スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
松岡 史子(まつおか ふみこ、1988年5月23日 - )は… 松岡 史子(まつおか ふみこ、1988年5月23日 - )は、日本のテレビジョン放送ジャーナリスト。元日本海テレビジョン放送(NKT)報道記者。鳥取県東伯郡出身。 鳥取県東伯郡東郷町(現在の湯梨浜町)出身。鳥取県立倉吉東高等学校を経て同志社大学社会学部社会福祉学科卒業。 2009年、同志社大学3年次在学中に出場し、ミスキャンパスDoshisha2009グランプリに輝いた。在学中、竹内弘一の下で音楽わいど ラジオ・ビューのADをする。2020年時点、竹内とは時々電話をしたり、関西に行くときには連絡を取り合い必ず会っている。 2011年、大学卒業と共に地元山陰へUターン就職する形で日本海テレビジョン放送に入社。
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和田見 里美(わだみ さとみ。1987年5月26日- )は、… 和田見 里美(わだみ さとみ。1987年5月26日- )は、鳥取県・大栄町(現北栄町)出身の女子自転車競技選手。鳥取県立倉吉東高等学校、中京大学体育学部を経て、2010年4月より同大学大学院に在籍。2008年北京オリンピック日本代表選手(自転車競技)。 倉吉東高校時代よりトラックレースの中・長距離選手として活躍。2005年の全国高等学校選抜自転車競技大会・2km個人追い抜きで優勝を果たす。中京大学に進学した2006年は、全日本自転車競技選手権大会、全日本アマチュア自転車競技選手権大会の3km個人追い抜きを制覇。また同年開催されたアジア競技大会にも出場した。 2007年6月、南アフリカ・ケープタウンで開催された世界選手権自転車競技大会Bのポイントレースで優勝し、同大会スプリントで優勝した佃咲江とともに北京オリンピック代表内定選手となった。
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丸山 聡美(まるやま さとみ、1984年8月15日 - )は… 丸山 聡美(まるやま さとみ、1984年8月15日 - )は、山陰放送(BSS)のアナウンサー。鳥取県東伯郡出身。 鳥取県東伯郡東伯町(現:琴浦町)出身。鳥取県立倉吉東高等学校、鳥取大学卒業後、BSSに2007年入社。 同期は坪山奏子で、いわゆる“初鳴き”は坪山ともども『しんじないと倶楽部』への出演であった。坪山とはその後も2009年から2010年にかけてテレビで随時放送された『ラッテちゃんダンス』で共演するなど因縁が深かった。 坪山が2010年3月いっぱいで山陰放送を退社したため、坪山が務めていた地上デジタル放送推進大使を引き継いだ。 「春のBSSまつり」や「秋のBSSまつり」などのイベントではMCを務めている。
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森 翔太(もり しょうた、1983年12月19日 - )は、… 森 翔太(もり しょうた、1983年12月19日 - )は、日本の映像作家。鳥取県倉吉市出身。鳥取県在住。フリーランス。 2002年、鳥取県立倉吉東高等学校卒業。静岡文化芸術大学文化政策学部芸術文化学科を卒業後、商社営業職を経て、舞台制作会社precogでアルバイトに就く。 2010年、パフォーマンス集団悪魔のしるしの正式メンバーとして数々の公演に参加。2012年に同団体を脱退。その後は、舞台出演、映像制作などを行っている。 2013年、Gizmodoで仕込みiPhone動画の紹介記事が掲載されたことにより国内外のテレビメディアで取り上げられた。 2021年、自主制作映像『17クラブ』で、初短編作品を公開。
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岩野 竜二(いわの りゅうじ、1973年8月30日 - )は… 岩野 竜二(いわの りゅうじ、1973年8月30日 - )は、日本のラグビー指導者。現在倉吉東高校ラグビー部の監督を務めている。 倉吉東高校、青山学院大学を経て、倉吉総合産業高校ラグビー部の監督を経て、倉吉東高校ラグビー部の監督に就任。 2022年、監督として第102回全国高等学校ラグビーフットボール大会鳥取県予選にて予選なしで花園出場経験。
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丁田 政二郎(ちょうだ せいじろう、1968年6月8日 - … 丁田 政二郎(ちょうだ せいじろう、1968年6月8日 - )は、日本の男性声優、舞台俳優、小説家。神奈川県生まれ、鳥取県倉吉市出身。 鳥取県立倉吉東高等学校卒業。東京理科大学理工学部中退。 かつてはマウスプロモーションに所属していた。 2009年、『どがでもバンドやらいでか』(ジャイブ)で第4回ジャイブ小説大賞優秀賞を受賞し、小説家としてもデビューしている。
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ヒロシ・ヤング(1967年8月30日 - )は、日本のパチン… ヒロシ・ヤング(1967年8月30日 - )は、日本のパチンコ・パチスロライター、放送作家、ユーチューバー。本名は住田 浩志(すみだ ひろし)。 鳥取県東伯郡赤碕町(現・琴浦町)八橋出身。早稲田大学社会科学部卒業。自称「高田馬場のダンゴ虫」。 パチンコ・パチスロライターであると同時に、映像制作プロダクション「有限会社ゼイドンノウ」の代表取締役を務める。1986年、鳥取県立倉吉東高等学校卒業。1年間京都で浪人生活を送り、1987年に早稲田大学社会科学部へ入学。大学を6年かけて卒業後、就職せずに数年間パチプロとして生活していた。その後、様々なパチンコ雑誌に編集者として携わり、そこで知り合った人の関係で開局したばかりのBIGチャンネル(現・パチンコ★パチスロTV!)でパチンコ・パチスロの新台紹介の番組に「ヒロシ・ヤング」の名で出演。
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桑本 充悦(くわもと みつよし、1966年6月21日 - )… 桑本 充悦(くわもと みつよし、1966年6月21日 - )は、山陰放送 (BSS) のアナウンサー。 鳥取県倉吉市出身。高校在学時にアメリカ合衆国へ留学した経験あり。アメリカ合衆国ワシントン州リンデン・ハイ・スクール、鳥取県立倉吉東高等学校、早稲田大学法学部 卒業。 大学を卒業後、1991年に山陰放送に入社。同局アナウンサーの谷口篤史や山根伸志と同様に、報道番組以外への出演時には名前をひらがなにした桑本 みつよし名義で活動している。 2015年、桑本が制作とナレーションを手掛けたラジオ特集『さようなら!専攻科』が日本民間放送連盟賞に出品され、番組部門(ラジオ報道番組)で優秀賞を受賞した。 既婚者で、3人の子供がいる。
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宇仁菅 真(うにすが まこと、1965年11月14日 - )… 宇仁菅 真(うにすが まこと、1965年11月14日 - )は、日本の俳優。劇団五期会所属(マネージメントはライターズ・カンパニー)。子供番組「ストレッチマン」シリーズのストレッチマンが代表作として知られている。 鳥取県立倉吉東高等学校、鳥取大学工学部卒業。1996年に第23回関西俳優協議会最優秀新人賞受賞。劇団五期会公演を中心に、舞台俳優としても活動している。 NHK教育(現「Eテレ」)の子供向け番組『グルグルパックン』及び『ストレッチマン』シリーズに1994年4月から2013年3月まで、ストレッチマンとして19年に渡り出演。2013年4月に『ストレッチマンV』でストレッチマンは新たなストレッチマン5人を後任に指名し、宇仁菅は一度番組を降板したが(この間、2017年に放送された特別番組『オトナのストレッチマン』にて一時復帰)、2018年10月から『ストレッチマン・ゴールド』にて、ストレッチマン・レジェンドとして番組に復帰した。
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山名 淳(やまな じゅん、1963年 - )は、日本の教育学… 山名 淳(やまな じゅん、1963年 - )は、日本の教育学者。専門は教育哲学、教育思想。東京大学大学院教育学研究科教授。 鳥取県湯梨浜町出身。鳥取県立倉吉東高等学校卒業後、1986年広島大学教育学部教育学科卒業、広島大学大学院教育学研究科博士課程前期入学。1991年広島大学大学院教育学研究科博士課程後期単位取得、広島大学教育学部助手。1995年神戸市外国語大学外国語学部専任講師。1997年同助教授、博士(教育学)。1999年東京学芸大学教育学部助教授。2001年フンボルト大学客員研究員。2009年京都大学大学院教育学研究科准教授。2013年日本WEF小原賞受賞。2017年東京大学大学院教育学研究科教授。
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広田 一恭(ひろた かずやす、1958年〈昭和33年〉7月1… 広田 一恭(ひろた かずやす、1958年〈昭和33年〉7月1日 - )は、日本の政治家。鳥取県倉吉市長(2期)。戸籍上の表記は「広」を旧字体にした廣田 一恭だが、公文書では常用漢字の「広」を用いた上記の「広田 一恭」表記を採用している。 鳥取県倉吉市出身。1977年、鳥取県立倉吉東高等学校卒業。1982年、上智大学理工学部卒業。同年、鳥取県天神川流域下水道公社に採用。1986年、鳥取県庁に入庁。2016年、生活環境部長。2017年、県中部総合事務所長。2019年に県庁を退職し、6月に鳥取県環境管理事業センター理事長に就任した。 2021年10月「倉吉市民に恩返しがしたい」と、翌年の倉吉市長選挙出馬を表明し、12月に県環境管理事業センター理事長を退職。
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大田 勝幸(おおた かつゆき、1958年5月26日 - )は… 大田 勝幸(おおた かつゆき、1958年5月26日 - )は、日本の石油実業家。ENEOSホールディングス取締役会長。 鳥取県倉吉市出身。1977年鳥取県立倉吉東高等学校卒業。1年間の大学受験浪人生活を経て、1982年東北大学法学部卒業、日本石油入社。 2014年JXホールディングス執行役員経理部長。2015年取締役執行役員(経理部管掌) に昇格。2017年取締役常務執行役員(監査部・経理部・財務IR部管掌)。 2018年からJXTGエネルギー代表取締役社長。小売電力の「ENEOSでんき」の、旧東燃ゼネラル石油が展開していた関西地方、中部地方での展開などを行う。日本触媒監査役、山口育英奨学会評議員等も務めた。
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松本 典昭(まつもと のりあき、1955年 - )は、日本の… 松本 典昭(まつもと のりあき、1955年 - )は、日本のイタリア史の研究者。阪南大学名誉教授。博士(文化史学)(同志社大学)。 1980年同志社大学文学部文化学科卒業、1992年同大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。1988年~1991年 イタリア政府給費留学生としてフィレンツェ大学に留学)。2004年「一六世紀フィレンツェの政治と美術 パラッツォ・ヴェッキオを読み解く」で同志社大学博士(文化史学)。1998年阪南大学助教授、のち国際コミュニケーション学部教授を経て定年退任。
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福井 雄三(ふくい ゆうぞう、1953年(昭和28年)7月 … 福井 雄三(ふくい ゆうぞう、1953年(昭和28年)7月 - )は、日本の歴史学者。東京国際大学言語コミュニケーション学部特命教授・特任教授。専門は、国際政治学・日本近代史。 鳥取県倉吉市生まれ。鳥取県立倉吉東高等学校卒業。 東京大学法学部卒業後、ハザマにて勤務。1991年(平成3年)退職し、1992年(平成4年)大阪青山短期大学助教授に就任。 2012年(平成24年)4月、東京国際大学教授に就任。 同年8月29日、安倍晋三が前日に森喜朗を訪ね、自民党総裁選への出馬の意向を伝えたことが報道で明らかとなった。同年9月5日、三宅久之、長谷川三千子、金美齢など保守系の著名人28人は「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」を発足させ、安倍の事務所に赴き、出馬要請をした。
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MALTA(マルタ、1949年(昭和24年)9月19日 - … MALTA(マルタ、1949年(昭和24年)9月19日 - )は、日本のミュージシャン・サックス奏者。本名:丸田 良昭(まるた よしあき)。鳥取県倉吉市出身。 鳥取県倉吉市に生まれる。1962年(昭和37年)、倉吉市立小鴨小学校卒業。倉吉市立西中学校では吹奏楽部に入部し、13歳からサックスを吹き始める。 1964年(昭和39年)に佐々木道也・山本力、1966年(昭和41年)より阪口新に師事。早くからプロを目指していたが、両親には「将来は学校の教師になる」ということで納得させていた。 1965年(昭和40年)、倉吉市立西中学校卒業。1968年(昭和43年)、鳥取県立倉吉東高等学校卒業。1973年(昭和48年)、東京芸術大学音楽学部器楽科卒業。
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石田 耕太郎(いしだ こうたろう、1949年(昭和24年)8… 石田 耕太郎(いしだ こうたろう、1949年(昭和24年)8月8日 - )は、日本の政治家。元鳥取県倉吉市長(3期)。 鳥取県倉吉市出身。1968年(昭和43年)3月、鳥取県立倉吉東高等学校卒業。1973年(昭和48年)3月、大阪市立大学法学部卒業。 1979年(昭和54年)10月、鳥取県庁に入庁。2000年(平成12年)8月、境港管理組合事務局長に就任。2009年(平成21年)4月、県営病院事業管理者に就任。 2010年(平成22年)3月28日に行われた倉吉市長選挙に立候補し初当選。2014年(平成26年)の市長選は無投票で再選。2018年(平成30年)、3選。 2023年(令和5年)春の叙勲で旭日小綬章を受章した。
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湯村 光(ゆむら ひかる、1948年 - )は、日本の彫刻家… 湯村 光(ゆむら ひかる、1948年 - )は、日本の彫刻家。 1948年(昭和23年)、鳥取県東伯郡東郷町(現・湯梨浜町)に生まれる。1966年(昭和41年)、鳥取県立倉吉東高等学校卒業。東京芸術大学美術学部彫刻科に進み、澄川喜一に学んだ。1971年(昭和46年)に東京芸大を卒業し、1972年(昭和47年)までフランスのパリ国立高等美術学校に留学した。その後、個展・美術展に自作品を出展し、1983年(昭和58年)に第10回現代日本彫刻展神戸須磨離宮公園賞を受賞した。 主として黒色の御影石を用いた彫刻作品を製作している。自然石との対話を重視し、鑑賞者に静かな印象を抱かせる作風である。研磨した滑らかな面と、凹凸を残した破断面とが一つの作品に共存しており、それらの対比も特徴的である。
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長谷川 稔(はせがわ みのる、1947年(昭和22年)2月2… 長谷川 稔(はせがわ みのる、1947年(昭和22年)2月24日 - )は、日本の元政治家。元鳥取県倉吉市長(3期)、元鳥取県議会議員(4期)、元倉吉市議会議員(5期)。 鳥取県出身。1965年、鳥取県立倉吉東高等学校卒業。スーパーマーケットに勤務し、日本社会党に入り、党県職員を経て、1976年の倉吉市議会議員補欠選挙に立候補し、当選。5期連続当選する。1994年の倉吉市長選挙に立候補したが現職に敗れて落選した。1995年の鳥取県議会議員選挙に立候補して当選し、1999年に再選する。2002年の倉吉市長選挙に立候補し、現職を破って初当選した。2006年は無投票当選。2009年の出直し市長選挙でも当選した。
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山根 義久(やまね よしひさ、1943年4月3日 - 202… 山根 義久(やまね よしひさ、1943年4月3日 - 2025年1月7日)は、鳥取県出身の獣医師。 1989年世界で初めての動物用の超小型の人工心肺装置を試作し、10例中8例の成功例を報告した。獣医療における循環器の権威。 鳥取県立倉吉東高等学校、鳥取大学農学部獣医学科卒業。前日本獣医師会会長。2007年に日本動物高度医療センターを開院(2009年退職)。東京農工大学名誉教授。公益財団法人動物臨床医学研究所理事長。倉吉動物医療センター・山根動物病院/米子動物医療センター会長。 医学博士(岡山大学、1979年)「Homologous and heterologous connective tissue tube for vascular substitute(同種および異種結合組織管の代用血管としての応用)」。
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早川 芳忠(はやかわ よしただ、1938年(昭和13年)1月… 早川 芳忠(はやかわ よしただ、1938年(昭和13年)1月27日 - )は、日本の元政治家。元鳥取県倉吉市長(3期)。 鳥取県出身。1956年鳥取県立倉吉東高等学校卒業。早稲田大学政治経済学部卒業。熊谷組に入社し、後に退職。1990年の倉吉市長選挙に立候補し、初当選した。1994年に再選。1998年の選挙で三選した。2002年の市長選挙で元鳥取県議の長谷川稔に敗れて落選した。初代倉吉市長の早川忠篤の四男。
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大坂 弘道(おおさか ひろみち 1937年2月20日 - 2… 大坂 弘道(おおさか ひろみち 1937年2月20日 - 2020年9月25日)は、日本の木工芸家。 重要無形文化財「木工芸」の保持者(いわゆる人間国宝)。木工芸の人間国宝としては6番目の認定者(1997年認定)。 鳥取県倉吉市出身。鳥取県立倉吉東高等学校、東京学芸大学卒業後、美術教師をしながら木工製作を独学。34歳から木工芸家本橋玉斎、氷見晃堂、竹内碧外らに師事する。木工芸に限らずほとんどの人間国宝が家業として、あるいは子供のころから修業の道に入り、遅くとも大学・学校を卒業後直ちにその道に進んでいるのに比べ、大学卒業後しばらく公立学校教師についていた異例の人間国宝である。 唐木指物などの木工画法を得意とし華麗な装飾が特徴である。
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小谷 承靖 (こたに つぐのぶ、1935年12月21日 - … 小谷 承靖 (こたに つぐのぶ、1935年12月21日 - 2020年12月13日) は、日本の映画監督・演出家・脚本家。 父は鳥取県倉吉市2代目市長の小谷善高。 東京府東京市杉並区出身で、小学校2年生まで東京で育つ。公職追放になった父の故郷・鳥取県東伯郡西郷村の村長の後釜を引き受けたため、1944年3月末、当地に引っ越す。県立倉吉東高校卒業まで鳥取で過ごし、東京に戻りたくて、一浪後東京大学文学部フランス文学科入学を機に東京へ戻る。同時期に大江健三郎・久世光彦が在学していた。この2人は東大在学中から目立つ存在で、次第に落ちこぼれて映画に方向転換した。 大学卒業後、1960年に、暮しの手帖社と東宝の入社試験を受け、東宝に入社。
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岸本 正壽(きしもと まさとし、1935年12月12日 - … 岸本 正壽(きしもと まさとし、1935年12月12日 - )は、日本の実業家。オリンパス光学工業で社長・会長を歴任した。 1954年(昭和29年)3月、鳥取県立倉吉東高等学校卒業。進学した早稲田大学法学部では法律相談部で活動した。1958年(昭和33年)3月に早大法学部を卒業し、同年4月、光学工業に入社。多くの同期と同じく本社勤務になると期待していたが、伊那市の顕微鏡工場勤務となった。しかし原価管理などで工場全体を把握できる職務にやりがいを感じたという。また、内視鏡など医療用光学機器の営業担当となり、医学雑誌などを読みながら精力的に業務をこなした。 その後ドイツに赴任し、下山敏郎とともに西ヨーロッパにおける市場開拓と販売網整備に努めた。
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鳥飼 欣一(とりかい きんいち、1925年(大正14年)11… 鳥飼 欣一(とりかい きんいち、1925年(大正14年)11月13日 - 2006年(平成18年)4月6日)は、日本の物理学者、工学博士。鳥取県立倉吉東高等学校、東京大学工学部卒業。1950年代に、米国のアルゴンヌ国立研究所(Argonne National Laboratory)に留学、帰国後、原子力工学の草分けとして、日本原子力研究所(原研)における原子力平和利用の研究に従事。日本原子力研究所大洗研究所所長、東京理科大学教授などを歴任。日本機械学会名誉員、社団法人日本工学アカデミー会員。父は陸軍軍人の鳥飼恒男、長男は経済学者の鳥飼行博。 水が沸騰し、沸点に達すると、熱を伝導する接触面に水蒸気の気泡が発生する。
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矢田 次夫(やだ つぎお 、1923年〈大正12年〉5月1日… 矢田 次夫(やだ つぎお 、1923年〈大正12年〉5月1日 - 2012年〈平成24年〉4月24日)は、日本の海軍軍人及び海上自衛官。海兵72期。第13代海上幕僚長、第13代統合幕僚会議議長。 鳥取県倉吉市出身。旧制鳥取県立倉吉中学校を経て海軍兵学校を卒業。太平洋戦争中は主として潜水艦に乗組み、終戦は太平洋上で当時世界最大の潜水艦「伊四〇一」で迎えた。横須賀に帰港した途端、他の姉妹艦2隻の乗員とともに全員捕虜となった。伊四百型潜水艦を接収するための整備補修を命じられ、終戦後にもかかわらず米軍の監視の下、約40日間収容所生活を送った。その後、復員局に召集され復員輸送に従事し、公職追放となる。 海上自衛隊に入隊後は海幕防衛部長、佐世保地方総監、自衛艦隊司令官などの要職を経て第13代海上幕僚長に就任。
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矢吹 萬壽(やぶき かずとし、1923年3月27日 - 20… 矢吹 萬壽(やぶき かずとし、1923年3月27日 - 2011年12月13日)は、日本の農学者。大阪府立大学名誉教授、元学長。専門は、農業気象学、生物環境調節工学、環境学。 矢吹万寿、矢吹萬寿、矢吹万壽 とも表記される。NHKプロデューサーの矢吹寿秀は次男。 『農業気象学』文永堂 1978年、『施設園芸学』朝倉書店 1983年、『農業環境調節学』朝倉書店 1985年、『植物の動的環境』朝倉書店 1985年、『風と光合成』農文協 1990年、『稲学大成(第2巻)』農文協 1990年、他 数十冊 日本農業気象学会長、日本生物環境調節学会長、農業施設学会評議員、大気汚染研究協会理事、環境科学会顧問、CELSS研究会顧問、日本農学会評議員、(社)海外農業教育研究開発協会副理事長、(社)堺都市政策研究会副理事長、(社)国際高等研究所評議員、公立大学協会副会長、大阪府公害対策審議会会長、堺市公害対策審議会会長、大阪府原子炉問題審議会会長、地球環境関西フォーラム(地球環境100人委員会)代表委員
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矢吹 萬壽(やぶき かずとし、1923年 - 2011年12… 矢吹 萬壽(やぶき かずとし、1923年 - 2011年12月13日)は、日本の農学者。大阪府立大学名誉教授、元学長。専門は、農業気象学、生物環境調節工学、環境学。
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吉田 たすく(吉田祐よしだ たすく、大正11年(1922年)… 吉田 たすく(吉田祐よしだ たすく、大正11年(1922年)4月9日 - 昭和62年(1987年)7月3日)は日本の染織家・絣紬研究家。廃れていた「組織織(そしきおり)」「風通織(ふうつうおり)」の研究・試織を繰り返し、復元した。風通織に新しい工夫を取り入れ「たすく織 綾綴織(あやつづれおり)を考案。難しい織りを初心者でも分かりやすい『紬と絣の技法入門』として刊行する。昭和32年(1957年)・第37回新匠工芸会展で着物「水面秋色」を発表し稲垣賞を受賞。新匠工芸会会員。鳥取県伝統工芸士。 鳥取県倉吉市広瀬町の開業医、伊藤琢郎・久代の子として生まれる。8人兄弟の6男。旧制鳥取県立倉吉中学校(現・鳥取県立倉吉東高等学校)を卒業し、研数専門学校物理科に入学。
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徳吉 英雄(とくよし ひでお、1921年10月25日 - 1… 徳吉 英雄(とくよし ひでお、1921年10月25日 - 1958年9月21日)は、日本の画家。1946年(昭和21年)から1948年(昭和23年)にかけて倉吉で民藝の同人誌『意匠』を発行。同時期に、鳥取中部の芸術団体「砂丘社」の機関誌『砂丘』復刊に尽力した。 1921年(大正10年)生まれ。1934年(昭和9年)倉吉中学(現倉吉東高校)に入学し、中井金三に教わる。京都高等工藝学校(現京都工芸繊維大学)図案科に進学。卒業後は、鉄道本省に勤める。兵役を経て敗戦後は倉吉に戻る。 1946年(昭和21年)、私家版として同人誌『意匠』を発行する。『意匠』は郷土の工藝を育み向上させることを意図した雑誌であり、第1号から第4号まで発行された。
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坂野 重信(さかの しげのぶ、1917年〈大正6年〉7月23… 坂野 重信(さかの しげのぶ、1917年〈大正6年〉7月23日 - 2002年〈平成14年〉4月17日)は、日本の内務・建設官僚、政治家。自由民主党参議院議員。正三位勲一等工学博士。北栄町名誉町民。 孫は女優の坂野友香、民主党から参院選に立候補経験がある坂野真理(松下政経塾出身、医師)。真理の夫は鳥取県議会議員の坂野経三郎。 鳥取県東伯郡北条町(現北栄町)に生まれる。旧制倉吉中学、旧制松江高校を経て1941年(昭和16年)東京帝国大学工学部土木工学科卒業と同時に内務省採用試験に合格したが、時局を踏まえ陸軍に入隊。復員後は茨城県、大阪府勤務を経て、建設省に移り、河川計画課長、関東地方建設局長、河川局長、建設技監、建設事務次官などを歴任。
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伊藤 宝城(いとう ほうじょう、本名:伊藤 博、1909年6… 伊藤 宝城(いとう ほうじょう、本名:伊藤 博、1909年6月28日 - 1961年12月27日)は、日本の医師、詩人、版画家、彫刻家。 俳号は鉄庵。別名:ジョージ・ウーラン。戦後日本の抽象彫刻の先駆者の一人である。 弟に洋画家の伊藤彰、染色家の吉田たすくがいる。 1909年、鳥取県倉吉市広瀬町で病院を開業している伊藤琢郎・久代の子として八人兄弟の長男として大連で生まれる。1921年3月、明倫小学校卒業。1927年3月、県立倉吉中学校 (現在の鳥取県立倉吉東高等学校)卒業。1936年3月、私立岩手医学専門学校 (現・岩手医科大学)を卒業。同年4月、京都府立医科大学付属病院外科教室に入る。1940年2月に京都府立医大を退職し、中津川町立中津川病院(現・総合病院中津川市民病院)外科主任となる。
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早川 忠篤(はやかわ ただあつ、1907年〈明治40年〉8月… 早川 忠篤(はやかわ ただあつ、1907年〈明治40年〉8月18日 - 1969年〈昭和44年〉4月27日)は、日本の地方政治家。鳥取県倉吉市の初代市長。戦後の地方自治体建設と都市文化形成に尽力し、モダニズム建築による市庁舎建設や将来志向の都市構想を推進したことで知られる。 鳥取県東伯郡上小鴨村(現・倉吉市)出身。1926年(大正15年)倉吉中学校(現・鳥取県立倉吉東高等学校)卒業。1933年(昭和8年)より倉吉町議会議員を務め、1947年(昭和22年)には鳥取県議会議員に選出。1951年(昭和26年)に倉吉町長に就任し、1953年(昭和28年)10月の市制施行により倉吉市の初代市長に選出された。
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尾崎 博(おざき ひろし、1907年2月1日- 1994年2… 尾崎 博(おざき ひろし、1907年2月1日- 1994年2月23日)は、日本の古生物学者。理学博士。国立科学博物館地学研究部長、斎藤報恩会自然史博物館館長などを歴任した。鳥取県鳥取市出身。 1907年、鳥取県気高郡青谷村(現在の鳥取市)で生まれる。旧制倉吉中学校を卒業後、1924年に満州教育専門学校へ第一期生として入学。同期には後の妻となる女性の兄がいた。1928年、東北帝国大学理学部地質学古生物学科に進学し、矢部長克に学ぶ。1932年、再び満州国に戻り、満鉄地質調査所に技師として配属。満州各地で地質資源の探査に貢献する。 1947年に日本へ帰国。1950年国立科学博物館地学課長。1959年、東京教育大学理学博士「Stratigraphical and paleontological studies on the neogene and Pleistocene formations of the Tyosi district」。
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河本 緑石(かわもと ろくせき、本名:河本義行〈かわもと よ… 河本 緑石(かわもと ろくせき、本名:河本義行〈かわもと よしゆき〉、1897年〈明治30年〉3月21日 - 1933年〈昭和8年〉7月18日)は、日本の自由律俳句の俳人・詩人。『層雲』の荻原井泉水に師事した。鳥取県東伯郡社村(現・倉吉市)出身。 鳥取県東伯郡社村(現・倉吉市)に父定吉、母政野の次男として生まれる。長男が夭折したため跡取りとして育てられる。幼少期に従兄・河本謹一郎の感化を受けて俳句を作りはじめる。この頃の句は定型であったといわれているが現存しない。社尋常高等小学校(現・倉吉市立社小学校)卒業後、1911年4月に鳥取県立倉吉中学校(現・鳥取県立倉吉東高等学校)に入学。同校在学中に東郷湖横断競泳の記録を残している。
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前田 寛治(まえた かんじ、1896年10月1日 - 193… 前田 寛治(まえた かんじ、1896年10月1日 - 1930年4月16日)は、日本の洋画家。鳥取県出身。 人物写実画の名手として知られ、満33歳という若さで早逝し10年に満たない短い活動期間であったが、彼の古典的構図でのフォーヴィスム的筆致が「前寛ばり」という流行語を生むなど当時の芸術家に多大な影響を与えた。なお、名字の読みは「まえた」である。 1896年10月1日、鳥取県東伯郡北条町(現:北栄町)国坂の豪農の次男に生まれる。1914年に倉吉中学(現:倉吉東高等学校)を卒業。第三高等学校(現:京都大学)の受験に失敗して画家を志し、美術教師の中井金三に1年間絵を学ぶ。さらに上京して白馬会葵橋洋画研究所で学び、1916年に東京美術学校(現:東京芸術大学)に入学を果たす。
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福本 和夫(ふくもと かずお、1894年(明治27年)7月4… 福本 和夫(ふくもと かずお、1894年(明治27年)7月4日 - 1983年(昭和58年)11月16日)は、日本の経済学者。科学技術史家・思想史家・文化史家でもあり、福本イズムを打ち立てた。長男は福本邦雄。 戦前期の日本共産党(第二次共産党)の幹部となり、その理論的指導者として活躍した。また、フランクフルト留学中、文化史という研究方法を学び、日本における文化史研究の先駆者の一人とされる。 福本は生前、自分の名前である「和夫」について、両親が「明治日本の出世頭」鳩山和夫にあやかったものと語っている。当時の筆名は、出身地にちなんで「北条一雄」としていた。 鳥取県久米郡下北条村(現・東伯郡北栄町)に福本信蔵の三男として生まれる。
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中井金三(なかい きんぞう、1883年8月20日 - 196… 中井金三(なかい きんぞう、1883年8月20日 - 1969年2月9日)は、日本の洋画家。 前田寛治、河本緑石らとともに鳥取中部の芸術団体「砂丘社」を創設。倉吉中学(現・鳥取県立倉吉東高等学校)、倉吉高等女学校(現・鳥取県立倉吉西高等学校)で教員を務め、郷土の芸術文化の振興に貢献した。 1883年(明治26年)、鳥取県久米郡中河原村(現・倉吉市中河原)で、中井喜七郎の次男として生まれる。中井家は造り酒屋であった。1897年(明治30年)小鴨高等小学校を卒業し、上京。杉浦重剛の称好塾に門下生として入り、日本中学校(現・日本学園中学校・高等学校)を卒業。日本中学では真野紀太郞に教わる。白馬会研究所では和田英作、湯浅一郎から絵画の基礎を学ぶ。
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永田 英正(ながた ひでまさ、1933年- )は、東洋史学者… 永田 英正(ながた ひでまさ、1933年- )は、東洋史学者、京都大学名誉教授。 鳥取県生まれ。1957年京都大学文学部東洋史学科卒。62年同大学院博士課程中退。京大人文科学研究所助教授、教授、90年「居延漢簡の古文書学的研究」で文学博士、97年定年退官、名誉教授、京都女子大学教授、2002年退任。藤枝晃、米田賢次郎(1919-90、元滋賀大学・佛教大学教授)と研究をともにした。
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