スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
川股 重也(かわまた しげや、1931年 - ) 構造家。東… 川股 重也(かわまた しげや、1931年 - ) 構造家。東北工業大学名誉教授。制振構造の先駆者的研究者。 山形県生まれ。旧制山形高校から、東北大学工学部建築学科に進学し、1955年 に2年休学を経て卒業。大学院進学。坪井善勝研究室所属。 1963年 東北大学大学院博士課程修了。1966年 東京大学生産技術研究所助教授。1976年 東北工業大学工学部建築学科教授。1988年科学技術庁長官賞受賞。1998年度日本建築学会東北支部功労者表彰。2002年 退任。2007年、山形工科短期大学校学校長就任(2011年まで)。 プレキャストコンクリート扁平梁及びその架設工法で特許登録。 著書に、シェル構造解析(コンピュータによる構造工学講座 / 日本鋼構造協会編、培風館 1974年)などがある。
野々村 宗逸(ののむら そういつ、1931年 - 1994年… 野々村 宗逸(ののむら そういつ、1931年 - 1994年2月10日)は、日本の建築家・都市計画家で日本住宅公団の職員として公団団地設計に長く携わった人物。 1931年、千葉県船橋市生まれ。戦時中宮城県に疎開。1948年から1949年まで旧制山形高等学校在籍。その後新制の東京大学に進学。1954年、東京大学工学部建築学科卒業。同級に磯崎新、川上秀光、奥平耕造ら、同期に富安秀雄らがいる。卒業後、建設省入省。関東地方建設局営繕部配属。 1955年8月、建設省から日本住宅公団の本所建築部に移籍。1956年、産業計画会議東京湾部会で「ネオ東京プラン」作成に参加。1957年、東京支所建築部設計課団地係へ異動。
三浦 昭(みうら あきら、1930年(昭和5年)9月19日 … 三浦 昭(みうら あきら、1930年(昭和5年)9月19日 - 2018年(平成30年)9月11日)は日本の実業家。三菱化学代表取締役社長や、同社代表取締役会長、三菱化学生命科学研究所代表取締役社長、日本知的財産協会会長などを務めた。 山形県出身。旧制山形高等学校を経て、1953年東北大学工学部卒業。1955年、同大学院を修了。三菱石油に入社し、1956年、三菱油化に転じた。 その後、三菱油化代表取締役社長を務め、1994年の三菱化成との合併を実現した。合併後の三菱化学代表取締役社長や、同社代表取締役会長、相談役、特別顧問を歴任した。2004年安全工学会玉置功労賞受賞。
泉 久雄(いずみ ひさお、1928年4月14日 - 2017… 泉 久雄(いずみ ひさお、1928年4月14日 - 2017年4月29日)は、日本の法学者。専門は民法・家族法。専修大学名誉教授。法学博士(東北大学)。中川善之助門下。弟子に家永登(専修大学教授)、高橋敏(国士舘大学教授)、小野憲昭(北九州市立大学教授)、久々湊晴夫(北海学園大学教授)など。 宮城県伊具郡角田町出身。旧制山形高等学校卒業。1951年東北大学法学部卒業。東北大学法学部助手を経て、1954年専修大学法学部助教授。1961年専修大学法学部教授。1963年「相続人の責任に関する研究」にて東北大学にて法学博士受く。1972年(昭和47年)東京家庭裁判所参与。1983年(昭和58年)専修大学法学部長。
松田 文雄(まつだ ぶんゆう、1928年 - 2015年11… 松田 文雄(まつだ ぶんゆう、1928年 - 2015年11月)は、日本の仏教史学者、第26代駒澤大学総長。曹洞宗僧侶、大本山總持寺西堂・顧問。専門は中国禅宗史、曹洞宗学(瑩山禅師)。 旧制山形高校、東北大学文学部印度学科卒業。同大学院印度学専攻、駒澤大学大学院仏教学専攻修士課程修了。東北大学で山田龍城、金倉円照の薫陶を受ける。同窓には山折哲雄。駒澤大学大学院では増永霊鳳のもと中国禅宗史を修めた。 駒澤大学非常勤講師、宗学研究所所員となる。1971年に駒澤大学文学部の専任教員、のち教授に就任。文学部文化学教室主任、1986年に文学部長を歴任。1997年から2005年まで駒澤大学総長。1999年、文学部教授を定年退職。
塚本 哲人(つかもと てつんど、1925年9月2日 - 20… 塚本 哲人(つかもと てつんど、1925年9月2日 - 2008年4月9日)は、日本の社会学者。東北大学名誉教授。専門は、農村社会学、社会教育学。戦後の日本農村社会学を福武直らとともに基礎づけた。 1925年、東京生まれ。1945年旧制山形高校卒業後、1948年東京帝国大学文学部社会学科卒業。1951年東京大学大学院社会学専攻満期退学。 1950年東洋大学文学部助教授、1951年東京大学文学部助手、1955年北海道大学文学部助教授を経て、1958年東北大学教育学部助教授。1972年同教授。東北大学では、1989年に定年退官をむかえるまで、東北地方の農村調査を精力的に進めるとともに、数多くの弟子を輩出した。
小山 博也(おやま ひろなり、1925年9月1日-2018年… 小山 博也(おやま ひろなり、1925年9月1日-2018年5月15日)は、日本の政治学者、埼玉大学名誉教授。 北海道生まれ。1945年山形高等学校文科乙類卒業。1948年東京帝国大学法学部政治学科卒業、東京大学社会科学研究所助手。1953年9月埼玉大学文理学部助教授、67年同経済学部教授、79年7月経済学部長。1991年定年退官、名誉教授、山梨学院大学法学部教授。1997年退職。
佐治 守夫(さじ もりお、1924年2月8日 - 1996年… 佐治 守夫(さじ もりお、1924年2月8日 - 1996年11月9日)は、日本の心理学者、東京大学名誉教授。 山形県出身。旧制山形高校を経て、1948年東京大学文学部心理学科卒。国立精神衛生研究所厚生技官、1967年東京大学教育学部助教授、1969年教授。1984年定年退官、名誉教授。日本・精神技術研究所心理臨床センター所長。日精研心理臨床学院長。1956年よりスタンフォード大学、WHO本部その他に学ぶ。専門は心理療法、カウンセリング。ロジャーズが提唱したクライアント中心療法を導入した。
品川 信良(しながわ しんりょう、1923年(大正12年)6… 品川 信良(しながわ しんりょう、1923年(大正12年)6月22日 - 2020年(令和2年)1月24日)は、日本の産婦人科学者、弘前大学名誉教授。 医療と倫理のほか、政治・社会に関する評論も書く。 東京に生まれる。東京と秋田県の農村で育つ。 旧制山形高等学校卒、1946年東北帝国大学医学部卒、同助手、1952年東北大学医学博士。58年弘前大学医学部産婦人科教授、医学部附属病院長、1983年退官、名誉教授、青森県立中央病院長。 1999年勲三等旭日中綬章受勲。 ミドリ十字によるアメリカからの非加熱血液製剤輸入を推進した過去があり、これは後の薬害エイズ事件の間接的なきっかけとなっている。 2020年1月24日死去、叙正四位。
神津 康雄(こうづ やすお、1919年2月27日 - 201… 神津 康雄(こうづ やすお、1919年2月27日 - 2013年4月16日)は、日本の内科医。医学博士。日本寮歌祭を主催する日本寮歌振興会の委員長を1964年から30年以上務めた。 長野県北佐久郡志賀村(現、佐久市)の豪農・神津「赤壁家」に生まれる。 旧制山形高等学校から、1944年東北帝国大学医学部卒業、同医学部内科教室(教授・黒川利雄)に入局。1951年、青森県浪岡町立病院(現・青森市立浪岡病院)院長。1954年東京都世田谷区若林に自宅開院。 日本寮歌祭には1962年に山形高校参加にあたって中心となって以来、1964年には日本寮歌振興会委員長、2002年には日本寮歌祭会長となった。 日本寮歌祭会長、日本寮歌振興会委員長、東京校歌祭会長、旧制高等学校懇話会代表、海軍櫻医会会長、日本臨床内科医会会長(1989年就任、のち名誉会長)、日本医師会常任理事(1982年 - 1984年)、東京都医師会理事、東京内科医会会長、東京都各科医会協議会会長、世田谷区医師会会長、日本の高等教育を考える会専務理事、日本病院管理教育協会理事長、東京尚仁会会長などを歴任。
浅原 正基(あさはら せいき、1916年 - 1996年5月… 浅原 正基(あさはら せいき、1916年 - 1996年5月14日)は、元日本陸軍上等兵、ハルビン特務機関員。シベリア抑留の際、「自発的」に兵士、下士官などの労農プロレタリア階級から発生したとされる民主運動のリーダー。 東京都出身。旧制山形高等学校を経て東京帝国大学文学部社会学科卒業。帝大在学中には木村三郎・山口正之らと日本共産党の地下活動に関わっている。その後応召を受け中国戦線で従軍、満洲で終戦を迎えてソ連軍捕虜となりシベリアに抑留された。 シベリアでは共産党史研究に従事する一方で、抑留者向けの新聞『日本しんぶん』(日本新聞とも)の編集委員を務め自身も諸戸文夫(もろと ふみお)の筆名でたびたび寄稿。
細野 哲雄(ほその てつお、1913年〈大正2年〉9月18日… 細野 哲雄(ほその てつお、1913年〈大正2年〉9月18日 - 1995年〈平成7年〉5月6日)は、日本の国文学者。信州大学名誉教授。 新潟県北蒲原郡乙村大字荒井浜(現 胎内市荒井浜)出身。 1931年(昭和6年)3月に新潟中学校を卒業、1937年(昭和12年)3月に山形高等学校を卒業、4月に東京帝国大学文学部国史学科に入学、1938年(昭和13年)4月に東京帝国大学文学部国文学科に入学、1941年(昭和16年)3月に卒業。 1942年(昭和17年)1月に長野県師範学校教諭に就任、1943年(昭和18年)4月に長野師範学校助教授に就任、1950年(昭和25年)4月に信州大学助教授に就任、1967年(昭和42年)8月に信州大学教育学部教授に就任。
常木 実(つねき みのる、1913年7月31日 - 2005… 常木 実(つねき みのる、1913年7月31日 - 2005年1月31日)は、日本のドイツ文学者。 千葉県生まれ。1938年東京帝国大学文学部独文科卒。外務省嘱託、旧制山形高等学校教授、旧制浦和高等学校教授。戦後東京大学教養学部助教授、教授、74年定年退官、名誉教授、帝京大学医学部教授、94年退職。
大村 晴雄(おおむら はるお、1910年(明治43年)5月2… 大村 晴雄(おおむら はるお、1910年(明治43年)5月2日 - 2016年(平成28年)4月)は、日本の哲学研究者、東京都立大学名誉教授。近世哲学史専攻、ヘーゲル研究者。1970年以来、季刊誌「途上」を刊行。広く思想とキリスト教の諸問題の研究解明にたずさわった。 北海道札幌市生まれ、神奈川県出身。山形高等学校(旧制)卒、1935年東京帝国大学文学部哲学科卒。39年文部省教学局嘱託。41年府立学校教授、召集令状がきて、中国北部に送られたが、語学の才があり、暗号解読など情報の仕事を行った。1946年復員。1949年東京都立大学助教授、1968年教授、1973年定年退官、名誉教授、東洋大学教授、1981年退職。
前川 忠夫(まえかわ ただお、1909年〈明治42年〉2月1… 前川 忠夫(まえかわ ただお、1909年〈明治42年〉2月1日 - 1988年〈昭和63年〉6月25日)は日本の政治家、農学者。香川大学学長や香川県知事を務めた。位階は従三位。 1909年、香川県三豊郡上高瀬村(現・三豊市)で生まれる。旧制山形高校(現・山形大学)を経て、1935年に東京帝國大学(現・東京大学)農学部を卒業。専門は農業工学で、岩手大学教授などを務めている。1955年に香川大学農学部教授となり、農学部長を経て1964年に学長に就任。 1961年 東京大学農学博士。論文の題は「かんがい用貯水池の貯水能に関する研究」。 1974年に社会党、共産党、民社党、公明党などの推薦を得て香川県知事選挙に出馬。
宮田 丈夫(みやた たけお、1909年 - 1986年3月1… 宮田 丈夫(みやた たけお、1909年 - 1986年3月15日)は、日本の教育学者。お茶の水女子大学名誉教授。 山形県生まれ。1930年山形県師範学校卒、山形県内の小学校教諭、35年山形高等学校入学、38年卒業、41年東京帝国大学文学部教育学科卒、42年同大学院中退、新潟県長岡女子師範学校教授、福島師範学校教授、文部省勤務、東京学芸大学助教授、55年お茶の水女子大学助教授、教授。1958年、細谷俊夫、大嶋三男、上滝孝治郎、宮坂哲文らと教育経営学会を設立。73年定年退官、名誉教授。
増淵 恒吉(ますぶち つねきち、1907年11月5日 - 1… 増淵 恒吉(ますぶち つねきち、1907年11月5日 - 1986年2月12日)は、日本の国語教育者・国文学者。専修大学名誉教授。 栃木県生まれ。旧制山形高等学校を経て、1931年に東京帝国大学文学部国文学科を卒業、岡山県吉備商業学校教諭、1932年横須賀中学校教諭、1938年福井師範学校教授、1946年東京府立第五中学校(のち東京都立小石川高等学校)教諭、1949年東京都立日比谷高等学校教諭。1960年東京都教育庁指導部主査。1968年専修大学文学部教授。1978年定年退職、名誉教授、土浦短期大学教授。
阿部 襄(あべ のぼる、1907年6月10日 - 1980年… 阿部 襄(あべ のぼる、1907年6月10日 - 1980年4月22日)は、山形県出身の動物学者・生態学者。山形大学名誉教授。理学博士。 1907年、山形県飽海郡松山町生まれ。阿部富太郎とゆきの長男である阿部一郎の長男。叔父(父の弟)に、哲学者・美学者の阿部次郎、陸軍軍人・実業家の堀三也、動物学者の阿部余四男、日本史学者の竹岡勝也らがいる。 旧制山形高等学校を経て、1931年に東北帝国大学理学部生物学科卒業。1941年に「潮間帯ならびに浅海にすむ数種の無脊椎動物に関する生態学的研究」で東北帝国大学より理学博士の学位を授与。師道大学教授、山形県立農林専門学校教授、山形大学農学部教授を歴任。 戦前、日本学術振興会研究員として「パラオ熱帯生物研究所」に派遣されてサンゴなどの研究を行なった生物学者・生態学者であり、戦時中は満州産ドブガイなどの研究を行ない(阿部襄 1943)、終戦を吉林市で迎え(阿部襄 1970)、のちに山形大学農学部応用動物学研究室教授、山形大学名誉教授となった。
滝内 礼作(たきうち れいさく、1905年(明治38年)1月… 滝内 礼作(たきうち れいさく、1905年(明治38年)1月10日 - 1993年(平成5年)11月2日)は日本の裁判官、弁護士。 北海道余市郡余市町出身。小樽商業学校卒業、東北帝国大学の聴講生となり、試験を経て本科編入、在学中の1927年(昭和2年)12月、高等試験司法科合格、1928年(昭和3年)3月、同法文学部法科卒業、翌4月に司法官試補として東京地方裁判所所属、それから予備判事、1929年(昭和4年)11月判事任官、1931年(昭和6年)5月山形地方裁判所判事転任、1932年(昭和7年)9月札幌地方裁判所判事転任。 滝内は東京地裁時代の1930年(昭和5年)、日本共産党員を講師に同じく判事の為成養之助らと研究会を結成、共産主義思想に共鳴、同党が国体変革して私有財産を否定していることを知った上で同年10月から1932年8月まで東京で他の同志とともに党資金として毎月5円から7円を支出、山形転任後は同志獲得のために動き同年3月から指導者として同地裁書記中心に主義宣誓も行い、同僚判事の福田力之助も引き込み、同年5月6月に現地の婦人十数名を集めて研究会を開催して主義宣伝を行ったり同地方責任者として左翼グループを結成、山形高等学校など上層階級対象に党員獲得活動をした。
細谷 恒夫(ほそや つねお、1904年7月6日 - 1970… 細谷 恒夫(ほそや つねお、1904年7月6日 - 1970年8月17日)は、日本の教育哲学者、東北大学名誉教授。ディルタイやフッサールを研究。 山形県出身。旧制山形高校を経て、東京帝国大学文学部卒。広島高等学校(旧制)教授、東北帝国大学助教授、1943年教授。東北大学教授、67年定年退官、名誉教授、山形大学長。
木村 雄吉(きむら ゆうきち、1904年4月17日 - 19… 木村 雄吉(きむら ゆうきち、1904年4月17日 - 1989年10月10日)は、日本の生化学者・科学哲学者、東京大学名誉教授。木村謹治の弟。 秋田県秋田市生まれ。山形高等学校を経て、1928年東京帝国大学理学部動物学科卒。大学では五島清太郎に師事、求道学舎で近角常観に師事する。医学部生化学教室で柿内三郎に教えを受け、1933年理化学研究所入所、1937年第二高等学校教授、1946年東京医科歯科大学教養部設立に参与。1949年東京大学教養学部教授。1956年伝染病研究所細胞化学研究部長。1965年定年退官。1974年勲三等瑞宝章受章。1989年10月10日、肺癌のため死去。
菅井 準一(すがい じゅんいち、1903年2月1日 - 19… 菅井 準一(すがい じゅんいち、1903年2月1日 - 1982年6月14日)は、日本の科学史家。 山形県出身。旧制山形高校、東京帝国大学理学部物理学科卒業。陸軍士官学校教授などを経て、1942年文部省視学官兼科学官。教育科学研究会の科学教育研究部会数学教育分会に参加。1941年の日本科学史学会創立に加わり『近代科学成立史』を編集した。1973年横浜商科大学教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
深町 弘三(ふかまち こうぞう、1902年(明治35年)9月… 深町 弘三(ふかまち こうぞう、1902年(明治35年)9月29日 - 1967年(昭和42年)5月22日)は、大正時代から昭和時代の日本の英文学者、翻訳家。 石川県金沢市にて旧加賀藩士の深町家に生まれる。1925年、東京帝国大学文学部英文科を卒業。山形高等学校の教師となった。戦後は引き続き山形大学の教授となり42年間同校で教鞭をとった。翻訳にスウィフトの『奴婢訓』や『樋物語』、『アイルランドの貧民の子供たちが両親及び国の負担となることを防ぎ、国家社会の有益なる存在たらしめるための穏健なる提案』などがある。墓所は世田谷区の円光寺にある。妻は伊都子。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
山本 空外(やまもと くうがい、1902年9月13日 - 2… 山本 空外(やまもと くうがい、1902年9月13日 - 2001年8月7日)は、哲学者、浄土宗の僧。 1902年、広島市南区金屋町生まれ。旧名・幹夫。1926年、東京帝国大学文学部哲学科を卒業。 1927年より(旧制)山形高等学校教授、1929年より広島文理科大学助教授。1929から1931年まで欧米に留学して学ぶ。1935年「哲学体系構成の二途 プローティーノス解釈試論」を提出して文学博士号を取得。1936年より広島文理科大学教授。1945年に被爆し、同年望月信亨のもとで出家する。1947年、広島文理科大学を退官する。1952年より愛媛大学文理学部教授をつとめた。1953年、法蓮寺住職となり、また広島大学文学部教授となった。
今泉 篤男(いまいずみ あつお、1902年7月7日 - 19… 今泉 篤男(いまいずみ あつお、1902年7月7日 - 1984年1月19日)は、日本の美術評論家。 山形県生まれ。旧制山形高校を経て東京帝国大学卒。1932年ヨーロッパに渡り、パリ大学、ベルリン大学に学ぶ。1934年帰国、美術評論を始め、1936年美術批評家協会を創立、1952年国立近代美術館次長、1967年京都国立近代美術館館長、1969年まで務めた。
木村 重(きむら しげる、1902年 - 1977年3月19… 木村 重(きむら しげる、1902年 - 1977年3月19日)は、日本の魚類学者。 茨城県出身。幼少時より鬼怒川周辺の豊かな自然に触れ、旧制山形高校在学中にはアンモナイトなど化石に興味を持ち、はるばる満州まで化石採集に赴いた。その後、興味の対象は魚類に移り、東京帝国大学農学部水産学科に入学。岸上鎌吉に師事し、卒業後、東京帝国大学農学部水産学科の副手となる。 1927年12月から翌年1月にかけて、岸上・瀬沼秀夫・蔡邦華の三名と共に南京より下流の揚子江流域調査を行う。同年5月、岸上と共に第二回目調査のため上海に渡り尉鴻謨と合流するが、済南事件が勃発し調査行は中止となる。一年後の1929年8月、第三回目調査のために董聿茂・金炤華と共に、再び上海に赴き、岸上・尉両者と合流した後に、鉄道にて鎮江経由で南京に到着。
佐藤 通次(さとう つうじ、1901年5月26日 - 199… 佐藤 通次(さとう つうじ、1901年5月26日 - 1990年7月3日)は、日本の独文学者、哲学者。学位は文学博士(九州帝国大学・1944年)。皇學館大学学長。皇學館大学名誉教授。 山形県川西町生まれ。旧制山形高等学校を経て、1926年に京都帝国大学文学部独文科卒。九州帝国大学法文学部助教授、文部省教学錬成所員、大日本言論報国会理事。1944年に「ゲーテノ生命体験」で九州帝国大学より文学博士の学位を取得。 戦後は、『皇道哲学』を著したことから公職適否審査会の調査対象となり、言論報国会理事であったことで公職追放となり、追放解除後の1955年に亜細亜大学教授、1965年に皇學館大學教授、1973年から1980年まで同学長、名誉教授。
華山 親義(はなやま ちかよし、1900年(明治33年)9月… 華山 親義(はなやま ちかよし、1900年(明治33年)9月26日 - 1972年(昭和47年)8月10日)は、昭和期の官僚、外交官、政治家。衆議院議員。旧姓・江口。 山形県で江口親明の二男として生まれ華山儀一郎の養子となる。山形高等学校を経て、1926年(大正15年)東京帝国大学法学部を卒業。同年、内閣統計局に入局し統計局属に任じられ、同年12月、高等試験行政科試験に合格した。 以後、統計局書記官・庶務課長、興亜院書記官・総裁官房勤務、大東亜書記官・大臣官房会計課長、北京大使館参事官兼総領事などを務めた。戦後、参議院常任委員会専門員、山形県副知事などを歴任した。 1962年(昭和37年)7月の第6回参議院議員通常選挙に山形県地方区から日本社会党公認で出馬して次点で落選。
柘植 文雄(つげ ふみお、1895年(明治28年)12月 -… 柘植 文雄(つげ ふみお、1895年(明治28年)12月 - 1987年(昭和62年)8月)は、日本の内務・警察官僚。官選鹿児島県知事。 山形県出身。柘植文弥の長男として生まれる。山形高等学校を卒業。1925年11月、高等試験行政科試験に合格。1926年、東京帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し社会局属となる。 以後、北海道・大阪府・広島県・愛知県各勤務、愛知県官房主事兼人事課長、和歌山県学務部長、茨城県書記官・警察部長、静岡県書記官・警察部長、新潟県書記官・警察部長、同県部長・警察部長、福岡県部長・警察部長などを歴任。 1945年4月21日、鹿児島県知事に就任。防空対策に精通し、城山に壕を掘り県庁分室を設置するなどの対策を実施。
木宮泰彦(きみや やすひこ、1887年10月15日 - 19… 木宮泰彦(きみや やすひこ、1887年10月15日 - 1969年10月30日)は、日本の歴史学者、教育家。 静岡県浜名郡入野村(現・浜松市中央区)に、龍雲寺 (浜松市)の二男として生まれる。1913年、東京帝国大学文科大学史学科国史学専修を卒業し、1915年に「足利時代ノ文化」の研究のため、京都帝国大学大学院に入学。1920年山形高等学校教授、1923年水戸高等学校教授、1927年静岡高等学校教授となり、1946年同校長事務取扱を最後に退官し、静岡に静岡女子高等学院(のち学校法人常葉大学)を創立。1959年同理事長となり、1966年常葉女子短期大学を設立し、学長を務めた。日中関係史の研究で知られる。