スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
上村 拓(かみむら たくる、2003年6月2日 - )は、日… 上村 拓(かみむら たくる、2003年6月2日 - )は、日本のラグビーユニオン選手。ジャパンラグビーリーグワンの九州電力キューデンヴォルテクスに所属している。 中3のとき、全国ジュニア・ラグビーフットボール大会に鹿児島県代表で出場。 鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校から福岡大学に進学した。1年次から先発で九州学生ラグビーフットボールリーグに出場。4年次では副将を務めた。 2026年2月、ジャパンラグビーリーグワンの九州電力キューデンヴォルテクスに加入した。
下釜 優次(しもがま ゆうじ、1992年1月25日 - )は… 下釜 優次(しもがま ゆうじ、1992年1月25日 - )は、ジャパンラグビーリーグワン埼玉パナソニックワイルドナイツに所属するラグビー選手。 2010年、鹿児島玉龍高校卒業後、筑波大学に入学する 2013年、筑波大学ラグビー部の副将に就任した。 2014年、筑波大学卒業後、九州電力キューデンヴォルテクスに加入。同年9月6日に行われたトップキュウシュウA予選リーグ第1節の三菱重工長崎戦に途中出場で公式戦初出場を果たした。 2017年、九州電力キューデンヴォルテクスを退団した。 2018年、パナソニック ワイルドナイツ(現・埼玉パナソニックワイルドナイツ)に加入。
今末 真人(いますえ まこと 、1987年5月7日 - )は… 今末 真人(いますえ まこと 、1987年5月7日 - )は、エフエム鹿児島のアナウンサーである。 エフエム鹿児島在籍時
小橋口 祐嗣(こはしぐち ゆうじ、1986年7月6日 - )… 小橋口 祐嗣(こはしぐち ゆうじ、1986年7月6日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。鹿児島県鹿児島市出身。ポジションはミドルブロッカー。
富山 智帆(とみやま ちほ、1982年3月7日-)は、女優兼… 富山 智帆(とみやま ちほ、1982年3月7日-)は、女優兼リングアナウンサー。鹿児島県鹿児島市出身。 鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校卒業後、上京。日本工学院八王子専門学校・演劇科ミュージカル俳優コース出身。2005年に女優活動を開始。2008年より株式会社マーベルプロモーションに所属。2012年11月28日、WNC・後楽園ホール大会にて、場内アナウンスを主とするMC役に抜擢。2013年4月13日、大阪・阿倍野区民センター大会では、リングアナ・YULA欠場により、急きょリングアナを担当。 2013年8月24日、REINA女子プロレス東部フレンドホール大会で初めて外部団体でのリングアナウンスを担当。
里 隆文(さと たかふみ、1982年1月18日 - )は、日… 里 隆文(さと たかふみ、1982年1月18日 - )は、日本の野球指導者。元埼玉西武ライオンズスタッフ(2018年まではコーチ)。 2008年からBCリーグ・群馬ダイヤモンドペガサスのトレーナーに就任したのち、2010年から同球団のコンディショニングコーチに就任。 2012年からはNPB・埼玉西武ライオンズの二軍トレーニングコーチに就任、2017年から一軍トレーニングコーチに配置転換された。2019年からはトレーニングコーチはS&C(ストレングス&コンディショニング)スタッフという枠組みに変わり、里は二軍の担当スタッフとして引き続き西武に在籍していた。 2022年より独立し、フリーのストレングス&コンディショニングコーチとしてプロやアマチュアの指導をする傍ら、フィットネスジムの運営も手掛ける。
山之内 毅(やまのうち つよし、1981年12月16日 - … 山之内 毅(やまのうち つよし、1981年12月16日 - )は、日本の元政治家、神職。衆議院議員(1期)、日本維新の会鹿児島県総支部代表などを務めた。 鹿児島県鹿児島市出身。姶良市蒲生町に鎮座する、蒲生八幡神社の家系に生まれる。1994年に西伊敷小学校、1997年に緑丘中学校、2000年に鹿児島玉龍高校、2004年に青山学院大学法学部をそれぞれ卒業。2004年から株式会社山善に勤務した後、家業である蒲生八幡神社を継ぐため鹿児島に帰り、2006年から蒲生八幡神社・禰宜、山之内司法書士事務所勤務。 2012年3月に維新政治塾に入塾し(1期生)、政治家の道を志す。2012年12月、第46回衆議院議員総選挙で日本維新の会公認で鹿児島1区から出馬、比例九州ブロックで比例復活し、初当選。
豊永 稔(とよなが みのる、1978年6月12日 - )は、… 豊永 稔(とよなが みのる、1978年6月12日 - )は、日本の元男性プロレスラー、総合格闘家。現レフェリー。鹿児島県鹿児島市出身。 現役を引退後はK-1・PRIDE・HERO'S・DREAM・SRCを始め、総合格闘技、キックボクシング等様々な団体でレフェリーを務めている。 1997年6月、キングダムに入門。11月3日、松井駿介(現・松井大二郎)戦(後楽園ホール)でプロレスデビュー。1998年、高田延彦の主宰する髙田道場の立ち上げに参加し高田道場所属として総合格闘技デビュー。高田道場所属時からフリーになってからは桜庭和志のセコンドやスパーリングパートナーも務めた。 1999年、パンクラスのネオブラッド・トーナメントに出場し、決勝に進出。
加藤 久仁生(かとう くにお、1977年4月24日 - )は… 加藤 久仁生(かとう くにお、1977年4月24日 - )は、日本のアニメーション作家。鹿児島県鹿児島市出身。 鹿児島市立桜丘東小学校、鹿児島市立桜丘中学校、鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校、多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業。大学在学中に制作したアニメーション作品で国内の賞を獲得。 大学を卒業後、2001年に映像制作会社の「ROBOT」に入社する。ROBOTではキャラクター・アニメーション部アニメーションスタジオケージに所属し、テレビ番組、Webアニメーション、スポットCMなどのアニメーション作品を手がけた。 2008年、加藤が監督した『つみきのいえ』が世界最高峰のアヌシー国際アニメーション映画祭で、短編作品に与えられるアヌシー・クリスタル賞(最高賞グランプリ)を獲得。
西 眞一(にし しんいち、1973年2月17日 - )は、鹿… 西 眞一(にし しんいち、1973年2月17日 - )は、鹿児島県姶良町(現:姶良市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード。愛称はキング。 1990年、鹿児島市立鹿児島玉龍高校3年次に国民体育大会に鹿児島県選抜チームの一員として参加し、3位入賞。高校卒業後は鹿児島経済大学(現在の鹿児島国際大学)経済学部経済学科に進学。九州大学サッカーリーグ2部でプレーし、3年次にはチームを1部昇格に導いたほか、九州大学選抜にも選ばれた。 大学卒業後は1995年より姶良町役場に務めながら、九州サッカーリーグ所属の鹿児島サッカー教員団(後にヴォルカ鹿児島に改称)に参加してアマチュア選手として活動した。
東野 純直(あずまの すみただ、1971年〈昭和46年〉8月… 東野 純直(あずまの すみただ、1971年〈昭和46年〉8月25日 - )は、日本のシンガーソングライター、プロデューサー、ラーメン通販店経営者。血液型A型。鹿児島県出身。 1971年(昭和46年)8月25日に生誕。19歳で福岡に進学し、当時21歳だった福岡在住の安部潤に初めて曲をアレンジしてもらい雷で頭を撃ち抜かれたような衝撃を受け、福岡で音楽活動を行う。1992年(平成4年)10月には、第1回MusicQuest'92世界大会で審査員特別賞を受賞。 安部潤とほぼ同時に上京し、1993年(平成5年)4月1日、テイチクレコードより「君とピアノと」で、期待の新人アーティストと鳴り物入りでデビュー。
鬼塚 忠(おにつか ただし、1965年 - )は鹿児島県鹿児… 鬼塚 忠(おにつか ただし、1965年 - )は鹿児島県鹿児島市出身の作家。株式会社アップルシード・エージェンシー代表取締役。 鹿児島市生まれ。鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校、鹿児島大学水産学部海洋社会学科卒業。 大学1年次から、授業そっちのけで世界各地でバックパッカーの旅をはじめた。大学2年次には、旅をしていた韓国で大規模な民主化デモが始まり、たまたまそこに滞在していた鬼塚も、催涙弾と石礫、火炎瓶の飛び交うデモに巻き込まれ、九死に一生を得た。「自分たちの手で自分たちの社会を変えてやろうという熱い意気込みを感じた」と言う。 大学在学中、2年間、イギリスへ語学留学。世界中から集まる同年代の若者たちに触れ、刺激を受けた。
重田 千穂子(しげた ちほこ、1957年6月12日 - )は… 重田 千穂子(しげた ちほこ、1957年6月12日 - )は、日本の女優・声優。鹿児島県出身。オフィスPSC所属。愛称は、チーボー。 以前はイイジマルーム、テアトル・エコーに所属していた。鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校、日本電子工学院(現・日本工学院専門学校)演劇科卒業。 高校卒業後、杉村春子に憧れて役者を志して上京。 劇団への入団が叶わない中、偶然、テアトル・エコーと縁があって入団(1978年のことであった)。1980年、団員に昇格。所属時より外部出演も多数こなしていた。 1984年の『ライオンのいただきます』内での「いただきます劇場」にヒロシ&チーボー(ヒロシは伊沢弘)名義でレギュラー出演。 1995年からは『コメディーお江戸でござる』、2004年からは『コメディー道中でござる』にレギュラー出演(おもにお重名義)。
増元 照明(ますもと てるあき、1955年(昭和30年)10… 増元 照明(ますもと てるあき、1955年(昭和30年)10月5日 - )は、日本の政治活動家。北朝鮮による拉致被害者である増元るみ子の実弟。政治団体「照明会」代表。北朝鮮による拉致被害者家族連絡会事務局長を歴任。 鹿児島県鹿児島市池之上町出身。父の増元正一は営林署勤めで、屋久島のスギを搬送する仕事に就いていた。四人兄弟(二男二女)の次男で末っ子。1974年(昭和49年)3月に鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校を卒業、「南の生まれだから、雪の中で暮らしてみたい」と同年4月、北海道大学水産類に入学した。 幼いときから照明は厳格な父親に叱られ、殴られることも多かったが、2歳年上の姉るみ子(次女、4人兄弟の3番目)はよく照明を庇い、ときには一緒に泣いてくれる、優しくて憧れの姉であった。
花増 幸二(はなます こうじ、1955年5月29日 - )は… 花増 幸二(はなます こうじ、1955年5月29日 - )は、鹿児島県川内市(現:薩摩川内市)出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。 鹿児島玉龍高校では1年次の1971年、夏の甲子園に吉重敏信(早大)の控え投手として出場。準々決勝で桐蔭学園に完封負けを喫し、自身の登板機会は無かった。3年次の1973年には夏の県大会で準決勝に進出するが、鹿児島商に敗退。 高校卒業後は1974年に鹿児島大学へ進学し、九州地区大学野球選手権大会では2年次の1975年に優勝。体育の教員免許を取得するも、4年次の1977年オフにドラフト外で日本ハムファイターズへ入団。国立大学出身選手ということで話題となるが、一軍登板が無いまま1980年限りで現役を引退。
久保 千春(くぼ ちはる、男性、1948年3月9日 - )は… 久保 千春(くぼ ちはる、男性、1948年3月9日 - )は、日本の内科医(心療内科学)、心身医学者。医学博士。第23代九州大学総長。日本心療内科学会理事長。 鹿児島県出身。鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校卒業後、1966年に九州大学医学部へ入学。中村哲とは大学で同級。中村がアフガニスタンで凶弾に倒れた際には弔辞を読んだ。 鹿児島玉龍高等学校3年の時に慢性腎炎を患い、2ヶ月半の療養生活を送る。それがきっかけで腎臓病の解明と治療法の研究をするべく医師を志した。腎炎自体は大学入学後の食事療法と運動制限などの効果もあって、大学3年次には症状は好転したという。 大学5年次の臨床講義で池見酉次郎(九州大学精神身体医学研究施設教授)の心身医学講義を受講したことにより、心療内科医を志望することを決める。
山口 俊郎(やまぐち としろう、1946年(昭和21年)5月… 山口 俊郎(やまぐち としろう、1946年(昭和21年)5月21日 - )は、日本の実業家。第5代セブン-イレブン・ジャパン代表取締役社長や、日本フランチャイズチェーン協会副会長を務める。 鹿児島県出身。鹿児島玉龍高等学校を経て、1970年中央大学商学部卒業、東京精密入社。1977年ヨークセブン(現セブン-イレブン・ジャパン)入社。1985年オペレーション本部ゾーンマネジャー。1990年取締役に昇格。2002年から代表取締役社長を務めた。2005年日本フランチャイズチェーン協会副会長。2009年セブン-イレブン・ジャパン顧問。
有川 節夫(ありかわ せつお、1941年4月 - )は、日本… 有川 節夫(ありかわ せつお、1941年4月 - )は、日本の情報科学者、第22代九州大学総長。第8代放送大学学園理事長。 鹿児島市出身。1960年鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校卒、1964年九州大学理学部数学科卒、1966年九州大学大学院理学研究科修士課程修了、九州大学理学部助手。1969年九州大学より理学博士の学位を取得、学位論文の題は 「Elementary formal systems and formal languages-simple formal systems(基本形式的体系と形式的言語-単純形式的体系)」。 京都大学数理解析研究所助手を経て、1970年九州大学理学部附属基礎情報学研究施設講師、1973年助教授、1985年教授、1996年九州大学システム情報科学研究院教授、九州大学評議員、1998年附属図書館長、2002年副学長、2005年定年となり特任教授、附属図書館長、2006年国立情報学研究所客員教授、2008年4月から2014年3月まで九州大学総長。
尾辻 秀久(おつじ ひでひさ、1940年10月2日 - )は… 尾辻 秀久(おつじ ひでひさ、1940年10月2日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(5期)、みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会会長。
永山 在紀(ながやま ありのり、1940年5月3日 - )は… 永山 在紀(ながやま ありのり、1940年5月3日 - )は、日本の実業家。南国殖産代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長・グループCEO。元鹿児島県経営者協会会長。長崎自動車取締役、宮崎ガス取締役、日本ガス取締役、南日本銀行監査役。 鹿児島県鹿児島市出身。1959年鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校卒業。1965年一橋大学経済学部卒業。一橋大学ア式蹴球部出身。同年積水化学工業入社。1993年積水化学工業東京支店長。 1996年南国殖産取締役企画部長。1997年南国殖産常務取締役。1998年南九州サンクス代表取締役社長。2000年鹿児島県労働委員会委員。2004年から南国殖産代表取締役社長を務め、鹿児島市の景観まちづくり賞を受賞した南国センタービルの開発などを進めた。
草野 大悟(くさの だいご、1939年〈昭和14年〉9月7日… 草野 大悟(くさの だいご、1939年〈昭和14年〉9月7日 - 1991年〈平成3年〉2月27日)は、日本の俳優。台湾・台中市出身。妻は元女優の田島和子。 鹿児島県で幼少期を過ごし、1958年に明治大学に入学するが、すぐに中退した。 1961年、文学座附属演劇研究所に入所する。同期に岸田森、樹木希林、小川真由美、寺田農、橋爪功、北村総一朗らがいた。翌年に準座員として文学座に入団、1966年に座員へと昇格する。文学座の看板・杉村春子にも可愛がられたという。1963年に文学座の内紛に発展した『喜びの琴』では主役に抜擢されていたとされる。1967年に文学座を退団し、その前年に草野に先駆けて文学座を離れていた岸田らが結成していた「六月劇場」に参加、以降は映画・テレビドラマへの出演も多くなる。
長野 祐也(ながの すけなり、1939年6月27日 - 20… 長野 祐也(ながの すけなり、1939年6月27日 - 2018年6月25日)は、日本の政治家・政治評論家。鹿児島県議会議員、衆議院議員(3期)。 鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島玉龍高等学校第9回卒、同級生には元厚生労働大臣の尾辻秀久がいる。高校時代は弁論部で活動し、1957年10月に広島大学主催の全国高校弁論大会に出場、演題「高校生の使命に思う」で優勝。1963年、中央大学法学部政治学科卒業。 田中茂穂参議院議員秘書や鹿児島県議会議員、新自由クラブ鹿児島県連代表を経て、1980年第36回衆議院議員総選挙では鹿児島1区において自由民主党公認・中曽根派所属の新人候補として初当選、以降3期連続で務める。
加治屋 義人(かじや よしと、1938年4月22日 - 20… 加治屋 義人(かじや よしと、1938年4月22日 - 2018年11月12日)は、日本の政治家。 自由民主党所属の参議院議員(2期)、宏池会副会長、農林水産副大臣(第2次安倍内閣)、農林水産大臣政務官(第2次小泉改造内閣)鹿児島県議会議員(3期)、鹿児島市議会議員(4期)などを歴任。 鹿児島県鹿児島市吉野町出身。1957年鹿児島県玉龍高等学校(現・鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校)卒業。高校では野球部に所属し、春の甲子園大会に出場。 1963年、参議院議員・谷口慶吉の秘書となる。1976年、鹿児島市議会議員選挙に立候補し初当選、以降4期務めた。1991年、鹿児島県議会議員選挙に自民党公認で鹿児島市選挙区より出馬し初当選。
五代 友和(ごだい ともかず、1938年 - )は、鹿児島県… 五代 友和(ごだい ともかず、1938年 - )は、鹿児島県出身の元アマチュア野球選手(投手)。 鹿児島玉龍高校では、エースとして1956年春の選抜に出場。2回戦(初戦)で県岐阜商の田中和男に完封を喫する。同年夏は県予選を勝ち抜き東九州大会に進むが、1回戦でエース三浦清弘を擁する別府鶴見丘高に完封負け。 立教大学へ進学。東京六大学野球リーグでは在学中5回優勝、全日本大学野球選手権大会2回優勝。1957年には春秋季連続優勝を経験。長嶋茂雄、杉浦忠らが卒業した1958年も森滝義巳とともに投手陣を支え、リーグ四連覇を果たす。1959年秋季リーグでも早大との優勝決定戦で森滝をリリーフし優勝を飾った。同年の第3回アジア野球選手権大会日本代表に選出され、日本の優勝に貢献。
郷 正文(ごう まさぶみ、1937年4月5日 - )は、現代… 郷 正文(ごう まさぶみ、1937年4月5日 - )は、現代ドイツ文学研究者。立教大学名誉教授。 中国・瀋陽市(旧満洲国 ・奉天市)に生まれる。吉林市、大連市に移住ののち、1947年鹿児島県出水市に引き揚げる。出水高等学校に入学して、鹿児島玉龍高等学校卒業。1957年東京大学教養学部入学。1962年東京大学文学部ドイツ文学科卒業。1962年東京都職員。1965年新潟大学人文学部助手に着任し、講師を経て、立教大学講師に転任して、助教授、教授を歴任。2003年定年退職。名誉教授。 ハンス・エーリヒ・ノサック、フランツ・カフカ、ペーター・ハントケに関する論文を「新潟大学人文科学研究」「立教大学ドイツ文学科論集『アスペクト』」「立教大学『研究報告〈人文科学〉』」に執筆する。
三ツ井 康(みつい やすし、1937年(昭和12年)1月7日… 三ツ井 康(みつい やすし、1937年(昭和12年)1月7日 - 2021年(令和3年)5月3日)は、日本の実業家。フジテレビ副社長、共同テレビジョン社長、扶桑社社長などを歴任した。鹿児島県鹿児島市出身。 鹿児島市長を1期務めた三ッ井卯三男の長男として生まれる。 鹿児島県玉龍高等学校、一橋大学社会学部を卒業。森園幸男(人事院事務総長)、森元順司(光文社常務)は、高校の同級生。 1960年4月、フジテレビに入社。1988年4月、取締役に選任され、のち常務。1980年代、編成局の主要ポストを歴任し、フジの全盛期を支え、1981年初頭には、「楽しくなければテレビじゃない」のキャッチフレーズを案出し、開局当初の「母と子のフジテレビ」にとって替わる大ヒット作品となった。
野呂 圭介(のろ けいすけ、本名:板元 義典、1933年4月… 野呂 圭介(のろ けいすけ、本名:板元 義典、1933年4月3日 - )は、日本の俳優・タレント・ローカルタレント・陶芸家。鹿児島県鹿児島市出身。 鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校卒業。 俳優を志して上京し、1958年に『踏みはずした春』(日活)でデビュー以後、脇役として日活のスクリーンで活躍した。 邦画産業が斜陽化した1969年以降、僚友の宍戸錠と共に、テレビ番組『元祖どっきりカメラ』(NTV系)に転出。長髪にGパン、デニムベストのヒッピー風スタイルで赤ヘルを被り、ストーリーの最後に「どっきりカメラ NTV」と書かれたプラカードを掲げて現れては、だまされた相手が怒って逆襲し殴られる役(赤ヘルはこの目的)で、19年間にわたって人気を博す。
稲盛 和夫(いなもり かずお、1932年〈昭和7年〉1月21… 稲盛 和夫(いなもり かずお、1932年〈昭和7年〉1月21日 - 2022年〈令和4年〉8月24日)は、日本の実業家、技術者。京セラや第二電電(現・KDDI)の創業者であり、京セラ社長・名誉会長を歴任した他、後年には経営破綻した日本航空の会長に就任し、同社の経営再建を担った(後に日本航空名誉会長)。公益財団法人稲盛財団理事長。「盛和塾」塾長。 妻の朝子は、禹長春の四女である。 1932年(昭和7年)、鹿児島県鹿児島市薬師町に7人兄弟の次男として生まれる。父の畩市は「稲盛調進堂」という名で印刷工場を経営していた。西田尋常高等小学校(現在の鹿児島市立西田小学校)を卒業し、私立鹿児島中学校(旧制、現在の鹿児島高等学校)へ進む。
芳 即正(かんばし のりまさ、1915年10月26日 - 2… 芳 即正(かんばし のりまさ、1915年10月26日 - 2012年1月13日)は、日本の歴史学者。鹿児島県立図書館館長、鹿児島県立短期大学教授、鹿児島純心女子短期大学教授、尚古集成館館長等を歴任した。 鹿児島県鹿児島市生まれ、本籍大分県宇佐市(父が明治末~大正初期頃に鹿児島県に移住)。小学校から旧制中学1年まで大分県日田市の祖父母に預けられて育つ。旧制大分県立日田中学校(現大分県立日田高等学校)入学。2年生のときに鹿児島へ戻ることになり、当時新たに開校する私立の旧制鹿児島中学校(現鹿児島高等学校)が第2学年の募集もしていたため編入学。鹿児島中学校から進学して、1935年旧制第七高等学校造士館文科卒業。
島津 治子(しまづ はるこ、1878年〈明治11年〉7月7日… 島津 治子(しまづ はるこ、1878年〈明治11年〉7月7日 - 1970年〈昭和45年〉2月14日)は、男爵島津長丸(旧宮之城領主)の夫人。男爵島津珍彦(旧重富領主)の娘で、母は島津斉彬の四女・典子。正五位勲四等。不敬罪に問われ検挙された。 明治22年(1889年)華族女学校に入学し、同28年(1895年)卒業。翌年島津久治の遺児・長丸と結婚し、2男4女を産む。夫長丸は教育熱心で、特に女子教育の必要を痛感し、同29年(1896年)鹿児島市平ノ馬場町に私立鶴嶺女学校(現・鹿児島市立鹿児島玉龍中学校・鹿児島玉龍高等学校の前身校のひとつ)を創立した(校長・島津サエ子)。同40年(1907年)治子は同校第3代校長に就任し、経営不振に陥っていた同校の立て直しのため一大改革に着手し、薩摩古来の美風を尊重した良妻賢母の女子教育を推進し、入学者も増加して発展を遂げ、鹿児島の私立学校の先駆的な役割を果たした。
島津 長丸(しまづ ながまる、1871年10月31日〈明治4… 島津 長丸(しまづ ながまる、1871年10月31日〈明治4年9月18日〉 - 1927年〈昭和2年〉2月1日)は、明治から大正にかけての華族(男爵)。島津氏一門・宮之城家16代当主。島津久治の長男。貴族院議員を務めた。 1871年(明治4年)、宮之城家第15代当主島津久治(島津図書)の長男として鹿児島に生まれる。生後間もない1872年(明治5年)1月に父が急逝したため、同年1月10日に家督を継ぐ。大龍小学校を経て、1895年(明治28年)7月、鹿児島高等中学造士館予科卒業。1896年(明治29年)鹿児島高等中学造士館廃止のため高等中学造士館本科から学習院へ転学。 1896年(明治29年)、鹿児島市平ノ馬場町に私立鶴嶺女学校を創立した。
坂口 香津美(さかぐち かつみ)は、日本の映画監督。 鹿児島… 坂口 香津美(さかぐち かつみ)は、日本の映画監督。 鹿児島県種子島の南種子町出身。鹿児島市立玉龍高等学校から、早稲田大学社会科学部に進学、のち中退。大学中退後は様々な職業を遍歴、1985年からテレビのフリーのディレクターとしてドキュメンタリー番組等の企画演出を行う。若者や家族をテーマに、これまでに200本以上のテレビドキュメンタリー番組を制作している。2000年、プロデューサーの落合篤子と映像製作会社スーパーサウルスを設立(以降、全作品を共同制作)。 2000年、最愛の妹を喪い、閉ざされた世界に生きるひきこもりの青年の自立への芽生えを描いた『青の塔』で映画監督デビュー。2003年、加害少年の罪との出会いを見つめた『カタルシス』を監督。
塩向 剛二郎(しおむき ごうじろう)は、日本のラグビー指導者… 塩向 剛二郎(しおむき ごうじろう)は、日本のラグビー指導者。現在加治木工業高校ラグビー部の監督を務めている。 鹿児島玉龍高校、鹿屋体育大学を経て、鹿児島玉龍高校・薩摩中央高校のラグビー部監督を歴任して、2022年、加治木工業高校ラグビー部の監督に就任。 2022年、監督として第102回全国高等学校ラグビーフットボール大会にて花園44年振りの出場に貢献。
蒲牟田 卓(かまむた すぐる)は、日本のラグビーレフリー(審… 蒲牟田 卓(かまむた すぐる)は、日本のラグビーレフリー(審判員)。 高校からラグビーを始めた。 鹿児島玉龍高校、鹿児島大学を経て、レフリーになる。 2021年、東京五輪ラグビー競技のアシスタントレフリーを務めた。同年10月、日本協会A級公認レフリーに選ばれた。