スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
中川 和真(なかがわ かずま、1995年10月28日 - )… 中川 和真(なかがわ かずま、1995年10月28日 - )は、元ラグビー選手。 小学校4年生からバスケットボールを始め、中学校3年生までプレーした。中学校1年生からラグビーを始め、現在に至る。 2014年、函館工業高校卒業後、大東文化大学に入学する。 2017年、大東文化大学ラグビー部の副将に就任した。 2018年、大東文化大学卒業後、キヤノンイーグルス(現・横浜キヤノンイーグルス)に加入。 2024年5月、横浜キヤノンイーグルスを退団、現役引退した。
萩澤 正太(はぎさわ しょうた、1990年1月19日 - )… 萩澤 正太(はぎさわ しょうた、1990年1月19日 - )は、日本の元ラグビー選手。 ラグビーを始めたきっかけは兄の試合を見に行って顧問の先生に誘われたことから。 2008年、函館工業高校卒業後、流通経済大学に入る。 2012年、流通経済大学卒業後、サントリーサンゴリアスに加入。 2013年、クボタスピアーズに加入。同年12月1日に行われたジャパンラグビートップリーグ2ndステージ第1節の豊田自動織機シャトルズ戦に途中出場ながら公式戦初出場を果たす。 2014年に行われたアジア大会では7人制日本代表として金メダル獲得に貢献。 2020年、現役を引退した。
青山 浩二(あおやま こうじ、1983年8月12日 - )は… 青山 浩二(あおやま こうじ、1983年8月12日 - )は、北海道函館市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。野球解説者、コーチ。 小中学時代は主に外野手を務め、北海道函館工業高等学校時代から本格的に投手に転向。高校3年春の全道大会では決勝で北海高等学校に敗れて準優勝。高校3年の夏は南北海道大会でベスト4に進出した。高校1年次のエースは大学の先輩でもある石川賢だった。 青森県の八戸大学(現・八戸学院大学)に進学し、硬式野球部では大学通算20勝無敗、ベストナイン3回の成績を挙げた。2005年の大学選手権では準々決勝で創価大の八木智哉と9回を投げ合うが同点のまま降雨コールドとなり、再試合も先発完投したが延長10回サヨナラ負けした(八木も2回から投げ切った)。
田島 翔(たじま しょう、1983年4月7日 - )は、北海… 田島 翔(たじま しょう、1983年4月7日 - )は、北海道北斗市(旧・上磯町)出身のサッカー選手、プロ競技麻雀団体・RMU所属のプロ雀士。 ポジションはミッドフィールダーで、サイドハーフやボランチでプレーすることが多い。 小学生の頃は野球部でピッチャーを務め、サッカーは5年生の時にサッカーチームができ並行してプレー。中学生からはサッカーに専念するが、北海道函館工業高等学校では実績を残せなかった。 卒業後はサッカー留学でシンガポールへ渡る。帰国後、2003年にラモス瑠偉を中心に立ち上げたFC琉球の入団テストを受け、合格。2005年の九州サッカーリーグ開幕前の練習試合で相手選手のタックルを受け、開放骨折の大怪我を負う。
福島 和可菜(ふくしま わかな、1982年12月2日 - )… 福島 和可菜(ふくしま わかな、1982年12月2日 - )は、日本のタレント、女優、元自衛官、マラソン&ウルトラマラソン&トレイルランナー。 北海道函館市出身。元陸上自衛官で、得意のフルマラソンでは「女性芸能人初のサブ3(2時間59分05秒)」を達成している。 1982年、函館市生まれ。 中学時代は吹奏楽部だったが、体育の授業をきっかけに走幅跳の代表に選ばれ、道大会で上位に入ったことをきっかけに、スポーツ推薦で北海道函館工業高等学校に入学し陸上部に入る。 高校卒業後は陸上部の顧問の勧めで陸上自衛隊に勤務。旭川駐屯地の野戦特科部隊に配属され、自走榴弾砲の射撃指揮班として任務にあたっていた。 自衛隊勤務中、ミス旭川コンテストにエントリーしたものの最終審査で落選したことでリベンジを誓ったことをきっかけにタレントへの転身を考えるようになり、2005年に自衛隊を退職し上京。
佐藤 公博(さとう きみひろ、1936年7月13日 - )は… 佐藤 公博(さとう きみひろ、1936年7月13日 - )は、北海道函館市出身の元プロ野球選手(投手)。 函館工業では1954年夏の甲子園道予選準々決勝に進むが、札幌北高に延長10回サヨナラ負け。卒業後は東洋高圧砂川に入社し、1955年から都市対抗の常連として活躍する。 1961年に阪急ブレーブスへ入団、同年は4月から先発陣に加わり4勝をあげる。その後は一時低迷するが、1965年には先発、中継ぎとして幅広く起用され42試合に出場。1966年には柿本実との交換トレードで、中日ドラゴンズに移籍。ここでは主として救援に回るが、9月26日には巨人戦で先発し、1点リードの9回2死までノーヒットノーランに抑える。
松田 昇(まつだ のぼる、1933年12月13日 - )は、… 松田 昇(まつだ のぼる、1933年12月13日 - )は、日本の検察官。元東京地検特捜部部長。 北海道函館市出身。北海道函館工業高等学校電気科を経て、苦学しながら1957年中央大学法学部を卒業。会社勤務の傍ら司法試験に挑み続け、1963年検事任官。山本清二郎の下で日通事件に関わった。ロッキード事件では児玉誉士夫の取調べ担当にあり、さらに1976年7月27日午前6時半、特捜部資料課事務官の4人らと共に、目白台の田中邸に出向き、田中角栄を逮捕、東京地検への同行を求めた。 1985年東京高検特別公判部長(政治家被告人のための公判担当)、1987年8月東京地検特捜部長、1989年最高検検事。以後、1990年大津地検検事正、1991年最高検検事、同年水戸地検検事正を経て、1993年7月法務省矯正局長に。
笠原 正行(かさはら まさゆき、1933年9月7日 - 20… 笠原 正行(かさはら まさゆき、1933年9月7日 - 2009年5月10日)は、北海道函館市出身のプロ野球選手(投手)。 北海道函館工業高等学校から1952年に読売ジャイアンツへ入団。1953年に一軍初登板し、1954年には9勝を記録。1956年に大映スターズへ移籍し、同年引退した。 2009年5月10日、肺がんのため死去。75歳没。実子は土浦日本大学高等学校の投手として、第68回全国高等学校野球選手権大会に出場した。
越森 幸夫(こしもり ゆきお 1930年12月10日 - 2… 越森 幸夫(こしもり ゆきお 1930年12月10日 - 2005年2月28日)は、日本の政治家。奥尻町の町長。 北海道の奥尻町で生まれる。北海道函館工業高等学校を中退。その後、1959年4月に、奥尻町議会議員となり、4期を務めた。1967年から1975年まで町議会の副議長を務め、1975年に奥尻町長になり、2001年まで7期、22年間務めた。在職中の1993年に北海道南西沖地震に遭遇し、復興に尽力した。 2001年に発注工事において収賄および競売入札妨害をした容疑のため逮捕された。これを受け、2001年3月18日に、鴈原徹が町長になった。2004年に札幌高等裁判所で執行猶予付きの有罪判決を受けた。
斎藤 実(さいとう みのる、1923年9月25日 - 201… 斎藤 実(さいとう みのる、1923年9月25日 - 2014年11月4日)は、日本の政治家。公明党衆議院議員(6期)。 青森県下北郡大湊町(現むつ市)出身。1940年、函館市立商工青年学校(後の北海道函館工業高等学校)卒業。1959年札幌市議会議員に当選する。1期務めた後、1963年から北海道議会議員を1期務める。1967年の第31回衆議院議員総選挙で北海道1区から公明党公認で立候補して当選、以後6期務めた。1986年の第38回衆議院議員総選挙に出馬せず引退した(後継者には参議院から藤原房雄が鞍替え)。2014年死去。
岡田 健蔵 は、日本の社会事業家、郷土史家。北海道函館市の函… 岡田 健蔵 は、日本の社会事業家、郷土史家。北海道函館市の函館市中央図書館の初代館長(当時の名称は函館市立図書館)であり、同図書館の前身である函館毎日新聞緑叢会付属図書室、および私立函館図書館の設立者のひとり。北日本屈指の図書館人ともいわれる人物であり、私財を投じて函館の郷土資料の収集に努めた。また、函館の火災の多さを考慮して耐火構造の図書館を提唱し、貴重な資料の多くを火災から守り抜いた。函館区鰪澗町(たなごまちょう、後の函館市入舟町)出身。