スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
當銘 沙恵美(とめ さえみ、1998年9月18日 - )は、… 當銘 沙恵美(とめ さえみ、1998年9月18日 - )は、静岡県磐田市出身の女子競輪選手。日本競輪選手会愛知支部所属、ホームバンクは豊橋競輪場。日本競輪選手養成所第118期生。師匠は新田康仁(74期)。姉は同じ競輪選手の當銘直美。 苗字である當銘(のうちの當)は旧字体であるため、新聞などのマスコミでは当銘 沙恵美と表記されている。 中高一貫校でもある浜松学院中学校・高等学校出身。姉・直美の影響で高校から自転車競技を始めた。 2019年1月17日、競輪学校第118回技能試験に合格。在校競走成績は14位(3勝)。 2020年5月29日、小倉競輪場でデビューし3着。初勝利は同年11月14日の弥彦競輪場で挙げた。
當銘 直美(とめ なおみ、1996年6月19日 - )は、静… 當銘 直美(とめ なおみ、1996年6月19日 - )は、静岡県磐田市出身の女子競輪選手。日本競輪選手会愛知支部所属、ホームバンクは名古屋競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第114期生。師匠は新田康仁(74期)。実妹は同じく競輪選手の當銘沙恵美(118期)。 苗字である當銘(のうちの當)は旧字体であるため、新聞などのマスコミでは当銘 直美と表記されている。 中学生のころテレビで観たガールズケイリン1期生の特集に影響を受け、ガールズケイリン選手を目指すようになる。妹の沙恵美が当時通学していた浜松学院中学校は中高一貫校でもあり、高校には自転車競技部があったこと、そして沙恵美からも誘われたこともあり、自身も浜松学院高校に進学、自転車競技を始める。
寺嶋 寛大(てらしま かんだい、1992年10月12日 - … 寺嶋 寛大(てらしま かんだい、1992年10月12日 - )は、東京都豊島区出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 清和小学校1年生の時に「大塚スネイクス」で野球を始めた。4年生時に捕手になり、6年生時には高円宮賜杯全日本学童軟式野球大会に出場した。巣鴨北中学校では「中野シニア」に所属していた。興誠高校では1年生時の秋に一塁手のレギュラーに、2年生時の秋には正捕手になった。高校通算では26本塁打を放った。甲子園出場経験は無い。 創価大学では1年生時の秋に正捕手になり、4年生時には主将を務めた。大学の2学年先輩に小川泰弘がおり、1年生の時からバッテリーを組み、精神面や配球面などでアドバイスを受けていた。
石原 裕貴(いしはら ゆうき、1991年〈平成3年〉3月19… 石原 裕貴(いしはら ゆうき、1991年〈平成3年〉3月19日 - )は、日本のバスケットボール選手。静岡県出身。ポジションはポイントガード。B3リーグ・アイシン アレイオンズに所属していた。 浜松学院中学校・高等学校(元興誠高校)を卒業後、大阪学院大学に進学。 卒業後、アイシン・エィ・ダブリュ アレイオンズ安城(現アイシン アレイオンズ)に入団。
ゴンゾー(1985年12月26日 - )は、日本のピン芸人、… ゴンゾー(1985年12月26日 - )は、日本のピン芸人、コメディアン、エンターテイナー、タンバリン奏者(タンバリンマスター)。 静岡県浜松市出身。本名は寺社下 峻平(じしゃげ しゅんぺい)。100company業務提携。デビュー当時の芸名は、漢字の「言蔵(ごんぞう)」。 高校在学中に名古屋NSCに通う。 NSC卒業後上京し、藤プロダクションに所属。その後、ビッグワールドに所属し活動。 2008年10月17日放送の『爆笑レッドカーペット 衝撃の世界進出SP!!』(フジテレビ)では、世界のナベアツとともにニューヨークに渡り、コメディークラブ「COMIC STRIP LIVE」でのライブ出演。楽曲は観客に合わせて、マイケル・ジャクソンの「Beat It」と「BAD」(世界のナベアツとのコラボ)を披露した。
菅谷 徹(すがたに とおる、1984年6月22日 - )は、… 菅谷 徹(すがたに とおる、1984年6月22日 - )は、日本の元男子バスケットボール選手である。ポジションはセンター。富山県新湊市出身。現黒田電気ブリット・スピリッツマネージャ。 高校は興誠高に進学しインターハイに出場した。京都産業大学在学中、当時のジェリコ・パブリセヴィッチHCによる日本代表第1回スプリングキャンプに呼ばれ欧州遠征にも参加した。ユニバーシアード代表にも選ばれた。 卒業後、黒田電気に入社。 いわゆる「竹内世代」のひとり。小学6年次に186cm、中学3年次に200cmを超え、215cmの身長に達した。過去には220cm、216cmと報じられたこともあった。かつて「現役日本人スポーツ選手の中で最長身」だった。
太田 吉彰(おおた よしあき、1983年6月11日 - )は… 太田 吉彰(おおた よしあき、1983年6月11日 - )は、静岡県浜北市(現:浜松市浜名区)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー(MF)。元日本代表。 実兄は元サッカー選手の太田圭輔。 静岡選抜で太田と一緒にプレーした経験がある長谷部誠らが証言しているように、元々はトップ下の選手だった。しかしジュビロ磐田ユースに加入後、トップ下では自分に将来がないと感じ、ずっと目標としてきた兄・圭輔と同じようなサイドアタッカーに転身することを決断。当時はスタミナもそこそこ、足も特に速いわけではなかったが、トレーニングで自身の肉体を変貌させ、高校3年時にはスピードを生かした突破力を武器とするプレイヤーとしてFWやサイドハーフのレギュラーを奪取した。
片桐 孝憲(かたぎり たかのり、1982年2月4日 - )は… 片桐 孝憲(かたぎり たかのり、1982年2月4日 - )は、日本の実業家。ヌプカ株式会社代表取締役CEO。ピクシブ株式会社創業者。ピクシブ株式会社社長、DMM.com代表を歴任。 静岡県浜松市生まれ。高校時代は裏原宿系ブランドに熱中。高校卒業後に東京に出たいと考え、東洋大学経営学部に入学した。大学1年生の時にゼミでコンピュータに出会いのめりこんだ。映像作家を志したが挫折し起業の道を歩んだ。「バイト代くらい」の報酬で様々なウェブサイトの制作を請け負い、入学5年後に大学を中退し、起業に至る。2005年に弟と坂上隆行と共に3人でウェブ制作会社ウェブテネットを起業。 2007年に大学時代からの知人「馬骨」(上谷隆宏)が立ち上げ急速に人気を呼んだユーザ投稿型イラストサイト・ピクシブの運営を会社として引き受け、片桐と馬骨は共同でそのサービスを成長させた。
野久保 直樹(のくぼ なおき、1981年5月14日 - )は… 野久保 直樹(のくぼ なおき、1981年5月14日 - )は、日本の俳優、タレント。静岡県磐田市出身。株式会社ブレークポイントがマネージメント業務を担当。身長175 cm。 興誠高等学校卒業後に芸能界を目指し上京、専門学校に進む。後にワタナベエンターテインメント所属となり、2004年8月、前月に行われた同事務所主催の「第1回D-BOYSオーディション」受賞者たちと共に、若手男優集団D-BOYSの新規加入選考を兼ねた「集中稽古」に参加した。10月にテレビドラマ『マザー&ラヴァー』に出演。 2005年1月より『H2〜君といた日々』に出演、同年末以降の公式プロフィールでは事実上本作をデビュー作品としている。
松藤 光生(まつふじ みつお、1981年4月22日 - )は… 松藤 光生(まつふじ みつお、1981年4月22日 - )は、神奈川県出身の元バスケットボール選手である。ポジションはG。175cm、70kg。2008年まで豊田通商でプレーした松藤貴秋は実兄。高校の同期に俳優の野久保直樹がいる。現在は沼津中央高校で女子バスケットボール部の監督。 興誠高校から中京大学を経てオーエスジーに入社。 2007年、兄が所属する豊田通商に移籍。 2008-09シーズンはJBL2優勝に貢献しMVPを受賞した。 2009-10シーズン、V2に貢献し引退。
林 昌樹(はやし まさき、1979年11月28日 - )は、… 林 昌樹(はやし まさき、1979年11月28日 - )は、静岡県磐田市出身の元プロ野球選手(投手)。 小学生時代、地元磐田市の中泉クラブに所属。 興誠高等学校では、3年夏の県大会で骨折しながら勝ち進むも、決勝で浜松工業高等学校に敗れ準優勝。 その後、1997年のドラフト会議で広島東洋カープから3位指名を受け、入団。 2000年にサイドスローに転向。 2001年に一軍で初登板を果たした。 2003年にセ・リーグ初となる1球でプロ初勝利を飾る。 2006年は自己最多の61試合に登板し、開幕から10試合以上防御率0点台を保つなど、前半戦はリリーフエースとして重要な役目を果たした。しかし後半戦は疲労からか登板のたびに失点することが多く、防御率は急落。
小田 智之(おだ ともゆき、1979年5月19日 - )は、… 小田 智之(おだ ともゆき、1979年5月19日 - )は、静岡県浜松市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 小学3年生で野球を始め、興誠高等学校では1年秋からレギュラーとなる。1997年の夏は3番・遊撃手として出場も県大会の決勝戦で敗退し、甲子園出場ならず。高校通算14本塁打。元広島東洋カープの林昌樹とは同級生で、俳優の野久保直樹は2学年後輩にあたる。1997年のドラフトで日本ハムから2位指名され、入団。 2003年にイースタン・リーグ2位の打率.347、9本塁打と安打を量産し、シーズン終盤に一軍に昇格してプロ初打点を挙げた。 2004年、プロ7年目にして開幕戦のスターティングメンバーに名を連ね(八番・指名打者)、4月3日にプロ初本塁打。
竹井 秀行(たけい ひでゆき、1970年11月19日 - )… 竹井 秀行(たけい ひでゆき、1970年11月19日 - )は、日本の元棒高跳選手。1991年と1995年のアジア陸上競技選手権大会で2度優勝している。1991年世界陸上競技選手権大会に日本代表で出場し、1992年IAAFワールドカップにアジア代表で出場した。 国内においては1995年に国民体育大会で優勝し、日本陸上競技選手権大会で2度優勝している。 田原本町立田原本中学校、興誠高等学校(現在の浜松学院興誠高等学校)、中京大学卒。ミキハウスに所属していた。
後藤正規(ごとう まさき、1970年10月19日 - )静岡… 後藤正規(ごとう まさき、1970年10月19日 - )静岡県出身の元プロバスケットボール選手で現在は浜松開誠館高等学校の監督である。静岡県興誠高校、日本体育大学、筑波大学大学院修了。ポジションはシューティングガード。 小学校時代にバスケットボールを始め、興誠高時代、予選会で1試合50点以上を上げるなど、シューターとして活躍。 日本体育大学進学後も、1試合平均30点と言われる程のシュートで印象を残した。 卒業後の1993年、三菱電機入社。1年目からスタメンの座を物にする。 1994年には広島アジア大会の日本代表に選ばれ銅メダルを獲得。 1996年にNKKへ移籍するが、廃部となったため、1998年にはアイシン精機に移籍。
杉浦 生哲(すぎうら いくのり、1968年8月19日 - )… 杉浦 生哲(すぎうら いくのり、1968年8月19日 - )は、静岡県浜松市出身の競輪選手である。血液型はA型。 静岡県浜松市出身。静岡県伊豆の国市修善寺の日本競輪学校第64期卒業生。興誠高等学校(現浜松学院興誠高等学校)を経て日本競輪学校(現日本競輪選手養成所)卒業後、1989年(平成元年)に日本競輪選手会静岡支部に所属し競輪選手となる。 株式会社 杉浦織物2代目。 1980年代BMXに出会い、翌年から本格的にBMXを始める。 NBA(National BMX Association) 登録 Mongoose 所属 1982年、山梨県八ヶ岳パンテスコープで開催の山梨放送主催、第5回NBAジャパンBMX全国大会で優勝。
龍ヶ浜 広宣(りゅうがはま ひろのり、1963年8月16日 … 龍ヶ浜 広宣(りゅうがはま ひろのり、1963年8月16日 - )は、静岡県浜松市出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は柴田 広宣(しばた ひろのり)、185cm、144kg。得意技は左四つ、寄り。血液型はB型。最高位は西十両7枚目。兄は元ボクシングスーパーウェルター級日本王者の柴田賢治。 鮎料理店「滝沢園」の三男で、浜松市立北星中学校ではサッカー部に所属し、ゴールキーパーとして活躍した。興誠高等学校に進学してからも引き続きサッカー部でゴールキーパーを務め、高校2年生の時には静岡西部の選抜チームに選ばれて韓国にも遠征した。スーパーでアルバイトをしていたときに時津風親方(元大関・豊山)の知人から入門を勧められて迷っていたが、上京して後楽園ホールで兄が出場したボクシングの試合を見に行った時に時津風部屋入門を決意した。
武田 賴政(たけだ よりまさ、1958年(昭和33年)11月… 武田 賴政(たけだ よりまさ、1958年(昭和33年)11月30日 - )は、日本のジャーナリスト・ノンフィクションライターである。 静岡県浜松市出身。興誠高等学校、京都産業大学経済学部卒業。専門は軍事と航空であり、「航空ジャーナル」記者をしていた。廃刊のため1988年(昭和63年)に講談社「週刊現代」の専属記者を経てフリー。1995年には坂本堤弁護士一家殺害事件の全容を逮捕前の実行犯(岡﨑一明、元死刑囚)から聞き出し、「週刊現代」誌上でスクープした。 大相撲における八百長疑惑報道でも知られ、民放テレビのワイドショーに出演する際は「相撲ジャーナリスト」と呼ばれることもある。週刊現代で執筆した一連の相撲報道で、第14回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞(2008年)の大賞を受賞した。
鈴木 克美(すずき かつみ、1934年3月23日 -2024… 鈴木 克美(すずき かつみ、1934年3月23日 -2024年12月28日 )は、日本の魚類学者・水族館学者、東海大学名誉教授。 静岡県浜松市生まれ。興誠高等学校を経て1956年東京水産大学増殖学科卒。1980年「日本産ハナダイ類の生態学的研究」で東京大学農学博士。江の島水族館飼育主任、金沢水族館副館長、1968年東海大学講師、助教授、1975年同海洋研究所助教授、1981年教授、海洋科学博物館副館長、館長、社会教育センター学芸室長。1999年定年退任、名誉教授。
伊藤 芳明(いとう よしあき、1933年12月30日 - )… 伊藤 芳明(いとう よしあき、1933年12月30日 - )は、静岡県浜名郡北浜村貴布祢(現:浜松市浜名区)出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)・コーチ。 中学時代に野球を始めるが、肩が強く左投げだったため投手となる。興誠商業高校では2年生からエースとなり、3年次の1951年の夏の甲子園の静岡県予選の前には新聞に「ダークホース」と書かれたが、1回戦で静岡市立高校に0-1で敗れた。 1952年に中央大学へ進学すると、1年の春季から東都大学リーグで登板。2年次の1953年春季のリーグでは5勝を挙げて中央大学の全勝優勝に貢献する。同年の大学選手権でも勝ち上がるが、決勝で立大に敗れ準優勝となった。しかし、同年の夏場に背中の筋肉を痛める。
川口 芳弘(かわぐち よしひろ、1930年8月6日 - )は… 川口 芳弘(かわぐち よしひろ、1930年8月6日 - )は、静岡県浜松市出身の元プロ野球選手(投手)。 興誠商業(現・浜松学院中学校・高等学校),ノンプロの小口製作所を経て、1950年に大洋ホエールズに入団。同年6月2日の西日本戦(佐世保市営球場)でデビューした。しかし11試合に登板したが、勝ち星を挙げることができず、1951年に引退した。 川瀬宏之とは、興誠商業,小口製作所,大洋全てでチームメイトであった(高校・ノンプロ時代にはバッテリーを組んでいた)。
川瀬 宏之(かわせ ひろゆき、1930年7月10日 - )は… 川瀬 宏之(かわせ ひろゆき、1930年7月10日 - )は、静岡県出身のプロ野球選手(捕手)。 興誠商業(現・浜松学院中学校・高等学校),ノンプロの小口製作所を経て、1950年に大洋ホエールズに入団。しかし正捕手の門前眞佐人の壁は厚く、2試合しか出場できず、同年末に引退した。 川口芳弘とは、興誠商業、小口製作所、大洋全てでチームメイトであった(高校、ノンプロ時代にはバッテリーを組んでいた)。
安田 栄作(やすだ えいさく、1930年 - )は日本の大蔵… 安田 栄作(やすだ えいさく、1930年 - )は日本の大蔵官僚。 静岡県興誠商業学校卒業。1947年10月 浜松税務署に入署。1949年12月より大蔵省主計局で勤務。1960年7月1日 医療金融公庫へ出向。 1971年7月 主計局総務課長補佐(予算総括係主査)。1976年7月 主計局主計官補佐(大蔵係主査)。1977年7月4日 主計局総務課予算分析管理室長。1978年7月1日 主計局主計監査官。1980年3月31日 退官。退官後は医療金融公庫経理部長となった。
猪井 善亮(いい ぜんすけ、1922年(大正11年)9月24… 猪井 善亮(いい ぜんすけ、1922年(大正11年)9月24日 - 1985年(昭和60年)3月9日)は、昭和時代の政治家。静岡県湖西市長。 静岡県出身。1938年(昭和13年)静岡県興誠商業学校卒業。同年3月、水野商店に勤め、その後、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)に転じた。 1959年(昭和34年)湖西町経済課長となり、市制施行後、湖西市助役、同市消防長を務めた。1975年(昭和50年)4月に湖西市長に当選する。1983年(昭和58年)4月、3期目の当選後、選挙違反が発覚し逮捕、起訴され同10月に辞任。1985年(昭和60年)1月、最高裁で懲役2年、執行猶予5年が確定した。 在任中は、湖西青年会議所の設立、静岡県立湖西高等学校の開校、第2次湖西市総合計画などに尽くした。
廿日出 厖(はつかで ひろし、1901年〈明治34年〉4月1… 廿日出 厖(はつかで ひろし、1901年〈明治34年〉4月15日 - 1947年〈昭和22年〉10月19日)は、日本の教育者、政治家。浜松学院興誠高校の創立者、衆議院議員。 1901年(明治34年)広島県呉市豊町大長出身。ミカン農家の五男に生まれる。長崎高等商業学校を卒業し、1929年(昭和4年)3月に東北帝国大学宗教哲学科を卒業する。 内務大臣望月圭介の秘書官を経て、遠江商業学校校長に就任する。しかし、学校の経営責任者と対立し生徒らと共に学校を去り新たに普済寺で授業を開始する。 1933年(昭和8年)11月、文部大臣から財団法人・興誠商業学校の設立指定を受ける。 1946年(昭和21年)4月に、戦後第1回の総選挙に諸派から静岡県全県区で衆議院議員に当選した。