スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
畠 世周(はたけ せいしゅう、1994年5月31日 - )は… 畠 世周(はたけ せいしゅう、1994年5月31日 - )は、広島県呉市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。阪神タイガース所属。 呉市立川尻中学校の軟式野球部から近大福山高等学校に進学した。入学時の球速は133km/hであったが、3年時には142km/hを計測するまで成長した。チームのエースを務めた3年次は広島県ベスト16の成績を残した。4回戦の広島新庄高等学校戦では後に巨人でチームメイトとなる田口麗斗(田口は当時2年生)と対戦。田口が先発で7回1安打無失点と好投したのに対し、リリーフした畠は2回を7失点と力を出せず、チームも0-12で敗退した。 近畿大学に進学し、大学通算46試合に登板、13勝13敗、防御率2.03、216奪三振を記録。
川端 龍(かわばた りょう、1989年11月29日 - )は… 川端 龍(かわばた りょう、1989年11月29日 - )は、日本の柔道家。大阪府豊中市出身。身長166cm。階級は60kg級。段位は三段。血液型はB型。得意技は足技と低い韓国背負い投げ。自身のYouTube上ではドンマイ川端名義で活動しており、篠原信一、野村忠宏、鈴木桂治、秋本啓之、大野将平、ウルフ・アロンなど五輪・世界大会優勝者と柔道関連の動画を中心に撮影して、柔道広報活動の一翼を担っている。 柔道は5歳の時に始めた。大阪の豊中十七中学から高校は広島県にある近大福山高校に進むと、2年の時にインターハイ60kg級で3位となった。2008年に国士舘大学に進学すると、2年の時には学生体重別で日体大2年の山本浩史を破って優勝した。
垣田 恭兵(かきた きょうへい、1988年2月2日 -… 垣田 恭兵(かきた きょうへい、1988年2月2日 - )は、兵庫県宍粟市出身の、日本の柔道選手である。階級は100 kg級。身長174 cm。得意技は背負投。組み手は左組み。現在は旭化成に所属。姉は52 kg級で活躍している垣田恵利。 柔道は4歳の時に一宮柔道教室で始めた。中学2年の時に1学年上の姉とともに地元の中学から強豪校の藍中学へ転向した。3年の時に全国中学校柔道大会の66kg級で3位に入った。近大福山高校2年の時にはインターハイ81kg級で3位になった。3年の時にはインターハイと全日本ジュニアで優勝した。さらにはアジアジュニアで52kg級の姉とともに姉弟優勝を飾った。近畿大学に入学すると、1年の時に全日本ジュニアで2連覇を達成するも、世界ジュニアでは3位にとどまった。
平岡 拓晃(ひらおか ひろあき、1985年2月6日 - )は… 平岡 拓晃(ひらおか ひろあき、1985年2月6日 - )は、日本の柔道家。広島県広島市出身。得意技は背負投、内股。血液型はO型。身長160cm。階級は60kg級。 廿日市市立阿品台中学校-近畿大学附属福山高校-筑波大学卒業。2016年3月まで了徳寺学園職員だった。 6歳の時、柔道経験のある父から柔道を教わる。 近畿大学附属福山高校3年生の2002年にインターハイ優勝。筑波大学へ進学。ベルギー国際大会優勝。 2004年、世界ジュニア選手権3位、講道館杯日本体重別選手権2位。2006年、グルジア国際大会2位、フランス国際大会2位、全日本選抜体重別選手権3位、講道館杯日本体重別選手権3位。2007年、グルジア国際大会優勝、全日本選抜体重別選手権3位、アジア選手権1回戦敗退、第24回ユニバーシアード競技大会2回戦敗退、嘉納杯東京国際大会優勝。
佐々木 伸次朗(ささき しんじろう、1980年4月10日 -… 佐々木 伸次朗(ささき しんじろう、1980年4月10日 -)は広島県出身の日本の柔道家。60kg級の選手。身長は159cm。組み手は右組み。 小学校1年の時にドラゴンボールの影響で空手に興味を持ち、空手衣を注文したにもかかわらず柔道衣が届いてしまったことから、羽原道場で柔道を始めることになった。城北中学から近大福山高校を経て、1999年には日本大学へ進学すると、3年の時に正力杯60kg級の決勝で東海大学の早見考道を破って優勝を飾った。4年の時には学生体重別決勝で天理大学の米富和郎に敗れて2位だった。 2003年には了徳寺学園の職員になると、講道館杯で3位になった。2004年の実業個人選手権では決勝でセコムの中野真太郎に敗れた。
中村 和裕(なかむら かずひろ、1979年2月21日 - )… 中村 和裕(なかむら かずひろ、1979年2月21日 - )は、日本の男性柔道家、総合格闘家。現在は大学教員。広島県福山市出身。柔道三段。近畿大学附属福山高等学校、国際武道大学卒業。元DEEPミドル級王者。 10歳の頃から柔道を始める。国際武道大学時代には柔道部で柏崎克彦に師事し、2000年には正力杯全日本学生体重別の100kg級で準優勝。大学卒業後には京葉ガス柔道部に所属し、2002年の全日本実業柔道個人選手権大会優勝、ドイツオープン柔道大会100kg級優勝などの実績を挙げる。100kg級では、井上康生、鈴木桂治らと肩を並べ、全日本強化選手入りを果たした。アマチュア時代には、柔道以外の格闘技に挑戦し、2001年にJTC総合格闘技大会で準優勝、全日本サンボ体重別大会で優勝している。
柳家 小八(やなぎや こはち、1977年1月26日 - )は… 柳家 小八(やなぎや こはち、1977年1月26日 - )は、広島県出身の落語家。落語協会所属の真打。出囃子は『外記猿』、紋は『変り羽団扇』。本名∶児玉 泰宏。妻は同じく落語家の弁財亭和泉。 近畿大学附属福山高等学校(現・近畿大学附属広島高等学校福山校)を卒業して東京農工大学工学部に進学。落語研究会に入部、落研の後輩に立川小春志がいる。 初めて落語を聴いたのは大学入学後に上京してからである。友人に誘われて落語研究会に入り、浅草演芸ホールの寄席が最初の落語。その時の出演者の一人が最初の師匠・柳家喜多八であった。その印象の強さから喜多八への弟子入りを志願し、寄席の楽屋で出待ちをするなどしたが、何度も断られる。
上口 孝太(うえぐち こうた、1976年6月16日 - )は… 上口 孝太(うえぐち こうた、1976年6月16日 - )は、神奈川県川崎市出身の日本の柔道家。現役時代は100kg超級の選手。195 cm。145 kg。得意技は払巻込。父は軽重量級で活躍していた上口孝文。 小学校の時は野球をやっていたが、向丘中学に入ると柔道と相撲を始めた。高校は近畿大学附属福山高校に進学すると、2年の時に金鷲旗で3位となった。大学は日大に進むと、2年の時には正力杯95kg超級で優勝を果たした。さらには無差別の学生選手権でも優勝を成し遂げた。しかし学生2冠を達成しながら、全日本ジュニアの決勝では東海大相模高校の井上康生に背負投で一本負けを喫して2位に終わった。その後の世界学生ではオール一本勝ちで優勝を飾った。
山本 旗六(やまもと きろく、1968年12月6日 - )は… 山本 旗六(やまもと きろく、1968年12月6日 - )は、広島県安芸郡出身の、日本の柔道選手である。階級は86kg級。身長177cm。 小学校2年の時に兄とともに野坂道場で柔道を始めた。 近代福山高校へ進むと、2年の時には同級生の三谷浩一郎や葉山充などとともに活躍して、高校選手権の団体戦で3位となった。3年の時には金鷲旗の決勝で世田谷学園高校と対戦すると両チームとも引き分けが続いて延長戦まで縺れ込むが、相手エースの石田輝也に山本が判定負けを喫して優勝はならなかった。続くインターハイ団体戦でも決勝で世田谷学園高校と対戦して山本をはじめ他の部員は引き分けるも、三谷が石田に合技で敗れたため1-0で2位に終わった。
三谷 浩一郎(みたに こういちろう、1968年11月18日 … 三谷 浩一郎(みたに こういちろう、1968年11月18日 - )は日本の柔道家(五段)。広島県出身。NEXCO東日本柔道部監督。2006年に近畿大学の監督に就任 広島県福山市の瀬戸内海に面した小さな町で、鉄工所を経営する家に生まれる。小学校1年次から町内の柔道場に通い始めるが、父が町内で野球のスタープレイヤーだった事もあり、幼少時代は柔道と野球の二足の草鞋を履いていた。11歳の時に父が他界してからも柔道より野球の方が熱心で、鞆中学校時代は補欠ながらも3年間野球部に籍を置いていた。 高校受験で近大福山を受けた際、面接で「柔道の黒帯を持っている」とハッタリをかまし合格。これにより超強豪柔道部での3年間が義務付けられ、その後の三谷の柔道人生が大きく変わる事となる。
岡田 展和(おかだ ひろかず、1968年1月21日 - )は… 岡田 展和(おかだ ひろかず、1968年1月21日 - )は、広島県三原市出身の元プロ野球選手(投手)。 近大福山高では1年生の時、1983年秋季県大会決勝で先発を任され、本原正治、定詰雅彦のバッテリーを擁する広陵高を降す。中国大会では準決勝で宇部商を完封。決勝は出場なく多々良学園に敗れるが、翌1984年春の選抜への出場を決めた。選抜では1回戦で岩倉高の山口重幸と投げ合うが敗退。岩倉高は同大会で初出場初優勝を成し遂げた。その後はいずれも県予選敗退や不祥事で、甲子園には届かなかった。 1985年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから5位指名を受け入団。1986年からリリーフで一軍初登板を果たす。
竹村 典久(たけむら のりひさ、1967年10月28日 - … 竹村 典久(たけむら のりひさ、1967年10月28日 - )は、広島県出身の、日本の柔道選手である。階級は95kg級。身長170cm。弟は同じ95kg級で活躍していた竹村欣也。 近代福山高校から近畿大学に進むと、1年の時に新人体重別の95kg級で3位になった。2年の時には決勝まで進むも日大2年の秋山勝彦に敗れて2位だった。また、この年から3年連続で高校時代からの同級生である山崎茂樹などとともに活躍して優勝大会で3位になった。4年の時には正力杯決勝で秋山に敗れた。正力国際では決勝で西ドイツの選手に背負投で一本勝ちして優勝を飾った。1990年には広島県警の所属となると、講道館杯で3位、体重別では決勝で東海大学4年の甲斐康浩に敗れるも2位となった。
山崎 茂樹(やまさき しげき、1967年7月27日 - )は… 山崎 茂樹(やまさき しげき、1967年7月27日 - )は、広島県福山市出身の、日本の柔道選手である。階級は95kg級。身長183cm。 近大福山高校3年の時に新人体重別の86kg級で決勝まで進むが、世田谷学園高校2年の石田輝也に敗れて2位だった。 1986年に近畿大学へ進学すると、2年の時から3年連続で高校時代からの同級生である竹村典久などとともに活躍して優勝大会で3位となった。また、2年の時には正力国際の個人戦95kg級で3位、団体戦では2位となった。3年の時には正力国際の個人戦で再び3位だったものの、団体戦では優勝を飾った。4年の時には体重別の決勝で世界チャンピオンである新日鉄の須貝等に敗れるも2位になった。
岡田 龍司(おかだ りゅうじ、1964年2月13日 - )は… 岡田 龍司(おかだ りゅうじ、1964年2月13日 - )は、広島県出身の、日本の柔道選手である。階級は95kg超級。現役時代は身長175cm。体重120kg。 近代福山高校3年の時に金鷲旗で2位、インターハイ団体戦で3位となった。近畿大学へ進むと、2年の時に世界ジュニアの95kg超級決勝でソ連のゲナンジー・ヤレメンコに敗れて2位だった。新人体重別でも決勝で東海大学2年の樋川純に敗れた。3年の時には正力杯で3位となった。無差別で争われる学生選手権では決勝で天理大学4年の正木嘉美に敗れた。正力国際では無差別で3位になった。4年の時には正力杯で再び3位だったものの、学生選手権では決勝で天理大学3年の野村幸生を破って優勝した。
吉岡 知毅(よしおか ともき、1963年7月5日 - )は、… 吉岡 知毅(よしおか ともき、1963年7月5日 - )は、広島県尾道市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 近大福山高では2年秋に県大会ベスト4、3年夏は準優勝。1981年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから6位指名を受け入団。入団時に「夢は大きく、背番号くらい勝ちたい」と抱負を語った。 プロ2年目の1984年にイースタン・リーグで12勝を挙げ最多勝を獲得し、翌1985年に一軍初登板を果たす。プロ8年目の1989年に30試合に登板し一軍初勝利を挙げたが、翌1990年にヒジを手術し、以降は一軍登板することなく1991年限りで現役を引退。 現役引退後は、打撃投手に転身した。
岡田 正行(おかだ まさゆき、1961年11月2日 - )は… 岡田 正行(おかだ まさゆき、1961年11月2日 - )は、広島県出身の、日本の柔道選手である。階級は95kg超級。現役時代は身長178cm。体重120kg。 近代福山高校から近畿大学へ進むと、4年の時に正力杯の95kg超級で3位となった。1984年に大阪府警の所属となると、講道館杯で3位になった。1986年の講道館杯では決勝で近畿大学教員である弟の岡田龍司を腕挫脚固で破って、全国大会初優勝を飾った。1987年の全日本選手権では史上3組目の兄弟出場を果たした。自らは初戦で敗れるも、一緒に出場した弟は3位入賞を果たした。1988年の講道館杯では3位になった。 (出典、JudoInside.com)。
村上 恭和(むらかみ やすかず、1957年12月9日 - )… 村上 恭和(むらかみ やすかず、1957年12月9日 - )は、広島県御調郡向東町(現・尾道市)出身の元卓球選手、卓球指導者。現在、Tリーグの日本生命レッドエルフで監督を務める。前・卓球女子日本代表監督。卓球女子日本代表監督は2008年から務め、2012年のロンドンオリンピックでは女子団体で銀メダル、2016年のリオデジャネイロオリンピックでは女子団体で銅メダルを日本にもたらした。 尾道市立向東中学校〜近畿大学附属福山高等学校〜近畿大学商経学部商学科卒業(1980年)。近畿大学卒業後、和歌山相互銀行(現・紀陽銀行)入社。卓球選手として1983年世界卓球選手権混合ダブルスなどに出場。30歳で引退後、1990年より日本生命女子卓球部の監督を務める。
Mas Sawada(ます・さわだ、1955年 - )は、日… Mas Sawada(ます・さわだ、1955年 - )は、日本の音楽プロデューサー、ミュージシャン、ドラマー。 本名は沢田昌孝(さわだ まさたか)。広島県福山市出身。近畿大学附属福山高等学校卒業、大阪産業大学中退。 高校2年生から世良公則&ツイストの前身のバンドFBI BANDでリーダーとして活動し、そのままメンバー全員が関西の大学に進学し、大学時代も同じメンバーで活動をする。ベース担当だった世良がボーカルを担当するようになり、それを機にバンド名をツイストに改名する。ギタリストのメンバーチェンジを経て世良公則&ツイスト「あんたのバラード」で世界歌謡祭グランプリ獲得。その後、キャニオンレコードからデビュー。
世良 賢治(せら けんじ、1952年1月26日 - )は、広… 世良 賢治(せら けんじ、1952年1月26日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。現役時代の登録名は世良賢次。 広島県の福山電波工業高から駒澤大学を中退後に社会人野球の常石鉄工では第44回都市対抗野球大会に補強選手で出場、1973年のドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。 1975年にイースタン本塁打王を獲得するも、一軍には大矢明彦、八重樫幸雄がおり壁が厚く、1979年に現役引退。 現在は、広島県福山市の福山大学山陽寮の寮長を務める。
村田 兆治(むらた ちょうじ、1949年11月27日 - 2… 村田 兆治(むらた ちょうじ、1949年11月27日 - 2022年11月11日)は、日本のプロ野球選手(投手)、コーチ、解説者、評論家。広島県豊田郡本郷町(現:三原市)出身。旧名は村田 長次(読み同じ)である。 現役時代は東京オリオンズ→ロッテオリオンズで活躍した。そのダイナミックな投球フォームは、「マサカリ投法」と呼ばれていた。通算暴投の日本記録保持者(148回)。 長崎県対馬市の市民球団である『対馬まさかりドリームス』の監督を務めていた。 プロ野球選手を志したのは小学5年の時で、父に連れられて広島市民球場へナイターを観戦しに行ったことがきっかけだった。初めて生で見るプロの試合に鳥肌が立つほど興奮し、それ以来、プロ野球選手以外の将来は考えられなくなったという。
浅野 啓司(あさの けいし、1949年2月22日 - )は、… 浅野 啓司(あさの けいし、1949年2月22日 - )は、広島県福山市草戸町出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 創部3年目の福山電波工業高校へ進学し、1965年には2年生エースとして夏の広島県大会で活躍。低めに球を集める抜群の制球力で、伊原春樹がいた北川工、山本和行・三村敏之がいた広島商を撃破。50イニングを投げ1失点の好調で決勝まで勝ち上がったが、広陵高の河本和昭に完封され敗退、甲子園出場を逸する。同期の岡田英樹(太平洋クラブ)とバッテリーを組み、高校の1学年下の後輩に村田兆治がいた。 1966年に別の選手を見に来ていたサンケイアトムズのスカウトの目に留まり、同年の第1次ドラフト9位で入団。
中村 和裕 は、日本の男性柔道家、総合格闘家。現在は大学教員… 中村 和裕 は、日本の男性柔道家、総合格闘家。現在は大学教員。広島県福山市出身。柔道三段。近畿大学附属福山高等学校、国際武道大学卒業。元DEEPミドル級王者。