松山 晋也(まつやま しんや、2000年6月23日 - )は… 松山 晋也(まつやま しんや、2000年6月23日 - )は、青森県上北郡天間林村(現:七戸町)出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 育成ドラフトで入団した選手として初めての最多セーブ受賞者。1シーズン46セーブのセ・リーグタイ記録保持者。 七戸町立天間西小学校2年時に天間西ジャイアンツで野球を始め、七戸町立天間舘中学校では軟式野球部に所属していた。 八戸学院野辺地西高等学校では、3年時夏の青森県大会2回戦で堀田賢慎擁する青森山田高等学校に対し、3回途中3失点で降板するなど目立った活躍はなく、甲子園出場歴もない。2学年上に中道佑哉がいる。 八戸学院大学ではリーグ戦デビューが3年時秋と遅く、4年時春もリリーフで4試合に登板したのみだったが、4年時秋の対岩手大学2戦目ではリリーフ登板し6回2/3を投げて11奪三振を記録するなど、ドラフト会議直前に頭角を表した。
江幡 俊介(えばた しゅんすけ、2000年1月16日 - )… 江幡 俊介(えばた しゅんすけ、2000年1月16日 - )は、北海道出身のサッカー選手。ポジションはフォワード(FW)。東北社会人サッカーリーグ・コバルトーレ女川所属。 八戸学院大学から、2022年にヴァンラーレ八戸に加入した。4月29日、J3リーグ第7節のいわきFC戦でJデビュー。 2023年11月23日に八戸との契約満了を発表。 2024年、東北社会人サッカーリーグ1部のコバルトーレ女川に移籍。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
大道 温貴(おおみち はるき、1999年1月20日 - )は… 大道 温貴(おおみち はるき、1999年1月20日 - )は、埼玉県川口市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 小学校2年生の時に父の仕事の関係で暮らしていたシンガポールで野球を始め、6年生の時に帰国。川口市立八幡木中学校では軟式野球部に所属し捕手から投手に転向した。 春日部共栄高等学校では、2年春よりベンチ入りし秋からエース。3年夏は県ベスト4に終わり、甲子園出場経験はなかった。 進学した八戸学院大学では、1年春よりベンチ入りを果たし、4年秋季リーグの対富士大学戦では18奪三振を記録し、最終的には奪三振率13.0を記録した。北東北大学野球連盟での通算成績は22勝7敗、防御率1.75。
中道 佑哉(なかみち ゆうや、1998年9月4日 - )は、… 中道 佑哉(なかみち ゆうや、1998年9月4日 - )は、青森県十和田市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。NPBでは育成選手であった。 小学校では軟式野球クラブの「十和田北園クラブ」に所属。十和田市立三本木中学校では同校の軟式野球部に所属し、3年生時に東北大会に進出する。 八戸学院野辺地西高等学校2年生の秋に、八戸学院大学硬式野球部の正村公弘監督から当時オーバースローだった投球フォームから腕を下げる様にアドバイスされ、それによりコントロールが良くなり球速も上がったことで、野球に対する情熱を取り戻し、大学でも野球を続けることを志す。 八戸学院大学に進学し、1年の春季リーグよりベンチ入りを果たす。
武岡 大聖(たけおか たいせい、1998年6月28日 - )… 武岡 大聖(たけおか たいせい、1998年6月28日 - )は、徳島県吉野川市出身の元プロ野球選手(内野手)。弟は東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手の武岡龍世。 小学校6年時(5年の終わり頃)よりから野球を始める。 吉野川市立鴨島第一中学校に進むと硬式野球チームの「徳島ホークス」へ入団。年代別の日本代表にも選出されている。 進学した生光学園高等学校野球部では臨時コーチの元読売ジャイアンツの平田薫から指導を受ける。 高校卒業後は弟・龍世が進学していた青森県の八戸学院光星高等学校の姉妹校に当たる八戸学院大学に進学。大学時代には全日本大学野球選手権に出場している。大学4年時にはプロ志望届を提出するが、指名漏れとなった。
平沼 日菜子(ひらぬま かなこ、1996年3月1日 - )は… 平沼 日菜子(ひらぬま かなこ、1996年3月1日 - )は、フリーで活動する日本のタレントである。青森県八戸市出身。八戸学院大学卒業。 2014年 地元青森でTVやラジオに出演しタレント活動を開始。 2015年 第18代ミスりんごあおもりに選出され2018年まで活動し、国内外に向けて青森県の顔として青森りんごをPR。その仕事の際訪れた台湾に心惹かれて、2018年から台湾留学を決意する。 2018年 台湾に語学留学。インスタグラムでスカウトされ台湾でタレント活動。 2019年 台湾から帰国後、フリーでタレント活動を開始。 2021年 海猫ふれんずのメンバーとして、八戸都市圏を中心に青森県の魅力を発信するwebメディアの活動を開始。
愛(あい、1991年11月18日 - )は、日本のタレント、… 愛(あい、1991年11月18日 - )は、日本のタレント、モデル、歌手。レーベルは、2021年からドリーミュージックに所属する。愛称は、あいにゃん。茨城県生まれで、2才から青森県八戸市で生活している。「館鼻岸壁朝市」PR大使、番組内の愛称は愛ちゃん。女性アイドルグループ「シンデレラマジックEAST」のメンバー。現在は、引退しテレビディレクターと結婚。1児の母。 1991年に茨城県に生まれる。2才から青森県八戸市に家族と転居してから二十数年、地元八戸市を拠点にご当地タレント、モデル、歌手として活躍する。 2020年から「館鼻岸壁朝市PR大使」を務め、TBSテレビ「中居大輔と本田翼と夜な夜なラブ子さん」レギュラー出演。
田代 将太郎(たしろ しょうたろう、1989年12月13日 … 田代 将太郎(たしろ しょうたろう、1989年12月13日 - )は、北海道石狩市出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。YouTuberとしても活動。 小学校4年生の時に外野手として野球を始めると、中学生時代は石狩中央シニアに所属していた。 東海大学付属第四高等学校への進学後は、3年夏の第89回全国高等学校野球選手権大会南北海道大会の札幌地区代表決定戦まで進んだことが最高成績で、春夏共に阪神甲子園球場での全国大会へ出場できなかった。高校卒業後は東海大学へ進学を希望し、大学の練習場でセレクションを受けたが、「特待生では取れない」と言われる。なお、田代がなれなかった特待生に菅野智之と田中広輔がいた。
塩見 貴洋(しおみ たかひろ、1988年9月6日 - )は、… 塩見 貴洋(しおみ たかひろ、1988年9月6日 - )は、大阪府守口市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 小学校時代に守口市佐太スポーツ少年団に所属して野球を始め、中学時代は守口シニアでプレー。当時は身長160cm足らずで主に外野手としてプレーしていた。 4歳上の兄が進学していた愛媛県の帝京第五高等学校へ進み、投手に転向。高校3年間で身長がおよそ20cm伸び、同時に球速も上がり県下屈指の左腕として注目された。3年夏には県ベスト8に入り、1回戦に13者連続含む打者16人から14個の三振を奪い、5回参考記録ながらノーヒットノーランを記録。 八戸大学(現:八戸学院大学)では「みちのくのドクターK」と呼ばれた。
秋山 翔吾(あきやま しょうご、1988年4月16日 - )… 秋山 翔吾(あきやま しょうご、1988年4月16日 - )は、神奈川県横須賀市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。広島東洋カープ所属。 日本プロ野球におけるシーズン最多安打記録(216本・2015年)保持者。 2歳で野球を始め、1995年の卒園文集には「やきゅうせんしゅになりたいです。いちろう(イチロー)みたいにひっとうちたいです。」と書いていた。横須賀市立大津小学校に入学した小学1年からソフトボールチームの「大津スネークス」に入部。コンマ1秒でも早く一塁へ到達するよう右投げ左打ちに変更。左打ちのフォームは父親から指導された。父親の指導は厳しく、小学生時点で大津中学校の陸上部に入部し中学生と一緒に陸上の練習をしていた。
佐々木 裕也(ささき ゆうや、1988年4月6日 - )は、… 佐々木 裕也(ささき ゆうや、1988年4月6日 - )は、日本のプロバスケットボール選手である。ポジションはシューティングガード。2011年から2014年までbjリーグのチームに所属していた。 秋田県大館市出身。大館市立東中学校を卒業した後、大館市と県境で接する青森県の青森山田高校に進学した。 高校卒業後は八戸大学、八戸のクラブチーム「八戸クラブ」を経て、bjリーグの信州ブレイブウォリアーズに練習生として加わり、2011-12シーズン途中の2012年2月に選手契約を結ぶ。このシーズンは7試合に出場し、1つのリバウンドを記録した。 2012-13シーズンは信州の練習生として迎えたが、10月12日に契約を結び選手に復帰する。
新井山 祥智(にいやま しょうち、1985年4月13日 - … 新井山 祥智(にいやま しょうち、1985年4月13日 - )は、青森県三戸郡五戸町出身の元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 2008年に東北社会人リーグ2部でデビューして以来、ヴァンラーレ八戸一筋のバンディエラ。 光星学院高校、八戸大学といずれも学校の部活動でプレー。2006年には第55回全日本大学サッカー選手権大会へ出場(八戸大学は同大会が初出場)。 2008年にヴァンラーレ八戸へ入団、2010年から2015年までチームのキャプテンを務め、2021年から再度キャプテンに就任した。 現役時代は他のチームに一度も移籍することなくヴァンラーレ八戸一筋で同チームの選手のまま2024年シーズンをもって現役を引退した。
松田 賢太(まつだ けんた、1984年8月22日 - )は、… 松田 賢太(まつだ けんた、1984年8月22日 - )は、岩手県大船渡市出身の元サッカー選手。ポジションは、MF。 盛岡商業高校3年時に、レギュラーとして第81回全国高等学校サッカー選手権大会に出場。八戸大学(現・八戸学院大学)を経て、2007年にグルージャ盛岡へ入団した。 2013年は主将として第37回全国地域サッカーリーグ決勝大会優勝及び2014年のJ3リーグ入会の原動力となった。 2016年はオーバートレーニング症候群を発症して戦線を離脱。同年をもって現役を引退。翌年からはグルージャのフロントスタッフとして強化・プロモーション担当やスクールコーチ、U-18コーチを歴任。2020年3月をもってグルージャを退団、同年4月からは盛岡市に発足したジュニアサッカースクール「FC AOBA」の監督を務めている。
内藤 雄太(ないとう ゆうた、1983年11月29日 - )… 内藤 雄太(ないとう ゆうた、1983年11月29日 - )は、神奈川県横須賀市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。現役時代は横浜DeNAベイスターズに所属していた。 1983年、横須賀市で生まれ、小学生時代は横浜スタジアムに通いつめた。ある日の試合前、内藤に「今日打ってくるからな」と声をかけてきた佐伯貴弘がフェンス直撃のタイムリーツーベースを放って以来、ベイスターズと佐伯のファンになったというエピソードがある。横浜商工高等学校では身長が180cmを超えて主軸を任されていたが、2年秋の時点で体重が65kgと体型が細かったため、屈伸運動や毎日500本以上の素振りに取り組み、3年夏には体重を72kgまで増やした。
青山 浩二(あおやま こうじ、1983年8月12日 - )は… 青山 浩二(あおやま こうじ、1983年8月12日 - )は、北海道函館市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。野球解説者、コーチ。 小中学時代は主に外野手を務め、北海道函館工業高等学校時代から本格的に投手に転向。高校3年春の全道大会では決勝で北海高等学校に敗れて準優勝。高校3年の夏は南北海道大会でベスト4に進出した。高校1年次のエースは大学の先輩でもある石川賢だった。 青森県の八戸大学(現・八戸学院大学)に進学し、硬式野球部では大学通算20勝無敗、ベストナイン3回の成績を挙げた。2005年の大学選手権では準々決勝で創価大の八木智哉と9回を投げ合うが同点のまま降雨コールドとなり、再試合も先発完投したが延長10回サヨナラ負けした(八木も2回から投げ切った)。
須江 航(すえ わたる、1983年4月9日 - )は、埼玉県… 須江 航(すえ わたる、1983年4月9日 - )は、埼玉県比企郡鳩山町出身の高校野球指導者、仙台育英学園高等学校情報科教諭。 小学校2年時より野球を始める。鳩山町立鳩山中学校を経て、宮城県の仙台育英高校に進学。2年秋からはグランドマネージャーを務め、3年時には春夏連続で甲子園大会に記録員としてベンチ入りをしている。 高校卒業後は、青森県の八戸大学に進学。入学後は野球部に入部し、学生コーチを務める。 大学卒業後には、地元の埼玉県で高校教員を目指していたが恩師に誘われる形で仙台育英高校の系列校の秀光中等教育学校に着任し、創部間もない野球部の監督に就任。 その後は長く中学野球の指導者として実績を残し続けてきたが、母校・仙台育英高校の野球部内で不祥事が発覚し監督・佐々木順一朗が2017年12月10日引責辞任することと2018年1月1日付で須江が監督に就任することが発表された。
三木 均(みき ひとし、1982年8月8日 - )は、大阪府… 三木 均(みき ひとし、1982年8月8日 - )は、大阪府泉佐野市出身の元プロ野球選手(投手)。
川島 亮(かわしま りょう、1981年9月9日 - )は、千… 川島 亮(かわしま りょう、1981年9月9日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 稲毛中学校から「北千葉ポニー」に所属し、野球を始める。千葉経済大学附属高校を卒業後、八戸大学に進学、硬式野球部に所属。大学の同期には石川賢がいる。1年から登板して2年で同校初の大学選手権に出場。3年時は2回戦で先発勝利しベスト8。日米大学野球に出場したが、4年時は右肩痛を発症した。 2003年度ドラフト会議でヤクルトスワローズに自由獲得枠で入団。背番号はかつてスワローズのエースであった松岡弘や川崎憲次郎が背負った「17」となった。 2004年は中盤以降から防御率を向上させて先発の柱となり、終盤には5連勝で10勝を挙げ、防御率もリーグ3位の3.17を記録し新人王に選出された。
杉山 和史(すぎやま かつし、1976年11月29日 - )… 杉山 和史(すぎやま かつし、1976年11月29日 - )は、日本の男性総合格闘家。 茨城県出身。選手活動と併せて茨城県筑西市にある格闘技ジム&フィットネス TURNING POINTの代表を務める。柔道道場「関城柔道会」でも指導にあたっている。 茨城県に生まれる。幼い頃より地元の関城柔道会で柔道を学ぶ。茨城県立鬼怒商業高等学校卒業後、八戸学院大学に進学。23歳の時から総合格闘技を始め、同じ茨城県出身の梅田恒介より指導を受けた。 2002年4月4日、United Full Contact Federationでデビュー戦としてケイシー・ バルクマイヤーと対戦し、アームバーで一本勝ち。 2002年6月1日、Full Contact Fighting Federationにおけるゲーリー・クアン、Jace Fabryckiとの対戦ののち、約9年のブランクを経て2011年2月6日、復帰戦となったFighting Network ZSTで宮北寛士と対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。
小笠原 牧子(おがさわら まきこ)は、日本の元フィギュアスケ… 小笠原 牧子(おがさわら まきこ)は、日本の元フィギュアスケート選手(ペアスケーティング)。青森県八戸市出身。八戸工業大学第一高等学校、八戸大学卒業。元パートナーは兄の小笠原健雄。 1998年全日本フィギュアスケートジュニア選手権優勝。1999年、2000年全日本フィギュアスケート選手権優勝。 青森県八戸市出身。八戸GOLD FSCに所属していた。八戸工業大学第一高等学校、八戸大学卒業。 1998年、全日本ジュニア選手権で初優勝。1999年、初出場となった全日本選手権で優勝。2000年、全日本選手権で二連覇を果たす。 2001年、全日本選手権で川口悠子/A・マルクンツォフに次いで2位。2002年も同大会で2位となった。