松尾 美月(まつお みづき、2003年1月14日 - )は、… 松尾 美月(まつお みづき、2003年1月14日 - )は、千葉県八街市出身の女子サッカー選手。バニーズ群馬FCホワイトスター所属。ポジションはフォワード。 姉の松尾菜月もオルカ鴨川FCに所属するサッカー選手。 兄、姉の影響で5歳からサッカーを始める。 2018年に通信制高等学校過程の星槎国際高等学校(湘南学習センター)に入学し、同校のサッカー部へ所属。 高校卒業後は、姉も在籍する国際武道大学体育学科に入学し、オルカ鴨川FCの下部組織扱いである同校のサッカー部(オルカ鴨川BU)へ所属。2年次の2022年にトップチームに登録。サッカー部の活動も並行して3年間でリーグ戦53試合に出場した。 2025年1月5日、オルカから三菱重工浦和レッズレディースへ完全移籍という形で加入。
小野寺 瑛輝(おのでら えいき、2001年12月2日 - )… 小野寺 瑛輝(おのでら えいき、2001年12月2日 - )は、日本の男子バレーボール選手である。 宮城県気仙沼市出身。 東北高等学校、国際武道大学を経て、2023-24シーズン、V.LEAGUE DIVISION1 MEN(V1男子)に所属する東レアローズの内定選手となった。内定選手としてV1男子の試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。
新居 里江子(にい りえこ、2001年2月8日 - )は、日… 新居 里江子(にい りえこ、2001年2月8日 - )は、日本の女子ラグビーユニオン選手。 2019年、アナン学園高校卒業後、国際武道大学に入る。 2023年、国際武道大学卒業後、弘前サクラオーバルズに加入。
青戸 翔(あおと かける、1996年8月9日 - )は、神奈… 青戸 翔(あおと かける、1996年8月9日 - )は、神奈川県川崎市出身のサッカー選手。Jリーグ・高知ユナイテッドSC所属。ポジションはFW。 小・中学生時代は東京ヴェルディ1969のアカデミーに在籍。その後、桐蔭学園高等学校を経て国際武道大学に進学。 2019年3月29日、東京ユナイテッドFCに加入。その後、ヨーロッパに渡りミッテルラインリーガ(英語版)(ドイツ5部)のジークブルガーSV04(英語版)に加入。 2020年6月26日、東京23FCに完全移籍。 2021年2月26日、おこしやす京都ACに完全移籍。同年の天皇杯2回戦・サンフレッチェ広島F.Cでは先制ゴールを決め、J1リーグ所属クラブ相手のジャイアントキリングを達成。
片岡 篤志(かたおか あつし、1996年8月2日 - )は、… 片岡 篤志(かたおか あつし、1996年8月2日 - )は、滋賀県出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。日本海リーグのSHIGA HIJUMPS所属。かつては四国アイランドリーグplus、関西独立リーグの球団に所属していた。 軟式チームから高校は大津商業高校に進学。主戦級の投手であったが3年生の夏前に股関節を故障し、夏は登板できずに高校野球を終えた。大学は滋賀を離れ、千葉県の国際武道大学に進学。しかし、硬式野球部では全く目立つ存在でなく、球速は最速140km/h程度で、調子が悪いときは130km/hにも満たない程度だった。結局、ベンチ入りを一度も果たせないまま野球部を引退した。1年後輩に勝俣翔貴がいる。
佐々木 英泰(ささき ひでやす、1996年3月4日 - )は… 佐々木 英泰(ささき ひでやす、1996年3月4日 - )は、神奈川県出身のサッカー選手、ビール醸造家。 神奈川県茅ヶ崎市出身。 国際武道大学へ進学し、大学時代はサッカー部に所属する傍ら教員免許状や日本サッカー協会公認ライセンスを取得。 大学卒業後は鎌倉インターナショナルFCに加入。また、高等学校の嘱託職員として授業を行いながらヘッドコーチとしてサッカー部を指導するなど教育分野でも活動の場を広げた。選手、指導者と並行し、科目等履修生として日本女子大学家政学部食物学科に在籍し、高等学校教諭一種免許状(家庭)を取得した。 2021年4月、はやぶさイレブン(現・厚木はやぶさFC)に加入。 2022年5月、ニュージーランドナショナルリーグ(英語版)のベイ・オリンピックFC(英語版)と契約。
エドゥアルド・ユウジ・サントス(Eduardo Yudy S… エドゥアルド・ユウジ・サントス(Eduardo Yudy Santos 1994年10月25日- )はブラジルの柔道選手。茨城県下妻市出身。階級は81kg級。 日系人の祖母が住む茨城県へブラジルから移ってきた両親の下に生まれた。下妻東部中学3年の時に全国中学校柔道大会73kg級に出場したが3回戦で敗れた。明野高校2年の時にはインターハイ81kg級に出場したが初戦で敗れ、全国高校選手権でも2回戦で敗れた。3年の時にはインターハイの準々決勝で大牟田高校3年の佐藤正大に技ありで敗れて5位だった。2013年には国際武道大学へ進学すると、1年の時に学生体重別の2回戦で東海大学3年の渡邉勇人に敗れた。一方、ブラジル国籍だったため全日本ジュニアに出場きなかったことがきっかけとなり、19歳の時にブラジルに渡って現地で代表を目指すことになった。
坂口 仁美(さかぐち ひとみ、1994年1月8日 - )は、… 坂口 仁美(さかぐち ひとみ、1994年1月8日 - )は、長野県東御市出身の、日本人の女子柔道選手である。階級は44kg級。身長145cm。血液型O型。段位は弐段。組み手は右組み。得意技は背負投、寝技。
増野 元太(ますの げんた、1993年5月24日 - )は、… 増野 元太(ますの げんた、1993年5月24日 - )は、北海道北斗市出身の元陸上競技選手。専門は110mハードル。自己ベストは日本歴代6位の13秒40。2017年ロンドン世界選手権のセミファイナリスト。 北海道北斗市出身、血液型はO型、北斗市立久根別小学校→北斗市立上磯中学校→函館大学付属有斗高校→国際武道大学→モンテローザ→ヤマダホールディングス。 陸上は小学3年生の時に学校の陸上クラブに入って始める。ハードルは4年生の時から経験し、6年生の時には全国小学生交流大会の80mハードルに出場している。しかし、6年生の秋から中学1年生の夏まで駅伝と長距離をやったり、中学3年生の時には腰骨の分離症になったりするなどして、中学時代は全国大会に出場することができなかった。
笹垣 拓也(ささがき たくや、1991年6月1日 - )は、… 笹垣 拓也(ささがき たくや、1991年6月1日 - )は、静岡県磐田市出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。兄は元愛媛FCの笹垣亮介。 高校時代はスピードを活かしたドリブル突破を武器としているFWであったが、Jリーグ・ロアッソ熊本に加入すると同時に左サイドバックへとコンバートされた。 開幕戦でベンチ入りするなど期待値の高さはあったが、その後はベンチ入りの機会がなく、わずか1年でロアッソ熊本を退団し、大学へ進学した。 2014年8月15日、藤枝MYFCへの加入が発表された。 2016年2月、現役引退が発表された。
友永 翔太(ともなが しょうた、1991年4月1日 - )は… 友永 翔太(ともなが しょうた、1991年4月1日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(外野手)。
西野 真弘(にしの まさひろ、1990年8月2日 - )は、… 西野 真弘(にしの まさひろ、1990年8月2日 - )は、東京都江戸川区出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。オリックス・バファローズ所属。 南葛西小学校時代に「葛西キラーズ」で野球を始め、南葛西中学校では「浦安リトルシニア」に所属し、東海大学付属浦安高校では甲子園出場経験は無し。 国際武道大学4年生の時、千葉県大学野球リーグで春・秋の2季連続で二塁手のベストナインを獲得した。明治神宮野球大会では初戦で富士大・多和田真三郎にノーヒットノーランで敗れた。 JR東日本時代は1年目に第84回都市対抗野球大会でベスト8に進出、社会人野球ベストナインを獲得した(二塁手)。2年目には韓国で行われた第17回アジア競技大会の野球日本代表に選ばれ、4試合に出場、計8打数1安打だった。
高品 雄基(たかしな ゆうき、男性、1990年2月20日 -… 高品 雄基(たかしな ゆうき、男性、1990年2月20日 - )は、日本の俳優。千葉県出身。A型。身長180cm。愛称は「しなっち」。 千葉県袖ケ浦市出身。国際武道大学を卒業後、芸能活動をスタート。多岐に渡る活動を経て、2014年に劇団TEAM-ODACに入団。 2015年には初の舞台演出を手掛けた作品が、杉並演劇祭にて優秀賞を受賞。2018年には3本連続で主演舞台を経験。コミカルな芝居には定評。ODAC本公演ではムードメーカー的な存在を確立。2023年6月に劇団TEAM-ODACを退団。 2023年3月に公開された映画「有り、触れた、未来」では、出演だけでなく、プロデューサーチームUNCHAIN10+1(アンチェインイレブン)の一員として製作にも参加している。
大金 広弥(おおがね ひろや、1989年12月21日 - )… 大金 広弥(おおがね ひろや、1989年12月21日 - )は、茨城県常陸太田市出身のバスケットボール選手である。ポジションはガード。身長180cm、体重74kg。 常陸太田市立太田小学校、常陸太田市立太田中学校、水戸商業高を経て、2008年に国際武道大学に入学、同大学では関東3部リーグ得点王となったこともあった。大学卒業後、2012年にトライアウトでデイトリックつくばに入団した。 その後、つくばロボッツに移籍した。同チームが経営難からリーグ管理となった際、2014年11月30日に自由契約となった。 2015年1月、つくばロボッツのチームメートとともに、和歌山トライアンズに入団した。兵庫ストークスとのシーズン最終戦では、ポール・ビュートラックとともに活躍し、勝利に貢献した。
古賀 太一郎(こが たいちろう、1989年10月4日 - )… 古賀 太一郎(こが たいちろう、1989年10月4日 - )は、日本の男子プロバレーボール選手。 長崎県佐世保市出身。兄の古賀幸一郎から影響を受けて6歳からバレーボールを始める。 佐世保南高校を経て、国際武道大学に進学。 2012年に幸一郎が所属する豊田合成トレフェルサ(現・ウルフドッグス名古屋)へ入団。同年8月に、第3回アジアカップ大会メンバーに選出され、出場した。2013年、全日本代表登録メンバーに初選出された。 2015年7月、豊田合成はフィンランドの強豪チームであるコッコラ・ティーケリ(フィンランド語版)に留学移籍することを発表した。移籍期間は2016年4月30日まで。海外留学移籍は以降も続き、2016/17シーズンはフランスリーグでプレーし、2017年からはポーランドで3シーズンプレーした。
阿部 竜太(あべ りゅうた、1988年9月26日 - )は、… 阿部 竜太(あべ りゅうた、1988年9月26日 - )は、福島県福島市出身のサッカー選手。JFL・栃木ウーヴァFC所属。ポジションは、ディフェンダー。
両角 公佑(もろずみ こうすけ、1988年7月27日 - )… 両角 公佑(もろずみ こうすけ、1988年7月27日 - )は、日本のカーリング選手。2018年平昌オリンピック男子カーリング日本代表。TM軽井沢所属。ANAビジネスソリューション株式会社勤務。兄は同じく平昌オリンピック男子カーリング日本代表の両角友佑。 長野県北佐久郡軽井沢町出身。小学3年生の時に軽井沢町で行われた1998年長野オリンピックカーリング競技の会場内飲食店で母が働いていたこともあり、4歳上の兄・友佑共々毎日のように試合を観戦していたことからカーリングへの興味を持ち、小学6年生から競技を始めた。 長野県岩村田高等学校、国際武道大学卒業。2005年まではジュニアチームでスキップを務めていたが、2006年からSC軽井沢クラブに正式加入し、日本カーリング選手権大会5連覇をはじめ8度の制覇を経験した。
鳥養 祐矢(とりかい ゆうや、1988年5月11日 - )は… 鳥養 祐矢(とりかい ゆうや、1988年5月11日 - )は、千葉県市原市出身 の元プロサッカー選手、政治家。山口市議会議員(1期)。現役時代のポジションはミッドフィールダー、フォワードおよびディフェンダー(サイドバック)。 ジェフユナイテッド市原・千葉の下部組織では遠藤敬佑と同期。ユース時代の2006年10月からはジェフのセカンドチームであり、当時JFLに所属していたジェフユナイテッド市原・千葉クラブ(ジェフ・クラブ)に2種登録選手として出場、初出場のアルテ高崎戦で得点を挙げた。高校卒業後のトップチーム昇格はならなかったが、翌2007年以降もそのままジェフ・クラブ改めジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ(ジェフリザーブズ)に在籍し、当初はDF登録ながら攻撃的な位置でも起用され(2009年はMF登録、2010年はFW登録)主力として活躍。
狩俣 昌也(かりまた まさや、1988年〈昭和63年〉4月2… 狩俣 昌也(かりまた まさや、1988年〈昭和63年〉4月28日 - )は、日本のプロバスケットボール選手。沖縄県宮古島市出身。ポジションはポイントガード。B.LEAGUE・長崎ヴェルカに所属している。 2012年、bjリーグの千葉ジェッツと選手契約を結び、プロ選手となる。2013年には琉球ゴールデンキングスに移籍し、2013-14シーズンの優勝メンバーとなった。2014年に福島ファイヤーボンズに移籍し、2014-15シーズンのMIP賞に選ばれた。 2021-22シーズンより長崎ヴェルカに所属。共同キャプテンとしてチームをB3優勝、B2昇格まで引っ張り、個人でもB3 2021-22シーズンの年間ベスト5に選出された。
中村 祐介(なかむら ゆうすけ、1987年7月11日 - )… 中村 祐介(なかむら ゆうすけ、1987年7月11日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者である。 長野県上水内郡飯綱町出身。小学1年生からバレーボールを始める。 岡谷工業高等学校では高校1年時に静岡国体優勝を経験。 卒業後に国際武道大学へ進学。大学卒業後には、2010/11シーズン途中に、V・プレミアリーグ(当時のVリーグ1部リーグ)に所属する大分三好ヴァイセアドラーに入団した。同シーズンにV・プレミアリーグの試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。 2011年、2010/11シーズン終了後、大分三好ヴァイセアドラーを1シーズンで退団した。このまま現役引退し、同年、V・プレミアリーグ女子に所属するパイオニアレッドウィングスのコーチに就任した。
外山 裕樹(そとやま ゆうき、1987年7月5日-)は日本の… 外山 裕樹(そとやま ゆうき、1987年7月5日-)は日本の男子元バレーボール選手である。
仲澤 広基(なかざわ ひろき、1987年1月22日 - )は… 仲澤 広基(なかざわ ひろき、1987年1月22日 - )は、山梨県中巨摩郡竜王町(現:甲斐市)出身の元プロ野球選手(内野手)。
小橋口 祐嗣(こはしぐち ゆうじ、1986年7月6日 - )… 小橋口 祐嗣(こはしぐち ゆうじ、1986年7月6日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。鹿児島県鹿児島市出身。ポジションはミドルブロッカー。
倉林 和宏(くらばやし かずひろ、1985年11月5日 - … 倉林 和宏(くらばやし かずひろ、1985年11月5日 - )は、平成時代の日本の陸上競技選手。2000年の全国中学選手権110メートルハードルに出場し、史上初めて14秒台の壁を破る13秒99の日本中学新記録(当時)を樹立して優勝、脚光を浴びた。その後、中学時代にしたケガの影響で一時は再起不能とまで言われたが、2005年に200mハードルで23秒77の日本歴代3位にあたる好記録をマークし完全復活を遂げた。群馬県高崎市出身。尊敬する人物は元ミキハウスの桜井健一。
川端 崇義(かわばた たかよし、1985年2月4日 - )は… 川端 崇義(かわばた たかよし、1985年2月4日 - )は、静岡県焼津市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ。右投右打。 小学3年生の時から野球をスタート。同郷の同級生である牧田和久と増井浩俊(いずれも投手)とは、後にオリックスの外野手として、パシフィック・リーグ(パ・リーグ)の公式戦で相まみえている。 東海大学第一中学校(現在の東海大学付属静岡翔洋中学校)時代は「1番・捕手」で、3年時に全国大会ベスト8を経験。東海大相模高校への進学後は、4番打者を任された。3年夏の神奈川大会で決勝まで進んだが、在学中には春夏ともに、甲子園に出場できなかった。ちなみに、当時の同級生であった原拓也とは、後にオリックスでもチームメイトになっている。
古賀 幸一郎(こが こういちろう、1984年8月30日 - … 古賀 幸一郎(こが こういちろう、1984年8月30日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 長崎県佐世保市出身。姉がバレーボールをやっていて親に勧められたのをきっかけに小学4年からバレーボールを始める。 佐世保北高校でのポジションはアタッカーで、2年生の時には長崎県内準優勝、3年生の時にもベスト4へ進出。リベロとして国体に選出され、キャプテンを務めながら5位入賞を果たす。 国際武道大学進学後に、リベロの素質を見抜いた徳永文利監督に命じられてリベロに転向し、3年次からレギュラーに定着した。 2007年4月にNECブルーロケッツに入団。新人ながらレギュラーを獲得し(連続出場試合記録、歴代1位更新)、5月の第56回黒鷲旗大会優勝に貢献、ベストリベロ賞を受賞した。
髙安 亮介(たかやす りょうすけ、1984年5月14日 - … 髙安 亮介(たかやす りょうすけ、1984年5月14日 - )は、千葉県出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。サッカー指導者。 船橋市立船橋高等学校時代は第81回全国高校サッカー選手権大会を制覇(怪我のため決勝は出場せず)。国際武道大学時代は、2年連続で関東2部ベストイレブンに選ばれるも、4年時の最終節では引き分けに終わり1部昇格を逃した。栃木SCにはアマチュア選手として加入したが、2007年シーズン後、アマチュア選手としては唯一のプロ契約を勝ち取り、2008年シーズンからはプロ選手としてプレーした。チームのJ2昇格後初となる2009年シーズンは背番号10を背負ったが、シーズン終了にての契約満了となった。
阿部 篤史(あべ あつし、1983年10月19日 - )は、… 阿部 篤史(あべ あつし、1983年10月19日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。 福島県白河市出身。母親がママさんバレーをしていた影響で白河第二中学1年よりバレーボールをはじめる。福島県立白河旭高等学校を経て国際武道大学を卒業、Vチャレンジリーグ(当時)のFC東京に入団した。 2014年6月、FC東京のコーチに就任。3シーズンコーチを務めた。
井上 裕介(いのうえ ゆうすけ、1983年8月5日 - )は… 井上 裕介(いのうえ ゆうすけ、1983年8月5日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。 灘崎小学校バレー部(灘崎フリッパーズ)監督の勧誘を受け、小学3年よりバレーボールを始める。 国際武道大学を卒業後、2006年に入団した大分三好ヴァイセアドラーでは2年連続サーブレシーブ賞、2008年に移籍した堺ブレイザーズでは2年連続ベストリベロ賞を受賞した。 2008年、全日本代表に選出され、ワールドリーグに出場。 2009年、ワールドグランドチャンピオンズカップに出場した。 2018年の第67回黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会をもって現役を引退し、同年6月にV.LEAGUE DIVISION1 WOMENに所属するJTマーヴェラスのコーチに就任した。
本間 康貴(ほんま やすたか、1983年6月6日 - )は、… 本間 康貴(ほんま やすたか、1983年6月6日 - )は、東京都八王子市出身の元サッカー選手。サッカー指導者。
平田 徹(ひらた とおる、1983年5月10日 - )は、神… 平田 徹(ひらた とおる、1983年5月10日 - )は、神奈川県横浜市出身の日本の高校野球指導者。高校保健体育科教諭。 ポジションは捕手。1999年、横浜高校(以降:横浜)に入学し、硬式野球部へ入部。全国高校野球選手権大会に2回出場。2年次ベスト8。3年次には主将になり、同選手権で優勝することになる東京の日大三高に準決勝で敗れるが、荒波翔、円谷英俊らと共にベスト4進出。卒業後、国際武道大学へ進学し、野球を継続。大学でも四年生時に主将を務める。 国際武道大学卒業後の2006年、横浜高校のコーチに就任。2010年に部長の小倉清一郎が定年を迎え、部長に昇格。 2015年夏の大会後、恩師である渡辺元智の勇退に伴い、監督に就任。
小林 庸尚(こばやし のぶひさ、1983年4月11日 - )… 小林 庸尚(こばやし のぶひさ、1983年4月11日 - )は、栃木県出身のプロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー(GK)。
比嘉 幹貴(ひが もとき、1982年12月7日 - )は、沖… 比嘉 幹貴(ひが もとき、1982年12月7日 - )は、沖縄県沖縄市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、プロ野球コーチ。現在はオリックス・バファローズの一軍投手コーチを務める。 高校教諭で野球部監督だった父の影響で幼い頃から野球に親しみ、小学3年生の時に少年野球チームに入団する。中学に入ると左膝の離断性骨軟骨炎を発症し、運動が出来ない2年間を過ごすが、3年時から再び運動が出来るようになり、軟式野球部に入部し、公式戦にも1試合だけ出場した。 沖縄県立コザ高等学校では無名であったが、国際武道大学ではリーグ通算29勝を挙げ、日立製作所に入社。入社5年目の2009年、三菱自動車岡崎との第80回都市対抗野球大会1回戦で7回5安打無失点と好投し、同大会4年ぶりの勝利をチームにもたらした。
阿久津 貴史(あくつ たかひと、1982年11月22日-)は… 阿久津 貴史(あくつ たかひと、1982年11月22日-)は、福岡県福岡市博多区出身の静岡県育ち。スポーツトレーナー、起業家、元パワーリフティング選手。身長168.5cm、体重100kg。 日本人初の大手スポンサーがついた本格的なプロ第一号であり、日本パワーリフティング界を代表する選手の一人である。現105kg級日本チャンピオン&日本記録保持者。スポーツサプリメントメーカー株式会社ピークパフォーマンスニュートリション代表。 スクワット360.5kg(2022年5月22日更新)「105kg級マスターズ1日本記録」 ベンチプレス277.5kg(2018年1月28日更新) デッドリフト305kg(2023年5月21日更新)「105kg級マスターズ1日本記録」 トータル920kg(2020年8月30日更新)「105kg級日本記録」
西尾 太作(にしお だいさく、1982年6月10日 - )は… 西尾 太作(にしお だいさく、1982年6月10日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 先生に勧誘されて鹿屋中学1年よりバレーボールを始める。中学時代、オリンピック有望選手に選ばれる。 鹿屋農業高校では九州大会優勝など実績を上げ、盛重龍(豊田合成トレフェルサ)と鹿児島の2大エースとして活躍した。 国際武道大学卒業後の2005年に堺ブレイザーズへ入団。2008年の黒鷲旗大会でベスト6に選出された。 2010年、全日本代表登録メンバーに初選出された。 2012年7月末を以て堺を退団し、FC東京に移籍した。 2015年、FC東京を退団した。 2016年からは和歌山県立和歌山北高等学校教員として勤務している。
大塚 俊介(おおつか しゅんすけ、1982年5月7日 - )… 大塚 俊介(おおつか しゅんすけ、1982年5月7日 - )は、北海道出身のサッカー指導者。 2008年1月15日、ロアッソ熊本のフィジカルコーチに就任した。4年間熊本のフィジカルコーチを務めた後、2012年よりジェフユナイテッド市原・千葉に移籍した。 2015年、コンサドーレ札幌のフィジカルコーチに就任。 2025年、FC町田ゼルビアのフィジカルコーチに就任。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
木内 学(きうち まなぶ、1982年4月26日 - )は、日… 木内 学(きうち まなぶ、1982年4月26日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、現指導者。 長野県佐久市出身。実兄の影響で、浅間中学校1年よりバレーボールを始めた。 岡谷工業高校、国際武道大学卒業後、2006年にVプレミアリーグの堺ブレイザーズに入団した。 2011年3月31日、現役引退。 引退後の2011年からは、堺ブレイザーズにてキッズバレーボールスクールコーチ・堺ジュニアブレイザーズコーチ等で指導・普及活動を行う。 現在は興國高等学校教諭、バレーボール部監督を務めている。
山本 淳(やまもと じゅん、1982年4月16日 - )は、… 山本 淳(やまもと じゅん、1982年4月16日 - )は、神奈川県海老名市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、社会人野球の日立製作所硬式野球部に所属している。
秋本 真吾(あきもと しんご、1982年4月7日 - )は、… 秋本 真吾(あきもと しんご、1982年4月7日 - )は、福島県大熊町出身の元陸上競技選手。現在はスプリントコーチ。夫人は元スピードスケートおよび自転車競技選手の大菅小百合。 大熊町立大熊中学校から福島県立双葉高等学校をへて国際武道大学体育学部卒。最終学歴は国際武道大学大学院修士課程修了。 大学院修士課程修了後、アジアパートナーシップファンド(APF)に所属。その後は釣具会社アムズデザインに就職しチームアイマに所属。その後はプロになるため独立。スポンサーにサプリメント会社ペプトワンとピーエスと契約。2012年のロンドンオリンピックの選考会となった日本選手権を最後に現役を引退。 2011年3月11日の東日本大震災により故郷である福島県大熊町が被災。
中村 一生(なかむら いっせい、1982年4月2日 - )は… 中村 一生(なかむら いっせい、1982年4月2日 - )は、東京都江戸川区出身の元プロ野球選手(外野手)、コーチ。右投右打。 東海大学付属浦安高等学校時代の3年時の夏に第82回全国高等学校野球選手権大会へ千葉県代表として出場。「5番・中堅手」として、チームの準優勝に貢献した。 高校卒業後に国際武道大学へ進学。広い守備範囲と俊足を武器に1番打者として千葉県大学リーグで3年秋にMVP、4年春ベストナインを受賞。 2004年のプロ野球ドラフト会議で、中日ドラゴンズから7巡目指名を受け、契約金5,000万円、年俸1,000万円(金額は推定)で仮契約を結んだ。背番号は「51」。国際武道大学野球部の選手がNPBの球団と契約した事例は、高橋光信に次いで2人目であった。
バティスト・タヴェルニエ(Baptiste Tavernie… バティスト・タヴェルニエ(Baptiste Tavernier、1981年12月14日 - )は、フランス・スペイン国籍を持つ現代美術家、作曲家、および武道家。東京都在住。 彼の芸術活動はデジタルファブリケーション、絵画、サウンド・アートといった領域にまたがり、「未来の考古学」や「失われた世界の遺物」をテーマとしている。 タヴェルニエは、3Dプリンターを用いて作成された架空の遺物を収めたオープンソースのモジュラー・アーカイブ『Kura Curiosa』を含む、思弁的アートプロジェクト『Arkhorin's Lore』で知られる。彼の「Chambres」(彫刻的な収容構造)や、その世界観を構築するナラティブな作品群は、香港のアート・セントラル、上海のART021、ホワイトストーンギャラリー、そして東京の国立新美術館などで国際的に展示されている。
君島 奈津子(きみじま なつこ、1981年7月21日 - )… 君島 奈津子(きみじま なつこ、1981年7月21日 - )は、栃木県出身の日本の柔道家。52kg級の選手。身長163cm。得意技は袖釣込腰。 柔道は10歳の時に矢板スポーツ少年団で始めた。矢板中学から帝京高校へ進むと、2年の時に全国高校選手権57kg級で5位となった。2000年に国際武道大学へ進むと、2年の時には全国女子体重別52kg級決勝で旭川南高校3年の佐藤愛子に敗れるも2位になった。3年の時には選抜体重別で3位になると、学生体重別では2位だった。4年の時には選抜体重別と学生体重別で3位となった。2004年に警視庁の所属となると、アジア選手権で3位になった。2005年の選抜体重別では決勝でコマツの宝寿栄を有効で破って優勝を飾った。
金井 修也(かない しゅうや、1981年2月1日 - )は、… 金井 修也(かない しゅうや、1981年2月1日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 群馬県伊勢崎市出身。実兄の影響で、名和小学4年よりバレーボールを始める。 2003年にVリーグの堺ブレイザーズに入団。 2006年度全日本代表候補に選ばれ、同年アジアクラブ選手権大会、第18回アジア太平洋カップ福岡国際男子バレーボール大会、アジアチャレンジカップなどに出場した。 2010年1月16日のJT戦で左手第四指中手骨骨折、全治10週間の怪我を負った。2012年5月の黒鷲旗大会をもって引退が発表された。2012年7月より太田市職員として勤務。
髙橋 悠(たかはし ひろ、1980年12月20日 - )は、… 髙橋 悠(たかはし ひろ、1980年12月20日 - )は、日本のバレーボール指導者である。 神奈川県高座郡寒川町出身。 国際武道大学卒業後、2003年、Vリーグ女子(当時1部リーグ)に所属する茂原アルカスのコーチに就任。 2006年、茂原アルカスが廃部となる。以降もV・プレミアリーグ女子(当時Vリーグ1部リーグ)に所属するチームでのコーチを務め、同年、トヨタ車体クインシーズのコーチに就任。6シーズンコーチを務めた。2012年、NECレッドロケッツのコーチに就任。こちらでは8シーズンコーチを務めた。NECはV・プレミアリーグで2014/15シーズンと2016/17シーズンに優勝。 2020年5月、V.LEAGUE DIVISION2 WOMEN(V2女子)に所属する群馬銀行グリーンウイングスのコーチに就任。
北田 俊亮(きただ としあき、1980年12月9日 - )は… 北田 俊亮(きただ としあき、1980年12月9日 - )は、日本の総合格闘家。千葉県八街市出身。 1980年12月9日、千葉県八街市で生まれる。小さい頃の夢はプロレスラーになることだった。中学の時に柔道部に入部し柔道を始め、高校と大学も柔道の推薦で入学した。国際武道大学卒業。 総合格闘技に大学時代から興味を持っていたところ、入社した会社の上司が偶然にも総合格闘技をしていることを聞き、パラエストラ千葉に入門する。アマチュア修斗で2連敗するが、さらに総合格闘技への思いが強くなり、専念するため会社を退職。 アマチュアパンクラスと柔術の全国大会で優勝し、プロへ昇格した。DEEPフューチャーキングトーナメントの65kg以下で優勝。
宮本 裕大(みやもと ゆうだい、1980年7月22日 - )… 宮本 裕大(みやもと ゆうだい、1980年7月22日 - )は、日本の陸上競技選手。青森県つがる市出身。Japan Ultra Multieventsの代表。国内で初となるウルトラ混成陸上競技である二十種競技、十四種競技の大会を開催した。 青森県立木造高等学校在学時代は走り高跳び選手として、1998年のかながわ・ゆめ国体に出場し、6位の成績を残す。その後は国際武道大学体育学部に進学するが成績は振るわず、卒業後は社会人として日本国内初となる二十種競技、十四種競技の大会を企画・開催する。自身の運営するホームページで出場者やスポンサーを募り、地元の青森で開催して多くのメディアに取り上げられる。2006年より国際武道大学の陸上競技部のコーチとなり、2006年、2008年、2014年と二十種競技の大会を開催した。
瀬崎隼人(せざき はやと、1980年1月21日 - )は、日… 瀬崎隼人(せざき はやと、1980年1月21日 - )は、日本の元ラグビー選手。 2006年から2014年までトップリーグのNECグリーンロケッツに所属した。。 所属チーム:三沢商業高校→国際武道大学→日野自動車レッドドルフィンズ→NECグリーンロケッツ
中村 和裕(なかむら かずひろ、1979年2月21日 - )… 中村 和裕(なかむら かずひろ、1979年2月21日 - )は、日本の男性柔道家、総合格闘家。現在は大学教員。広島県福山市出身。柔道三段。近畿大学附属福山高等学校、国際武道大学卒業。元DEEPミドル級王者。 10歳の頃から柔道を始める。国際武道大学時代には柔道部で柏崎克彦に師事し、2000年には正力杯全日本学生体重別の100kg級で準優勝。大学卒業後には京葉ガス柔道部に所属し、2002年の全日本実業柔道個人選手権大会優勝、ドイツオープン柔道大会100kg級優勝などの実績を挙げる。100kg級では、井上康生、鈴木桂治らと肩を並べ、全日本強化選手入りを果たした。アマチュア時代には、柔道以外の格闘技に挑戦し、2001年にJTC総合格闘技大会で準優勝、全日本サンボ体重別大会で優勝している。
安田 知生(やすだ ともお、1978年8月16日 - )は、… 安田 知生(やすだ ともお、1978年8月16日 - )は、日本の元ラグビー選手。
原 裕晃(はら ひろあき、1978年6月4日 - )は、山口… 原 裕晃(はら ひろあき、1978年6月4日 - )は、山口県出身のサッカー選手。ポジションはGK。 2001年、当時JFL所属の栃木SCに入団。入団初年度から正GKとして活躍し、2002年以外はほぼ休みなしで栃木のゴールマウスを守った。しかし2007年シーズン終了後、「従来のプロ・アマ混合からオールプロ化への移行」というチーム方針により栃木を退団。 2008年に当時北信越1部所属の松本山雅FCに移籍。ここでも正GKとして活躍してチームのJFL昇格に貢献。さらに、2009年10月11日に行われた第89回天皇杯2回戦ではJ1浦和の猛攻を身を挺して最後まで凌ぎ2-0で勝利し、「ジャイアント・キリング」に貢献した。