北甘楽郡富岡町(現富岡市)に生まれる。祖父・常五郎は繭商人として組合製糸・甘楽社を設立し成功を収めた人物で、富岡町長や県会議員を務めた。常五郎の長男・仁太郎は衆議院議員・宮口二郎の姪・ハツと結婚し、夫婦の最初の子として生まれたのが一郎である。仁太郎も後に富岡町長を務めた。 一郎は1910年に富岡尋常高等小学校を卒業後、旧制富岡中学校に入学し1915年に卒業。
新関 八洲太郎(にいぜき やすたろう、1897年(明治30年… 新関 八洲太郎(にいぜき やすたろう、1897年(明治30年)4月2日 - 1978年5月30日)は、埼玉県浦和市出身の実業家で、元三井物産社長・会長。
畑 桃作(はた ももさく、1896年7月10日 - 1949… 畑 桃作(はた ももさく、1896年7月10日 - 1949年3月5日)は、日本の政治家。衆議院議員。 群馬県北甘楽郡富岡町(現在の富岡市)出身。群馬県立富岡中学校を卒業後、農業に従事。その後、群馬県議会議員に当選し、群馬県議会副議長などを歴任。1932年、第18回衆議院議員総選挙で立憲政友会候補として群馬2区から出馬し初当選。通算2期務めた。在任中にブラジル、アルゼンチン等を視察した。
等松 農夫蔵(とうまつ のぶぞう、1896年〈明治29年〉4… 等松 農夫蔵(とうまつ のぶぞう、1896年〈明治29年〉4月25日 - 1980年〈昭和55年〉12月28日)は、日本の海軍軍人(主計科士官)。海軍経理学校6期。最終階級は海軍主計少将。戦後は公認会計士となり、有限責任監査法人トーマツを創設した。日本公認会計士会長。 群馬県前橋市に生まれるが、幼年期に判事であった父を亡くし、北甘楽郡岩平村(多野郡吉井町を経て現・高崎市)に引っ越す。群馬県立富岡中学校(現・群馬県立富岡高等学校)を経て、海軍経理学校を1917年に卒業(6期)、海軍主計少尉候補生を命じられる。遠洋航海を経て、1918年、戦艦「扶桑」乗組。1919年、海軍主計少尉に任官。1920年、海軍主計中尉に進級。
関根 久蔵(久藏、せきね きゅうぞう、1894年(明治27年… 関根 久蔵(久藏、せきね きゅうぞう、1894年(明治27年)12月20日 - 1969年(昭和44年)3月29日)は、日本の農業経営者、政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)、埼玉県児玉郡金屋村長。 埼玉県児玉郡金屋村(のち児玉郡児玉町、現:本庄市)で生まれる。1913年、群馬県立富岡中学校を卒業し、農業を継いだ。 1920年、金屋村助役に就任し、農業恐慌への対策に取り組む。その後、金屋村信用販売購買組合長、同村産業組合長、同村農業会長、埼玉県信販購利用組合連合会専務理事、同農業会専務理事、同農業共済組合連合会長、同信用農業協同組合連合会長、同養蚕農業協同組合連合会長、全国乾繭組合連合会副会長、全国養蚕農業協同組合連合会長、農林中央金庫評議員などを務めた。
久保 禎三(くぼ ていぞう、1894年〈明治27年〉1月5日… 久保 禎三(くぼ ていぞう、1894年〈明治27年〉1月5日 - 1968年〈昭和43年〉8月8日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 1894年(明治27年)に群馬県多野郡新町(現・高崎市新町)で生まれた。生家は新町宿の脇本陣を勤めた家で、父・喜三郎は新町小学校の初代校長。 旧制藤岡中学校、旧制富岡中学校を経て、陸軍士官学校第28期、東京帝国大学土木工学科卒業。1938年(昭和13年)7月15日に陸軍工兵大佐進級と同時に陸軍大学校教官に就任し、1939年(昭和14年)8月に陸地測量部三角科長に転じた。1940年(昭和15年)12月に鉄道第6連隊長(第14軍)に就任し、フィリピン攻略戦に出征した。
貫井 清憲(ぬくい きよのり、1892年〈明治25年〉4月2… 貫井 清憲(ぬくい きよのり、1892年〈明治25年〉4月28日 - 1984年〈昭和59年〉8月3日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、埼玉県児玉郡若泉村長、同阿久原村長、同神泉村長。 埼玉県児玉郡若泉村(のち阿久原村を経て神泉村、現:児玉郡神川町)で生まれる。1910年(明治43年)、群馬県立富岡中学校を卒業。 実業家としては1920年(大正9年)から9年間鬼石銀行(現・群馬銀行)取締役を、1922年(大正11年)から18年間上武自動車社長を、1933年(昭和8年)から8年間児玉郡乾繭組合長をそれぞれ務めた。また、1943年(昭和18年)に上信電鉄取締役に、1951年(昭和26年)に武蔵野銀行取締役にそれぞれ就任した。
飯塚 国五郎(國五郎、いいづか くにごろう、1887年〈明治… 飯塚 国五郎(國五郎、いいづか くにごろう、1887年〈明治20年〉5月25日 - 1938年〈昭和13年〉9月3日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 群馬県北甘楽郡富岡町(現・富岡市)出身。農業・飯塚理八の長男として生まれる。富岡中学校(現群馬県立富岡高等学校)を経て、1910年(明治43年)5月、陸軍士官学校(22期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第66連隊付となる。 1919年(大正8年)11月から1920年(大正9年)11月までシベリア出兵に従軍し、ニコリスク・ウスリースキー(現・ウスリースク)付近の戦闘で戦功を挙げ、功五級金鵄勲章を受章した。1920年8月、歩兵大尉に昇進し歩兵第66連隊中隊長に就任。
阿部 真之助(あべ しんのすけ、旧字体:眞之助、1884年〈… 阿部 真之助(あべ しんのすけ、旧字体:眞之助、1884年〈明治17年〉3月29日 - 1964年〈昭和39年〉7月9日)は、明治から昭和にかけて活躍したジャーナリスト、政治評論家、エッセイスト。筆名は野山草吉。毎日新聞社取締役主筆、日本エッセイスト・クラブ初代理事長、第9代NHK会長を務めた。富岡市名誉市民。恐妻家としても知られた。 1884年(明治17年)、埼玉県熊谷市で、造り酒屋を営む阿部久兵衛の次男として生まれる。兄は早世し、姉4人、弟妹各1人がいた。1890年(明治23年)群馬県甘楽郡富岡町(現・富岡市)に転居し、富岡小学校で学ぶ。1897年(明治30年)群馬県立富岡中学校(現・群馬県立富岡高等学校)が開校されると入学。
茂原 璋男 は、日本の地方公務員。群馬県副知事、同県蚕糸振興… 茂原 璋男 は、日本の地方公務員。群馬県副知事、同県蚕糸振興協会理事長を歴任。瑞宝中綬章受章。
鈴木 香(すずき かおる)は、群馬県出身の元男子アマチュア野… 鈴木 香(すずき かおる)は、群馬県出身の元男子アマチュア野球選手である。ポジションは外野手。 富岡高等学校を卒業した後に、駒澤大学に進学する。 大学在学時には、東都大学野球リーグでは、1969年の春季リーグでは武器である俊足を生かして、リーグ最多盗塁数51を達成し(この記録はのちに1988年に野村謙二郎が更新した)、その春季リーグでベストナインにも選ばれた。また、バントを打つのがうまく、守備範囲が広いという走攻守の三拍子が揃った中堅手として、定評があった。 大学卒業後には、1969年のドラフト会議で近鉄バファローズから4位指名されたが入団を拒否し、日本鉱業日立に入社する。のちに日本鉱業佐賀関に移籍し、都市対抗野球大会や社会人野球日本選手権大会に出場した。