村木 風海(むらき かずみ、2000年〈平成12年〉8月18… 村木 風海(むらき かずみ、2000年〈平成12年〉8月18日 - )は、日本のタレント、起業家、発明家。タレントとしての所属はホリプロ。 高校2年の時に総務省推進・角川アスキー総合研究所が実務機関である異能vationプログラムに採択され、地球温暖化の原因の1つである二酸化炭素(CO2)を回収する技術の研究開発の支援を受けた。2019年、東京大学に推薦入学、2023年3月に中途退学。2021年には国の研究推進事業の広報役を担う内閣府ムーンショットアンバサダー、2023年には文部科学省の「核融合の挑戦的な研究の支援の在り方に関する検討会」委員に就任。メディアの露出も多い。 2020年に炭素回収技術研究機構(代表理事・機構長)を設立し、CO2を回収すると謳う「ひやっしー」のサブスクリプションサービスを始めたが、装置のCO2回収効果に対して専門家から問題を指摘する声やグリーンウォッシュであるとの批判が上がっている。
笹埜 健斗(ささの けんと、1994年6月15日 - )は、… 笹埜 健斗(ささの けんと、1994年6月15日 - )は、日本の社会情報学者、サステナビリティ学者、発明家。慶應義塾大学SFC研究所上席所員、笹埜健斗ラボ代表、一般社団法人XBRL Japan理事、booost technologies株式会社顧問。 専門は生成AIを活用した教育DXとサステナビリティ・トランスフォーメーション(SX)。 持続的なIoMTセキュリティ研究をはじめとする「情報ガバナンス」、「情報セキュリティ」を強化するための研究および開発を行う。人的資本経営を取り入れたサステナブル経営などの持続可能な社会の実現に向けたSDGs/ESG(環境・社会・企業統治)データサイエンス研究や、AI・ChatGPTを活用したプロンプトエンジニアリング等の技術開発に取り組み、リードしている。
藤原 麻里菜(ふじわら まりな、1993年〈平成5年〉7月2… 藤原 麻里菜(ふじわら まりな、1993年〈平成5年〉7月20日 - )は、日本の発明家、YouTuber、コンテンツクリエイター、文筆家、映像作家。「無駄づくり」として工作・発明活動を展開。YouTube NextUp 2016入賞者。2019年度総務省「異能(Inno)vation」最終選考通過者。株式会社 無駄 代表取締役。 よしもとクリエイティブ・エージェンシーを経てフリーランス。文化庁メディア芸術祭エンターテイメント部門審査委員会推薦作品となった「オンライン飲み会緊急脱出マシーン」など、2021年の時点で200点以上の作品を制作。著書に『無駄なことを続けるために』や『考える術』がある。
小川 コータ(おがわ コータ、1977年9月17日 - )は… 小川 コータ(おがわ コータ、1977年9月17日 - )は、日本の発明家、シンガーソングライター、作詞家、作曲家、弁理士。本名、小川 耕太(おがわ こうた)。 1977年9月17日生まれ、東京都町田市出身、血液型はA型。1996年慶應義塾高等学校卒業。2000年慶應義塾大学法学部政治学科卒業。2006年弁理士登録、弁理士登録番号14812。2009年東京工業大学大学院修士課程修了、技術経営修士。 神奈川県鎌倉市在住。作曲家としてハイキックエンタテインメントに所属。2010年に結成した、鎌倉を中心に活動する音楽ユニット「小川コータ&とまそん」でウクレレ・ギター・ピアノ・ボーカルを担当。2017年から2024年3月までFm yokohama『SHONAN by the Sea』(毎週日曜6:00-9:13)内「コータ&とまそんのB3PO(ビー散歩)」にてビーチサンダルを履いた中継レポーターとして出演した。
道脇 裕(みちわき ひろし、1977年 - )は、日本の発明… 道脇 裕(みちわき ひろし、1977年 - )は、日本の発明家、実業家である。株式会社NejiLawと株式会社NejiLaw MO IP Innovationの代表取締役社長を務める。 「小学校中退」という異例の学歴の持ち主。緩まないとされるネジ「L/Rネジ」を考案したことで知られる。幼少期から発明・考案をしてきたといわれる。東京都ベンチャー技術大賞、グッドデザイン賞金賞などを受賞。「世界に誇るべきニッポンの100人」、「日本を動かすベンチャー100」などにも選出された。 大手化学メーカーの研究所所長・役員を務めた父と東京外国語大学名誉教授の母・道脇綾子のもとに群馬県桐生市で誕生した。祖父は群馬大学名誉教授で前橋工科大学初代学長も務めた数学者の道脇義正。
大野 政嗣(おおの まさつぐ、1975年5月20日 - )は… 大野 政嗣(おおの まさつぐ、1975年5月20日 - )は、東京都八王子市出身の実業家、発明家。愛称は「Mr.Raffine」株式会社ボディワークサービス代表取締役社長、株式会社ボディワークホールディングス取締役、株式会社ボディワーク取締役、株式会社リバース東京取締役、全国手技療法師協同組合理事長。血液型A型。 1975年5月20日、東京都八王子市で次男として生まれる。兄弟2人。身体が弱く母の奨めで5歳よりサッカーを始める。小学生3年生で小学校6年生のレギュラーの座を獲得し様々な選抜にも選出されたが、小学校4年生から6年生までは、兄の影響で水泳に専念しジュニアオリンピック候補選手に選出。その後、プロサッカー選手を目指して埼玉県内に有る強豪校に特待生として進学。
森 良平(もり りょうへい、1973年11月生まれ)は、日本… 森 良平(もり りょうへい、1973年11月生まれ)は、日本の科学者、発明家、起業家。グリーンサイエンスアライアンス株式会社および冨士色素株式会社のCEOであり、量子材料技術株式会社および株式会社イーグルテック(e-Gle Tech Co., Ltd.)の代表取締役を務める。環境に配慮したグリーンテクノロジーにおける実績で知られ、アルミニウムベースの二次電池、ブラックマス由来のリサイクルリチウムイオン電池、二酸化炭素(CO2)変換法、量子ドット、金属有機構造体(MOF)、深共晶溶媒、固体酸触媒、石油不使用の生分解性プラスチックや植物バイオマスベースの素材などの研究開発を手がけている。 1997年に京都工芸繊維大学で応用生物学の学士号を取得。
照井 資規(てるい もとき、1973年2月1日 - )は、日… 照井 資規(てるい もとき、1973年2月1日 - )は、日本国愛知県出身のジャーナリスト、社会志向起業家、発明家(特許2件 特許第6456117号「鋏」特許第6293989号「傷病者特定システム及び特定方法」)。一般社団法人Tacmeda(タックメダ)協議会代表理事。日本災害医学会会員、クライシスマネージャー、防災士、ふじのくに防災士。 元陸上自衛官(普通科と衛生科の両職種の研究を行った唯一の幹部)で、災害医療、事態対処医療、軍事医療を専門とする。 北海学園大学法学部2部に在学しながら、HTB映像株式会社に勤務。その後陸上自衛隊に入隊、普通科陸士、陸曹(対戦車特技)を経て衛生科幹部。自衛隊在隊中には部内機関誌の記事執筆、教科書の改訂、教育資料作成の協力を行っていた。
江川 賢記(えがわ まさのり、1969年6月11日 - )は… 江川 賢記(えがわ まさのり、1969年6月11日 - )は、日本の起業家、発明家。元ソリッドグループホールディングス(元ライブドアオート、現カーチスホールディングス)の元代表取締役 President CEO&COO。元ソリッドグループイノベーションズの取締役。現在は株式会社EMACの代表取締役 。
渡部 英樹(わたなべ ひでき、1967年 - )は、日本の歯… 渡部 英樹(わたなべ ひでき、1967年 - )は、日本の歯科医師、発明家、プロウェイクボーダー。 愛媛県出身。大阪歯科大学卒業。 25歳のときにウェイクボードを始め、1998年にアメリカで行われたチャンピオンシップに出場し8位になる。その後全日本選手権大会に出場し4位になり公認のプロとなる。 渦巻を起こす「くるくる鍋」を開発。歯型に使う石膏を混ぜる作業をヒントにした。YouTubeに動画をアップすれば世界20か国から問い合わせが殺到したが、海外全てのライセンス生産は断った。 顔のたるみとほうれい線を防ぐ「キャンディー歯ブラシ」を開発。
粂井 高雄(くめい たかお、1961年10月23日 -)は、… 粂井 高雄(くめい たかお、1961年10月23日 -)は、発明家、文筆家、PC環境コンサルタント、会社経営者。現、株式会社エンタシス(entersys.inc)代表取締役。
角島 秀輝(かくしま ひでき、1959年12月1日 - )は… 角島 秀輝(かくしま ひでき、1959年12月1日 - )は、日本の発明家、技術者である。 北海道室蘭市生まれ。北海道恵庭北高等学校卒業後、札幌トヨペット、航空自衛隊、ハドソンなどを経て30歳の時に株式会社アンフィニーシステムを立ち上げる。システム開発者、プログラマ、システムコーディネーター、システムエンジニアを兼務する。独立後は、親戚の関係で日本で最古のパソコン通信を使用した土木自動計測システム(地すべり自動監視システム)を手掛けた。 ハドソン時代では、ハドソンが手掛けたシャープX68000のガイドブックを著書として出筆し、ビジネスアスキー出版が出した。ハドソンを退社後、Human68kを手掛けた当時ハドソンの優秀な技術者である本迫芳夫氏からの友情かつ信頼からHuman68kの32BIT化を手伝った。
佐藤 克男(さとう かつお、1949年11月28日 - )は… 佐藤 克男(さとう かつお、1949年11月28日 - )は日本の政治家、 発明家、経営者。作詞家としてのペンネーム「克舟」。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
熊谷 俊範(くまがい としのり、1947年8月5日 - 20… 熊谷 俊範(くまがい としのり、1947年8月5日 - 2010年3月14日)は、日本の実業家、発明家。エイブルコーポレーション及びシングルロケ運営会社シティレジャーの創業者。日本アミューズメントマシン協会(JAMMA)理事、アミューズメントビジネス研究会(ABSG)会長などを歴任。JAMMA役員として倫理部会長、消費・流通部会長及び流通委員長、AMショー委員などを務めた。 1947年(昭和22年)8月5日、樺太泊居郡泊居町に4人兄弟の末っ子として出生。熊谷家は祖父の代から樺太に渡り、山や海での権利を持つ樺太きっての豪商であった。常時ロシア人の従業員が数百人働いており、商売も繁盛し、生活も豊かだった。
飯山 一郎(いいやま いちろう、1946年〈昭和21年〉1月… 飯山 一郎(いいやま いちろう、1946年〈昭和21年〉1月17日 - 2018年〈平成30年〉7月20日)は、日本の発明家。乳酸菌を大量培養する装置「グルンバ・エンジン」で知られる。 1946年栃木県で生まれる。 栃木県立真岡高等学校、立教大学法学部卒業。 1990年、上海で汚泥処理機グルンバ・エンジンを開発。「グルンバ・エンジン」という乳酸菌を培養することで汚泥・悪臭を除去する装置を開発した。同装置を用い、日本だけでなく、台湾、中国、韓国などの荒廃した農地を改良し、肥えた農地を蘇らせるなど、国内外で数多くの実績を残した。 2009年夏頃から中国・広州に渡航し、乳酸菌を大量に培養して、腐敗した農地を乳酸発酵させる農地改良事業を実施。
藤村 靖之(ふじむら やすゆき、昭和19年(1944年)- … 藤村 靖之(ふじむら やすゆき、昭和19年(1944年)- )は、日本の発明家。福岡県立修猷館高等学校卒業、大阪大学大学院基礎工学科修了の工学博士。日本大学工学部客員教授。NPO法人那須希望の砦理事長。専門は非電化による環境技術の開発。
山﨑 舜平(やまざき しゅんぺい、1942年7月8日 - )… 山﨑 舜平(やまざき しゅんぺい、1942年7月8日 - )は、日本の工学者、発明家。工学博士(同志社大学)。半導体エネルギー研究所設立者。シリコンテクノロジーの研究開発に従事。IEEE Life Fellow。同志社社友。 1961年、静岡県立静岡高等学校卒業。同志社大学工学部卒業。1967年、同志社大学大学院工学研究科修士課程修了。大学時代より加藤与五郎の薫陶をうける。フラッシュメモリとして知られる不揮発性メモリのトランジスタ構造を博士課程在学中の1970年に発明。1971年、同志社大学大学院電気研究科博士課程修了(工学博士)。同年、東京電気化学工業入社、不揮発性メモリの研究に従事。1973年、TDKフェアチャイルド入社、品質管理課長。
古賀 常次郎(こが つねじろう、1939年〈昭和14年〉5月… 古賀 常次郎(こが つねじろう、1939年〈昭和14年〉5月18日 - 2026年〈令和8年〉3月4日)は佐賀県の実業家、篤志家、発明家。古賀商事代表取締役。更生保護活動への取り組み、旭日双光章など数々の受章・受賞で知られる。佐賀県佐賀市出身。
髙城 壽雄(たかぎ としお、1938年 - )は、日本の発明… 髙城 壽雄(たかぎ としお、1938年 - )は、日本の発明家、実業家。タカギ創業者で、同社代表取締役社長を経て、代表取締役会長。経営法博士。 福岡県小倉市(現北九州市小倉北区)出身。3歳のときマレー作戦で父を亡くし、愛媛県新居浜市の母方の伯父の養子となる。福岡県立門司東高等学校在学中から、発明で多数の受賞をしたが、部の備品を破壊するなどの校内暴力で2度の無期限謹慎処分を受けたのち退学。 1956年に小倉豊国高等学校卒業後、上京してトラック運転手として働きながら東京都大井職業訓練所ラジオ・テレビ科で学んだのち、無線工業(現ディーアンドエムホールディングス)に入社。その後、小倉に戻り22歳で家電製品修理業を起業。
島 正博(しま まさひろ、1937年3月10日 - )は、日… 島 正博(しま まさひろ、1937年3月10日 - )は、日本の実業家・発明家。島精機製作所代表取締役会長。血液型はA型。妻は和島興産社長の島和代。 和歌山県和歌山市出身。10代の頃から発明に熱中し、16歳の時には手袋編み機の特許を取得している。 県立和歌山工業高校卒業後、1962年に「手袋編機の自動化」という課題を掲げて島精機製作所を設立した。「研究開発」に力を注いでおり、1995年には画期的な無縫製ニット横編み機「ホールガーメント」を世に送り出した。 2014年7月11日、アメリカ合衆国ペンシルバニア州フィラデルフィアに在るドレクセル大学より名誉経営学博士号が授与された。 2017年6月28日、会長に就任。
有村 國孝(ありむら くにたか、1935年〈昭和10年〉11… 有村 國孝(ありむら くにたか、1935年〈昭和10年〉11月21日 - )は、日本の技術者、発明家、工学博士。ICカードの発明者。 1964年東京工業大学大学院博士課程修了、工学博士。1970年にICカードを発明し特許を取得。アリムラ技研株式会社の代表取締役として、商用化に挑戦したが、経営破綻し1993年に株式会社エイアイテクノロジーへ営業譲渡された。同社は2001年にジーエルサイエンス株式会社に吸収されたが、2013年にジーエルソリューションズ株式会社として再び分社化された。また、基本特許の切れた1990年からは平松雄一などによりICカードの市場開発も行われた。 有村國俊滋賀県議会議員は甥。
折田 至(おりた いたる、1934年1月3日 - 2006年… 折田 至(おりた いたる、1934年1月3日 - 2006年9月27日)は、映画監督、演出家、テレビプロデューサー、UFO研究家、発明家。アイデア開発研究所代表、発明協会会員。鹿児島県鹿児島市出身。千葉大学工学部工業化学科(写真映画専攻)卒業。 1958年に東映に入社し、助監督として配属された東映京都撮影所を経て、1965年より東映東京制作所に所属する。『丸出だめ夫』・『悪魔くん』・仮面ライダーシリーズなど、特撮テレビドラマの監督として活躍した後、1978年には東映テレビ事業部プロデューサーに昇進し、スーパー戦隊シリーズの『バトルフィーバーJ』からはプロデューサーとして東映キャラクター路線を支える。
梶原 德二(かじわら とくじ、1933年7月 ‐ )は、日本… 梶原 德二(かじわら とくじ、1933年7月 ‐ )は、日本の実業家・発明家。 菓子・食品加工機械メーカー梶原工業株式会社および株式会社カジワラグループの代表取締役会長を務める。 1960年代初頭、焦げつきを防ぐ自動加熱攪拌装置「煮炊撹拌機(かくはんき)」を世界で初めて開発し、食品機械分野の自動化技術を切り開いた。以来、加熱・攪拌・成形機などの特許を多数取得し、食品製造現場の効率化と品質向上に寄与している。 2023年には「食料産業特別貢献大賞」を受賞し、長年にわたり日本の食品産業機械化に貢献した功績が評価された。また、一橋総合研究所理事長として、産学官連携・地域イノベーション支援にも取り組んでいる。
萩原 忠(はぎわら ただし、1931年 - )は、日本の実業… 萩原 忠(はぎわら ただし、1931年 - )は、日本の実業家、発明家。ハジー技研株式会社代表取締役、株式会社インターホールディングス名誉会長 1931年、山梨県甲府市生まれ。山梨県立甲府中学校(現・甲府第一高等学校)卒業。 立教大学卒業後、金門製作所(ガス、水道メーターの専門メーカーであるに就職。流体制御技術を習得し、LPG小型ガスメーター、高層ビル用流量測定メーターを開発、発明して高い評価を得る。 1962年、アメリカ(DYNAMIC ECOLOGY社)に招聘され、NASAアポロ計画に参加。 油圧機器の劣化防止装置の開発を担当。以降、製鉄、鉄鉱、石油、電力、化学、原子力、鉄道等すべての基幹産業における流体制御(濾過、分離、混合、劣化防止)の専門技術者として従事。
中松 義郎(なかまつ よしろう、通称: ドクター中松、英語表… 中松 義郎(なかまつ よしろう、通称: ドクター中松、英語表記: Dr. NakaMats 1928年(昭和3年)6月26日 - )は、日本の発明家、実業家である。「ドクター中松創研」代表取締役、日本文化振興会第10代会長、現副総裁[注 1][3]、国際発明協会および世界天才会議の主宰者[4]。東京都知事選挙に繰り返し出馬するなどのパフォーマンスで注目を集め、タレントとしてテレビに出演するようになった[5]。アパグループ広報誌「アップルタウン」では「サー中松義郎博士」と表記されている[6]。
樫尾 俊雄(かしお としお、1925年(大正14年)1月1日… 樫尾 俊雄(かしお としお、1925年(大正14年)1月1日 - 2012年(平成24年)5月15日)は、日本の発明家。カシオ計算機創業メンバーの「樫尾四兄弟」の一人(次男)。四兄弟の役割分担では開発を担い、世界初の小型純電気式計算機「14-A」」、世界初のオートカレンダー搭載腕時計「カシオトロン」、電子楽器「カシオトーン」など数々のヒット商品の開発に貢献。カシオ計算機会長を務めた。 共同名義のものを含め、生涯で313件の特許を取得した。 東京府東京市京橋区(現・東京都中央区)出身。子どもの時から、じっと動かずにいつまでも考え事にふけっていることが多かった。算数が得意で、先生に教わっていない解き方を自分で考え出して、弟に教えていた。
根岸 重一(ねぎし しげいち、1923年11月29日 - 2… 根岸 重一(ねぎし しげいち、1923年11月29日 - 2024年1月26日)は、日本の発明家。カラオケの発明者の一人とされる。 1923年11月29日、現在の東京都板橋区に生まれる。法政大学経済学部で学び、太平洋戦争で陸軍に徴兵され、敗戦により捕虜となり、シンガポールで抑留された。1947年に復員。復員後はオリンパス光学工業や電気部品メーカーに勤めた後、1956年にラジオやカーステレオの組み立てを手掛ける日電工業を設立した。 1967年夏頃、8トラックのカーステレオにマイクのミキシング回路を組み込んだ装置を考案し、試作品を社内で製作した。「世界初のカラオケ機」といえるこの試作機で根岸が最初に歌ったのは、児玉好雄の「無情の夢」であった。
政木 和三(まさき かずみ、1916年5月26日 - 200… 政木 和三(まさき かずみ、1916年5月26日 - 2002年8月6日)は、日本の発明家・科学者、スピリチュアリスト。元大阪帝国大学工学部工作センター長。 自身の発明したほとんどの特許を手放し、技術の無償提供を行った。またペンジュラムを用いた人間性の測定を提唱、これが政木フーチとして発展を遂げた。 政木は兵庫県生まれで、幼少は姫路の北、神崎郡市川町瀬加の自然豊かな山間で育った。 昭和15年、彼は関西高等工業学校(現在の大阪工業大学)電気工学科を卒業し、大阪帝国大学工学部に進学した。工学部では、通信学科はじめ、建築学科、土木学科などすべての学科を履修し、応用物理、造船工学、航空学も学んだ。卒業が近づくと、政木には助教授のポストが設けられたが、彼はその提案を遠慮し、さらなる学びのため医学部に入学した。
坂田 秀雄(1905年(明治38年)) - 没年不明)は、日… 坂田 秀雄(1905年(明治38年)) - 没年不明)は、日本の発明家。 和歌山県和歌山市出身。和歌山中学校を経て慶應義塾大学法学部を卒業する。写真を趣味とし、モルタ合資会社に入社し、同社の支配人兼工場長を務めた。
九重 年支子(ここのえ としこ、1904年〈明治37年〉8月… 九重 年支子(ここのえ としこ、1904年〈明治37年〉8月11日 - 2002年〈平成14年〉8月13日)は、日本の発明家、実業家。簡易織り機である「九重手織り機」の発明、その普及と織物制作に努めたことや、婦人発明家協会の創立で知られ、日本の女性発明家の草分けとも呼ばれる。東京府深川区(後の東京都江東区)出身。本名、坂野 敏子。東京女子高等師範学校(後のお茶の水女子大学)専攻科卒業。 1904年(明治37年)シンガーミシン裁縫女学院設立者の父秦敏之と女学院院長母利舞子の間に生まれる。6歳下の妹はニットデザイナーの秦万紀子。東京女子高等師範学校付属高女・専攻科英語科卒業、翌年建築技師坂野秀雄と結婚。
根岸 栄三郎(ねぎし えいざぶろう、1903年(明治36年)… 根岸 栄三郎(ねぎし えいざぶろう、1903年(明治36年)3月11日 - 1994年(平成6年)9月8日)は日本の発明家・実業家。繊維機械および各種回転方法の発明や改良を行い、日本の産業発展に大きく貢献した。桐生高等工業学校(現・群馬大学理工学部桐生キャンパス)助教授、興亜紡機(株)社長、埼玉県発明協会副支部長を歴任。 ノンタッチ管巻機、自動管巻機、ポット(空気)精紡機を発明。藍綬褒章、紫綬褒章、勲四等旭日小綬章を受賞。 1903年(明治36年)、埼玉県北埼玉郡飯泉村(現・埼玉県羽生市)生まれ。農業を営む父・根岸重次郎と妻・いわの四男(末子)として生まれる。長兄から家業を手伝うように言われていたが、進学して学業を積み社会貢献できる人になりたいと、横浜の親戚の家に行き、1915年(大正4年)10月に幼くして横浜の富士瓦斯紡績(株)で働きながら夜間中学に通った。
張 連松(チャン・ヨンソン、朝鮮語: 장연송/張連松、190… 張 連松(チャン・ヨンソン、朝鮮語: 장연송/張連松、1901年12月11日または12月12日 - 1956年10月30日または11月6日)は、日本統治時代の朝鮮の発明家、反戦運動家、詩人、大韓民国の独立有功者、政治家。第2代韓国国会議員。 張 蓮松またはチャン・ニョンソン(장련송)という表記も見られる。日本名は張山 連松。 咸鏡北道吉州郡吉祥里出身。日本大学経済学部卒。日本統治時代には自由杖、二重縫針を発明したほか、20年以上をかけて木で永久機関の「無燃料原動力桓動機(恒動機)」を製作し、1939年に特許局から特許を取得した。また、「善と盗」という論文で個人主義を主張しながら、自由と自然主義を尊重することで人種間・民族間の対立を払拭させ、共存共栄・相互扶助しなければならないことを指摘した。
円谷 英二(つぶらや えいじ、1901年〈明治34年〉7月7… 円谷 英二(つぶらや えいじ、1901年〈明治34年〉7月7日 - 1970年〈昭和45年〉1月25日)は、日本の特撮監督、映画監督、撮影技師、発明家、株式会社円谷特技プロダクション(現在の円谷プロダクション)の初代社長。福島県岩瀬郡須賀川町(現在の須賀川市)出身。本名は圓谷 英一(つむらや えいいち)。 昭和における特殊撮影技術の第一人者であり、独自に作り出した技術で特撮映画界に多大な功績を残したことから、特撮の神様とも呼ばれる。円谷の人生は、活動大写真と呼ばれた明治時代の黎明期から、映画斜陽期を迎えた東宝解体までの日本映画界の歴史と重なっている。 一家は全員カトリック教徒で、英二の洗礼名はペトロ。
中山 高亮(明治34年(1901年)7月- 没年不明)は、日… 中山 高亮(明治34年(1901年)7月- 没年不明)は、日本の発明家。 福岡県甘木町出身。大正9年に福岡県立朝倉中学校(現在の福岡県立朝倉高等学校)を中途退学し、大阪に行き大正10年から鑿岩機の電化を研究する。大正14年に鑿岩機を完成させ、電力鑿岩機の特許を得て中山工業所を興す。
森崎 小平(もりさき こへい、1901年(明治34年) - … 森崎 小平(もりさき こへい、1901年(明治34年) - ?)は、日本の技術者、発明家。 早稲田大学附属工学校電気科、東京工学院(現在の東京工学院専門学校)電気高等科を卒業した。1923年(大正12年)に電気事業主任技術者資格検定の第二種試験に合格し、逓信省電気試験所第五部(蓄電池研究部)に奉職した。1924年(大正13年)に辞め、東京市三徳商会と提携して蓄電池と充電器の製造販売に従事した。1927年(昭和2年)に神戸電機製作所に入所した。
簾 彦次郎(すだれ ひこじろう、1899年9月 - 没年不明… 簾 彦次郎(すだれ ひこじろう、1899年9月 - 没年不明)は、日本の発明家。 愛媛県桜井町(現在の今治市)出身。1918年に大阪市関西電業株式会社に機械仕上工として入社した。1919年に大阪電灯安治川発電所に機械修繕工に転職し、1922年に技手補となった。大阪電灯解散後は大同電力株式会社に引き継がれ、1928年3月まで勤務した。その後、大阪製図学校特許部を経て、針布製造機の試作を行った。 1933年(昭和8年)に帝国発明協会の全国発明表彰により、進歩賞が授与されている。
間宮 精一(まみや せいいち、1899年(明治32年)1月1… 間宮 精一(まみや せいいち、1899年(明治32年)1月17日 - 1989年(昭和64年)1月6日)は日本の発明家、カメラ設計者で、マミヤ光機製作所(後マミヤ光機株式会社を経て現マミヤ・オーピー)の創業者。 父は事業家兼発明家の間宮勝三郎で静岡県伊豆の国市大仁で木屋呉服店等様々なビジネスを営んでいた。木屋は「まみや宝くじたばこ店」(木屋間宮商店)として間宮勝三郎の末裔で鈴木貫太郎総理の縁戚者[要出典]により営業が続いている[いつまで?]。発明家でもあり生涯に計算機や金庫で30件程特許や実用新案を登録している。1919年(大正8年)間宮式金庫を発明し、同年間宮堂を創業しその事業に専念するようになった。
山県 道義(やまがた みちよし、1899年(明治32年) -… 山県 道義(やまがた みちよし、1899年(明治32年) - 没年不明)は、日本の発明家。 広島市出身。広島工業学校を卒業し、東京高等工業学校(現在の東京工業大学)に在籍した。その後、陸軍運輸部、合資会社天洋工業所技師長を経て、1928年に大阪市港区で山縣機械工作所(現在の山縣機械)を創業し、写真製版用腐食機械の設計製造を始めた。
柏田 武治(1898年(明治31年) - 没年不明)は、日本… 柏田 武治(1898年(明治31年) - 没年不明)は、日本の発明家。 奈良県五條町出身。奈良県立五條中学校(現在の奈良県立五條高等学校)卒業後に汽車製造株式会社に入社した。 汽車製造に勤務する傍ら大阪工業専修学校高等部機械科を卒業し、逓信省電気主任技術者資格検定試験第二種に合格した。汽缶や火爐に関する研究を行い、特許10件、実用新案9件を取得した。1938年(昭和13年)に帝国発明協会の全国発明表彰により、進歩賞が授与されている。
谷村 貞治(やむら ていじ、1896年3月19日 - 196… 谷村 貞治(やむら ていじ、1896年3月19日 - 1968年4月20日)は、日本の実業家、政治家、教育者、発明家。 株式会社新興製作所の創業者、谷村学院専門学校および谷村学院高等学校(現・花巻東高等学校)創立者。参議院議員2期、自由民主党岩手県連会長、岩手県政顧問、岩手県経営者協議会長、岩手県体育協会会長などを歴任。テレプリンターの開発により技術立国の礎を築き「みちのくの電信王」などと呼ばれ、地元の産業振興・発展に貢献した。 岩手県稗貫郡新堀村(後の石鳥谷町、現・花巻市)出身。1916年に神田の電機学校(現・東京電機大学)を卒業後、逓信省へ入省。約10年間勤務した後、民間会社へ転職。 自立自営の志を叶えるべく、1937年6月東京市蒲田区(現・東京都大田区蒲田)に旧陸海軍指定管理工場である新興製作所を設立。
元田 庄一(もとだ しょういち、1896年(明治29年)3月… 元田 庄一(もとだ しょういち、1896年(明治29年)3月 - ?)は、日本の発明家。 広島県佐伯郡大柿町(現在の江田島市)出身。東京電機学校(現在の東京電機大学)本科卒業後、1921年(大正10年)に広島電気に入社し、技手となった。1921年に逓信省電気事業主任技術者試験三種に合格し、1923年に二種一次に合格した。
箱木 一郎(はこぎ いちろう、Ichiro Hakogi、 … 箱木 一郎(はこぎ いちろう、Ichiro Hakogi、 1896年〈明治29年〉1月9日 - 1971年〈昭和46年〉1月23日)は日本の発明家。元社団法人発明協会本部理事。元財団法人科学技術連盟参与。日本曲面印刷機株式会社創立者、元社長。位階は従五位。 「負圧力利用曲面印刷体印刷方法」特許により製作した陶磁器自動印刷機 KURBA GRAVO を1937年のパリ万国博覧会に出品。11月25日にフランス政府より科学「グランプリ」賞を授与される。 関西学院学生時代、神戸新川の貧民窟で活動する賀川豊彦の元へ通った。また、神戸YMCAにて末包敏夫と共に会員向けに市民大学講座を企画し、一郎は知名の士との交渉を担当した。
小崎 一男(おざき かずお、1896年1月1日 - ?)は、… 小崎 一男(おざき かずお、1896年1月1日 - ?)は、日本の発明家。 岡山県上道郡西大寺町(現・岡山市東区)出身。1914年(大正3年)に岡山県立工業学校機械科を優等で卒業した。その後、三菱造船株式会社神戸造船所に入り、1920年(大正9年)に技師となった。 1933年に全国発明表彰進歩賞を受賞している。
石井 梅蔵(いしい うめぞう、1896年 - 1976年)は… 石井 梅蔵(いしい うめぞう、1896年 - 1976年)は、日本の篤農家・発明家・実業家・工芸家。株式会社石井製作所創業者。酒田市局惣田に石井梅蔵記念館がある。 1896年(明治29年)石井梅蔵は石井家5代目として酒田市に生れる。農機具の発明家・事業家で、立ったまま除草ができる人力用水田中耕除草機を作り、農民の重労働と危険を解消。人・動力兼用のフライホイル式カッターとして1928年(昭和3年)に特許を取得。世界最初のバインダー(稲麦刈取収束機)を1958年(昭和33年)に特許申請(1960年(昭和35年)に登録)。酒田発明協会長などを務める。1949年(昭和24年)、籾が目にささり負傷。角膜移植を受けるが、1958年(昭和33年)全盲を宣告される。
織本 道三郎(おりもと みちさぶろう、1895年 - 197… 織本 道三郎(おりもと みちさぶろう、1895年 - 1974年)は、日本の構造家・構造設計技術者・発明家・全国建築士事務所連合会(現:日本建築士事務所協会連合会)初代会長・織本建築設計計算事務所創立者。織本匠は義子。 1895年、栃木県南河内町(現宇都宮市)に生まれる。 1916年に、東京高等工業学校(現・東京工業大学)建築科を卒業し、鉄道省に入省した。 1923年に織本建築設計計算事務所(現・織本総合建築設計)を下根岸に開設した。日本で最初の建築構造体の設計監理を業務とする建築事務所といわれる 1952年に鉄骨大張間の特殊組方・木造接手の改良およびその他の発表考案により藍綬褒章を受章。 1962年に全国建築士事務所連合会初代会長に就任した。
松下 幸之助(まつした こうのすけ、1894年〈明治27年〉… 松下 幸之助(まつした こうのすけ、1894年〈明治27年〉11月27日 - 1989年〈平成元年〉4月27日)は、日本の実業家、発明家、著述家。位階は正三位。 パナソニックホールディングスを一代で築き上げた経営者である。異名は「経営の神様」。その他、PHP研究所を設立して倫理教育や出版活動に乗り出した。さらに晩年は松下政経塾を立ち上げ、政治家の育成にも意を注いだ。 1894年11月27日、和歌山県海草郡和佐村千旦ノ木(現:和歌山市禰宜)に、小地主松下政楠・とく枝の三男として出生。家が松の大樹の下にあったところから松下の姓を用いたとする。 1899年頃、父が米相場で失敗して破産したため、一家で和歌山市本町1丁目に転居し、下駄屋を始めた。
永井 英夫(ながい ひでお、1892年(明治25年)3月 -… 永井 英夫(ながい ひでお、1892年(明治25年)3月 - 没年不明)は、日本の発明家。 愛媛県宇和島市出身。1906年(明治39年)に大阪市で莫大小卸商を開業し、1909年(明治42年)に永井莫大小製造所と改め工場を新設した。1926年(大正15年)2月に新工場が竣工するとともに営業所を移転し、新たに輸出部を設けた。 莫大小編成機色染装置を発明した。この機械は1918年(大正7年)11月の第1回発明博覧会において、皇后陛下の台覧を賜り、1929年(昭和4年)6月に天覧を賜った。 1926年(大正15年)に帝国発明協会の全国発明表彰により、進歩賞が授与されている。
堀内 利器(ほりうち りき、1891年12月10日 - 19… 堀内 利器(ほりうち りき、1891年12月10日 - 1942年5月8日)は、日本の発明家。 千葉県一宮町で一宮藩士であった堀内家に生まれる。第一高等学校時代には芥川龍之介の1年先輩であり、芥川は1914年と1916年の2度、堀内に誘われ一宮に滞在している。1918年に京都帝国大学理学部を卒業した。東京ミツワ化学研究所や大学の副手を経て、1920年に高砂香料株式会社創立に当たり懇望されて同社の研究部に入り、研究を行った。ここでは社長の甲斐荘楠香と協力し香料の発明製造を行った。 1928年に理学博士の学位を取得した。1937年時点では高砂香料の取締役兼技師長、早稲田大学の講師を務めていた。 高砂香料の専務を務めていた1942年5月に九州西南沖(南シナ海)で殉職した。
耕三寺 耕三(こうさんじ こうぞう、1891年〈明治24年〉… 耕三寺 耕三(こうさんじ こうぞう、1891年〈明治24年〉12月2日 - 1970年〈昭和45年〉10月25日)は、日本の実業家、発明家、僧侶。日本溶接界の先駆けとして数々の鉄工所を興し、後半生を耕三寺の建立に捧げた。広島県尾道市名誉市民。出生名、金本 福松(かねもと ふくまつ)。1935年に得度し金本 耕三(かねもと こうぞう)と改名、1956年には耕三寺 耕三と改姓。 耕三は1891年(明治24年)、金本福松として兵庫県神戸市に生まれた。 父親はもと鉄道建設業をしていたが、1893年(明治26年)に福岡県鞍手郡直方町(現・直方市)に鉄工所を起業する。このとき福松は直方には行かず、母の実家のあった瀬戸内海の生口島(現・尾道市瀬戸田町御寺)に移り住んだ。
眞鍋 武雄(まなべ たけお、1891年8月12日 - 196… 眞鍋 武雄(まなべ たけお、1891年8月12日 - 1963年2月21日)は、日本の発明家。 神奈川県横浜市出身。明石嘉四郎の次男として生まれ、母方の叔父・眞鍋慎太郎の養子となる。1914年(大正3年)に東京高等工業学校機械科を卒業した。1929年(昭和4年)よりコンクリート機械の研究に従事し、1931年(昭和6年)に日本建機株式会社を創立した。 1933年に全国発明表彰進歩賞を受賞し、1938年には恩賜記念賞及び大賞を受賞した。1955年、紫綬褒章を受章。