川満 俊輝(かわみつ としき、1995年8月4日 - )は、… 川満 俊輝(かわみつ としき、1995年8月4日 - )は、日本のプロボクサー。沖縄県・宮古島出身。第46・49代日本ライトフライ級王者。三迫ジム所属。 宮古工業高校卒業後、第一工業大学に入学。なお、後の世界王者比嘉大吾は高校ボクシング部時代の同級生だった。 2018年11月18日、NTTクレドホールで糸賀純一を相手にプロデビュー戦を行い4回2分40秒3-0(40-36×3)で負傷判定勝ち 2019年2月11日、NTTクレドホールでハンダヤスシと対戦し、4回3-0(40-36×3)で判定勝ちを収めた。 2019年8月8日、後楽園ホールで福田康輔と対戦し、4回3-0(40-36×3)で判定勝ちを収めた。
國場 翼(こくば つばさ、1993年12月5日 - )は、沖… 國場 翼(こくば つばさ、1993年12月5日 - )は、沖縄県具志川市(現・うるま市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 「國」の字は旧字体であるため、メディアではしばしば「国場 翼」と表記される。 小学生時代は学童野球チーム・天願フェニックスに所属していた。 沖縄県立具志川高等学校では甲子園出場はなかった。 第一工業大学では1年生時からリーグ戦に出場。3年生時、第92回九州地区大学野球選手権大会・鹿児島地区の最優秀投手賞を受賞し、ベストナイン(投手)に選ばれた。 2015年10月12日に行われたプロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズから8巡目で指名を受け、契約金1500万円、年俸600万円(金額は推定)で仮契約を結んだ。
美沢 将(みさわ まさる、1988年3月3日 - )は、鹿児… 美沢 将(みさわ まさる、1988年3月3日 - )は、鹿児島県大島郡喜界町出身の警察官、元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 鹿児島県大島郡喜界町出身。小学生時代はサッカー少年だったが、中学校にはサッカー部がなかったため野球に転向。 喜界高時代に、投手から遊撃手となる。 高校卒業後には、野球をやめて自衛隊への入隊を希望していたものの、高校の監督の勧めによって県内の第一工業大学へ進学。大学ではすぐにショートのレギュラーをつかみ、1年春に鹿児島県リーグで新人賞、2年秋にはMVPなど、クリーンアップを打って活躍。県リーグ通算15本塁打。 2009年10月29日に行われたドラフト会議において埼玉西武ライオンズに2位で指名され、入団。
ジョン・カリウキ(John Kariuki、1986年10月… ジョン・カリウキ(John Kariuki、1986年10月11日 - )は、日本国内で活躍したケニア出身の男子陸上競技選手(長距離種目)。171cm、55kg。 ケニア出身。母国の英雄であるポール・テルガトに憧れ陸上競技を始める。滋賀学園高等学校に留学するため来日したが、年齢調査の結果14歳であることが判明したため、同校入学前に1年間ほど日本に拠点を置いて陸上競技の練習を積んだ。十分な練習により才能は早くから開花し、高校1年次から3000mの年齢別世界記録などの驚異的な成績を収め注目を集めた。3年次の全国高等学校駅伝競走大会1区では史上2人目の27分台を記録。高校卒業後は実業団のトヨタ紡織に就職し、陸上部に所属して10000mでのケニア代表入りを目指し競技を続けたが、2008年末に同社を退社。
藤原 良平(ふじわら りょうへい、1986年2月15日 - … 藤原 良平(ふじわら りょうへい、1986年2月15日 - )は、兵庫県朝来市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 鳥取城北高等学校時代は甲子園経験はなく、2年秋に中国大会へ進むが初戦で救援も敗退。3年夏の全国高等学校野球選手権鳥取大会ではエースとしてベスト4進出。 家業の大工を継ぐため「建築の勉強と野球ができる大学に」と第一工業大学に進学。3年秋からエースとして活躍し、公式戦15試合で10勝2敗、防御率0.99の成績を記録。4年春の2007年には鹿児島大学連盟春季リーグで最優秀投手賞を獲得した。 2007年11月19日に行われた大学・社会人ドラフトで埼玉西武ライオンズから3巡目で指名を受けた。
宮井 紀行(みやい のりゆき、1977年9月14日 - )は… 宮井 紀行(みやい のりゆき、1977年9月14日 - )は鹿児島県を拠点に活動する日本のミュージシャン、ディスクジョッキーである。和歌山県日高郡美浜町出身、鹿児島県鹿児島市在住。 和歌山県立和歌山工業高等学校卒業。第一工業大学(鹿児島県霧島市、当時:国分市)在学中の1998年9月、倉田暁雄とフォークユニット「なまず」を結成。鹿児島市の天文館で路上ライブを続け、1999年12月24日に「桜咲く頃」でインディーズデビュー。2001年までに3枚のインディーズCDを発売し、1万8,000枚が完売した。2001年7月20日に「明日をのせて」でコロムビアレコードよりメジャーデビューを果たす。 2005年3月21日に「なまず」は解散。