スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
田中 湧士(たなか ゆうし、1999年10月5日 - )は、… 田中 湧士(たなか ゆうし、1999年10月5日 - )は、熊本県出身の男子バドミントン選手。NTT東日本所属。 2019年の全日本学生選手権の男子シングルス決勝で奈良岡功大を破って優勝。 2021年の全日本総合選手権では、決勝で奈良岡功大に14-21, 21-17, 21-14で逆転勝利し優勝した。 3月のオルレアン・マスターズでは、決勝で同胞の高橋洸士を破って優勝。BWFワールドツアー初タイトル獲得となった。 6月のUSオープンでは、準々決勝で第3シードの蘇力揚を破り、決勝で雷蘭曦を破って優勝した。 翌週のカナダ・オープンでは、準々決勝で香港のベテラン選手の伍家朗を破って準決勝に進出。準決勝では同胞の渡邉航貴に敗れ敗退した。
霜上 雄一(しもがみ ゆういち、1998年3月5日 - )は… 霜上 雄一(しもがみ ゆういち、1998年3月5日 - )は、日本の男子バドミントン選手。八代東高校出身。日本ランキング最高2位。 日本体育大学に在学中の、2019年のインカレでは、三上楓とのダブルスで小倉由嵩 / 三橋健也を破り3位となった。 卒業後は日立情報通信エンジニアリングに入社。男子ダブルスでは同所属同い年の野村拓海とペアを組む。 2022年の全日本社会人選手権では、混合ダブルスで再春館製薬の加藤佑奈とのペアで優勝。 2023年からは混合ダブルスでYONEX所属の保原彩夏とペアを組む。同年の全日本社会人選手権で混合ダブルスで優勝し2連覇を達成した。 2024年の日本ランキングサーキット大会の混合ダブルスで優勝。
園田 啓悟(そのだ けいご、1990年(平成2年)2月20日… 園田 啓悟(そのだ けいご、1990年(平成2年)2月20日 - )は、日本の男子バドミントン選手。トナミ運輸バドミントン部所属。熊本県八代市出身。 第28回世界男子バドミントン選手権では嘉村健士とダブルスを組み、準々決勝フランス戦で2-0で勝利するなど日本の初優勝に貢献した。2016年香港オープンで初のスーパーシリーズ優勝を果たす。 2020年東京オリンピックバドミントン男子ダブルスも嘉村とダブルスを組み、準々決勝まで進んだが、インドネシアのヘンドラ・セティアワン、モハマド・アッサン組に14-21、21-16、9-21で敗れ4強入りはならなかった。
嘉村 健士(かむら たけし、1990年2月14日 - )は、… 嘉村 健士(かむら たけし、1990年2月14日 - )は、日本の男子バドミントン選手。佐賀県唐津市出身。右利き。唐津市立長松小学校、唐津市立第一中学校、熊本県立八代東高等学校、早稲田大学スポーツ科学部卒業。トナミ運輸バドミントン部所属。2013年から日本代表に選出されている。2016年香港オープンで初のスーパーシリーズ優勝を果たす。BWF世界ランキングは最高2位。 小学2年でバドミントンを始め、長松小学校、唐津市立第一中学校では七山モンキーズに所属。 早稲田大学では、2008年、2010年の2回、インカレでダブルス優勝(パートナーは上田拓馬)。 大学卒業後は、トナミ運輸に入社。 2011年、大阪国際で混合ダブルス優勝(パートナーは米元小春)。
堀端 宏行(ほりばた ひろゆき、1986年10月28日 - … 堀端 宏行(ほりばた ひろゆき、1986年10月28日 - )は、日本の元男子陸上競技(長距離走・マラソン)選手。熊本県八代市出身。189 cm・68Kg。2011年世界陸上大邱大会男子マラソン6位入賞。 2005年3月、熊本県立八代東高等学校卒業。高校時代は国体男子5000m代表として出場した事がある位の、全国的には無名の選手だった。同年4月、宮崎県延岡市拠点の旭化成に入社・陸上部に入部後、着実に力を付けた。初マラソンは2008年2月の東京マラソン男子の部で9位。 2011年3月のびわ湖毎日マラソンでは、31Kmを過ぎて今井正人と足が接触した際に大きくバランスを崩し、あわや転倒しかけるアクシデントで一旦は今井との差が開いた。
橋本 博且(はしもと ひろかつ、1985年12月18日 - … 橋本 博且(はしもと ひろかつ、1985年12月18日 - )は、熊本県熊本市出身のバドミントン選手。バドミントン日本代表ナショナルチームに選出されている。 ※上記成績のダブルスのパートナーは男子ダブルスが平田典靖、混合ダブルスが藤井瑞希
正代 賢司(しょうだい けんじ、1981年3月25日 - )… 正代 賢司(しょうだい けんじ、1981年3月25日 - )は、日本の剣道家(六段)・元神奈川県警察警察官・剣道日本代表候補。警察官退職時は神奈川県警察第2機動隊所属、巡査部長。
逢川 まさき(あいかわ まさき、1980年3月5日- )は、… 逢川 まさき(あいかわ まさき、1980年3月5日- )は、日本の歌手。 2008年〜2018年、日本クラウン株式会社所属。2019年~2022年、エイフォース・エンタテイメント所属。2023年よりホリデージャパン所属。本名は前田将邦。熊本県八代市出身。個人事務所「オフィスアイカワ」所属。 元々小さい頃から歌が好きで、八代の合唱団に入っていた。高校生の時にNHKのど自慢(NHK総合・ラジオ第1)へ出場し、歌う快感に目覚める。この頃の師匠は、作曲家の大道一郎。 デビュー曲『港たずねびと』は大人の雰囲気漂うムード歌謡で、2曲目『しのび逢い』も女心を歌った作品であり、ファンの8割は女性である。 キャッチフレーズは「甘い艶のある低音の響きを持つ新人」、「歌謡界のハニカミ王子誕生」。
大束 忠司(おおつか ただし、1978年4月30日 - )は… 大束 忠司(おおつか ただし、1978年4月30日 - )は、長崎市立大浦中学校 - 熊本県立八代東高校 - 日本体育大学 - トナミ運輸を経て、日本体育大学教員の元男子日本代表バドミントン選手(既に現役引退)。現在はコーチ。長崎県長崎市出身。右利き。身長169cm、体重64kg。 7歳の時に両親の勧めでバドミントンを始める。以来、着々と実力を伸ばし、中学時代はシングルスで全国優勝、高校時代はインターハイでシングルス準優勝、ダブルス優勝、大学時代はインカレ、全日本総合で優勝を飾るなどの成績を残す。 大学卒業後はトナミ運輸に入社。2000年のインカレを最後にダブルスに専念するようになり、日本体育大学の同期でダブルスのパートナーでもある舛田圭太と共に優秀な成績を残し、アテネ五輪代表に選ばれるなど、日本を代表する選手となった。
野田 浩輔(のだ こうすけ、1977年12月4日 - )は、… 野田 浩輔(のだ こうすけ、1977年12月4日 - )は、熊本県八代市出身の元プロ野球選手(捕手、内野手、右投右打)。現在は埼玉西武ライオンズの二軍野手コーチを務めている。 八代東高では2年春、3年春に県大会準優勝。3年夏は県大会ベスト4。新日本製鐵君津時代に渡辺俊介とバッテリーを組み、シドニー五輪に出場して話題となった。シドニー五輪ではプロ枠で出場した当時中日に在籍していた鈴木郁洋に正捕手を奪われたが、同じ五輪代表に選ばれた阿部慎之助(中央大学)とともにチームを引っ張る存在として欠かせなかった。また、同年の都市対抗野球ではベスト4となり社会人野球ベストナイン捕手となった。 ドラフトでは下位指名での争奪戦が予測されたが、入団前から野田と西武ライオンズとの相思相愛ということで他球団に指名されず、2000年のドラフトで西武ライオンズから6位指名を受け、入団。
村岡 章子(むらおか しょうこ、1969年10月14日 - … 村岡 章子(むらおか しょうこ、1969年10月14日 - )は、熊本県を拠点に活動するローカルタレントである。 熊本県八代市出身、熊本県立八代東高等学校卒、天秤座。血液型はA型。
井上 明美(いのうえ あけみ、1968年12月15日 - )… 井上 明美(いのうえ あけみ、1968年12月15日 - )は、日本の元女優。本名同じ。 熊本県八代市出身。ぐあんばーるに所属していた。 熊本県立八代東高等学校卒業。子供の頃から女優に憧れ、やがて上京。1985年アイドルグループ美少女倶楽部のメンバーとして芸能界デビュー。同年10月5日に発売されたアルバム『美少女』にて、『風はスクリーン』をソロで歌っている。1986年、新メンバー加入(この時に加入したメンバーの中に、清原和博の元妻・木村亜希がいた)を機にB・C・Gにグループ名を改名・同年2月から9月まで日本テレビ系で放送されたバラエティー番組『ごきげん月曜7時半』にレギュラー出演、同年2月5日・番組のエンディングテーマ曲『いつも両親からイレられる200のCheck』でレコードデビューするものの、番組終了と同時にグループは解散する。
福嶋 正信(ふくしま まさのぶ、1955年11月24日 - … 福嶋 正信(ふくしま まさのぶ、1955年11月24日 - )は、熊本県出身の日本の高校野球指導者。通称″おやじ″ 八代東高校、日本体育大学を経て、1979年に都立足立工業高校に着任。 その後は、都立葛飾野高校、都立江戸川高校を経て、2005年からは都立小山台高校野球部監督に就任。2014年春には現在福岡ソフトバンクホークスに所属する伊藤優輔を擁し、21世紀枠で都立高校初めての選抜大会出場を果たした。その後も2018年、2019年夏には東東京大会で準優勝の成績を修めるなど都立の進学校でありながらも、都内有数の強豪校に成長させている。
釘谷 肇(くぎたに はじめ、1954年4月30日 - )は、… 釘谷 肇(くぎたに はじめ、1954年4月30日 - )は、熊本県八代市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 八代東高から1973年ドラフト2位でヤクルト入団。二軍暮らしが長かったが長打力には定評があり、キャンプでは「和製大砲」、「アリゾナの星」と期待された。1975年、1976年と2年連続でジュニアオールスターにも出場。1981年には一軍に定着、5月末から外野手として7試合連続で先発に起用され、24打数9安打と活躍するが直後に故障欠場。1983年も5月から27試合に先発出場、打率.304、5本塁打の成績を残すが、またも8月に故障し先発から外れる。その後もレギュラーには定着できなかった。1985年限りで現役引退。
柏原 純一(かしわばら じゅんいち、1952年6月15日 -… 柏原 純一(かしわばら じゅんいち、1952年6月15日 - )は、熊本県八代市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ、解説者・評論家・YouTuber。 実家はイグサ農家で、母親は代用教員をしていたという家庭だった。4人きょうだいの第3子(姉、兄、妹がいる)。高校から本格的に野球を始め、八代東高校では3年次の1970年、春の選抜にエースとして出場。1回戦で日大三高の渡部良克(日大)と投げ合うも0-2で完封負けを喫した。同年の夏の甲子園県予選では、準々決勝で熊本一工に延長15回の末、敗退した。 同年のドラフトで南海ホークスから8位指名を受け、外野手として入団。当時は中央球界ではまだ無名の存在で、地元のファンがたまたま訪れていた南海のスカウトに紹介したことがそのままプロ入りに繋がったという。
上村 春樹(うえむら はるき、1951年<昭和26年>2月1… 上村 春樹(うえむら はるき、1951年<昭和26年>2月14日 - )は、日本の柔道家(講道館9段)。 1976年モントリオールオリンピックの柔道無差別級金メダリスト。引退後は全日本柔道連盟会長(2009年4月 - 2013年8月)、国際柔道連盟指名理事(2007年9月 - 2013年8月、2015年8月 - )、第5代講道館館長(2009年4月 - )等を歴任している。 熊本県下益城郡小川町(現・宇城市)出身。生来の肥満体を案じた両親に勧められ小学校5年生の時に柔道を始めた。6年生で出場した地域の小学生大会で優勝を果たしたが、上村は「周りの子が体重40kg前後なのに対し自分だけ70kgだったから優勝して当たり前」「翌日に学校の朝礼で表彰された時は嬉しいを通り越して恥ずかしかった」と述懐している。
平島 栄子(ひらしま えいこ、1950年(昭和25年)10月… 平島 栄子(ひらしま えいこ、1950年(昭和25年)10月7日 - )は、日本の女子体操選手。 1972年ミュンヘンオリンピックに出場した。1972年、1973年にNHK杯体操選手権で個人総合優勝した。
川添 永子(かわぞえ えいこ、旧姓:桑原 1950年〈昭和2… 川添 永子(かわぞえ えいこ、旧姓:桑原 1950年〈昭和25年〉 - )は日本の剣道家、教師。 女子剣道黎明期に活躍した女流剣士のパイオニア的存在として知られている。夫は剣道家の川添哲夫。 熊本県八代市生まれで、小学4年生で剣道を始める。熊本県立八代東高等学校在学中の1967年、出場した玉竜旗高校剣道大会において女子選手として初めて男子選手を破り、話題となる。 翌1968年には新設された女子個人戦にて優勝し、初代女王となった。翌1969年には国士舘大学進学し、大学1年生ながら全日本女子剣道選手権大会にて優勝。その後、1970年、1971年と3連覇を果たす。この優勝回数3回の記録は村山千夏が2011年に4回目の優勝を遂げるまで、最多記録であった。
池田 純一(いけだ じゅんいち、1946年5月15日 - 2… 池田 純一(いけだ じゅんいち、1946年5月15日 - 2005年5月17日)は、熊本県荒尾市出身のプロ野球選手(外野手)。1971年から1976年までは、池田 祥浩(いけだ よしひろ)という登録名を用いていた。 中学3年次の1961年までは右打者であったが、右肩を脱臼したことをきっかけに左打者へ転向した。 卒業後は1962年に八代東高校へ進学し、投手兼右翼手の4番打者として活躍。2年次の1963年の秋季九州大会では、同級生の沢村周二とのダブルエースで準々決勝にまで進んだが、打線が中津東の秋元肇に抑えられた末に敗退。3年次の1964年には夏の甲子園中九州大会決勝で佐伯鶴城の山中正竹に投げ勝ち、本大会では開幕試合で掛川西と対戦。
中島 隆利(なかしま たかとし、1943年(昭和18年)6月… 中島 隆利(なかしま たかとし、1943年(昭和18年)6月22日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(1期)、旧八代市長(1期)、熊本県議会議員(4期)、八代市議会議員(2期)を歴任した。