スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
中島 洋平(なかじま ようへい、1985年8月22日 - 、… 中島 洋平(なかじま ようへい、1985年8月22日 - 、男性)は、日本のプロレスラー。本名は中島 洋平。 東京都練馬生まれ、北海道函館市育ち。 本名で活動するほか、同時に覆面レスラーのブラックめんそーれ(Black Mensore)や、同じくクリストバル(Cristobal)など複数のリングネーム・キャラクターで活動している(後述)。 中学2年の時にプロレス中継を見てプロレスに興味を持ち、佐々木健介対天龍源一郎戦の試合を見てプロレスに魅了された、北海道函館中部高等学校1年生の時にウルティモ・ドラゴンの自伝『素顔のマスクマン』を読み闘龍門の存在を知り、闘龍門に入門したいと思うようになる。両親(母親)は高校を卒業すれば好きにしてよいと条件付きで了承してくれた。
高野 勇斗(たかの はやと、1982年8月1日 - )は、日… 高野 勇斗(たかの はやと、1982年8月1日 - )は、日本の政治家・実業家。立憲民主党所属の江東区議会議員(1期)。株式会社チャプターエイトの代表取締役社長。 北海道函館市生まれ。高校卒業まで函館市で過ごし、早稲田大学を卒業後、2007年にインターネット広告代理店大手のアドウェイズに入社。2015年に株式会社チャプターエイトを創業。2023年4月の江東区議会議員選挙で初当選。
う〜み(うーみ、本名:山形夕佳(やまがたゆうか)、1977年… う〜み(うーみ、本名:山形夕佳(やまがたゆうか)、1977年7月7日 - )は北海道函館市出身、高知県在住の自称「歌う旅芸人」。 蟹座生まれ。大学でのバスケットボール部で似た名前の先輩がいたので、区別するためにあだ名として「北海道からはるばる海を越えてやってきた」ことから、「うみ」と呼ばれるようになり、芸名にするときに、津軽海峡の波をあらわす「〜」を挟んで「う〜み」と表記することにした。 NPO法人「なとわ」代表。 自称、歌の世界の山下清(裸の大将)を名乗る。また、歌う旅芸人の肩書きと名乗るようになる。函館市の観光大使、高知県の観光特使に任命されている。 自身の体験から音楽療法を広める活動や障害者自立支援活動を行っている。
小林 正寛(こばやし まさひろ、1971年5月16日 - )… 小林 正寛(こばやし まさひろ、1971年5月16日 - )は、日本の俳優、声優。北海道出身。 北海道函館中部高等学校卒業、日本大学芸術学部映画学科演技コース卒業。1994年に青年座研究所に入所。1995年4月1日に劇団青年座に入団。 2023年時点では活動を休止している。『ファイナルファンタジーVII』のバレット・ウォーレス役は、2024年発売の『ファイナルファンタジーVII リバース』から船木まひとへと引き継がれている。 資格は普通自動車免許、スキー1級。 特技はピアノ弾き語り、歌、作詞、スキー、スケート、野球、バスケットボール。 太字は主役・メインキャラクター。
野村 浩二(のむら こうじ、1971年 - )は、日本の経済… 野村 浩二(のむら こうじ、1971年 - )は、日本の経済学者。慶應義塾大学産業研究所教授。博士(商学)。専門分野は経済政策、経済統計、応用計量経済学、生産性分析。 1989年 北海道函館中部高等学校卒業。 1993年 慶應義塾大学商学部卒業。 1998年 慶應義塾大学大学院商学研究科博士課程を単位取得退学。 2003年4月 慶應義塾大学産業研究所の准教授に就任。日本の経済成長、日本の生産性分析、エネルギー分析を主に研究する。 2005年 博士論文「資本の測定: 日本経済の資本深化と生産性」により慶應義塾大学から博士号取得。
前田 一男(まえだ かずお、1966年〈昭和41年〉5月27… 前田 一男(まえだ かずお、1966年〈昭和41年〉5月27日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の北海道議会議員(1期)。 衆議院議員(2期)、北海道松前町長(2期)、自由民主党文部科学部会長代理などを歴任。 北海道松前郡松前町生まれ。上磯町立浜分小学校、上磯町立浜分中学校、北海道函館中部高等学校、北海道大学工学部卒業。1990年、伊藤忠商事に入社し3年間勤務する。1993年に北海道庁に入庁し、10年間勤務した。 2003年11月の第43回衆議院議員総選挙に北海道8区から無所属で出馬したが、自由民主党の佐藤健治、前田のいずれも民主党公認の金田誠一に敗れた。 2004年、松前町長が任期途中で急逝。
南 俊明(みなみ としあき、1962年-)は、日本の吹奏楽作… 南 俊明(みなみ としあき、1962年-)は、日本の吹奏楽作曲家。北海道函館市生まれ。札幌市在住。全日本吹奏楽コンクールの課題曲の作曲などで知られる。函館市立五稜中学校、北海道函館中部高等学校を卒業後、北海道大学理学部に進む。卒業後、同大学院修了。中学から高校時代にかけては吹奏楽を続けていた。数学科教諭として北海道静内高等学校、北海道函館中部高等学校、北海道石狩南高等学校に勤務した。北海道石狩南高等学校に在職中に全日本吹奏楽コンクールの課題曲を2曲制作。同氏は教頭として北海道稚内高等学校、北海道斜里高等学校、北海道函館中部高等学校、校長として北海道津別高等学校、北海道苫小牧東高等学校を歴任し、2023年3月に定年退職。
清水 真(しみず まこと、1961年5月21日 - )は、日… 清水 真(しみず まこと、1961年5月21日 - )は、日本の法学者(刑事法)。函館市生まれ。カトリック信者で洗礼名はアウグスティヌス。専門は、刑事訴訟法、医事法、少年法。明治大学大学院教授、東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科講師、財務省税関研修所高等科・高等専科講師、東京医科歯科大学医学部研究倫理審査委員・同遺伝子解析倫理委員や日本動脈硬化学会倫理委員、日本臨床法学教育協会理事、日本比較法研究所嘱託研究所員。 元函館大学教授の清水紘史は父親、作庭家で京都工芸繊維大学講師の重森千青は義兄。母方の祖父母・叔父・従弟等、親族に医師が多いことが医事法をも研究するきっかけだったとする。 北海道函館中部高等学校卒業。
山本 直樹(やまもと なおき、1960年〈昭和35年〉2月1… 山本 直樹(やまもと なおき、1960年〈昭和35年〉2月1日 - )は、日本の漫画家。成人向け漫画を執筆する森山 塔(もりやま とう)、塔山 森(とうやま もり)の名義がある。 北海道松前郡福島町出身。北海道函館中部高等学校、早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。劇画村塾3期生。水瓶座、血液型はAB型。主に青年漫画を執筆。自身のバンド「ブレメン」(旧スロラナSPブレメン)ではボーカルとギターを担当。都内ライブハウスを中心に活動。 1960年2月1日、北海道松前郡福島町に生まれる。両親、さらには父方・母方の両祖父が学校の先生という教育者の家庭で育った。小学生のころ、自身にとっての「エロのルーツのルーツ」ともいえる『ハレンチ学園』を愛読。
水島 康宏(みずしま やすひろ、1958年5月18日 - )… 水島 康宏(みずしま やすひろ、1958年5月18日 - )は、日本の作曲家、ボーカリスト。トライエックスミュージック社所属。北海道函館市弁天町出身。代表曲に、髙橋真梨子の最大のヒット曲となった「ごめんね…」などがある。 同じ作曲家の水島康貴と間違えられると、本人がコメントしている。薬剤師の資格を持ち、作曲活動の傍ら病院薬剤師としても勤務していた。 北海道函館中部高等学校、東京理科大学薬学部卒業。 1980年に東芝EMIより、バンド・Northern Litesのボーカル、ギター、作曲家としてデビュー。 1982年、バンド解散後、男性デュオグループHorizonを結成。その後、ライブ、レコーディングにコーラスとして参加しつつ、作曲家としてアーティストに楽曲を提供している。
武田 雅哉(たけだ まさや、1958年1月 - )は、日本の… 武田 雅哉(たけだ まさや、1958年1月 - )は、日本の中国文学者。北海道大学名誉教授。 1958年北海道函館市生まれ。北海道函館中部高等学校卒業。1985年北海道大学文学部中国文学科卒、1988年同大学院修士課程修了、中野美代子に師事する。1990年より北海道大学文学部助手を経て、助教授、教授。2023年3月をもって退職。
逢見 直人(おうみ なおと、1954年2月10日 - )は、… 逢見 直人(おうみ なおと、1954年2月10日 - )は、日本の労働運動家。 北海道函館市生まれ。北海道函館中部高等学校を経て、1976年一橋大学社会学部卒業。一橋大では依光正哲人口問題専任講師の前期ゼミ及び津田真澂労働問題教授の後期ゼミ、体育会ボート部に所属。趣味は落語、クラシック音楽鑑賞。 当初は労働ジャーナリストを志していたが、ゼミの指導教官の紹介で大学卒業後はゼンセン同盟書記局に入局。労働政策部長、千葉県支部長、1988年常任中央執行委員(政策局長)、2004年UIゼンセン同盟副会長、2005年-2011年日本労働組合総連合会(連合)副事務局長(政策局長)、2011年UIゼンセン同盟会長付(副会長)、2012年全国繊維化学食品流通サービス一般労働組合同盟(UAゼンセン)会長、連合副会長を経て、2015年10月より連合事務局長を務め、働き方改革関連法案に関し菅義偉内閣官房長官との交渉を担当した。
宇江佐 真理(うえざ まり、1949年10月20日 - 20… 宇江佐 真理(うえざ まり、1949年10月20日 - 2015年11月7日)は、日本の時代小説作家。本名、伊藤 香(いとう かおる)。 北海道函館市生まれ。北海道函館中部高等学校在学中より創作を始める。函館大谷女子短期大学(現・函館大谷短期大学)卒業。OL生活を経て、主婦となる。 1995年、『幻の声』でオール讀物新人賞を受賞しデビュー。同賞の選考委員の一人、白石一郎から、伊三次(『幻の声』の主人公)を主人公に据えた連作が可能である、との意見をもらい連作化された。同作品を含んだ連作短編集『幻の声 髪結い伊三次捕物余話』は第117回直木三十五賞候補にもなり注目される。なおペンネーム「宇江佐真理」は『ウエザ・リポート』というタイトルでエッセイを書くために決めたため、その名に拘りはなく、本名を隠蔽することさえできればよかった。
竹本 義明(たけもと よしあき、1949年 - )は、日本の… 竹本 義明(たけもと よしあき、1949年 - )は、日本のトランペット奏者、教育者。名古屋芸術大学学長などを務めた。アートマネジメント研究者。 北海道函館市生まれ。1967年に北海道函館中部高等学校を卒業し、1972年に武蔵野音楽大学音楽学部器楽科を卒業して、名古屋フィルハーモニー交響楽団に入団した。 1989年に交響楽団を退団して名古屋芸術大学非常勤講師となり、1992年に助教授となった。 1994年には、古楽器修得を目的として、イギリスの王立音楽大学への研究留学した。 1999年に教授に昇任し、2001年に音楽学部長、2004年に副学長(学校法人名古屋自由学院理事、評議員)、2007年に学生部長、2009年に生涯学習センター長などを歴任し、2010年に学長となった。
今井 浩三(いまい こうぞう、1948年1月1日 - )は、… 今井 浩三(いまい こうぞう、1948年1月1日 - )は、日本の医学者・内科医。札幌医科大学名誉教授、元・同大学長。元・北海道公立大学法人札幌医科大学理事長。研究対象は癌(がん)、癌の分子診断や新しい治療が専門。日本学術会議会員(20,21期)、2009年、春の園遊会に招待。2010年、東京大学教授(東京大学医科学研究所附属病院第19代病院長)。2013年、紫綬褒章受章。2014年、東京大学特任教授(東京大学医科学研究所医療イノベーション推進室長)、神奈川県立がんセンター臨床研究所長。2016年、東京大学客員教授、東京大学医科学研究所 学術研究基盤支援室長。2019年、日本医療研究開発機構 (AMED) プログラムオフィサー, 2022年、同プログラムスーパーバイザー。
石田 建昭(いしだ たてあき、1946年1月2日 - )は日… 石田 建昭(いしだ たてあき、1946年1月2日 - )は日本の実業家。東海東京フィナンシャル・ホールディングス代表取締役社長、東海東京証券代表取締役会長。元中部経済同友会代表幹事。 北海道函館市で船員の子として生まれる。北海道函館中部高等学校を経て、1968年小樽商科大学商学部卒業、東海銀行(現三菱UFJ銀行)入行、内田橋支店配属。1980年加州東海銀行出向。1987年国際財務開発室長。1992年欧州東海銀行頭取。1994年東海銀行取締役。1996年東海銀行常務取締役。1998年東海投信投資顧問取締役社長。2001年欧州東海銀行会長。2002年UFJインターナショナル会長。2003年UFJインターナショナル社長。
渡辺 憲司(わたなべ けんじ、1944年12月15日 - )… 渡辺 憲司(わたなべ けんじ、1944年12月15日 - )は、日本の近世文学研究者。立教大学名誉教授。元立教新座中学校・高等学校校長、元自由学園最高学部学部長。専門は近世文学・大名文芸圏・遊里史など。前田愛に師事した。 北海道函館市生まれ。1963年、北海道函館中部高等学校卒業。1964年立教大学法学部に入学するも、1966年に同大学文学部日本文学科へ転籍。1968年、立教大学文学部日本文学科卒業。1971年立教大学大学院文学研究科日本文学専攻修士課程修了。1976年立教大学大学院文学研究科日本文学専攻博士課程単位取得退学。 横浜市立横浜商業高等学校定時制教諭(1970年4月 - 1972年3月)、武蔵高等学校教諭(1972年4月 - 1978年3月)を経て、1978年4月梅光女学院大学短期大学部専任講師。
河内 孝夫(かわうち たかお、1944年11月21日 - )… 河内 孝夫(かわうち たかお、1944年11月21日 - )は、日本の実業家、馬主。 北海道函館市にある宿泊施設・湯の川プリンスホテル 渚亭などを運営する株式会社湯の川プリンスホテルの代表取締役会長を務める。 1944年生まれ。北海道函館中部高等学校を卒業後、21歳の時に他界した先代から事業を引き継ぎ、1972年に湯の川プリンスホテルを創立した。その他、函館湯の川温泉協同組合理事長、社団法人函館観光協会副会長、函館商工会議所観光サービス部会長などを歴任。 2016年、湯の川プリンスホテルの社長職を息子の昌貴に譲り、代表取締役会長に就任した。 日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録する馬主としても知られる。
佐藤 宣践(さとう のぶゆき、1944年1月12日 - )は… 佐藤 宣践(さとう のぶゆき、1944年1月12日 - )は、日本の柔道家。北海道函館市出身。2012年、九段に昇段。東海大学名誉教授、2016年4月より桐蔭横浜大学第三代学長。身長178cm、体重88kg。 東京教育大学卒業後、博報堂に入社。1967年の世界選手権の軽重量級で優勝。その後も1969年無差別級で3位、1971年軽重量級で2位、1973年軽重量級で優勝と安定した成績を挙げた。全日本選手権においても90kg前後の体格ながら1967年と1971年に準優勝、1974年優勝と好成績を残す。またサンボも経験しており、1972年のヨーロッパ選手権では優勝を成し遂げている。 現役時代は左組からの体落、大内刈を得意とした。
高月 忠(たかつき ちゅう、1943年9月22日 - )は、… 高月 忠(たかつき ちゅう、1943年9月22日 - )は、日本の俳優。北海道函館市柏木町出身。北海道函館中部高等学校、日本大学芸術学部演劇学科卒業。 四男一女の三男として生まれる。父親は元NHKアナウンサーで北海道大学の教授。 大学在学中に劇団を設立するが失敗し赤字を負う。偶然知り合ったプロデューサーの誘いで1964年4月に東映東京撮影所に入社。1966年頃までは死体役や通行人役を演じていたが、1967年にテレビドラマ『ジャイアントロボ』にレギュラー出演して以降はヤクザ映画などの脇役として活躍。テレビにおいても東映の刑事ドラマや特撮番組に数多く出演。大部屋俳優から始まり、長きに渡り東映所属の俳優として活動。
渡辺 信英(わたなべ のぶひで、1941年(昭和16年)7月… 渡辺 信英(わたなべ のぶひで、1941年(昭和16年)7月 - )は、日本の法学者。博士(社会福祉学)、東北福祉大学名誉教授、郡山東都学園学校長、仙台北学園学校長。公益財団法人仙台微生物研究所理事、全国保育士養成協議会常任理事。聖和学園短期大学学長 北海道函館市出身。北海道函館中部高等学校を経て、1970年に東洋大学大学院法学研究科博士課程を満期退学。1968年東北福祉大学の助教授に就任した。1979年に同教授となる。その後学生部長などを務め、1990年に社会福祉学部長、大学院社会福祉学研究科長、2002年、通信教育部が設置された際には、初代の通信教育部長も歴任した。 2008年に、総合福祉学部からスピンオフして設置された総合マネジメント学部長を兼務し、2009年4月より学長補佐、2015年4月より総合福祉学部長兼務解除の上で副学長に就任。
野又 肇(のまた はじめ、1940年(昭和15年) - )は… 野又 肇(のまた はじめ、1940年(昭和15年) - )は、日本の経済学者・学校経営者。 学校法人野又学園2代理事長・社会福祉法人貞信福祉会初代理事長。北海道函館市出身。父は函館大学創立者の野又貞夫。子に野又淳司。
松谷 克(まつや まさる、1938年4月26日 - 2024… 松谷 克(まつや まさる、1938年4月26日 - 2024年12月13日)は、日本の実業家。 日本紙パルプ商事代表取締役社長、同社代表取締役会長、日本洋紙代理店会連合会会長などを歴任した。旭日中綬章受章。 北海道出身。1957年北海道函館中部高等学校卒業。 1962年北海道大学経済学部卒業、日本紙パルプ商事入社。1993年に取締役札幌支店長に就任し、1999年には常務東京本店新聞用紙営業本部長兼印刷・情報用紙営業本部長、2001年には代表取締役専務名古屋支店長と要職を歴任。 2003年に代表取締役社長に就任し、7年務めて2010年に代表取締役会長に就任。同年旭日中綬章を受章し、2011年に帝国ホテルで叙勲御礼の会が行われた。
四ツ柳 隆夫(よつやなぎ たかお、1938年4月11日 - … 四ツ柳 隆夫(よつやなぎ たかお、1938年4月11日 - )は、日本の化学工学者。東北大学名誉教授。元宮城工業高等専門学校校長。元日本分析化学会会長。元日本化学会副会長。父は四ツ柳高茂。 北海道函館市生まれ。北海道函館中部高等学校を経て、1961年北海道大学工学部応用化学科卒業。1966年北海道大学大学院工学研究科応用化学専攻博士課程修了、工学博士。1971年日本分析化学会奨励賞受賞。北海道大学助教授を経て、1978年東北大学教授。1991年環境科学会評議員。1992年日本微量元素学会評議員。同年日本化学会学術賞受賞。1996年日本分析化学会学会賞受賞。1997年東北大学大学院工学研究科研究科長・工学部学部長。
奥平 忠志(おくだいら ただし、1936年3月23日 - 2… 奥平 忠志(おくだいら ただし、1936年3月23日 - 2007年8月24日)は、日本の地理学者。専門は人文地理学。北海道教育大学名誉教授。兄に憲法学者である奥平康弘(東京大学名誉教授)がいる。
所 一彦(ところ かずひこ、1935年2月12日 - 202… 所 一彦(ところ かずひこ、1935年2月12日 - 2020年1月30日)は、日本の法学者。立教大学名誉教授。東亜大学教授。元日本犯罪社会学会会長・日本刑法学会理事・日本学術会議第16期会員(第3常置委員会委員長)。刑事法専攻。刑法の法社会学で業績を残す。北海道函館市出身。 1959年の立教大学法学部創設の際、刑事学(刑事政策)の担当教員に当時学士助手だった所を推薦したのが団藤重光である。ところが、東京大学の学士助手制度は3年で助手論文を仕上げるというものであるから、2年しか在籍していない所は助手論文が出来上がらずに講師になることになる。所自身が団藤に在籍年数を間違えたのではと尋ねたが、団藤は否定している。
古川 静二郎(ふるかわ せいじろう、1934年 - 1993… 古川 静二郎(ふるかわ せいじろう、1934年 - 1993年)は、日本の電子工学者。東京工業大学名誉教授。 北海道函館市生まれ。北海道函館中部高等学校を経て、1956年東京工業大学理工学部電気学科卒業。1961年東京工業大学理工学部博士課程修了、工学博士、東京工業大学精密工学研究所助手。1963年東京工業大学精密工学研究所助教授。1973年東京工業大学精密工学研究所教授。1975年東京工業大学大学院総合理工学研究科教授。1991年日本工学アカデミー会員。1993年急逝。1994年東京工業大学名誉教授。指導学生に石原宏東京工業大学名誉教授など。
五十嵐 義三(いがらし よしぞう、1933年(昭和8年)9月… 五十嵐 義三(いがらし よしぞう、1933年(昭和8年)9月16日 - 2000年(平成12年)5月23日)は、日本の弁護士・官僚・法学者。北海道函館市出身。専門は教育法学。中央大学法学部通信教育課程出身の生え抜き法曹の一人。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 函館の中学校卒業後、函館地方検察庁に入庁。北海道函館中部高等学校定時制、中央大学法学部通信教育課程卒業。東京高等検察庁事務官に就任。間もなく司法試験に合格。1967年札幌で弁護士登録。1977年札幌弁護士会副会長。1983年札幌学院大学法学部客員教授( - 1989年)。1990年札幌弁護士会会長に就任。1991年北海道弁護士連合会理事長に就任。
柴田 彰(しばた あきら、1932年(昭和7年)11月13日… 柴田 彰(しばた あきら、1932年(昭和7年)11月13日 - 2014年(平成26年)1月26日)は、日本の政治家。北海道函館市長(1期)。 北海道函館市出身。1951年、北海道函館中部高等学校卒。卒業後は函館市役所に入る。1953年には市役所内の富士銀行出張所に勤めていた銀行員と結婚、後に2児をもうける。市役所では民生課、総務課、秘書室に勤務し、その後、秘書係長、秘書課長補佐、秘書課長、市長公室次長、市長公室長、企画室長を歴任した。 1983年、矢野康函館市長の勇退に伴い、函館市長選挙に立候補して当選した。しかし、健康問題を理由に1986年に市長を辞職した。 高校時代からハンドボールを始め、全日本代表選手にも選ばれた。
二上 達也(ふたかみ たつや、1932年(昭和7年)1月2日… 二上 達也(ふたかみ たつや、1932年(昭和7年)1月2日 - 2016年(平成28年)11月1日)は、将棋棋士。渡辺東一名誉九段門下で棋士番号は57。タイトル獲得通算5期。1990年引退。 1989年から2002年にかけて日本将棋連盟会長を務めた。加藤治郎・原田泰夫の後任として将棋ペンクラブ名誉会長でもあった。 弟子に羽生善治がいる。 1932年、北海道函館市の網元の家で8人兄弟の末子として生まれた。1939年に母が亡くなり、京都帝大を卒業した兄は太平洋戦争で北千島に出征した後にシベリア抑留を受けた。比較的裕福な家庭だったが、戦後の農地改革で土地を失い、インフレにより貯蓄の価値が失われ、父は1946年に病気で亡くなった。
斎藤 道一(さいとう どういち、1932年 - )は、日本の… 斎藤 道一(さいとう どういち、1932年 - )は、日本のフリーライター。 北海道生まれ。北海道函館中部高等学校をへて、東京大学に進学し卒業後、NHK入局。プロデューサーとして報道番組やドキュメンタリーを担当したのち、1965年退社。以降、フリーライターになる。
平野 拓夫(ひらの たくお、Takuo Hirano、193… 平野 拓夫(ひらの たくお、Takuo Hirano、1930年9月15日 - 2025年4月23日)は1953年に東京藝術大学美術学部工芸科卒業後、特許庁審査官在職中にグッドデザイン商品選定(Gマーク)制度を提案、1957年の創設にて中心的役割を果たした。1970年には、株式会社平野拓夫デザイン設計事務所(現:平野デザイン設計)を設立。現在は名誉会長。また、金沢美術工芸大学、多摩美術大学、清華大学(北京)各校名誉教授、金沢工業大学客員教授など、デザインの教育機関にて要職を務めている。日本造船学会シップ・オブ・ザ・イヤー選定委員 1930年9月15日に北海道にて生まれ、北海道函館中部高校卒業後、東京芸術大学 美術学部工芸科へ進学。
沼澤 康一郎(ぬまざわ こういちろう、1930年8月15日 … 沼澤 康一郎(ぬまざわ こういちろう、1930年8月15日 - 1989年5月18日)は、北海道函館市出身のプロ野球選手(外野手、捕手)・コーチ、解説者・評論家。 妻は国体に出場して最優秀選手を獲得したこともあるバスケットボール選手で、次男の沼澤尚はドラマー。 ルー・ゲーリッグに憧れ、野球選手を目指す。旧制函館中では4番・一塁手として活躍し、1946年には全道大会準決勝で帯広中を17-16という大乱戦の末に降すと、決勝でも沼澤が4長短打の活躍で札幌光星中を破り戦後初優勝を飾った。戦後初出場となった夏の甲子園でも初戦で山形中を降して戦後初勝利を挙げたが、準々決勝でエース平古場昭二を擁する浪華商に敗退。
沼澤 康一郎(ぬまさわ こういちろう、1930年8月15日 … 沼澤 康一郎(ぬまさわ こういちろう、1930年8月15日 - 1989年5月18日)は、北海道函館市出身の元プロ野球選手(外野手、捕手)・コーチ、解説者・評論家。
早坂 茂三(はやさか しげぞう、1930年6月25日 - 2… 早坂 茂三(はやさか しげぞう、1930年6月25日 - 2004年6月20日)は、日本の政治評論家。 田中角栄の政務秘書を23年間務めた。「日本列島改造論」の名付け親でもある。秘書辞任後は、多くの著書を出版した。 北海道函館市恵比須町出身。生家は呉服屋を営み、旧制北海道庁立函館中学校・新制北海道立函館高等学校(現北海道函館中部高等学校)を卒業。浪人生活を経て1950年に早稲田大学政治経済学部新聞学科に入学。早大時代の友人に行天豊雄(後の財務官)がいる。 大学時代は学生運動にのめりこみ、一時日本共産党にも入党した。1955年に同大卒業。学生の頃からいずれは新聞記者になろうと思い、新聞社の入社試験を受けるが、朝日新聞は年齢制限で受けられず、読売新聞では最終面接の13人の中の1人に残るが、前歴が前歴だけに思想調査ではねられ、名も知らぬ新聞社だった東京タイムズに拾われた。
品川 孝次(しながわ こうじ、1930年 - )は、日本の民… 品川 孝次(しながわ こうじ、1930年 - )は、日本の民法学者。専門は民法全般。上智大学元教授。北海道亀田郡大野町(現・北斗市)出身。
五島 勉(ごとう べん、1929年〈昭和4年〉11月17日 … 五島 勉(ごとう べん、1929年〈昭和4年〉11月17日 - 2020年〈令和2年〉6月16日)は、日本の作家・ルポライター。1973年に社会不安とメディアの作品への扱い方を背景として、1960年代生まれから以降の幼少世代を中心に「1999年7月に世界滅亡」を信じる者が続出し、日本国内に未来への悲観的影響を与えた『ノストラダムスの大予言』を書いたことで知られる。 北海道函館市出身。正教徒の家庭に生まれる。本名は後藤 力(ごとう つとむ)。旧制函館中学校(現・北海道函館中部高等学校)から第二高等学校へ進み、後の弁護士・遠藤誠と知り合う。東北大学法学部卒業。大学在学中、小遣い稼ぎにポルノ小説を書いて雑誌に投稿し、文筆家の道に入る。
奥平 康弘(おくだいら やすひろ、1929年(昭和4年)5月… 奥平 康弘(おくだいら やすひろ、1929年(昭和4年)5月19日 - 2015年(平成27年)1月26日)は、日本の法学者(憲法〈表現の自由及びアメリカ合衆国憲法〉)。エッセイスト。東京大学名誉教授。 北海道函館市生まれ。鵜飼信成と宮澤俊義の弟子。法学界・法曹界に止まらず、広く影響力を有する法学者だった。九条の会の呼びかけ人の一人で、エッセイも多数執筆。日本ビデオ倫理協会評議員、自由人権協会評議員も務めた。 「学者」という呼称を敬遠し、大学を離れて以降、「憲法研究者」という肩書きを名乗ることが多かった。 奈良県医師宅放火殺人の供述調書漏洩事件をうけて講談社が2007年に設置した第三者委員会である『僕はパパを殺すことに決めた』調査委員会の委員長を務めた。
中村 嘉人(なかむら よしひと、昭和4年(1929年)4月1… 中村 嘉人(なかむら よしひと、昭和4年(1929年)4月18日 - )は、日本の文筆家。 札幌市在住。道銀文化財団副理事長・堀江オルゴール博物館理事・札幌市民芸術祭実行委員会委員を歴任。 北海道函館市生まれ。旧制函館中学校(現、函館中部高等学校)、旧制弘前高等学校(現、弘前大学)を経て、大阪大学経済学部卒。教師、雑誌の編集者、会社経営者を経て文筆業。
佐藤 孝行(さとう こうこう、本名読み:さとう たかゆき、1… 佐藤 孝行(さとう こうこう、本名読み:さとう たかゆき、1928年〈昭和3年〉2月1日 - 2011年〈平成23年〉5月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(11期)、運輸政務次官、国務大臣総務庁長官(第20代)、自民党総務会長(第34代)、自由民主党行政改革推進本部長などを歴任した。 北海道瀬棚郡北檜山町(現久遠郡せたな町)出身。旧制函館中学定時制、明治大学政治経済学部政治学科卒業。 自民党の実力者・河野一郎の秘書を経て、1963年の衆院選で旧北海道3区から初当選し以後11期当選(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・藤尾正行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮など)。
四方 英四郎(しかた えいしろう、1926年9月25日 - … 四方 英四郎(しかた えいしろう、1926年9月25日 - )は、日本の農学者(植物病理学・ウイルス学)。勲等は勲二等。学位は農学博士(北海道大学・1961年)。北海道大学名誉教授、石河子農学院名誉教授、一般社団法人日本植物病理学会名誉会員、日本ウイルス学会北海道支部名誉会員、日本学士院会員。 北海道大学農学部教授、北海道澱粉工業協会参与、株式会社北海道グリーンバイオ研究所所長などを歴任した。 北海道出身の農学者である。植物病理学やウイルス学を専攻しており、虫媒性植物ウイルスが昆虫体内で増殖することを証明するとともに、ウイルスゲノムの分子構造と機能を解明したことで知られる。さらに、日本のホップや果樹に被害を与えるウイロイドを発見し、その病原性と発生生態を解明した。
大道寺 小三郎(だいどうじ こさぶろう、1925年(大正14… 大道寺 小三郎(だいどうじ こさぶろう、1925年(大正14年)5月1日 - 2005年(平成17年)7月21日)は、日本の銀行家、実業家。みちのく銀行頭取を務めた。 北海道静内郡静内町(現・日高郡新ひだか町)出身。医家に生まれ、父・小市は函館市に診療所を開設。のちに病床を20以上備えた函館一の規模を誇る病院となった。 旧制函館中学、旧制弘前高校を経て東北大学法学部を卒業する。弘前高校時代の同期には鈴木清順(映画監督)、一期下にはその弟の鈴木健二(NHKアナウンサー)もいた。 大学卒業当初は、弁護士を目指して司法試験に6度挑戦したとされるが、突破できなかったため、渋々ながら齢32にして当時の弘前相互銀行に入行。
坂本 幸四郎(さかもと こうしろう、1924年9月19日 -… 坂本 幸四郎(さかもと こうしろう、1924年9月19日 - 1999年5月10日)は、日本の小説家、川柳評論家。北海道函館市生まれ。 1942年に函館中学校(現:北海道函館中部高等学校)卒業後、国鉄入社。無線電信講習所(現:電気通信大学)を卒業して国鉄函館船員区に勤務した。 青函連絡船通信長として勤務していた現役当時、洞爺丸台風(1954年9月26日)の際に同航路を就航していた客載車両渡船『石狩丸』の次席通信士として、洞爺丸の転覆・遭難を発信し続けた第六真盛丸からのSOS通信を受信し、公電として発信した経験を有している。1990年、北海道文化賞奨励賞受賞。川柳の研究評論も手がけていた。 1999年、急性心不全のため死去。
葛西 森夫(かさい もりお、1922年〈大正11年〉9月29… 葛西 森夫(かさい もりお、1922年〈大正11年〉9月29日 - 2008年12月8日)は、青森県市浦村(現・五所川原市)生まれの小児外科医。旧制第二高等学校・東北帝国大学(現・東北大学)出身。胆道閉鎖症に対する手術・肝門部腸吻合術(英語版)を開発したことで知られ、この術式は葛西の名前を取って葛西手術(英: Kasai's procedure)とも呼ばれる。 葛西は1922年に青森県市浦村(現・五所川原市)で生まれ、函館で育った。1935年に旧制函館中学校(現北海道函館中部高等学校)に進学し、1940年に卒業した。葛西の父は近代教養を重んじる敬虔なクリスチャンであり、この影響を受けた彼は、グリム童話やアンデルセンに親しんで育ったのだという。
富田 朝彦(とみた ともひこ、1920年〈大正9年〉7月3日… 富田 朝彦(とみた ともひこ、1920年〈大正9年〉7月3日 - 2003年〈平成15年〉11月13日)は、日本の警察官僚。第3代宮内庁長官。位階は正三位。北海道出身。 函館中学、旧制二高を経て、昭和18年(1943年)東京帝国大学法学部を卒業後、海軍を志願し、同年9月30日海軍三校のひとつ海軍経理学校に入学。 1944年2月、同校を卒業し海軍主計科士官(主計科短期現役第10期)となる。最終階級は海軍主計大尉。 戦後、内務省に入省。大臣官房属。その後は警察庁に入り警視庁交通部長、警察庁長官官房長、警察庁警備局長を歴任する。警備局長時代の警察庁長官は後藤田正晴であさま山荘事件などを担当した。その後、警視庁副総監、内閣調査室長を経て、1974年(昭和49年)11月26日 宮内庁次長、1978年(昭和53年)宮内庁長官に就任した。
伏見 五郎(ふしみ ごろう、1919年 - 1945年5月)… 伏見 五郎(ふしみ ごろう、1919年 - 1945年5月)は、北海道函館市出身のプロ野球選手。ポジションは捕手。 父は函館太洋倶楽部で活躍した伏見勇蔵。函館中卒業後、1937年にイーグルスに入団する。1939年、バッキー・ハリスの退団に伴い正捕手になるが、この年限りで退団、函館太洋倶楽部に入団する。試合中に送球を受けて死亡した久慈次郎に代わって、函館太洋倶楽部でも正捕手になった。翌1940年には、全道樺太実業団野球大会(前年に久慈が試合中に送球を受けて死亡したため、この年の大会が最後の大会〈第18回〉になった。)で、この年の都市対抗野球大会に北海道代表として出場した全旭川と延長27回の大熱戦を繰り広げた際には、捕手として出場し、3-2での勝利に貢献した。
塚田 庄平(つかだ しょうへい、1918年6月25日 - 1… 塚田 庄平(つかだ しょうへい、1918年6月25日 - 1991年3月20日)は日本の政治家。日本社会党(以下、社会党)における炭鉱労組出身政治家として北海道議会議員(4期)や道議会副議長、衆議院議員(4期)を歴任した。 1918年(大正7年)6月25日、北海道浦河郡浦河町に生まれる。1942年(昭和17年)に東京帝国大学法学部を卒業後、北海道炭礦汽船(北炭)に入社した。その後水戸航空通信学校に入校。戦後は北炭職員組合連合会(北炭職連)委員長、全日本石炭労働組合(全石炭)副委員長を務めた。北炭職連委員長在任中の1950年(昭和25年)6月に行われた第2回参議院議員通常選挙に民主戦線候補として立候補したが、15名中9位で落選した。
田中 正巳(たなか まさみ、1917年6月12日 - 200… 田中 正巳(たなか まさみ、1917年6月12日 - 2005年8月5日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員、参議院議員。北海道出身。正三位勲一等旭日大綬章。 函館中学、官立新潟高等学校を経て東京帝国大学法学部卒業。1955年、第27回衆議院議員総選挙に初当選(旧北海道3区)。1974年、三木武夫内閣の厚生大臣として初入閣。衆議院予算委員長に就任したが、1979年の第35回衆議院議員総選挙で落選し、1980年に参議院全国区に転出。1992年まで2期務めた。 1987年、勲一等旭日大綬章受章。 2005年8月5日、肝臓癌のため東京都北区の病院で死去。享年88。
亘理 厚(わたり あつし、1917年5月13日 - 1983… 亘理 厚(わたり あつし、1917年5月13日 - 1983年1月24日)は、日本の機械工学者。東京大学名誉教授。自動車の振動・騒音研究の祖である。陸軍では技術大尉となる。 宮城県出身。1935年、函館中学校(現北海道函館中部高等学校)、1938年、第二高等学校理科を卒業。 陸軍航空技術研究所の所属時には、中西不二夫の指導を受け、星形エンジンのピストンの運動について研究した。その後、クランク軸のねじり振動防止のための摩擦ダンパの研究を行った。 戦後は航空機関連の研究が禁止されてしまったため、紡績用スピンドルの高速回転化を目指し、スピンドルの触れ回り運動の研究を行った。これにより工学博士の学位を得た。
浅野 辰雄(あさの たつお、1916年1月1日 - 2006… 浅野 辰雄(あさの たつお、1916年1月1日 - 2006年9月15日)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。ドキュメンタリー映画『号笛なりやまず』の監督であり、ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督の『アナタハン』ではスタンバーグと脚本を共同執筆したことでも知られる。日本記録映画作家協会委員、「世田谷を記録する会」会長を歴任した。 日本映画データベース等で混同されている大映の製作者・浅野辰雄(1904年 - 没年不詳)は、別人である。 1916年(大正5年)1月1日、栃木県宇都宮市に生まれる。北海道函館市の旧制・北海道庁立函館中学校(現在の北海道函館中部高等学校)を卒業して上京、旧制・東京高等工芸学校(現在の千葉大学工学部)機械科に進学するも、在学中に『文芸街』『ズドン』等の文学運動に関係しており、1936年(昭和11年)7月10日、講座派の一斉検挙であるコム・アカデミー事件に関連し、同誌関係者として浅野次郎、中島正伍らとともに検挙されている。