前田 寛治(まえた かんじ、1896年10月1日 - 1930年4月16日)は、日本の洋画家。鳥取県出身。 人物写実画の名手として知られ、満33歳という若さで早逝し10年に満たない短い活動期間であったが、彼の古典的構図でのフォーヴィスム的筆致が「前寛ばり」という流行語を生むなど当時の芸術家に多大な影響を与えた。なお、名字の読みは「まえた」である。 1896年10月1日、鳥取県東伯郡北条町(現:北栄町)国坂の豪農の次男に生まれる。1914年に倉吉中学(現:倉吉東高等学校)を卒業。第三高等学校(現:京都大学)の受験に失敗して画家を志し、美術教師の中井金三に1年間絵を学ぶ。さらに上京して白馬会葵橋洋画研究所で学び、1916年に東京美術学校(現:東京芸術大学)に入学を果たす。
出典:ウィキペディア「前田寛治」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
