河野 旭輝(こうの あきてる、1935年1月1日 - 2014年1月25日)は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ・監督。 1956年に年間85盗塁を記録し、当時の日本記録を樹立。同年の最多盗塁死29はその後破られていない。セ・パ両リーグで盗塁王を獲得した唯一の人物である。 大阪府で生まれるも、戦争中に疎開で和歌山県へ引っ越した。 和歌山工業から野球部ができたばかりの松下電器に入社。主に一塁手、遊撃手としてプレーし更に投手としてマウンドに立つこともあった。1953年の都市対抗にチームとしての初出場を果たす。 1954年に阪急ブレーブスへ入団し、1年目の同年は開幕から二塁手に抜擢され定位置を獲得。
出典:ウィキペディア「河野旭輝」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
