スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
大金 広弥(おおがね ひろや、1989年12月21日 - )… 大金 広弥(おおがね ひろや、1989年12月21日 - )は、茨城県常陸太田市出身のバスケットボール選手である。ポジションはガード。身長180cm、体重74kg。 常陸太田市立太田小学校、常陸太田市立太田中学校、水戸商業高を経て、2008年に国際武道大学に入学、同大学では関東3部リーグ得点王となったこともあった。大学卒業後、2012年にトライアウトでデイトリックつくばに入団した。 その後、つくばロボッツに移籍した。同チームが経営難からリーグ管理となった際、2014年11月30日に自由契約となった。 2015年1月、つくばロボッツのチームメートとともに、和歌山トライアンズに入団した。兵庫ストークスとのシーズン最終戦では、ポール・ビュートラックとともに活躍し、勝利に貢献した。
長峰 昌司(ながみね しょうじ、1984年8月8日 - )は… 長峰 昌司(ながみね しょうじ、1984年8月8日 - )は、茨城県鹿島郡鉾田町(現・鉾田市)出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。 茨城県鉾田市出身。茨城県立水戸商業高等学校では、1年夏からベンチ入り。2年春に第73回選抜高等学校野球大会に出場、先発した3回戦で敗退する。3年夏は県大会準優勝。2002年のドラフトで中日ドラゴンズから5巡目指名され入団。 ルーキーイヤーの2003年は一軍登板なしに終わる。2004年シーズンに一軍に抜擢。7月17日の対阪神タイガース戦で初登板。金本、桧山、アリアスの主軸3人を全員三振に斬る完璧な投球を見せた。8月29日の対横浜ベイスターズ戦では5回1失点に抑え、先発初勝利を挙げる。
金澤 崇文(かなざわ たかふみ、1981年4月25日 - )… 金澤 崇文(かなざわ たかふみ、1981年4月25日 - )は、茨城県出身のサッカー選手。ポジションはDF。
中村 文昭(なかむら ふみあき、1981年4月23日 - )… 中村 文昭(なかむら ふみあき、1981年4月23日 - )は、茨城県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 水戸商業高校を卒業後、2000年にJ2リーグの水戸ホーリーホックに入団。7月28日に大宮アルディージャとの試合に途中出場でデビューした。しかし、その後は出場機会を得られず、シーズン終了後に退団した。
井川 慶(いがわ けい、1979年〈昭和54年〉7月13日 … 井川 慶(いがわ けい、1979年〈昭和54年〉7月13日 - )は、茨城県東茨城郡大洗町出身のプロ野球選手(投手、左投左打)、野球解説者・野球評論家。 NPBの阪神タイガースとオリックス・バファローズ、MLBのニューヨーク・ヤンキースでプレーし、阪神では2003年と2005年の2度、エースとしてチームのセントラル・リーグ優勝に貢献した。また、阪神甲子園球場開催試合で9連勝した記録を持っており、2022年に伊藤将司が10連勝を達成するまで阪神における投手としての最高記録であった。2025年シーズン終了時点でセ・リーグ最後のシーズン20勝投手でもある。 個人では最多勝利1個、最優秀防御率1個、最多奪三振3個、最高勝率1個のタイトル6個と、沢村栄治賞1個、最優秀選手1個、ベストナイン1個の主要表彰3個を獲得している。
野上 修(のがみ おさむ、1974年4月4日 - )は、日本… 野上 修(のがみ おさむ、1974年4月4日 - )は、日本の野球選手(内野手)、野球指導者。シドニー五輪代表。 小学校3年の時に地元のソフトボールクラブに入り、その後野球に転向した。大宮中学校から水戸商に進み、2年夏には遊撃手のレギュラーを務めて茨城大会準決勝で竜ヶ崎一高に1点差で惜敗。秋からは主将を務め、関東大会で準優勝して3年春の第64回選抜高等学校野球大会に出場し、初戦で自らの送球が走者に当たる不運もあって和歌山県の南部高に1対2で敗れた。3年夏の県大会は準々決勝で常総学院に敗れている。 高校卒業後は明治大学に進み、同級生に橿渕聡や筒井壮がいた。3年春からレギュラー遊撃手となり、同季の六大学リーグ戦でリーグ3位の打率.367を記録してベストナインを獲得。
渡辺 卓(わたなべ たく、1971年11月9日 - )は、茨… 渡辺 卓(わたなべ たく、1971年11月9日 - )は、茨城県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 2023年 -アカデミーダイレクター・ ラインメール青森FCU-15・U-13
大久保 博元(おおくぼ ひろもと、1967年2月1日 - )… 大久保 博元(おおくぼ ひろもと、1967年2月1日 - )は、茨城県東茨城郡大洗町出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)、野球解説者・野球評論家、YouTuber、プロゴルファー、実業家。 愛称はデーブ、ブーちゃん。現役引退後はデーブ大久保名義で活動しており、埼玉西武ライオンズコーチ時代は登録名としても使用した。第59代巨人4番打者、第5代東北楽天ゴールデンイーグルス監督。東京都港区新橋・居酒屋「肉蔵でーぶ」オーナー、東京/横浜「デーブ ベースボールアカデミー」主宰者。 大洗町立大貫小学校、水戸市立第五中学校、茨城県立水戸商業高等学校出身。中学2年次に加倉井実が水戸市内で営んでいた下宿屋へ下宿するため、大洗町立南中学校から水戸五中へ転校している。
園部 勉(そのべ つとむ、1958年3月29日 - )は茨城… 園部 勉(そのべ つとむ、1958年3月29日 - )は茨城県出身の元サッカー選手。 フジタ工業などに所属し、日本代表としても、国際Aマッチ7試合に出場した。
渡辺 裕之(わたなべ ひろゆき、1955年〈昭和30年〉12… 渡辺 裕之(わたなべ ひろゆき、1955年〈昭和30年〉12月9日 - 2022年〈令和4年〉5月3日)は、日本の俳優。 身長は176 cm、体重は67 kg。血液型はB型。 所属事務所はユニコン株式会社。業務提携、株式会社ワイケーエージェント。 妻は女優の原日出子。茨城県水戸市出身。 3人兄姉の長男(弟1人、妹1人)。 拓殖大学商学部経営学科卒業。大学時代にはルフトハンザドイツ航空でアルバイトしたことでドイツ語を学んだ。 1980年(昭和55年)にコカ・コーラのテレビコマーシャルで芸能活動を開始。2年後に「ファイトー!」「イッパーツ!」のキャッチフレーズで人気を博していた大正製薬「リポビタンD」のCMキャラクターに抜擢され、同時に自身の端整な顔立ちと鍛え上げられた肉体も話題となり、一躍大人気となる。
秋田 浩一(あきた こういち、英語: Koichi Akit… 秋田 浩一(あきた こういち、英語: Koichi Akita、1955年9月2日 - )は、日本の元サッカー選手、指導者、体育学者。駒澤大学体育会サッカー部監督、駒澤大学教授。関東大学サッカー連盟副会長。 茨城県日立市出身。茨城県立水戸商業高等学校、駒澤大学卒業。その後、体育の教員資格を取得するため国士舘大学に編入学し、1981年3月卒業(体育学、学士)。国士舘大で2年間学びながらサッカーも続け、U23日本代表監督の山本昌邦や元日本代表の柱谷幸一らとも一緒にプレー。1979年の総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントで国士舘大は初優勝した。ポジションは高校大学ともセンターフォワード(CF)。1982年、駒澤大学に助手として採用され、サッカー部コーチとなる。
岡田 広(おかだ ひろし、1947年(昭和22年)1月31日… 岡田 広(おかだ ひろし、1947年(昭和22年)1月31日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元参議院議員(4期)。 厚生労働大臣政務官、内閣府副大臣、復興副大臣、水戸市長(3期)、茨城県議会議員(2期)を務めた。 茨城県水戸市生まれ。茨城県立水戸商業高等学校、立命館大学産業社会学部卒業。大学卒業後、岩上妙子・岩上二郎両参議院議員の秘書を務める。 1986年、茨城県議会議員選挙に立候補し、初当選。1993年、2期目の任期途中、佐川一信の茨城県知事選立候補に伴う辞職により実施された水戸市長選挙に県議を辞職して立候補し、当選。(佐川後継で野党各党が推薦する学校経営者・大久保博之を、圧倒的大差で破る)。
鯉渕 信一(こいぶち しんいち、1945年〈昭和20年〉 -… 鯉渕 信一(こいぶち しんいち、1945年〈昭和20年〉 - )は、茨城県出身のモンゴル語学者。亜細亜大学名誉教授、元学長。 1963年3月に茨城県立水戸商業高等学校を卒業し、同年4月に亜細亜大学経済学部経済学科に入学。第二外国語の授業でモンゴル語を選択したことにより、モンゴル語と出会う。1973年に在モンゴル日本国大使館に派遣員として勤務。モンゴル国立大学交換教授を経て、1976年に亜細亜大学アジア研究所講師として着任。1989年には同研究所教授に就任。1992年には同大学国際関係学部教授となり、2000年から2003年には同大学の第6代学長を務める。2010年より亜細亜大学名誉教授。
長谷川 浩嗣(はせがわ ひろし、1943年12月25日 - … 長谷川 浩嗣(はせがわ ひろし、1943年12月25日 - )は、日本の実業家。第8代日清製粉グループ本社代表取締役社長。 茨城県立水戸商業高等学校を経て、1967年早稲田大学商学部卒業。1971年日清製粉入社。日清フーズ出向や、食品第一営業部次長、食品営業部長を経て、1996年取締役食品営業部長に昇格。1999年常務取締役食品部門担当。2001年に日清製粉グループ本社が発足すると、同社常務取締役及び日清フーズ代表取締役社長に就任。2004年イニシオフーズ代表取締役社長。同年18年ぶりの社長交代により日清グループ本社代表取締役社長に昇格したが、2007年に健康上の理由で取締役相談役に退いた。
篠田 勇(しのだ いさむ、1940年7月4日 - )は、茨城… 篠田 勇(しのだ いさむ、1940年7月4日 - )は、茨城県水戸市出身の元プロ野球選手(内野手)。 水戸商では、1958年の夏の甲子園に遊撃手として出場。3回戦で石川陽造、岡村浩二のバッテリーを擁する高松商に延長16回0-1xでサヨナラ負け。卒業後は立教大学に進学。東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、1961年春季リーグ、1963年秋季リーグで打撃成績2位を記録、両季とも三塁手としてベストナインに選ばれている。 1964年に国鉄スワローズに入団、同年のジュニアオールスターにも出場する。1965年には水戸商の先輩でもある豊田泰光が故障で戦線離脱したため、主に遊撃手として85試合に出場(うち43試合に先発)。
豊田 泰光(とよだ やすみつ、1935年2月12日 - 20… 豊田 泰光(とよだ やすみつ、1935年2月12日 - 2016年8月14日)は、茨城県久慈郡大子町出身のプロ野球選手・野球解説者。 現役時代は豪快な打撃で、西鉄ライオンズ(以下、西鉄)黄金時代の主力選手の1人として活躍した。引退後はニッポン放送、フジテレビ、文化放送、テレビ東京、テレビ大阪、スポーツニッポンなどの野球解説者をつとめた。2006年に野球殿堂入り。 3歳の時に日立市へ転居し、父は建設業を営んでいたが、国民学校(小学校)2年生の時に太平洋戦争に伴うアメリカ軍の空襲が起こったため 母の実家があり自分も生まれた大子町へ疎開し、5年生の時に戦争が終結した後も同地へ留まった。この終戦直後、国民学校(小学校)の教師が持ってきたソフトボールの道具 で野球をやったことが、豊田が野球を本格的に始めるきっかけとなった。
加倉井 実(かくらい みのる、1934年6月29日 - 19… 加倉井 実(かくらい みのる、1934年6月29日 - 1998年6月23日)は、茨城県水戸市出身のプロ野球選手。ポジションは外野手。 水戸商業高校では高校同期の豊田泰光らとともにクリーンアップを組み、一塁手・三番打者として活躍、控え投手としても起用される。1951年秋季関東大会県予選は決勝で竜ヶ崎一高に敗退。1952年の春季関東大会では準決勝に進み、エース衆樹資宏を擁する湘南高と延長15回の熱戦の末にサヨナラ負けを喫する。同年の夏の甲子園に出場。1回戦で都留高のエース矢頭高雄を打ち崩し2回戦に進むが、成田高に敗退。この試合ではエース高畑正盛(富士重工)をリリーフして甲子園初登板を果たす。 1953年に読売ジャイアンツへ入団。
石井藤吉郎(いしい とうきちろう、1924年3月16日 - … 石井藤吉郎(いしい とうきちろう、1924年3月16日 - 1999年6月30日)は、東京六大学野球・社会人野球で活躍した野球選手・監督。 茨城県大洗の旅館に生まれ、5歳の時に亡くなった母の遺志に沿うように野球を始める。旧制水戸商業に進んで投手として活躍、1942年に文部省主催の“幻の甲子園大会”に出場、当時では超大型の181cmから速球を投げ込む左腕の好投手として注目され、準々決勝まで進む。 早稲田大学法学部に進み、1943年には出陣学徒壮行早慶戦にベンチ入りする。将来のエースとして嘱望されるが応召、終戦当時満州にいた石井は捕虜となり1947年まで約2年シベリアに抑留される。 1947年秋日本に帰りついた石井は早大に復学、栄養失調の影響でブクブクに太ったその姿ではさすがに即復帰とはいかなかったが、その年暮れのキャンプからチームに合流、周囲の度肝を抜く豪打を連発した。
砂押 邦信(すなおし くにのぶ、1922年9月25日 - 2… 砂押 邦信(すなおし くにのぶ、1922年9月25日 - 2010年7月18日)は、茨城県出身の元野球選手(投手)、コーチ・プロ野球監督。 立教大学監督時代にMLB流の指導法で長嶋茂雄を育てた人物として知られている。 水戸商業高校卒業後、1942年に立教大学へ入学。水戸商業の後輩に早稲田大学で選手・監督として活躍した石井藤吉郎、立大の2年先輩には西本幸雄がいた。戦時中は学徒兵として兵役に就き、戦後の1947年に卒業。 小口工作所の選手兼任監督(1948年 - 1949年)を経て、1950年に母校・立大監督に就任。「鬼の砂押」と恐れられたほどのスパルタ式猛練習で、1953年春季には20年ぶりに東京六大学リーグ優勝を果たしたほか、第2回日本選手権にも優勝。
石川 操(いしかわ みさお、1922年5月2日 - 1999… 石川 操(いしかわ みさお、1922年5月2日 - 1999年1月6日)は、日本の経営者、銀行家。茨城県水戸市出身。 1940年に水戸商業学校を卒業し、1942年に常陽銀行に入行。1969年10月に取締役、1974年11月に常務、1981年6月に専務を経て、1986年7月には常陽銀行副頭取に就任。1988年7月に取締役相談役を経て、1989年6月には相談役に退いた 1999年1月6日肺炎のために死去。76歳没。
矢数 道明 は、昭和期の漢方復権に尽力した代表的な日本の医師… 矢数 道明 は、昭和期の漢方復権に尽力した代表的な日本の医師。医史学者。学位は医学博士。文学博士(慶應義塾大学)。東洋医学の発展に貢献した業績により日本医師会より最高優功賞を受賞。