坪野 平太郎(つぼの へいたろう、1859年8月31日(安政6年8月4日)- 1925年(大正14年)5月29日)は、日本の教育者、政治家。第2代神戸市長(在任:1901年5月27日 - 1905年3月17日)。号は南陽(なんよう)。石川県出身。 1859年(安政6年)、石川県に生まれる。1886年(明治19年)に東京帝国大学法科卒業。病気療養のために安房郡北条(現:千葉県館山市)に滞在する。北条滞在中は同地に英語学校を開校し、英語やテニスを教えた他、房州が避暑避寒、海水浴に最適であることを全国に紹介したといわれる。その後は外交官(中国副領事)、逓信省参事官、逓信大臣(後藤象二郎)秘書官、神戸郵便電信局長、日本貿易銀行支配人、兵庫県立商業学校(後の兵庫県立神戸商業高等学校)校長を経て、1901年(明治34年)に第2代神戸市長に就任した。
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