スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
前田 龍二(まえだ りゅうじ、1988年5月20日 - )は… 前田 龍二(まえだ りゅうじ、1988年5月20日 - )は、日本のお笑い芸人。吉本興業所属。 愛媛県松山市出身。愛媛県立松山北高等学校、松山大学卒。 NSCの同期であったこじまラテ、仲西隼平と2013年になにわスワンキーズを結成する。2023年5月14日に解散した。 同年6月29日にシモタ(元コウテイ)とコンビシモリュウを結成したことを報告し、同年7月1日からコンビとしての活動を開始した。
月岡 瞳(つきおか ひとみ、1985年2月27日 - )は、… 月岡 瞳(つきおか ひとみ、1985年2月27日 - )は、RNB南海放送の社員。元アナウンサー。愛媛県松山市出身。 愛媛県立松山北高等学校、愛媛大学法文学部(夜間)を卒業。2006年には松山マドンナ大使を務めた。 2007年南海放送に総合職社員として入社した。営業職から始まったが、2010年4月からアナウンサーに異動した。担当するラジオ番組では出演だけではなくディレクターも兼任している。 2015年結婚。2019年第1児出産。2020年9月の人事異動にて一旦アナウンス職を離れる。
筒井 和也(つつい かずや、1981年10月5日 - )は、… 筒井 和也(つつい かずや、1981年10月5日 - )は、愛媛県伊予市出身の元プロ野球選手(投手)、阪神タイガースのスカウト。 愛媛県立松山北高等学校では2年夏からベンチ入りし、2年秋からはエースとなった。愛知学院大学では1年秋に明治神宮大会で登板、2年生の時に出場した大学選手権2回戦で対戦した久保裕也が投げる東海大に対し敗れたものの、大会記録となる8者連続奪三振を達成し敢闘賞に選ばれた。2年秋は最多勝で明治神宮大会では前年優勝の慶大に完封しベスト4。3年春はMVPも大学選手権は初戦敗退、秋は神宮大会初戦敗退。愛知大学野球リーグでは24連勝を記録し、6季連続優勝に貢献した。大学での通算成績は29勝4敗、防御率1.04、特別賞2回、最優秀防御率1回、ベストナイン3回。
仲田 真紀子(なかた まきこ、1979年7月7日 - )は、… 仲田 真紀子(なかた まきこ、1979年7月7日 - )は、日本のフリーアナウンサー。本名同じ。 愛媛県松山市出身。松山大学卒業。元セント・フォース、株式会社オーケープロダクション所属(遅くとも2012年5月まで)。
松岡 祐弥(まつおか ゆうや、1978年6月15日 - )は… 松岡 祐弥(まつおか ゆうや、1978年6月15日 - )は、愛媛県出身の元サッカー選手(FW)。
林家 染太(はやしや そめた、1975年〈昭和50年〉10月… 林家 染太(はやしや そめた、1975年〈昭和50年〉10月5日 - )は、愛媛県松山市出身の落語家である。本名は荻山 志行(おぎやま しこう)。出囃子は『野球拳』。上方落語協会会員。 松山市立北久米小学校、松山市立久米中学校、愛媛県立松山北高等学校、関西大学文学部国文学科「夜間部」卒業。高校卒業後に高松高等予備校へ通っている。 小学校・中学校では相撲部に所属。中学1年生の頃に友人に桂枝雀の落語会に誘われて、カルチャーショックを受ける。その後図書館に通い、落語のテープやCDを借りたり、本を読んだり、ホームルームで落語を披露する。 高校では応援団で活動。落語家になりたくて大阪に行きたい気持ちはあったが両親には言えず、「先生になる」という名目で大阪の大学へ入学をする。
佐谷 宣昭(さたに のぶあき、1972年11月12日 - )… 佐谷 宣昭(さたに のぶあき、1972年11月12日 - )は、日本の実業家。パイプドHD株式会社創業者・代表取締役社長兼グループCEO。 愛媛県今治市河南町生まれ。今治市立立花小学校、松山市立由良小学校(現松山市立興居島小中学校)を経て、1988年愛媛大学教育学部附属中学校卒業。1991年愛媛県立松山北高等学校卒業。1995年九州大学工学部建築学科卒業。都市計画を専攻し、修士課程修了後、指導教授の強い進めで博士課程に進学して、2000年九州大学大学院人間環境学研究科博士課程修了。坂井猛研究室出身。同年研究室の助教授の紹介でカレンから出資を受け、サハラ(現パイプドビッツ)設立、代表取締役就任。2005年パイプドビッツ代表取締役社長CEO。
松本 紀生(まつもと のりお、1972年 - )は愛媛県松山… 松本 紀生(まつもと のりお、1972年 - )は愛媛県松山市出身の自然写真家。
石田 眞得(いしだ まさよし、1970年1月2日 - )は、… 石田 眞得(いしだ まさよし、1970年1月2日 - )は、日本の法学者。専門は、商法・金融商品取引法。関西学院大学法学部教授。 神戸大学大学院では神崎克郎(神戸大学名誉教授)に師事した。
堀本 直克(ほりもと なおかつ、1968年6月12日 - )… 堀本 直克(ほりもと なおかつ、1968年6月12日 - )は、テレビ愛媛のアナウンサー。 愛媛県松山市出身。松山市立清水小学校→松山市立勝山中学校→愛媛県立松山北高等学校→東洋大学を卒業後、1991年群馬テレビにアナウンサーとして入社。おもにニュースや地域情報番組などを担当。2005年テレビ愛媛の中途採用の話を知り、故郷に帰るならこれがチャンスと長年務めた群馬テレビを退社しテレビ愛媛に入社した。 現在はスポーツ中継などを中心に担当している。2012年からはそれまで同局のアナウンサー在職歴が長かった岡本匡史が報道部に異動した事から、同局アナウンサーの中で在職歴が最長となっている。千葉ロッテマリーンズの大ファン。
金戸 覚(かねと さとる、1966年8月25日 - )は、日… 金戸 覚(かねと さとる、1966年8月25日 - )は、日本のベーシスト。FTK&K、B.F.I.メンバー。GRAPEVINEのサポートメンバー。元WILLIES APPLE、元JOHN BRIEFメンバー。愛媛県出身。 宇和島市出身。愛媛県立松山北高等学校、駒澤大学卒業。A型。 2001年にGRAPEVINE元リーダー西原誠が休養時のライブ「Whitewood」に参加。西原脱退後の2003年のツアー以降、再びサポートとしてバンドの作品及びライブに参加。 2002年、FTK&K(エフティーケー・アンド・ケー)を結成。リリースはせず、ライブのみで活動。演奏曲すべてがカバー(主に洋楽)である。 寺岡呼人や玉木宏、柳田久美子、門田匡陽などのライブやレコーディングにも参加している。
岡本 呻也(おかもと しんや、本名:伸也、1965年3月8日… 岡本 呻也(おかもと しんや、本名:伸也、1965年3月8日 - 2016年3月3日)は、日本の雑誌編集者、ライター。経済、歴史、仏教などを題材として手がける。 愛媛県生まれ。早稲田大学卒業後、1987年プレジデント社に入社し、1993年から1997年まで月刊誌『プレジデント』を担当。『フィナンシャルジャパン』の編集長を務めるも辞任。「人間力ラボ」を設立。 ネット上では、同郷の元巡査部長・仙波敏郎についての言及も多い。彼の半生をテーマにした『正義の人』というシナリオ形式の文芸作品もネット上に発表した。「単なる手抜き」と謙遜しながらも、シナリオ形式の「余分な心理描写をしなくてよい」という文体上の利点に注目している。
天童 荒太(てんどう あらた、1960年5月8日-)は、日本… 天童 荒太(てんどう あらた、1960年5月8日-)は、日本の小説家・推理作家。男性。初期は本名の栗田 教行(くりた のりゆき)名義で活動した。代表作に『家族狩り』『永遠の仔』『悼む人』など。 愛媛県松山市出身。道後温泉の近くで生まれ育つ。愛媛県立松山北高等学校、明治大学文学部演劇学科卒業。 童話・映画脚本などさまざまな賞に応募し、本名で投稿した「白の家族」が野性時代新人文学賞を受賞。『ZIPANG』『アジアンビート』など映画の脚本などを手がけた後に、天童荒太名義で小説を書く。ペンネームを変えたのは、「白の家族」で一度新人賞を取った後にミステリーの賞に応募することになり、「(同じ名義で)落ちたらみっともない」と考えたためで、当初はあとで本名に戻すつもりだった。
戒田 節子(かいだ せつこ、1958年4月3日 - )は、愛… 戒田 節子(かいだ せつこ、1958年4月3日 - )は、愛媛県を拠点に活躍する日本の女性フリーアナウンサー・劇団主宰者。元RNB南海放送アナウンサー。 愛媛県松山市出身。愛媛県立松山北高等学校、日本大学藝術学部放送学科を卒業後、1981年南海放送に入社。 アナウンサー業の傍ら地元のアマチュア劇団「みかん一座」の主宰を務め、現在も2足のわらじで活動している。 2018年4月30日付けで定年退職となったが、一部担当番組は継続する。
茂本 ヒデキチ(しげもと - 、1957年6月16日 - )… 茂本 ヒデキチ(しげもと - 、1957年6月16日 - )は愛媛県松山市出身のイラストレーターである。 今までにない墨絵イラストで話題に1985年フリーになる1991年にはミュージックマガジンの表紙担当、雑誌の表紙だけでなく、ポスター・広告・イベント・国内だけでなく海外の個展で活躍している。 12月中に退院。2014年3月に仕事復帰。第一弾はサッポロビールの「軍師官兵衛」の墨絵ラベルの発表だった。
河野 忠康(こうの ただやす、1951年〈昭和26年〉1月2… 河野 忠康(こうの ただやす、1951年〈昭和26年〉1月27日 - )は、日本の政治家。愛媛県久万高原町長(3期)。 愛媛県議会副議長、愛媛県議会議員(5期)などを歴任。 ※当日有権者数:7,896人 最終投票率:79.78%(前回比: 2.60pts) 2023年10月12日、町内の神社に修繕費の名目で100万円を寄付していたことが判明した。選挙区内での寄付行為を禁じる公職選挙法(寄付の禁止)違反の疑いがある。河野は取材に対し寄付したことを認め、「氏子の一人として神社のためにと思って寄付した。法律に違反しているという認識は頭になかった」と話している。寄付は同町菅生にある三島神社の1250年記念事業として、拝殿などの修繕費の名目で氏子を対象に募集があり、河野は指定口座に振り込んだ。
長榮 周作(ながえ しゅうさく、1950年〈昭和25年〉1月… 長榮 周作(ながえ しゅうさく、1950年〈昭和25年〉1月30日 - )は、日本の実業家、剣道家。パナソニック株式会社特別顧問、公益社団法人大阪府剣道連盟会長、小野薬品工業株式会社社外取締役。愛媛県松山市出身。京都府在住。学位は工学士(愛媛大学・1972年)。 松山市立三津浜小学校、松山市立三津浜中学校、愛媛県立松山北高等学校を経て愛媛大学工学部電気工学科を卒業。1972年に松下電工に入社し、商品設計を担当する。1996年に施設照明事業部商品企画開発部部長に就任。2000年にインドネシア松下電工ゴーベル(現・パナソニック ゴーベル インドネシア)社長に就任。2003年に松下電工に戻り、照明デバイス開発事業部事業部長に就任。
辻本 雅史(つじもと まさし、1949年10月28日 - )… 辻本 雅史(つじもと まさし、1949年10月28日 - )は、日本の思想史家・教育学者。京都大学名誉教授、国立台湾大学教授。愛媛県出身。
大西 譲治(おおにし じょうじ、1949年2月20日 - )… 大西 譲治(おおにし じょうじ、1949年2月20日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 松山北高3年生の時、1966年のプロ野球第1次ドラフト会議で中日ドラゴンズから6位指名されたが、都合により取消となる。 高校卒業後、社会人野球の河合楽器に進むが、殆ど登板しなかった。 1967年にドラフト外で中日ドラゴンズに入団。 オープン戦では、スタルヒンに似た投手と騒がれ話題となり登板したが、球は速いが制球難なのが致命傷で、1970年に一軍公式戦に出場する事がないまま引退。 父親が米人。上手投げの本格派、直球とカーブ、フォークボールを武器とする。
森貞 周治(もりさだ しゅうじ、1949年 - )は、日本の… 森貞 周治(もりさだ しゅうじ、1949年 - )は、日本の元アマチュア野球選手(内野手)。 松山北高校では、1966年秋季四国大会県予選準々決勝に進むが帝京五高に敗退。法政大学に進学。東京六大学野球リーグでは、同期のエース横山晴久らを擁し、1969年秋季リーグから4季連続優勝。1970年秋季リーグでベストナイン(遊撃手)に選出される。他の大学同期には古賀正明、中村裕二、依田優一らがいた。 卒業後は熊谷組に入社、都市対抗などの常連として活躍する。1975年の東京スポニチ大会では小林秀一らが好投、決勝で三協精機を降し優勝。この大会の優秀選手賞を獲得、同年の社会人ベストナイン(遊撃手)に選出される。
松岡 紀雄(まつおか としお、1940年9月14日 - )は… 松岡 紀雄(まつおか としお、1940年9月14日 - )は、日本の経営学者。神奈川大学名誉教授。専門は、海外広報論、企業市民論、英文出版・編集、アメリカ社会事情、ボランティア論、市民協働。「企業市民」の提唱者。英文国際比較統計集「Japan 1980」シリーズの生みの親。「松岡紀雄の公式YouTube」に、本人が80歳を超えて作成したスライド471枚、4時間24分のナレーションで構成するユニークな自分史、「自分勝手な記憶で綴るスライド自叙伝-松岡紀雄の80年の歩み」を公開。 愛媛県松山市出身。1964年京都大学法学部卒業後、松下電器産業(株)(現パナソニック)入社。松下幸之助の下でアメリカPHP研究所初代代表や英文国際版PHP編集長等を歴任。
井手 順二(いで じゅんじ、1939年〈昭和14年〉8月16… 井手 順二(いで じゅんじ、1939年〈昭和14年〉8月16日 - )は、日本の政治家。愛媛県北条市長を2期務め、平成の大合併により2005年(平成17年)1月1日を以って北条市は松山市に編入されたため、最後の市長となった。 愛媛県出身。愛媛県立松山北高等学校卒業。民間企業勤務を経て温泉郡北条町役場に入る。同町は1958年(昭和33年)11月1日市制施行し北条市となったため、北条市役所勤務となる。市役所では議会事務局長、市長公室長、総務課長を経て、収入役を歴任。2000年(平成12年)1月31日前任の菅朝照が急逝したのを受けて請われて北条市長選挙に立候補し、無投票で当選する。2004年(平成16年)は無投票で再選。
関谷 勝嗣(せきや かつつぐ、1938年〈昭和13年〉3月6… 関谷 勝嗣(せきや かつつぐ、1938年〈昭和13年〉3月6日 - )は、日本の政治家。自由民主党山崎派に所属。(財)愛媛県遺族会会長。 参議院議員(2期)、衆議院議員(8期)、郵政大臣(第53代)、建設大臣(第66代)、国土庁長官(第33代)などを歴任した。 愛媛県松山市三津浜出身。 愛媛大学教育学部附属小学校、愛媛大学教育学部附属中学校、愛媛県立松山北高等学校を経て、1960年、中央大学法学部政治学科卒業。カナダ、ブリティッシュ・コロンビア大学留学。 1964年4月、日本航空に入社。1967年10月、退社。1967年11月 関谷勝利議員秘書。1970年1月瀬戸内海放送取締役。1974年1月松山青年会議所理事長。
伴野 朗(ともの ろう、1936年7月16日 - 2004年… 伴野 朗(ともの ろう、1936年7月16日 - 2004年2月27日)は、日本の小説家・推理作家・歴史作家。 愛媛県松山市生まれ。1954年、愛媛県立松山北高等学校卒業。1960年、東京外国語大学中国語学科卒業。 1962年、朝日新聞社入社。朝日新聞秋田支局を振り出しに、外報部、インドシナ特派員などを経て上海支局長を務めるかたわら、執筆活動を並行した。1976年、『五十万年の死角』で第22回江戸川乱歩賞を受賞。 1983年、日本冒険作家クラブの創設の発起人の一人となる。(同クラブの代表幹事をつとめたことがある ) 1984年、『傷ついた野獣』で第38回日本推理作家協会賞受賞。 1989年、朝日新聞社を退社。
生田 正治(いくた まさはる、1935年1月19日 - 20… 生田 正治(いくた まさはる、1935年1月19日 - 2023年11月13日)は、日本の実業家。位階は従三位、勲等は旭日大綬章。株式会社商船三井社長、会長、日本郵政公社初代総裁(2003年 - 2007年)を歴任。慶應義塾理事。慶應義塾評議員。
三木 弘子(みき ひろこ、1933年〈昭和8年〉9月9日 -… 三木 弘子(みき ひろこ、1933年〈昭和8年〉9月9日 - )は、日本の女優。本名は安永弘子。愛媛県出身。 愛媛県立松山北高等学校卒業。 俳優座養成所第8期生(同期には水野久美、柳川慶子がいた)。 手堅いバイプレイヤーとして長年活躍し、1975年の『お美津』では、当時新人であった主演の岡江久美子に演技の基礎から付きっ切りで指導を行ったという。 1979年、『3年B組金八先生』での川村用務主任役で人気を得る。
利谷 信義(としたに のぶよし、1932年(昭和7年)8月6… 利谷 信義(としたに のぶよし、1932年(昭和7年)8月6日 - 2019年(令和元年)8月19日)は、日本の法学者。専門は、民法・法社会学)。東京大学名誉教授、お茶の水女子大学名誉教授、東京経済大学名誉教授。
黒川 浩(くろかわ ひろし、1930年1月2日 - )は、愛… 黒川 浩(くろかわ ひろし、1930年1月2日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手(投手)。1950年に広島カープ(現・広島東洋カープ)に在籍した。 愛媛県立北予中学校(現在の愛媛県立松山北高等学校)から松山商科大学(現在の松山大学)ヘ進学した後、1950年に広島に入団した。同年は3試合に登板して0勝1敗、投球7回で打者42人と対戦し、13被安打2被本塁打8被四球3奪三振、失点12で自責点9、防御率は11.57だった。打撃成績は3打席3打数0安打、1三振。打率.000。同年限りで引退。
綿井 永寿(わたい えいじゅ、1928年11月20日 - 1… 綿井 永寿(わたい えいじゅ、1928年11月20日 - 1998年5月30日)は、愛媛県出身の元ラグビー選手及び同指導者で、日本体育大学第6代学長。 現役時代のポジションは、フランカー(FL)。 旧制北予中学、中央大学出身。 後に、日本体育大学ラグビー部の監督に就任。いわゆる、「早慶明」の伝統校に打ち勝つためには、走り勝たねばならないという信条の下、『ランニングラグビー』を確立した。 1969年度、有賀健らを擁して関東大学ラグビー対抗戦グループで初優勝をもたらすと、続く第6回全国大学ラグビーフットボール選手権大会でも決勝で早稲田大学(以下、早稲田)を11-9で下し初優勝。そして続く第7回日本ラグビーフットボール選手権大会では、社会人代表がなかなか決まらず、すったもんだの末、富士鐵釜石(後の新日本製鐵釜石ラグビー部、現 釜石シーウェイブス)が出場することになったが、29-13でこれを撃破し、早稲田に続いて、大学チームとしては史上3校目となるラグビー日本一を果たした。
今岡 謙次郎(いまおか けんじろう、1918年2月13日 -… 今岡 謙次郎(いまおか けんじろう、1918年2月13日 - 生没不明)は、愛媛県出身のプロ野球選手。 北予中学校から1936年に東京セネタースへ入団。1938年秋のシーズン終了後に応召された。
古茂田 守介(こもだ もりすけ、1918年〈大正7年〉1月5… 古茂田 守介(こもだ もりすけ、1918年〈大正7年〉1月5日 - 1960年〈昭和35年〉7月21日)は、昭和期の洋画家。新制作派協会物故会員。愛媛県道後村(現:松山市)出身。 人物画、静物画を得意分野とした。黄土色や暗褐色、くすんだ緑色等を主調として、色彩より形を重視し、均整のとれた構図の人物や静物を描いた。その色彩から、彫刻的な量感や実在感が作品に強く表れ、特別個性のある画風であった。戦後の日本美術で抽象表現主義の流行するなか、自身の信念を貫いて具象絵画を追究し続けた。 愛媛県道後村大字祝谷にて、元町会議員の父・文平の三男として生まれる。兄2人、姉1人、弟2人の6人兄弟。生まれながらにして喘息をかかえており、生涯闘病することとなる。
秋山 正親(あきやま まさちか、1916年(大正5年)2月2… 秋山 正親(あきやま まさちか、1916年(大正5年)2月29日 - 1985年(昭和60年)1月6日)は、昭和時代の政治家。愛媛県北条市長(2期)。 愛媛県温泉郡北条町(北条市を経て現松山市)出身。松山北予中学校卒業。1937年(昭和12年)愛媛県庁に入る。民生、企画の各部長、出納長を歴任する。1978年(昭和53年)3月県庁を退職。退職後は愛媛相互銀行(現・愛媛銀行)監査役、愛媛県人事委員会委員となった。同年11月北条市長に当選。2期務めるが、2期目の1984年(昭和59年)9月病気のため市長を辞職。翌1985年(昭和60年)1月に死去した。
中村 信一(なかむら しんいち、1913年2月22日 - 没… 中村 信一(なかむら しんいち、1913年2月22日 - 没年不明)は、愛媛県出身のプロ野球選手(内野手)。 北予中学校(現松山北高)在学中に第8回選抜中等学校野球大会に出場、準々決勝に進出する。その後法政大学に進学し、1936年に東京セネタースへ入団。遊撃手として二塁手の苅田久徳、三塁手の高橋輝彦らとともに「百万ドルの内野陣」を形成した。1937年秋シーズン途中に応召し、1940年に復帰。1941年にチームが名古屋金鯱軍と合併し大洋軍と改称、金鯱軍で遊撃を守っていた濃人渉が大洋軍でもそのまま遊撃を守ったため三塁に転向する。終戦後の1946年はゴールドスターで復帰するが、翌1947年に退団、そのまま現役引退した。
渡部 喜十郎(わたなべ きじゅうろう、1902年(明治35年… 渡部 喜十郎(わたなべ きじゅうろう、1902年(明治35年)3月20日 – 2004年(平成16年)10月11日)は、日本の弁護士、第22代日本弁護士連合会会長。 1902年、愛媛県温泉郡難波村(現・松山市)にて出生。 1920年、北予中学卒業後、上京し働きながら明治大学にて学ぶ。 1929年、高等試験司法科に合格。弁護士となる。 1966年、東京弁護士連合会会長に就任。 1968年、東京都弁護士協同組合の設立を提唱し、初代理事長に就任。 1971年、日本弁護士連合会会長に就任。 1984年、全国弁護士協同組合連合会の初代理事長に就任。 2004年、死去。102歳。
池内 義資(いけうち よしすけ、1900年9月9日 - 19… 池内 義資(いけうち よしすけ、1900年9月9日 - 1979年10月18日)は、日本の法制史学者、教員。 愛媛県生まれ。広島高等師範学校で新見吉治に学び、1923年卒業。高知師範学校で教員を務めた後、1927年京都帝国大学文学部史学科に入学し、卒業論文「武士発生史の研究」をまとめ、1931年3月に卒業。京都府立第一高等女学校、兵庫県立第二神戸中学校、大分県立宇佐中学校等の教員を勤め、愛媛県立松山北高等学校校長等を歴任する。その傍ら、中世法制史研究を行い、佐藤進一と共に「中世法制史料集」(岩波書店)の編纂を行う。また、特に御成敗式目の研究を専門として、1971年に「式目傅寫本の系譜に関する研究」により京都大学から文学博士の学位を授与される。
豊田 雅孝(とよた まさたか、1898年9月5日 - 199… 豊田 雅孝(とよた まさたか、1898年9月5日 - 1991年2月14日)は、日本の商工官僚、政治家。参議院議員(2期)。 1898年(明治31年)愛媛県生まれ。松山商業、北予中学、三高、東京帝国大学法学部政治学科を経て、1925年(大正14年)商工省入省、文書課長、企業局長を務めた。1945年(昭和20年)商工次官。1946年(昭和21年)退官。1947年(昭和22年)商工中金理事長。 1953年(昭和28年)第3回参議院議員通常選挙全国区当選(無所属)。1959年(昭和34年)第5回参議院議員通常選挙落選(緑風会)。1962年(昭和37年)第6回参議院議員通常選挙全国区当選(自由民主党)。
菅野 和太郎(かんの わたろう、1895年6月20日 - 1… 菅野 和太郎(かんの わたろう、1895年6月20日 - 1976年7月6日)は、日本の政治家。大阪経済大学教授。
武知 勇記(たけち ゆうき、1894年(明治27年)7月10… 武知 勇記(たけち ゆうき、1894年(明治27年)7月10日 - 1963年(昭和38年)10月11日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲等・勲章は勲一等瑞宝章。伊予市名誉市民受章。 愛媛県伊予郡南伊予村下三谷(現・伊予市下三谷)出身。1913年(大正2年)北予中学校(現・愛媛県立松山北高等学校)卒業。学生時代から政治家を志し明治大学法律科卒業後帰郷。1918年(大正7年)憲政会公認で松山市会議員に立候補し当選、翌1919年(大正8年)には愛媛県会議員にも立候補して当選。1930年(昭和5年)の第17回衆議院議員総選挙に愛媛1区から立憲民政党公認で立候補し初当選。戦前は廣田内閣の文部参与官、小磯内閣の内務政務次官、翼賛政治会衆院部総務等を歴任。
高橋 雄豺(たかはし ゆうさい、明治22年(1889年)11… 高橋 雄豺(たかはし ゆうさい、明治22年(1889年)11月3日 - 昭和54年(1979年)8月26日)は、内務官僚、実業家、ジャーナリスト。香川県知事。 愛媛県西条市出身。高橋岩吉の長男として生まれる。明治40年(1907年)3月、北予中学(現松山北高校)卒業。明治42年(1909年)11月、警視庁巡査となる。 1909年12月、神田警察署勤務となり、深川警察署、三ノ橋警察署、本所相生警察署、早稲田警察署で勤務。大正4年(1915年)2月、警察官練習所を卒業。同年3月、内務省に転じ、内務属として警保局保安課に配属され、さらに同局図書課に異動。同年10月、文官高等試験行政科試験に首席で合格。
越智 孝平(おち こうへい、1889年(明治22年)2月3日… 越智 孝平(おち こうへい、1889年(明治22年)2月3日 - 1968年(昭和43年)6月25日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍少将。松山市長。 愛媛県和気郡堀江村(現:松山市堀江町)で越智倉吉、ヨシ夫妻の息子として生れる。1907年、私立北予中学校を卒業し、海軍兵学校(38期)に入学。1910年7月、同校を卒業し、1911年12月に海軍少尉任官。海軍大学校で乙種学生、次いで海軍水雷学校高等科学生、同特修科学生として学んだ。第三水雷戦隊司令部付、米国駐在、第一水雷戦隊司令部付兼参謀、「陸奥」通信長心得などを経て、1924年11月、海大甲種22期を卒業した。 以後、軍令部参謀、第二遣外艦隊参謀、海軍大学校教官、在メキシコ国公使館付武官などを歴任。
石住 昭彦 は、日本の俳優、声優。愛媛県松山市出身。円企画所… 石住 昭彦 は、日本の俳優、声優。愛媛県松山市出身。円企画所属。
明神 あい(みょうじん あい、5月11日 - )は、日本の女… 明神 あい(みょうじん あい、5月11日 - )は、日本の女優、声優。東京都出身。血液型はAB型。星座はおうし座。身長149cm。 本名および旧芸名宮内 あい(みやうち あい)。愛称はあいちゃん。以前は元氣プロジェクト、B-Boxに所属していた。 愛媛県立松山北高等学校卒業後、淑徳短期大学社会福祉学科介護福祉学部中退[要出典]。 2002年より井上和彦の声優教室(現・B-Box Actors School)に通っていた。7期生。 介護福祉国家資格所持[要出典]。介護福祉士として10年以上のキャリアがある[要出典]。 「弓張りの月」 守山とばり役
平高 奈菜 は、愛媛県松山市出身のボートレーサー。登録第44… 平高 奈菜 は、愛媛県松山市出身のボートレーサー。登録第4450号。身長159cm。血液型B型。100期。香川支部所属。師匠は重成一人。同期に鎌倉涼、青木玄太、桐生順平、川野芽唯らがいる。