スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
中田 翔太(なかた しょうた、1996年5月20日 - )は… 中田 翔太(なかた しょうた、1996年5月20日 - )は、ジャパンラグビーリーグワンクボタスピアーズ船橋・東京ベイに所属するラグビー選手。 2015年、都島工業高校卒業後、近畿大学に入る。 2019年、近畿大学卒業後、クボタスピアーズ(現・クボタスピアーズ船橋・東京ベイ)に加入。 2022年4月17日に行われたJAPAN RUGBY LEAGUE ONE第13節グリーンロケッツ東葛戦にて途中出場で公式戦初出場を果たした。
郡 浩也(こおり ひろや、1996年2月6日 - )は、日本… 郡 浩也(こおり ひろや、1996年2月6日 - )は、日本の男子プロバレーボール選手。 大阪府大阪市出身。高校に入学したときに新しいことがしたかったと思いバレーボールを始める。 大阪府立都島工業高等学校、日本大学を経て、2017-18シーズン、ジェイテクトSTINGSの内定選手となった。内定選手としてV・プレミアリーグの試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。 2019年、 第30回ユニバーシアード競技大会の日本代表メンバーに選出された 2022年、2021-22シーズン終了をもって移籍希望でジェイテクトを退団した。7月1日に、サフィルヴァ北海道(現・北海道イエロースターズ)に入団しプロ契約をしたと発表された。
谷口 和洋(たにぐち かずひろ、1995年2月5日 - )は… 谷口 和洋(たにぐち かずひろ、1995年2月5日 - )は、ジャパンラグビーリーグワンクボタスピアーズ船橋・東京ベイに所属するラグビー選手。 2013年、都島工業高校卒業後、天理大学に入る。 2017年、天理大学卒業後、クボタスピアーズ(現・クボタスピアーズ船橋・東京ベイ)に加入。同年12月10日に行われたジャパンラグビートップリーグ第11節の東芝ブレイブルーパス戦に途中出場で公式戦初出場を果たす。
木村 勇大(きむら たけひろ、1992年11月11日 - )… 木村 勇大(きむら たけひろ、1992年11月11日 - )は、大阪府出身のラグビー選手。ジャパンラグビーリーグワン・日野レッドドルフィンズに所属。 2011年、都島工業高校卒業後、近畿大学に入る。 2015年、近畿大学卒業後、日野自動車レッドドルフィンズに加入。 2016年11月26日に行われたトップイーストリーグDiv.1第11節の日本IBMビッグブルー戦に途中出場で公式戦初出場を果たす。
青野 天悠(あおの てんゆう、1991年9月12日 - )は… 青野 天悠(あおの てんゆう、1991年9月12日 - )は、日本のラグビー選手。 ラグビーは小学2年生から始めた。 2010年、都島工業高校卒業後、天理大学に入る。 2014年、天理大学卒業後、ヤマハ発動機ジュビロに加入。 2017年、ヤマハ発動機ジュビロを退団した。
星本 泰憲(ほしもと やすのり、1989年10月24日 - … 星本 泰憲(ほしもと やすのり、1989年10月24日 - )は、日本のラグビー選手。 2008年、都島工業高校卒業後、近畿大学に入る。 2012年、近畿大学卒業後、福岡サニックスブルース(現・宗像サニックスブルース)に加入。2012年10月14日に行われたジャパンラグビートップリーグ第6節の東芝ブレイブルーパス戦に途中出場で公式戦初出場を果たす。 2020年、宗像サニックスブルースを退団した。
小坂 尚哉(こさか なおや、1986年9月12日 - )は、… 小坂 尚哉(こさか なおや、1986年9月12日 - )は、大阪府出身で兵庫県在住の競艇選手。登録番号4295。身長169cm。血液型AB型。94期。同期に古賀繁輝、中西裕子、岡崎恭裕らがいる。
山下 裕史(やました ひろし、1986年1月1日 - )は、… 山下 裕史(やました ひろし、1986年1月1日 - )は、日本のラグビーユニオン選手。ジャパンラグビーリーグワンのコベルコ神戸スティーラーズに所属している。 大阪府四條畷市出身。都島工業高校入学後にラグビーを始め、その後京都産業大学に進んだ。同チーム在籍時代には、2006年度シーズンの第43回大学選手権でベスト4を経験。 2008年、神戸製鋼コベルコスティーラーズ(現・コベルコ神戸スティーラーズ)に加入した。 その後、U23日本代表、関西代表を経て、日本代表に選出され、2009年のアジア5カ国対抗におけるカザフスタン戦が初のキャップ獲得試合となった。 2012年11月10日、日本代表の欧州でのテストマッチ初勝利となった対ルーマニア戦でもスタメンに名を連ねた。
鹿取 茂雄(かとり しげお、1977年10月5日 - )は、… 鹿取 茂雄(かとり しげお、1977年10月5日 - )は、酷道愛好家、廃墟愛好家、フリーライター。本業は工業用薬品会社社員。大阪府池田市出身で、岐阜県岐阜市在住。 1977年生まれ。大阪市立都島工業高等学校理数工学科、豊橋技術科学大学工学部から愛知学院大学情報社会政策学部情報社会学科へ編入して卒業。 小さい頃から熱中していたのは鉄道。小学生の頃は遠くまで機関車や電車の撮影に行っていた。中学生になってからは夜行列車に乗ったり、駅舎に泊まっていた。並行して科学系のクラブ活動にも打ち込む。高校時代は黒板とチョークが出す不快な音に興味を持ち、「チョークの悲鳴」についてリポートを仲間と書いてコンクールに出し、日本学生科学賞の科学技術庁長官賞を受賞する。
中 恭太(なか きょうた、1975年9月26日 - )は、日… 中 恭太(なか きょうた、1975年9月26日 - )は、日本の元お笑い芸人。本名、貴田 恭太。 大阪府大阪市鶴見区出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属していた。元吉本新喜劇の座員。 大阪市立鶴見小学校、大阪市立緑中学校、大阪市立都島工業高等学校卒業。 NGKの舞台進行係を経て、1998年入団。 たかおみゆきとの不細工カップルなど、使いやすいキャラのせいか、ストーリーラインにほとんど絡まない端役が続いている。 2010年1月頃を最後に舞台に出演しておらず、吉本興業からも芸人プロフィールが削除されているため、現在は事実上の引退状態となっているが、公式発表が無いため、詳細は不明。
桂 米左(かつら よねざ、1965年4月29日 - )は大阪… 桂 米左(かつら よねざ、1965年4月29日 - )は大阪市出身の落語家。本名∶木村 佳。米朝事務所所属。上方落語協会会員。 都島工業高校卒業後、1984年3月27日に3代目桂米朝に入門。同期入門に、桂米裕と、廃業した桂又三郎がいる。又三郎とは中学校時にクラスメイトで落研所属として鎬をけずり、高校時に毎日放送の『素人名人会』に出演した時にはともに名人賞を獲得した。[要出典] 同年6月の東山安井金比羅会館「桂米朝落語研究会」にて初舞台。 「錦影絵」を継承。長唄囃子望月流名取で、望月太八一郎に師事し望月太八三の名を持つ。書道6段。 酒豪であるため、師匠の米朝が健在の頃は酌の相手として頻繁に呼び出しを受け、米朝とは自称「飲み友達」。
松本 竜助(まつもと りゅうすけ、1956年〈昭和31年〉4… 松本 竜助(まつもと りゅうすけ、1956年〈昭和31年〉4月6日 - 2006年〈平成18年〉4月1日)は、日本のお笑い芸人。本名、松本 稔(まつもと みのる)。徳島県生まれ。大阪市立都島工業高等学校卒業。 大阪市立東都島小学校、大阪市立桜宮中学校、大阪市立都島工業高等学校を卒業後、大手食品会社の味の素ゼネラルフーヅ(味の素グループ)に就職しサラリーマンとなったものの早々と退職、京都花月の舞台裏方として芸人修行に入る。 1977年、松本竜介の名前で島田紳助と共に漫才コンビ「紳助・竜介」を結成。紳助が明石家さんまと組もうとして断られ紹介されたのが竜介である(ただし、紳助著『自己プロデュース力』にはさんまに断られたという記述はない。
7代目 笑福亭 松鶴(しょうふくてい しょかく、1952年2… 7代目 笑福亭 松鶴(しょうふくてい しょかく、1952年2月19日 - 1996年9月22日)は、日本の落語家。出囃子は、『独楽』。前名は笑福亭 松葉で、死後7代目松鶴を追贈された。本名∶倉本 雅生。 大阪府大阪市西成区岸里に生まれる。小中学校(在学したのは、港区内の大阪市立波除小学校・大阪市立市岡中学校)を通じて学業成績はよかったが、「これからは手に職をもっている者が勝つ」という父の意向で大阪市立都島工業高等学校に進学する。高校卒業後、キリンビール尼崎工場に入社したが、まもなく落語家になることを決意し、1970年7月11日に6代目笑福亭松鶴に入門した。この弟子入りに際しては、「一番怖そう」という理由で松鶴を選び、弟子入りを認めるかどうかの返信を求める往復ハガキを出した。
成世 昌平(なるせ しょうへい、本名:堀邉 茂樹、1951年… 成世 昌平(なるせ しょうへい、本名:堀邉 茂樹、1951年6月10日 - )は、広島県三次市出身の演歌歌手。株式会社日本クラウン所属。既婚。所属事務所はハブ・マーシー。既婚、2女あり。 大阪市立都島工業高等学校卒業後、島津製作所に就職。高校在学中に落語家を目指し、桂米朝に弟子入り志願するが、「母ひとり子ひとりの家庭ならば、まずは仕事をしなさい」という趣旨の手紙が届き諦めた。Green2(グリーングリーン)のメンバー堀辺智寿(ほりべ ちず)は娘。 島津製作所在職中の1974年から独学で民謡の勉強を始め、1977年と1978年に「産経民謡大賞」(産経新聞社主催)の青年の部で連続優勝。1978年に島津製作所を退職。
野口 泰弘(のぐち やすひろ、1946年4月25日 - 20… 野口 泰弘(のぐち やすひろ、1946年4月25日 - 2023年11月29日)は、日本の元バレーボール選手。1972年ミュンヘンオリンピックバレーボール男子金メダリスト。大阪府出身。 1945年4月25日生まれ。大阪府立都島工業高等学校を経て日本大学を卒業後、松下電器(現パナソニック)入部。 2023年11月29日、腎不全のため死去。77歳没。
森川 薫(もりかわ かおる、1942年(昭和17年)3月5日… 森川 薫(もりかわ かおる、1942年(昭和17年)3月5日 - )は、日本の政治家。摂津市長を務めた(1988年10月 - 2004年(平成16年)10月。4期16年)。旭日小綬章受章。 現在の大阪府摂津市生まれ。水道に関する技術士資格を持つ市長として、人口普及率11%の下水道の整備を進め、全国平均を超す水準77.7%まで引き上げた。しかし、総事業費約1200億円かけた結果、市財政を圧迫した。市長引退にあたり、健康面での不安と多選の回避を理由に挙げつつこの件に言及し、「他の自治体に先駆けて行財政改革に取り組んできたが、依然厳しい。それが心残りだ」と話した。 市長を退任6年後の2010年10月、大阪府収用委員会の委員に就任した。
岡本 日出士(おかもと ひでし、1936年(昭和11年)1月… 岡本 日出士(おかもと ひでし、1936年(昭和11年)1月1日 - )は、日本の政治家。元大阪府大東市長(3期)。旭日小綬章受章。 大阪府出身。1954年大阪市立都島工業高等学校(現・大阪府立都島工業高等学校)卒。同年盛工務店に勤務。のち岡本建設を設立、社長となる。ほか四条保育園理事長なども務める。 政治面では1976年に大東市議会議員に当選し、2期務め、市議会副議長を務めた。2000年大東市長選挙に立候補し、現職の近藤松次を破って初当選。2004年に再選。2008年に三選。2012年に退任した。
近江 巳記夫(おおみ みきお、1935年〈昭和10年〉10月… 近江 巳記夫(おおみ みきお、1935年〈昭和10年〉10月1日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(10期)。元科学技術庁長官。 1954年 (昭和29年) 大阪市立都島工業高等学校建築科卒業。1962年(昭和37年)関西大学経済学部卒業。1963年(昭和38年)大阪市会議員(西成区選挙区)に当選。1967年(昭和42年)2月の第31回衆議院議員総選挙の大阪3区に公明党から立候補し初当選(通算10回)する。委員長の竹入義勝の下で中央執行委員を歴任。 1986年(昭和61年)12月の公明党大会で委員長選出された委員長の矢野絢也の下で中央統制委員長、国会対策副委員長を歴任。 1990年(平成2年)11月に委員長の石田幸四郎の下で筆頭・中央執行副委員長に就任。
長谷 景治(はせ けいじ、1935年7月3日- 2024年1… 長谷 景治(はせ けいじ、1935年7月3日- 2024年11月13日)は、日本の競泳選手。早稲田大学商学部卒業。日本マスターズ水泳協会の副会長を務めている。 大阪市立高倉中学校、大阪市立都島工業高等学校普通科卒業。早稲田大学商学部在学中の1956年のメルボルンオリンピックの100m背泳ぎに出場、準決勝で敗退した。 1954年、1958年のアジア競技大会の100m背泳ぎでともに金メダルを獲得している。 1954年9月17日、田中守・長沢二郎・谷訯との400mメドレーリレーで4分17秒2の世界新記録、1955年8月13日、古川勝・石本隆・古賀学との400mメドレーリレーで4分15秒7の世界新記録をつくり、1954年度、1955年度の朝日スポーツ賞に選ばれている。
二川 幸夫(ふたがわ ゆきお、1932年11月4日 - 20… 二川 幸夫(ふたがわ ゆきお、1932年11月4日 - 2013年3月5日)は、日本の建築写真家、建築批評家。 大阪市出身。1951年大阪市立都島工業高等学校建築科卒業、1956年に早稲田大学文学部を卒業。在学中、建築史教授・田辺泰の勧めで民家の撮影を開始。 1957 - 59年、美術出版社から『日本の民家』全10巻(文:伊藤ていじ)を発表。1959年、同著によって毎日出版文化賞を受賞する。 1970年、建築書籍専門の出版社「A.D.A.EDITA Tokyo」を設立。建築デザイン専門誌「GA JAPAN」などを発行した。 安藤忠雄、妹島和世、ザハ・ハディドら、建築家の才能をいち早く見い出し、紹介した。
栄屋 悦男(さかえや えつお、1930年2月13日 - )は… 栄屋 悦男(さかえや えつお、1930年2月13日 - )は大阪府出身の元プロ野球選手。 全鐘紡時代には第23回都市対抗野球大会で優勝。1954年に大阪タイガースに入団。即戦力として期待され、最初は期待に応える活躍をしたものの8月頃に打球が目に当たり怪我を負ってしまう。この怪我が原因で、視力が低下し当初のような活躍ができなくなってしまった。1955年オフ、僅か2年で自由契約になり、広島カープに移籍。しかし、4試合の登板にとどまり退団した。
金田 龍之介(かねだ りゅうのすけ、1928年6月15日 -… 金田 龍之介(かねだ りゅうのすけ、1928年6月15日 - 2009年3月31日)は、日本の俳優。本名は同じ。1970年頃までは異体字で表記された金田竜之介名義の作品もある。血液型はA型。三男は俳優の金田拓三。過去の出演作品については、金田 龍之介権利継承者である満里子夫人から、オフィス天童に委任されている。
能澤 正雄(のざわ まさお、1927年5月6日 - 2019… 能澤 正雄(のざわ まさお、1927年5月6日 - 2019年7月15日)は、日本の原子力工学者。理学博士(1962年)。元日本原子力研究所理事。元高度情報科学技術研究機構顧問。日本工学アカデミー会員。 1927年生まれ。1945年、都島工業学校(現・大阪府立都島工業高等学校卒業。同年4月、阪大理学部に併設されていた大阪臨時教員養成所に入るが、6月に赤紙を受取り独立工兵隊に配属、和歌山県紀ノ川の川口付近に配置される。終戦を経て臨時教員養成所を卒業した後1951年3月、大阪大学理学部物理学科卒業。大学では菊池正士の研究室に所属した。1960年2月、大阪大学理学部助教授となる。武田栄一から移籍の要請をうけ、同年4月、日本原子力研究所入所。
大和田 幸治(おおわだ こうじ、1927年 - 2012年3… 大和田 幸治(おおわだ こうじ、1927年 - 2012年3月17日)は、昭和から平成時代の労働運動家。全国金属機械労働組合港合同事務局長、同田中機械支部執行委員長。 大阪市天王寺区生まれ。実家は小さな鉄工所。1944年大阪市立都島工業学校在学中に桜島の住友プロペラに動員される。父親は戦死、母親は乳児を連れて疎開。1946年2月三菱化工機(1949年から田中機械)に仕上げ・組み立て工として入社。労働組合に加盟し、職場代議員、執行委員、副組合長、青年婦人対策部などを歴任。1964年3月に組合が同盟金属を脱退、全金に加盟し、全金田中機械支部委員長に就任。臨時工60人の正社員化、男女賃金差別撤廃などを実現。
大澤 伸剛(おおさわ のぶたか、1925年(大正14年)1月… 大澤 伸剛(おおさわ のぶたか、1925年(大正14年)1月7日 - 2018年(平成30年)9月18日)は、日本の実業家。旧日本海軍の士官。勲五等瑞宝章受章者。 株式会社オオサワ元代表取締役。日本ケミカルシューズ工業組合元理事長。 外孫は第53代兵庫県知事の斎藤元彦。 兵庫県神戸市垂水区出身。1940年(昭和15年)大阪市立都島工業学校電気科を卒業。1947年(昭和22年)大澤ゴム工業所を創立。塩化ビニールを素材とする商材の製造販売を開始。作業工程の機械化にも努め、地元鉄工所と連携しコンベヤー方式を確立。多くの企業がこの方式を採用し、生産能力の向上に大きく寄与した。 1954年(昭和29年)同社の貿易部門として源弘貿易(のちの大澤産業)を設立。
川上 貢(かわかみ みつぐ、1924年9月6日 - 2012… 川上 貢(かわかみ みつぐ、1924年9月6日 - 2012年3月20日)は、日本の建築史家。京都大学名誉教授。主に鎌倉時代から室町時代にかけての貴族住宅の研究である『日本中世住宅の研究』によって、書院造に到る寝殿造の変遷を解き明かした。 1924年9月6日、大阪府大阪市に生まれた。1931年4月、東淀川区中津尋常高等小学校に入学。1936年、都島区都島小学校へ転校。1937年4月、大阪市立都島工業学校建築科に入学。しかし戦局の悪化にともなって1942年12月に繰り上げ卒業。 1943年4月、大阪理工科大学予科に進学。1945年4月、同学理工学部応用化学科に進学。しかし1946年3月に大阪理工科大学を退学し、京都帝国大学工学部建築学科に入学。
多田英之(ただひでゆき、1924年(大正13年)5月6日 -… 多田英之(ただひでゆき、1924年(大正13年)5月6日 - 2021年(令和3年)9月21日)は、日本の建築構造学者。大阪府出身。専門は建築構造で耐震構造・免震構造・鋼管構造など。免震の生みの親。工学博士、一級建築士、技術士。1983年に建設大臣の特別認可を取得し、国内免震建築第一号積層ゴムを用いた免震建物評定を八千代台住宅に誕生させる。平成元年には日本建築学会免震構造小委員会主査として「免震構造設計指針」をまとめ、2001年に東京都杉並区に28階建て日本初の超高層免震マンションを実現する。積層ゴムアイソレータの実物大実験など耐震実験を多く行い、免震という概念を確立。 1942年、大阪市立都島工業学校建築科卒業。
田幸 敏治(たこう としはる、1923年7月1日 - 201… 田幸 敏治(たこう としはる、1923年7月1日 - 2011年12月24日)は、日本の応用物理学者。東京工業大学名誉教授。元応用物理学会会長。元日本分光学会会長。 1923年7月1日生まれ。1941年12月大阪市立都島工業学校機械科、戦時繰り上げ卒業。旧制高校への進学希望がつのり、始めた受験勉強の無理と戦前・戦中の食糧事情が重なり、結核を患う。旧制松山高等学校を経て、1944年10月東京帝国大学理学部物理学科入学。1947年9月同大学卒業後は、東京大学理工学研究所研究員となる。1956年1月中央計量検定所主任研究員。1970年12月東京工業大学教授、精密工学研究所の併任教授。1972年東京工業大学精密工学研究所に転任、電気計測部門教授。
小松 定夫 (こまつ さだお、1922年6月9日 - 199… 小松 定夫 (こまつ さだお、1922年6月9日 - 1995年10月30日)は、日本の土木工学者。 工学博士。土木学会名誉会員。大阪大学名誉教授。 専門は薄肉構造理論、弾塑性構造解析理論、空力弾性学など。なかでも薄肉曲線桁理論は都市高架道路橋の建設に影響を与えた。同理論は阪神高速道路の3径間連続鋼床版曲線箱桁橋(土木学会選奨土木遺産)、通称中之島S字橋の設計にも適用された。 大阪市に生まれる。大阪市立都島工業学校機械科、旅順工科大学予科を経て1946年9月、京都帝国大学工学部応用物理学科(旧航空)を卒業した。 民間会社、大阪府技師などを経て、1953年3月大阪市立大学工学部助手に就任する。同大学を講師、助教授と進み、1961年12月京都大学より工博の学位を授与される。
南部 正太郎(なんぶ しょうたろう、男性、1918年11月2… 南部 正太郎(なんぶ しょうたろう、男性、1918年11月23日 ‐ 1976年11月5日)は、日本の漫画家。昭和20年代の関西漫画界の第一人者で、代表作に焼け跡派の4コマ漫画「ヤネウラ3ちゃん」がある。生前は大阪読売新聞夕刊の「マンガアンデパンダン」選者、日本漫画家協会関西支部所属。 1918年11月23日、岐阜県大垣市生まれ。すぐ大阪府高槻市に移住。 1937年、都島工業学校建築科卒業後、大阪の建築事務所で働きはじめる。一時的に大映京都撮影所で助監督を務めるが、建築事務所に復帰。 1945年、勤めていた建築事務所が解散。漫画を描きはじめ、大阪新聞社の雑誌『漫画日本』や『読物と漫画』(『大阪パック』改題)で作品を発表。
岩本 博行(いわもと ひろゆき、1913年(大正2年)11月… 岩本 博行(いわもと ひろゆき、1913年(大正2年)11月4日 - 1991年(平成3年)10月29日)は、日本の建築家。竹中工務店常務。 大阪府に生まれる(出身地は岡山県勝田郡奈義町)。 1932年(昭和7年)、大阪市立都島工業学校建築科を卒業し、竹中工務店に入る。 竹中入社後に小林三造に指導を受ける。日本建築素材の色彩を用いて統一感を与えることを持論とし、職人(大工・棟梁)の伝統を受け継ぐ人物と目された。 九州支店設計部長(1959年)、大阪本店設計部長(1962年)、取締役技師長(1968年)を経て、1972年に常務取締役に就任した。 竹中工務店の創立80周年記念事業の「竹中大工道具館」創設(1984年)にも関与した。
川島 宙次(かわしま ちゅうじ、1912年10月15日 - … 川島 宙次(かわしま ちゅうじ、1912年10月15日 - 1998年)は、日本の民家研究家・画家。 東京生まれ。1932年大阪市立都島工業学校建築科卒。一級建築士。大林組に入り、住宅部長、大林ハウジング取締役を歴任。欧米、東南アジア諸国を歴訪し住居建築を研究。1990年第1回竹内芳太郎賞受賞。日本民族建築学会評議員、東京民芸協会会員、日本美術家連盟会員。
小堀 林衛 (こぼり りんえい、1912年 - 1989年)… 小堀 林衛 (こぼり りんえい、1912年 - 1989年)は、日本の実業家。小堀住研(現・ヤマダホームズ)の創業者。滋賀県出身。 1912年、東浅井郡上草野村野瀬(現在の長浜市野瀬町)に生まれる。上草野小学校高等科卒業後、大阪の石けん工場で丁稚奉公として働く。1928年、竹中工務店入社。働きながら大阪市立都島工業専修学校建築科(現・大阪府立都島工業高等学校定時制課程)で学び1932年卒業。1950年、竹中工務店退職。1951年、三成建築工業株式会社設立。その後社名変更を重ね、1965年小堀住研とする。
吹田 徳雄(すいた とくお、1911年12月20日 - 19… 吹田 徳雄(すいた とくお、1911年12月20日 - 1981年12月18日)は日本の工学者。大阪大学名誉教授。原子力安全委員会初代委員長。理学博士(大阪帝国大学、1947年)。徳島県海部郡美波町(旧日和佐町)出身。 大阪市立都島工業学校、神戸高等工業学校電気科を経て、1937年に大阪帝国大学工学部電気工学科卒業。学生時代はテニス部のキャプテンであった。1949年、大阪大学工学部電気工学科の教授(電気材料学講座)となる。1957年、原子核工学専攻原子炉工学講座教授(電気工学兼務)。1963年には京都大学教授となり、1969年から1970年まで大阪大学工学部長事務取扱を勤めた。 1975年に大阪大学を退官し、近畿大学教授となる。
岡元 義人(おかもと よしと、1910年(明治43年)9月2… 岡元 義人(おかもと よしと、1910年(明治43年)9月27日 - 1958年(昭和33年)11月17日)は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員。 鹿児島県姶良郡、のちの隼人町(現霧島市)で岡元常助の長男として生まれる。1923年(大正12年)宮崎県立小林中学校(宮崎県立小林高等学校)を卒業。さらに市立大阪工業学校(現大阪府立都島工業高等学校)機械科を卒業した。 1929年(昭和4年)大阪川西内燃機関研究所員となる。1931年(昭和6年)朝鮮西松組に転じた。以後、朝鮮水力電気機関庫主任、国際運輸自動車部主任を経て、承徳と天津市で華北運輸公司を経営し、さらに北京市で北支工廠を経営して終戦を迎えた。
蒼井 雄(あおい ゆう、1909年1月27日 - 1975年… 蒼井 雄(あおい ゆう、1909年1月27日 - 1975年7月21日)は、日本の探偵作家(名前の読み方には「あおい たけし」説もある)。本名は藤田優三。 電力会社の技術者を本業とする寡作なアマチュア作家ながら、日本において初めて鉄道ダイヤを題材とした長編探偵小説『船富家の惨劇』(1935)を著したことで、日本の推理小説史に名を残している。戦後に鉄道ダイヤを用いた推理小説を書いた鮎川哲也や松本清張も、この作品に影響を受けたという。 F・W・クロフツやイーデン・フィルポッツなど、1920年代以来の欧米探偵小説界においてリアリズム指向を持った作家の影響を受け、当時の日本の探偵小説界では珍しくリアリティ重視の本格探偵小説を書いたが、その活動期であった1930年代から1940年代には、時期尚早と地味な作風のため広く受け容れられることはなかった。
三並 義忠(みなみ よしただ、1908年(明治41年)1月8… 三並 義忠(みなみ よしただ、1908年(明治41年)1月8日 - 1966年(昭和41年)9月1日 )は、昭和期の工学技術者。自動電気釜の開発者として知られる。 愛媛県新居郡中萩村(現・新居浜市)出身。小学校を卒業後鉄道省に入省。鉄道機関士を目指し働きながら大阪市立都島工業専修学校(現・大阪府立都島工業高等学校定時制課程)で学ぶ。1928年に鉄道省を退職して上京。芝浦工学校(現・芝浦工業大学)を卒業。 ドイツ系の機械商社アンドリュウス社に入った。1932年または1934年に独立し光伸社を設立。精密測定器を製作した。戦後はテープレコーダーや16ミリ映画のトーキー、圧力釜などを作った。 1952年に東京芝浦電気(東芝)と関係し、自動電気釜を発明した。
深沢 要(ふかざわ かなめ、1904年 - 1947年)は、… 深沢 要(ふかざわ かなめ、1904年 - 1947年)は、日本のこけし研究家・版画家・童話作家。本字での表記は深澤要。 東京市下谷区池之端七軒町に生まれる。少年期は、医師である父に従って九州で育った。1917年、福岡県嘉穂中学校に入学するが病気のため退学。1921年、大阪泰西学館に入学するも病気のため退学。 1925年、大阪市立工業学校(現大阪市立都島工業高等学校、翌年、大阪市立都島工業学校と改称)に勤務。かたわら童話研究を志す。1929年、都島工業学校を退職。行人社書店を設立するが病気のため閉店。『古本屋の棚』『子供考』を出版。1933年、東京に移る。1934年、このころより、こけしの収集研究が始まり産地訪問が始まる。
廣田 昴(ひろた こう、1902年7月5日 - 没年不詳)は… 廣田 昴(ひろた こう、1902年7月5日 - 没年不詳)は、日本の俳優である。本名喜多 猶光(きた なおみつ)、新字体表記広田 昴のほか、広田 昂、広田 昻、広田 宏と表記に揺れがある。 1902年(明治35年)7月5日、兵庫県西宮市に生まれる。 大阪の旧制・大阪市立工業学校(現在の大阪市立都島工業高等学校)建築科を卒業し、喜多村緑郎、秋月桂太郎らが道頓堀の朝日座を拠点にした新派の劇団「成美団」(第2期)の俳優になる。1926年(大正15年)、御室撮影所時代のマキノ・プロダクションに入社する。1928年(昭和3年)、同社を退社、同じく同社を退社して独立した中根龍太郎が設立した中根龍太郎喜劇プロダクションに合流する。
池田谷 久吉(いけだや ひさきち、1897年(明治30年) … 池田谷 久吉(いけだや ひさきち、1897年(明治30年) - 1956年(昭和31年))は日本の建築家、郷土史家。 大阪、泉州を中心に社寺建築など伝統的な建築作品を多く手掛けた建築家である。また大阪府庁在職中から法隆寺五重塔の調査など古建築の研究調査を行い、退職後も発掘調査や文化財指定に携わるなど、歴史研究においても功績を残した。大阪府泉佐野市出身。 現在の泉佐野市に生まれる。1913年(大正2年)大阪市立大阪工業学校本科建築科入学。 卒業後、いくつかの会社を経て大阪府庁入庁。1922年(大正11年)大阪府建築監督官補となる。 1926年 (大正15年) 大阪府庁退職、池田谷建築事務所設立。1929年 (昭和4年) 大阪府史跡名勝天然記念物調査委員就任。
松田 恒次(まつだ つねじ、1895年11月24日 - 19… 松田 恒次(まつだ つねじ、1895年11月24日 - 1970年11月15日)は、大阪府大阪市出身の実業家。 東洋工業(現マツダ)3代目社長。実父は東洋工業創始者の松田重次郎、息子にマツダ4代目社長の松田耕平。自身から孫の松田元と3代続けて広島東洋カープオーナーである。 1895年、大阪市の天満橋筋で鉄工所を営んでいた父松田重次郎、母千代の長男として生まれる。重次郎が造船技術者として呉や佐世保など各地の海軍工廠で勤務したため、幼少期は大阪で祖母に育てられていた。 重次郎と同様に機械好きで、学校から帰ると重次郎の経営する鉄工所で手伝いをしていた。1911年、大阪市立工業学校に入学、野球部に入った。
中北 辨造 (なかきた べんぞう、1893年-1965年)は… 中北 辨造 (なかきた べんぞう、1893年-1965年)は、日本の実業家。中北製作所の創業者。 1893年、大阪天満宮の近くで江戸時代より扇屋庄兵衛を代々名乗る、呉服や質屋を営む家の三男として生まれる。1912年、旧制都島工業学校(現・大阪府立都島工業高等学校)機械科を第一期生として卒業。その後、専売局(現・日本たばこ産業)へ入社し機械設計に従事。1930年、中北製作所を創業。以後、新製品の開発に取り組み中北製作所の基礎を固める。1965年、死去。
本間 乙彦(ほんま おとひこ、1892年(明治25年)2月2… 本間 乙彦(ほんま おとひこ、1892年(明治25年)2月24日 - 1937年(昭和12年)8月14日)は、大正期から昭和初期に大阪を中心に活躍した建築家。兵庫県出身。
『はりもぐハーリー』 『Cosmic Baton Girl … 『はりもぐハーリー』 『Cosmic Baton Girl コメットさん☆』 『出撃!マシンロボレスキュー』 『エルフェンリート』 『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』
前島 延行(まえじま のぶゆき)は日本の柔道家。階級は重量級… 前島 延行(まえじま のぶゆき)は日本の柔道家。階級は重量級(93kg超級)。身長176cm。体重93kg。得意技は内股、大外刈。 都島工業高校から天理大学に進むと、全日本学生柔道優勝大会では2連覇を飾った。卒業後は三菱重工所属となり、1963年にプレオリンピック大会として開催された東京国際スポーツ大会重量級では3位になった。1966年の全日本柔道選手権大会では準決勝で旭化成の坂口征二に小外掛で敗れるも3位入賞を果たした。続くアジア選手権には重量級と無差別に出場して、決勝でともに倉敷レイヨンの佐藤治を破って2階級制覇を達成した。1967年の世界選手権重量級では、準決勝で大阪府警の松阪猛を内股で破るも、決勝ではオランダのウィレム・ルスカに釣込腰で敗れて2位にとどまった。
蔵敷 重壽(くらしき しげとし)は、日本の教育者・教育行政官… 蔵敷 重壽(くらしき しげとし)は、日本の教育者・教育行政官。大阪市立都島工業高等学校第18代校長。元大阪市教育委員会事務局高等学校教育課長。 1967年大阪工業大学工学部機械工学科を卒業(増尾竜一計測研究室)。大学卒業後、大阪市立都島工業高等学校(現:大阪府立都島工業高等学校)教諭として赴任。主に機械製図・旋盤実習などを担当し、同校機械科長、教務課長、教頭などを経て、2006年同校第18代校長に就任。その間、大阪市の教育行政にも携わるようになり、2004年に大阪市教育委員会事務局高等学校教育課長に転任し、市立高校全体の教育改革および工業高校の活性化推進に従事した。都島工業高校校長在任中は「生徒の夢を叶える」ことを教育の柱に据え、伝統的な工業教育に加え、工業高校からの大学進学支援など、生徒の多様な進路実現に向けた体制整備に尽力した。