スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
永井 知佳(ながい ともか、2002年11月24日 - )は… 永井 知佳(ながい ともか、2002年11月24日 - )は、日本の女子バレーボール選手である。 敬愛学園高等学校時代は第73回春高バレーで3回戦に進出した。 敬愛大学国際学部に進学。4年生ではキャプテンを務め、春季関東2部リーグで敢闘選手賞を受賞、秋季リーグでは1部昇格に貢献した。同年12月、SVリーグ所属の岡山シーガルズへの内定が発表された。12月25日に選手登録が行われ、28日の2024-25シーズン第10節のPFUブルーキャッツ石川かほく戦でSVリーグデビューを果たした。
佐藤 淑乃(さとう よしの、2001年11月12日 - )は… 佐藤 淑乃(さとう よしの、2001年11月12日 - )は、日本の女子バレーボール選手。 千葉市立松ケ丘中学校、敬愛学園高等学校を経て筑波大学に進学。2年次の2021年に秋季関東リーグ、4年次の2023年に春季、秋季関東リーグ、全日本インカレ優勝。 2022年、大学3年のときに日本代表登録メンバーに選出された。2022年ネーションズリーグのメンバーにも選出され、予選ラウンド初戦の韓国戦でスタメン出場を果たした。予選ラウンド第2週のフィリピンラウンドではリリーフサーバーとして、スピードを活かしたサーブでチームにプラスのエネルギーをもたらした。ファイナルラウンドのメンバー14人にも招集され、準々決勝で、東京オリンピック銀メダルのブラジルに敗れはしたが、9得点を取る活躍をした。
刈込 奈那(かりこみ なな、2000年12月13日 - )は… 刈込 奈那(かりこみ なな、2000年12月13日 - )は、千葉県出身の女子競輪選手。日本競輪選手会千葉支部所属、ホームバンクは千葉競輪場。日本競輪選手養成所第120期生。師匠は江本博明(90期)。 中学時代はバレーボールに打ち込み、敬愛学園高校進学後に自転車競技を始めた。2018年インターハイ女子ケイリン10位、女子個人ロードレース3位となるなど実績を残した。 2020年1月16日、日本競輪選手養成所第120回技能試験に合格。養成所競走成績は21位(1勝)。 2021年5月1日、静岡競輪場でデビューし7着。初勝利は2022年2月21日、平塚FII最終日一般戦。 2023年10月4日、松戸FII(第1回オールガールズクラシックでのアンダーカード)で初優勝。
佐藤 彩乃(さとう あやの、1999年11月4日 - )は、… 佐藤 彩乃(さとう あやの、1999年11月4日 - )は、日本の女子バレーボール選手である。 千葉県千葉市出身。母がソフトバレーをしていた影響で小学3年生からバレーボールを始める。 敬愛学園高等学校、青山学院大学を経て、2021/22シーズン、V.LEAGUE DIVISION1 WOMEN(V1女子)に所属するKUROBEアクアフェアリーズの内定選手となった。内定選手としてV1女子の試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。 2022年、大学卒業後に、KUROBEアクアフェアリーズに入団した。 2024年4月、KUROBEからの退団が発表された。6月にクインシーズ刈谷への入団が発表された。
志摩 美古都(しま みこと、1999年1月18日 - )は、… 志摩 美古都(しま みこと、1999年1月18日 - )は、日本の女子バレーボール選手である。 長野県佐久市出身。小学校1年生のころに、兄の友人から誘われたことをきっかけにバレーボールを始める。地元の中学校に進学し、バレーボール部に入部。部員が少なかったことから家庭科部の生徒に一時的にバレー部に入部をしてもらうことで試合に出場するような状態であったが、家庭科部の生徒のセンスが良かったこともあり、県大会まで出場。 中学3年生の時にJOCの選抜に選ばれたことでバレーボールを本気でやってみたいと考えるようになる。敬愛学園高等学校が長野県に合宿に来ていたこと、中学の監督の教え子が同校で監督をやっていたことなどの縁から、敬愛学園高等学校に進学。
川上 雛菜(かわかみ ひな、1998年5月25日 - )は、… 川上 雛菜(かわかみ ひな、1998年5月25日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 千葉県船橋市出身。幼なじみの影響で中学1年生からバレーボールを始める。 敬愛学園高等学校を経て筑波大学に進学。大学2年時の2018年、東日本大学バレーボール選手権大会と全日本インカレで優勝。全日本インカレは2019年にも優勝し連覇を達成した。 2020/21シーズン、V.LEAGUE DIVISION1 WOMEN(V1女子)に所属するNECレッドロケッツの内定選手となった。内定選手としてV1の試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。 2021年、大学卒業後に、NECレッドロケッツに入団した。 2024年3月11日、2023-24シーズン終了をもって現役引退すると発表された。
中村 安里(なかむら あんり、1997年3月2日 - )は、… 中村 安里(なかむら あんり、1997年3月2日 - )は、日本の女子バレーボール選手。 千葉県長生郡出身。3人姉弟の長女。中学1年生のとき、知り合いがバレーボールをしていたことをきっかけにバレーボールを始めた。 2018年12月、日立リヴァーレ(現・Astemoリヴァーレ茨城)へ入団。入団してからは、怪我などもありなかなか試合に出れなかった。 2021年3月7日、栃木県のブレックスアリーナ宇都宮で行われたV1女子 V Cup予選ラウンド(東レアローズ戦)で初めてスタメン出場を果たした。その日の記者会見で、自身のプレーについて、ブロードと移動攻撃が強みだと思うのでラリー中でも自身に託してもらえるようになりたいと話した。
太我(たいが、1995年〈平成7年〉4月20日 - )は、日… 太我(たいが、1995年〈平成7年〉4月20日 - )は、日本のドラマー、作曲家、YouTuber。Non Stop Rabbitの元メンバー及び神が残した夢を喰う。のメンバー。本名は松村太我。血液型はB型。 2016年8月27日にメンバーとして所属していたロックバンドORANGE BANK LEADの解散後、11月1日に田口達也、矢野晴人(現:はるくん)と共にロックバンドNon Stop Rabbitを結成し、2018年7月4日にStudio Cubic Recordsから1stフルアルバム『全A面』をリリースしてインディーズデビューをすると、2020年12月9日にはポニーキャニオンからフルアルバム『爆誕 -BAKUTAN-』をリリースしてメジャーデビュー果たすも、2023年4月19日に解散を発表した。
楠元 秀真(くすもと しゅうま、1992年9月12日 - )… 楠元 秀真(くすもと しゅうま、1992年9月12日 - )は、千葉県出身のプロサッカー選手。ポジションは、ディフェンダー(DF)。 敬愛学園高校を経て、進学した産業能率大学では主将を務めた。在学中の2014年7月、横浜FCの特別指定選手に承認され、選手登録された。 2015年より、横浜FCへ正式に加入。同年4月19日のJ2第8節V・ファーレン長崎戦でJリーグ初出場し、同試合で初ゴールを挙げた。 2016年5月、入籍したことが発表された。 2017年12月に行われたJリーグ合同トライアウトに出場した後、同年12月27日にカターレ富山に完全移籍したことが発表された。2018年11月、契約満了により退団。
高田 健吾(たかた けんご、1989年8月24日 - )は、… 高田 健吾(たかた けんご、1989年8月24日 - )は、広島県出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー(DF)。
加賀美 早紀(かがみ さき、1985年2月26日 - )は、… 加賀美 早紀(かがみ さき、1985年2月26日 - )は、日本の女優、モデルである。千葉県出身。2025年現在はプラチナムプロダクションに所属している。 2001年、飯島愛の自伝『プラトニック・セックス』の映画化主演女優オーディションで、12083人の中から選ばれデビュー。日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した。これほどの話題作での演技経験なしの新人の起用は異例であり、話題を呼んだ。 2008年放映の『仮面ライダーキバ』では、過去編の主人公・紅音也 (キング) / 仮面ライダーダークキバと恋仲になる役柄を演じた。当初、過去編のみでの出演だったが、人気を博し現在編でも出演する事に脚本が変わった。2025年現在でも海外からのファンが多い。
浅間 敬太(あさま けいた、1984年8月19日 - )は、… 浅間 敬太(あさま けいた、1984年8月19日 - )は、千葉県千葉市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 小学校時代は愛知県名古屋市で過ごす。千葉市立みつわ台中学校を卒業後、敬愛学園高等学校に入学。2年秋に関東大会出場も1回戦でサヨナラ負け、3年夏はベスト8。 2002年のドラフト会議で、地元でありファンでもあった千葉ロッテマリーンズに3巡目で指名を受け、相思相愛の形で入団。 2003年7月19日にプロ初登板。一軍公式戦初先発となった7月23日の対近鉄戦では1、2番連続四球の後、3番・タフィ・ローズに被弾するなど、結局23球・1/3投球回を投げ2被安打3与四死球3失点とほろ苦デビューとなった(チームは打線の粘りによって引き分けた)。
高木 貴弘(たかぎ たかひろ、1982年7月1日 - )は、… 高木 貴弘(たかぎ たかひろ、1982年7月1日 - )は、石川県金沢市出身の元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。 1998年、千葉の敬愛学園高校に進学と同時にジェフユナイテッド市原ユースに入団。2001年にトップチームへの昇格を果たしたが、出場機会に恵まれず、出場機会を求めて2003年10月にザスパ草津に期限付き移籍。 2004年には市原に復帰せず川島永嗣が抜けた大宮アルディージャに完全移籍するも、荒谷弘樹の前に出場機会を掴めず2006年は再び草津に期限付き移籍。およそ2年半ぶりの復帰となる草津では正GKの座を獲得し、J2リーグ戦全48試合すべてにフルタイム出場した。 草津への期限付き移籍期間が満了した2007年は、大宮からコンサドーレ札幌に期限付き移籍。
五十嵐 亮太(いがらし りょうた、1979年5月28日 - … 五十嵐 亮太(いがらし りょうた、1979年5月28日 - )は、北海道留萌市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、野球解説者、タレント、YouTuber。現在の所属事業所はサニーサイドアップ。 投手としてNPB(ヤクルトスワローズ、福岡ソフトバンクホークス)では4度のリーグ優勝、5度の日本シリーズ優勝に貢献。ニューヨーク・ヤンキースでは1度の地区優勝を経験。個人ではNPBで合計1個のタイトルを獲得している。 夕張市出身で北海道夕張南高等学校のアルペンスキー国体選手だった父親と、留萌市出身の母親との間に留萌市で生まれ、札幌市で育つ。小学4年時に千葉県へ転校。母親は、ヤクルトOBで監督も務めた若松勉と留萌中学校の同窓であった。
原 裕晃(はら ひろあき、1978年6月4日 - )は、山口… 原 裕晃(はら ひろあき、1978年6月4日 - )は、山口県出身のサッカー選手。ポジションはGK。 2001年、当時JFL所属の栃木SCに入団。入団初年度から正GKとして活躍し、2002年以外はほぼ休みなしで栃木のゴールマウスを守った。しかし2007年シーズン終了後、「従来のプロ・アマ混合からオールプロ化への移行」というチーム方針により栃木を退団。 2008年に当時北信越1部所属の松本山雅FCに移籍。ここでも正GKとして活躍してチームのJFL昇格に貢献。さらに、2009年10月11日に行われた第89回天皇杯2回戦ではJ1浦和の猛攻を身を挺して最後まで凌ぎ2-0で勝利し、「ジャイアント・キリング」に貢献した。
福島 大輔(ふくしま だいすけ、1977年9月20日 - )… 福島 大輔(ふくしま だいすけ、1977年9月20日 - )は、日本の馬術選手。STAR HORSES代表。千葉県出身。敬愛学園高等学校、明治大学卒業。 父・福島勇が経営する佐倉ライディングクラブで10歳から馬術を始める。高校2年生で全日本障害飛越選手権で最年少記録(17歳)で優勝。高校3年の全日本ヤングライダー障害飛越選手権でも優勝。高校1年から3年まで国民体育大会3連覇。その後、フランスに短期留学する。 明治大学進学後は馬術部に所属し、全日本学生馬術大会の個人・団体優勝をはじめ世界学生馬術選手権大会で個人総合優勝を果たすなど、国内外で数々のタイトルを獲得。明治大学卒業後は日本中央競馬会に勤務するかたわら、ベルギーで修業を積む。
立嶋 篤史(たてしま あつし、1971年12月28日 - )… 立嶋 篤史(たてしま あつし、1971年12月28日 - )は、日本の男性キックボクサー、キックボクシングジム『ASSHI-PROJECT』主宰(経営者)。東京都豊島区出身。元全日本フェザー級王者。 1990年代前半に活躍。1993年にはライバル前田憲作にKO勝利するなど「立嶋ブーム」を巻き起こした。日本キックボクシング界最初の1千万円プレーヤーであり、カリスマと呼ばれた。 幼少の頃からいじめを受け、小学生の時に死を考えるも思いとどまり、中学2年生でキックボクシングと出会う。 習志野ジムに練習生扱いとして所属、中学卒業後単身タイに渡りムエタイの修業をする。1987年8月3日、非公式ながらタイのランシットスタジアムでデビューを果たした。
中山 孝一(なかやま こういち、1948年8月12日 - )… 中山 孝一(なかやま こういち、1948年8月12日 - )は、千葉県八千代市出身の元プロ野球選手(投手)。 千葉工商では3年次の1966年、夏の甲子園千葉大会で東金商をノーヒットノーランに抑え、続く東邦大付も7回コールドながらノーヒットノーランで降す。その後も2試合連続で完封勝利、習志野戦で失点するも41回連続無失点記録を達成。続く東関東大会準決勝で竜ヶ崎一高に敗退し、甲子園出場はならなかった。同年の一次ドラフト6位で阪神タイガースに指名されるも入団せず、卒業後の1967年にサッポロビールへ入社。1969年の都市対抗に出場し、同年のドラフト5位で南海ホークスに入団。 入団後は速球投手として期待され、1年目の1970年から先発として起用されるが、同年は1勝に終わる。
鏑木 悦純(かぶらき よしずみ、1944年6月3日 - )は… 鏑木 悦純(かぶらき よしずみ、1944年6月3日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(投手)。 千葉工商高校から富士鉄室蘭を経て、1963年に阪神タイガースへ入団。千葉県出身者からの入団は初めてで、1965年までは背番号51を着用していた。背番号を42に変更した1966年に、サンケイアトムズとの開幕カード第2戦(阪神甲子園球場)で一軍公式戦にデビュー。 練習熱心で、阪神時代には二軍のウエスタン・リーグ公式戦で活躍していたが、1970年のシーズン終了後に(NPBが「加盟全12球団の戦力の均等化」を目的にドラフト会議と同じ要領でこの年から開催していた)プロ野球選手選抜会議(トレード会議)の指名対象(1球団が保有する支配下登録選手の20%に当たる)選手リストへ掲載された。
田谷 鋭(たや えい、1917年12月15日 - 2013年… 田谷 鋭(たや えい、1917年12月15日 - 2013年11月6日)は、昭和から平成にかけての日本の歌人。国鉄マンの労働現場を詠んだ歌がよく知られ、歌風はつつましさ、はじらいを特徴とする。 千葉県千葉市寒川町生まれ。2歳で父を、7歳で母を結核で失い、4人の兄のうち3人をやはり結核で奪われる。貧苦の中、夜学の千葉関東商業学校(現敬愛学園高等学校)を卒業し、国鉄に勤務。 1934年(昭和9年)に北原白秋顧問、村野次郎主宰の「香蘭」に入会。1935年(昭和10年)、白秋が新たに創刊した「多磨」に移る。1939年(昭和14年)4月に応召、習志野陸軍病院に衛生兵として勤務。1942年(昭和17年)1月召集解除、国鉄に復帰。