スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
財津 ひろみ(ざいつ ひろみ、1983年5月17日 - )は… 財津 ひろみ(ざいつ ひろみ、1983年5月17日 - )は、福岡放送のアナウンサー。福岡県久留米市出身。 漫画家を目指し、小学生の頃から出版社に漫画を投稿する。 中学生当時に『めんたいワイド』MCだった古賀ゆきひとの講演を聴いたことがきっかけで、アナウンサーを志す。古賀も通った福岡県立明善高等学校へ進学し、3年次だった2001年、NHK杯全国高校放送コンテスト全国大会アナウンス部門に出場。財津自身は準決勝敗退だったが、ともに出場した同級生が優勝した。 高校卒業後は慶應義塾大学に進学。在学中は子供向けのイベントの司会やテレビ局でアルバイトをしていた。 2006年入社。同年6月よりニュースデビュー、同年9月21日から毎週木曜日、『めんたいワイド』内のイムズ前での中継を担当する。
千葉 逸人(ちば はやと、1982年1月18日 - )は、日… 千葉 逸人(ちば はやと、1982年1月18日 - )は、日本の数学者、東北大学材料科学高等研究所教授。博士(情報学)。 福岡県久留米市生まれ。福岡県立明善高等学校を経て、2005年京都大学工学部物理工学科卒業。2009年京都大学大学院情報学研究科数理工学専攻博士課程修了。専門は力学系理論、微分方程式、および非線形函数方程式。 大学3回生の時に『これならわかる工学部で学ぶ数学』を出版した。 また修士課程在学中に『ベクトル解析からの幾何学入門 』を出版した。(書いたのは学部4回生の時だという) 2013年より九州大学マス・フォア・インダストリ研究所准教授。 2015年に蔵本予想(蔵本モデル)の証明をした。
こがけん(本名:古賀 憲太郎〈こが けんたろう〉、1979年… こがけん(本名:古賀 憲太郎〈こが けんたろう〉、1979年〈昭和54年〉2月14日 - )は、日本のお笑い芸人。吉本興業所属。 福岡県久留米市出身。福岡教育大学附属久留米小学校、福岡教育大学附属久留米中学校、福岡県立明善高等学校卒業。指定校推薦で慶應義塾大学商学部に入学。慶應義塾大学商学部を卒業後、2001年春に大学の同級生であるかんし(野寛志、現在はピン芸人「ピストジャム」として活動)とともに東京NSCに7期生として入学。NSC在籍時より、かんしと「マスターピース」というコンビ名で活動。2002年春にNSCを卒業するも、同年8月にマスターピースを解散。芸人を休業して板前修業に入る。 2008年5月1日、「ワンドロップ」として、かんしとのコンビを再結成し、芸人に復帰する。
柴田 拓(しばた ひらく、1978年2月23日 - )は、N… 柴田 拓(しばた ひらく、1978年2月23日 - )は、NHKのアナウンサー。 福岡大学卒、2000年入局。 後に第25代NHK会長に就任する井上樹彦とは福岡県立明善高等学校の先輩後輩の関係。 鹿児島放送局時代(2000年度 - 2005年7月) 山口放送局時代(2005年8月 - 2010年7月) 福岡放送局時代(2010年8月 - 2013年度) 名古屋放送局時代(2014年度 - 2018年7月) 佐賀放送局時代(2021年11月 - 2022年度) 長野放送局時代(2023年度 - )
中村 嘉宏(なかむら よしひろ、1974年10月16日 - … 中村 嘉宏(なかむら よしひろ、1974年10月16日 - )は、日本の漫画家。愛知県出身。成人向け漫画家としての別ペンネームに胃之上 奇嘉郎(いのうえ きよしろう)。
津留 正明(つる まさあき、1968年 - )は、TBSアク… 津留 正明(つる まさあき、1968年 - )は、TBSアクト執行役員・ドラマ本部本部長・ドラマプロデュース部部長。 福岡県久留米市出身。福岡県立明善高等学校、大阪大学を卒業後、1992年TBSに入社。2005年春から制作局制作一部に所属。2014年より編成局コンテンツ戦略部部次長、2025年より現職。
太田 篤志(おおた あつし、1968年 - )は、日本の作業… 太田 篤志(おおた あつし、1968年 - )は、日本の作業療法士。専門は発達障害学。姫路獨協大学客員教授。 1986年福岡県立明善高等学校卒業、1990年長崎大学医療技術短期大学部卒業、1997年佛教大学社会学部卒業、1999年広島大学大学院医学系研究科修了。1995年広島大学大学医学部助手、2006年姫路獨協大学医療保健学部教授、2012年姫路獨協大学医療保健学部客員教授。2015年プレイジム(児童発達支援・放課後等デイサービス事業所)を開設。 発達障害児に対する感覚統合療法について広く啓発するとともに、感覚統合療法に関する重要な検査方法JSI-R,JPAN感覚処理・行為機能検査)を開発した。
井出 留美(いで るみ、1967年 - )は、日本の食品ロス… 井出 留美(いで るみ、1967年 - )は、日本の食品ロスジャーナリスト。株式会社office 3.11代表。 東京都生まれ。母のカップケーキ作りの影響で5歳で食に目覚め、早い時期に食物栄養の分野に進学することを決める。 銀行員だった父の転勤に伴って全国各地で生活する中で、様々な方言を学んだ。福岡県立明善高等学校を経て、千葉県立薬園台高等学校を卒業。1989年、奈良女子大学家政学部食物学科卒業、ライオン株式会社家庭科学研究所勤務。1994年、青年海外協力隊隊員としてフィリピンに赴任し、現地の人とモロヘイヤの普及を試みる。1997年、日本ケロッグ株式会社広報室長。2006年、女子栄養大学大学院栄養学研究科栄養学専攻博士後期課程修了、博士(栄養学)の学位を取得。
森下 泰臣(もりした やすのり、1965年〈昭和40年〉12… 森下 泰臣(もりした やすのり、1965年〈昭和40年〉12月24日 - )は、日本の陸上自衛官。第39代 陸上幕僚長。福岡県出身。出身職種は機甲科。 福岡県立明善高等学校を1984年(昭和59年)3月に卒業し、防衛大学校に入校。1988年(昭和63年)3月、同校を卒業(第32期)し、陸上自衛隊に入隊。第2師団長、陸上幕僚副長、東部方面総監等を歴任し、2023年(令和5年)3月22日の閣議において、3月30日付をもって陸上幕僚長に任命する旨の人事が了承・発令された。2025年(令和7年)7月15日の閣議において、同年8月1日をもって退職する旨の人事が了承・発令された。在任中宮古島沖陸自ヘリ航空事故、日野基本射撃場発砲事件、北富士演習場における手榴弾投擲における隊員死亡事故など数多くの重大事案が生起した一方で、7月24日の定例会見では自身のキャリアを振り返り、8月の退官までに自身がやるべきことをすべてやり切ったと述べた。
佐野 康夫(さの やすお、1965年4月30日 - )は、日… 佐野 康夫(さの やすお、1965年4月30日 - )は、日本のドラマー。福岡県出身。血液型はA型。
林正義(はやし まさよし、1965年- )は、日本の経済学者… 林正義(はやし まさよし、1965年- )は、日本の経済学者。東京大学大学院経済学研究科教授。専門は、地方財政・社会保障。2022年現在は、日本財政学会代表理事、日本公共選択学会専務理事等を務める。 青山学院大学では永井陽之助に師事した。福岡県出身。
酒見 賢一(さけみ けんいち、1963年11月26日 - 2… 酒見 賢一(さけみ けんいち、1963年11月26日 - 2023年11月7日)は、日本の小説家。 福岡県久留米市出身。福岡県立明善高等学校卒業。1988年、愛知大学文学部哲学科東洋哲学専攻卒業。 1989年(平成元年)に『後宮小説』で第1回日本ファンタジーノベル大賞を受賞してデビュー。デビュー作は王朝も人物もすべて架空の中国史小説風ファンタジーという異色作だったが、その後は実際の中国史から題材をとることが多い。 中国史を踏まえながら奔放な想像力で描く作品群には定評がある。また作品がアニメ化や漫画化されたり、映画が制作されたりするなど、他分野からの注目度も高い。『墨攻』については、スタジオジブリが押井守監督でアニメ映画化を検討したことがあり、近藤勝也によるイメージボードも制作されたが、実現しなかったという。
鶴久 博幸(つるく ひろゆき、1963年〈昭和38年〉7月7… 鶴久 博幸(つるく ひろゆき、1963年〈昭和38年〉7月7日 - )は、日本の経営者。 福岡県久留米市国分町出身。福岡県立明善高等学校を経て、1986年(昭和61年)3月に西南学院大学商学部を卒業し、4月に筑邦銀行に入行。 営業畑が長い。2019年6月、取締役常務執行役員。 2024年(令和6年)4月1日、筑邦銀行代表取締役頭取執行役員に就任。
大久保 勉(おおくぼ つとむ、1961年(昭和36年)3月1… 大久保 勉(おおくぼ つとむ、1961年(昭和36年)3月11日 - )は、日本の政治家。財務副大臣(第3次野田改造内閣)、参議院経済産業委員長、参議院議員(2期)、福岡県久留米市長(第11代)等を務めた。 福岡県久留米市安武町生まれ。久留米市立安武小学校、久留米市立筑邦西中学校、福岡県立明善高等学校、京都大学経済学部卒業。大学卒業後、1984年に東京銀行入行。1994年、モルガン・スタンレー証券に入社した。 2004年、第20回参議院議員通常選挙に民主党公認で福岡県選挙区(定数2)から出馬し、84万票余りを獲得してトップ当選した。2010年、第22回参議院議員通常選挙に民主党公認で出馬し、福岡県選挙区で自由民主党新人の大家敏志に次ぐ2位で再選。
平安 正知(ひらやす まさとも、1960年(昭和35年)7月… 平安 正知(ひらやす まさとも、1960年(昭和35年)7月14日 - )は、日本の政治家。元福岡県小郡市長(3期)、元小郡市議会議員(1期)。 小郡市立三国小学校、小郡市立大原中学校、福岡県立明善高等学校卒業。1983年(昭和58年)3月、山口大学工学部卒業。1984年(昭和59年)7月、新生不燃ボード株式会社代表取締役に就任。 1993年(平成5年)4月、小郡市商工会理事に就任。1999年(平成11年)1月、小郡青年会議所理事長に就任。 2002年(平成14年)の小郡市議会議員選挙に出馬し初当選。 2005年(平成17年)4月24日に行われた小郡市長選挙で初当選。2009年(平成21年)、再選。
古賀 ゆきひと(こが ゆきひと、1959年4月9日 - )は… 古賀 ゆきひと(こが ゆきひと、1959年4月9日 - )は、日本の政治家。民進党所属の参議院議員(1期)。元FBS福岡放送のエグゼクティブアナウンサー。九州地区の局アナ出身者で史上初の国会議員。現在1期目。本名は古賀 之士(読み同じ)。福岡県久留米市出身。
柿本 浩一(かきもと こういち、1955年 - )は、日本の… 柿本 浩一(かきもと こういち、1955年 - )は、日本の工学者。九州大学名誉教授。東北大学教授。専門は結晶成長学、電子材料工学、化学工学、結晶工学。 福岡県久留米市出身。福岡教育大学附属久留米中学校、福岡県立明善高等学校卒業。1979年、埼玉大学理工学部電子工学科卒業。1985年、東京大学大学院工学系研究科電子工学専門課程博士後期課程修了。東京大学より工学博士の学位を取得。同年にNEC基礎研究所研究員(-1996年)。1989年よりベルギー・ルーヴァン・カトリック大学研究員(-1991年)。1995年より東北大学金属材料研究所客員教授(-1996年)。1996年より九州大学機能物質科学研究所助教授(-2000年)。
倉富 純男(くらとみ すみお、1953年8月13日 - )は… 倉富 純男(くらとみ すみお、1953年8月13日 - )は、日本の実業家。西日本鉄道代表取締役会長、九州経済連合会会長、福岡県経営者協会会長、九州経営者協会会長、日本バス協会副会長。
葉室 麟(はむろ りん、1951年〈昭和26年〉1月25日 … 葉室 麟(はむろ りん、1951年〈昭和26年〉1月25日 - 2017年〈平成29年〉12月23日)は、日本の小説家。福岡県北九州市小倉生まれ、本名は本畑雄士。 福岡県立明善高等学校、西南学院大学文学部外国語学科フランス語専攻をそれぞれ卒業し、地方紙記者やラジオニュース担当などを経て、2005年に江戸時代元禄期の絵師尾形光琳と陶工尾形乾山の兄弟を描いた『乾山晩愁』で第29回歴史文学賞を受賞した。 50歳から創作を始めて4年後に文壇デビューした。2007年に『銀漢の賦』で第14回松本清張賞、2012年に『蜩ノ記』で第146回直木三十五賞、それぞれを受賞し、久留米市を拠点として敗者や弱者の視点を大切にした歴史時代小説を生み出した。
野瀬 泰申(のせ やすのぶ、1951年 - )は、日本経済新… 野瀬 泰申(のせ やすのぶ、1951年 - )は、日本経済新聞特別編集委員、コラムニスト。福岡県久留米市出身。 福岡県立明善高等学校、東京都立大学法学部卒業。 1975年、日本経済新聞社入社。以降、社会部、金沢支局、西部支社、東京本社文化部と巡り、大阪本社文化担当部長、東京本社文化部編集委員、同生活情報部編集委員を歴任。 同一名称でも地域によって内容が違うこと(室蘭市、東松山市、今治市における「焼き鳥」等)、食べ物の地域性や独特な調理法・食べ方など、地域独特の食文化を「食の方言」と名づけ、それを題材にNIKKEI NETで読者との交流企画コラム「食べ物 新日本奇行」を2002年11月より2010年3月まで連載していた。
南郷芳明(なんごう よしあき、1950年 - )は、日本の詩… 南郷芳明(なんごう よしあき、1950年 - )は、日本の詩人。 福岡県久留米市出身。西南学院大学英文学科卒業。立正大学大学院国文学専攻修士課程修了。 1979年、詩人の谷川俊太郎.や茨木のり子もかつて投稿していたという伝説の詩誌「詩学」に投稿を始めた。(1980年初めて3席で入選。詩人としてやっていけそうだという感触を得た。「詩に関する限りこのときの喜びにまさる喜びはない」と南郷は言う。以後入選を重ねる。1席を2回) この頃南郷は詩人宮澤章二と出会い、「自分がほんとうに悩んだり苦しんだりしているぎりぎりのところを書かなくちゃね」というアドバイスを受けた。 「宮澤先生は自分が出会った最初の詩人であり、そのオーラに完璧に圧倒された。
芦刈 茂(あしかり しげる、1949年(昭和24年)10月2… 芦刈 茂(あしかり しげる、1949年(昭和24年)10月21日 - )は、日本の政治家。元福岡県太宰府市長(1期)。 福岡県北九州市出身。久留米市立城南中学校、福岡県立明善高等学校卒業。1975年(昭和50年)3月、九州大学農学部卒業。 2007年(平成19年)4月22日に行われた太宰府市議会議員選挙に立候補。定数20の議席を21人の候補者が争う同選挙において、21位で落選。20位当選者との差は3票にも満たなかった(当選者706.099票に対し、芦刈は704票)。 2011年(平成23年)の市議選で初当選。 2015年(平成27年)4月26日に行われた太宰府市長選挙に立候補。現職の井上保廣を390票差で破り初当選。
近藤 洋太(こんどう ようた、1949年7月16日 - )は… 近藤 洋太(こんどう ようた、1949年7月16日 - )は、日本の詩人・文芸評論家。 福岡県久留米市出身。福岡県立明善高等学校を経て、1973年中央大学商学部経営学科卒業。 大学在学中は中大ペンクラブに所属。卒業間際に檀一雄主宰の「ポリタイア」に参加し、林富士馬、真鍋呉夫、古木春哉、谷崎昭男ら「日本浪曼派」にゆかりのある人物たちの知遇を得る。1980年代には「SCOPE」などの同人雑誌に参加。現在、歴程、鷹同人。詩誌「スタンザ」発行。日本文芸家協会会員。2025年に評伝『草野心平』で第63回歴程賞を受賞。
鮎川 誠(あゆかわ まこと、1948年〈昭和23年〉5月2日… 鮎川 誠(あゆかわ まこと、1948年〈昭和23年〉5月2日 - 2023年〈令和5年〉1月29日)は、日本のギタリスト、作曲家、俳優。福岡県久留米市出身。身長180cm、アメリカ人とのハーフ。 ロックバンド・サンハウスおよびシーナ&ザ・ロケッツのメンバー。
内野 哲朗(うちの てつろう、1948年 - )は、日本の元… 内野 哲朗(うちの てつろう、1948年 - )は、日本の元アマチュア野球選手、監督、政治家。ポジションは投手。元・小郡市議会議長。 明善高校で投手としてプレーしたが、1966年の夏の甲子園県予選の2回戦で敗退し、甲子園への出場を果たすことができなかった。 1966年のドラフト会議で中日から3位指名されたが交渉権放棄により早稲田大学に入学した。 大学卒業した後は、大昭和製紙でプレーした。 1984年から1999年までに16年間小郡高校の監督を務めた。 1994年に小郡市議選で初当選。2005年からは小郡市議会議長を務めながら母校である明善高校で指揮を執った。 2010年、小郡市市政功労者。2018年、旭日双光章受章。
古賀 一成(こが いっせい、1947年7月30日 - )は、… 古賀 一成(こが いっせい、1947年7月30日 - )は、日本の政治家。民主党所属の元衆議院議員(7期)。衆議院国家基本政策委員長、衆議院東日本大震災復興特別委員長、衆議院国土交通委員長、衆議院科学技術委員長を歴任。 父は柳川市長を5期務めた古賀杉夫。 福岡県柳川市生まれ。福岡学芸大学久留米附属中学校、福岡県立明善高等学校、東京大学法学部法律学科卒業。 1971年、東大卒業後の4月に建設省(現国土交通省)に入省した。本省での勤務や外務省、静岡県警察本部、福岡県への出向を経験する。1988年、建設省を退官。 1990年、第39回衆議院議員総選挙で前年に死去した元国土庁長官・山崎平八郎の後継者として旧福岡3区から自由民主党公認で初出馬し、初当選した。
園田 英弘(そのだ ひでひろ、1947年3月20日 - 20… 園田 英弘(そのだ ひでひろ、1947年3月20日 - 2007年4月6日)は、日本の社会学者。専門は日本社会史、比較社会学。 1947年、福岡県久留米市で生まれた。福岡県立明善高等学校を経て、京都大学教育学部に進学。東京大学大学院教育研究科に進み、修士課程を修了した。 その後、京都大学人文科学研究所助手に採用された。国立民族学博物館助教授に転じた後、1986年に国際日本文化研究センターの創設準備室が開設されると次長となり、1987年に同助教授、1994年より同センター教授。1998年からの3年間と2005年から2年間にわたり、研究調整主幹を務め、また副所長も務めた。 1994年6月、学位論文『西洋化の構造:黒船・武士・国家』を大阪大学に提出して人間科学博士号を取得。
帚木 蓬生(ははきぎ ほうせい、1947年 -)は、日本の小… 帚木 蓬生(ははきぎ ほうせい、1947年 -)は、日本の小説家、精神科医。本名は森山 成彬(もりやま なりあきら)。 ペンネームの帚木蓬生は『源氏物語』の第2帖「帚木(ははきぎ)」と第15帖「蓬生(よもぎう)」から取ったものである。 福岡県小郡市生まれ。福岡県立明善高等学校卒、東京大学文学部仏文科卒、九州大学医学部卒。 東京大学仏文科卒業後TBSに勤務。2年後に退職し、九州大学医学部を経て精神科医に転身する。その傍らで執筆活動に励む。 1979年、『白い夏の墓標』で注目を集める。1992年、『三たびの海峡』で第14回吉川英治文学新人賞受賞。八幡厚生病院診療部長を務める。2005年、福岡県中間市にて精神科・心療内科を開業。
永田 雄志(ながた ゆうし、1946年8月30日 - )は、… 永田 雄志(ながた ゆうし、1946年8月30日 - )は、日本の実業家。三井物産代表取締役や、東洋エンジニアリング取締役会長を務めた。 1965年福岡県立明善高等学校卒業。1970年一橋大学経済学部卒業、三井物産入社。2000年取締役プラント・プロジェクト本部長。2002年常務取締役。2004年代表取締役。2006年に三井物産が第三者割当増資を引き受けた東洋エンジニアリングの取締役会長に就任し、三井物産との協業などを進めて、イラク共和国首脳などと面会し、海外インフラ受注などに向けた働きかけ等を行った。2014年東洋エンジニアリング顧問(役員待遇)。2023年顧問退任。日本メキシコ交流400周年実行委員会幹事なども務めた。
白水 宏典(しらみず こうすけ、1940年8月28日 - )… 白水 宏典(しらみず こうすけ、1940年8月28日 - )は、日本の技術者、実業家。トヨタ自動車取締役副社長や、ダイハツ工業代表取締役会長を務めた。 佐賀県鳥栖市出身。福岡県立明善高等学校を経て、1963年九州大学工学部造船科卒業。同年トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。田原工場第2製造部長を経て、1992年湯野川孝夫らとともに取締役に昇格。1997年常務取締役。2000年専務取締役。2001年取締役副社長。 2005年からダイハツ工業代表取締役会長を務め、系列の解体や軽自動車専用ラインの整備などを進めて、軽自動車販売台数で30年以上トップの座にあったスズキを抜き業界トップとした。トヨタ自動車の意向でグループ定年の68歳を超えても続投していたが、2011年相談役技監に退いた。
寺崎 一雄(てらさき かずお、1940年8月8日 - )は、… 寺崎 一雄(てらさき かずお、1940年8月8日 - )は、日本の実業家。テレビ西日本代表取締役会長。福岡県出身。 1959年に福岡県立明善高等学校を経て、早稲田大学法学部に進学。早稲田大学卒業後、1964年4月に西日本新聞社入社。1991年2月に同社社会部長、1993年7月に編集局次長、1995年6月に東京支社長(局長)に就任。1997年6月にテレビ西日本取締役。1999年6月に同社常務、2003年6月に専務に昇進。2005年6月に社長就任。2013年6月より同社会長。
柿原彬人(かきはら よしひと、1938年10月14日 - 2… 柿原彬人(かきはら よしひと、1938年10月14日 - 2006年7月18日)は日本の実業家。福岡県出身。出生名は柿原孝(読み方不明)であり、1993年に改名した。 コーエーテクモホールディングスの前身の1社・テクモの創業者。日本アミューズメントマシン工業協会の会長も務めた。
泉 信也(いずみ しんや、1937年(昭和12年)8月1日 … 泉 信也(いずみ しんや、1937年(昭和12年)8月1日 ‐ )は、日本の運輸官僚、政治家。勲章は旭日大綬章。 参議院議員(3期)、国家公安委員会委員長(第75・76代)、内閣府特命担当大臣(防災担当、食品安全担当)などを歴任した。息子は財務官僚の泉恒有。 福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)出身。福岡県立明善高等学校、九州大学工学部土木工学科卒業。 運輸省に入省、本省港湾局開発課長、同建設課長、第四港湾建設局長などを歴任した。また、和歌山県庁に一時出向しており、土木部港湾課にて課長を務めた。1991年4月、大臣官房審議官を最後に退官。 なお、この間には、中国、フィリピン、ペルー、メキシコなどの発展途上国を訪問しており、技術協力等の活動を展開した。
牟田 泰三(むた たいぞう、1937年6月1日 - )は、日… 牟田 泰三(むた たいぞう、1937年6月1日 - )は、日本の物理学者である。理学博士。研究分野は、理論物理学素粒子論。 福岡県久留米市出身。福岡県立明善高等学校、九州大学理学部物理学科卒業、東京大学大学院数物系研究科物理学専攻修了(理学博士)。京都大学理学部助手、同大学基礎物理学研究所助教授を経て、1982年から2001年まで広島大学理学部教授。2001年より2007年5月21日まで、広島大学学長。 2007年10月より2009年6月まで、福山大学学長。2011年から2015年まで、マツダ株式会社社外取締役。 広島大学学長在任中、同大相撲部をモデルとした映画「ちゃんこ」に学長役として特別出演した。
古賀 正浩(こが まさひろ、1934年(昭和9年)8月5日 … 古賀 正浩(こが まさひろ、1934年(昭和9年)8月5日 - 2002年(平成14年)9月6日)は、日本の政治家。衆議院議員(5期)。 父の任地である朝鮮半島平安北道で生まれる。3歳の時に出征した父が山西省で戦死し、福岡県久留米市で育つ。1941年(昭和16年)4月に日吉国民学校(現・久留米市立日吉小学校)に入学した。1947年(昭和22年)に日吉国民学校を卒業し、初等教育の6年間を一貫して国民学校で過ごした世代の1人となったほか、終戦直後の食糧難が農業や食料行政に関わりたいという決意につながったと回想していた。久留米市立第五中学校(現・久留米市立諏訪中学校)から福岡県立明善高等学校、東京大学法学部を卒業し、国家公務員一種試験に合格し1959年(昭和34年)に農林省(後に農林水産省)に入省。
小川 健太郎(おがわ けんたろう、1934年1月12日 - … 小川 健太郎(おがわ けんたろう、1934年1月12日 - 1995年10月8日)は、福岡県久留米市出身の元プロ野球選手(投手)。 現役時代は1964年から1970年まで中日ドラゴンズに所属し、1967年には29勝を挙げて最多勝利のタイトルを獲得、沢村賞を受賞するなど、アンダースローの好投手として活躍した。また1967年から1970年まで4年連続で開幕投手を務めたが、これは1996年時点で球団最長となる連続開幕投手記録だった。王貞治(読売ジャイアンツ)に対して腕を背中から繰り出す「背面投げ」を行った投手としても知られる。しかし1970年、球界を震撼させた八百長事件である「黒い霧事件」への関与が疑われ、オートレース八百長に関与したとして逮捕される。
寺崎 昌男(てらさき まさお、1932年9月26日 - )は… 寺崎 昌男(てらさき まさお、1932年9月26日 - )は、日本の教育学者、東京大学・立教大学・桜美林大学名誉教授。東京大学教育学部長、東京大学教育学部附属中学校・高等学校(現・附属中等教育学校)校長、立教大学全学共通カリキュラム運営センター部長、立教学院本部調査役を歴任。学界では教育史学会、日本教育学会、大学教育学会の運営に携わり、日本学術会議第17・18期会員。教育史の枠を超えて大学史の研究を進め、多くの著書がある。 福岡県生まれ。福岡県立明善高等学校を経て、1957年、東京大学教育学部教育学科卒業。1959年、東京大学大学院人文科学研究科教育学専門課程修士課程修了。1962年、東京大学大学院人文科学研究科教育学専門課程博士課程単位取得退学。
松本 英一郎(まつもと えいいちろう、1932年7月8日 -… 松本 英一郎(まつもと えいいちろう、1932年7月8日 - 2001年6月17日)は、日本の洋画家である。 福岡県久留米市出身、福岡県立明善高等学校から東京芸術大学に進学、卒業時に大橋賞を受ける。独立展を拠点に活動する。東京都立駒場高等学校で教鞭をとり、その後多摩美術大学に転じ、教授職をつとめ、後進の指導に力を注いだ。 風景画を中心に描き、〈平均的肥満体 1965~1970〉〈退屈な風景 1971~1986〉〈さくら・うし 1987~1996〉〈花と雲と牛 1997~2001〉の連作をのこす。 義父は教育学者の石川謙、義兄に石川松太郎がいる。 青森県立美術館、栃木県立美術館、東京都現代美術館、府中市美術館、多摩美術大学美術館、八王子市夢美術館、青梅市立美術館、佐久市立近代美術館、池田20世紀美術館、愛知県美術館、京都国立近代美術館、広島市現代美術館、高松市美術館、北九州市立美術館、福岡県立美術館、福岡市美術館、久留米市美術館、熊本県立美術館、宇城市不知火美術館、都城市立美術館
田中 寧夫(たなか やすお、1932年〈昭和7年〉2月24日… 田中 寧夫(たなか やすお、1932年〈昭和7年〉2月24日 - )は、日本の元競泳選手。 福岡県久留米市のあけぼの商店街の森恒呉服店の子として生まれる。福岡県立明善高等学校を経て、早稲田大学に入学する。 大学在学中、1952年ヘルシンキオリンピックに競泳日本代表として男子400m自由形に出場。準決勝で9位となり、決勝進出はならなかった。
二田原 英二(にたはら えいじ、1931年12月7日 - 2… 二田原 英二(にたはら えいじ、1931年12月7日 - 2017年1月31日)は、日本の彫刻家、おもにブロンズを扱う。金蘭学園短期大学学長を務めた。 福岡県久留米市生まれ。旧制・福岡県立中学明善校に学び、学制改革を経て1950年に福岡県立明善高等学校を卒業。1956年、東京芸術大学美術学部芸術学科美学美術史専攻を卒業し、同大学彫刻科研究室副手となる。1960年、イタリア政府招聘留学生として国立ナポリ美術アカデミーに学ぶ。以後1978年に帰国するまでナポリ、ローマ、ミラノなどイタリア各地で制作する。 1985年に金蘭学園短期大学(後の千里金蘭大学短期大学部)特任教授となり、2002年には学長となった後、2004年に名誉教授を贈られた。
大津 守(おおつ まもる、1931年3月5日 - 2007年… 大津 守(おおつ まもる、1931年3月5日 - 2007年10月2日)は、福岡県嘉穂郡桂川町出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 明善高校からノンプロ時代の西日本鉄道を経て、1950年にセ・パ両リーグ分立に際して球団結成したばかりの西鉄クリッパースへ入団。 3年目の1952年にリーグ最多となる46試合に登板して、チームでは野口正明の23勝に次ぐ18勝、リーグ3位の防御率2.73を挙げて主戦投手となる。1954年9月22日の南海戦では、大津は完投勝ちして南海の連勝記録を18で止める。同年のシーズンでは18勝、リーグ3位の防御率1.78を記録して、河村久文(25勝)、西村貞朗(22勝)と共に初優勝に貢献。
中村 八大(なかむら はちだい、1931年1月20日 - 1… 中村 八大(なかむら はちだい、1931年1月20日 - 1992年6月10日)は、日本の作曲家、ジャズピアニスト。 『上を向いて歩こう』、『こんにちは赤ちゃん』、『遠くへ行きたい』、『明日があるさ』など、1950年代末から1960年代にかけての数々のヒット曲を作曲した。 兄の中村二大(1921年 - 生死不明)はクラリネット奏者。妹の夫は漫画家の寺田ヒロオ。 1931年、青島にて誕生。父親は青島の日本人学校で校長を務めており、自宅にはピアノや蓄音機、レコードなどがあるという恵まれた音楽環境であった。音楽的素養を認めた父の勧めで1940年春、小学4年生に進級すると同時に日本へ単身留学、新宿の国民学校へ転校。
藤田 吉香(ふじた よしか、1929年(昭和4年2月16日)… 藤田 吉香(ふじた よしか、1929年(昭和4年2月16日)- 1999年(平成11年5月25日))は、福岡県久留米市櫛原町生まれの洋画家。 県立中学明善校(現福岡県立明善高等学校)卒 九州大学工学部造船科(専門部)卒 (1948年) 松田塾にて松田実に洋画の指導を受ける(1949年) 東京芸術大学美術学部芸術学科卒(1955年) スペインの王立サン・フェルナンド美術アカデミーヘ留学(1962年-1966年) 国画会会員。京都造形芸術大学名誉教授。群を抜く描写力と清澄な色彩で「静」でありながら、圧倒する存在感をもつ静物画が多数。また、中央にモチーフを配し単色の背景というシンプルな画面構成であり、抽象画的な感覚も持ちあわせながらも、古典的な技法にもすぐれ各所でその力量を窺うことができる。
福田 幸弘(ふくだ ゆきひろ、1924年12月3日 - 19… 福田 幸弘(ふくだ ゆきひろ、1924年12月3日 - 1988年12月23日)は、日本の政治家。大蔵官僚。参議院議員(1期)。位階は正四位。勲等は勲二等。 著書に『カナダ経済の旅』、『連合艦隊 - サイパン・レイテ海戦記』があり、後者は秦郁彦から「第一級の史書」という評価を受けた。 映画ファンで、大蔵省の広報誌『ファイナンス』で映画評を連載したり、日本文藝家協会会員でもあった。
塚本 悦郎(つかもと えつろう、1924年11月30日 - … 塚本 悦郎(つかもと えつろう、1924年11月30日 - 2014年8月16日)は、福岡県出身のプロ野球選手(外野手)。 明善中を経て西南学院経済専門学校を卒業。戦前にプロ球団を保有し、日本野球連盟への復帰を目指す西日本鉄道に進む。1948年の都市対抗にチーム初出場。武末悉昌の好投もあって決勝に勝ち進み星野組と対戦、初参加で初優勝を果たす。武末以外のチームメートにも宮崎要、武末悉昌、上野義秋、深見安博、大崎憲司、伴勇資ら、のちにプロ球団の主力となる選手が揃っていた。 1950年に西日本鉄道が創立した西鉄クリッパースへ入団する。1952年には外野陣の一角として起用され、規定打席には届かなかったが打率.308を記録。
阿部 桂一(あべ けいいち、1923年11月11日 - 19… 阿部 桂一(あべ けいいち、1923年11月11日 - 1991年8月15日)は、日本の脚本家である。 筆名は別に新井 啓(あらい けい)がある。日本シナリオ作家協会会員・功労賞受賞者、日本放送作家協会会員、日本脚本家連盟信託者。フジテレビジョン映画部の五社英雄が手がけたテレビ映画『トップ屋』、『刑事』で頭角を現し『三匹の侍』の成功で知られる。テレビの代表作はほかに『SFドラマ 猿の軍団』、『佐武と市捕物控』等、劇場用映画の代表作には『花と怒濤』等がある。 1923年(大正12年)11月11日、宮城県に生まれる。『放送作家年鑑 1966』の阿部の項には東京府(現在の東京都)に生まれた旨の記述がある。
伊佐 二久(いさ つぐひさ、1922年(大正11年)9月20… 伊佐 二久(いさ つぐひさ、1922年(大正11年)9月20日 - )は、日本の陸軍軍人、医師、医学者、著作家。太平洋戦争に従軍した後に医師となり、国際協力事業団にも参加するなどして各国の医療事情を調査した。筆名としては伊佐 三休(いさ さんきゅう)の名も用いている。 1922年、福岡県小倉市に生まれる。幼くして朝鮮の龍山に渡り、6歳まで同地で過ごした。福岡県甘木小学校、久留米市金丸小学校を経た後、中学明善校(福岡県立明善高等学校の前身の1つ)1年を修了する。1936年(昭和11年)に広島陸軍幼年学校へ入学(第40期)、1938年(昭和13年)には陸軍予科士官学校へと進み(第55期)、翌年には歩兵第26聯隊へ士官候補生隊付として配属され、満州国・チチハル駐屯並びにソ満国境のハンダガイの守備に従事した。
江崎誠致(えさき まさのり、1922年1月21日 - 200… 江崎誠致(えさき まさのり、1922年1月21日 - 2001年5月24日)は、日本の小説家。福岡県出身。フィリピンでの戦争体験を題材にした『ルソンの谷間』で直木賞受賞。囲碁愛好家としても知られ、呉清源などの棋士の評伝やモデル小説もある。 久留米市に生まれる。父は小学校教師、少年時代から文学好きで、千田是也と中野重治を愛読した。明善中学入学、卒業を待たずに上京し、図書館講習所を経て小山書店に入社し編集、出版業に就く。1943年に召集されて久留米歩兵第48連隊から第4航空隊に転属し、フィリピンに出征。1946年に復員して小山書店に復帰。1949年に小山書店を辞めて独立し冬芽書房を設立、翌年解散して洋紙店などを経営しながら、日本共産党の資金部にて政治活動を行う。
中島 平太郎(なかじま へいたろう、1921年3月19日 -… 中島 平太郎(なかじま へいたろう、1921年3月19日 - 2017年12月9日)は、デジタルオーディオ技術の草分け的人物とされる日本の技術者である。コンパクトディスク メディア(CD-DA規格) 開発においてソニー側の責任者で、「CDの父」とも呼ばれる。福岡県久留米市生まれ。任意団体CDs21ソリューションズ会長。ビフレステック株式会社代表取締役会長。 CD-DAはソニーとフィリップスの共同開発だが、中島はそのソニー側の責任者だった。規格制定の貢献度は両社50%ずつと公式に発表されているが、技術コンペを経てソニー側が主張した技術が多く採用されている。 デジタル録音可能メディアであるDATとCD-Rにおいて音楽著作権の在り方に関し、日本レコード協会としばしば対立した。
岩橋 利男(いわはし としお、1921年3月6日 - 没年不… 岩橋 利男(いわはし としお、1921年3月6日 - 没年不明)は、福岡県出身のプロ野球選手。 明善中学校から門司鉄道管理局に入社。門司鉄道管理局時代は三塁手として活躍するも、戦後の国鉄の人員整理に掛かり、退社を余儀なくされた。 1950年に、この年創設された国鉄スワローズの結成に参加。3月10日の開幕戦(かつスワローズの緒戦)・大洋戦(下関球場)では「3番・一塁手」として先発出場。チーム事情から4番を打つ機会も多かった。球団初のサヨナラ安打を含む、サヨナラヒットを2本打っている。1952年に引退した。