スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
石川 康平(いしかわ こうへい、2000年9月11日 - )… 石川 康平(いしかわ こうへい、2000年9月11日 - )は、日本の現代音楽の作曲家。 2000年(平成12年)に東京都渋谷区に生まれる。幼い頃は音楽とは無縁であり、暫くは音楽に親しみがない環境で育つ。その後は13歳からピアノ、18歳から作曲を始める。[要出典] 2016年(平成28年)に東邦音楽大学附属東邦第二高等学校にピアノ科で入学し、18歳の頃に同高校作曲科に転科。当時作曲を森垣桂一、井上淳司に師事する。[要出典] 2019年(平成31年)に京都市立芸術大学作曲科に入学し、当時音楽理論と作曲を酒井健治、中村典子、岡田加津子に師事する。[要出典] 2021年(令和3年)に京都からパリに渡り、ブローニュ=ビヤンクール地方音楽院にて作曲をJean-Luc Hervé、Allain Gaussinに師事している。
濱副 慧悟(はまぞえ けいご、1994年4月27日 - )は… 濱副 慧悟(はまぞえ けいご、1994年4月27日 - )は、ラグビーユニオンの選手。 2007年、中学2年生の時に川崎市ラグビースクールでラグビーを始める。 2010年、法政第二高等学校に入学。 その後つくば開成高等学校を卒業後、2014年、拓殖大学に入る。 2018年、拓殖大学卒業後、栗田工業ウォーターガッシュに加入。 2025年6月3日、クリタウォーターガッシュ昭島退団を発表。
上野 和彦(うえの かずひこ、1945年 - )は、経済地理… 上野 和彦(うえの かずひこ、1945年 - )は、経済地理学を専門とする日本の地理学者、東京学芸大学名誉教授。主な研究テーマは、伝統的工芸品産業、地場産業、中国研究である。 茨城県生まれ。少年期にはボーイスカウト運動に参加していた。 1964年に宮城県仙台第二高等学校を卒業し、東京学芸大学学芸学部初等教育教員養成課程に入学、1968年に改組により教育学部となった同課程を卒業して大学院教育学研究科社会科教育専攻修士課程に進んだ。 大学入学当初は、地形学に傾倒していたが、その後、経済地理学へ関心を移していった。大学時代は、辻本芳郎らに師事した。 1970年に修士課程を修了して、東京都の公立高等学校教諭となって東京都立荒川商業高等学校に勤務し、さらに1978年に東京都立深川高等学校に移った。
千葉 佳男(ちば よしお、1930年6月10日 - 1997… 千葉 佳男(ちば よしお、1930年6月10日 - 1997年11月20日)は、日本の政治家。元衆議院議員(1期)。 1930年、宮城県仙台市に生まれる。第二高等学校を経て、1953年、東北大学法学部を卒業。日本国有鉄道仙台鉄道管理局に勤務し、国労仙台地方本部青年部長、更に教宣部長となる。1960年の第29回衆議院議員総選挙に、旧宮城2区から日本社会党公認で立候補するが落選。1963年の第30回衆議院議員総選挙でも落選。1967年の第31回衆議院議員総選挙で社会党前職・日野吉夫を下し、初当選を飾る。衆議院では商工委員会委員などを務めたが、次の1969年の第32回衆議院議員総選挙では大きく票を減らし落選。
早坂 祥三(はやさか しょうぞう、1928年11月17日 -… 早坂 祥三(はやさか しょうぞう、1928年11月17日 - 2007年12月26日)は、日本の地質学者・古生物学者、鹿児島大学第8代学長・名誉教授。理学博士。鹿児島湾(錦江湾)をはじめとする地域地質研究のほか、航海調査による南海洋での生物総合調査、オウムガイ研究などに寄与した。 日本統治時代の台湾出身。父は古生物学者・地質学者で台北帝国大学理農学部教授の早坂一郎(後に島根大学学長、日本地質学会会長)。 1949年旧制第二高等学校理科卒業。東北大学理学部地質学古生物学科を卒業し、1952年に東北大学助手となる。論文「愛知県渥美半島の地質学的並びに古生物学的研究」により、1961年3月17日に東北大学から理学博士の学位を授与される。
井ヶ田 良治(いげた りょうじ、1926年12月6日 - 2… 井ヶ田 良治(いげた りょうじ、1926年12月6日 - 2018年5月13日)は、日本の法制史学者。法学博士(大阪大学・論文博士・1985年)。同志社大学名誉教授。 宮城県仙台市生まれ。1943年第二高等学校に入学し、1945年に文科乙類を卒業。京都大学で藤直幹・柴田實に学ぶ。権門体制論・顕密体制論で知られる黒田俊雄とは同期。1948年京都大学文学部史学科国史専攻を卒業し大学院文学専攻科に進んだが、1954年に退学。 1951年同志社大学法学部助手(日本法制史)、1953年同専任講師、1956年同助教授、1961年同教授、1997年同名誉教授。同志社大学法学部日本法制史ゼミの教え子で日本法制史研究者に、田中修實(中世)・村上一博(近代)・居石正和(近代)・田口昌樹(近代)等がいる。
日下部 甲太郎(くさかべ こうたろう、1926年(大正15年… 日下部 甲太郎(くさかべ こうたろう、1926年(大正15年)9月1日 - )は、日本の環境技官・厚生官僚で、公園行政家。 環境庁参事官や公害研修所所長、日本環境協会や国立公園協会理事を務めた。長年にわたり日本の自然保護行政に携わりまた自然保護に関わる調査研究,自然とのふれあいの促進などに多大な貢献を果たした[要出典]。 兵庫県出石町出身で東京府に移り住んだ両親のもと、東京で生まれ育つ。幼少期は体が弱かったが、昭和初期の登山ブームの中で植物や山が好きだった父親がよく山に連れていってくれたおかげで丈夫になったとしている。こうした経験から山が好きになる。 宮沢賢治への興味から東北地方にあこがれ、賢治の出身地である花巻市にも比較的近い仙台市の旧制第二高等学校に入学する。
羽鳥 純二(はとり じゅんじ、1926年 - 2012年)は… 羽鳥 純二(はとり じゅんじ、1926年 - 2012年)は日本の牧師、神学校の教師。羽鳥明は実兄。 1926年に、小学校教師を父として群馬県に生まれる。第二高等学校を経て東京帝国大学工学部火薬学科に入学、在学中に終戦を迎える。大学卒業後に日本鋼管に入社するも、共産党員になりオルグ活動をしたことによって解雇される。その後、土方や行商をしながら革命家として活動して、革命運動の指導者になる。 1954年に、4年間の米国留学を終えて帰国した兄・羽鳥明に誘われて復活祭の礼拝に出席し、安藤喜市の説教を聞いてキリスト教に入信した。後に、献身して神学校に入り、1954年に須賀川に開校した中央日本聖書学塾で塾長安藤喜市の下で訓練を受ける。
後藤 由夫(ごとう よしお、1925年10月3日 - 202… 後藤 由夫(ごとう よしお、1925年10月3日 - 2020年9月3日)は、日本の内科医。東北大学名誉教授。医学博士。専門は、糖尿病学。 山形県松嶺町(現、酒田市)生まれ。1944年旧制第二高等学校卒業。1948年東北帝国大学医学部卒業後、同医学部内科教室(教授 黒川利雄)に入局。1955年東北大学医学博士。1958-1960年米国ペンシルベニア大学医学部内科教室に留学。1968年東北大学医学部同内科助教授。1970年弘前大学医学部教授(内科第三講座)。1976年東北大学医学部教授(内科学第三講座)。1988年定年退官、東北大学名誉教授、東北厚生年金病院院長。 日本糖尿病学会会長、日本体質学会会長、日本臨床栄養学会会長、日本膵臓病学会会長、日本老年医学会会長、日本内科学会会頭、日本糖尿病協会理事長、日本臨床内科医会会長、日本動脈硬化学会会長、日本過酸化脂質学会会長、日本自律神経学会会長、日本肥満学会会長などを歴任。
豊田 きいち (とよだ きいち、本名:豐田 龜市、1925年… 豊田 きいち (とよだ きいち、本名:豐田 龜市、1925年4月6日 - 2013年1月10日)は、日本の編集者、著作権研究者。 1925年生まれ。旧制獨協中学校、旧制第二高等学校を経て、陸軍予備士官学校で終戦を迎える。1943年(昭和18年)早稲田大学に入学。1946年(昭和21年)、師である言語学者・金田一京助の移動に伴い、國學院大學に転入。1949年(昭和24年)卒業。同年、小学館に入社。『小学一年生』から始まり、二年から六年まで学習雑誌の編集部に在籍、51年『小学六年生』編集長、1959年に日本初の週刊少年誌となる『週刊少年サンデー』を創刊、初代編集長に就任する。63年『女性セブン』初代編集長。
門馬 直美(もんま なおみ、男性、1924年10月6日 - … 門馬 直美(もんま なおみ、男性、1924年10月6日 - 2001年9月6日)は、日本の音楽評論家、洗足学園大学名誉教授。 音楽評論家・門馬直衛の次男として東京に生まれる。旧制東京府立第九中学校、旧制第二高等学校、東京帝国大学理学部数学科卒業。洗足学園大学音楽学部教授。1995年、定年、名誉教授。
玉城 徹(たまき とおる、1924年5月26日 - 2010… 玉城 徹(たまき とおる、1924年5月26日 - 2010年7月13日)は、昭和・平成期の歌人、文芸評論家。 宮城県仙台市米ヶ袋生まれ。1931年(昭和6年)東京府北多摩郡武蔵野町吉祥寺に転居。1939年(昭和14年)北原白秋主宰の『多磨』に入会。白秋没後は巽聖歌に師事した。青山学院中学部を経て、1944年(昭和19年)第二高等学校卒、東京帝国大学文学部美学美術史科卒。戦時中は学徒動員を経験した。 戦後は都立高校の教師を務めるかたわら短歌を続け、歌壇や戦後派短歌、前衛短歌から距離を置いた独自のスタンスを保ち続けた。1972年(昭和47年)『樛木』で第24回読売文学賞受賞。1978年(昭和53年)歌誌「うた」創刊、2002年(平成14年)まで続けた。
土井 正興(どい まさおき、1924年2月18日 - 199… 土井 正興(どい まさおき、1924年2月18日 - 1993年10月18日)は、日本の歴史学者。専攻は古代ローマ史。 東京市渋谷生まれ。1949年東京帝国大学文学部西洋史学科卒,1956年東京大学大学院西洋古代史専攻(旧制)修了。法政第二高等学校教諭を経て、1966年専修大学助教授、1972年教授。在任中に死去。
島崎 稔(しまざき みのる、1924年 - 1989年5月)… 島崎 稔(しまざき みのる、1924年 - 1989年5月)は、日本の社会学者。中央大学文学部教授。妻は経済学者の島崎美代子。 日本の村落社会学・地域社会学の重鎮。「日本のマルクス主義的農村社会学の理論的指導者」。社会調査論の専門家でもあった。 東京生まれ。実家の家業は指物師。1945年3月旧制第二高等学校文科卒業。西域=シルクロードの美学を学ぶため京都大学文学部哲学科(美学美術史講座)に入学。すぐに陸軍に徴兵され、千葉県で敗戦を迎えた。敗戦後も憲兵としてしばらく軍隊に所属した。1945年10月に復員、京都大学を退学。戦争直後で家を離れて生活できず、美学で生計を立てられる可能性が小さいという経済上の問題のため、また社会主義を学ぶため、1946年東京大学文学部哲学科社会学専修科に入学。
伏見 和郎(ふしみ かずお、1924年 - )は日本の工学者… 伏見 和郎(ふしみ かずお、1924年 - )は日本の工学者。専門は電気工学。東京大学原子核研究所教授(現・高エネルギー加速器研究機構)、工学博士。 仙台市出身。第二高等学校を経て、1945年東京帝国大学第二工学部電気工学科卒業。逓信省電気試験所(現・NTT電気通信研究所)に入所。1962年東京大学より工学博士を授与される。 1964年NTT電気通信研究所を退所。 タケダ理研工業株式会社(現在の株式会社アドバンテスト)入社。取締役、開発部長。当時の部下には、玉地康雄など。 1964年から1966年北京大学。 1967年から1984年東京大学原子核研究所(現高エネルギー加速器研究機構)教授。当時の助手には渡邊伸一など。
千葉 和郎(ちば わろう、1923年12月23日 - 201… 千葉 和郎(ちば わろう、1923年12月23日 - 2018年1月17日)は、日本の裁判官。最高裁判所事務総局刑事局長や、東京高等裁判所部総括判事、福岡高等裁判所長官、名古屋高等裁判所長官等を歴任した。 第二高等学校で寮歌「散りにし花は」を作曲。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年(昭和20年)に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 東北大学卒業後、東京地方裁判所判事補、最高裁判所事務総局刑事局第二課長、東京地方裁判所部総括判事、最高裁判所事務総局秘書課長、最高裁判所事務総局刑事局長、大津地方裁判所長、東京高等裁判所部総括判事、横浜地方裁判所長、東京家庭裁判所長等を経て、1985年福岡高等裁判所長官。
服部 文男(はっとり ふみお、1923年6月28日 - 20… 服部 文男(はっとり ふみお、1923年6月28日 - 2007年12月30日)は、日本のマルクス経済学者。東北大学名誉教授。 大阪府生まれ。父は服部英太郎。第二高等学校卒、父英太郎の予防拘禁で東京に移り、1949年東京帝国大学経済学部卒、1962年「マルクス主義の形成と発展」で東北大学経済学博士。1955年東北大学経済学部講師、1957年助教授、1970年教授、経済学部長、1986年定年退官、名誉教授、宮城学院女子大学教授。
橋元 四郎平(はしもと しろうへい、1923年4月13日 -… 橋元 四郎平(はしもと しろうへい、1923年4月13日 - 2009年8月1日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。福島県田村郡三春町出身。 旧制田村中学、第二高等学校卒業後、戦時中に学徒動員で軍隊に行き、敗戦時は陸軍少尉。東京大学卒業後に故郷の福島県に戻り家業の薬品を手伝っていたが、上京して司法試験を受験し合格。司法修習を終え、1954年に弁護士登録。日弁連事務総長を務めた。 1990年1月に最高裁判事に就任。在任中、1990年衆院選の一票の格差訴訟や横田、厚木両騒音公害訴訟の判決などにかかわった。 1993年4月に定年退官。1995年春の叙勲で勲一等瑞宝章を受章。 1998年宮中歌会始召人。
富田容甫(とみた よすけ、1923年1月3日 - 1984年… 富田容甫(とみた よすけ、1923年1月3日 - 1984年6月23日)は、昭和期の北海道を代表する政治学者・行政学者。恩師は尾形典男。 千葉県安房郡北条町(現・館山市)出身。1943年旧制第二高等学校文科卒業。東北帝国大学法学部に入学するも、同じ年に召集令状によって大日本帝国陸軍戦車連隊に入隊。1945年復員。1947年東北帝国大学法学部卒業。 北海道帝国大学法文学部助手。1952年北海道学芸大学学芸学部札幌分校岩見沢分教場助教授に就任。1954年北海道学芸大学学芸学部札幌分校助教授。1957年北海道大学法学部助教授。1962年北海道大学法学部教授。1965年北海道大学評議員に就任。1976年北海道大学評議員に再度就任。
近角 聰信或いは近角 聡信(ちかずみ そうしん、1922年4… 近角 聰信或いは近角 聡信(ちかずみ そうしん、1922年4月20日 - 2016年5月8日)は、日本の物理学者。専攻は磁性物理学・金属物理学。理学博士(1951年東京大学)。東京大学名誉教授、茅誠司の門下生、ロゲルギストのメンバー。浄土真宗大谷派の近角常観の四男。 下の名前に関して、学習院大学時代の論文を収録したJ-STAGEやCiNii Researchでは聴信と間違って表記されている。 大正11年(1922年)、東京府生まれ。第二高等学校を経て、昭和20年(1945年)、東京大学理学部物理学科を卒業後、同大学院(茅誠司研究室)を経て、1950年より学習院大学に助教授として勤務、53年に31歳で教授に就任。
星野 安三郎(ほしの やすさぶろう、1921年5月6日 - … 星野 安三郎(ほしの やすさぶろう、1921年5月6日 - 2010年3月13日)は、日本の法学者。専門は、憲法学・教育法。東京学芸大学名誉教授、立正大学名誉教授。 1921年、栃木県日光市に生まれる。旧制第二高等学校を経て、1943年に東北帝国大学法文学部法学科入学。入学直後に入営することとなり、戦後復員後に復学。1947年に同校を卒業し、東北大学特設研究科に進学して1948年に修了。同年、東京第三師範学校長の田中保房に誘われて同校の講師に就任。学制改革に伴い、東京学芸大学講師、助教授、教授として研究・教育活動を継続。1975年に日本学術会議中央選挙管理委員長、1981年に定年まで1年残して退任。
山田 英雄(やまだ ひでお、1920年4月18日 - 200… 山田 英雄(やまだ ひでお、1920年4月18日 - 2001年5月7日)は、日本の歴史学者、新潟大学名誉教授。専攻は日本古代史・国文学。 1920年、東京で生まれた。父・山田孝雄の東北帝国大学赴任に従って仙台で育った。第二高等学校を卒業し、東京帝国大学国史学科に進学。卒業後、1942年に召集。 戦後は三重県立宇治山田高等学校の歴史教師、1952年より新潟大学人文学部で専任講師を務めた。1954年より助教授、1965年に教授昇任。1972年には人文学部長、図書館長を務めた。1986年に定年退官し、同時に名誉教授となった。2001年に死去。
高島 益郎(たかしま ますお、1919年10月6日 - 19… 高島 益郎(たかしま ますお、1919年10月6日 - 1988年5月2日)とは最高裁判所判事、外交官(駐ソ連大使等)。宮城県出身。 旧制第二高等学校文科甲類を経て東京帝国大学法学部を卒業し、1941年に外務省に入省。1942年に陸軍に召集され、主計少尉となる。北朝鮮で捕虜となりシベリア抑留。極寒のため凍傷となり、足の小指を失った。後にこの時をふりかえり「ソ連の体制は嫌いだが、ロシア人は愛すべき国民」と語る。 復員後は外交官としてイギリス、香港に勤務し、ジュネーブ総領事、シドニー総領事などを歴任 外務省条約局長として日中国交正常化交渉にあたる。後に外務事務次官に就任。外務事務次官時代には鈴木善幸首相と伊東正義外相が日米共同声明の解釈で対立した際には、伊東外相辞任と同時に事務次官の辞表を提出したことがある。
城島 國弘(じょうじま くにひろ、1919年8月4日 - … 城島 國弘(じょうじま くにひろ、1919年8月4日 - 2001年3月9日)は、日本の経済学者。名古屋大学名誉教授。元四日市大学学長。 満州国大連市生まれ。大連第二中学校を経て、1942年第二高等学校文科乙類卒業。1945年に東京帝国大学経済学部経済学科卒業後、大蔵省入省。1950年名古屋大学経済学部助教授。1964年名古屋大学経済学部教授。1968年名古屋大学経済学部長。1975年名古屋大学経済学博士。退官後、中部工業大学教授、四日市大学学長。1995年勲三等旭日中綬章受章。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
原 二郎(はら じろう、1919年3月25日 - 2000年… 原 二郎(はら じろう、1919年3月25日 - 2000年8月21日)は、日本の哲学研究者。 宮城県亘理郡生まれ。第二高等学校卒、1941年京都帝国大学経済学部卒、大阪商船入社。1942年応召、1944年召集解除、大阪商船退社、宮城県築館中学校嘱託、1949年東北大学法文学部哲学科卒、同大学院中退、東北大学教養部講師、1961年助教授、1965年教授。1982年定年退官、名誉教授となる。没する直前に、師の河野与一の新訂再刊も行った。
筒浦 明(つつうら あきら、1917年5月14日 – 199… 筒浦 明(つつうら あきら、1917年5月14日 – 1993年1月28日)は、日本の地理学者・教育者。北海学園大学名誉教授。東京都赤坂出身 1942年明治大学大学専門部卒。東京帝国大学理学部地理学教室助手(指導教授:多田文男)(~1944年)。1947年北海道帝国大学理学部卒。北海道立札幌第二高等学校社会科教諭。1950年北海道札幌南高等学校社会科教諭。1953年北海道大学文学部助手。1958年北海学園大学経済学部専任講師。1963年同助教授。1965年同教養部教授。1969年北海学園大学開発研究所長。1972年同教養部長。1980年北海道開発協会会長。1990年北海学園大学定年退職。同名誉教授。
浅野 英(あさの なぶさ、本名は「ハヤブサ」、1916年 -… 浅野 英(あさの なぶさ、本名は「ハヤブサ」、1916年 - 1997年(平成9年)9月1日)は、日本の都市計画家。日本都市計画学会名誉会員。日本都市計画学会の専務理事としても活躍した。 旧制第二高等学校出身。二高卒業後は東京帝国大学工学部土木工学科に進学し1935年(昭和10年)3月に卒業。都市計画行政の中軸を歩む。神奈川県都市計画課主任技師兼任で別官制の内務省都市計画神奈川地方委員会技師。神奈川県相模原土地区画整理事務所長を歴任。相模原の新興工業都市なる「ニュータウン」造りにかかわる。 戦後は戦災復興院に移籍し土地局工務課。建設省発足後は、1950年(昭和25年)6月から1951年5月の間、建設省計画局都市復興課長。
尾形 典男(おがた のりお、1915年9月9日 - 1990… 尾形 典男(おがた のりお、1915年9月9日 - 1990年1月18日)は、日本の政治学者。専攻は政治学・政治思想史。立教大学名誉教授。第10代・11代立教大学総長。 千葉県生まれ。1937年第二高等学校 (旧制)卒業。1941年東京帝国大学法学部政治学科卒業。 1941年同法学部助手。短期現役海軍主計科士官(7期)を志願し、同年8月、海軍経理学校に入校し海軍主計中尉に任官。同年12月、経理学校を卒業し愛宕に配属。経理学校指導官付、京城武官付、経理学校付学生隊指導官、同練習生隊分隊長を歴任。1943年(昭和18年)6月、主計大尉に進む。1944年(昭和19年)2月、京城武官付に転じ物資動員計画主務を務めた。
小山 進次郎(こやま しんじろう、1915年(大正4年)4月… 小山 進次郎(こやま しんじろう、1915年(大正4年)4月26日 - 1972年(昭和47年)9月5日)は、日本の官僚。厚生省で年金局長、保険局長などを歴任し、退官後は社会保障制度審議会委員などを務めた。戦後、現在の生活保護法の成立に力を尽くし、「生活保護法の解釈と運用」の著者として知られる。 新潟県柏崎市中浜で、呉服商の家に生まれる。父は藤吉、母は芳。1928年(昭和3年)、宇都宮中央尋常小学校から栃木県立宇都宮中学校に進学。1930年に宮城県立仙台第一中学校へ転向し、1932年に4年修了、第二高等学校文化乙類に入学。1935年、東京帝国大学法学部政治学科に入学し、1937年秋に高等試験行政科に合格すると、翌1938年の卒業後、内務省から分離して新たに設立されたばかりの厚生省に採用となり、社会局に勤務した。
今村 成和(いまむら しげかず 1913年7月20日 - 1… 今村 成和(いまむら しげかず 1913年7月20日 - 1996年10月13日)は、日本の法学者。専門は、行政法・経済法。 学位は、法学博士(東京大学、1961年)(学位論文「国家補償法」)。北海道大学名誉教授、北海学園大学名誉教授。日本学士院会員。1985年勲一等瑞宝章受章。京城(後の韓国ソウル)生まれ。父は樺太庁長官の今村武志、柳宗悦は母方の伯父。 朝鮮京城生まれ。京城師範学校附属小学校・中学校卒業。1934年3月、 第二高等学校文科甲類卒業。1937年3月 - 東京帝国大学法学部政治学科卒業。 1937年4月、三菱商事株式会社入社(総務部文書課法規係勤務)。 1947年8月、公正取引委員会事務局事務嘱託。
佐々木 慶市(ささき けいいち、1912年12月20日 – … 佐々木 慶市(ささき けいいち、1912年12月20日 – 2002年 8月21日)は、日本の歴史家。 宮城県大崎市生まれ、1930年に第二高等学校に入学。柔道部の選手でもあった。3年生のときに日本史の本を読むようになり、特に三浦周行『国史上の社会問題』を読んだことが室町期の社会に興味を持つきっかけとなった。また、在学中に 武内義範らと歴史同好会の活動をし、そこで伊東信雄と知り合い、東北帝国大学への進学を勧められた。1933年に二高を卒業する。同年、東北帝国大学法文学部に入学。古田良一に師事するとともに、中村吉治の指導も受けた。また、伊木寿一から古文書学を学び、実習で飯野八幡宮文書の調査を行ったことが、のちの好嶋荘や岩城氏の研究につながった。
佐藤 喜代治(さとう きよじ、1912年9月19日 - 20… 佐藤 喜代治(さとう きよじ、1912年9月19日 - 2003年5月7日)は、日本の国語学者。東北大学名誉教授。 宮城県宮城郡根白石村(現・仙台市泉区)に生まれる。 第二高等学校卒、1935年東北帝國大學法文学部国語学科卒業。山田孝雄に師事。1938年満洲・建国大学助教授、1942年神宮皇學館大學助教授、1948年東北大学法文学部助教授、1949年文学部助教授、1951年教授、1962年「日本文章史の研究」で文学博士の学位を取得、1964年から翌年ミシガン大学へ出張。1967年文学部長、1976年定年退官、名誉教授、聖和学園短期大学教授、1977年から1989年フェリス女学院大学客員教授。1984年勲二等旭日重光章叙勲。
内藤 子生(ないとう やすお、1912年2月27日 - 20… 内藤 子生(ないとう やすお、1912年2月27日 - 2003年9月2日)は、日本の航空技術者。中島飛行機の設計部員、富士重工業の取締役、東海大学の教授などを務めた。戦前は艦上偵察機「彩雲」、戦後は国産初の量産型ジェット機T-1の設計などを手掛けた。 第二高等学校、大阪帝国大学数学科を経て、飛行機の研究をするため、東京帝国大学工学部航空学科に入学。1937年(昭和12年)3月、東京帝国大学工学部航空学科を卒業。同期は東條輝雄、高山捷一、渋谷巌などで「花の十二年組」と呼ばれた。卒業論文は「翼性能に及ぼす乱れ及び規模効果の影響」。中島飛行機社長の中島知久平から連絡を受け、同級生の渋谷巌と共に向かい会社訪問で入社が決まった。
三輪 福松(みわ ふくまつ、1911年7月6日 - 1998… 三輪 福松(みわ ふくまつ、1911年7月6日 - 1998年10月10日)は、日本の西洋美術史学者。 静岡県生まれ。旧制静岡県立榛原中学校、旧制第二高等学校を経て、1938年に東京帝国大学文学部美学美術史学科を卒業。同大学附属図書館、同大学医学部図書室を経て、1949年東京大学助教授となる。1953年からイタリア政府給費留学生としてフィレンツェ大学文学部に学ぶ。1959年多摩美術大学教授、1963年慶應義塾大学講師、1972年東京学芸大学教授、1975年弘前大学教授、1980年群馬県立女子大学教授。1985年から1989年まで清春白樺美術館館長を務めた。
佐藤 重平(さとう じゅうへい、1911年(明治44年) -… 佐藤 重平(さとう じゅうへい、1911年(明治44年) - 1996年(平成8年)5月5日)は、日本の植物学・遺伝学者。 岩手県出身。第二高等学校卒、1934年東京帝国大学理学部植物学科卒、同大学院満期退学。理学博士。第四高等学校教授、東京高等学校教授、東京大学教養学部助教授、教授、1971年定年退官、名誉教授、順天堂大学教授、自治医科大学教授。没後正四位受勲。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
萱場 照雄(かやば てるお、1910年(明治43年)8月1日… 萱場 照雄(かやば てるお、1910年(明治43年)8月1日 - 1984年(昭和59年)7月3日)は、日本の剣道家。段位は範士八段。 1940年(昭和15年)の天覧試合で準優勝した逆二刀の剣道家である。 宮城県伊具郡枝野村(現角田市)に生まれる。1934年(昭和9年)2月、宮城県警察官に任官。第二高等学校 (旧制)剣道師範の乳井義博から二刀流を学ぶ。1940年(昭和15年)6月20日、紀元二千六百年奉祝天覧武道大会府県選士の部で準優勝。1948年(昭和23年)4月、宮城県警察部を退職。その後、萱場産業を設立。 宮城県剣道連盟理事、仙台市剣道連盟名誉会長等を歴任した。
内山 敏(うちやま つとむ、1909年6月9日 - 1982… 内山 敏(うちやま つとむ、1909年6月9日 - 1982年?)は、日本の翻訳家。本名・山内俊雄。 国際政治について多くの翻訳をおこなった。 福島県生まれ。父の親友の息子が本多修郎。第二高等学校卒、1932年東京帝国大学哲学科卒業。 早川書房で『悲劇喜劇』編集長のほか、読売新聞外報部に勤務。 遺産全額を読売光と愛の事業団に寄付し、「山内基金」として盲学校などに寄付されている。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
千葉 皓(ちば こう、1909年4月15日 - 1984年1… 千葉 皓(ちば こう、1909年4月15日 - 1984年1月20日)は、昭和時代(戦前から戦後)の日本の外交官。位階は正三位。 米国サンフランシスコに生まれ、1922年に帰国する。第二高等学校文科甲類を経て、1932年に東京帝国大学法学部を卒業後、外交官試験に合格し、同年11月に外務省へ入省する。英国勤務を経て、東亞局に勤務する。1942年中国在勤。戦後、一時大蔵省に勤務するが、1947年終戦連絡中央事務局連絡官、1948年会計課長に復帰した。1952年メキシコ在外事務所所長、同年4月同国大使館参事官。1954年2月サンパウロ総領事。 1955年4月欧米局長、1957年4月欧米局長を経て、同年12月メキシコ大使に任ぜられる。
北村 晴朗(きたむら せいろう、1908年4月21日 - 2… 北村 晴朗(きたむら せいろう、1908年4月21日 - 2005年7月16日)は、日本の心理学者。 宮城県加美郡(現仙台市)出身。1935年東北帝国大学法文学部心理学科卒。1962年「心理学における自我の諸問題」で東北大学文学博士。1947年第二高等学校教授、1950年東北大学文学部助教授、1960年教授となり、1972年定年退官、名誉教授、秋田大学教授、1974年から東北福祉大学教授を務めた。後年には仏教に基づく心理学を研究した。
槙 哲夫(まき てつお、1908年1月23日 -2006年1… 槙 哲夫(まき てつお、1908年1月23日 -2006年12月23日)は、日本の外科医。専門は、消化器外科,胆石症の研究。医学博士。 青森県七戸町生まれ。 第二高等学校 (旧制)から、東北帝国大学医学部卒業。1933年、同医学部第一外科学教室(教授)に入局。1939年、同医学部助教授。1942-44年、中華民国無錫普仁医院へ出張。1945年、秋田県立女子医学専門学校教授。1949年、弘前医科大学(のち、弘前大学医学部)教授。1961年、東北大学医学部第一外科教授。1965年、東北大学医学部付属病院長。1967-70年、東北大学医学部長。1971年、東北大学名誉教授、東北労災病院長。平成18年死去、享年98。
三戸 寿(みと たもつ、1908年〈明治41年〉1月17日 … 三戸 寿(みと たもつ、1908年〈明治41年〉1月17日 - 1971年〈昭和46年〉8月27日)は、昭和期日本の法制史学者。学位は法学博士(京都大学)。「三戸壽」とも表記される。法制史学会発起人の1人。専門はローマ法。神戸史学会評議員、法制史学会理事を歴任。 宮城県仙台市出身。第二高等学校 (旧制)(1928年卒業)を経て、1931年に東北帝国大学法文学部を卒業した。同年に同学部副手となる。1937年に関西学院大学法文学部講師に転じ、助教授(1939年)を経て、1942年に教授に就任した。1947年に学部改編で法学部所属となり、1951年に法学部長・同大学院法学研究科委員長に就任した。1952年2月、京都大学より論題「ローマ法継受史の研究」で法学博士の学位を取得した。
古内 広雄(古内 廣雄、ふるうち ひろお、1907年10月2… 古内 広雄(古内 廣雄、ふるうち ひろお、1907年10月24日 - 1972年11月5日)は、日本の外交官、政治家。衆議院議員(2期)。位階は正三位。勲等は勲二等。 宮城県岩沼市生まれ。伊達忠宗の家老職を務めた古内家の末裔である。第二高等学校文科乙類から東京帝国大学法学部に進み、大学在学中に高等試験外交科合格。外務省に入省してからはドイツに赴任して経験を積み1941年に本省に戻る。終戦直後は進駐軍との終戦連絡の折衝にあたるも、いわゆる「Y項パージ」で一時期省外へ出され公正取引委員会事務局総務部長、公正取引委員会事務局長などを務めた。 1953年に外務省に戻るとレバノン、オーストリア、パキスタン、インドネシアの各国大使を歴任し、池田勇人首相の奨めもあって1964年に退官して自由民主党公認で1965年の参院選に宮城県選挙区から立候補するが、地元組織の分裂から次点に終わる。
羽島 進(はしま/はじま すすむ、1907年9月12日 - … 羽島 進(はしま/はじま すすむ、1907年9月12日 - 1990年2月28日)は、山形県出身の鉄道技術者。息子に国鉄車両設計事務所主任技師を務めた羽島継男。 羽島金三郎の次男として生まれ、第二高等学校を経て、1932年に京都帝国大学工学部機械学科を卒業後鉄道省に入省。 1941年に札幌鉄道管理局工作課長、1947年に大阪鉄道管理局高砂工機部部長、1950年に東京鉄道管理局車両長、1952年に浜松工場長、1956年に機器製作監督事務所長、1958年に大宮工場長、1959年11月総裁室を歴任。 1959年に国鉄を退職し12月に川崎電機製造に入社、製造取締役を経て1962年常務取締役、富士電機製造への合併後は常任顧問を務めた。
乳井 義博(にゅうい よしひろ、1906年〈明治39年〉 -… 乳井 義博(にゅうい よしひろ、1906年〈明治39年〉 - 1975年〈昭和50年〉)は、日本の剣道家。高野佐三郎(修道学院)の高弟で、高野から剣道十段を授与された。 秋田県鹿角郡花輪村(現・鹿角市花輪)生まれ。1920年(大正9年)に上京し、14歳で高野佐三郎の道場修道学院に入門。中西派一刀流を学ぶ。 1922年(大正11年)頃、修道学院を抜け出し、単身武者修行の旅に出る。各地を渡り歩き、満州にまで上陸する。その後修道学院に戻る。修道学院三羽烏の一人に数えられ「白鬼」の異名をとる。 1929年(昭和4年)、高野の推薦により、22歳で宮城県仙台市の第二高等学校剣道師範に就任。育英中学校、小牛田農林高校、東北帝国大学などでも指導する。
加藤 愛雄(かとう よしお、1905年11月30日 - 19… 加藤 愛雄(かとう よしお、1905年11月30日 - 1992年1月28日)は、日本の地球物理学者。東北大学名誉教授。理学博士。専門は地球電磁気学。 化学者の加藤多喜雄は兄。生物学者の加藤陸奥雄、地質学者の加藤磐雄は弟。大甥(甥の息子)に数学者の加藤文元。 千葉県夷隅郡大多喜町生まれ。旧制宮城県仙台第一中学校、旧制第二高等学校を経て、1930年東北帝国大学理学部物理学科卒業。同年より同大学副手、翌年助手、1938年助教授、1945年地球物理学教室を創設、教授となる。 短周期の地球磁場変動を観測するため、東北大学金属材料研究所で発見された高誘導磁率合金センダストを磁芯に用いた誘導型磁力計(フラックスゲート磁力計)を開発、地磁気3成分の微細変動を長期間広範囲にわたって観測し、正弦波形定常脈動を各周波数ごとにPc1からPc5までの5つに分類した。
宇田 道隆(うだ みちたか、1905年1月13日 - 198… 宇田 道隆(うだ みちたか、1905年1月13日 - 1982年5月10日)は、昭和期の日本の海洋物理・水産海洋学者。 1905年、高知県土佐郡小高坂村で生まれた。1921年に高知県立第一中学校を卒業後、仙台の第二高等学校に進んだ。1924年、東京帝国大学物理学科に入学し、寺田寅彦や藤原咲平の指導を受けた。1927年に同大学を卒業。 卒業後の1927年(昭和2年)4月、農林省水産講習所(後の東京水産大学、現在は東京海洋大学)技師に採用された。1928年(昭和3年)2月から翌年11月まで、兵役のため、幹部候補生として浜松高射砲第一連隊に入隊。除隊後に復職するが、水産講習所の組織再編により、1929年10月より農林省水産試験場技師となり、海洋調査部に勤務。
渡辺 光(わたなべ あきら、1904年9月2日 - 1984… 渡辺 光(わたなべ あきら、1904年9月2日 - 1984年4月29日)は、日本の地理学者。お茶の水女子大学名誉教授。地理調査所(現在の国土地理院)、お茶の水女子大学などで研究を行った。 東京市麹町区に生まれる。1917年麹町区立富士見尋常高等小学校を卒業。1922年旧制開成中学卒業。1925年旧制第二高等学校理科を卒業、東京帝国大学理学部地理学科に入学し、山崎直方・辻村太郎・多田文男等の指導を受ける。 1927年 第3回太平洋学術会議が東京で開催されたとき「日本の火山分類図」を辻村の指導の下に制作し、出品した。1928年3月 東京帝国大学を卒業。その後、同大学地理学教室副手となる。また、日本大学の講師も務めた。
平山 諦(ひらやま あきら、1904年8月13日 - 199… 平山 諦(ひらやま あきら、1904年8月13日 - 1998年6月22日)は、日本の数学者、和算史研究家。 千葉県成田生まれ。第二高等学校を経て、1930年東北帝国大学数学科卒業。1950年「和算に関する研究」で理学博士(理学)の学位を取得。林鶴一、藤原松三郎に師事。中学校教師をへて、1941年東北帝大講師。1968年退任。息子は天文学者の平山智啓(東京天文台)。
横田 武夫(1904年(明治37年)4月8日 - 1992年… 横田 武夫(1904年(明治37年)4月8日 - 1992年(平成4年)5月10日)は、日本の実業家。朝日新聞社で経理部門を歩み、代表取締役ののち、日本教育テレビ(NET、現テレビ朝日)第5代社長を務めた。三重県出身。 旧制第二高等学校、東京帝国大学法学部政治学科卒業後、東京朝日新聞社入社。 会計、経理各部長、業務局次長、総務経理などを歴任し、1953年(昭和28年)12月、取締役に選任される。 1963年(昭和38年)の村山事件の際、矢島八洲夫(常務、総務・労務担当)、中川英造(取締役)、安井桂三郎(名古屋本社業務局長)らとともに辞表を提出。同事件収束後の翌年1月、代表取締役に就任したが、3月、元社長で大株主の村山長挙は、横田ら復職した5人の取締役の職務執行停止の仮処分申請を裁判所に提出した。
宮崎 吉夫(みやざき よしお、旧姓:伊藤〈いとう〉、1903… 宮崎 吉夫(みやざき よしお、旧姓:伊藤〈いとう〉、1903年〈明治36年〉12月23日 - 1956年〈昭和31年〉10月24日)は、日本の病理学者、医師。医学博士。東京高等歯科医学校病理学教室初代教授、東京大学伝染病研究所病理学研究部長。 新潟県中蒲原郡横越村大字沢海(現 新潟市江南区沢海)の豪農・六代目伊藤文吉の五男として出生。 1920年(大正9年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1923年(大正12年)3月に第二高等学校を卒業、1927年(昭和2年)3月に東京帝国大学医学部医学科を卒業。 1927年(昭和2年)4月に東京帝国大学医学部病理学教室(担任:緒方知三郎教授)副手に就任、1932年(昭和7年)12月に東京高等歯科医学校病理学教室講師に就任、1933年(昭和8年)3月に東京高等歯科医学校病理学教室初代教授に就任、1935年(昭和10年)7月に東京帝国大学から医学博士号を取得、1944年(昭和19年)4月に東京医学歯学専門学校病理学教室教授に就任、1948年(昭和23年)7月に東京大学伝染病研究所病理学研究部部長・教授に就任、東京医科歯科大学歯学部病理学教室講師を兼任、1951年(昭和26年)2月に東京医科歯科大学歯学部病理学教室教授に就任、東京大学伝染病研究所病理学研究部部長・教授を兼任、1956年(昭和31年)6月に東京大学伝染病研究所所長事務代理に就任、東京大学伝染病研究所病理学研究部部長・教授と東京医科歯科大学歯学部病理学教室教授を兼任。