スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
安里 琉太(あさと りゅうた、1994年3月23日 - )は… 安里 琉太(あさと りゅうた、1994年3月23日 - )は、俳人。本名は安里恒佑。沖縄県与那原町出身。『群青』『滸』同人。俳人協会会員、沖縄県俳句協会会員。 沖縄県立首里高等学校在学中の2010年に俳句部に入部して創作を始め、俳句甲子園全国大会にも出場した。首里高等学校は2010年の第13回俳句甲子園では準優勝を果たした。沖縄県立首里高等学校から琉球大学法文学部を経て、法政大学大学院国際文化研究科を修了した。海城中学高等学校で教鞭を取り、俳句部の指導にあたっていた。2021年より沖縄に帰郷し、興南高等学校教諭。 2012年の琉球大学俳句研究会「a la carte(アラカルト)」発足と同時に幹事となる。
仲村 美涼(なかむら みすず、1993年7月22日 - )は… 仲村 美涼(なかむら みすず、1993年7月22日 - )は、琉球放送のアナウンサー。 沖縄県那覇市出身。那覇市立安岡中学校、沖縄県立首里高等学校、琉球大学法文学部卒業[リンク切れ]。高校在学中には、全国高等学校文芸コンクール第25回俳句部門で優良賞を受賞した。 大学を卒業後、2016年に琉球放送に入社。2022年1月3日のアップ!!番組中に、大学時代に知り合った奈良県の一般人男性と遠距離恋愛の後、2021年12月31日に入籍したことを発表した。
稲福 高廣(いなふく たかひろ、Takahiro Inafu… 稲福 高廣(いなふく たかひろ、Takahiro Inafuku、1992年7月7日 - )は、日本の作曲家、編曲家、ピアニスト。株式会社福プロダクション 代表取締役 社長。 沖縄県那覇市首里出身。沖縄県立首里高等学校、東京音楽大学作曲科卒業。小学生時代に放映されていた宮崎駿監督作品『千と千尋の神隠し』の音楽に強く影響を受け作曲家を目指す。音楽大学在学時より精力的に作曲家のアシスタント活動を通し映画音楽などの劇伴作品に魅力を感じる。作編曲活動の他にも、2022年1月より作家事務所『福プロダクション』代表を務め、作曲家・アーティストの育成にも精力的に取り組んでいる。
赤嶺総理(あかみねそうり、1991年3月1日 - )は、日本… 赤嶺総理(あかみねそうり、1991年3月1日 - )は、日本のお笑い芸人、放送作家。吉本興業所属。NSC東京校19期生。 沖縄県那覇市出身。沖縄県立首里高等学校卒、琉球大学法文学部人間科学科中退。 当初は、金城ジョーと「すぽっと」というコンビを組んでいたが解散し、2016年以降はピンで活動。 ネタは主にフリップ芸。大喜利が得意なことで知られている。 中3(14歳)の頃に、週刊少年ジャンプの読者投稿コーナー『じゃんぷる』に試しに送った一枚が採用され、50円のハガキが「500円のQUOカード」になったことがキッカケとなり、優勝すれば「ゲーム機」がもらえると思い、本格的にハガキ投稿を始めたという。翌年、同コーナー『ジャンプ魂』初代王者となる。
仲間 りょう(なかま りょう、本名:仲間亮、 (1990-0… 仲間 りょう(なかま りょう、本名:仲間亮、 (1990-08-29) 1990年8月29日(35歳) - )は、日本の漫画家。男性。沖縄県宮古島市出身。沖縄県立芸術大学中退。 1990年、現在の沖縄県宮古島市で生まれる。2010年、砂漠に住む未来の人間を描いた『ヒルコネトロ』で第22回黒潮マンガ大賞(高知新聞)入選。2012年2月、本気で漫画家を志すために、那覇市の実家から通っていた沖縄県立芸術大学を中退する。中退後約1年間はストーリー漫画を描いていたが、「何か違うな」と思いギャグ漫画を描くようになる。 アルバイトで資金を貯め、2013年1月に上京。2013年3月に仲間が初の持ち込みで読切『磯部磯兵衛物語〜浮世はぬるいよ〜』を持ち込み週刊少年ジャンプ編集部で評価される。
首里のすけ(しゅりのすけ、1989年12月21日 - )は、… 首里のすけ(しゅりのすけ、1989年12月21日 - )は、日本のコメディアン。お笑いコンビしんとすけのツッコミ担当。新春!oh笑い O-1グランプリ2023チャンピオン。所属事務所であるオリジン・コーポレーションの代表を務める。
山田 真理子(やまだ まりこ、1986年4月19日 - )は… 山田 真理子(やまだ まりこ、1986年4月19日 - )は、沖縄県を拠点に活動している日本のフリーアナウンサー。キャラOKINAWA所属。 沖縄県那覇市首里石嶺町出身。沖縄県立首里高等学校卒業。沖縄キリスト教短期大学に進学した後、2007年に琉球大学法文学部に編入学した。大学在学中、2008年から2009年までラジオ沖縄のリポーターとして活動していた。 大学を卒業後、2009年から2013年までNHK沖縄放送局の契約キャスターを務めた。 NHKとの契約の終了後、2013年4月からフリーアナウンサーとして活動。沖縄県内で主にラジオパーソナリティとして活動しているほか、披露宴やイベントの司会、KEE'Sアナウンススクール沖縄校の講師も務めている。
伊是名 夏子(いぜな なつこ、1982年〈昭和57年〉4月2… 伊是名 夏子(いぜな なつこ、1982年〈昭和57年〉4月27日- )は、日本のコラムニスト。 沖縄生まれ、沖縄育ち。生後間もなく骨形成不全症の障害があることが分かる。養護学校、沖縄県立首里高等学校を経て、2001年早稲田大学第一文学部入学。2006年に卒業後、那覇市の小学校英語指導員などを経て、2013年に香川大学大学院教育学研究科修了。 2010年、NHKアナウンサーの中野淳と事実婚。2013年、長男出産を機に入籍。2015年、長女を出産。2019年にペーパー離婚を選び事実婚に戻る。 2010年よりコラムニストとしても活動し、障害者の日常や子育てについて琉球新報や東京新聞・中日新聞・ハフポストなどに寄稿。
佐久本 浩志(さくもと ひろし、1982年1月11日 - )… 佐久本 浩志(さくもと ひろし、1982年1月11日 - )は、沖縄テレビ放送(OTV)アナウンサー。身長177cm。
小林 真樹子(こばやし まきこ、1978年9月21日 - )… 小林 真樹子(こばやし まきこ、1978年9月21日 - )は、関西地方を中心に活動するフリーアナウンサーで、元・琉球放送(RBC)アナウンサー。 沖縄県立首里高等学校を経て2001年(平成13年)桜美林大学卒業後にRBC入社。地上デジタル放送推進大使を務めた。 RBCアナウンサーが「てぃーだネット」上にて展開しているブログの中では、アクセスが一番多い。しかし、一度本人のミスでブログを削除してしまい、復活はしたもののまた一から始めた事があった。一部ネット掲示板上では「こばまき」や「まきタン」と呼ばれている。RBCテレビでも年に数回放送される、JNN系列の女子アナウンサーが集まる番組においては、小林がRBC代表として出ることが多かった。
漢那 邦洋(かんな くにひろ、1977年7月25日 - )は… 漢那 邦洋(かんな くにひろ、1977年7月25日 - )は、ラジオパーソナリティ。沖縄県那覇市出身。首里高校、沖縄国際大学商経学部経済学科卒業。 スポーツ全般、特に野球とテニスの造詣が深い。高校ではテニス部に所属しており、よくコアラのTシャツを着て練習に励んでいた。 趣味は麻雀。好きなものはドリフ。 エフエム沖縄のドライバーを経て、RBCiラジオレポーター、ラジオパーソナリティへと至る。 下記すべてRBCiラジオに出演
石嶺 聡子(いしみね さとこ、1975年10月3日 - )は… 石嶺 聡子(いしみね さとこ、1975年10月3日 - )は、日本の女性歌手、シンガーソングライター。沖縄県那覇市出身。 1975年10月3日、沖縄県那覇市に三人姉妹の三女として生まれる。ビートルズやカーペンターズ等の洋楽から、レベッカやUNICORN等の邦楽まで、様々な音楽が溢れる音楽好きの家庭に育つ。10歳頃からプロの歌手を夢見るようになる。 1992年9月、首里高校2年生時に琉球放送代表として出場した「第16回長崎歌謡祭」で「石狩挽歌」を歌ってグランプリを獲得したのを機に、東芝EMI(当時)のプロデューサー・篠木雅博にスカウトされる。高校卒業後に上京すると間もなく、ボイストレーニングとダンスと英会話のレッスンのためにアメリカ・ロサンゼルスに留学。
nacil(ナシル、1975年7月7日 - )は日本の女性シ… nacil(ナシル、1975年7月7日 - )は日本の女性シンガーソングライター、ラジオパーソナリティ。沖縄県那覇市出身。三線を弾きながら自作のポップスを歌うスタイルが得意で、沖縄関連のライブイベントでは司会を任されることも多い。また「鉄子」(鉄道ファン)を自認し、鉄道関連イベントにも出演をしている。 沖縄県立首里高等学校(同級生に石嶺聡子がいる)、青山学院大学夜間部 教育人間科学部教育学科卒業。 2000年より、東京を拠点にインディーズシーンで活動を始める。ソロでの活動の他、一時は実妹と共に「737」(ななみな)というユニットも組んでいたが、妹の結婚により解散。 2007年11月10日、ライブ「☆なーなーの『はじめまして』」でナシルという名前で活動していくことを宣言 2011年6月、エフエム世田谷にて初のラジオ冠番組『ナシルの島んちゅヂカラ』を担当。
小笠原 範光(おがさわら のりみつ、1973年1月16日 -… 小笠原 範光(おがさわら のりみつ、1973年1月16日 - )は、日本気象協会所属の気象予報士。血液型はO型。 沖縄県那覇市出身。身長179cm。 沖縄県立首里高等学校、筑波大学自然学類(当時)を経て筑波大学大学院修了。大学院ではエルニーニョ現象など地球規模での気候変動を研究し、大学院2年時に2度目の挑戦で気象予報士の資格を取得。その後、「社会の中で気象学を実践したい」と思うようになり、1997年、日本気象協会に入社。入社後は企業や自治体向けの予報を担当する気象部門に配属され、2002年には中京テレビで気象キャスターを担当することになった。2008年には同協会の専任主任技師として環境・エネルギー事業部に所属し、エネルギー事業課長を務め、その後は予報センター主任技師として予報事業部に所属している。
島袋 彩子(しまぶくろ あやこ、1972年5月13日 - )… 島袋 彩子(しまぶくろ あやこ、1972年5月13日 - )は、沖縄県を中心に活動するフリーアナウンサー。 沖縄県那覇市出身。沖縄県立首里高等学校、学習院大学法学部卒業後に企業へ就職。1999年からNHK沖縄放送局の契約キャスターとして、夕方のローカルニュース番組を担当。その間、一時仕事の場をNHK福岡放送局に移す。2005年沖縄局に復帰した後2006年からフリーとなり、2008年からは琉球放送の夕方のニュース番組「RBC THE NEWS」のキャスターを務める。フリーとなった直後、「ナレーターズルームおきなわ」に登録していた時期がある。 中学時代、お笑いコンビガレッジセールのゴリおよび川田広樹と同級生だった。
本橋 亜希子(もとはし あきこ、現姓:古川、1972年5月1… 本橋 亜希子(もとはし あきこ、現姓:古川、1972年5月11日 - )は、沖縄テレビ放送報道制作局制作部副部長(2011.4着任)、元アナウンサー。 沖縄県那覇市立首里中学校、沖縄県立首里高等学校、東洋英和女学院大学人文学部卒業後、1995年に沖縄テレビ放送入社。フジテレビ系列アナウンサー同期は、伊藤利尋、森昭一郎、菊間千乃(2007年退社)、高木広子(2011年退社)。 ガレッジセールのゴリは高校の同級生。過去にインタビューも行ったことがある。 2011年4月の異動により、アナウンス職を離れた。
岡村 聡士(おかむら さとし、1971年4月9日 - )は、… 岡村 聡士(おかむら さとし、1971年4月9日 - )は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家。沖縄県那覇市生まれ。沖縄県立首里高等学校卒業。立教大学経済学部経済学科卒業。 自身のロックバンドでライブ活動をする中、1996年、藤井フミヤのアルバムへの楽曲提供をきっかけに、作詞家作曲家としての活動を開始。その後、様々な理由から約10年ほど表立ったライブ活動から離れるも、純粋に「歌いたい!」という思いから2007年暮れ、アコースティックギターや故郷沖縄の楽器・三線を抱えてシンガーソングライターとして活動を始める。ドレッドロックスに三線という特徴的なビジュアルと、うちなーぐち(沖縄方言)を多用した歌詞、沖縄音楽と様々なジャンルの音楽をミックスした個性的かつ多彩な曲で注目を集める。
東風平 高根(こちひら たかね、1970年12月3日 - )… 東風平 高根(こちひら たかね、1970年12月3日 - )は、日本のシンガーソングライター、音楽プロデューサー、イベントプロデューサー、ボイストレーナー、三線教室講師、沖縄県大宜味村広報大使である。沖縄県那覇市首里出身。地元沖縄を拠点としたローカルミュージシャン・ローカルタレントとして活動するアイタカのアイロウ(東風平愛郎・こちひら あいろう、1975年5月26日 - )は実弟。 医者を目指し予備校に通うために沖縄から上京。突然湧いて来るメロディに目覚め、アーティストを夢見ながらアルバイトとバンド活動を両立し様々なオーディションを受ける。1997年からギターの弾き語りでライブ活動をすると共にボイストレーナーとしても活動。
知念 覚(ちねん さとる、1963年〈昭和38年〉9月19日… 知念 覚(ちねん さとる、1963年〈昭和38年〉9月19日 - )は、日本の地方公務員、政治家。沖縄県那覇市長(1期)。 1963年(昭和38年)、那覇市首里山川町生まれ。那覇市立城西小学校、那覇市立首里中学校、沖縄県立首里高等学校を経て、沖縄大学第2部法経学部法学科卒業。 1985年(昭和60年)、那覇市役所に就職。2000年(平成12年)、当時の那覇市長・翁長雄志により秘書に任命された。2010年(平成22年)から総務部長、2015年(平成27年)に副市長就任。 2022年城間幹子の引退に伴い実施される那覇市長選挙に無所属で立候補する意向を表明し、自由民主党・公明党からの推薦と城間市長から支持を受けた。
高良 倉吉(たから くらよし、1947年10月1日 - )は… 高良 倉吉(たから くらよし、1947年10月1日 - )は、日本の歴史学者。琉球大学名誉教授。主に琉球王国史を専門としている。 1947年、米国軍政下の沖縄・島尻郡伊是名村生まれ。同郡南大東村の小中学校を卒業後、1963年琉球政府(現:沖縄県)立首里高等学校に入学、1967年国費沖縄留学生として愛知教育大学に入学。1971年同大学教育学部中学校教員養成課程卒業。1973年沖縄史料編集所専門員、1987年沖縄県立博物館主査、1988年浦添市立図書館長を経て、1993年、「琉球王国史の基礎的研究」で九州大学から博士(文学)の学位を取得。1993年前期放送のNHK大河ドラマ『琉球の風』の監修者でもあった。
岸本 建男(きしもと たてお、1943年(昭和18年)11月… 岸本 建男(きしもと たてお、1943年(昭和18年)11月22日 - 2006年(平成18年)3月27日)は、日本の政治家。沖縄県名護市長(2期)。 沖縄県名護市出身。親は教員を務めていた。琉球政府立首里高等学校(現・沖縄県立首里高等学校)時代はボクシング部に所属した。1967年(昭和42年)3月、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。同大学大学院に在学中、沖縄の本土復帰運動に身を投じた。1969年(昭和44年)12月刊行の『ドキュメント沖縄闘争』(亜紀書房)の編集に新崎盛暉や全国沖縄闘争学生委員会委員長の渡名喜明らとともに携わった。1970年(昭和45年)、北米・南米へ向かい、放浪。チェ・ゲバラに心酔し、ゲバラが死を遂げたボリビアでベレー帽をかぶった写真を撮るほどであった。
石原 昌家(いしはら まさいえ、1941年 - )は、日本の… 石原 昌家(いしはら まさいえ、1941年 - )は、日本の社会学者。沖縄国際大学名誉教授。台湾出身。
比嘉 康雄(ひが やすお、1938年 - 2000年)は、沖… 比嘉 康雄(ひが やすお、1938年 - 2000年)は、沖縄県の写真家。フィリピン生まれ。東京写真専門学校卒業。
宮城 驍(みやぎ たけし、1935年6月8日 - )は、日本… 宮城 驍(みやぎ たけし、1935年6月8日 - )は、日本の空手家。沖縄県浦添市城間出身。沖縄小林流空手道協会範士十段。 沖縄小林流空手道協会第四代会長。沖縄伝統空手道振興会元副会長。沖縄県空手道連盟元会長・現顧問。浦添市城間3丁目7番14号にある宮城道場の創設者。兄は元浦添市長の宮城健一。 座右の銘・稽古理念は、「努力」「忍耐」「継続」「世界平和」。 空手を学んでいた父親に憧れ、高校3年生の時に空手を始める。琉球大学卒業後、教師になり定年まで中学校にて英語や社会科を教えた。 1953年(昭和28年)4月、首里高校空手クラブ入部(顧問は石川逢英)。 1954年(昭和29年)4月、高良繁に師事。
宮城 健一(みやぎ けんいち、1933年〈昭和8年〉6月3日… 宮城 健一(みやぎ けんいち、1933年〈昭和8年〉6月3日 - 2021年〈令和3年〉9月3日)は、日本の政治家。元沖縄県浦添市長(1期)。位階は従五位。 浦添市生まれ。1951年(昭和26年)、沖縄県立首里高等学校卒業。卒業後は米軍基地で勤務した。1952年(昭和27年)、コザ教員訓練校卒。卒業後は沖縄県内で中学校教諭となる。本土復帰後の1975年(昭和50年)に沖縄教職員組合政治部長となった。1976年(昭和51年)、沖縄県議会議員選挙に浦添市選挙区から社会党公認で初当選を果たした。1980年(昭和55年)の県議選にも立候補したが、落選した。1984年(昭和59年)の県議選で当選し、返り咲きを果たした。
尚 弘子(しょう ひろこ、1932年12月25日 - )は、… 尚 弘子(しょう ひろこ、1932年12月25日 - )は、日本の農学者。琉球大学名誉教授。1991年から1994年には日本では2番目の女性副知事として沖縄県副知事に就任していた。
外間 寛(ほかま ひろし、1932年〈昭和7年〉10月9日 … 外間 寛(ほかま ひろし、1932年〈昭和7年〉10月9日 - 2022年〈令和4年〉4月29日)は、日本の法学者。専門は行政法、特にアメリカ行政手続法。第22代中央大学学長、同総長。中央大学名誉教授。沖縄県那覇市首里出身。橋本公亘の弟子。 1932年、沖縄県首里市(現・那覇市)生まれ。沖縄県立首里高等学校卒業。1954年、中央大学法学部卒業。1960年 東京大学大学院社会科学研究科公法専攻単位取得満期退学、東京大学法学部助手。 1961年、中央大学法学部専任講師。1962年、同学部助教授。1968年、同学部教授。1987年、同学部長( - 1991年)。1990年、中央大学理事( - 1993年)。
野底 武彦(のか たけひこ、1928年3月27日 - 200… 野底 武彦(のか たけひこ、1928年3月27日 - 2007年8月10日)は、琉球政府および沖縄県の政治活動家。 琉球独立党(現・かりゆしクラブ)の前党首で、2005年以降は「名誉党首」。沖縄県与那国町出身。ペンネームは「野底 土南(ぬか どなん)」。 1928年(昭和3年)3月27日生まれ。沖縄本島に渡り沖縄県立首里第一中学校(現在の沖縄県立首里高等学校)入学する。その後台湾に移住し、台北州立基隆中学校(現在の国立基隆高級中学)に転校する。 終戦後、台湾から島づたいで北上し、法政大学経済学部に進学する。在学中には沖縄県出身者では初の公認会計士の資格を取得した。卒業後はアメリカ統治下であった沖縄県に戻り、沖縄大学の講師に就任した。
尚 詮(しょう せん、1926年12月23日 - 1990年… 尚 詮(しょう せん、1926年12月23日 - 1990年8月31日)は、昭和の実業家。琉球王国19代尚泰王の四男・尚順の六男。
親泊 康晴(おやどまり こうせい、1926年8月28日 - … 親泊 康晴(おやどまり こうせい、1926年8月28日 - 2005年4月11日)は、日本の政治家。1984年から2000年まで沖縄県那覇市長を務めた。
大田 昌秀(おおた まさひで、1925年〈大正14年〉6月1… 大田 昌秀(おおた まさひで、1925年〈大正14年〉6月12日 - 2017年〈平成29年〉6月12日)は、日本・沖縄の政治家・社会学者。元沖縄県知事(2期)、元社会民主党参議院議員(1期)。琉球大学名誉教授。特定非営利活動法人沖縄国際平和研究所理事長。 沖縄県島尻郡具志川村(現・久米島町)出身。 母校の小学校の用務員などを経て、東京の工学院へ特待生で進学する予定であったが、親戚のつてで沖縄師範学校に進学する。在学中の1945年(昭和20年)3月に鉄血勤皇隊に動員され、情報宣伝隊の「千早隊」に配属された。沖縄戦の中、九死に一生を得るが多くの学友を失う(同期125人中生存は大田を含めて37人)。
霜多 正次(しもた せいじ、1913年9月5日 - 2003… 霜多 正次(しもた せいじ、1913年9月5日 - 2003年4月16日)は、日本の小説家である。元日本共産党員。 沖縄県国頭郡今帰仁村に生まれた。沖縄県立第一中学校から旧制五高に進学。同級の梅崎春生と親交を結び、文学の道をめざす。東京帝国大学英文科卒業後、1940年に応召し、各地を転戦したあとブーゲンビル島に配属される。日本の敗色が濃厚となった1945年5月、オーストラリア軍に投降し、捕虜となる。 復員後、故郷には戻らず、東京で文学をめざし、新日本文学会の事務局に勤務しながら小説を書く。1950年、雑誌『新日本文学』に「木山一等兵と宣教師」を発表、作家として認められるようになる。 このころから、西野辰吉・窪田精・金達寿たちと交流を深めていく。
古波蔵 保好(古波藏 保好、こはぐら ほこう・やすよし、19… 古波蔵 保好(古波藏 保好、こはぐら ほこう・やすよし、1910年3月23日 - 2001年8月30日)は、日本のエッセイスト、評論家。妻は服飾評論家の鯨岡阿美子。妹は琉球料理研究家の古波蔵登美で、登美の孫(姪孫)にあたるのが作家・与那原恵である。 沖縄県首里市(現・那覇市)金城出身。沖縄県立一中卒業[要出典]、東京外国語学校印語学科中退(1930年)。1931年、当時県域新聞社として発行していた沖縄日日新聞(後の沖縄日報)に記者として入社。1941年、大阪毎日新聞社に移籍し社会部記者、論説委員。 1964年に退社後はエッセイスト、評論家として、日本エッセイストクラブ賞を獲得した『沖縄物語』をはじめ、沖縄県の歴史、文化・世相風俗、食などに関する著書を多数発表した。
当山 全信(とうやま ぜんしん、1910年(明治43年) -… 当山 全信(とうやま ぜんしん、1910年(明治43年) - 1945年(昭和20年)1月23日)は、日本の海軍軍人。「伊48」潜水艦長として「回天」作戦中、米駆逐艦に乗艦を撃沈され戦死した。最終階級は海軍中佐。 沖縄県の出身である。沖縄一中を経て1931年(昭和6年)11月、海軍兵学校(59期)を123名中32番の席次で卒業。運動神経に恵まれ、柔道は三段である。当山は潜水艦専攻士官となり、潜水学校甲種を卒業して潜水艦長を歴任する。「伊169」、「伊38」潜水艦長として歴戦し、「伊48」艤装員長となる。同艦は竣工後に第六艦隊に編入となり、1945年(昭和20年)1月8日、回天特別攻撃隊金剛隊として4隻の「回天」を載せ出撃した。
石野 径一郎(いしの けいいちろう、1909年(明治42年)… 石野 径一郎(いしの けいいちろう、1909年(明治42年)3月28日 - 1990年(平成2年)8月3日)は日本の作家。本名は石野 朝和。もとは高江洲朝和であったが、石野へ改姓し、筆名は径一郎とした。 代表作は沖縄戦を題材にした『ひめゆりの塔』で、戯曲化・映画化もされた。また、直木賞候補にもなった対馬丸事件を描いた『沖縄の民』や『残波岬の決闘』などもある。 沖縄県首里区寒川町(現那覇市)で首里士族の両親のもとに、高江洲家8代目として生まれる。9歳の時に母が亡くなり、祖父の住む真和志村古島に移る。1921年に旧制沖縄県立第一中学(現沖縄県立首里高等学校)入学。14歳の時に古島の中学生翁長助静(のち真和志市長)、内間安清、平良良松らと同人誌『はるがん(原神)』を発行。
平良 良松(たいら りょうしょう、1907年(明治40年)1… 平良 良松(たいら りょうしょう、1907年(明治40年)11月12日 - 1990年(平成2年)3月19日)は、日本の政治家。沖縄県那覇市長(4期)などを務めた。 那覇市出身。沖縄県立第一中学校(現・沖縄県立首里高等学校)を卒業後上京し、近衛師団兵器部にて働きながら法政大学専門部法律科に通っていたが、赤色救援会の活動への関与が発覚したことや病気療養により、一旦帰郷する。 だが、警察の監視つきで就職さえままならなかったため、1934年、ペルー・リマ市に渡り現地の日本人学校で8年間教鞭を執る。終戦後の1946年に沖縄へ戻り、村会議員や農協会長などを経て、1954年から4期にわたり立法院議員となる。
翁長 助静(おなが すけしず / じょせい、1907年(明治… 翁長 助静(おなが すけしず / じょせい、1907年(明治40年)8月25日 - 1983年(昭和58年)2月6日)は、日本の教育者。政治家。沖縄県真和志市(現・那覇市)長。 沖縄県真和志間切(のち島尻郡真和志村→真和志市、現・那覇市)に生まれる。沖縄県立沖縄第一中学校(現・沖縄県立首里高等学校)を経て、1926年、沖縄県師範学校本科第二部卒。 沖縄県内の小学校の訓導を経て、1944年、南風原青年学校校長となるが、太平洋戦争は激化する一方で、翁長は妻子を台湾に疎開させた。翌年、米軍上陸による沖縄戦に遭遇し、実父が目の前で被弾し、死亡した。 戦後は小学校校長に復帰し、1948年、真和志村長に当選、1950年に再選したが、選挙の結果更正により、対立候補が当選者となり、村長を失職した。
仲宗根政善(なかそね せいぜん、1907年4月26日-199… 仲宗根政善(なかそね せいぜん、1907年4月26日-1995年2月14日)は、日本の教育者、言語学者、琉球大学名誉教授。
小田 栄(小田 榮、おだ さかえ、1904年〈明治37年〉3… 小田 栄(小田 榮、おだ さかえ、1904年〈明治37年〉3月24日 - 1994年〈平成6年〉7月11日)は、日本の社会主義者、政治家、ジャーナリスト。衆議院議員。別名・天界。 広島県賀茂郡川尻村(川尻町を経て現呉市)で菓子製造業の家に生まれる。父の事業が失敗し、叔父からの勧めで1912年に一家で沖縄に移住。一家で飴屋を始め、小田も行商を行う。1918年、沖縄県立第一中学校に入学。4年次の学芸会で社会批判の演説を行い放校となった。 沖縄出身の先輩、アナキストで労働運動社にいた泉正重を頼り上京。同志と雑誌創刊を計画するも当局に検挙された。1922年、中浜哲、古田大次郎らのギロチン社に加わったが、1923年の関東大震災により沖縄に戻った。
親泊 朝省(おやどまり ちょうせい、1903年(明治36年)… 親泊 朝省(おやどまり ちょうせい、1903年(明治36年)9月18日 - 1945年(昭和20年)9月2日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。沖縄県出身。大本営陸軍部報道部部長、内閣情報局情報官。 1903年(明治36年)9月18日、沖縄県に父・親泊朝擢と母・ウシの間に生まれる。浦添朝満(尚維衡)の後裔に当たる。親泊朝晋は弟。 沖縄県立第一中学校、熊本陸軍地方幼年学校(1918年入学)を経て、1925年陸軍士官学校騎兵科首席卒業(1921年入学、37期)。37期の同期に加藤建夫、山縣有光、毛利元道、井本熊男、杉田一次、種村佐孝、大蔵栄一、村中孝次など。 1928年、陸軍中尉。1931年の満州事変の際には古賀伝太郎中佐の下、騎兵第27連隊第1中隊第3小隊長として出陣。
山之口 貘(やまのくち ばく、1903年〈明治36年〉9月1… 山之口 貘(やまのくち ばく、1903年〈明治36年〉9月11日 - 1963年〈昭和38年〉7月19日)は、沖縄県那覇区(那覇市)東町大門前出身の詩人である。本名は、山口 重三郎(やまぐち じゅうさぶろう)。197編の詩を書き4冊の詩集を出した。 上京後、職を転々としながら放浪生活を送る。金子光晴の知己を得て詩誌「歴程」に参加。生活苦を風刺的にユーモアを交えてうたった。第1詩集『思弁の苑』(1938年)のほか、『鮪に鰯』(1964年)など。 人生の様々な場面を純朴で澄んだ目線で描いた。『妹へおくる手紙』『生活の柄』『自己紹介』『結婚』『頭をかかえる宇宙人』『年越の詩』『思ひ出』では上京して金に苦労した時の自伝。
安里 積千代(あさと つみちよ、1903年8月22日 - 1… 安里 積千代(あさと つみちよ、1903年8月22日 - 1986年9月30日)は、八重山群島政府及び琉球政府の政治家。元衆議院議員(沖縄社会大衆党→民社党)。
山里 永吉(やまざと えいきち 1902年8月18日 - 1… 山里 永吉(やまざと えいきち 1902年8月18日 - 1989年5月5日)は、沖縄の画家、作家。 沖縄県生まれ。日本美術学校中退。田河水泡、村山知義と交わる。『マヴォ』同人。1927年沖縄に帰り、脚本や新聞小説を執筆。戦後は琉球博物館長、琉球芸能連盟会長。脚本に「首里城明渡し」などがある。
渡名喜 守定(となき しゅてい、1902年2月5日 - 19… 渡名喜 守定(となき しゅてい、1902年2月5日 - 1993年2月1日)は、日本の海軍軍人。
当間 重民(とうま じゅうみん、1900年8月19日 - 1… 当間 重民(とうま じゅうみん、1900年8月19日 - 1952年2月8日)は、戦前の沖縄県、沖縄諮詢会、及び沖縄民政府時代の政治家で那覇市長。
宮里 栄輝(みやさと えいき 、1898年(明治31年)3月… 宮里 栄輝(みやさと えいき 、1898年(明治31年)3月2日 - 1984年(昭和59年)1月10日)は、日本の政治家。沖縄県真和志市(現・那覇市)長。立法院議員。 沖縄県真和志間切(のち島尻郡真和志村→真和志市、現・那覇市)与儀に生まれる。沖縄県立第一中学校(現・沖縄県立首里高等学校)を経て、熊本の第五高等学校に入るが、1年で中退する。東京の私立大学(大学名不明)に入るが、ここも中退した。その後は沖縄県立図書館に勤務する。以後は沖縄文化の研究に没頭する。1940年に図書館を退職。翌年開南中学校講師となる。1942年、小学校教師の石川初子と結婚する。1945年、熊本に疎開し、終戦を迎える。終戦後は沖縄県の疎開者の生活を守る活動をし、沖縄人連盟の九州本部の会長に選ばれ、1946年に沖縄に戻った。
常葉 隆興(ときわ たかおき、1897年 - 1977年9月… 常葉 隆興(ときわ たかおき、1897年 - 1977年9月20日)は、日本の牧師、神学者。日本キリスト改革派教会の創立者の一人。 山形県の新庄藩の士族の常葉作太郎とその妻常葉ノブの長男として生れる。父は上山小学校校長であった。1915年(大正4年)沖縄県立第一中学校を卒業。東京高等工業学校(現東京工業大学)に入学。 1918年(大正7年)に父が死去。叔父の常葉金太郎によってキリスト教信仰に導かれ、同年1918年、日本基督教会の指導者植村正久牧師より富士見町教会にて洗礼を受ける。 1920年(大正9年)、植村正久の創立した東京神学社に入学、1923年(大正12年)に卒業。同級生に熊野義孝。小野村林蔵牧師の司式で結婚する。
当間 重剛(とうま じゅうごう、當間 重剛、1895年(明治… 当間 重剛(とうま じゅうごう、當間 重剛、1895年(明治28年)3月25日 - 1971年(昭和46年)10月20日)は、戦前の沖縄県および琉球政府の政治家・裁判官。那覇市長・琉球政府行政主席(1956年11月11日 - 1959年11月10日)。フランス語に堪能な人物だった。 ジャーナリストで初代那覇市長だった当間重慎の息子として沖縄県那覇(現・那覇市)に生まれる。沖縄県立第一中学校、旧制第三高等学校を経て、1920年に京都帝国大学法学部を卒業。1939年に那覇市長に選出され、戦時中は大政翼賛会沖縄県支部長を務めた。 沖縄戦後には一転沖縄民政府行政法務部長を歴任し、1946年には戦前の市町村長経験者を市町村長に起用する米軍の特別措置に伴い再度那覇市長に就任。
徳田 球一(とくだ きゅういち、1894年〈明治27年〉9月… 徳田 球一(とくだ きゅういち、1894年〈明治27年〉9月12日 - 1953年〈昭和28年〉10月14日)は、日本の政治運動家、共産主義者、革命家、弁護士、政治家。衆議院議員(3期)、戦前の非合法政党時代から戦後初期に至るまでの日本共産党の代表的活動家で、戦後初代の書記長を務めた。徳球の愛称で知られる。 沖縄県国頭方名護間切(現:沖縄県名護市)で、鹿児島の豪商の庶子であった父とウチナーンチュの母の間に生まれる。家は沖縄の中にあっては裕福で、「球一」の名は「琉球一の人物」になることを願って付けられた。母方の祖母は高利貸しと泥藍売りを営み、徳田もこの稼業を手伝っていたが、強欲な祖母に反発して「お金を借りてはだめだ」と借りに来た者に対して注意するなど、正義感が強い子供であった。
下地 玄信(しもじ げんしん、明治27年(1894年)6月3… 下地 玄信(しもじ げんしん、明治27年(1894年)6月30日 - 昭和59年(1984年)5月23日)は、日本の公認会計士。沖縄県宮古島市出身。日本公認会計士協会初代副会長を務めた。 東亜同文書院卒業。関西公認会計士協会支部長、財団法人下地玄信育英会 の設立者でもある。 宮古島平良市の下地玄忠の長男として生まれる。小さい時から大柄でその風貌から「今西郷」と言われていた。旧制首里中学(沖縄県立首里高等学校)校卒。その後、東亜同文書院を卒業後、森恪を慕って三井物産に入社後、三井三池炭鉱で働く。連隊で一年志願兵として従軍し、退社後、鉱山業失敗で100万円の負債を抱えるも保険会社の外交員として関西経済界で頭角を現す。