スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
神原 千恵(かんばら ちえ、1977年4月28日 - )は、… 神原 千恵(かんばら ちえ、1977年4月28日 - )は、研究学園都市コミュニティケーブルサービス(ACCS)のアナウンサー。 茨城県筑西市(旧・真壁郡関城町)出身。茨城県立下妻第一高等学校を経て中央大学経済学部国際経済学科を卒業。 2000年にNHK水戸放送局の契約キャスターとなり、『NHKニュースおはよう日本』、『ゆうどきネットワーク』、『首都圏ネットワーク』などに茨城県の話題を中継などで伝える。 2007年から3年間、茨城県域地上デジタル放送の『こんにちはいばらきわいわいスタジオ』の番組キャスターを務めた。 2010年にNHKを離れて茨城放送のラジオパーソナリティとして活動するが、同年5月に結婚、同年10月からは産休に入っていた。
磯山 和司(いそやま かずし、1975年1月8日 - )は、… 磯山 和司(いそやま かずし、1975年1月8日 - )は、茨城県下妻市出身の元プロサッカー選手。ポジションはFW。 仙台、大塚製薬、大宮などで活躍したあと、2005年限りで水戸ホーリーホックから戦力外通告を受け、2006年から日本フットボールリーグのアルテ高崎でプレーし、2007シーズン終了後に引退。引退後は大宮アルディージャU-12のコーチに就任。2012年からは同クラブ育成部コーチに就任し、東洋大学コーチとして派遣されている。
宮島 一代(みやじま かずしろ、1967年12月17日 - … 宮島 一代(みやじま かずしろ、1967年12月17日 - )は茨城県下妻市出身の元サッカー審判員(元国際副審)。現在は日本サッカー協会 (JFA)審判マネジャー、審判委員会副委員長。 下妻市立下妻中学校、茨城県立下妻第一高等学校から茨城大学教育学部数学科卒業。本業は数学教師で、小学校から高校まで赴任した経験を持ち、各赴任先でサッカー部の監督を務めた。ベストリザルトは県ベスト4。下妻市立千代川中学校では学年主任、最後の赴任先となった常総市立鬼怒中学校では教務主任を務めた。 1998年12月に1級審判員として登録され、1999年にJリーグ副審デビュー。2005年より国際副審登録。2008年よりAFCエリート審判員。
辻元 よしふみ(つじもと よしふみ、1967年〈昭和42年〉… 辻元 よしふみ(つじもと よしふみ、1967年〈昭和42年〉 - )は、日本の服飾評論家、戦史・服飾史・軍装史研究家、時代考証家、翻訳家、オカルト史研究家、ファッション・アドバイザー、ファッション・コラムニスト、詩人、エッセイストである。本名・辻元佳史。 2018年に導入の陸上自衛隊の制服(16式常装)改正にかかわり、山崎幸二・陸上幕僚長より陸上幕僚長感謝状を受けた。2019年から、陸上自衛隊需品学校の部外講師(軍装史学)。東京ベイカレッジ非常勤講師。防衛省職員・自衛官向けの専門紙「朝雲新聞」が「軍装史研究の第一人者」(2014年10月30日付)と評している。NHKなどのテレビ出演も多い。妻はイラストレーターの辻元玲子。
斉藤 学(さいとう まなぶ、1963年8月12日 - )は、… 斉藤 学(さいとう まなぶ、1963年8月12日 - )は、茨城県下館市(現在の筑西市)出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。右投右打。 2019年以降の登録名は齋藤 学(読み同じ)。姓については一部報道で「斎藤」と表記されることもある。 下妻一高では1年夏からアンダースローの投手になる。2年夏にエースで県大会準優勝、3年夏はノーヒットノーランも達成してベスト4。1982年、青山学院大学に進む。東都大学リーグでは3年生の1984年春に2部リーグでMVP、最優秀投手となり、1年上の小川博投手とチームの1部昇格に貢献。4年次の1985年春季1部リーグ戦では8勝3敗で最優秀投手とベストナインに選出された。
堂場 瞬一(どうば しゅんいち、1963年5月21日 -)は… 堂場 瞬一(どうば しゅんいち、1963年5月21日 -)は、日本の小説家。主に、スポーツ小説、警察小説の分野で活躍する。本名は山野辺一也。 茨城県出身。茨城県立下妻第一高等学校、青山学院大学国際政治経済学部卒業。高校時代はラグビー部の主将。 1986年、読売新聞東京本社に入社。社会部記者やパソコン雑誌編集者を務めるかたわら小説を執筆し、2000年に『8年』で第13回小説すばる新人賞を受賞。同作はスポーツ小説であったが、第2作『雪虫』が警察小説という全く方向性の違うテーマだったため、周囲を驚かせた(『雪虫』解説より)。2012年末、読売新聞退社。 2015年、『警察回りの夏』で第36回吉川英治文学新人賞候補。
菊池 博(きくち ひろし、1962年6月12日 - )は、日… 菊池 博(きくち ひろし、1962年6月12日 - )は、日本の政治家、税理士。元茨城県下妻市長(2期)、元下妻市議会議員、元千代川村議会議員。 茨城県結城郡千代川村(現:下妻市)生まれ。茨城県立下妻第一高等学校、中央大学理工学部管理工学科卒業。税理士法人事務所に勤務。2003年(平成15年)に千代川村議会議員に初当選。2006年(平成18年)1月1日、千代川村は下妻市に編入された。編入後最初に行われた2007年(平成19年)の下妻市議会議員選挙に立候補し当選。 2017年(平成29年)12月25日、任期満了にともなう下妻市長選挙に立候補する意向を表明した。 2018年(平成30年)3月25日に行われた下妻市長選挙で、現職の稲葉本治(公明党推薦)との一騎打ちを制し初当選を果たした。
薗部 博之(そのべ ひろゆき、1961年7月3日 - )は、… 薗部 博之(そのべ ひろゆき、1961年7月3日 - )は、日本のゲームクリエイター、馬主。 株式会社パリティビット創業者・代表取締役。 茨城県立下妻第一高等学校、早稲田大学理工学部機械工学科卒業。学生時代に株式会社アスキーが発行するパソコン雑誌ログインに応募したゲーム『タンクバトル』が採用され、それが縁でアスキーでアルバイトを始め、卒業後の1984年にアスキーへ正社員として入社する。アスキーではゲーム開発に主に携わり、1988年に『ベストプレープロ野球』を開発。アスキー編集者時代はゲームを会社で「カセットテープが載った本」として売っていたため、それを社内で「第二出版」と呼んでいたが、当時ゲーム開発は呼び寄せた学生による仕事であった。
谷中 聰(やなか さとし、1960年12月4日 - 2020… 谷中 聰(やなか さとし、1960年12月4日 - 2020年7月20日)は、日本の政治家。茨城県結城郡八千代町長を務めた。 茨城県結城郡八千代町坪井生まれ。茨城県立下妻第一高等学校卒業。1983年(昭和58年)3月、東京農業大学農学部卒業。同年4月、八千代町役場に入庁。秘書公室長、秘書課長、産業振興課長などを歴任。 2017年(平成29年)7月、副町長に就任。2018年(平成30年)9月、八千代町長の大久保司が次期町長選に出馬せず引退することを表明。あわせて谷中を後継指名した。同年同月、副町長を辞職。 2019年(平成31年)1月20日に行われた八千代町長選挙に立候補し、自由民主党推薦の元町議の水垣正弘、元町議の国府田利明らを破り初当選を果たした。
石濱 哲信(いしはま てつのぶ、1951年(昭和26年)5月… 石濱 哲信(いしはま てつのぶ、1951年(昭和26年)5月9日 -)は、日本の海上自衛官、政治活動家。政治団体「日本党」党首。 茨城県下妻市に生まれる。父は鹿児島県出身の近衛士官。茨城県立下妻第一高等学校卒業。高校卒業後は航空学生となり、後に海上自衛隊の対潜哨戒機機長となる。1992年に民間企業に入社。2004年に退社し自営業を始める。2019年に一般社団法人日本安全対策推進機構代表理事に就任。2019年10月17日に日防隊を結成し初代代表に就任。 2021年に政治団体・日本保守党を設立する。この日本保守党は2023年に百田尚樹が設立した日本保守党より以前から存在する政治団体である。石濱は立ち上げた日本保守党を休眠団体にしておらず、石濱自らが党首として結党時から政治活動を行ってきており、その中にはつばさの党の黒川敦彦との連携もある。
海老沢 泰久(えびさわ やすひさ、1950年1月22日 - … 海老沢 泰久(えびさわ やすひさ、1950年1月22日 - 2009年8月13日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家。 茨城県真壁郡真壁町(現在の桜川市)酒寄出身。茨城県立下妻第一高等学校、國學院大學文学部卒業。國學院大學折口博士記念古代研究所に勤務し岡野弘彦に師事した。1974年に『乱』で小説新潮新人賞を受賞してデビュー。1979年、ヤクルトの監督として優勝を成し遂げた広岡達朗をモデルにした『監督』を初の著書として上梓、話題を呼んだ。 1988年にホンダF1(第1期 - 第2期前半)を取り上げたノンフィクション『F1地上の夢』で新田次郎文学賞を受賞。1994年には『帰郷』で第111回直木賞を受賞した。
中沢 春雄(なかざわ はるお、1946年4月13日 - )は… 中沢 春雄(なかざわ はるお、1946年4月13日 - )は、茨城県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 下妻第一高校から立教大学へ進学。東京六大学野球リーグでは1966年春季リーグで優勝を経験、しかしその後は優勝に届かなかった。4年時には主将をつとめ、三塁手、三番打者として活躍。同期のエース土井池憲治、捕手の田中鞆雅(日本石油)のバッテリーを擁し、1年下の望月充とクリーンアップを組み、低迷期の立大を支えた。 卒業後は1970年に本田技研工業へ入社し、同年の都市対抗に四番打者として出場。河本昭人らの好投もあり準々決勝に進むが、住友金属の山中正竹らに抑えられ、渡辺弘基(日産自動車から補強)のサヨナラ押し出し四球で延長11回サヨナラ負け。
稲葉 本治(いなば もとはる、1945年(昭和20年)7月7… 稲葉 本治(いなば もとはる、1945年(昭和20年)7月7日 - )は、日本の政治家。元茨城県下妻市長(2期)、元千代川村長、元千代川村議会議員(3期)。 東京都生まれ。茨城県下妻市育ち。茨城県立下妻第一高等学校、法政大学経済学部卒業。稲葉食糧に勤務。千代川村議会議員を3期務めた。 千代川村長在職中、下妻市・千代川村合併協議会の副会長に就任。2006年(平成18年)1月1日、千代川村は下妻市に編入される。 下妻市助役や副市長を経て、2010年(平成22年)3月28日に行われた下妻市長選挙に出馬し、初当選した。4月14日、市長就任。 2014年(平成26年)、無投票で再選。 2018年(平成30年)、3期目を目指したが、元市議の菊池博との一騎打ちに敗れ、落選。
飯塚 勝一(いいづか かついち 生年不明 - 1944年12… 飯塚 勝一(いいづか かついち 生年不明 - 1944年12月4日)は、日本の元アマチュア野球選手。茨城県出身。 茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)から1932年に慶應義塾大学へ進み、野球をプレーした。ポジションは投手だったと伝わる。 慶大卒業後応召され、1944年12月4日に屋久島西方海上で戦死した。1932年に慶大に入学していることから、1910年代前半に生まれたものと推定されるので、30歳前後で死没したことになる。 東京ドーム内の野球殿堂博物館にある戦没野球人モニュメントに、彼の名が刻まれている。
根本 萠騰子(ねもと もとこ、1941年1月15日 - )は… 根本 萠騰子(ねもと もとこ、1941年1月15日 - )は、ドイツ文学者、文芸評論家。横浜国立大学名誉教授。 茨城県生まれ。茨城県立下妻第一高等学校卒、東京大学文学部独文科卒、同大学院修士課程修了、ボン大学に学ぶ、フンボルト大学、マールブルク大学研究員。東海大学外国語教育センター助教授、文学部助教授、横浜国立大学教育学部助教授、教育学部教授、教育人間科学部教授、2006年定年退職、名誉教授、帝京大学教授、2011年退職。
冨山 省三(とみやま しょうぞう、1938年9月24日 - … 冨山 省三(とみやま しょうぞう、1938年9月24日 - 2012年12月8日)は、日本の政治家。茨城県筑西市長を1期、平成の大合併以前に存在した下館市長を3期務めた。 茨城県出身。1957年、茨城県立下妻第一高等学校卒業。コンクリート工業の会社を経営し、茨城県議会議員を3期務めた後、1996年、下館市長に当選する。下館市長を3期務め、2005年に下館市は合併で筑西市となる。合併後の市長選挙に立候補し、当選する。筑西市長を1期務め、2009年の市長選挙に立候補したが、元筑西市議の吉沢範夫に敗れた。旭日小綬章を受章し、2012年に筑西市から名誉市民を贈られた。同年12月8日に死去した。
大久保 司(おおくぼ まもる、1937年6月28日 - 20… 大久保 司(おおくぼ まもる、1937年6月28日 - 2023年7月16日)は、日本の政治家。元茨城県結城郡八千代町長(5期)、元八千代町議会議員。 茨城県生まれ。茨城県立下妻第一高等学校卒業。農協理事や八千代町議会議員などを歴任。 1999年(平成11年)、第12代八千代町長に初当選。2月9日、町長に就任。 2014年(平成26年)8月24日、八千代町松本の温泉施設で開かれた歌謡ショーに招待された際、千葉県在住の女性客に近付き、服の上から胸をつかんだ。2015年(平成27年)4月5日、同施設での別の歌謡ショーでゲストの演歌歌手の三城ゆり子が歌った後、ステージに上がり、財布から1万円札を取り出すと、三城の着物の胸を両手で押し広げ、のぞき込んでから札を押し入れた。
岡野 久一(おかの きゅういち、1937年1月25日 - 没… 岡野 久一(おかの きゅういち、1937年1月25日 - 没年不詳)は、茨城県つくば市出身の元プロ野球選手。 下妻第一高校から東京鉄道管理局を経て、1957年に国鉄スワローズへ入団。
市村 緑郎(いちむら ろくろう、1936年4月21日 - 2… 市村 緑郎(いちむら ろくろう、1936年4月21日 - 2014年4月27日)は、茨城県下妻市出身の彫刻家、日本芸術院会員。 茨城県立下妻第一高等学校卒業。1961年、日展初入選。1962年、東京教育大学教育学部芸術学科彫塑専攻卒業、同大学院に進むが6月に中退。 1977年、文部省在外研究員として渡欧。1983年、埼玉大学教授。1986年、白日会会務委員、1987-1992年・彫刻部事務局長。1987年、日展審査員。2001年、日展評議員。2002年、埼玉大学定年退官、名誉教授。崇城大学美術学科教授。 2005年、さいたま市文化賞。2006年、日展理事。日本芸術院賞受賞。2008年、日本芸術院会員。
初岡 栄治(はつおか えいじ、1930年6月22日 - 20… 初岡 栄治(はつおか えいじ、1930年6月22日 - 2015年1月8日)は、茨城県出身の元プロ野球選手(投手・外野手)。 下妻中では1947年に4番・投手として夏の甲子園茨城大会で優勝し、北関東大会に進出するも初戦で敗退。卒業後は東京鉄道局に進み、シュート、ドロップを武器に主戦投手として活躍。 その後は専修大学を中退し、1950年に新球団の国鉄スワローズへ入団。球威はないものの変化球や制球が良かったため高橋輝に次ぐ主戦投手として期待されたが、結果を出せずに2年目の1951年からは外野手に転向。3年目の1952年には規定打席に到達するが、佐藤孝夫の外野転向と安居玉一の入団、町田行彦の成長もありレギュラーから陥落。
所 理喜夫(ところ りきお、1929年(昭和4年)5月1日 … 所 理喜夫(ところ りきお、1929年(昭和4年)5月1日 - 2016年)は、日本史学者、駒澤大学名誉教授。 茨城県結城郡石下町(現在の常総市)生まれ。茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)、陸軍士官学校、東京高等師範学校から東京教育大学に編入、1955年同大学院修士課程を修了し、桐朋高等学校教諭に就任。1956年東京都立城北高等学校赤羽分校(後の赤羽商業高等学校)教諭、1970年駒澤大学文学部専任講師、1972年助教授、1978年教授、1989年文学部長、1996年から1998年までは図書館長を務めた。2000年駒澤大学を定年退任、名誉教授に就任した。 1977年「徳川権力体制完成過程の基礎的研究」で東京教育大学文学博士。
伊集院 俊隆(いじゅういん としたか、1929年2月 - 2… 伊集院 俊隆(いじゅういん としたか、1929年2月 - 2004年9月1日)は、日本のロシア語翻訳家、出版編集者、ロシア語教育者。 現在の大阪府大阪市旭区森小路生まれ。大阪市立中大江東小学校、山水中学校、仙台幼年学校、茨城県立下妻中学校を経て、東京外国語大学ロシア語科卒業。新読書社社長、本郷ロシア語クールス主宰。レーニン、クルプスカヤ夫妻に関心が深く教育学関係図書の翻訳を多く行った。 2004年9月1日、脳幹梗塞のため死去。
佐川 美代太郎(さがわ みよたろう、1923年12月1日 -… 佐川 美代太郎(さがわ みよたろう、1923年12月1日 - 2009年10月30日)は日本の漫画家、絵本作家。本名、小林 仁(こばやし じん)。 茨城県真壁郡真壁町(現在の桜川市)に生まれる。茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)を経て、弁護士を目指し中央大学法学部に入学。在学中の1943年に学徒出陣し、陸軍少尉として朝鮮で終戦を迎えた。復員後、大学に復学したが、「これからは経済の時代だ」として、法学部から商学部に転部した。 大学卒業後、電機メーカーを経て、卸売会社・ぬ利彦で経理の仕事につく。1952年より、社業のかたわら、自由出品制の美術展「読売アンデパンダン展」に漫画の投稿を開始。
上口 政(かみぐち まさ、1923年3月28日 - 没年不明… 上口 政(かみぐち まさ、1923年3月28日 - 没年不明)は、茨城県出身の元プロ野球選手。 下妻中学校を経て明治大学でプレー。1943年の学徒出陣により兵役に就くと、満州・北支・台湾を転戦し、1946年正月過ぎに帰還。 上口は日本コロムビアへの就職が内定していたが、明治大学の同期であった大下弘の誘いを受けて、1946年3月にセネタースに投手兼外野手として入団。 開幕戦となる4月27日の東京巨人軍戦では6番ライトで先発出場。5月30日の中部日本戦で初登板し、明治大学の同期であった貫井丞治とバッテリーを組むが、6回0/3を自責点8と打ち込まれた。 1947年シーズン終了後に退団した。 制球力があり、球にクセがなかったことから、主砲の大下弘から好んで打撃投手に指名されていた。
松本 筑峯(まつもと ちくほう、1918年(大正7年)9月2… 松本 筑峯(まつもと ちくほう、1918年(大正7年)9月25日 - 2009年(平成21年)12月22日)は日本の書家。現代破体書道の第一人者。石川県羽咋市に生まれ、茨城県下妻市で育つ。本名は磐祐。東洋書道芸術学会会長。松本書道会名誉会長。月刊書道誌『方円』・季刊書道誌『破体』発行。『破体書道史(中国編・日本編)』他著書多数。 世界各地で個展や破体展を開催。海外でも究極の書芸術「破体」に対しての評価は非常に高く、精力的に破体書道の普及に取り組んだ。大韓民国社会教育文化大賞・中国南京市文化功労者、中国鎮江市文化交流貢献賞等を受賞し、破体書法国際展審査長を歴任した。 茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)卒業 1941年(昭和16年)、東京美術学校(現在の東京芸術大学)師範科卒業 1918年(大正7年)、9月25日に松本源祐の五男として石川県羽咋市(現在の白山市)に生まれる 1923年(大正12年)、父親の松本源祐が石川県羽咋市(現在の石川県白山市一里野)で生祠され、開成社と命名 1941年(昭和16年)、東京美術学校師範科卒業在学中、書道漢字は石橋犀水、仮名は比田井小琴、油絵は小林万吾、井原宇三郎、日本画は矢沢弦月に師事 1941年(昭和16年)、愛知県豊橋中学校(現在の時習館高校)の図画の教師として赴任。
荒川 久壽男(あらかわ くすお、1918年〈大正7年〉6月1… 荒川 久壽男(あらかわ くすお、1918年〈大正7年〉6月11日 - 1986年〈昭和61年〉12月31日)は、日本の歴史学者。元皇學館大学教授。 大正7年(1918年)6月、茨城県に生まれる。茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)、水戸高等学校を経て、昭和16年(1941年)3月に東京帝国大学文学部国史学科を卒業する。直ちに同大学の副手となる。1942年1月、海軍教授となり、土浦市地域と三重県内の海軍航空隊で教鞭をとった。 戦後は1947年(昭和22年)4月より茨城県日立市立中学校(現在の茨城県立日立工業高等学校)教諭、1948年7月より茨城県立水海道第一高等学校教諭、1958年4月より茨城県立水戸第二高等学校教諭、1964年4月より皇學館大学助教授、1968年より同大学教授にそれぞれ就任した。
門井 八郎(かどい はちろう、1913年(大正2年)5月17… 門井 八郎(かどい はちろう、1913年(大正2年)5月17日 - 1993年(平成5年)4月12日)は、昭和期の作詞家。 茨城県下妻市渋井出身。門井英一、とく の五男として生まれた。1933年(昭和8年)下妻中学校(現茨城県立下妻第一高等学校・附属中学校)を卒業。 逓信省東京逓信局などに勤務して経理事務を担当する傍ら詩作に励む。作詞家佐藤惣之助の門に入り厳格な指導を受けたあと、長谷川伸門下となって小説を学ぶ。 1953年(昭和28年)、長年勤めていた郵政省の職員を辞め、業界紙を手がける仕事を行う。後に作詞家となりテイチク専属となり、三波春夫の「チャンチキおけさ」、「船方さんよ」、アイ・ジョージの「赤いグラス」などのヒット曲を手がけた。
福西 基(ふくにし もとい、1910年〈明治43年〉3月25… 福西 基(ふくにし もとい、1910年〈明治43年〉3月25日 - 2020年〈令和2年〉8月22日)は、日本の教育者、スーパーセンテナリアン。茨城県下妻市に在住していた長寿の男性。日本国内最高齢男性であった白井庄次郎が2020年8月11日に死去して以来、11日間日本国内最高齢男性となっていた。 1910年3月25日、茨城県結城郡宗道村(現在の下妻市宗道)で生まれる。 旧制中学校時代にアメリカ人宣教師・ビンフォルド夫妻と出会い、1927年に下妻基督友会員(キリスト教のフレンド派)となる。 茨城県立下妻中学校を経て茨城県師範学校卒業後、真壁郡村田尋常高等小学校に赴任。その後、下妻市立豊加美小学校長、総上中学校長、上妻小学校長、騰波ノ江中学校長、岡田小学校長、飯沼小学校長を歴任。
鈴木 明良(すずき あきら、1909年(明治42年)2月8日… 鈴木 明良(すずき あきら、1909年(明治42年)2月8日 - 1985年(昭和60年)9月6日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(3期)。落選後は詐欺を生業とし、「M資金事件」の立役者と言われた。 茨城県結城郡江川村(現在の結城市)出身。1928年、茨城県立下妻中学校を卒業。岩佐鉄工所営業部長、朝日海運取締役社長、明商株式会社社長などを務めた。 1946年4月、第22回衆議院議員総選挙で旧茨城県選挙区から出馬して当選し、その後第24回総選挙まで連続3回の当選を果たした。この間、日本進歩党情報部長、民主党総務、民主自由党総務、衆議院内閣委員長などを歴任した。 1952年の第25回総選挙で落選し、同時に選挙違反で逮捕された。
赤城 宗徳(赤城 宗德、あかぎ むねのり、1904年〈明治3… 赤城 宗徳(赤城 宗德、あかぎ むねのり、1904年〈明治37年〉12月2日 - 1993年〈平成5年〉11月11日)は、日本の政治家、教育者、剣道範士。位階は正三位、勲等は勲一等。 農林大臣(第25・32-34・42代)、防衛庁長官(第11代)、内閣官房長官(第19代)、衆議院議員(15期)、茨城県会議員、茨城県上野村長、自由民主党政務調査会長(第13代)、同総務会長(第8代)、同副幹事長、同茨城県支部連合会会長などを歴任。 弟はNHK専務理事を務めた赤城正武、孫は農林水産大臣や衆議院議員を務めた赤城徳彦。 茨城県真壁郡上野村(後の明野町、現在は筑西市)の代々名主を務めた家に生まれる。若くして父康助を失い、母むめ(浜名信平長女)と祖父喜八郎に育てられる。
江戸 英雄(えど ひでお、1903年7月17日 - 1997… 江戸 英雄(えど ひでお、1903年7月17日 - 1997年11月13日)は、日本の実業家。三井不動産社長を務めた。終生、三井グループに影響力を持ち続け、グループ内で地位の低かった三井不動産を「三井御三家」の一角に押し上げた。また東京ディズニーランドのオープンに尽力したほか、妻と娘が関わった桐朋学園の発展にも一役買った。 茨城県筑波郡作岡村大字作谷(現:つくば市)の農家に生まれる。兄1人、姉3人の末っ子だったが、2人の姉は子供の頃早世した。 村の小学校を卒業後、茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)に入学した。自宅から中学まで10キロあったが毎日自転車で通い、隣村の一級下の赤城宗徳(衆議院議員)は同じ自転車通学の仲間だった。
北沢 直吉 (きたざわ なおきち、1901年9月25日 - … 北沢 直吉 (きたざわ なおきち、1901年9月25日 - 1981年7月19日)は、日本の外交官、政治家。衆議院議員、外務省参与、内閣官房副長官を務めた。 茨城県筑波郡大穂村大字長高野(現在のつくば市長高野)生まれ。茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)から東京商科大学(現在の一橋大学)に進学し、1925年に卒業すると外務省に入る。入省して直ぐアメリカに赴任しプリンストン大学でM.A.の学位を取得(1927年)、斎藤博大使の下で対米交渉の一員として加わるが斎藤大使の死去に伴い帰国する。その後は香港で中華民国との和平工作に従事するが、1941年に在中華民国(汪兆銘政権)大使館一等書記官兼北京総領事となり、1943年にはビルマ大使館に参事官として赴任し、ビルマ首相のバー・モウが日本軍の敗走と共に亡命する際に案内役となった。
龍胆寺 雄(りゅうたんじ ゆう、1901年4月27日 - 1… 龍胆寺 雄(りゅうたんじ ゆう、1901年4月27日 - 1992年6月3日)は茨城県出身の作家、サボテン研究家。龍膽寺雄とも表記。 千葉県印旛郡佐倉町(現在の佐倉市)味噌部屋生まれ。茨城県真壁郡下妻町(現在の下妻市)育ち。本名は橋詰雄(はしづめ ゆう)。父橋詰孝一郎は長塚節の親友で、雄の出生当時は千葉県立佐倉中学校の国語教師だった。母の兄の連れ合いは松原姓で、その実兄にジャーナリストの松原二十三階堂がいる。 生後まもなく、父の転任に伴って下妻に移住。1918年、茨城県立下妻中学校卒業。第二高等学校 (旧制)を受験したが失敗し、その翌年、水戸高等学校 (旧制)受験の途次、急性の結核性頸部淋巴腺腫に倒れて受験を断念し、東京の順天堂医院に入院。
肥後 和男(ひご かずお、1899年(明治32年)4月8日 … 肥後 和男(ひご かずお、1899年(明治32年)4月8日 - 1981年(昭和56年)2月24日)は、日本の歴史学者。東京教育大学文理科教授を経て、東京教育大学名誉教授。日本古代史の重鎮であった。茨城県久慈郡大子町出身。従三位勲三等旭日中綬章。 茨城県久慈郡大子町生まれ。茨城県立下妻中学校、東京高等師範学校を卒業後、福岡県立東筑中学校、長野師範学校で教鞭をとる。1927年(昭和2年)京都帝国大学史学科(国史科専攻)卒業。同大学院入学。1932年(昭和7年)より東京文理科大学(後の東京教育大学)講師となり、1933年(昭和8年)同大助教授、1943年(昭和18年)同大教授。1946年(昭和21年)公職追放。
大塚 博紀(おおつか ひろのり、1892年6月1日 - 19… 大塚 博紀(おおつか ひろのり、1892年6月1日 - 1982年1月29日)は、日本の空手家。昭和期を代表する空手家の一人であり、和道流空手道の開祖。また、自身が修行した柔術に空手を加味して和道流柔術拳法も開いた。 1892年(明治25年)、医師・大塚徳次郎の嫡男として茨城県真壁郡下館町(後の下館市、現在の筑西市)に生まれた。本名は大塚孝(こう)。1897年(明治30年)、江橋長次郎から為我流柔術の手ほどきを受けた。1905年(明治38年)、大塚は茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)に入学、剣術師範でもあった中山辰三郎(神道揚心流第3代目師範)に師事して、神道揚心流柔術と為我流柔術を学んだ。
柴山 兼四郎(しばやま けんしろう、1889年5月1日 - … 柴山 兼四郎(しばやま けんしろう、1889年5月1日 - 1956年1月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 茨城県出身。柴山定次郎の三男として生まれる。茨城県立下妻中学校を卒業し、拓殖大学中退を経て、1912年(明治45年)5月、陸軍士官学校(24期)を卒業。同年12月、輜重兵少尉に任官し輜重兵第14大隊付となる。1922年(大正11年)11月、陸軍大学校(34期)を卒業した。 1923年(大正12年)6月、輜重兵第14大隊中隊長となり、参謀本部付勤務、参謀本部員、参謀本部付(支那研究員)、参謀本部員などを経て、1928年(昭和3年)11月、張学良顧問補佐官に就任した。1931年(昭和6年)11月、参謀本部員となり、支那公使館付武官補佐官(北平)、参謀本部付(欧米出張)、輜重兵第18大隊長などを歴任し、1936年(昭和11年)3月、輜重兵大佐に昇進、弘前の輜重兵第8連隊長に着任する。
霜田 政美(しもだ まさみ) は、日本の応用昆虫学者。東京大… 霜田 政美(しもだ まさみ) は、日本の応用昆虫学者。東京大学大学院農学生命科学研究科応用昆虫学研究室教授。日本応用動物昆虫学会賞等受賞。 1983年、茨城県立下妻第一高等学校卒業。1988年、筑波大学第二学群農林学類生物応用科学専攻卒業。1990年、筑波大学大学院農学研究科応用生物化学専攻修士課程修了。1991年、筑波大学大学院農学研究科応用生物化学博士課程中退し、農林水産省中央農業研究センターに入所。 1998年、筑波大学博士(農学)。同年ロックフェラー大学医学研究所特別研究員(マイケル・ヤング研究室)。2001年、農業生物資源研究所研究員。2016年、農業・食品産業技術総合研究機構生物機能利用研究部門昆虫制御研究領域昆虫相互作用ユニットユニット長。