スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
草野 翔吾(くさの しょうご、1984年 - )は、日本の映… 草野 翔吾(くさの しょうご、1984年 - )は、日本の映画監督、脚本家。群馬県桐生市出身。群馬県立桐生高等学校、早稲田大学社会科学部卒業。 早稲田大学映画研究会在籍中に監督した作品が、学生映画祭において数々の賞を獲得。2009年、シアターTSUTAYAにて上映され、同館のレイトショー観客動員記録を樹立した『Mogera Wogura』をはじめ、在学中より、渋谷シネマ・アンジェリカやUPLINK FACTORYなどの一般劇場で長編監督作が上映される。2012年、自らの故郷桐生を舞台にした長編映画『からっぽ』が、第4回沖縄国際映画祭パノラマスクリーニング部門や、第27回高崎映画祭“若手監督たちの現在”に選出。
如月かずさ(きさらぎ かずさ、1983年 - )は、日本の児… 如月かずさ(きさらぎ かずさ、1983年 - )は、日本の児童文学作家。 群馬県桐生市生まれ。桐生市立西小学校、桐生市立西中学校、群馬県立桐生高等学校、東京大学教養学部(表象文化論)卒業。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。2009年『サナギの見る夢』で第49回講談社児童文学新人賞佳作、『ミステリアス・セブンス―封印の七不思議』で第7回ジュニア冒険小説大賞、2011年『カエルの歌姫』で第45回日本児童文学者協会新人賞を受賞。
押見 修造(おしみ しゅうぞう、1981年3月19日 - )… 押見 修造(おしみ しゅうぞう、1981年3月19日 - )は、日本の漫画家。 群馬県桐生市出身。桐生市立南小学校、桐生市立南中学校、群馬県立桐生高等学校卒業。早稲田大学第一文学部中退。 大学在学中の2002年に『夢の花園』でちばてつや賞ヤング部門優秀新人賞受賞。同年、コミック焦燥(太田出版)に掲載された「真夜中のパラノイアスター」でデビュー。2003年、別冊ヤングマガジンで『アバンギャルド夢子』の連載を開始。 『漂流ネットカフェ』はテレビドラマ化され、『惡の華』はテレビアニメ化された。また2014年には『スイートプールサイド』、2018年には『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』が映画化されている。
田村 元(たむら はじめ、1977年2月11日 - )は、日… 田村 元(たむら はじめ、1977年2月11日 - )は、日本の歌人。 群馬県勢多郡新里村(現・桐生市)出身。群馬県立桐生高等学校を経て北海道大学法学部卒業。 1997年頃、北海道新聞の松川洋子選歌欄への投稿をきっかけに短歌を作りはじめる。同じ選歌欄に投稿していた樋口智子、雪舟えまらと知り合う。 1999年、「りとむ」入会。2000年、「太郎と花子」創刊に参加。2002年、「上唇に花びらを」で、第13回歌壇賞受賞。2012年、第一歌集『北二十二条西七丁目』刊。翌2013年、同歌集で第19回日本歌人クラブ新人賞、第4回神奈川県歌人会第一歌集賞受賞。 2021年度NHK短歌選者、横浜歌人会副代表委員。
山口 晃(やまぐち あきら、1969年8月2日 - )は、日… 山口 晃(やまぐち あきら、1969年8月2日 - )は、日本の画家、現代美術家。 1969年、東京都生まれ。群馬県桐生市で育つ。桐生市立昭和小学校、桐生市立昭和中学校を経て、群馬県立桐生高等学校を卒業。多摩美術大学を1年で中退後、1994年に東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻を卒業、1996年に東京芸術大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程を修了。1997年、会田誠に誘われ「こたつ派」展に参加。2001年に岡本太郎記念現代芸術大賞優秀賞を受賞。2013年に『ヘンな日本美術史』で第12回小林秀雄賞を受賞。 大和絵や浮世絵のようなタッチで、非常に緻密に人物や建築物などを描き込む画風で知られる。
鏑木 毅(かぶらき つよし、1968年(昭和43年)10月1… 鏑木 毅(かぶらき つよし、1968年(昭和43年)10月15日 - )は、日本のトレイルランニング競技者。富士登山競走や日本山岳耐久レースをはじめ、数々の競技大会で優勝。既婚。 桐生市立新里中学校、群馬県立桐生高等学校、早稲田大学教育学部社会科学専修卒業。大学在学中は早稲田大学競走部に在籍したが、怪我のためにあえなく断念した。群馬県庁に就職後、28歳の時に出場した山田昇記念杯登山競争大会で初出場・初優勝をしたことを機に、トレイルランナーへ転向した。 これまでに、山田昇記念杯登山競争大会で7連覇、北丹沢12時間山岳耐久レースで2連覇4度の優勝、富士登山競走で2連覇3度の優勝等の実績を持つ。また、2005年には国内3大レース(日本山岳耐久レース、富士登山競走、北丹沢12時間山岳耐久レース)を同一年に全て制覇する「トリプルクラウン」を達成した。
小森谷 徹(こもりや とおる、1965年8月11日 - )は… 小森谷 徹(こもりや とおる、1965年8月11日 - )は、日本のタレント、リポーター、ニュースキャスター、ラジオパーソナリティ、俳優である。株式会社ノット・コミュニケーションズに所属して活動するほか、長く母校の日本大学芸術学部で非常勤講師を務めていたが、現在は東北大学特任教授(客員)に就任し、日本ウエルネス学会理事、NPO法人スーパーダディ協会常任理事でもある。身長は170センチメートル、血液型はO型である。 群馬県桐生市出身。群馬県立桐生高等学校、日本大学芸術学部卒業。大学在学中に劇団東京サンシャインボーイズに参加。その後、花組芝居の中核として女形を数多くこなす一方、テレビやラジオでリポーターを多く務めるフリーアナウンサーとして活動。
野口 和彦(のぐち かずひこ 1965年 - )は、日本の政… 野口 和彦(のぐち かずひこ 1965年 - )は、日本の政治学者。群馬県立女子大学国際コミュニケーション学部教授。専門は、国際関係論・安全保障学・戦略研究・戦争研究。 1965年群馬県生まれ。1984年群馬県立桐生高等学校卒業。1989年青山学院大学国際政治経済学部国際経済学科卒業。1999年青山学院大学大学院国際政治経済学研究科一貫制博士課程満期退学、国際政治学修士。2009年早稲田大学大学院アジア太平洋研究科国際関係学専攻博士課程修了、博士(学術)。 放送大学などで非常勤講師を務め、東海大学教養学部国際学科専任講師、准教授(助教授)、教授(主任教授)を経て、2014年度から群馬県立女子大学国際コミュニケーション学部教授、大学院国際コミュニケーション研究科教授。
石原 条(いしはら じょう、1964年〈昭和39年〉8月1日… 石原 条(いしはら じょう、1964年〈昭和39年〉8月1日 - )は、日本の政治家。元群馬県みどり市長(3期)、元群馬県議会議員(4期)。 1964年(昭和39年)、群馬県山田郡大間々町大間々(現・みどり市大間々町大間々)に生まれる。1983年(昭和58年)群馬県立桐生高等学校を卒業。法政大学法学部法律学科で内田健三に政治学を学び政治家を志し、衆議院議員・中島源太郎の事務所でアルバイトをし、1987年(昭和62年)大学を卒業すると中島の事務所で秘書として勤務。 1991年(平成3年)に群馬県議会議員に立候補するも落選。中島の死を受けて尾身幸次衆議院議員の地元秘書となる。1991年の選挙で敗れた須藤利雄の死去に伴う1994年(平成6年)1月の群馬県議会議員補欠選挙で初当選。
相場 勤(あいば つとむ、1964年6月7日 - )は、元社… 相場 勤(あいば つとむ、1964年6月7日 - )は、元社会人野球選手(外野手)。元慶應義塾大学野球部監督。 栃木県足利市出身。群馬県立桐生高等学校から慶應義塾大学に進学。東京六大学野球リーグ戦では、シュアなバッティングで慶應の主軸として活躍。1985年秋季リーグでは鈴木哲、志村亮両投手の好投もあり、チーム13年ぶりとなる優勝を飾る。直後の明治神宮野球大会でも、1試合4盗塁の新記録を樹立し、決勝で西崎幸広を擁する愛知工大を降し、初優勝に貢献した。リーグ史上初の3打席連続本塁打の記録(同年春季リーグ、対立教2回戦)を持つ。同年の日米大学野球選手権大会日本代表に選出され、7試合で3本塁打10打点を記録し、敢闘賞を受賞。
羽塚 由(はねづか とおる、1964年2月4日 - )は、元… 羽塚 由(はねづか とおる、1964年2月4日 - )は、元NHKアナウンサー。
木暮 洋(こぐれ ひろし、1960年8月8日 - )は、日本… 木暮 洋(こぐれ ひろし、1960年8月8日 - )は、日本のアマチュア野球選手。 桐生市立相生中学校時代は目立つ選手ではなく、群馬県立桐生高等学校入学後も野球を続けることにためらいがあるほどであった。特に同期だった阿久沢毅は県大会優勝投手であり、誰も木暮に期待をする者はいなかったという。 しかし、関口信行監督の合理的な指導と1927年夏に桐生中学(現桐生高等学校)を初めて甲子園に導いた大先輩・阿部精一の技術的な指導とによって着実に力をつけ、エースに成長。 1977年、2年生の夏は県ベスト8に留まるものの、秋大会で県優勝を果たし関東大会出場。関東でもベスト4まで勝ち進み12年ぶりの甲子園出場(翌年春の選抜)を果たす。
阿久沢 毅(あくざわ つよし、1960年8月5日- )は、日… 阿久沢 毅(あくざわ つよし、1960年8月5日- )は、日本の実業家、元高等学校教諭兼高校野球指導者。群馬県立勢多農林高等学校教諭を経て、2020年7月より群馬クレインサンダーズ代表取締役社長。 群馬県勢多郡大胡町(現 前橋市)出身。群馬大学教育学部卒業。 大胡町立大胡中学校(現 前橋市立大胡中学校)時代エースピッチャーとして県大会で優勝。高校野球の名門である群馬県立桐生高等学校進学後はエースの座を木暮洋に譲るが、主力打者としてチームを牽引。第50回選抜高等学校野球大会では王貞治以来となる2試合連続本塁打を放つなどの活躍でベスト4まで進出し、一躍ドラフトの注目株となる。この大会ではチームメイトの木暮が26イニング連続無失点記録を樹立し、さらに同じ群馬県の前橋高校のエース松本稔(プロ入りせず。
荒木 恵司(あらき けいじ、1958年〈昭和33年〉9月5日… 荒木 恵司(あらき けいじ、1958年〈昭和33年〉9月5日 - )は、日本の政治家。群馬県桐生市長(2期)。元群馬県議会議員(1期)、元桐生市議会議員(3期)。 群馬県桐生市出身。桐生市立西中学校(現・桐生市立中央中学校)、群馬県立桐生高等学校卒業。1981年(昭和56年)3月、青山学院大学法学部卒業。同年4月、堀村株式会社に就職。退職し、1983年(昭和58年)に呉服卸荒木商店の代表に就任。 2003年(平成15年)、桐生市議会議員に初当選。2011年(平成23年)、3選。 2015年(平成27年)、群馬県議会議員選挙に自由民主党公認で立候補し初当選。 2018年(平成30年)11月5日、任期満了に伴う桐生市長選挙に立候補する意向を表明した。
須永 和男(すなが かずお、1957年8月11日 - )は、… 須永 和男(すなが かずお、1957年8月11日 - )は、日本の外交官。防衛省防衛政策局次長、ASEAN政府代表部特命全権大使等を経て、駐カタール特命全権大使。2021年退官。 群馬県山田郡大間々町(現・みどり市)出身。1976年に群馬県立桐生高等学校を卒業。1980年に一橋大学法学部を卒業し、外務省に入省する。1997年外務省北米局日米安全保障条約課企画官、1998年外務省経済局国際エネルギー課長。日米安全保障条約課企画官時代は、鳥島射爆撃場劣化ウラン弾事件現地調査団キャップとして、環境影響評価を行なった。 2000年内閣官房安全保障・危機管理室内閣審議官。内閣官房情報セキュリティ対策推進室副室長を経て、2002年外務省経済協力局調査計画課長、2003年コロンビア大学国際公共政策大学院(SIPA)プロフェッショナルフェロー兼ニューヨーク領事、2004年国際連合日本政府代表部公使、2007年在アラブ首長国連邦日本国大使館公使。
吉田 稔(よしだ みのる、1956年11月29日 - )は、… 吉田 稔(よしだ みのる、1956年11月29日 - )は、群馬県出身のボートレーサー。 群馬県立桐生高等学校を卒業後、高崎プラザホテル勤務を経て、42期訓練生として本栖研修所に入り、リーグ戦勝率7.18(42期リーグ戦勝率2位)の成績で卒業した。1978年にデビューすると、2年半後にA級選手となる。1996年6月27日〜7月2日にかけて開催された第6回グランドチャンピオン決定戦で初日から超抜に仕上げて行き足から伸びが強力、予選を21111として予選トップ通過し優勝候補と注目される。しかし、優勝戦は準優勝戦を2着として6号艇4コースからコンマ19のスタートで出遅れ惜しくも2着に終わりSG初優勝を逃した。
青木 幸弘(あおき ゆきひろ、1956年 - )は、日本の経… 青木 幸弘(あおき ゆきひろ、1956年 - )は、日本の経営学者。学習院大学副学長・経済学部経営学科教授。 専攻はマーケティング論、とりわけ、消費者行動論、ブランド論。日本消費者行動研究学会副会長。
河原井 正雄(かわらい まさお、1954年(昭和29年)7月… 河原井 正雄(かわらい まさお、1954年(昭和29年)7月26日 - )は、群馬県桐生市出身の元アマチュア野球選手、野球指導者。青山学院大学硬式野球部監督・大学野球日本代表監督等を歴任。 桐生市本町に生まれる。子どものころから稲川東一郎率いる群馬県立桐生高等学校硬式野球部に憧れ同校へ入学、1年生から中心選手として活躍する。投手として1972年夏の甲子園県大会を勝ち抜き、北関東大会準決勝に進出。足利工の石田真と投げ合うが9回サヨナラ負け、甲子園には出場できなかった。 1973年に卒業後、青山学院大学に進学し同大学硬式野球部に所属。東都大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、同1973年春季リーグでは1年上のエース金沢真哉を擁し、深沢進(のち東芝)らとともに打線の中心となり活躍。
ヤマザキ ミノリ(本名:山崎 稔、1954年3月29日 - … ヤマザキ ミノリ(本名:山崎 稔、1954年3月29日 - )は、日本の造形作家、空間デザイナー。女子美術大学名誉教授。 群馬県桐生市生まれ。群馬県立桐生高等学校、東京芸術大学工芸科鋳金専攻卒業(安宅賞受賞)。東京芸術大学構成デザイン大学院修了。 東京工芸大学芸術学部デザイン学科助教授(1995年~1998年)、女子美術大学芸術学部デザイン科助教授(1998年~2001年)、女子美術大学芸術学部メディアアート学科助教授(2001年~2003年)、2003年に同教授に昇格、2010年4月から2019年3月まで女子美術大学芸術学部アート・デザイン表現学科ヒーリング表現領域教授。 空間設計、ライトアートを中心に美術活動を展開。
亀山 豊文(かめやま とよふみ、1950年〈昭和25年〉10… 亀山 豊文(かめやま とよふみ、1950年〈昭和25年〉10月18日 - )は、日本の政治家。元群馬県桐生市長(3期)、群馬県議会議員。 栃木県足利郡菱村(1959年の越境編入により現在は群馬県桐生市)出身。祖父・孝之は菱村長・桐生市議会議員を務め、父・憲明も桐生市議会議員・群馬県議会議員を務めた。 1969年に群馬県立桐生高等学校を卒業し、1973年専修大学法学部卒業。家業の繊維会社に勤める。 1983年桐生青年会議所理事長、1987年日本青年会議所関東地区群馬ブロック副会長。父の引退に伴い1995年の群馬県議会議員選挙に桐生市選挙区から無所属で出馬し初当選。以後3期務める。県議時代は自由民主党に所属した。
舘内 端(たてうち ただし、1947年〈昭和22年〉 - )… 舘内 端(たてうち ただし、1947年〈昭和22年〉 - )は、日本の自動車評論家、レーシングエンジニア。電動モビリティシステム専門職大学電気自動車システム工学部准教授。 東京大学宇宙航空研究所、株式会社ベルコでの勤務を経て、フリーランスとなった。 群馬県出身の自動車評論家、レーシングエンジニアである。日本EVクラブ代表や日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員を務めた。初期の著作は、レース活動にまつわる内容のものだが、1990年代ごろからは、自動車にまつわる環境問題を技術的側面から捉えたものが多い。 群馬県桐生市出身。群馬県立桐生高等学校、日本大学理工学部機械工学科卒業。 東京大学宇宙航空研究所(現・文部科学省宇宙科学研究所)勤務の後、ベルコ入社。
星野 富弘(ほしの とみひろ、1946年4月24日 - )は… 星野 富弘(ほしの とみひろ、1946年4月24日 - )は、日本の詩人・画家。現在も詩画や随筆の創作を続けており、また国内外で「花の詩画展」が開かれている。
蓑輪 努(みのわ つとむ、1946年 - )は、群馬県出身の… 蓑輪 努(みのわ つとむ、1946年 - )は、群馬県出身のアマチュア野球選手(内野手)。 群馬県立桐生高等学校では二塁手として甲子園に2回出場。1963年夏の選手権はエース高橋恒夫が好投。準々決勝に進むが、下関商の池永正明に抑えられ1-2で惜敗。その後、高校日本代表として池永、和田徹らとともにハワイに遠征した。1964年春の選抜では、2回戦で植木一智、衣笠祥雄のバッテリーを擁する平安高に敗退。 早稲田大学に進学。東京六大学野球リーグでは在学中3回の優勝を経験。1967年秋季リーグでは三塁手としてベストナインに選出される。1968年秋季リーグでは田淵幸一らのいた法大に競り勝ち優勝に貢献した。大学同期に小川邦和、長倉春生がいる。
長谷川 昭(はせがわ あきら、1945年3月 - )は日本の… 長谷川 昭(はせがわ あきら、1945年3月 - )は日本の地震学者、東北大学名誉教授。アメリカ地球物理学連合フェロー。日本地球惑星科学連合フェロー。 群馬県桐生市生まれ。昭和38年3月群馬県立桐生高等学校卒業。 昭和42年3月東北大学理学部卒業。 昭和44年3月東北大学大学院理学研究科修士課程修了。 昭和46年3月東北大学大学院理学研究科博士課程中退。 昭和46年4月東北大学理学部附属青葉山地震観測所助手。昭和52年7月東北大学理学部付属地震予知観測センター助教授。昭和52年東北大理学博士。昭和53年6月カーネギー研究所客員研究員。平成元年4月東北大学理学部付属地震予知・噴火予知観測センター教授。
阿久戸 庸夫(あくと つねお、1944年9月13日 - )は… 阿久戸 庸夫(あくと つねお、1944年9月13日 - )は、日本の実業家。ミツバ代表取締役社長。群馬県出身。最終学歴は慶應義塾大学大学院工学研究科修了。
中込 良廣(なかごめ よしひろ、1944年3月27日 - 2… 中込 良廣(なかごめ よしひろ、1944年3月27日 - 2020年8月19日) は、日本の原子核物理学者。京都大名誉教授。元原子力安全基盤機構理事長。 群馬出身。1962年群馬県立桐生高等学校卒業。1966年東北大学理学部物理学科卒業。1968年東北大学大学院理学研究科原子核理学専攻修士課程修了、京都大学原子炉実験所(現:京都大学複合原子力科学研究所)助手。1977年レンセラー工科大学客員助手。1991年東北大学理学博士。1993年京都大学原子炉実験所助教授。2001年京都大学原子炉実験所教授。平成12年科学技術庁長官賞・核物質管理功労者表彰受賞。平成18年経済産業大臣原子力安全功労者表彰受賞。
関口 忠(せきぐち まこと、1942年5月9日 - 2014… 関口 忠(せきぐち まこと、1942年5月9日 - 2014年10月10日)は、日本の実業家。セキチュー会長。家業の老舗製材屋から、一代で有数のホームセンターを作り上げた立志伝中の人物である。彼の創業したセキチューは自身の高校時代のニックネーム「関忠」(せきちゅう)に由来し、総合商社の伊藤忠にあやかったものという。
大澤 善隆(おおさわ よしたか、1941年〈昭和16年〉10… 大澤 善隆(おおさわ よしたか、1941年〈昭和16年〉10月27日 - 2021年〈令和3年〉5月16日)は、日本の政治家。桐生市長(通算3期)、群馬県議会議員(3期)。 群馬県桐生市安楽土町に、父忠四郎・母やのの五男として生まれる。1959年(昭和34年)群馬県立桐生高等学校卒業、1965年(昭和40年)早稲田大学商学部卒業。衆議院議員・福田赳夫の秘書を務める。 1971年(昭和46年)群馬県議会議員に当選し3期在任。自由民主党群馬県連副幹事長を務めた。1983年(昭和58年)に県議を辞職して桐生市長選挙に無所属で立候補するも、46票差で落選。1987年(昭和62年)から1991年(平成3年)まで桐生市長を1期務め、1999年(平成11年)に返り咲く。
韓 太舜(はん てすん、朝: 한태순, 1941年 - )は… 韓 太舜(はん てすん、朝: 한태순, 1941年 - )は、在日韓国・朝鮮人の情報学者。電気通信大学名誉教授。 1941年、群馬県桐生市生まれ。群馬県立桐生高等学校、東京大学工学部応用物理学科を卒業(数理工学専修)。1971年、東京大学大学院工学系研究科博士課程を修了、工学博士号を取得。 1972年、東京大学助教授に就任。1983年に教授昇進。1993年より電気通信大学教授。定年退官後、同大学の名誉教授となった。1990年にIEEEフェローに就任。
黒崎 武(くろさき たけし、1940年7月17日 - )は、… 黒崎 武(くろさき たけし、1940年7月17日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。 桐生高校では投手として活躍。エースとして1957年秋季関東大会県予選決勝に進出するが前橋高に惜敗。翌1958年夏の甲子園県予選決勝に進み富岡高を降すが、肩を故障する。夏の甲子園には背番号10ではあるが左翼手として出場。3回戦に進むが魚津高の村椿輝雄に完封を喫する。 1959年に東映フライヤーズへ入団。1962年に一軍に定着し、阪神との日本シリーズでは第3戦に代走として出場。翌1963年には毒島章一の故障欠場もあり、7月から主に右翼手として17試合に先発出場を果たす。しかしレギュラーには届かず1967年限りで退団。
高田 重信(たかだ しげのぶ、1940年2月22日 - )は… 高田 重信(たかだ しげのぶ、1940年2月22日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手。 桐生高校から1958年に東映フライヤーズへ入団。1959年に退団。
今泉 喜一郎(いまいずみ きいちろう、1937年6月24日 … 今泉 喜一郎(いまいずみ きいちろう、1937年6月24日 - )は、群馬県桐生市出身の元プロ野球選手。右投げアンダースロー。 群馬県立桐生高等学校ではエースとして活躍。1953年秋季関東大会に進むが、1回戦で水戸農に敗退。1955年には同期の田辺義三とバッテリーを組み、春夏の甲子園に出場。春の選抜は準々決勝で明星高を相手にノーヒットノーランを達成。決勝まで勝ち上がり浪華商と対戦した。浪華商の四番打者坂崎一彦に対し、桐生高監督の稲川東一郎は徹底敬遠を指示する。しかし全打席敬遠はノーヒッターとしてのプライドが許さず、第3打席に勝負を決意するも2点本塁打を喫し逆転を許す。9回に同点に追いつくが、延長11回裏にスクイズを決められ3-4でサヨナラ負け、準優勝にとどまった。
田辺 義三(たなべ よしぞう、1937年4月12日 - 20… 田辺 義三(たなべ よしぞう、1937年4月12日 - 2018年9月12日)は、群馬県出身の元プロ野球選手(捕手、外野手、内野手)。 桐生高校では3年次の1955年、捕手として春の選抜に出場。今泉喜一郎とのバッテリーで決勝に進出するが、坂崎一彦・山本八郎・広島尚保らがいた浪華商に延長11回3-4でサヨナラ負け、準優勝に終わる。同年は夏の選手権にも出場したが、2回戦で日大三高のエース並木輝男に抑えられ、4-10で敗れた。同年8月には1年下の外野手間所宏全(阪急)らと共に全日本高校選抜チームの一員として初のハワイ遠征を果たし、4番を打った。 身長174cmは当時としては大型で、高校屈指の強打の捕手として中日、大映、東映、大洋などが獲得合戦を繰り広げたが、卒業後の1956年に西鉄ライオンズへ入団。
浦田 直治(うらた なおじ、1936年9月8日 - )は、群… 浦田 直治(うらた なおじ、1936年9月8日 - )は、群馬県桐生市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 桐生市立境野中学校では主将を務め、2年次の1950年には東京六大学秋季リーグ戦試合開始前の神宮に行き、法政大でプレーする根本陸夫を訪ねた。 監督が日大出身で根本の2年先輩であり、主将の浦田に「後輩に根本っていう選手がいた。今は法政大学でキャッチャーをしている。俺が頼むから、みんなを連れて六大学を見に行き、野球の勉強をしてきなさい」と言ったのが、根本と会ったきっかけである。浦田は根本宛に手紙を書くよう命じられ、野球部全員で行くことや試合観戦の希望を記して投函していたが、根本という選手について先生は何も教えてくれなかった。
毒島 章一(ぶすじま しょういち、1936年〈昭和11年〉1… 毒島 章一(ぶすじま しょういち、1936年〈昭和11年〉1月14日 - 2023年〈令和5年〉5月14日)は、群馬県桐生市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ、解説者。戸籍上の登録は「毒嶌」。 「ミスターフライヤーズ」と称された。 桐生高校では1951年夏の甲子園に控え投手として出場するが、1回戦で西山和良のいた県和歌山商に敗退。2年上のチームメートに一塁手の中静唯八(西鉄)がいた。 1953年夏の甲子園予選では北関東大会1回戦に進むが、宇都宮商に日没コールド負け。高校ではノーヒットノーランを達成したこともあるが、肘を痛めてしまう。また左打者になったのも高校時代である。 1954年に東映フライヤーズへ入団。
大出 峻郎(おおで たかお、1932年〈昭和7年〉9月1日 … 大出 峻郎(おおで たかお、1932年〈昭和7年〉9月1日 - 2005年〈平成17年〉9月29日、満73歳没)は、日本の元最高裁判所判事。位階勲等は正三位旭日大綬章。 1988年(昭和63年)10月11日、参議院内閣委員会にて、内閣法制局第一部長として次のように答弁している。「今日では、実質的な国家統治の大権を持たれなくても国家におけるいわゆるヘッドの地位にある者を元首と見るなどのそういう見解もあるわけでありまして、このような定義によりますならば、天皇は国の象徴であり、さらにごく一部ではございますが外交関係において国を代表する面を持っておられるわけでありますから、現行憲法のもとにおきましてもそういうような考え方をもとにして元首であるというふうに言っても差し支えないというふうに考えておるわけであります。
金子 清(かねこ きよし、1932年6月7日 - )は政治家… 金子 清(かねこ きよし、1932年6月7日 - )は政治家、自治官僚。新潟県知事(在任1989年 - 1992年)。
後藤 順治郎(ごとう じゅんじろう、1932年1月27日 -… 後藤 順治郎(ごとう じゅんじろう、1932年1月27日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手。 桐生高校から1950年に東急フライヤーズへ入団。1951年に退団し、翌年から地元の大生相互銀行野球部に所属した。 1955年に西鉄ライオンズでプロ復帰。1957年に引退した。
上原 進(うえはら すすむ、1932年 - 2023年11月… 上原 進(うえはら すすむ、1932年 - 2023年11月24日)は、日本の歯科医師・歯学者・博士。元日本障害者歯科学会理事長、日本大学名誉教授、元日本大学松戸歯学部障害者歯科学講座教授、元川崎医療福祉大学教授。 群馬県桐生市出身。群馬県立桐生高等学校卒。1957年に東京歯科大学卒業、以後日本大学助手を経て1978年より1998年まで日本大学松戸歯学部障害者歯科学講座教授。1998年より同大学総合科学研究所教授。2000年より2005年まで川崎医療福祉大学教授。
神山 栄作(かみやま えいさく、1931年9月22日 - )… 神山 栄作(かみやま えいさく、1931年9月22日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手。 桐生高校から1950年に東急フライヤーズへ入団。1951年に退団。 その後は大生相互銀行でプレーした。
田村 竜騎兵(たむら りゅうきへい、1931年〈昭和6年〉6… 田村 竜騎兵(たむら りゅうきへい、1931年〈昭和6年〉6月24日 - 1990年〈平成2年〉2月14日)は、朝日新聞社の記者、囲碁ライター。群馬県出身、本名は田村孝雄。観戦記者として著書多数。朝日新聞東京本社編集委員をつとめた。本名・孝雄。 群馬県山田郡大間々町(現・みどり市)に生まれる。群馬県立桐生高等学校卒業、群馬大学医学部中退。その後、早稲田大学に転じ、囲碁部で村上文祥と同期生となる。1955年に早稲田大学商学部を卒業、日本棋院の『棋道』誌編集部に所属し、編集長だった宇崎玄々子に師事。『棋道』で記事を書いた他、東京新聞、産経新聞で牧伸太郎の筆名で観戦記を執筆。 宇崎玄々子の引退後、1960年より朝日新聞観戦記者となり、囲碁・将棋ともに観戦記を執筆した(将棋は「龍」名義)。
田村 英之助(たむら えいのすけ、1931年〈昭和6年〉3月… 田村 英之助(たむら えいのすけ、1931年〈昭和6年〉3月4日 - )は、日本の英文学者、詩人。専門はイギリス・ロマン派。立教大学名誉教授。筆名は中崎 一夫。 1931年群馬県桐生市生まれ。1950年群馬県立桐生高等学校を卒業。1954年東京大学文学部英文科卒業[要出典]。1957年同大学院英語英文学研究課程修了。修士号を取得。茨城大学文理学部講師、中央大学法学部助教授、教授[要出典]、1977年立教大学文学部英米文学科教授。1996年定年退任、名誉教授[要出典]。中崎一夫の筆名で詩や児童書の翻訳を書いた。
常見 忠(つねみ ただし、1930年11月11日 - 201… 常見 忠(つねみ ただし、1930年11月11日 - 2011年11月30日)は、日本の元プロ野球選手、釣り師。群馬県桐生市出身。
大野 明男(おおの あきお、1930年〈昭和5年〉9月12日… 大野 明男(おおの あきお、1930年〈昭和5年〉9月12日 - )は、日本の思想家、社会運動家。社会評論家。 東京生まれ。旧制東京都立第三中学校、東京陸軍幼年学校、旧制群馬県立桐生中学校、旧制浦和高等学校を経て、東京大学に入学。東京大学教養学部の学生自治会委員長としてレッドパージ反対闘争を指揮し、退学処分を受ける。東大を中退後、東大生協、業界紙記者を経てフリーになる。自らの全学連(全日本学生自治会総連合)の経験を踏まえた学生運動や世代論に関する発言を中心に新中間層、経済、経営の分野に及ぶ幅ひろい評論活動を展開する。兄の評論家・大野力と共に思想の科学研究会を活動の拠点とし、思想の科学研究会の事務局長、会長もつとめた。
石川 信義(いしかわ のぶよし、1930年〈昭和5年〉8月2… 石川 信義(いしかわ のぶよし、1930年〈昭和5年〉8月20日 - 2020年〈令和2年〉7月2日 )は、日本の精神科医。三枚橋病院創設者。 群馬県桐生市生まれ。旧制・群馬県立桐生中学校、海軍兵学校(78期)、旧制・第二高等学校を経て、1952年(昭和27年)に東京大学経済学部を卒業後、安田生命保険(現・明治安田生命保険)に入社。しかし、医者になるため数年で退社し東京大学医学部に入学。スキー山岳部に所属していた1961年(昭和36年)には、第5次南極地域観測隊に参加した。 1962年(昭和37年)に東京大学を卒業後、精神科医となり、東京大学医学部附属病院神経科、東京都立松沢病院に勤務。同病院には4年ほど勤務するが、このうち、1年間はライシャワー事件を起こした青年の主治医を務めた。
庭山 英雄(にわやま ひでお、1929年〈昭和4年〉1月1日… 庭山 英雄(にわやま ひでお、1929年〈昭和4年〉1月1日 - 2017年〈平成29年〉7月11日)は、日本の法学者(刑事訴訟法・冤罪事件)、弁護士。法学博士。「狭山事件の再審を求める市民の会」代表。 群馬県伊勢崎市生まれ。旧制群馬県立桐生中学校、学習院高等科を経て、1960年京都大学法学部を卒業。1963年一橋大学大学院法学研究科刑事法学修士課程修了、1966年同博士課程満期退学。指導教官は植松正。1979年「民衆刑事司法の動態の研究」で法学博士(京都大学)の学位を取得。 1966年中京大学法学部助教授、1971年同教授、1981年から1983年まで同学部長。1983年から香川大学法学部教授、1985年から1987年まで同学部長。
斎藤 宏(さいとう ひろし、1928年11月27日 - 20… 斎藤 宏(さいとう ひろし、1928年11月27日 - 2011年12月17日[要出典])は、群馬県出身の元プロ野球選手。ポジションは三塁手。 桐生中学三年秋終了後に予科練に志願し、学校を中退。戦後、桐生中学出身者が中心として結成された全桐生を経て、1950年に東急フライヤーズに入団。1年目から三塁手のレギュラーを獲得し、118試合に出場した。1952年には108試合に出場し、打率.301とチームの中でトップとなる打率を記録し、リーグでも7位の記録だった。翌年も100試合以上の試合に出場するが打撃成績は振るわず、1955年は12試合しか出場できずこの年に引退した。 引退後はジャニーズ事務所に社員として在籍したが、プロ野球選手経験を買われ、フジテレビジョンの手を離れた後も引き続き同社傘下で活動を継続した女子野球クラブチーム『ニューヤンキース』の3代目監督を務めていた。
常見 昇(つねみ のぼる、1928年3月30日 - 2005… 常見 昇(つねみ のぼる、1928年3月30日 - 2005年11月16日)は、群馬県桐生市稲荷町出身の元プロ野球選手。1954年の登録名は常見泰生。「常見三兄弟」の次男であり、兄の常見茂、弟の常見忠も桐生中、東急フライヤーズに在籍している。 桐生中学では1940年の選抜、1941年夏の甲子園(戦局の悪化により中止)に出場。4学年上には兄・茂や中村栄、深沢督、3学年上に木暮力三、2学年上に池田力、1学年上に木暮英路、1学年下には斎藤宏が在籍していた。 桐生中学卒業後は野球部OBである皆川定之との関係で、タイガース入りが内定していたが、軍事徴用されたために契約破棄をせざるを得なくなった。徴用先の小学校代用教諭として1年勤務した後、終戦を迎える。
森 菊蔵(もり きくぞう、1927年〈昭和2年〉5月4日 -… 森 菊蔵(もり きくぞう、1927年〈昭和2年〉5月4日 - 1997年〈平成9年〉1月21日)は昭和・平成期日本の詩人、作詞家、ラジオパーソナリティ。日本詩人クラブ会員。 別名義に槍 一之(やり かずゆき)がある。 群馬県桐生市出身。旧制桐生中学校を経て、慶應義塾大学在学中より地元の群馬2区選出であった衆議院議員・長谷川四郎の秘書を務める。福田正夫の知遇を得て主観社文学会へ入会し、後に『日本詩壇』復刊へ参加した。1955年(昭和30年)、詩集『背後』を刊行。 詩人として活動する傍ら日本抵抗器工業振興会事務局長やNETテレビ番組企画委員を務め、1965年(昭和40年)に株式会社東京企画を設立して以降はいわゆる「代議士ソング」や市町村歌、音頭の企画を精力的に売り込んでいた。
木暮 英路(こぐれ えいじ、1927年1月30日 - )は、… 木暮 英路(こぐれ えいじ、1927年1月30日 - )は、群馬県桐生市出身の元プロ野球選手。巨人などでプレーした木暮力三は実兄。 桐生中学から1944年に阪急軍へ入団。投手兼内野手としてプレーする。 終戦後はアマチュアの全桐生でプレーし、1950年に西鉄クリッパースでプロ復帰。同年で退団し、その後は大生相互銀行でプレーした。