スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
菅本 裕子(すがもと ゆうこ、1994年 〈平成6年〉5月2… 菅本 裕子(すがもと ゆうこ、1994年 〈平成6年〉5月20日 - )は、日本の実業家、自称「モテクリエイター」、タレント、YouTuber。HKT48の元メンバー。 1994年5月20日、福岡県北九州市に生まれる。 2007年4月、中学校入学。中学在学中はあまり勉強もしていなかったが「頭のいい高校に入ったらかっこいいと思って」受験直前より猛勉強、2010年4月、福岡県立八幡高等学校入学。勉強には厳しい高校で、すぐに授業についていけなくなる。そんななか「もし受かったら芸能系の高校に転校して夏休みの宿題をしなくてもよくなる」という安易な気持ちでHKT48第一期生オーディションに応募。2011年7月10日、合格。
菅本 裕子(すがもと ゆうこ、1994年 〈平成6年〉5月2… 菅本 裕子(すがもと ゆうこ、1994年 〈平成6年〉5月20日 - )は、日本の実業家、自称「モテクリエイター」、タレント、YouTuber。HKT48の元メンバー。
竹下 真吾(たけした しんご、1990年10月20日 - )… 竹下 真吾(たけした しんご、1990年10月20日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 九州共立大学時代は主将も務めたが同期に川満寛弥、1年下に大瀬良大地がいて同期・福地元春とともに登板機会は限られて4年秋の1勝に終わる。社会人野球のヤマハでは1年目の第84回都市対抗野球準々決勝で初先発すると5回無失点に抑えるが敗退。翌年はHonda鈴鹿の補強選手として出場した。2014年10月23日、ドラフト会議で安樂智大の抽選を外した東京ヤクルトスワローズから1位指名を受け、11月19日に契約金1億円+出来高払い、年俸1500万円で仮契約を結んだ。背番号は22。 2015年は、二軍で19試合に登板。
古山 かおり(ふるやま かおり、1984年〈昭和59年〉11… 古山 かおり(ふるやま かおり、1984年〈昭和59年〉11月25日 - )は、日本のフリーアナウンサー。 福岡県北九州市出身。福岡県立八幡高等学校を卒業後、西南学院大学人間科学部児童教育学科に入学。大学時代はRKB毎日放送でインターンシップを行い、福岡アナウンススクールにも通った。当時から福岡でDJを務めていた首藤真吾は友人で、後に首藤がMBC南日本放送を訪れる様子もブログに公開されていた。 大学卒業後、2007年(平成19年)、MBC南日本放送にアナウンサーとして入社し、編成本部ラジオ制作部に配属。2010年(平成22年)5月13日から、ゴールデンタイムの番組『TEGE2』で入社後初となる、テレビでのレギュラー出演を務める。
中田 賢一(なかた けんいち、1982年5月11日 - )は… 中田 賢一(なかた けんいち、1982年5月11日 - )は、福岡県北九州市八幡西区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。プロ野球コーチ。現在は福岡ソフトバンクホークス一軍投手コーチ。 妻はフリーアナウンサーの角野友紀。 1982年5月11日、福岡県北九州市八幡西区で生まれる。 1991年、北九州市立永犬丸小学校3年時に父親がコーチ・監督を務める「永犬丸レッドライオンズ」でソフトボールを始め、1995年、北九州市立沖田中学校時代に「上津役ロビンス」へ入団し本格的に野球を始めた。 1998年4月、福岡県立八幡高等学校へ進学。始業前の授業や夏休みの補習など進学校特有の授業構成の中、勉強との両立に苦しみながら練習を積んだ。
田辺 いちか(たなべ いちか、1979年3月7日 - )は、… 田辺 いちか(たなべ いちか、1979年3月7日 - )は、日本の女性講談師。 福岡県北九州市出身。1997年、福岡県立八幡高等学校卒業後、京都府立大学文学部国文学中国文学科に進学。大学在学中の2000年に中国・長安大学で日本語の教師をしていた。2001年に大学を卒業し、2003年より東京のプロダクションに所属し、舞台俳優と声優の活動を始める。 2014年5月、田辺一邑に入門し「田辺 いちか」を名乗る。同年9月に前座となる。 2019年3月に二ツ目昇進。2020年に渋谷らくご・楽しみな二ツ目賞を受賞。2021年9月15日に渋谷らくごでトリをとる。古今亭志ん五、瀧川鯉昇、春風亭百栄の助演で、「火消しと男爵」を読んだ。
田畑 竜介(たばた りゅうすけ、1976年3月11日 - )… 田畑 竜介(たばた りゅうすけ、1976年3月11日 - )はRKB毎日放送(RKB)アナウンサー。 福岡県立八幡高等学校を卒業して九州大学に入学。RKBへ1998年4月に入社。JNN・JRN系列局勤務のアナウンサーを対象としたアノンシスト賞で、2004年度の第30回は『テレビ「読み・ナレーション」部門』で、2012年度の第38回は『ラジオ「読み・ナレーション」部門』で最優秀賞を受賞している。 アナウンサー活動と並行して「FUNTA☆BASTA」という自身のバンドでボーカルを務めており、地元福岡の音楽イベントに参加する他、司会として登場する事もある。その経験を生かし、『今日感テレビ』で共にレポーターをしていたかとうあやと共に『恋が始まるももち浜』という曲をレコーディングし、DVDとして発売したこともあった。
箕内 拓郎(みうち たくろう、1975年12月11日 - )… 箕内 拓郎(みうち たくろう、1975年12月11日 - )は、日本のラグビー指導者。元ラグビー日本代表選手。2020年から2023年3月まで、ジャパンラグビーリーグワン日野レッドドルフィンズのヘッドコーチを務めた。 6歳でラグビーを始める。八幡高では1年時のFB・SOを経て2年からNo8に転向した。 関東学院大学では2年時からレギュラーに定着。4年時に主将を務め、大学選手権で初優勝を果たす。 卒業後にオックスフォード大学へ留学。98年12月にケンブリッジ大学との定期戦「バーシティ・マッチ」に出場し、「ブルー」の称号を得た。(日本人では林敏之以来2人目) 1999年、NECに入社。2000年4月から3ヶ月間、イタリア・セリエA2のラグビーパエゼでプレーした。
吉永 真樹(よしなが まき、1973年10月18日 - )は… 吉永 真樹(よしなが まき、1973年10月18日 - )は、日本のフリーアナウンサー。 福岡県北九州市出身。福岡県立八幡高等学校、純真女子短期大学英文科卒業。高校在学時には放送部に所属していた。また短大在学時には、RKB毎日放送のアナウンサーであった人物からアナウンスの研修を受けている。 短大卒業後にはRKB映画社に所属し、1995年4月から九州電力社内テレビのキャスターを務めていた。 RKB映画社を退社後、1997年4月に熊本県民テレビ (KKT) に入社。同局のアナウンサーになり、その翌年に日本テレビ『ズームイン!!朝!』の熊本担当キャスターに就任した。番組が2001年10月に『ズームイン!!SUPER』にリニューアルしてからも、2007年に熊本県民テレビを退社するまでキャスターを務め続けた。
仲谷 一志(なかたに ひとし、1965年4月8日- )は、福… 仲谷 一志(なかたに ひとし、1965年4月8日- )は、福岡県を中心に活動を展開しているローカルタレント、俳優。劇団ショーマンシップ座長。
内山 聖子(うちやま さとこ、1965年(昭和40年)3月4… 内山 聖子(うちやま さとこ、1965年(昭和40年)3月4日 - )は、日本のテレビプロデューサー。テレビ朝日取締役。 福岡県北九州市出身。福岡県立八幡高等学校を経て、津田塾大学学芸学部英文学科を卒業。 大学時代は教員志望であったが、教育実習を行っている間に各社の就職試験が終わっており、わずかに残ったテレビ朝日の就職試験を本人曰く「記念受験のつもりで受けた」ところ、合格し1988年(昭和63年)に入社した。 最初は秘書室に配属されるが、希望を出し続け、1993年(平成5年)から制作局ドラマ部に異動となる。 ドラマ制作現場に配属された当時、女性の現場スタッフは内山ひとりという状況であり、毎クール馬車馬の如くアシスタントプロデューサーを務めたと語っている。
藤川 信夫(ふじかわ のぶお、1961年9月 - )は、日本… 藤川 信夫(ふじかわ のぶお、1961年9月 - )は、日本の教育学者。大阪大学大学院人間科学研究科教授。 福岡県北九州市小倉区生まれ。北九州市立高槻小学校、北九州市立槻田中学校、福岡県立八幡高等学校を経て、1984年広島大学教育学部教育学科卒業。1989年広島大学大学院教育学研究科博士後期課程単位取得満期退学、広島大学教育学部助手。 1991年ベルリン自由大学歴的人間学研究センター留学。1992年日本学術振興会特別研究員。1993年広島大学教育学部講師。1994年博士(教育学)。 1995年広島大学大学院国際協力研究科講師。1997年文部省在外研究員(ベルリン自由大学歴史的人間学学際センター留学)。
舛添 要一(ますぞえ よういち、1948年〈昭和23年〉11… 舛添 要一(ますぞえ よういち、1948年〈昭和23年〉11月29日‐)は、日本の国際政治学者、大学教授、政治家。 参議院議員(2期)、参議院自由民主党政策審議会長、厚生労働大臣(第8・9・10代)、新党改革代表(第2代)、東京都知事(第19代)などを歴任した。 福岡県八幡市(現:北九州市八幡東区)出身。 父は1930年(昭和5年)の若松市議会選挙に立憲民政党陣営から立候補したこともあった(次点で落選)。 若松で石炭商(燃料店。現在のガソリンスタンドのような存在)を営んでいた父は、行き詰まって八幡東区で八百屋に転じたものの商いは厳しく、要一が小学2年の時に近くの材木店の火災で類焼して以降は酒に溺れ、一家は長女らの働きで糊口を凌いだ。
村上 祥子(むらかみ さちこ、1942年2月18日 - )は… 村上 祥子(むらかみ さちこ、1942年2月18日 - )は、日本の料理研究家、管理栄養士。福岡県出身。電子レンジを用いたレシピを積極的に開発したことから、電子レンジ調理の第一人者と評される。 福岡県立八幡高等学校を経て、福岡女子大学家政学部を卒業した翌月に結婚。夫の転勤先で同僚の妻に料理を教えたことがきっかけで、社宅で料理教室を開くようになった。数々の料理コンテストに出演する一方で、1985年から母校の福岡女子大学で栄養指導講座も担当した。それ以来「ちゃんと食べてちゃんと生きる」をモットーに「食べ力」をつけることへの提案、および実践的な食育指導を行う。特に、電子レンジを使った簡単な調理法によるレシピを積極的に開発し、電子レンジ調理の第一人者と評される。
津村 禮次郎(つむら れいじろう、1942年 - )は、シテ… 津村 禮次郎(つむら れいじろう、1942年 - )は、シテ方観世流の能楽師。二松學舍大学文学部特任教授。観世流緑泉会代表、重要無形文化財「能楽」保持者(総合認定)、福岡県出身。 1942年福岡県北九州市生まれ。1960年福岡県立八幡高等学校卒業、1963年能「花月」初シテ、翌年一橋大学経済学部卒業、1969年一橋大学社会学部卒業。在学中に一橋観世会で女流能楽師の津村紀三子に師事し、能楽師の道を志す。卒業の後は先代観世喜之に師事する。1967年4月日蓮宗本山海光山佛現寺において出家得度(板垣日応上人門弟)し、同年8月に身延山信行道場を修了し僧籍を取得する。同年師の津村紀三子の養子となる。1970年観世流師範 、1971年能「道成寺」初演。
足立 正生(あだち まさお、1939年〈昭和14年〉5月13… 足立 正生(あだち まさお、1939年〈昭和14年〉5月13日 - )は、日本の映画監督・脚本家・俳優。パレスチナ解放人民戦線・日本赤軍の元メンバー。 福岡県八幡市(現・北九州市八幡東区)出身。日本大学芸術学部映画学科中退。若松プロダクション参加、若松孝二の盟友とされる。 1939年5月13日、福岡県八幡市(現・北九州市八幡東区)に生まれた。八幡市立中央中学校と福岡県立八幡高等学校を卒業。1959年、日本大学芸術学部映画学科に入学。新映画研究会を立ち上げた。同時期に、VAN映画科学研究所を設立。 1961年の監督映画『椀』が学生映画祭大賞を受賞し、1963年の自主製作映画『鎖陰』でも脚光を浴びた。
野田 知佑(のだ ともすけ、1938年1月2日 - 2022… 野田 知佑(のだ ともすけ、1938年1月2日 - 2022年3月27日)は、日本のカヌーイスト、作家。カヌーイストの第一人者として知られる。 熊本県玉名郡江田村(※のちの菊水町→現在の和水町)出身。福岡県立八幡高等学校,早稲田大学第一文学部英文学科卒業。日本のリバーカヤックツーリングの先駆者で、日本を始めヨーロッパ、北アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドなど世界各地の川をカヌーで旅する。雑誌の記者を経て作家となり、川・カヌー・環境問題に関する著書を多数発表。長良川や吉野川河口堰反対運動にも参加している。1982年に『日本の川を旅する』で第9回日本ノンフィクション賞・新人賞を受賞、1998年に毎日スポーツ人賞文化賞を受賞。
原 徹(はら とおる、1935年12月26日 - 2021年… 原 徹(はら とおる、1935年12月26日 - 2021年12月14日)は、日本の映画プロデューサー、実業家。 トップクラフト代表取締役社長、株式会社スタジオジブリ常務取締役、株式会社スタジオジブリ代表取締役社長などを歴任した。 福岡県北九州市出身。福岡県立八幡高等学校を経て、早稲田大学入学。在学中に、しとうきねお、園山俊二、東海林さだお、福地泡介らとともに早稲田大学漫画研究会を創設。「漫画サンデー」に4コマ漫画を描く。漫画家の道は断念し、1959年に大学を卒業すると同時に東映動画に入社。 企画制作の仕事をし、1965年のテレビアニメ『宇宙パトロールホッパ』を始めとして、『ひみつのアッコちゃん』『魔法のマコちゃん』『さるとびエッちゃん』等少女向けテレビアニメの製作を担当。
本村 和喜(もとむら かずき、1935年11月12日 - 1… 本村 和喜(もとむら かずき、1935年11月12日 - 1991年8月17日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。位階は正五位。勲等は勲三等。派閥は三塚派に所属した。 福岡県北九州市八幡東区生まれ。福岡県立八幡高等学校を経て、立命館大学法学部卒業。大学在学中は、ボクシング部と弁論部に所属し、大学代表として弁論大会に出場することもあった。 1964年、自民党衆議院議員小峰柳多の秘書。のちに参議院議員鬼丸勝之の秘書を経験。 1971年、福岡県議会議員選挙初当選。以後2期務める。 1980年の第12回参議院議員通常選挙と1983年の第13回参議院議員通常選挙に福岡県選挙区から自由民主党公認で立候補するも次点落選。
南 弘明(みなみ ひろあき、1934年6月21日 - )は、… 南 弘明(みなみ ひろあき、1934年6月21日 - )は、日本の電子音楽および現代音楽の作曲家。東京藝術大学名誉教授。 山口県生まれ。福岡県立八幡高等学校を卒業後、東京藝術大学音楽学部作曲科、同校専攻科を経て、ドイツのフライブルク音楽大学でヴォルフガング・フォルトナーに学ぶ。帰国後、東京音楽大学、東京藝術大学で教鞭を執りながら、作曲活動を続ける。電子音楽に注目し、5曲の「電子交響曲」を作曲した他、1992年には日本電子音楽協会を設立した。また、若い頃から合唱の分野にも力を注いでおり、大学在学時の1955年、草野心平の詩による男声合唱のための組曲「蛙の歌」を作曲している他、堀口大學の訳詩による男声合唱曲集「月下の一群」(第1集 - 第3集)、高田敏子の詩による混声合唱組曲「飛翔(はばたき)」などがある。
森下 整鎮(もりした のぶやす、1933年9月4日 - 20… 森下 整鎮(もりした のぶやす、1933年9月4日 - 2018年10月26日)は、福岡県八幡市(現:北九州市八幡東区)出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 1952年から1958年及び1986年の登録名は森下 正夫(もりした まさお)。本名は森下 正弘(もりした まさひろ)。 八幡高校時代は高校屈指の強打者として注目され、2年次の1950年に遊撃手として春の選抜へチーム初出場。1回戦で萩北高のエース椙本勝を打ち崩し初勝利を飾る。続く準々決勝では、この大会に優勝した韮山高の東泉東二投手から5点を奪うが、9回裏逆転サヨナラ負けを喫する。この試合では9回まで5-2と勝っていたが、遊撃を守っていた森下が9回裏満塁のピンチでバックホームを大悪投し、サヨナラ負けを喫した。
松永 怜一(まつなが れいいち、1931年11月3日 - 2… 松永 怜一(まつなが れいいち、1931年11月3日 - 2022年5月12日)は、福岡県北九州市出身のアマチュア野球指導者。 学生・社会人野球界で監督を歴任。野球が公開競技であったロサンゼルスオリンピックでは野球日本代表を監督として金メダルに導いた。 八幡市立(現在の北九州市立)槻田小学校時代、家の近くの八幡製鉄のホームグラウンド大谷球場(現在の北九州市立大谷球場)で八幡製鉄と門司鉄道管理局の春・秋の定期戦「製門戦」に夢中になる。 福岡県立八幡中学校(1948年の学制改革により福岡県立八幡高等学校となる)では三塁手、三番打者として活躍。同じ北九州の福岡県立小倉中学校(のち福岡県立小倉高等学校)がエース福嶋一雄(2013年野球殿堂入り)を擁し、1947年から夏の甲子園で連続優勝、打倒小倉高が目標となる。
小堺 昭三(こさかい しょうぞう、1928年5月24日 - … 小堺 昭三(こさかい しょうぞう、1928年5月24日 - 1995年3月7日)は、日本の作家。 福岡県大牟田市生まれ。旧制福岡県立八幡中学校卒。火野葦平の秘書を務め、のち『週刊文春』のルポライターを経て作家となる。1951年「朝鮮海峡」で新潮社文学賞佳作、1959年「基地」で芥川賞候補、1960年「自分の中の他人」で直木賞候補。『密告―昭和俳句弾圧事件』(ダイヤモンド社、1979年)では西東三鬼を特高のスパイと断定し、三鬼の遺族から版元ともども名誉毀損で民事提訴され、1983年に敗訴した。 戦記、昭和史、近代史実録もの、官能小説、また政界・実業界実録ものなど、週刊誌記者出身らしい作風で知られた。
上田 敏晶(うえだ としあき、1925年10月3日 - 19… 上田 敏晶(うえだ としあき、1925年10月3日 - 1988年10月25日)は、日本の経営評論家、翻訳家。 福岡県北九州生まれ。九州大学文学部哲学科卒業。1951年福岡県立八幡高等学校教諭、1957年ダイヤモンド社出版部に入社。書籍編集部次長を務めた後、1967年退社。1968年文化女子大学講師、1976年関東学院女子短期大学教授。
上野 英信(うえの えいしん、本名:上野鋭之進、1923年(… 上野 英信(うえの えいしん、本名:上野鋭之進、1923年(大正12年)8月7日 - 1987年(昭和62年)11月21日)記録文学作家。「時間を惜しむな、金を惜しむな、命を惜しむな」という姿勢を貫き、炭鉱労働者の生きざまを描き続けた。 山口県吉敷郡井関村(阿知須町)で、父彦一、母ミチの7人兄弟の長男として生まれる。小学校に上がる年に、父の転職により北九州の黒崎に移る。1940年、旧制八幡中学を卒業して満州国建国大学へ進学する。1943年12月1日、学徒出陣により関東軍山砲兵第二十八連隊第五中隊へ入営。1945年8月6日、見習士官として船舶砲兵教導隊第一中隊付の時、広島市宇品において原爆投下に遭遇、被爆する。
江藤 晴康(えとう はるやす、1922年5月9日 - 201… 江藤 晴康(えとう はるやす、1922年5月9日 - 2016年2月21日)は、福岡県北九州市出身のプロ野球選手である。現役時代のポジションは、投手。1949年から1954年は、「江藤 正(えとう ただし)」の名前でプレーした。 八幡中(現:八幡高)・法政大学でエース投手として活躍。在学中に学徒出陣で召集され、台湾で終戦を迎える。大学卒業後は社会人野球の門司鉄道局・大洋漁業でプレー。1949年に南海ホークスに入団した。 プロ入りに際し、大阪タイガースと南海ホークスとの二重契約が発覚。これには、以下のような事情がある。以前に武末悉昌の獲得を巡って両球団が争い、武末が南海に入ったことを「奪われた」と考えた大阪の若林忠志監督が南海の山本一人監督に抗議したところ、山本が「武末は南海、江藤は大阪ということにしよう」と口にした。