スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
阿部 寿樹(あべ としき、1989年12月3日 - )は、岩… 阿部 寿樹(あべ としき、1989年12月3日 - )は、岩手県一関市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 愛称は「マスター」。 一関市立赤荻小学校1年(もしくは2年)で赤荻スポーツ少年団に入団して軟式野球を始め、一関市立山目中学校(2015年に一関市立中里中学校と統合し現在は一関市立磐井中学校)では、軟式野球部に所属した。硬式球や木製バットは自宅のビニールハウス内に設けられた父親手製の練習場でバッティング練習等をして親しんでいたという。 その後、進学した岩手県立一関第一高等学校では、3年春の県大会優勝、続いての東北大会優勝が最高成績だった。3年生の夏の予選では2回戦で花巻東高校と当たり、当時1年生でリリーフ登板した菊池雄星とも対戦し敗退した。
菅生 翔平(すごう しょうへい、1989年10月11日 - … 菅生 翔平(すごう しょうへい、1989年10月11日 - )は、宮城県を中心に活動するフリーアナウンサー・学習塾講師で、東北放送(TBC)の元アナウンサー。 岩手県大船渡市の出身で、岩手県立一関第一高等学校への在学中には硬式野球部で活動していた。高校時代の同級生に同じ野球部だった阿部寿樹(中日ドラゴンズ内野手)や佐藤千尋(女子プロ野球の愛知ディオーネで内野手や外野手としてプレー)がおり、1学年先輩に藤原梨香(元テレビユー福島アナウンサー)がいる。 慶應義塾大学卒業後の2012年4月1日付で、アナウンサーとして東北放送(TBC)に入社。入社後は、スポーツ関連の番組・中継を担当するかたわら、2016年4月から『Nスタみやぎ』(平日夕方の宮城ローカル向け報道・情報番組)で月 - 水曜日のメインキャスターを務めていた。
木村 正太(きむら しょうた、1986年5月24日 - )は… 木村 正太(きむら しょうた、1986年5月24日 - )は、岩手県一関市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は読売ジャイアンツの球団職員。 一関市立山目中学校(現:一関市立磐井中学校)時代から、その快速球には目を瞠るものがあったが、制球には難があった。 地元の進学校である一関一高に進学。公式戦でノーヒットノーランを2度達成。東北地方では「鉄腕機関車」と呼ばれ注目される投手へと成長した。2年秋には県大会準優勝で東北大会へ進むと初戦を完投、準々決勝は完封勝利。準決勝ではダルビッシュ有が先発した東北高に6回コールド負け。21世紀枠で49年ぶり第76回選抜高等学校野球大会に出場。夏の県大会はベスト8。ダルビッシュ有、佐藤剛士とともに「東北ビッグ3」とも呼ばれた。
SHUHO(シュウホウ、1980年7月28日 - )は、日本… SHUHO(シュウホウ、1980年7月28日 - )は、日本のダンサー、振付師であり、ハウスダンスチームTOKYO FOOTWORKZのメンバーである。また2018年よりアイドルグループ吉本坂46のメンバーとなる。D.LEAGUEに21-22SEASONから加入したdip BATTELSの初代ディレクターに就任し、22-23SEASONまでチームを率いていた。岩手県一関市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシーの子会社であるShowtitleに所属している。 一関第一高校時代は家族の影響もありソフトテニス部で活躍。日本大学経済学部に入学後、ダンスを始める。中学時代からハウス音楽を聴いていたことから、ハウス (ダンス)を専門とする。
千葉 絢子(ちば じゅんこ、1978年7月24日 - )は、… 千葉 絢子(ちば じゅんこ、1978年7月24日 - )は、日本の政治家。元岩手県議会議員(2期)。元岩手めんこいテレビアナウンサー。 岩手県西磐井郡平泉町出身。 岩手県立一関第一高等学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、2001年に岩手めんこいテレビへ入社。入社半年で『mitスーパーニュース』のキャスターに起用される。2003年には『FNNスピーク』で夏休み中の高木広子の代役を務め、その翌年には『ニュースJAPAN』で滝川クリステルの代役も務めていた。 私生活では入社1年後輩の営業職である夫との間に3人の子供がいる。『VERY』(光文社)2012年4月号の連載記事「家族のコトバ」では、家族と東日本大震災について語っている。
野口 あきこ(のぐち あきこ、1976年8月10日 - )は… 野口 あきこ(のぐち あきこ、1976年8月10日 - )は、岩手県一関市出身のフリーアナウンサー・リポーター・ラジオパーソナリティ・DJ。元青森放送アナウンサー。 ローマ字表記では、従来の表記法にとらわれずに AKICO と綴っている。 かつての青森放送時代は、本名の「野口亜紀子」の表記を用いていた。現在はジャンルにとらわれず、パーソナリティとして、テレビのCMなどにも出演したりしている。 岩手県立一関第一高等学校から学習院大学経済学部経済学科に進学し、卒業後の1999年(平成11年)に青森放送 (RAB) に入社。2001年(平成13年)12月に同局を退社してフリーアナウンサーとなった。 2002年(平成14年)、エフエム仙台 (Date fm) が開局20周年を記念してDJオーディションを行い、同局の帯番組『AIR HIPS』の月曜担当DJに選ばれた(このときさとう千日も選ばれ、水曜担当となった)。
藤野 耕平(ふじの こうへい、1976年7月16日 - )は… 藤野 耕平(ふじの こうへい、1976年7月16日 - )は、日本の漫画家。岩手県出身。 『週刊少年ジャンプ』2003年42号 - 2004年2号に連載された「サラブレッドと呼ばないで」(原作:長谷川尚代)の作画を担当した。 うすた京介のアシスタントをしていた時に、『赤マルジャンプ』に掲載された実写版『ピューと吹く!ジャガー』で酒留清彦(ピヨ彦)役を演じたことから、一部では「ピヨ彦」という愛称で呼ばれている。[要出典]
なかだ えり(1974年11月2日 - )は、日本のイラスト… なかだ えり(1974年11月2日 - )は、日本のイラストレーター。 岩手県一関市出身。岩手県立一関第一高等学校、日本大学生産工学部建築学科卒業、法政大学大学院建築科修士課程修了。フリーランスで本のさし絵、建築設計、執筆など多分野で活動中。
菅原 希(すがわら のぞむ、1967年〈昭和42年〉5月21… 菅原 希(すがわら のぞむ、1967年〈昭和42年〉5月21日 - )は、日本の総務官僚。 岩手県西磐井郡花泉町(現・一関市)出身。岩手県立一関第一高等学校を経て、1990年(平成2年)、東北大学法学部を卒業し、総務庁に入庁。 入庁後、行政管理局管理官、行政評価局評価監視官、同政策評価課長、同行政相談課長、同総務課長、総務省大臣官房政策評価広報課長、同政策立案支援室長などを歴任。 2019年(令和元年)7月5日、内閣府大臣官房審議官(地方分権改革担当)兼内閣府地方分権改革推進室次長兼内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補付)に就任。 2020年(令和2年)7月20日、総務省大臣官房審議官(行政管理局担当)に就任。
ジョヴァンニ安東(ジョヴァンニあんどう、Jovanni An… ジョヴァンニ安東(ジョヴァンニあんどう、Jovanni Ando、1962年11月1日 -)は、岩手県一関市出身、盛岡市在住の芸術家(サイバーゲージツ家)。モリオーネ美術水族館代表。 岩手県立一関第一高等学校普通科、和光大学人文学部芸術学科卒業。血液型はAB型。安東秀衡(あんどう ひでひら)の名でも活動をする。青森や岩手の私設美術水族館で自らの絵画やペットの熱帯魚等を展示、地域に無料開放し話題となる。輸入が途絶え、日本で姿を消したアクアペットの古代貝(ホルン貝)を「アンモナイトスネイル」と名付けて全国に再び広めた。また熱帯魚、特にアフリカ・マラウイ湖原産アフリカンシクリッドのブリーダーとして、より美しく、より丈夫で、より安い魚の国産化を図り、改良品種の魚を次々と発表し、東南アジアや熱帯魚先進国ドイツに劣らぬ良魚を多数世に送り出している。
きくち 伸(きくち しん、1962年(昭和37年)5月28日… きくち 伸(きくち しん、1962年(昭和37年)5月28日 - )は、日本のテレビプロデューサー。 2017年6月30日時点ではフジテレビジョン総合事業局コンテンツ事業センターペイTV部ゼネラルプロデューサー。本名は菊地 伸(読みは同じ)だが、"菊池"と間違えられることが多いため、テレビ業界では苗字をひらがな表記したきくち 伸の表記が定着している。 岩手県一関市出身。岩手県立一関第一高等学校、筑波大学卒業。高校時代は弓道、大学時代は阪神タイガースの応援サークルをメインに活動していた。就職は小学館が第一志望であったが、友人に誘われ産経新聞の青木彰が主催する青木塾に入塾し、フジサンケイグループのマスコミセミナーを受講したのがきっかけでフジテレビの面接に参加、内定を得る。
上野火山(うえの かざん、1958年12月14日 - )は、… 上野火山(うえの かざん、1958年12月14日 - )は、日本の劇作家・翻訳家・演出家・俳優。「Drama Project 空中スケッチ」主宰。法政大学文学部日本文学科「比較演劇学」講師。 岩手県出身。岩手県立一関第一高等学校卒。 慶應義塾大学文学部哲学科在学中より、演劇活動を開始し、演出家・奈良橋陽子に師事。演劇集団UPS(あっぷす)の創設に参加。Method Acting(メソッド演技法)を修得し、俳優としてキャリアを積む。その後、ドラマ性の高い脚本と音楽性の高い演出で独自の世界を創造している。 父は作家・上野霄里。動物行動学者・上野吉一は実弟。
佐藤 善仁(さとう よしひと、1957年10月18日 - )… 佐藤 善仁(さとう よしひと、1957年10月18日 - )は、日本の政治家。岩手県一関市長(2期)。 岩手県一関市出身。岩手県立一関第一高等学校・明治大学経営学部を卒業。1984年一関市役所に入る。市役所では収納課長、企画振興部次長兼企画調整課長、企画振興部長、市長公室長、総務部長などを経て、2017年から2期4年2カ月余り副市長を務める。2021年9月に行われた市長選挙に立候補し、無投票で当選した。2025年9月、無投票で再選。
菅原 郁郎(すがわら いくろう、1957年(昭和32年)3月… 菅原 郁郎(すがわら いくろう、1957年(昭和32年)3月6日-)は、日本の経済産業官僚。経済産業事務次官を経て、内閣官房参与、特定非営利活動法人ビュー・コミュニケーションズ理事長、トヨタ自動車取締役、日立製作所取締役、国立大学法人一橋大学理事、富士フイルムホールディングス取締役。 宮城県出身。父は若柳町長を務めた菅原郁夫。1975年(昭和50年)岩手県立一関第一高等学校、1981年(昭和56年)東京大学経済学部経済学科を卒業し、通商産業省に入省した(通産省大臣官房総務課に配属)。
増子 次郎(ますこ じろう、1955年(昭和30年)7月7日… 増子 次郎(ますこ じろう、1955年(昭和30年)7月7日 - )は、日本の実業家。東北電力取締役、元取締役会長。東北経済連合会会長。 岩手県一関市出身。1971年3月一関市立桜町中学校卒業。1974年3月岩手県立一関第一高等学校卒業。中学・高校とバスケットボール部に所属。 1980年3月北海道大学大学院工学研究科原子工学専攻修士課程修了後、同年4月東北電力入社。入社後は主に原子力畑を歩む。 2011年執行役員青森支店長。2014年執行役員火力原子力本部原子力部長。2015年常務取締役火力原子力本部副本部長 火力原子力本部原子力部長。2016年常務取締役火力原子力本部副本部長。2018年取締役副社長副社長執行役員 原子力本部長 QMS管理責任者。
佐々木 良昭(ささき よしあき、1947年11月18日 - … 佐々木 良昭(ささき よしあき、1947年11月18日 - )は、日本の国際問題評論家、イスラム圏研究者。 岩手県生まれ。1966年、岩手県立一関第一高等学校卒業。 19歳の時にムスリムになった。 1970年、拓殖大学商学部卒業。同年の大阪万国博覧会でアブダビ政府館副館長を務めた。1971年、リビアに渡って国立リビア大学(英語版)神学部に入学。1974年に修了し、アラブ・データ・センター勤務となり、ベイルート駐在代表。 1976年、クウェートの新聞『アルカバス(英語版)』の東京特派員。1978年、在日リビア大使館渉外担当を経て、1980年に拓殖大学海外事情研究所研究員となり、その後、徐々に昇任して1993年に同教授となる。
菅野 峰明(かんの みねあき、1944年5月1日 - )は、… 菅野 峰明(かんの みねあき、1944年5月1日 - )は、日本の地理学者。埼玉大学名誉教授。人文地理学、特に都市地理学やアメリカ地誌を専門とし、都市内部構造の日米比較や、アメリカ合衆国の地域性の研究に取り組む。 岩手県陸前高田市に生まれる。岩手県立一関第一高等学校卒業。 1967年東京教育大学理学部地学科地理学専攻卒業、渡米、ジョージア大学大学院で地理学を専攻し、1977年博士課程修了、Ph.D.を取得。 帰国後、1977年11月埼玉大学講師、1978年10月同大学教養学部助教授に就任。1986年8月に教授に昇任、2007年から2008年にかけて副学長を務めた。2010年に大学を退職した後。2011年から2015年にかけて(埼玉大学の構内にある)放送大学埼玉学習センター所長(放送大学特任教授)を務めた。
佐々木 洋平(ささき ようへい、1942年3月2日 ‐ )は… 佐々木 洋平(ささき ようへい、1942年3月2日 ‐ )は、日本の政治家。大日本猟友会会長。 衆議院議員(1期)、岩手県議会議員(4期)を歴任。 岩手県西磐井郡花泉町(現一関市)出身。岩手県立一関第一高等学校、東京農業大学を卒業後、鹿島建設が出資する牧場に就職。間もなく事業撤退により解散。解散後は一時盛岡市役所に勤務した。その後栃木県の酪農協同組合勤務を経て、地元で農業に従事していたが、1979年に岩手県議会議員に当選。当選後は自由民主党に入り、県議を4期務める。1993年自民党衆議院議員小沢一郎の離党に伴い自民党を離党し新生党系会派「研政会」を結成。翌1994年に新生党に入った。同年暮れ、新進党が結党され、同党に入党した。
中津 文彦(なかつ ふみひこ、1941年12月23日 - 2… 中津 文彦(なかつ ふみひこ、1941年12月23日 - 2012年4月24日)は、日本の小説家。 岩手県一関市出身。本名は廣嶼文彦(ひろしま ふみひこ)。岩手県立一関第一高等学校、学習院大学政経学部卒業。ペンネームの由来は、家の傍に中津川が流れていたことから。 岩手日報社で報道記者として務めていた1982年、『黄金の砂(出版時は『黄金流砂』に改題)』で第28回江戸川乱歩賞を受賞した。その後、退社して作家活動に専念する。1985年には『七人の共犯者』で第12回角川小説賞を受賞した。 2012年4月24日、肝不全により逝去。70歳没。
島地 勝彦(しまじ かつひこ、1941年4月7日 - )は、… 島地 勝彦(しまじ かつひこ、1941年4月7日 - )は、日本の雑誌編集者・エッセイスト・バーマン。 東京都世田谷区奥沢に生まれ、4歳から岩手県一関市で育つ。岩手県立一関第一高等学校、青山学院大学卒業。 大学卒業後集英社に入社。以後長きにわたり『週刊プレイボーイ』編集者を務め、1982年に同誌の編集長に就任。「「週刊プレイボーイ」を100万部雑誌に育て上げた人物」(日経ビジネス「乗り移り人生相談」参照)として有名になった。その後『月刊プレイボーイ』『Bart』などの編集長を歴任した後、同社取締役を経て、1998年に子会社の集英社インターナショナルの社長に就任した。 2008年11月に集英社インターナショナルを退社しエッセイストに転向。
内海 隆一郎(うつみ りゅういちろう、1937年6月29日 … 内海 隆一郎(うつみ りゅういちろう、1937年6月29日 - 2015年11月19日)は、日本の小説家である。「ハートウォーミング」と呼ばれる独自のスタイルによって市井の人々を描くことを得意とし、芥川賞に1回、直木賞に4回候補作となった。『蟹の町』(1970年)などで注目されるも長く断筆し編集者を続ける。『人びとの忘れもの』(1985年)が好評を得、執筆に専念。 愛知県名古屋市生まれ、岩手県一関市出身。岩手県立一関第一高等学校を経て、立教大学社会学部卒業。 3歳のとき、父親が一関の亜炭鉱山の経営者に着任、一家とともに移住した内海は、20歳までを同地で過ごした。内海は一関中学校から一関第一高等学校に進学、高校時代は柔道に熱中した。
伊藤 孝雄(いとう たかお、1937年1月31日 - 202… 伊藤 孝雄(いとう たかお、1937年1月31日 - 2024年8月14日)は、日本の俳優。岩手県東磐井郡大東町(現:一関市)出身。劇団民藝所属。身長174cm。 岩手県立一関第一高等学校を経て、1955年に早稲田大学法学部に入学する。同年10月に早大在籍のまま、宝塚映画に入社し、映画『箱入娘と番頭』でデビュー。1959年には、日活の『密会』(中平康監督)でヒロイン役の桂木洋子の相手役として抜擢される。同年早大を中退するとともに、宝塚映画を退社。翌1960年、俳優座養成所に12期生として入所する(同期は中村敦夫、山本圭、成田三樹夫、東野英心、松山英太郎、樫山文枝)。 1963年に俳優座養成所を修了し、劇団民藝に入団。
永野 勝美(ながの かつみ、1935年(昭和10年)9月14… 永野 勝美(ながの かつみ、1935年(昭和10年)9月14日 - 2020年 (令和2年) 11月19日 )は、日本の銀行家。岩手銀行特別常任相談役。2008年(平成20年)旭日小綬章。 岩手県一関市出身。岩手県立一関第一高等学校を経て、立教大学経済学部卒業後、岩手銀行入行。 企画、営業担当が長く専務時代は、インターネットバンキングやエリアグループ制の導入を推進する。また、事務開発以外のすべての本部業務を担当した。 頭取在任時は、経営企画の経験とアイデアにより融資に慎重な姿勢を転換。2006年(平成18年)3月期には、2期連続の最高益を達成させた。 2007年(平成19年)には、高橋真裕に頭取職を禅譲し会長として君臨するも、2頭政治に対して行内から反発が高まり2009年(平成21年)4月、会長を解任され特別常任相談役に退いた。
星 亮一(ほし りょういち、1935年〈昭和10年〉5月16… 星 亮一(ほし りょういち、1935年〈昭和10年〉5月16日 - 2021年〈令和3年〉12月31日)は、日本の小説家。東北史学会会員、日本文芸家協会会員。福島県郡山市在住。血液型B型。 宮城県仙台市生まれ。岩手県立一関第一高等学校。東北大学文学部国史学科卒業。後に日本大学大学院総合社会情報研究科修士課程修了。専攻は日本近現代史。 大学卒業後、福島民報社に入社。最初の赴任地が会津若松市で「会津若松史」の編纂事業に参加した。 1970年(昭和45年) 1月5日、この年の春に開局する福島中央テレビへ移籍。プロデューサー、制作部長、報道制作局長を歴任後、作家に専念。先祖は仙台藩重臣・佐藤宮内の家中で、戊辰戦争・白河口の戦いにも参戦したこともあり、戊辰戦争は作家としての大きなテーマの一つだった。
及川 和男(おいかわ かずお、1933年10月13日 - 2… 及川 和男(おいかわ かずお、1933年10月13日 - 2019年3月10日)は、日本の作家。小説、ノンフィクション、児童文学など幅広く活動した。日本文芸家協会、日本ペンクラブ、日本児童文学者協会、島崎藤村学会会員。一関市立一関図書館名誉館長。 東京府(現・東京都)池袋に生まれ、豊島区立池袋第五小学校入学後、本郷区立駒本国民学校に転校。1945年(昭和20年)の東京大空襲の後に福島県南会津郡檜原村へ疎開。その後、岩手県内を転々とし、1946年(昭和21年)12月から父の郷里である一関市に住むようになる。1949年、一関市立一関中学校卒業。 1952年、岩手県立一関第一高等学校普通科を卒業後、岩手殖産銀行(現:岩手銀行)に入行、銀行員として勤務の傍ら小説を書く。
遠藤 公男(えんどう きみお、1933年 - )は、日本の作… 遠藤 公男(えんどう きみお、1933年 - )は、日本の作家、動物研究家。日本野鳥の会名誉会員。 岩手県一関市生まれ。岩手県立一関第一高等学校卒業。小学校の教師として働きながら活動を続ける。 1974年、教師を退職して作家生活に入る。岩手県宮古市在住。 著書『野鳥売買 メジロたちの悲劇』では、中国での野鳥売買の現場を調査している(「中国の環境問題」を参照)。
佐々木 一朗(ささき いちろう、1932年6月10日 - 2… 佐々木 一朗(ささき いちろう、1932年6月10日 - 2002年12月17日)は、日本の地方政治家。岩手県一関市長(1期)。 岩手県西磐井郡一関町(現・一関市)生まれ。岩手県立一関第一高等学校卒。卒業後は一関市役所に入り、民生、総務の各部長、収入役、助役を経て、1995年一関市長選挙に立候補して、当選する。1999年に再び立候補し、再選を目指したが、県立病院の移転問題や中心商店街の活性化などが争点となり、元岩手県議の浅井東兵衛(無所属)に1,500票余の差で敗れた。 2002年12月17日一関市内の自宅近くのため池で浮いている姿で発見され、死亡が確認された。
三好 京三(みよし きょうぞう、1931年(昭和6年)3月2… 三好 京三(みよし きょうぞう、1931年(昭和6年)3月27日 - 2007年(平成19年)5月11日)は、日本の小説家。本名、佐々木 久雄(ささき ひさお)。日本文芸家協会、日本ペンクラブ会員。岩手県胆沢郡前沢町(現・奥州市)出身。 岩手県生まれ。家業は農業兼荷馬車業であった。生家の周囲は貧しい家ばかりで、その中では新しがりの父が蓄音機を買ったり、ハイカラな風呂場を建てたりして目立っていた。生い立ちについて、三好によると「私は貧困どん底の家に生まれ育ったと、少年時代から思い続けている。昭和10年に父、父の弟、私の幼い弟が死亡し、1年間に3つのお弔いを出してから我が家はダメになったと聞いている。
光瀬 龍(、1928年〈昭和3年〉3月18日 - 1999年… 光瀬 龍(、1928年〈昭和3年〉3月18日 - 1999年〈平成11年〉7月7日)は、日本のSF作家。本名は飯塚 喜美雄。旧姓は千葉で、結婚する際に妻の姓に改めた。 東京府北豊島郡南千住大字千住南に生まれ、1933年から1945年3月まで板橋区練馬南町に育つ。東京市開進第三国民学校5年生のときに海野十三の短編集『十八時の音楽浴』を読み、強い感銘を受ける。 川村学院中学校在学中、1945年4月、岩手県胆沢郡前沢町(現・奥州市)に疎開する。岩手育ちと自称していたが、実際に岩手ですごしたのは17歳から20歳までの3年間のみである。この間、光瀬は一関中学校(現・一関第一高等学校)に学び、1948年3月に同校を修了するまで青春期のひとときを謳歌している。
菅原 喜重郎(すがはら きじゅうろう、1926年11月9日 … 菅原 喜重郎(すがはら きじゅうろう、1926年11月9日 - 2019年6月26日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。位階は従四位。 同志社大学神学部卒業。岩手県東磐井郡東山町(現在の一関市)長を経て、1979年の総選挙に当時の岩手2区から出馬するも落選。翌1980年の総選挙でも落選し、民社党に入党して1983年の総選挙で初当選した。しかし民社党が社会党や公明党・社民連との野党連合路線に向かうことに反発し、1992年3月に民社党を離党。自民党入党を目指して加藤六月グループに入るものの、翌1993年の総選挙では自民党の公認を得られぬまま無所属で戦うことを強いられる。定数4の岩手2区は定数を3に削減された上に民社党も独自候補を擁立、自民党を離党して新生党を結成した小沢一郎の大量得票も影響し落選に終わった。
小野寺 公二(おのでら こうじ、1920年2月5日 - 19… 小野寺 公二(おのでら こうじ、1920年2月5日 - 1998年10月8日)は、日本の歴史小説作家。別筆名に田原 耕二(たはら こうじ)。 青森県生まれ。後に父の郷里である岩手県胆沢郡胆沢町(現在の奥州市)へ転居し、旧制一関中学校(現岩手県立一関第一高等学校)を卒業。東京の中央大学経済学部へ進学し、卒業した後に病気療養のため帰郷する。 1954年に「奥羽のキリスト」でデビューするが、以後しばらくは「田原耕二」名義で懸賞歌謡の作詞を中心に活動し、1964年に「岩手県民の歌」(作曲:中田喜直)が入選した。 1970年代以降は主に歴史小説を手掛け、東北地方を舞台にしたものや算学を題材にしたものに特色がある。
増田 盛(ますだ さかり、1913年4月11日 - 1991… 増田 盛(ますだ さかり、1913年4月11日 - 1991年9月23日)は、日本の政治家、参議院議員(3期、自由民主党)、農林官僚。 岩手県胆沢郡前沢町(現奥州市)出身。 岩手県立一関中学校、京都帝国大学法学部卒。大学在学中滝川事件に対する教授らへの対応に抗議し、無期停学処分を受ける。 1937年大学卒業後、農林省に入省。振興局長などを務めて退官。 1963年、岩手県知事選に出馬するも落選。衆議院議員選挙にも落選し、5年間浪人生活を送る。 1968年の第8回参議院議員通常選挙に当選してから、参議院議員を3期、農水・行政管理・北海道開発各政務次官を務めた。1986年の第14回参議院議員通常選挙には無所属で出馬したが落選し、政界から引退。
山田 晟(やまだ あきら、1908年2月23日 - 2003… 山田 晟(やまだ あきら、1908年2月23日 - 2003年10月12日)は、日本の法学者(ドイツ法)。東京大学名誉教授、成蹊大学名誉教授、元愛知学院大学客員教授。岩手県一関市出身。三潴信吾と三潴信邦は義弟(妻の弟)。 三潴信三の創めた日本におけるドイツ法研究をさらに発展させた。比較法学会理事長、日独法学会理事長、法制審議会民法部会委員、学術奨励審議会委員、最高裁判所図書館委員会委員、民事行政審議会委員、矯正審議会委員などを歴任。
深沢 晟雄(ふかさわ まさお、1905年12月11日 - 1… 深沢 晟雄(ふかさわ まさお、1905年12月11日 - 1965年1月28日)は、日本の政治家。岩手県沢内村(現・西和賀町)の村長(2代目)を務めた。 明治38年(1905年)12月11日、岩手県沢内村の小地主の家に一人っ子として生を受ける。小学校は村立新町小学校太田分教場に入学した。性格は明るく、人一倍賢いが、心根は常に優しい子だったという。学業が優秀だったことから、後に一関中学校から第二高等学校を経て東北帝国大学に進む。かつて深沢の祖父が政治家をして家財を傾けた経験から、両親からは医者になるよう望まれたが、本人は早くに医学部に愛想を尽かし、後にこっそりと法文学部へと移籍しそのまま卒業した。
志賀 健次郎(しが けんじろう、1903年(明治36年)12… 志賀 健次郎(しが けんじろう、1903年(明治36年)12月10日 - 1994年(平成6年)9月28日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。 防衛庁長官(第15代)、衆議院議員(9期)を務めた。 岩手県東磐井郡大原町(のちの大東町、一関市)出身。岩手県立一関中学校を経て、1931年(昭和6年)早稲田大学政治経済学部政治学科卒。朝日新聞記者を経て、1941年大日本産業報国会参事、1942年に翼賛選挙に非推薦で立候補し敗れる[要出典]。1947年の総選挙で初当選(当選同期に田中角栄・鈴木善幸・中曽根康弘など)。保守合同後も有田喜一・荒木万寿夫・小島徹三らと芦田均派を維持するが、芦田の死後は三木武夫派に加入。
森口 多里(もりぐち たり、1892年8月7日 - 1984… 森口 多里(もりぐち たり、1892年8月7日 - 1984年5月5日)は、日本の美術史家・美術評論家、民俗学者。本名は多利(たり)。 岩手県胆沢郡水沢町大町(現:奥州市)にて金物商を営む父森口伊三郎、母カネヨの次男として生まれる。一関中学校(現:岩手県立一関第一高等学校)を経て、1910年(明治43年)に早稲田大学文学部予科に入学。在学中、佐藤功一から美術品の調査を依頼される。また、日夏耿之助主宰の同人誌『假面』同人となる。1914年に早稲田大学文学部英文科を卒業した。卒業後は美術評論活動を行い、『ミレー評伝(ロマン・ロラン著)』の翻訳や『恐怖のムンク』といった評論文を執筆した。森口の多彩な文筆活動は、美術史・美術評論に留まらず、戯曲、建築、そして民俗など多岐にわたり、生涯で50冊余の書作を世に送り出している。
阿部 勝雄(あべ かつお、1891年4月18日 - 1948… 阿部 勝雄(あべ かつお、1891年4月18日 - 1948年5月26日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 岩手県西磐井郡厳美村(現在の一関市厳美町)で村長・阿部雄七とその妻てふの二男として生れる。旧制一関中学校を経て、1912年7月、海軍兵学校(40期)を卒業し、翌年12月、海軍少尉任官。1919年11月、海軍砲術学校高等科を卒業し、「磯風」砲術長、第2艦隊参謀、砲術学校教官などを経て、1924年11月、海軍大学校(甲種22期)を次席で卒業した。 「長門」副砲長兼分隊長、アメリカ駐在、海軍省軍務局第1課局員、第2艦隊参謀、海大教官、第3艦隊参謀、海大教官、軍務局第1課長、第2回ロンドン軍縮会議全権随員、「多摩」「龍驤」「加賀」の各艦長、軍令部第3部長などを歴任し、1938年11月、海軍少将に進級。
相沢 三郎(あいざわ さぶろう、1889年〈明治22年〉9月… 相沢 三郎(あいざわ さぶろう、1889年〈明治22年〉9月6日 - 1936年〈昭和11年〉7月3日)は、日本の陸軍軍人、剣道家。最終階級は陸軍歩兵中佐。皇道派将校として教育総監真崎甚三郎更迭に憤激し、統制派の軍務局長永田鉄山を殺害した相沢事件の犯人。 1889年(明治22年)9月6日、旧仙台藩士で裁判所書記、公証人となる相沢兵之助とまき子の長男として福島県西白河郡白河町(現白河市)に生まれる(本籍は宮城県仙台市東六番町1番地)。旧制一関中学校(現岩手県立一関第一高等学校)を経て、仙台陸軍地方幼年学校、陸軍中央幼年学校を卒業する。陸軍士官学校に入り、1910年(明治43年)5月28日に卒業する(第22期)。
菅原 佐平(すがわら さへい、1885年〈明治18年〉3月1… 菅原 佐平(すがわら さへい、1885年〈明治18年〉3月17日 - 1969年〈昭和44年〉7月17日)は、日本の海軍軍人(海軍軍医)、政治家。最終階級は海軍軍医中将。一関市長。正七位。 岩手県西磐井郡真滝村(現・一関市)出身。滝沢小学校、一関中学校を経て、第二高等学校、1911年(明治44年)東京帝国大学医科卒。同年海軍軍医となる。1928年(昭和3年)海軍軍医大佐となり、1930年(昭和5年)のロンドン海軍軍縮会議の随員として加わる。帰国後は第二艦隊軍医長などを務めた。1933年(昭和8年)に湊海軍病院長に就任し、翌1934年(昭和9年)に海軍軍医少将に昇進するとともに呉海軍病院長に就任、1935年(昭和10年)に佐世保海軍病院長に就任した。
阿部 美樹志(あべ みきし、1883年5月4日 - 1965… 阿部 美樹志(あべ みきし、1883年5月4日 - 1965年2月20日)は、日本の建築家および土木技術者。旧姓は菅原。大正から昭和時代にかけて活躍した。日本最初の鉄筋コンクリート高架鉄道の設計者。通称コンクリート博士。日本の鉄筋コンクリート工学の開祖。また、阪急阪神東宝グループの建物、RC造の多くの構造物、建築物をつくり続けた。アメリカで鉄筋コンクリート構造学を修めた後も研究を続け、鉄道省での仕事、旧日比谷映画などの娯楽施設、工場建築などの設計に活かす。戦後は戦災復興院総裁として、住宅供給の甚本施策を提示した。勲二等瑞宝章受章。 岩手県一関市生まれ。岩手県一関尋常中学校(一回生)時代には、一関尋常高小学校から岩手県一関尋常中学校二年に編入を許され、三段跳びで三年生に進んだ浅利三朗と首席を争う。
浅利 三朗(淺利 三朗、あさり さぶろう、1882年(明治1… 浅利 三朗(淺利 三朗、あさり さぶろう、1882年(明治15年)11月10日 – 1966年(昭和41年)11月3日)は、日本の内務及び朝鮮総督府官僚、政治家。栃木県知事(官選第25代)、香川県知事(官選第19代)、衆議院議員(3期)。 岩手県西磐井郡平泉町出身。浅利杏坪の三男として生まれ、兄・浅利寛の養子となる。一関中学、第二高等学校を経て、1909年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。同年12月、内務省に入省し三重県属となり、内務部勧業課に配属された。 1910年5月、三重県内務部地方課に配属。以後、山形県事務官、同視学官、大阪府視学官、茨城県警察部長、高知県警察部長、新潟県警察部長、北海道庁警察部長、富山県内務部長などを歴任。
伊藤 忠一(いとう ちゅういち)は、日本の法務官僚、外交官。… 伊藤 忠一(いとう ちゅういち)は、日本の法務官僚、外交官。リオデジャネイロ総領事、駐ネパール特命全権大使等を経て、日本ネパール協会会長を務めた。 岩手県生まれ。岩手県立一関第一高等学校を経て、1955年東北大学文学部卒業。1956年法務省入省。1962年外務省入省。1974年外務大臣官房領事移住部旅券課長。1978年在中華人民共和国日本国大使館参事官。1980年在ペルー日本国大使館参事官、リマ総領事。1983年リオ・デ・ジャネイロ総領事。1987年駐エティオピア特命全権大使。同年勲五等双光旭日章受章。1990年駐ネパール特命全権大使。退官後、日本ネパール協会(日ネ協会)会長や、セブンサミッツ持続社会機構特別顧問を務めた。
佐藤 千尋 は、岩手県出身の元女子プロ野球選手。
馬里邑 れい(まりむら れい)は、日本の小説家。女性。岩手県… 馬里邑 れい(まりむら れい)は、日本の小説家。女性。岩手県一関市出身。岩手県立一関第一高等学校、日本放送作家協会シナリオ教室研修科卒業。在学中、集英社ヤングジャンプ原作大賞佳作入選。辻真先に師事する。 ●中2から働き、8年後には司法書士(2013年、現代書館)