スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
服部 航介(はっとり こうすけ、1993年6月4日 - )は… 服部 航介(はっとり こうすけ、1993年6月4日 - )は、ラグビーユニオンの選手。 和歌山県出身。2012年、和歌山工業高校卒業後、帝京大学に入る。 2016年、Honda Heat(現・三重ホンダヒート)に加入。 2020年2月22日にジャパンラグビートップリーグ第6節NTTコミュニケーションズシャイニングアークス戦に途中出場で公式戦初出場を果たす。 2025年5月31日、三重ホンダヒート退団を発表。
坂本 椋矢(さかもと りょうや、1993年1月21日 - )… 坂本 椋矢(さかもと りょうや、1993年1月21日 - )は、日本のラグビー選手。 2011年、和歌山工業高卒業後、朝日大学に入学する。 2014年、朝日大学ラグビー部の主将に就任した。 2015年、天理大学卒業後、日野自動車レッドドルフィンズに加入。 2016年9月25日に行われたトップイーストリーグDiv.1第3節の秋田ノーザンブレッツ戦に途中出場で公式戦初出場を果たす。 2020年、日野レッドドルフィンズを退団した。
湯元 健一(ゆもと けんいち、男性、1984年12月4日 -… 湯元 健一(ゆもと けんいち、男性、1984年12月4日 - )は、日本の元レスリング選手(60kg級)。和歌山県和歌山市出身。日本体育大学助手。2008年北京オリンピック銀メダリスト。和歌山県立和歌山工業高等学校、日本体育大学卒業。身長165cm。 双子の弟・湯元進一(自衛隊)はロンドンオリンピックフリースタイル55kg級銅メダリスト。北京オリンピックでは兄健一の練習パートナーを務めた。 2007年1月28日、天皇杯全日本レスリング選手権大会 男子フリースタイル60kg級に出場し、決勝で井上謙二を下し優勝を果たした。なお、山本"KID"徳郁が出場し注目を集めた大会・階級でもあった。 2008年5月、ポーランドのワルシャワで開催された北京オリンピック出場権獲得予選最終ステージ第2戦にて男子フリースタイル60kg級で優勝を果たし、五輪出場権を獲得した。
湯元 進一(ゆもと しんいち、男性、1984年12月4日 -… 湯元 進一(ゆもと しんいち、男性、1984年12月4日 - )は、日本の元レスリング選手(55kg級)和歌山県和歌山市出身。和歌山県立和歌山工業高等学校、拓殖大学卒業。身長164cm。 北京オリンピックレスリング男子フリースタイル60kg級銅メダリストの湯元健一は双子の兄。 レスリングは小学3年生のときに、父の鉄矢が自宅につくった道場で始めた。和歌山工業高校時代にインターハイで優勝した後、拓殖大学に進学。 2007年4月、自衛隊体育学校に入校。2008年12月、全日本選手権で初優勝する。 2011年11月、世界選手権でロンドンオリンピック出場枠獲得を目指したが、準々決勝で敗退した。12月、全日本選手権で優勝し、ロンドンオリンピックアジア地区予選出場が決定。
山本 芳彦(やまもと よしひこ、1983年11月6日 - )… 山本 芳彦(やまもと よしひこ、1983年11月6日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(内野手)。 和歌山工高では投手として活躍し、高校3年時の夏には和歌山予選1回戦で前年度夏の甲子園優勝校の智辯和歌山高校と対戦。投打に活躍を見せ武内晋一が主将を務めていた同校を1回戦敗退に追い込む。2回戦の県立和歌山商高戦では2本塁打を放ち勝利するが、3回戦の日高高戦で0-5で敗退する。 通算21本塁打。またエースで4番でありながら高校通算60盗塁以上を走る俊足と走塁センスをもっていた。 2001年のプロ野球ドラフト会議で、広島東洋カープに打力を見込まれて野手として7巡目指名を受け入団した。 二軍では毎年60試合以上に出場して主力選手として活躍。
中本 和希(なかもと かずき、1981年4月18日 - )は… 中本 和希(なかもと かずき、1981年4月18日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(内野手)。 和歌山工業高では、2年次から遊撃手のレギュラーとなる。3年時には夏の県大会でベスト4に進んだ。 高校卒業後は、近畿大学工学部に進学し硬式野球部でプレー。1年次から遊撃手のレギュラーになり、大学選手権では初打席で先頭打者本塁打。広島六大学野球で春3回、秋1回の優勝を経験した。また、ベストナインにも3回選ばれている。 2003年、プロ野球ドラフト会議で大阪近鉄バファローズから6巡目指名を受け入団。 2004年オフ、分配ドラフトでオリックス・バファローズに移籍。 入団以降故障が続き、一軍出場はないまま2006年10月5日に戦力外通告を受けた。
寺下 太基(てらした だいき、1980年〈昭和55年〉2月2… 寺下 太基(てらした だいき、1980年〈昭和55年〉2月25日 - )は、日本の元プロバスケットボール選手。和歌山県和歌山市出身。現役時代のポジションはスモールフォワード、パワーフォワード。滋賀レイクスターズU18のヘッドコーチを務めている。 12歳でバスケットボールを始める。 和歌山市立東中学校を卒業後、和歌山県立和歌山工業高等学校、大阪産業大学を経て2002年に松下電器パナソニックスーパーカンガールズ入り。このチームは後のbjリーグの大阪エヴェッサで指揮を執る天日謙作氏がアシスタントコーチであった。2シーズンをJBLスーパーリーグの登録選手として過ごした。同期に木下博之。 2003年、新潟アルビレックスA2に移籍。
ゼンゴー( (1978-05-16) 1978年5月16日(… ゼンゴー( (1978-05-16) 1978年5月16日(47歳)- )は、フリーの日本のものまねタレント。本名、後 善一(うしろ よしかず)。和歌山県和歌山市出身。主にモト冬樹、長谷川雅紀(錦鯉)のものまねタレントとして活動している。
宮井 紀行(みやい のりゆき、1977年9月14日 - )は… 宮井 紀行(みやい のりゆき、1977年9月14日 - )は鹿児島県を拠点に活動する日本のミュージシャン、ディスクジョッキーである。和歌山県日高郡美浜町出身、鹿児島県鹿児島市在住。 和歌山県立和歌山工業高等学校卒業。第一工業大学(鹿児島県霧島市、当時:国分市)在学中の1998年9月、倉田暁雄とフォークユニット「なまず」を結成。鹿児島市の天文館で路上ライブを続け、1999年12月24日に「桜咲く頃」でインディーズデビュー。2001年までに3枚のインディーズCDを発売し、1万8,000枚が完売した。2001年7月20日に「明日をのせて」でコロムビアレコードよりメジャーデビューを果たす。 2005年3月21日に「なまず」は解散。
福重 良一(ふくしげ りょういち、1971年1月30日 - … 福重 良一(ふくしげ りょういち、1971年1月30日 - )は、和歌山県出身の元サッカー選手、指導者。ポジションはDF。 和歌山工業高校、大阪体育大学を経て、京都紫光/京都パープルサンガ、大塚製薬でプレーした。引退後は初芝橋本高校、東山高校などで指導している。
青戸 慎司(あおと しんじ、1967年5月7日 - )は、和… 青戸 慎司(あおと しんじ、1967年5月7日 - )は、和歌山県和歌山市出身の陸上競技(短距離)・ボブスレー選手、スポーツ指導者。スポーツコメンテーター、中京大学スポーツ振興部課長、スポーツ科学部非常勤講師、体育会陸上競技部副部長を務める。男子100メートル競走の元日本記録保持者である。2012年早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程で修士(スポーツ科学)を修了。大学院では平田竹男教授(内閣官房参与、東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会推進本部事務局長)の指導を受ける。平田研究室7期生には三浦俊也や瀧本誠、大橋未歩などがいる。修士論文の題目は「小学校授業におけるかけっこ指導法の改善に関する研究」。
成願 義夫(じょうがん よしお、1955年6月10日 - )… 成願 義夫(じょうがん よしお、1955年6月10日 - )は、日本の着物図案家、伝統文様研究家、和装研究家、壁面装飾画家、アートディレクター、グラフィックデザイナー、伝統産業商品開発アドバイザー。 和文化デザイン思考講師。株式会社京都デザインファクトリー社長。
竹内 義和(たけうち よしかず、1955年〈昭和30年〉2月… 竹内 義和(たけうち よしかず、1955年〈昭和30年〉2月27日 - )は、作家、コラムニスト、編集者、YouTuberである。 和歌山県和歌山市出身。妻は作家の竹内眠。 初エッセイ『ピンポンパン地獄』をきっかけにコラムニストに。『BRUTUS』での連載「日本ビデオスター列伝」が好評を博し、1988年(昭和63年)、『大映テレビの研究』で本格的著作家デビュー。同年より始まったABCラジオ『MAKOTOのサイキック青年団』で人気を得る。長編アニメとして映画化された『パーフェクトブルー』ほか著書多数。 2014年(平成26年)には『メルマ旬報』連載の『ゆゆも』を出版。現在大阪市肥後橋のトークライブハウス「アワーズルーム」にて連日トークライブや配信、また弘兼憲史とのラジオ番組など著述活動のみならず精力的に活動中。
中出 謙二(なかで けんじ、1954年11月3日 - )は、… 中出 謙二(なかで けんじ、1954年11月3日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(捕手)。 和歌山工業高では3年次の1972年、夏の甲子園和歌山県予選準々決勝に進むが、桐蔭高に敗れる。 卒業後は1973年に新日本製鐵堺へ入社し、都市対抗に4年連続で出場したほか、1977年には第3回インターコンチネンタルカップ日本代表に選出される。ヤクルトの片岡宏雄スカウトが大矢明彦に続く捕手を獲得するため、新日鉄堺グラウンドへ中出の視察に赴いたことがあったが、現役時代捕手でもあった片岡は「こんなレベルじゃプロでは通用せえへんな」と、即決で中出の獲得を断念。この時に片岡の目に留まったのが中出の後輩の投手・尾花高夫である。
旅田 卓宗(たびた たくそう、1945年〈昭和20年〉4月4… 旅田 卓宗(たびた たくそう、1945年〈昭和20年〉4月4日 - )は、日本の政治家、元警察官。和歌山市議会議員(3期)、和歌山市長(4期)、和歌山県議会議員(3期)を歴任した。 1945年4月4日、稲荷永一と花子の子として生まれる(4人兄弟の3人目)。幼名は卓三、しかし1948年に両親が離婚し、母方の姓となる。 1964年、和歌山県立和歌山工業高等学校を卒業後、和歌山県警察の巡査となり、和歌山県警察学校に入校。1965年4月に警察学校を首席卒業して海南警察署に配属されたが、同年7月に警察官を辞職し、小学校教員を目指したが果たせなかったため、同年12月に復職して白浜警察署に配属された。 1969年10月、政治家を目指して再び警察官を辞職、1971年の統一地方選挙に無所属で立候補し和歌山市議会議員に初当選して政界入りを果たした。
竹田 利秋(たけだ としあき、1941年1月5日 - )は、… 竹田 利秋(たけだ としあき、1941年1月5日 - )は、和歌山県出身の学生野球指導者。社会科教諭。和歌山県立和歌山工業高等学校→國學院大學卒業。東北高等学校、仙台育英学園高等学校野球部監督、國學院大學硬式野球部監督を経て現在は國學院大學硬式野球部総監督。 和歌山工高3年春に三塁手として甲子園出場。大学卒業後銀行員として勤めていたが、当時東北高校野球部を指導していた同じく國學院大學野球部OBの松尾勝栄監督の後任者として招聘され、東北高野球部コーチに就任。 1968年、監督に就任し同年7年ぶりに夏の甲子園出場。これを最後に帰郷しようと考えるも、抽選会で自校を含む東北・北海道勢のチームとの対戦が決まった西日本のチームが、戦わずして勝ったといわんばかりの拍手歓声を挙げて喜ぶのに対し、東北・北海道勢の学校の生徒は下をうつむいている様子を見て、この状況をなんとか変えたいと思うようになり、以後、東北高を甲子園で勝てる強豪校へと育て上げる。
船戸 順(、1938年〈昭和13年〉11月26日 - 202… 船戸 順(、1938年〈昭和13年〉11月26日 - 2021年〈令和3年〉5月26日)は、日本の俳優である。本名は岩井 常隆()。血液型はB型。株式会社フジプランニング所属。 最初の妻は女優の香取環。2人目の妻は女優で日本舞踊家の岩井友見(十一代目岩井半四郎)。岳父は歌舞伎俳優の十代目岩井半四郎、岳母は女優の月城彰子。仁科亜季子・仁科幸子は義妹。 和歌山県那賀郡岩出町(現・岩出市)字船戸出身。和歌山県立和歌山工業高等学校を卒業後、下津町役場の土木課に勤務していた。 1959年のミスター平凡コンテストへの入賞をきっかけとして東宝へ入社し、1960年の映画『地の涯に生きるもの』(監督:久松静児)でデビュー。
田中 重弘(たなか しげひろ、1938年7月30日- )は… 田中 重弘(たなか しげひろ、1938年7月30日- )は、日本の文筆家、翻訳家。 和歌山県生まれ。和歌山県立和歌山工業高等学校染織科卒、上智大学文学部哲学科卒。 染色工場を経営したのち1968年からウィーン大学で哲学、文学を学ぶ。1979年からハンガリーのブダペスト在住。
島 正博(しま まさひろ、1937年3月10日 - )は、日… 島 正博(しま まさひろ、1937年3月10日 - )は、日本の実業家・発明家。島精機製作所代表取締役会長。血液型はA型。妻は和島興産社長の島和代。 和歌山県和歌山市出身。10代の頃から発明に熱中し、16歳の時には手袋編み機の特許を取得している。 県立和歌山工業高校卒業後、1962年に「手袋編機の自動化」という課題を掲げて島精機製作所を設立した。「研究開発」に力を注いでおり、1995年には画期的な無縫製ニット横編み機「ホールガーメント」を世に送り出した。 2014年7月11日、アメリカ合衆国ペンシルバニア州フィラデルフィアに在るドレクセル大学より名誉経営学博士号が授与された。 2017年6月28日、会長に就任。
河野 旭輝(こうの あきてる、1935年1月1日 - 201… 河野 旭輝(こうの あきてる、1935年1月1日 - 2014年1月25日)は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ・監督。 1956年に年間85盗塁を記録し、当時の日本記録を樹立。同年の最多盗塁死29はその後破られていない。セ・パ両リーグで盗塁王を獲得した唯一の人物である。 大阪府で生まれるも、戦争中に疎開で和歌山県へ引っ越した。 和歌山工業から野球部ができたばかりの松下電器に入社。主に一塁手、遊撃手としてプレーし更に投手としてマウンドに立つこともあった。1953年の都市対抗にチームとしての初出場を果たす。 1954年に阪急ブレーブスへ入団し、1年目の同年は開幕から二塁手に抜擢され定位置を獲得。
鈴木 幸雄(すずき さちお、1932年1月8日 - 2022… 鈴木 幸雄(すずき さちお、1932年1月8日 - 2022年9月26日)は、和歌山県和歌山市小松原出身のプロ野球選手(投手)・解説者。 幼少期に通学していた吹上小の先輩に真田重蔵がいる。戦後光風工業高等学校に入学し、そこで野球を始める。卒業後、1951年に阪急ブレーブスへ入団。1年目から一軍に出場し、南海キラーとして活躍。アンダースローからカーブ、シュートを武器とした。 その後はサンテレビボックス席解説者(1974年)を経て、2002年から2016年まで智弁学園和歌山高校で投手コーチを務め、在任中は岡田俊哉らを育て上げた。2008年秋から半年間は髙嶋仁に代わり同校の監督として大分国体、秋季県2次予選、秋季近畿大会で指揮を執った。
宮路 年雄(みやじ としお、1928年8月20日 - 199… 宮路 年雄(みやじ としお、1928年8月20日 - 1998年5月9日)は、日本の実業家。信光電機有限会社の代表取締役社長として家電量販店「城南電機」を経営した。 身長154センチメートル (cm) と小さな体躯と独特のダミ声に加え、明るいキャラクターで「城南電機の宮路社長」としてテレビ番組などに出演した。 和歌山県日高郡中津村(現在の日高川町)出身。1928年8月20日に地元で有数の材木商に四男四女の次男として出生する。 高津尾小学校を卒業後、1940年に和歌山県立和歌山工業学校機械科へ進学する。その後に太平洋戦争が勃発し、1941年12月から1年半、兵庫県明石市内の飛行機部品工場へ学徒動員される。
小西 克幸 は、日本の声優、舞台俳優。和歌山県和歌山市出身。… 小西 克幸 は、日本の声優、舞台俳優。和歌山県和歌山市出身。賢プロダクション所属。関智一が座長を務めている劇団ヘロヘロQカムパニーの副座長を務めていたが、現在休団中。
橋脇 正典(はしわき まさのり)は、日本のラグビーレフリー(… 橋脇 正典(はしわき まさのり)は、日本のラグビーレフリー(審判員)及びラグビー指導者。2021年現在、日本協会A級公認レフリーを務めている。 和歌山工業高校、大阪体育大学を経て、レフリーになる。