宮坂 七海(みやさか ななみ、1997年11月3日 - )は… 宮坂 七海(みやさか ななみ、1997年11月3日 - )は、日本の射撃選手、女性剣道家。専門はクレー射撃(トラップ種目)。東京都出身。メルカリ所属。耳が聞こえないろうアスリートである。 生まれつき耳が聞こえないろう者として生まれる。剣道の経験がある父の勧めで、小学5年生のときから東京都大田区の東競武道館に通い、聴者に囲まれて剣道を始める。 中学まで2008年に開校した私立ろう学校・明晴学園の一期生として通っていたが、東競武道館で剣道の指導に当たっていた範士八段・豊村東盛からの勧めもあり、剣道の強豪校である日体荏原高等学校に進学し、剣道部に入部した。高校2年生のときには東京都高等学校春季剣道大会で優勝。
村田 ちひろ(むらた ちひろ、1991年12月9日 - )は… 村田 ちひろ(むらた ちひろ、1991年12月9日 - )は、日本の女性剣道家(五段)。1995年から2006年までタレントとして活動。本名・旧芸名・剣道家としては、村田 千宏(むらた ちひろ)。 埼玉県川口市出身。1995年に子役として芸能界デビュー。1998年に剣道を始める。剣道に専念するため2006年に芸能界を引退。 子供の頃から人見知りが激しくて、声を出すのも恥ずかしくて泣いていたような子だったという。写真撮影時のみ、ちゃんと笑っていたようだった。両親が、村田本人が人としっかり関わって生きていくために「まずはこの子が笑っていられるところから」ということで、新聞のタレント募集広告をきっかけに、4歳の時に芸能界入り。
安藤 翔(あんどう しょう、1990年6月7日 - )は、日… 安藤 翔(あんどう しょう、1990年6月7日 - )は、日本の剣道家(6段)・剣道日本代表・元北海道警察機動隊警察官。 北海道上砂川町出身。
正代 賢司(しょうだい けんじ、1981年3月25日 - )… 正代 賢司(しょうだい けんじ、1981年3月25日 - )は、日本の剣道家(六段)・元神奈川県警察警察官・剣道日本代表候補。警察官退職時は神奈川県警察第2機動隊所属、巡査部長。
内村 良一(うちむら りょういち、1980年〈昭和55年〉4… 内村 良一(うちむら りょういち、1980年〈昭和55年〉4月21日 - )は、北海道出身の日本の剣道家(教士七段)・剣道日本代表候補・警視庁警察官。現在、警視庁教養課所属、警部補 【通算11回出場 優勝:3回 準優勝:5回 第3位:1回 ベスト8:1回】 (全国警察剣道選手権大会と全日本剣道選手権大会を同じ年に制した選手は、中村太郎(神奈川県警)〈'55〉・中村毅(警視庁)〈'70〉・宮崎正裕(神奈川県警)〈'91・'96・'99〉・内村良一(警視庁)〈'06〉・高鍋進(神奈川県警)〈'10〉・西村英久(熊本県警)<'17>のみ。)
若生 大輔(わこう だいすけ、1977年5月 - )は、日本… 若生 大輔(わこう だいすけ、1977年5月 - )は、日本の剣道家(教士八段)・剣道日本代表・北海道警察警察官。北海道帯広市出身。現在北海道警察所属 ・2010年9月:スポーツアコード世界武術大会 個人戦5〜7段の部に出場 第3位。 ・2024年5月:剣道八段審査に初挑戦で合格。教士八段。 :スポーツアコード世界武術大会5〜7段の部 個人3位
高鍋 進(たかなべ すすむ、1976年〈昭和51年〉8月16… 高鍋 進(たかなべ すすむ、1976年〈昭和51年〉8月16日 - )は、日本の剣道家(教士八段)。神奈川県警察警部補。現在鶴見警察署所属。 熊本市出身。剣道を習っていた兄の影響で小学2年生から剣道を始める。熊本市立楠中学校時代に主将を任され、3年時に九州チャンピオンになった。またPL学園高等学校時代も主将を務め、インターハイで団体優勝。筑波大学時代も主将を経験。2年時に全日本学生剣道選手権大会で準優勝。また全日本学生大会で団体優勝もした。 高校時代から米屋勇一とは同期ライバルでもある。公式試合では高鍋が米屋に勝利することが多く負けることはほぼ皆無だったが、2009年の全日本剣道選手権大会3回戦で、「おそらく初めて」(米屋勇一・談)米屋に敗れた。
米屋 勇一(よねや ゆういち、1976年 - )は、日本の剣… 米屋 勇一(よねや ゆういち、1976年 - )は、日本の剣道家(2022年11月24日八段)。元剣道日本代表。東京都練馬区出身。埼玉県警察警備部機動隊剣道特練監督を経て、現在は鴻巣警察署に勤務。警部補。
寺本 将司(てらもと しょうじ、1975年4月17日 - )… 寺本 将司(てらもと しょうじ、1975年4月17日 - )は、日本の剣道家(教士八段)・大阪府警察警察官・元剣道日本代表。熊本県熊本市出身。現在大阪府警察第一機動隊所属・警部。
村山 千夏(むらやま ちなつ、1974年8月20日 - )は… 村山 千夏(むらやま ちなつ、1974年8月20日 - )は、日本の剣道家(教士七段)。剣道日本代表。 新潟県新潟市出身。山形県立左沢高等学校(1993年卒業)を経て筑波大学卒業。 小学1年生の時に松浜少年剣道スポーツ少年団に入団し剣道を始める。 筑波大学卒業後、埼玉県警察に奉職。 2007年には彩の国功労賞を受賞。 優勝5回(平成17年から平成19年まで3連覇、平成21年・平成23年)、2位、3位。(16回出場) 2010年北京大会:女子特別招待選抜個人戦優勝 2003年イギリス大会:団体優勝(中堅) 2009年ブラジル大会:団体優勝(中堅)、個人戦出場(予選リーグ敗退) 優勝(1回)(2006年)、第3位(2回) 2004年彩の国まごころ国体:団体優勝
安藤 戒牛(あんどう かいご、1973年 - )は、日本の剣… 安藤 戒牛(あんどう かいご、1973年 - )は、日本の剣道家(錬士七段)・元剣道日本代表、警察官。岐阜県出身。
佐藤 博光(さとう ひろみつ、1973年 - )は、日本の警… 佐藤 博光(さとう ひろみつ、1973年 - )は、日本の警察官(大阪府警察)、剣道家。剣道教士八段、元剣道日本代表。 高千穂高校から大阪体育大学に進学。大学卒業後、大阪府警察に奉職。 主な実績には全日本剣道選手権3位2回、第12回世界剣道選手権個人優勝、世界選手権主将、全国警察大会個人優勝・団体優勝などがある。
原田 悟(はらだ さとる、1973年 - )は、日本の剣道家… 原田 悟(はらだ さとる、1973年 - )は、日本の剣道家(教士八段)・警視庁警察官・元剣道日本代表。福島県伊達市出身。現在警務部教養課剣道指導室師範・警部 全日本剣道選手権大会には、奉職直後の1996年から出場し、優勝1回・準優勝2回・三位3回の実績を残した。特に2005年大会では、9年越しの悲願であった初優勝をもぎ取り、称賛を浴びた。2009年からは完全に指導者の立場になった。実弟は原田賢治(福島県警察所属)。2005年・2006年・2008年・2009年の全日本剣道選手権大会には、兄弟で出場した。 ・優勝:1996年・2002年-2003年 ・2006年台湾大会:個人戦ベスト8
鈴木 剛(すずき つよし、1972年〈昭和47年〉 - )は… 鈴木 剛(すずき つよし、1972年〈昭和47年〉 - )は、日本の警察職員、剣道家(教士八段)。2004年度の全日本剣道選手権大会で優勝した他、警察署や警察学校、小中学生の剣友会で剣道の指導を行っている。 1972年、千葉県館山市に生まれる。剣道を始めたのは4歳の頃で、母親に勧められての事だった。 中学生まではやらされている感覚があったが、千葉県立安房高等学校に進学して同校剣道部に入部した後、「同期の部員と共に試合に勝ちたい」と思うようになった。そこから上達していくようになり、全国大会にも出場した。法政大学への進学後も大学剣道界で活躍をしている。 法政大学を経て千葉県警察に奉職し、剣道特別訓練員に選抜された。
竹中 健太郎(たけなか けんたろう、1972年 - )は、日… 竹中 健太郎(たけなか けんたろう、1972年 - )は、日本の剣道家。剣道教士八段。元剣道日本代表。兵庫県出身。現在、鹿屋体育大学体育学部教授。 高校は大阪府のPL学園を選び、高校時代は「刀でできないことは竹刀でするな」と指導を受けた。大学は筑波大学に進学。原田悟(警視庁)、高鍋進(神奈川県警)、大関利治(栃木県教員)とは大学時代の後輩にあたる。 卒業後は鳥取県立八頭高等学校で勤務し、2008年に鹿屋体育大学に赴任した。 世界剣道選手権大会の日本代表強化合宿には12年間もの間参加していた。
栄花 直輝(えいが なおき、1967年10月29日 - )は… 栄花 直輝(えいが なおき、1967年10月29日 - )は、日本の警察官、剣道家(教士八段)・元日本代表。北海道警察勤務。兄は栄花英幸。
宮崎 正裕(みやざき まさひろ、1963年2月5日 - )は… 宮崎 正裕(みやざき まさひろ、1963年2月5日 - )は、日本の剣道家、警察官。神奈川県警察本部教養課長代理、術科特別訓練剣道師範。段位は範士八段。階級は警視。神奈川県警察武道館館長。 1990年代の大会で活躍し、剣道競技史上最高の戦績を残したことから、「平成の剣豪」、「剣道界の鉄人」、「努力の天才剣士」などと称される[要出典]。 横浜市出身。小学校1年生から玄武館坂上道場で剣道を始める。中学校では廃部寸前の剣道部に所属し、部員勧誘に奔走したが、結局部員は2人しか集まらず、体育館も使用させてもらえなかったため教室で稽古を重ねた。中学校1年生の時に初段の昇段審査を受験したが、4度連続で落ち、2年生の時に5度目の挑戦でようやく合格した。
石田 利也(いしだ としや、1961年10月20日 - )は… 石田 利也(いしだ としや、1961年10月20日 - )は、日本の警察官、剣道家(範士八段)。大阪府警察所属。元日本代表。 現在、大阪府警特別術科訓練剣道師範・監督。 神奈川県警・宮崎正裕警視のライバルとしても知られ、現役時代は「引き技の石田」の異名を取った。弟は石田洋二(大阪府警察)。
大澤 規男(おおさわ のりお、[1960年4月4日生] -A… 大澤 規男(おおさわ のりお、[1960年4月4日生] -A型 )は、日本の剣道家。範士八段。埼玉県警察警察官。元剣道日本代表。元埼玉県警察剣道特練監督。2026年現在、埼玉県警察本部交通機動隊北部方面隊 嘱託職員。県立皆野高卒。埼玉県秩父市出身。埼玉県行田市在住。
吉田 泰将(よしだ やすまさ、1960年 - )は、日本の剣… 吉田 泰将(よしだ やすまさ、1960年 - )は、日本の剣道家、スポーツ科学者。慶應義塾大学体育研究所准教授。剣道教士八段。 1960年、長崎県長崎市生まれ。小学校4年生のときから剣道を始める。長崎県立長崎東高等学校を経て筑波大学体育専門学群へ進学し、1985年同大学大学院体育研究科コーチ学専攻修了。同年に森村学園中・高等部常勤講師となり、1987年筑波大学体育科学系準研究員(文部技官)を経て、1990年慶應義塾大学体育研究所助手、1995年専任講師、2005年助教授、2007年准教授。剣道コーチ学・運動方法学を専門としており、特に剣道における素振りの指導法研究に取り組んでいる。また全日本剣道連盟評議員や全日本学校剣道連盟事務局長などを務め、剣道競技の普及に努めている。
寺地 種寿(てらち たねとし、1960年 - )は、日本の剣… 寺地 種寿(てらち たねとし、1960年 - )は、日本の剣道家(教士八段)。警視庁警察官・元剣道日本代表。現在、警視庁剣道指導室主席師範・東京大学剣道部師範。 1960年(昭和35年)- 鹿児島県で誕生。小学生時代に、鹿児島県阿久根市の「大川剣道少年団」に入り、剣道を始める。下薗重志に師事。 阿久根市立大川中学校卒業、鹿児島商工高等学校(現.樟南高等学校)卒業。 大学卒業後は警視庁に奉職。 2007年(平成19年)11月、最高位である八段審査に合格。現在教士八段。 実弟は三人(警視庁に2人、皇宮警察に1人)おり、全員が好成績を残していることから「寺地四兄弟」としても知られる。 子供がおり、三男はプロ野球選手の寺地隆成。
香田 郡秀(こうだ くにひで、1957年8月28日 - )は… 香田 郡秀(こうだ くにひで、1957年8月28日 - )は、日本の剣道家。世界剣道選手権大会で優勝経験がある。筑波大学体育専門学群教授、同大学剣道部部長を務め、現在は成城学園剣道部師範。段位は範士八段。 1957年に長崎県長崎市で生まれる。小学3年時に剣道を始め、長崎県立長崎東高等学校3年時にインターハイで個人優勝。その後筑波大学に進み、在学中の1978年に全日本剣道選手権大会で3位の戦績を残す。大学卒業後は長崎県で高校教諭となる。1985年にフランスで開かれた第6回世界剣道選手権大会で個人優勝を果たし、翌年文部省のスポーツ功労者賞を受賞する。後に筑波大学教授となり、現在は剣道の競技力向上や指導法について研究している。
大城戸 功(おおきど いさお、1955年〈昭和30年〉10月… 大城戸 功(おおきど いさお、1955年〈昭和30年〉10月23日 - )は、日本の剣道家(範士八段)、元愛媛県警察官。第7回(1988年)世界剣道選手権大会個人戦優勝者。現在、松風舘舘長、愛媛県剣道連盟副会長、新田青雲中等教育学校講師。 次男である大城戸知は大阪府警察所属。幼少期は松風舘にて父親である功から剣道を学び、地元新田高等学校から鹿屋体育大学に進学。その後、大阪府警察に奉職。第15回(2012年)世界剣道選手権大会日本代表(個人戦出場)。第17回(2018年)世界剣道選手権大会日本代表(主将として団体戦出場)。平成28年度全国警察剣道選手権大会優勝者。
原田 哲夫(はらだ てつお、1953年10月26日 - )は… 原田 哲夫(はらだ てつお、1953年10月26日 - )は、日本の剣道家(教士八段)。大分県中津市出身。京都府警察警察官であり、元剣道日本代表。第32回全日本剣道選手権大会優勝者でもある。
小川 春喜(おがわ はるき、1953年1月24日 - )は、… 小川 春喜(おがわ はるき、1953年1月24日 - )は、日本の剣道家、剣道指導者。第6回世界選手権大会で準優勝の戦績を持つ。 1953年、長崎県端島生まれ。 長崎県立長崎東高等学校3年時の1970年に玉竜旗高校剣道大会で団体優勝。卒業後、国士舘大学に入り、2年時に全日本学生優勝大会で優勝を果たす。大学卒業後も全日本実業団大会や全国教職員大会で優勝を経験したほか、1985年にフランスで開催された第6回世界剣道選手権大会で個人準優勝。決勝で対戦したのは長崎東高の後輩である香田郡秀(現:筑波大学教授)であった。 また、巣鴨中学校・高等学校教員を長年務め、後進の指導にも取り組んでいる。東京都高体連強化部長などを歴任し、現在は東京学連剣友連合会理事を務めている。
安部 壽和(あべ としかず、1952年〈昭和27年〉- )は… 安部 壽和(あべ としかず、1952年〈昭和27年〉- )は、日本の元陸上自衛官、剣道家。最終階級は陸将補、剣道の段位は教士八段。 山形県鶴岡市出身。第11特科連隊長、自衛隊福岡地方連絡部長、陸上自衛隊輸送学校長などを歴任した。1佐までの職種は野戦特科。 6歳から剣道を始め、2008年に合格率わずか1%の難関である八段昇段試験に合格した(防衛大学校出身者では2人目)。座右の銘は「謙虚精進」である。陸上自衛隊剣道連盟副会長、関東自衛隊剣道連盟会長を務める。
長榮 周作(ながえ しゅうさく、1950年〈昭和25年〉1月… 長榮 周作(ながえ しゅうさく、1950年〈昭和25年〉1月30日 - )は、日本の実業家、剣道家。パナソニック株式会社特別顧問、公益社団法人大阪府剣道連盟会長、小野薬品工業株式会社社外取締役。愛媛県松山市出身。京都府在住。学位は工学士(愛媛大学・1972年)。 松山市立三津浜小学校、松山市立三津浜中学校、愛媛県立松山北高等学校を経て愛媛大学工学部電気工学科を卒業。1972年に松下電工に入社し、商品設計を担当する。1996年に施設照明事業部商品企画開発部部長に就任。2000年にインドネシア松下電工ゴーベル(現・パナソニック ゴーベル インドネシア)社長に就任。2003年に松下電工に戻り、照明デバイス開発事業部事業部長に就任。
川添 哲夫(かわぞえ てつお、1950年〈昭和25年〉1月1… 川添 哲夫(かわぞえ てつお、1950年〈昭和25年〉1月15日 - 1988年〈昭和63年〉3月24日)は、日本の剣道家。段位は教士七段。 上段の遣い手で、全日本剣道選手権大会優勝2回・準優勝1回・第三位3回、全国教職員剣道大会個人優勝5回、世界剣道選手権大会団体優勝1回などの戦績を残した。 高知県香美郡土佐山田町(現・香美市)生まれ。父は剣道範士八段・高知県剣道連盟副会長の川添恵美(かわぞえ めぐみ)。 高知中学校・高等学校で剣道に励み、高校2年・3年にはインターハイに出場。3年から上段の構えを執る。 国士舘大学体育学部4年時の1971年、第19回全日本剣道選手権大会で初出場初優勝した。大学生で全日本選手権を制覇したのは川添が史上初であり、これは2014年の第62回全日本選手権で竹ノ内佑也(筑波大学)が川添と同じく初出場初優勝を果たすまで43年間現れなかった。
川添 永子(かわぞえ えいこ、旧姓:桑原 1950年〈昭和2… 川添 永子(かわぞえ えいこ、旧姓:桑原 1950年〈昭和25年〉 - )は日本の剣道家、教師。 女子剣道黎明期に活躍した女流剣士のパイオニア的存在として知られている。夫は剣道家の川添哲夫。 熊本県八代市生まれで、小学4年生で剣道を始める。熊本県立八代東高等学校在学中の1967年、出場した玉竜旗高校剣道大会において女子選手として初めて男子選手を破り、話題となる。 翌1968年には新設された女子個人戦にて優勝し、初代女王となった。翌1969年には国士舘大学進学し、大学1年生ながら全日本女子剣道選手権大会にて優勝。その後、1970年、1971年と3連覇を果たす。この優勝回数3回の記録は村山千夏が2011年に4回目の優勝を遂げるまで、最多記録であった。
好村 兼一(よしむら けんいち、1949年 - )は、日本の… 好村 兼一(よしむら けんいち、1949年 - )は、日本の作家、剣道家。段位は教士八段。東京大学を中退してフランスに在住し、合格率1%の剣道八段審査に合格(海外在住者初の八段合格者)、剣道指導のかたわら、40代半ばから時代小説を書き始め作家デビューするなど異色の経歴を持つ剣道家として知られる。 東京都生まれ。東京都立西高等学校卒業。(翻訳家の池田香代子、医師の鎌田實とは同級生。鎌田とは同じ剣道部に所属。)1970年東京大学教養学科国際関係論三学年在学中の20歳のときに全日本剣道連盟派遣学生指導員としてフランスに渡り、以降大学を中退してパリ在住。 フランス剣道連盟顧問および師範を務め、フランスを中心にヨーロッパにおける武道としての剣道振興に力を尽くし現在に至る。
蒔田 実(まきた みのる、1948年9月26日 - )は、日… 蒔田 実(まきた みのる、1948年9月26日 - )は、日本の剣道家。段位は範士八段。前国際武道大学学長。
吉本 政美(よしもと まさみ、1948年 - 1999年3月… 吉本 政美(よしもと まさみ、1948年 - 1999年3月30日)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町出身の剣道家(教士八段)。高校剣道界屈指の名監督。 1948年(昭和23年)、宮崎県西臼杵郡高千穂町に生まれる。宮崎県立高千穂高等学校から中京大学へと進学。1971年(昭和46年)に同大学を卒業し、母校高千穂高校に赴任。同時に剣道部監督となる。当時の高千穂高校剣道部は男女ともに県内でも下位に低迷していたが、監督歴三年目の1974年(昭和49年)に男女ともに県優勝するまでになる。 1978年(昭和53年)にはインターハイで男子は三位、女子はベスト8、同年の玉竜旗では男子が二位、女子が三位に入賞。これ以降、高千穂高校剣道部は全国上位常連校の一角を占める。
千葉 仁(ちば まさし、1944年(昭和19年)4月20日 … 千葉 仁(ちば まさし、1944年(昭和19年)4月20日 - 2016年(平成28年)9月28日)は、日本の剣道家。段位は範士八段。元警視庁警察官。 上段の名手で、全日本剣道選手権大会で3回優勝した。この記録は史上2位タイである。得意技は上段から振り下ろす片手小手。 宮城県小牛田農林高等学校剣道部で乳井義博、高橋要に師事。上段の構えを始めたのは、高校3年生の6月頃である。小牛田農林では生徒に上段を許していなかったが、先生がいないときに上段の真似事をしていたところを高橋に見つかり、乳井が上段の跡継ぎをほしがっていたことや、千葉が左利きであったことから、上段を許され指南を受けた。 国士舘大学教授大野操一郎からスカウトされ、乳井も賛成して国士舘大学への進学が決まりかけたが、3年生のインターハイ終了後に乳井が「大学は金がかかるし親も大変だから警視庁を受けろ」と言い、急遽警視庁に就職した。
安藤 宏三(あんどう こうぞう、1940年6月20日 - 2… 安藤 宏三(あんどう こうぞう、1940年6月20日 - 2003年10月8日)は、日本の剣道家。段位は教士八段。早稲田大学卒業。岐阜県大垣市生まれ。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
戸田 忠男(とだ ただお、1939年〈昭和14年〉2月4日 … 戸田 忠男(とだ ただお、1939年〈昭和14年〉2月4日 - 2016年〈平成28年〉12月22日)は、日本の剣道家。剣道範士八段。昭和37年と39年に全日本選手権を制した。 日本の二刀流の第一人者としても知られる。 1939年(昭和14年)、滋賀県生まれ。6歳で終戦を経験し、中学3年まで学校武道が禁止された中で育つ。 インターハイが復活した1954年(昭和29年)に大阪の今宮高校に進学。1955年、1956年と続けてインターハイに出場し、近畿大会では個人団体ともに優勝した。 慶應義塾大学法学部政治学科に進学後、当時剣道部師範をしていた中野八十二から指導を受け、上段を構えるようになる。在学中は日本一になれなかったが、卒業した年に戸田の後輩たちが全日本学生大会で初優勝を果たした。
奥園國義(おくぞのくによし、1925年 - 2013年)は、… 奥園國義(おくぞのくによし、1925年 - 2013年)は、日本の剣道家(範士。段位は九段を取得するも、後に返上)。選手として活躍を経て大阪府警察師範、近畿管区警察学校教授、全日本剣道連盟副会長、桃山学院大学剣道部師範、大阪星光学院講師などを歴任。 鹿児島県薩摩郡樋脇村で七人兄弟の三男として誕生。小学校時代に剣道を始め以後、宮之城農蚕学校、海軍航空隊、予科練時代も稽古に没頭し研鑽を積む。 18歳の時戦争が始まり土浦の海軍航空隊に入隊を志願する。辞令に従い飛行機操縦の教官として滋賀県の比叡山に置かれた航空隊へと赴く。航空隊では、武道大会が恒例として催されており、その時初段だった奥園は飛行科の個人戦で準優勝する。
柴田 鐵雄(しばた てつお、1924年(大正13年)4月26… 柴田 鐵雄(しばた てつお、1924年(大正13年)4月26日 - 2004年(平成16年)12月13日)は、日本の剣道家。段位は教士八段。鞍馬流剣術第17代宗家。
森島 健男(もりしま たてお、1922年 (大正11年) 1… 森島 健男(もりしま たてお、1922年 (大正11年) 1月1日 - 2020年 (令和2年) 8月16日)は、日本の剣道家、元警視庁警察官。称号は剣道範士、警視庁剣道名誉師範。段位は元九段(2000年 (平成12年) 返上)。 熊本県上益城郡益城町出身。旧制中学校で武道専門学校(4期)出身の水野尾清から剣道を学び始める。水野は、試合ばかりやっていると将来伸びないとして基本稽古を重視したため、試合は1回戦で負けていたという。 1939年(昭和14年)、国士舘専門学校国語漢文剣道科に入学し、斎村五郎、小川忠太郎に師事する。1943年(昭和18年)に卒業。 1945年(昭和20年)、陸軍に召集される。
中村 太郎(なかむら たろう、1922年〈大正11年〉 - … 中村 太郎(なかむら たろう、1922年〈大正11年〉 - 1969年〈昭和44年〉8月18日)は、日本の剣道家(範士七段)、警察官。 父は剣道道場「大義塾」塾長で、戦前にアメリカに渡り剣道を教えていた中村藤吉。神奈川県の実業家で現・大義塾塾長の中村藤雄は弟。 神奈川県警察に奉職し、全日本剣道選手権大会優勝2回・準優勝2回、全国警察官剣道大会優勝、全日本東西対抗剣道大会出場など全国大会で活躍した。栄典は従七位、警察功績章。 大義塾の弟子に林家木久扇、柳家小団治がいる。また、世代は異なるが神奈川県警察の後輩に宮崎正裕がいる。
舩坂 弘(ふなさか ひろし、1920年〈大正9年〉10月30… 舩坂 弘(ふなさか ひろし、1920年〈大正9年〉10月30日 - 2006年〈平成18年〉2月11日)は、日本の陸軍軍人、剣道家、実業家。最終階級は陸軍軍曹。アンガウルの戦いで活躍した。戦後は大盛堂書店を開き、代表取締役会長を務めた。全日本銃剣道連盟参与、南太平洋慰霊協会理事、大盛堂道場館主。 特別銃剣術徽章、特別射撃徽章、剣道教士六段、居合道錬士、銃剣道錬士など、武道・射撃の技能に習熟していた。 栃木県上都賀郡西方村で農家の三男として生まれて育つ。幼少期からきかん坊で近所のガキ大将であった。小学校と尋常高等小学校を終えて公民学校を卒業すると、さらに早稲田中学講義録で独学し、専門学校入学者検定試験に合格する。
羽賀 忠利(はが ただとし、1917年〈大正6年〉3月26日… 羽賀 忠利(はが ただとし、1917年〈大正6年〉3月26日 - 2010年〈平成22年〉3月7日)は、日本]の剣道家。剣道・居合道範士八段。羽賀準一の実弟。 広島県比婆郡東城町[要出典]に生まれる。1932年(昭和7年)に上京し、準一の世話になりながら[要出典]、国士舘中学(旧制)に入学した。 1937年(昭和12年)、準一が学資を出す形で[要出典]、国士舘専門学校に進学した。専門学校時代は斎村五郎・小野十生・岡野亦一・小城満睦・小川忠太郎・大島治喜太らに指導を受けた。卒業後は、国士舘中学、中野学園中学、東京市立芝商業学校などで指導した。太平洋戦争中には、三重海軍航空隊で海軍飛行予科練習生(予科練)の剣道教師を務めた。
佐川 博男(さがわ はくお、1917年〈大正6年〉2月8日 … 佐川 博男(さがわ はくお、1917年〈大正6年〉2月8日 - 2004年〈平成16年〉12月)は、日本の居合道家、剣道家。段位は居合道範士九段、剣道教士七段。居合の流派は夢想神伝流。 福島県東白川郡塙町で生まれる。1928年(昭和3年)、福島県立白河中学校(現福島県立白河高等学校)に入学し、剣道部に入部。3年生のころ郡山で開かれた剣道大会で大島治喜太の居合演武を見て、居合を志す。 1936年(昭和11年)11月16日、仙台陸軍教導学校を卒業し、軍人として第二次世界大戦では中国戦線に出征した。この戦争での白兵戦の経験から、「日本刀は3人斬ると脂が付いて斬れなくなる」という俗説には否定的であった。
景山 二郎(かげやま じろう、1916年〈大正5年〉1月13… 景山 二郎(かげやま じろう、1916年〈大正5年〉1月13日 - 1999年〈平成11年〉6月26日)は、日本の警察官僚、剣道家。位階は正四位。景山民夫の父。 広島県三次市で生まれ、小学生の時に祖母の実家である広島市内の景山家の養子となる。旧制武蔵高等学校を経て東京帝国大学法学部を卒業。内務省に入省する。 1942年に警部補を拝命し、原爆投下時には徳島県で警察官をしていた。特高に席を置いていたため、敗戦後公職追放となる。 警視庁神田警察署長、刑事部鑑識課長、総務課長、第五方面部長、第一方面部長を務め、山梨県警察、秋田県警察、熊本県警察、埼玉県警察、神奈川県警察の各本部長を歴任。関東管区警察局長を最後に退官した。
阿部 謙四郎(あべ けんしろう、1915年〈大正4年〉12月… 阿部 謙四郎(あべ けんしろう、1915年〈大正4年〉12月15日 - 1985年〈昭和60年〉12月1日)は、日本の柔道家、合気道家、剣道家である。柔道7段(1960年代末に8段を授与されたとする情報もある)、合気道6段、剣道6段。 日本では戦前の著名な柔道家として知られる。戦後は日本の柔道界と対立して1955年にイギリスに渡った。イギリスではKenshiro Abbeの名で、1960年代のイギリスに合気道・剣道などを紹介した人物として知られる。1960年代にイギリス柔道カウンシル(BJC)を設立した。求心道(英語版)(Kyūshindō)を創始し、その理論に基づいて武道を教える道場が現在も多くある。
森 寅雄(もり とらお、1914年〈大正3年〉6月11日 -… 森 寅雄(もり とらお、1914年〈大正3年〉6月11日 - 1969年〈昭和44年〉1月8日)は、日本人の剣道家、フェンシング選手。剣道の段位は八段(範士追贈)。米国フェンシング界では「タイガー・モリ」の異名をとった名選手である。昭和初期の日本剣道界、米国フェンシング界でトップクラスの実力を持ちながら、さまざまな事情で優勝を逃した「悲運の剣士」としても知られる。 群馬県山田郡桐生町新宿(現・桐生市新宿)に、野間(旧姓・岡田)善次郎・ヤスの子として生まれる。初名は野間 寅雄。曽祖父は幕末の北辰一刀流玄武館四天王の一人である森要蔵。寅雄の名は、要蔵とともに白河戦争で戦死した彼の息子(野間寅雄の大叔父)・森寅雄にちなんだものである。
中倉 清(なかくら きよし、1910年〈明治43年〉9月24… 中倉 清(なかくら きよし、1910年〈明治43年〉9月24日 - 2000年〈平成12年〉2月9日)は、日本の剣道家。段位は剣道範士九段、居合道範士九段(全日本剣道連盟)。流派は神道無念流剣術、夢想神伝流居合。職業は警察官(宮内省皇宮警察、鹿児島県警察)。 鹿児島県出身。大道館武道専修学校を第一期生として卒業後、上京して中山博道の道場・有信館に入門する。剣道の公式戦で69連勝を打ち立て、「昭和の武蔵」、「戦うに敵なし」と謳われた。第二次大戦後は全日本東西対抗剣道大会で9人を勝ち抜く記録を打ち立て、「東西対抗の鬼」の異名をとった。 関東管区警察学校教授、一橋大学、中央大学、防衛医科大学校剣道部師範、鹿児島県剣道連盟理事長、全日本剣道連盟審議員などを歴任した。
萱場 照雄(かやば てるお、1910年(明治43年)8月1日… 萱場 照雄(かやば てるお、1910年(明治43年)8月1日 - 1984年(昭和59年)7月3日)は、日本の剣道家。段位は範士八段。 1940年(昭和15年)の天覧試合で準優勝した逆二刀の剣道家である。 宮城県伊具郡枝野村(現角田市)に生まれる。1934年(昭和9年)2月、宮城県警察官に任官。第二高等学校 (旧制)剣道師範の乳井義博から二刀流を学ぶ。1940年(昭和15年)6月20日、紀元二千六百年奉祝天覧武道大会府県選士の部で準優勝。1948年(昭和23年)4月、宮城県警察部を退職。その後、萱場産業を設立。 宮城県剣道連盟理事、仙台市剣道連盟名誉会長等を歴任した。
久保 勇(1908年〈明治41年〉10月28日 - 1990… 久保 勇(1908年〈明治41年〉10月28日 - 1990年〈平成2年〉4月8日)は、徳島県出身の剣道家、銃剣道家、教育者、大日本帝国陸軍近衛師団。柳生神影流第十一世、久武館道場第三代館長、剣道七段範士、銃剣道八段範士。陸軍戸山学校卒。 徳島県阿波郡市場町(現阿波市市場町)出身。大日本帝国陸軍近衛師団所属。近衛師団では中隊・大隊・連隊のいずれも銃剣道一位の実績を残す。近衛師団が全国の選抜された兵から編成されることを考慮すると日本有数の腕前である。当時、近衛師団の剣道指南中であった柳生神影流第十世であり大日本忠孝館道場館長の久保義八郎の目にとまり、娘婿として迎えられ大日本忠孝館道場にて柳生神影流を伝授される。
重岡 曻(しげおか のぼる、1908年(明治41年)8月3日… 重岡 曻(しげおか のぼる、1908年(明治41年)8月3日 - 1991年(平成3年)7月7日)は、日本の剣道家。段位称号は範士九段。 鹿児島県日置郡日置村日置(現日置市日吉町日置)生まれ。父は剣道家の重岡栄之丞だが、9歳の時に死別。小学校高学年から剣道を始め、鹿児島県第二師範学校を卒業。 短期間の兵役及び教員を務めた後、大日本武徳会武道専門学校に入学し、小川金之助、宮崎茂三郎、津崎兼敬、佐藤忠三らの指導を受ける。 1937年(昭和12年)、大阪府警察部に奉職。日満対抗剣道試合出場、明治神宮体育大会剣道競技優勝。 戦後は鹿児島に帰郷し教員を務める。1965年(昭和40年)、近畿管区警察学校教授となる(後に名誉教授)。
松本 敏夫(まつもと としお、1908年(明治41年)3月1… 松本 敏夫(まつもと としお、1908年(明治41年)3月17日 - 1987年(昭和62年)7月24日)は、日本の剣道家。段位は範士九段。 兵庫県伊丹市出身。1917年(大正6年)、小西酒造修武館に入門し、富山円に剣道を学ぶ。伊丹中学校を卒業後関西学院に進学。 1927年(昭和2年)、第4回明治神宮体育大会剣道競技大学、高専校の部で優勝。 1929年(昭和4年)、関西学院を卒業。同年、第5回明治神宮体育大会剣道競技青年団の部で優勝。 南海鉄道勤務を経て、関西学院書記となる。 1934年(昭和9年)、皇太子殿下御誕生奉祝天覧武道大会府県選士の部に兵庫県代表として出場。 1964年(昭和39年)、関西学生剣道連盟会長に就任。