スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
沖田 愛加(おきた あいか、1997年2月14日 - )は、… 沖田 愛加(おきた あいか、1997年2月14日 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント、YouTuber。宮崎県延岡市出身。セント・フォース所属。 母親の影響でバレエに興味を持ち、幼少期から高校3年生までクラシックバレエに打ち込んだ。 延岡市立恒富中学校、宮崎県立延岡高等学校メディカル・サイエンス科を卒業後、明治大学理工学部に進学。 2016年に行われた明治ガールズコレクション2016でグランプリを獲得。 東京ガールズコレクション2017でセミファイナルに進出。 2017年12月より、セント・フォースの学生部門であるスプラウトに所属。 篠原梨菜の後任として2018年4月7日から2019年9月28日までフジテレビ系『めざましどようび』のお天気キャスターを務めた。
もっと読む
甲斐 彩加(かい あやか、1993年8月24日 - )は、元… 甲斐 彩加(かい あやか、1993年8月24日 - )は、元文化放送のアナウンサー。宮崎県延岡市出身。 宮崎県立延岡高等学校、福岡教育大学教育学部美術専攻(金属工芸)卒業。高校で生徒会長を務めた。大学受験の1か月前から休学して福岡に下宿し、受験「画塾」に通った。教員を目指したが強い宮崎訛りが障り、「人前で話すのが嫌になった」。のちに友人から誘われて福岡のアナウンススクールへ通い、スクール生の格好良い話し方に感化されて放送業界を志した。 大学を卒業して宮崎県内のケーブルテレビ局に入社して2018年に退職した。2018年3月から2019年10月までTBSプロネックスに所属し、TBSラジオでTBSラジオキャスター兼ADとして『TBSラジオ エア・ナビゲーション』、『TOMAS presents High School a Go Go!!』、『荒川強啓 デイ・キャッチ!』、『毒蝮三太夫のミュージックプレゼント』、『爆笑問題カーボーイ』を担当した。
もっと読む
後藤 隆之(ごとう たかゆき、1970年6月4日 - )は、… 後藤 隆之(ごとう たかゆき、1970年6月4日 - )は、元社会人野球選手(投手)。宮崎県延岡市出身。 小学校、中学校では、元福岡ダイエーホークスの柳田聖人とチームメイト(柳田が1つ先輩にあたる)。宮崎県立延岡高等学校から九州東海大学を経て、1993年に社会人野球の三菱重工長崎に入社。 2001年、第28回社会人野球日本選手権大会の優勝に貢献した。年齢に劣らず、10年連続で都市対抗野球に出場(補強選手として他チームからも参加)する実力を持つ。 2008年に現役を引退し、翌2009年からコーチとなった。2010年末に退団したが、監督として復帰し、2017年から統合された三菱日立パワーシステムズ(横浜市)へ選手と共に移籍し、第88回都市対抗野球大会でチームをベスト4に導いた。
もっと読む
白田 秀彰(しらた ひであき、1968年(昭和43年)4月3… 白田 秀彰(しらた ひであき、1968年(昭和43年)4月3日 - )は、日本の法学者。学位は博士(一橋大学・1998年(平成10年))。職業的な専門は知的財産権法、情報法であるが、法制史、文化史、憲法学などについても積極的な研究活動や発言を行っている。法政大学社会学部准教授。宮崎県延岡市出身。 1987年(昭和62年)、宮崎県立延岡高等学校卒業。一橋大学法学部1992年(平成4年)卒業。同大大学院に進学。 博士号取得後、複数の大学で非常勤講師を務める。1999年(平成11年)、法政大学社会学部専任講師に就任。2001年(平成13年)より同大学助教授(2007年(平成19年)の呼称変更に伴い准教授となる)。
もっと読む
高橋 巨典(たかはし きょてん、1960年9月8日 - )は… 高橋 巨典(たかはし きょてん、1960年9月8日 - )は、テレビ宮崎所属のアナウンサー。宮崎県延岡市出身、血液型はA型。宮崎県立延岡高等学校、玉川大学卒。高校時代は山岳部に所属。1983年にUMK入社。
もっと読む
井戸 章雄(いど あきお、1960年3月20日 - )は、日… 井戸 章雄(いど あきお、1960年3月20日 - )は、日本の医学者、内科学者。鹿児島大学第14代学長。博士(医学)。専門は消化器病学、肝臓病学、特に急性肝不全、肝再生、傷害組織の修復機構の研究。 宮崎県延岡市出身。1978年に宮崎県立延岡高等学校を卒業。1984年3月に長崎大学医学部を卒業し、6月から長崎大学医学部附属病院第一内科研修医。1990年9月、カルガリー大学医学部生化学教室研究員。1995年10月31日に、論文「Gene therapy for hepatoma cells using a retrovirus vector carrying herpes simplex virus thymidine kinase gene under the control of human α-fetoprotein gene promoter」で、長崎大学より博士(医学)の学位を取得。
もっと読む
鎌田 正彦(かまた まさひこ 1959年6月22日 - )は… 鎌田 正彦(かまた まさひこ 1959年6月22日 - )は、日本の実業家。SBSホールディングス株式会社創業者・代表取締役社長。 宮崎県延岡市生まれ。宮崎県立延岡高等学校を卒業後、1979年に佐川急便入社。8年間ドライバーとして勤務した後、1987年に佐川急便を退社し株式会社関東即配(SBSホールディングスの前身)を設立。1都3県の即日配送から始め、メーリングサービス、人材提供事業などで業務を拡大していき、2003年にジャスダック上場。翌年、雪印物流を買収し、2005年には東急電鉄系の東急ロジスティックをグループに迎え入れる。2012年12月に東証二部に上場し、2013年12月に東証一部上場を果たす。
もっと読む
工藤 幸四郎(くどう こうしろう、1959年6月5日 - )… 工藤 幸四郎(くどう こうしろう、1959年6月5日 - )は、日本の経営者。「不死身のアイデアマン」という異名を持つ。 宮崎県延岡市出身。延岡市立南小学校、延岡市立南中学校、宮崎県立延岡高等学校を経て、1982年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に旭化成工業(現:旭化成)に入社。 繊維部門に携わり、アメリカのセージ・オートモーティブ・インテリアズの買収にも携わった。2016年4月に上席執行役員に就任し、常務執行役員、取締役を経て、2022年4月から代表取締役社長兼社長執行役員に就任した。2024年7月から石油化学工業協会の会長も務めている。 中学までは野球、高校・大学時代にはハンドボールに打ち込んだ。
もっと読む
金子 裕則(かねこ ひろのり、1958年8月6日 - )は、… 金子 裕則(かねこ ひろのり、1958年8月6日 - )は、日本のシンガーソングライター。宮崎県延岡市出身。 中学3年生の時に1学年後輩からギターの手ほどきをしてもらったのがきっかけで、そのままその後輩と音楽デュオを結成。宮崎県立延岡高等学校に入学した頃にはオリジナル曲の製作を始め、バックバンド「花紀行」と共に文化祭や自主コンサートなどで活動。福岡大学商学部入学後はそれまでの音楽仲間とは別れ、大学前の喫茶店「ギルド」で弾き語りの活動を始める。1979年10月、『第18回ヤマハポピュラーソングコンテスト』において「哀歌」で優秀曲賞受賞。同年11月、第10回世界歌謡祭において同曲にて入賞。大学在学中にメジャーデビュー。
もっと読む
藤澤 文洋(ふじさわ ふみひろ、1954年 - )は東京都立… 藤澤 文洋(ふじさわ ふみひろ、1954年 - )は東京都立国立高等学校英語科教諭。元大リーグ解説者。 宮崎県生まれ。宮崎県立延岡高等学校、東京外国語大学外国語学部英米語学科卒業。 1977年にアメリカ野球愛好会を設立し、1979年以来代表を務めている。 本業は公立高等学校の教員(地方公務員)。東京都立八王子東高等学校教諭を経て、2008年より東京都立国立高等学校英語科教諭。 大学在学中以来アメリカ各地を巡り、すでに廃止された球場を含め、現在までに大リーグ球団の本拠地を40箇所以上訪れている。 アメリカ球界の選手、関係者に知己も多く、これまで、NHK(衛星第1テレビ放送)の大リーグ中継では1987年の放送開始以来解説者を務め、1996年からはスカイパーフェクTV!の解説者などを歴任した。
もっと読む
和田 耕治(わだ こうじ、1953年〈昭和28年〉11月5日… 和田 耕治(わだ こうじ、1953年〈昭和28年〉11月5日- 2007年〈平成19年〉5月22日)は、日本の医師。性転換(性別適合)手術の専門医で、大阪市北区の美容・形成外科「わだ形成クリニック」の院長を務めた。 1997年5月に日本精神神経学会が「性同一性障害の診断と治療に関する指針」(ガイドライン)を策定した後も、ガイドラインに束縛されることなく、患者の希望に沿い性転換(性別適合)手術を行った。その手術数は、ガイドラインに則して国内の医療機関で行われた手術数をはるかに上回り、累計で数百件と推定される。 学界や社会からは異端視されたが、多くのトランスジェンダーへ尽力的かつ安価で高度な医療手術・整形手術・性別適合手術などを行った。
もっと読む
稲用 博美(いなもち ひろみ、1953年3月10日 - )は… 稲用 博美(いなもち ひろみ、1953年3月10日 - )は、日本の地方公務員。宮崎県副知事を経て、公立大学法人宮崎県立看護大学理事長。 宮崎県延岡市北小路生まれ。宮崎県立延岡高等学校を経て、1975年名古屋大学経済学部卒業、宮崎県入庁。2001年企画調整部副参事兼企画調整課課長補佐。2005年総務部参事兼人事課長。2010年総務部長。2012年総合政策部長。 2013年から35年ぶりとなる生え抜きの副知事を務め、福祉行政や、関係機関との調整などにあたった。2017年に退任し、同年公立大学法人宮崎県立看護大学理事長に就任。2018年株式会社宮崎銀行取締役。2023年、瑞宝中綬章受章。
もっと読む
真栄田 雅也(まえだ まさや、1952年10月17日 - 2… 真栄田 雅也(まえだ まさや、1952年10月17日 - 2022年1月19日)は、日本の実業家、カメラ技術者。キヤノン代表取締役社長や、ビジネス機械・情報システム産業協会副会長を務めた。 宮崎県延岡市出身。延岡市立岡富小学校、延岡市立西小学校、延岡市立恒富中学校、宮崎県立延岡高等学校を経て、1975年九州大学工学部卒業後、キヤノン入社。本流のカメラ技術者として活躍し、2007年から取締役イメージコミュニケーション事業本部長としてデジタルカメラ事業の急成長を牽引した。 2010年キヤノン常務取締役に昇格。2014年専務取締役。2016年御手洗冨士夫の後任としてキヤノン代表取締役社長兼最高執行責任者に就任。
もっと読む
山元 泰生(やまもと たいせい、1941年6月12日 - )… 山元 泰生(やまもと たいせい、1941年6月12日 - )は、日本の作家、ライター。 宮崎県延岡市出身。宮崎県立延岡高等学校、早稲田大学第一文学部に学ぶ。編集者ののち文筆家。国際問題、社会事件、歴史人物などについて執筆する。
もっと読む
田原 祥一郎(たはら しょういちろう、1939年(昭和14年… 田原 祥一郎(たはら しょういちろう、1939年(昭和14年)11月5日 - 2025年10月7日)は、日本のテノール歌手。大阪音楽大学名誉教授。元武庫川女子大学音楽学部長。関西二期会名誉会員。神戸音楽家協会会員。 東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。同大学大学院音楽研究科声楽専攻修了。 宮崎県延岡市出身。宮崎県立延岡高等学校を卒業。1963年に東京芸術大学音楽学部声楽科を卒業。1966年に同大学大学院オペラ科修了。同年の第1回民音コンクール1位、第35回毎日音楽コンクール声楽部門2位、同海外派遣特別審査会1位・松下賞受賞。 1968年よりイタリア・ミラノのヴェルディ音楽院に留学。チェコスロバキア・プラハにて、ペーター・マークの指揮によるオラトリオ「アブラモとイザッコ」のアブラモ役としてレコーディングを行う。
もっと読む
中島 峰広(なかしま みねひろ、1933年12月15日 - … 中島 峰広(なかしま みねひろ、1933年12月15日 - )は、日本の農業地理学者、博士(学術)[4]。畑地灌漑・棚田研究の第一人者である[5]。早稲田大学教育学部(社会科地理歴史専修)の教員として長く教鞭を執ったほか、農林水産省日本の棚田百選の選定委員や、棚田学会会長[6][7]、NPO法人棚田ネットワーク代表を歴任した[5][8]。
もっと読む
後藤 昭八郎(ごとう しょうはちろう、1933年 - 200… 後藤 昭八郎(ごとう しょうはちろう、1933年 - 2009年12月11日)は、日本の経済学者、明治大学名誉教授。研究分野は経済政策。 1933年、宮崎県生まれ。1952年3月、宮崎県立延岡恒富高等学校(現在の県立延岡高校)卒業。1956年3月、明治大学政治経済学部経済学科卒業。1958年3月、明治大学大学院政治経済学研究科経済学専攻修士課程修了、経済学修士。1961年3月、明治大学大学院政治経済学研究科経済学専攻博士課程単位取得満期退学。赤松要門下。1976年3月25日、明治大学より経済学博士を授与される。明治大学政治経済学部専任助手、専任講師、助教授を経て、明治大学政治経済学部教授。2003年3月、明治大学政治経済学部定年退職。
もっと読む
山田 精吾(やまだ せいご、1930年 <昭和5年> 3月1… 山田 精吾(やまだ せいご、1930年 <昭和5年> 3月18日 - 1996年 <平成8年> 2月10日)は、昭和から平成時代の労働運動家。日本労働組合総連合会(連合)初代事務局長。位階は従四位。 宮崎県延岡市生まれ。1946年旧制延岡中学校卒。1948年旭化成工業(現旭化成)ダイナマイト工場に入社、全旭化成労働組合連合会(全旭連)ダイナマイト労組書記長。同年の旭化成争議では青年行動隊長として活躍し、ダイナマイトを腹に括りつけて経営側と対峙したことから「ダイナマイト男」の愛称が生まれた。1950年全旭連ダイナマイト労組執行委員。1951年同労組書記長、副委員長に選出され、全国繊維産業労働組合同盟(全繊同盟)化繊連合会に書記として出向。
もっと読む
甲斐 一政(かい かずまさ、1929年 - 2024年9月1… 甲斐 一政(かい かずまさ、1929年 - 2024年9月16日)は、元愛知県副知事。宮崎県西臼杵郡高千穂町出身。勲位は勲三等瑞宝章。 このほか、日本国際連合協会評議員、総務省中部管区行政苦情処理委員会座長、愛知大学理事を務めた。
もっと読む
橋元 親(はしもと ちかし、1923年1月15日 - 200… 橋元 親(はしもと ちかし、1923年1月15日 - 2000年1月29日)は、日本の柔道家(講道館9段、大日本武徳会錬士)。 天理大学柔道部や旭化成柔道部の師範のほか、全日本柔道連盟参与、近畿地区柔道連盟評議委員、関西学生柔道連盟会長等を歴任した。 宮崎県延岡市出身。県立延岡中学校入学と同時に、幼少からの病弱を案じた両親の意向に従い剣道部に入部した。2年生になり柔道部へ移ると、武道専門学校出身の平野直の手ほどきを受けて成長したほか、家から学校までアップダウンのある片道15kmを自転車で毎日通学し、これにより強靭な足腰が出来上がっていったという。3年生で大日本武徳会の初段、翌年に2段、卒業時には当時少なかった3段にまで昇段している。
もっと読む
高森 文夫(たかもり ふみお、1910年1月20日 - 19… 高森 文夫(たかもり ふみお、1910年1月20日 - 1998年6月2日)は、宮崎県生まれの詩人、政治家。 中原中也と親交が深かったことで知られる。旧制成城高等学校時代に後輩の吉田秀和と同居を始め、吉田のフランス語の家庭教師だった中也と知り合った。当時高森は21歳、中也は24歳だった。高森は同人誌「白痴群」などで発表されていた中也の詩をすでに読んでいたため、二人はすぐに仲良くなり、1932年5月には京都・奈良を二人で旅行。8月には山口県に帰省中だった中也を高森が訪問した後に二人で高森の実家の宮崎へと向かい、そのまま九州旅行をした。中也の死後も積極的に回想などを綴り、研究にも協力した。中也が藁の上で寝転んでいる有名な写真は、中也が宮崎を訪れた際に高森の手で撮影されたものである。
もっと読む
甲斐 政治(かい まさはる、1902年(明治35年)2月28… 甲斐 政治(かい まさはる、1902年(明治35年)2月28日‐ 1979年(昭和54年)9月13日) は、昭和期の満洲国官僚、放送関係者、政治家。衆議院議員(3期)。 宮崎県東臼杵郡北方村(北方町を経て現延岡市)で生まれた。城小学校、延岡中学校(現宮崎県立延岡高等学校)、第五高等学校を経て、1929年(昭和4年)3月、九州帝国大学法文学部法律科を卒業した。 同年3月、満洲に渡り鉄嶺自治指導委員長を経て、満洲国国務院民政部事務官、総務庁人事科長、遼陽県参事官兼地籍整理局事務官、瀋陽県支局弁事、遼陽副県長、瀋陽副県長、総務庁参事官、黒河省開拓庁長、拝泉県副県長、総務庁参事官・官房弁事、中華民国山西省顧問などを務めた。
もっと読む
石川 恒太郎(いしかわ つねたろう、1900年8月25日 -… 石川 恒太郎(いしかわ つねたろう、1900年8月25日 - 1990年10月30日)は、日本の歴史学者。 宮崎県日向市生まれ。宮崎県立延岡中学校、専修大学卒業。「日州新聞」「大阪毎日新聞」などの記者を経て1940年、宮崎県立上代日向研究所特別委員となる。戦後は宮崎県文化財専門委員として考古学や地方史研究に携わる。歴史研究のかたわらラジオ番組で郷土史の講義を行う。1960年宮崎県文化賞を受賞。
もっと読む
後藤 勇吉(ごとう ゆうきち、1896年〈明治29年〉11月… 後藤 勇吉(ごとう ゆうきち、1896年〈明治29年〉11月12日 - 1928年〈昭和3年〉2月29日)は、日本の航空黎明期の民間パイロット。一等操縦士・一等飛行士免許の取得、航空機による旅客輸送、日本一周飛行などにおいて日本初を記録したが、太平洋横断無着陸飛行計画の訓練中に墜落死している。 1896年(明治29年)、宮崎県延岡市南町で裕福な商家の四男に生まれる。幼少期より機械に関心を持ち、宮崎県立延岡中学校(現:宮崎県立延岡高等学校)に入るころには蒸気機関つきの精米機や、水上自転車を製作した。航空機に関心を持つようになったのもこの頃という。 1914年(大正3年)、延岡中学校卒業後に上京、三井物産の自動車部門(ヤナセの前身)で無給の工員として働くが、飛行士白戸栄之助に出会ってその助手となり、複葉水上飛行機・白戸式「巌号」を完成させる。
もっと読む
佐藤 重遠(さとう じゅうえん、1887年12月17日 - … 佐藤 重遠(さとう じゅうえん、1887年12月17日 - 1964年1月5日)は、日本の政治家、教育者、事業家。衆議院議員(4期)。研心学園(現・目白研心中学校・高等学校)設立。政治家として、また教育者として近代日本における私学教育の振興に大きく寄与。 父・米四郎、母・カクの長男として宮崎県東臼杵郡南方村(現・延岡市中三輪町)で生まれ、傳次郎と名付けられる。父は渡し守を生業としており、赤貧の中で苦学をして延岡中学校から一高、東京帝大と進学した。1910年に家督を相続し、重遠と改名。妻は内務大臣などを歴任した床次竹二郎の二女・フユ。
もっと読む
若山 牧水(わかやま ぼくすい、1885年(明治18年)8月… 若山 牧水(わかやま ぼくすい、1885年(明治18年)8月24日 - 1928年(昭和3年)9月17日)は、戦前日本の歌人。本名・繁(しげる)。 宮崎県東臼杵郡坪谷村(現・日向市)の医師・若山立蔵の長男として生まれる。1899年(明治32年)宮崎県立延岡中学校に入学。短歌と俳句を始める。 18歳のとき、号を牧水とする。由来は「当時最も愛していたものの名二つをつなぎ合わせたものである。牧はまき、すなわち母の名である。水はこの(生家の周りにある)渓や雨やから来たものであった」 1904年(明治37年)早稲田大学に入学。同級生の北原射水(後の白秋)、中林蘇水と親交を厚くし、「早稲田の三水」と呼ばれる。
もっと読む
百溪 禄郎太(ももたに ろくろうた、1885年3月28日-1… 百溪 禄郎太(ももたに ろくろうた、1885年3月28日-1977年12月15日)は、日本の物理学者。 宮崎県東杵杵郡出身[信頼性要検証]。父親は宮崎県延岡で医師と裁判官をしていた百溪龍蔵で、母は冨の5男として誕生。 宮崎県の旧制宮崎県立延岡中学校(現・宮崎県立延岡高等学校)では若山牧水と同窓で、校内の文学愛好会「曙会」に所属した。 延岡中学の校友会の雑誌部長として若山牧水が就任した時、その時の雑誌部校友会役員は、古川正雄、百溪禄郎太、甲斐猛一、松本庫太郎、乗秀小三郎の五人が幹事に選ばれている。 延岡中学卒業後鹿児島に滞在し、その後、東京に出て東京大学で物理学を学んだ。恩師の一人、寺田寅彦を物理学と文学に優れた師として尊敬して、文学者への憧憬も強かった。
もっと読む
原田 千栄(はらだ ちえ、5月11日 - )は、日本の歌手。… 原田 千栄(はらだ ちえ、5月11日 - )は、日本の歌手。 宮崎県延岡市出身。幼少期よりピアノ、宮崎県立延岡高等学校入学以降より声楽を学び、同校卒業後、上京しミューズ・モード音楽院へ入学。入学以後、同校にてボーカル講師を担当していたジャズ・ボーカリストのヒサヨ(ひさよ)・フォスターに師事。同校ボーカル科卒業後、そのまま母校に籍を置きボーカル科の講師を務めていた。 同校在籍時、「週刊少年サンデー」にて連載していた『GS美神 極楽大作戦!!』のテレビアニメシリーズ制作に伴う、オープニングテーマのオーディションを同校スタッフから薦められ受験。後にキングレコードスターチャイルドレーベルのスタッフ側はコンペの結果、原田を起用した事により歌手デビュー。
もっと読む
大木 正幹(おおき せいかん)は、日本の陸上競技(短距離走)… 大木 正幹(おおき せいかん)は、日本の陸上競技(短距離走)選手・指導者。法政大学在学中の1932年、ロサンゼルスオリンピックに400m走と4×400mリレーで出場した。 旧制延岡中学校(現在の宮崎県立延岡高等学校)出身、法政大学に進学。 短距離走の選手であるが、1930年の東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝。第11回)に出場した。箱根駅伝にはその後も1931年(第12回)、1932年(第13回)、1933年(第14回)と、計4度出場している。 1932年、日本学生陸上競技対校選手権大会(日本インカレ)の400m走で優勝。1932年ロサンゼルスオリンピックの日本代表に選ばれ、400m走と4×400mリレーに出場。
もっと読む
日野 三代春(ひの みよはる)は、日本の実業家。テーブルマー… 日野 三代春(ひの みよはる)は、日本の実業家。テーブルマークホールディングス代表取締役社長や、テーブルマーク代表取締役社長、日本冷凍めん協会会長等を務めた。 宮崎県延岡市出身。宮崎県立延岡高等学校を経て、1978年西南学院大学商学部卒業、旭化成工業入社。旭化成の食品事業部で経理などを務めていたが、事業譲渡に伴い2000年日本たばこ産業に転籍。日本たばこ産業食品事業部長、日本たばこ産業執行役員を経て、2008年加ト吉常務執行役員。2009年加ト吉取締役専務執行役員。 2011年からテーブルマーク代表取締役社長を務め、構造改革などを進め、4期連続の黒字を実現した。2014年テーブルマークホールディングス代表取締役社長兼テーブルマーク代表取締役社長。
もっと読む