スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
西尾 太作(にしお だいさく、1982年6月10日 - )は… 西尾 太作(にしお だいさく、1982年6月10日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 先生に勧誘されて鹿屋中学1年よりバレーボールを始める。中学時代、オリンピック有望選手に選ばれる。 鹿屋農業高校では九州大会優勝など実績を上げ、盛重龍(豊田合成トレフェルサ)と鹿児島の2大エースとして活躍した。 国際武道大学卒業後の2005年に堺ブレイザーズへ入団。2008年の黒鷲旗大会でベスト6に選出された。 2010年、全日本代表登録メンバーに初選出された。 2012年7月末を以て堺を退団し、FC東京に移籍した。 2015年、FC東京を退団した。 2016年からは和歌山県立和歌山北高等学校教員として勤務している。
和田 雄二(わだ ゆうじ、1969年8月14日 - )は、日… 和田 雄二(わだ ゆうじ、1969年8月14日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンターの調教師。鹿児島県鹿屋市出身。 同郷の騎手である吉永正人(同郷には他に瀬戸口勉の他郷原洋行や梅内忍、現役騎手では幸英明らがいる)に憧れ、騎手になるため競馬学校を3度受験するも全て不合格となり、その後は調教師を目指すことになる。鹿屋農業高校、日本大学農獣医学部畜産学科を卒業し1994年10月にJRA競馬学校厩務員課程に入学。翌1995年4月に保田隆芳厩舎の厩務員となる。 1996年4月から憧れていた吉永正人厩舎で厩務員となり1997年6月から調教助手を務める。 2006年9月11日に吉永が病死し厩舎解散となったため松山康久厩舎に移籍する。
宮ケ原 浩(みやがはら ひろし、1964年8月29日 - )… 宮ケ原 浩(みやがはら ひろし、1964年8月29日 - )は、日本の近代五種選手。鹿児島県立鹿屋農業高等学校出身。自衛隊体育学校所属。2016年リオデジャネイロオリンピックでは男子監督を務めた。1992年のバルセロナオリンピックに出場した。
瀬戸口 勉(せとぐち つとむ、1936年11月3日 - 20… 瀬戸口 勉(せとぐち つとむ、1936年11月3日 - 2017年11月9日)は日本中央競馬会の元騎手、元調教師。名古屋競馬・弥富トレーニングセンターに所属する調教師瀬戸口悟は実弟。中央競馬の調教師の増本豊は妻の弟。 鹿児島県鹿屋市で8人きょうだいの3人目(次男)として生まれる。1955年、鹿児島県立鹿屋農業高等学校畜産科を卒業後、京都の上田武司厩舎に騎手見習いとして入り、1959年、騎手としてデビューする。1963年にはミスマサコで桜花賞を優勝した。1973年に引退、騎手時代の成績は通算2534戦329勝である。 とくに障害競走での成績は優れたものがあり、145戦55勝。勝率.379、連対率.641という数字を残している。
山下 栄(山下 榮、やました さかえ、1935年(昭和10年… 山下 栄(山下 榮、やました さかえ、1935年(昭和10年)9月10日 - )は、日本の政治家。元鹿児島県鹿屋市長(4期、合併前も含む)。 鹿児島県鹿屋市祓川町出身。鹿児島県立鹿屋農業高等学校卒業。卒業後は土木作業員や農業で生計を立てていた。1963年に鹿屋市役所に入る。市役所では、1987年農政課長、1989年畜産課長、1990年産業経済部長、1992年総務部長。1993年鹿屋市助役に就任。 1994年鹿屋市長浅井隼人が死去。これに伴う市長選挙に立候補して、元社会党衆議院議員の有川清次を破って初当選する。1998年と2002年の市長選挙でも当選した。 2006年に合併で新鹿屋市が発足、合併後の市長選挙に立候補して、当選した。
川原 新次郎(かわはら しんじろう、1917年10月28日 … 川原 新次郎(かわはら しんじろう、1917年10月28日 - 1995年12月4日)は、日本の政治家。参議院議員(2期、自由民主党)。 鹿児島県揖宿郡喜入町大字瀬々串(現在の鹿児島市喜入瀬々串町)出身。1937年鹿屋農卒。鹿児島県議会議員を2期務めた後、1965年5月から1975年3月まで喜入町長を3期務めた。町長時代は町内に日本石油基地を誘致した。 同年の鹿児島県知事選に立候補したが、現職の金丸三郎に大差で敗れて落選した。※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 1980年の第12回参議院議員通常選挙に鹿児島県選挙区から立候補して初当選。1988年春の叙勲で勲二等瑞宝章受章(勲八等からの昇叙)。
吉田 正廣(よしだ まさひろ、1895年12月8日 - 19… 吉田 正廣(よしだ まさひろ、1895年12月8日 - 1972年1月10日)は、日本の朝鮮史家、郷土史家、朝鮮総督府官吏。 堂前家の三男として鹿児島県北伊佐郡羽月村(現・伊佐市)に生まれる。5歳の時、吉田家の養子となる。鹿児島県立鹿屋農学校(現・鹿屋農業高等学校)卒業。朝鮮総督府の記録では、大正10年(1921年)、京畿道勧業技手が初見。36歳の時、吉田朝子(当時23歳)と見合い結婚する。朝鮮農地令制定の最重要人物とされ、朝鮮総督府高等官(奏任官)として『朝鮮の小作慣行-時代と慣行』(1930年)などの著作がある。自らライフワークを「『朝鮮の農村及農村生活』の実証的研究である」と記していたという。