スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
樽井 修(たるい おさむ、1975年5月28日 - )は、日… 樽井 修(たるい おさむ、1975年5月28日 - )は、日本の実業家、ギャグ作家、芸能事務所社長、ライブハウス経営者、イベントプロデューサー、テレビプロデューサー、映画プロデューサー、ご当地ヒーロープロデューサー、ライブアイドルプロデューサー、ダンススクール&パルクール教室オーナー、「株式会社AIFエンターテインメント」代表取締役社長、川口市商工会議所会員。吉本興業NSC東京校2期生、元ピン芸人「バカ田バカ男」、元マジシャン「松旭斎ばか男」。兵庫県西宮市出身、神戸市北区育ち、兵庫県立神戸商業高等学校卒業。 兵庫県西宮市出まれ、神戸市北区育ち。神戸市立筑紫が丘小学校、神戸市立歌敷山中学校、兵庫県立神戸商業高等学校を卒業。
丸谷 聡子(まるたに さとこ、1963年5月15日 - )は… 丸谷 聡子(まるたに さとこ、1963年5月15日 - )は、日本の政治家。兵庫県明石市長(1期)。元明石市議会議員(2期)。 兵庫県神戸市出身。1982年、兵庫県立神戸商業高等学校卒業。兵庫県国民健康保険団体連合会に勤務。1984年、武庫川女子大学短期大学部第二部国文科に入学。1991年、明石市へ転居。 2009年4月、同志社大学大学院総合政策科学研究科に入学。2010年4月、兵庫県加西市地域交流センターに臨時職員として勤務。2011年9月、修士学位取得。 2015年4月に行われた明石市議会議員選挙に無所属で立候補し、初当選。2019年、再選。 2022年12月24日、任期満了での退任を表明している明石市長の泉房穂は記者会見し、2023年4月実施の市議会議員選挙に、自身が代表を務める政治団体「明石市民の会」から候補者を擁立すると発表した。
片桐 千里(かたぎり ちさと、1958年10月18日 - )… 片桐 千里(かたぎり ちさと、1958年10月18日 - )は、日本の女優。兵庫県神戸市出身。10代から舞台で主役を演じる。劇団四季、劇団民藝、プロダクション・タンク、シネマクト、エビス大黒舎を経て、2022年〜フリーで活動 1968年-1977年 渡バレエ学校にてバレエを習う。 1976年4月-1977年4月 兵庫県立神戸商業高等学校在学中から、CHK 中央放送研究会、松竹芸能タレント養成所などに通う。 1977年 兵庫県立神戸商業高等学校を卒業後、1977年4月-1978年7月劇団四季付属研究所に入所(15期)。 1979年-1995年 劇団民藝に入団、滝沢修に師事する。 1987年-1988年 スウェーデン王立演劇学校にプロの役者の為のWorkshopに参加。
王 一郎(おう いちろう、1942年5月 14日 - )は、… 王 一郎(おう いちろう、1942年5月 14日 - )は、兵庫県神戸市出身 の実業家。北海道函館市を中心としたハンバーガーショップチェーン・ラッキーピエロの創業者である。 両親は神戸市で呉服商や化粧品店を営んでいた華僑。兵庫県立神戸商業高等学校卒業後、千葉で叔父の仕事を手伝う。21歳で独立して中華料理店を経営した後、27歳より函館に移住。パブを数店経営したのち、1987年にラッキーピエロ1号店・函館ベイエリア本店を開店した。看板メニューの「チャイニーズチキンバーガー」は年間55万食を超える人気を誇り、ご当地バーガーとして認知されている。経営理念は「愛を込めた社員教育とお客様主導の顧客満足型経営」。
置塩 信雄(おきしお のぶお、1927年1月2日 - 200… 置塩 信雄(おきしお のぶお、1927年1月2日 - 2003年11月8日)は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授。専門はマルクス経済学、理論経済学。神戸大学経済学博士。神戸市兵庫区出身。 神戸経済大学では、数理経済学の水谷一雄に師事。学部時代には、マルクス経済学の講義を受けた事はなく、『資本論』を一人で読む程度であった。1950年に卒業と同時に新制神戸大学の助手として迎えられる。卒業直後から1年間、サナトリウム(近江八幡市の近江兄弟社が経営する結核療養所)で療養中にジョン・ヒックス『価値と資本』を研究するが、同時期に近代経済学の研究を続ける事に疑問を感じ、マルクス経済学への関心を深める。 置塩の処女作は『再生産の理論』(1957年)である。
谷 洋一(たに よういち、1926年〈大正15年〉12月1日… 谷 洋一(たに よういち、1926年〈大正15年〉12月1日 - 2011年〈平成23年〉10月24日) は、日本の政治家。勲章は勲一等旭日大綬章。正三位。 農林水産大臣(第30代)、北海道開発庁長官(第56代)、沖縄開発庁長官(第25代)、衆議院議員(9期)、兵庫県議会議員(2期)等を歴任した。 息子は第100代国家公安委員会委員長、衆議院議員の谷公一。 兵庫県美方郡村岡町(現香美町)生まれ。兵庫県立第一神戸商業学校(現兵庫県立神戸商業高等学校)卒業。28歳で町議会議員に初当選し、町議を3期、町長・兵庫県議会議員を2期ずつ務める。1976年、第34回衆議院議員総選挙に旧兵庫県第5区から自由民主党公認で立候補し、当選。
島尾 敏雄(しまお としお、1917年(大正6年)4月18日… 島尾 敏雄(しまお としお、1917年(大正6年)4月18日 - 1986年(昭和61年)11月12日)は、日本の小説家。日本芸術院会員。 大学卒業後に海軍予備学生に志願し第十八震洋特攻隊隊長として、奄美群島加計呂麻島に赴任。1945年8月13日に特攻戦が発動され、出撃命令を受けたが発進の号令を受けぬまま即時待機のうちに終戦を迎えた経験を持つ。「ヤポネシア」という概念を考案したことでも知られる。 作品は超現実主義的な『夢の中での日常』などの、戦争中の体験を描いた作品群、『出発は遂に訪れず』などの作品群、さらに家庭生活を描いた『死の棘』などの作品群に大別される。また、小説作品との決定的な差異はないとされる日記や、紀行文など記録性の高いテキスト群や南島論なども多く書き続けた。
千葉 泰樹(ちば やすき、1910年(明治43年)6月24日… 千葉 泰樹(ちば やすき、1910年(明治43年)6月24日 - 1985年(昭和60年)9月18日)は、日本の映画監督。 清国時代の満洲・長春出身。1928年(昭和3年)に兵庫県立神戸商業学校を卒業後、阪妻立花ユニヴァーサル聨合映画に助監督として入社。翌1929年(昭和4年)に河合映画巣鴨撮影所に移籍して、1930年(昭和5年)に『蒼白き人々』で監督デビューする。 初期は時代劇映画を多く撮り、富国映画社、台湾プロダクションを経て、日活入社。この頃から現代劇も多く手掛けるようになり、更に南旺映画に移ってスラム街に住む日本人職工と在日朝鮮人との交流を描く問題作『煉瓦女工』を手掛ける。この作品は検閲で不許可となり、更に南旺映画解体の原因ともなる(映画は終戦後の1946年(昭和21年)に公開)。
吉田 貫三郎(よしだ・かんざぶろう、1909年 - 1945… 吉田 貫三郎(よしだ・かんざぶろう、1909年 - 1945年)は、昭和時代前期の挿絵画家。本名は貫一。 兵庫県明石市出身。1928年(昭和3年)に神戸商業学校を卒業し、一時は電気会社の会計などをしていたが、在学中から凝っていた漫画の投稿に力を入れ、漫画雑誌『月刊マンガ・マン』で入選したのをきっかけに、1929年(昭和4年)に上京。同年、同誌の版元である東京漫画新聞社に入社する。1932年(昭和7年)から横山隆一、近藤日出造、矢崎茂四を中心とする新漫画派集団に加わり、当初は漫画家として活動していた。1933年(昭和8年)頃より『新青年』などで小説の挿絵を描くようになり、怪奇推理小説から現代小説、時代小説の挿絵まで幅ひろく手がけた。
山本 正信(やまもと まさのぶ、1905年10月25日 - … 山本 正信(やまもと まさのぶ、1905年10月25日 - 1984年6月4日)は、日本の柔道家(講道館9段、大日本武徳会教士)。 選手として戦前の全日本選士権大会で連覇を達成したほか昭和天覧試合や明治神宮大会等でも活躍し、指導者としては出身地の兵庫県にて各学校や警察の柔道師範を務めるなど、昭和時代の柔道界を牽引した柔道家の1人であった。 兵庫県神戸市に生まれ、小学校5年次より大日本武徳会兵庫支部にて田辺又右衛門(不遷流)や小角弥三次(天神真楊流)らの元で柔道を始めた。小角の訓えである「稽古中は絶対に休むな」「どんなに強い相手でも全力を傾倒して倒しにいけ」を子供ながら忠実に守り、これを実行したという。
北條 秀一(北条、ほうじょう しゅういち / ひでいち、19… 北條 秀一(北条、ほうじょう しゅういち / ひでいち、1904年(明治37年)5月31日 - 1992年(平成4年)8月23日)は、日本の実業家、政治家、郷土史家。引揚者団体全国連合会理事長、参議院議員(1期)、衆議院議員(1期)、日本国有鉄道顧問。 兵庫県城崎郡竹野村(現豊岡市竹野町竹野)の宮大工の家に生まれる。竹野小学校を経て、1924年神戸商業学校を卒業し、東京商科大学(現一橋大学)予科に入学。大学では自治組織の一橋会総務理事を務めたが、1929年に大山郁夫へ献金を行ったとして逮捕された。1930年大学卒業。同年南満洲鉄道に入社。1932年、満鉄調査部経済調査会に配属される。参与兼総務課長を経て、理事に就任。
小宮 孝(こみや たかし、1902年11月15日 - 197… 小宮 孝(こみや たかし、1902年11月15日 - 1975年11月16日)は、日本の経済学者。関西学院高等商業学部教授、関西学院大学経済学部教授、同学院院長などを歴任した。 神奈川県横浜市出身。兵庫県立神戸商業学校(現:兵庫県立神戸商業高等学校)、第一神港商業学校(現:神戸市立神港高等学校)を経て、1929年(昭和4年)に、東京商科大学(現:一橋大学)卒業後、関西学院高等商業学部(のちの関西学院高等商業学校、現関西学院大学経済学部・商学部)の経済学担当教授に就任した。 関西学院初代教職員組合長、初代宗教活動委員会委員長を経て、1950年(昭和25年)から1954年(昭和29年)まで関西学院大学経済学部長を務めるなどし、関西学院におけるキリスト教活動の活性化及び民主化に尽力した。
古林喜楽(こばやし よしもと、1902年5月26日 - 19… 古林喜楽(こばやし よしもと、1902年5月26日 - 1977年1月11日)は、日本の経営学者。学位は、経営学博士(神戸大学・論文博士・1953年)(学位論文「賃銀形態の研究」)。神戸大学名誉教授。第2代神戸大学学長。「経営労務論研究のパイオニア」と評される。 岩手県一関市出身。兵庫県立神戸商業学校、神戸高等商業学校(現・神戸大学)を経て、1927年京都帝国大学経済学部を卒業した。 卒業後は和歌山高等商業学校講師となり、1928年に教授に昇進する。 1931年、神戸商業大学附属商学専門部教授に転じ、神戸商業大学助教授(1932年)を経て、1940年に教授に昇進した(1944年に大学名の変更で神戸経済大学教授)。
金 俊熙(キム・ジュニ、朝鮮語: 김준희、1902年 - 没… 金 俊熙(キム・ジュニ、朝鮮語: 김준희、1902年 - 没年不詳)は、大韓民国の政治家。第2代韓国国会議員。 全羅北道鎮安郡生まれ。兵庫県立神戸商業高等学校卒。三和商業会社重役、大東化学工業会社代表、大韓青年団(朝鮮語版)鎮安郡団長、大韓国民党中央執行委員、醸造業経営者、第2代国会議員などを務めた。朝鮮戦争の際に拉致されたという情報もあるが、自由党に移籍した後、族青系という理由で除名され、1967年時点で民主共和党に所属しながら実業を商っていた。以後不明。 1952年11月13日の第14回第20次国会本会議の商工会議所法案第2読会において、本法案は時期尚早であると指摘した。
浜崎 真二(はまざき しんじ、1901年12月10日 - 1… 浜崎 真二(はまざき しんじ、1901年12月10日 - 1981年5月6日)は、広島県呉市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 現役時代は阪急ブレーブスに在籍。選手兼任監督として日本プロ野球史上最高齢公式戦出場記録を2014年9月5日に山本昌(中日)に破られるまで、64年間にわたり保持していた。また、身長は150cmから160cmまでいくつかの説があり、日本プロ野球史上最も背の低い選手とされることがある。 実弟・浜崎忠治も鶴岡一人らと広島商業で高校野球夏春連覇したときの選手(投手・内野手)で、その後審判として平和台事件の球審を務め、歴史的判断を下したことでも知られる。 呉海軍工廠で働く人達が家を建てた呉市西の山の手・三津田の生まれ。
一井 保造(いちい やすぞう、1898年5月22日 - 19… 一井 保造(いちい やすぞう、1898年5月22日 - 1985年3月27日)は、日本の実業家。三井船舶社長や、同社会長、日本船主協会会長などを務めた。 兵庫県神戸市で生糸商伊藤商店の三男として生まれる。のち篠山藩士一井家に養子入りする。兵庫県立神戸商業学校(現兵庫県立神戸商業高等学校)、神戸高等商業学校(現神戸大学)を経て、1923年旧制東京商科大学(現一橋大学)卒業。上田貞次郎ゼミ出身。大学同期に中山伊知郎がいる。 大学卒業後兼松入社。のち三井物産入社。1946年から三井船舶社長を務め、同社を日本郵船とならぶ海運業大手に成長させた。1951年東京水上防火協会初代会長。1954年造船疑獄により逮捕されるが釈放される。
川西 英(かわにし ひで、Hide Kawanishi、18… 川西 英(かわにし ひで、Hide Kawanishi、1894年7月9日 - 1965年2月20日) は日本の版画家、画家。本名は川西英雄。 1894年(明治27年)、兵庫県神戸市兵庫区東出町に回船・穀物問屋の七男として生まれる。1915年(大正4年)、神戸商業学校を卒業後、家業を継ぐ。1922年(大正11年)からは兵庫東出郵便局長を務めた。画家を志した時期についての資料は見つかっていないが、16歳のとき(1910年)に『セシル・アルディン作品の模写』(京都国立近代美術館蔵)を描いている。木版画は山本鼎の作品をみて志したとされ、1920年代より長らく国画会と日本版画協会を主な活動の場とした。1937年(昭和12年)に出版された『神戸百景』はエキゾチックな都市風景と風俗を描いた作品で、彼の代表作である。
野坂 参三(のさか さんぞう、1892年〈明治25年〉3月3… 野坂 参三(のさか さんぞう、1892年〈明治25年〉3月30日 - 1993年〈平成5年〉11月14日)は、日本の政治家、共産主義者。衆議院議員(3期)、参議院議員(4期)。コミンテルン(共産主義インターナショナル)日本代表、日本共産党の第一書記、議長、名誉議長などを務めたが、大粛清時代に同志の山本懸蔵らをNKVDに讒言密告して死刑に追いやっていたことが最晩年になって発覚し、日本共産党から除名された。初名は小野 参弎(おの さんぞう)。中国では岡野 進や林 哲とも称した。ペンネームは野坂鉄嶺、野坂鉄など。 山口県萩市の商家に生まれる。3月30日生まれだったため参弎と名付けられた。9歳で母の実家である野坂家の養子となり、野坂姓となる。
村上 義温(むらかみ よしあつ、1889年(明治22年)4月… 村上 義温(むらかみ よしあつ、1889年(明治22年)4月22日 - 1954年(昭和29年)10月20日)は、日本の外交官。駐ペルー公使。 石川県出身。1910年(明治43年)、神戸商業高等学校(現在の神戸大学)を卒業し、翌年に外交官及領事官試験に合格した。上海に領事官補として赴任し、以後大使館三等書記官、領事・関東都督府事務官、外務事務官・帝都復興院書記官などを歴任し、その間、長春、南京、ニューヨーク、イギリスに勤務した。1924年(大正13年)より香港総領事、ハンブルク総領事を務め、1931年(昭和6年)からはトルコ大使館参事官となった。1933年(昭和8年)に駐ペルー公使に任命され、1935年(昭和10年)からは駐エクアドル公使を、1936年(昭和11年)からは駐ボリビア公使を兼ねた。
雀部 昌之介(ささべ まさのすけ、1887年12月4日 - … 雀部 昌之介(ささべ まさのすけ、1887年12月4日 - 1977年4月30日)は、日本の経営者。兵庫県出身。 1907年に神戸商業学校を卒業し、同年3月に阪東調帯護謨(現在のバンドー化学)に入社。1937年1月に取締役に就任し、1952年12月には社長に就任。1962年5月に会長を経て、1970年6月には相談役に就任。 1956年に藍綬褒章を受章し、1965年に勲五等双光旭日章を受章。 1977年4月30日老衰のために死去。89歳没。
小寺 謙吉(こでら けんきち、1877年〈明治10年〉4月1… 小寺 謙吉(こでら けんきち、1877年〈明治10年〉4月14日 - 1949年〈昭和24年〉9月27日)は、日本の政治家、学校経営者。衆議院議員、第11代神戸市長。博士(Doctor of Civil Law、 コロンビア大学)。 1877年旧三田藩士・小寺泰次郎の長男として神戸市生田区(現中央区)所在の小寺邸(現相楽園)に生まれる。1894年(明治27年)兵庫県立神戸商業学校 卒業、1896年(明治29年)杉浦重剛の称好塾に学んだのち、1897年(明治30年)米国に留学し、コロンビア大学で法律を、ジョンズ・ホプキンス大学で政治学を学び、更にヨーロッパのハイデルベルク大学、ウィーン大学、ジュネーブ大学で政治・法律学を修めた。
川西 和露(かわにし わろ、1875年(明治8年)4月20日… 川西 和露(かわにし わろ、1875年(明治8年)4月20日 - 1945年(昭和20年)4月1日)は日本の俳人、俳書収集家。本名は徳三郎。 兵庫県神戸市に生まれる。兵庫県立神戸商業高等学校卒業後、鉄材商を営む。俳句は河東碧梧桐に師事。俳誌「阿蘭陀渡」を創刊。句集に「和露句集」がある。碧梧桐主宰の俳誌『海紅』に創刊号から参画した。
谷口 武一郎(たにぐち たけいちろう、1871年11月10日… 谷口 武一郎(たにぐち たけいちろう、1871年11月10日(明治4年9月28日) - 1923年(大正12年)9月19日)は、日本の実業家。第2代三井物産船舶部(現商船三井)部長。 兵庫県出身。1889年神戸商業学校(現兵庫県立神戸商業高等学校)卒業、三井物産入社。長崎支店長、本店参事、船舶部長、奉天出張所長兼奉天日本人商業会議所会頭、牛荘出張所長兼牛荘日本実業会会長等を歴任した。 妻カノ[旧制 坂]明治31年11月9日没(享年26歳)長男武彦。後妻のカメは医師呉来安の二女。神戸商工会議所議員等を務めた谷口茂雄は弟で、その妻は日本燐寸製造創業者直木政之介の三女恊。
村瀬 春雄(むらせ はるお、1871年5月18日(明治4年3… 村瀬 春雄(むらせ はるお、1871年5月18日(明治4年3月29日) - 1924年(大正13年)4月9日)は、日本の保険学者、実業家。法学博士。族籍は兵庫県平民。 日本の海上保険学の祖とされる。東京高等商業学校(現一橋大学)教授や帝国海上保険副社長を歴任し、独自の保険学を確立するとともに、多くの後進を育てた。申酉事件で母校防衛に尽力し、没後キャンパス内に胸像が設置された。 東京で生まれた。旧福井藩士・関戸由義の二男。兵庫県神戸市北長狭通出身。父である関戸由義は福沢諭吉の知人で、自家の屋敷内で福沢らが神戸商業講習所を設立。1883年、東京府平民・村瀬さだの死跡を相続する。 神戸商業講習所が改組された兵庫県立神戸商業学校(現兵庫県立神戸商業高等学校)を5回生として卒業後、1886年高等商業学校(現一橋大学)に入学。
水島 銕也(みずしま てつや、元治元年6月29日(1864年… 水島 銕也(みずしま てつや、元治元年6月29日(1864年8月1日) - 昭和3年(1928年)11月2日)は、神戸高等商業学校(神戸大学の前身)の創立者、初代校長。雅号「愛庵」。 豊前国中津藩藩士の長男として生まれる。幼少期に両親が離婚。さらに14歳のときに叔父が西南戦争で西郷軍に味方し、鹿児島で戦死。そのことに衝撃を受けた父が急死する。そのため姫路の伯父の家に引き取られた。 城東小学校から旧制姫路中学校(現兵庫県立姫路西高等学校)に入学。野口ゆからとともに姫路中学の1期生の1人だった。同校卒業後、工部大学(現東京大学工学部)への進学を希望していたが、伯父の「同郷の中津出身者が多い学校の方が良いだろう」という言葉に影響を受け、1881年に神戸商業講習所(現兵庫県立神戸商業高等学校)へ入学した。
坪野 平太郎(つぼの へいたろう、1859年8月31日(安政… 坪野 平太郎(つぼの へいたろう、1859年8月31日(安政6年8月4日)- 1925年(大正14年)5月29日)は、日本の教育者、政治家。第2代神戸市長(在任:1901年5月27日 - 1905年3月17日)。号は南陽(なんよう)。石川県出身。 1859年(安政6年)、石川県に生まれる。1886年(明治19年)に東京帝国大学法科卒業。病気療養のために安房郡北条(現:千葉県館山市)に滞在する。北条滞在中は同地に英語学校を開校し、英語やテニスを教えた他、房州が避暑避寒、海水浴に最適であることを全国に紹介したといわれる。その後は外交官(中国副領事)、逓信省参事官、逓信大臣(後藤象二郎)秘書官、神戸郵便電信局長、日本貿易銀行支配人、兵庫県立商業学校(後の兵庫県立神戸商業高等学校)校長を経て、1901年(明治34年)に第2代神戸市長に就任した。