仲地 礼亜(なかち れいあ、2001年2月15日 - )は、… 仲地 礼亜(なかち れいあ、2001年2月15日 - )は、沖縄県中頭郡読谷村出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 読谷村立古堅南小学校で野球を始め、読谷村立古堅中学校在学時は硬式野球のクラブチームである北谷ボーイズでプレーしていた。 2学年上の兄・玖礼を追い、沖縄県立嘉手納高等学校へ進学。1年夏にチームは第98回全国高等学校野球選手権大会へ出場し、玖礼がエースを務めたが、自身はベンチ外だった。その後2年時からエースを務めた。1年夏以降は甲子園大会への出場はなく、3年夏は沖縄県大会準決勝で宮城大弥擁する興南に敗れた。 沖縄大学に進学し、1年時からベンチ入り。3年春に出場した全日本大学野球選手権大会では名城大学を相手に8回1失点と好投し、注目を集めた。
平良 達郎(たいら たつろう、2000年1月27日 - )は… 平良 達郎(たいら たつろう、2000年1月27日 - )は、日本の男性総合格闘家。沖縄県那覇市出身。THE BLACKBELT JAPAN所属。元修斗世界フライ級王者。 小学校3年生から野球をやっていたが熱中は出来ず、中学校の部活で区切りをつける。Theパラエストラ沖縄でキックボクシングを習っていた兄の影響で高校1年生の時からジムに通い始め、松根良太の指導のもと総合格闘技のトレーニングを積み重ねた。2017年に第11回九州アマチュア修斗選手権大会、第24回全日本アマチュア修斗選手権大会を勝ち抜き、アマチュア修斗10戦10勝の戦績でプロに昇格。 2018年8月3日、プロデビュー戦となった修斗新人王決定トーナメントフライ級1回戦で大竹陽と対戦し、1R三角絞めにより一本勝ち。
上原慎也(うえはら しんや、1986年9月29日 - )は、… 上原慎也(うえはら しんや、1986年9月29日 - )は、沖縄県中頭郡西原町出身のサッカー選手。沖縄県社会人サッカーリーグ1部・FCセリオーレに所属。ポジションはFW・DF。 沖縄県立西原高等学校から沖縄大学に進学。1年次の2005年には九州大学サッカーリーグ2部新人王に輝き、翌2006年にはユニバーシアード日本代表候補にも選出されたが直前に右ひざ前十字じん帯を断裂、全治一年の重傷を負い、辞退を余儀なくされた。2007年はエースストライカーとして活躍、九州大学サッカーリーグ2部得点王に輝き、アシストランキングでも3位となるなど攻撃の要としてチームに貢献した。翌2008年は国体成年の部県代表に選出。
比嘉 公也(ひが こうや、1981年6月29日 - )は、沖… 比嘉 公也(ひが こうや、1981年6月29日 - )は、沖縄県名護市出身の高校野球指導者、元アマチュア野球選手(投手、左投左打)。 沖縄尚学高等学校では3年春の第71回選抜高等学校野球大会にエースとして出場し、比叡山との1回戦で村西哲幸と投げ合い完封勝利。PL学園との準決勝では延長12回、212球を投げ抜き完投勝利した。水戸商業との決勝では自身の登板はなかったが、チームは勝利し沖縄県勢では春夏通じて初となる甲子園大会優勝を果たした。同学年のチームメイトに比嘉寿光がいた。 高校卒業後は愛知学院大学に進学したが、左肘を痛めて現役を引退し、学生コーチに転身した。 大学卒業後は沖縄市の浄水管理所に勤務しながら、沖縄大学で社会科教員免許を取得。
山城 智二(やましろ ともじ、 (1971-07-22) 1… 山城 智二(やましろ ともじ、 (1971-07-22) 1971年7月22日(54歳)- )は、沖縄県を拠点とするお笑い芸人、ローカルタレント、映画監督。沖縄お笑い事務所FECオフィス社長。沖縄県那覇市出身。身長160.8cm、体重65kg、血液型O型。 父は小説家の山城達雄、妹は現代美術家の山城知佳子。沖縄県立豊見城高等学校卒業後、沖縄大学へ。大学在学中からFECに所属し、1991年に当銘正典と漫才コンビ「ふんけり(ふんだりけったり)」結成。FECを創設、主宰していた実兄の山城達樹が1996年に急逝し、FECを引き継いだ。しかし、悲しみの深さから、兄の死後2年間の記憶が無いという。趣味は映画鑑賞、夢は映画監督。
山城 達樹(やましろ たつき、1969年11月5日 - 19… 山城 達樹(やましろ たつき、1969年11月5日 - 1996年8月24日 26歳没)は沖縄県出身のお笑い芸人、FECオフィス創設者。父は小説家の山城達雄、弟はFECオフィス社長の山城智二、妹は現代美術家の山城知佳子。 1989年、沖縄大学にて「自由で楽しい学園生活」をモットーとするサークル「FEC」を立ち上げる。当初はビーチパーティーや遠足を企画するイベントサークルであったが、学内でお笑いライブを企画したことをきっかけに活動内容をお笑いに絞っていった。 1990年に幼なじみの渡久地政作(元・那覇市議会議員)とお笑いコンビ・ファニーズを結成。沖縄県主催の「パフォーマンス大賞」に優勝したことを機に、沖縄県内でテレビ・ラジオ・CMと人気を博しお茶の間の人気者となる。
宜保 晴毅(ぎぼ はるき、選挙時は宜保ハルキ、1968年(昭… 宜保 晴毅(ぎぼ はるき、選挙時は宜保ハルキ、1968年(昭和43年)3月14日 - )は、日本の政治家。元沖縄県豊見城市長(2期)。元豊見城市議会議員(1期)。 琉球政府島尻郡豊見城村(現・沖縄県豊見城市高安)出身。那覇市立与儀小学校に2年生まで在籍。那覇市立古蔵小学校に3年生まで在籍。豊見城市立上田小学校卒業。豊見城市立豊見城中学校、沖縄県立豊見城高等学校、沖縄大学法経学部卒業。有限会社高安生コンクリート工業役員を経て、株式会社龍友建設代表取締役を務める。 2007年(平成19年)2月4日の豊見城市議会議員選挙に立候補し初当選。 2010年(平成22年)6月8日、金城豊明・豊見城市長は記者会見で引退を正式表明し、後継候補として宜保を指名。
棚原 勝也(たなはら かつや、1965年6月2日 - )は、… 棚原 勝也(たなはら かつや、1965年6月2日 - )は、琉球朝日放送 (QAB) の社員で、同局の元アナウンサー。 沖縄県浦添市出身。沖縄大学卒業。 1990年に大学を卒業後、ラジオ沖縄 (ROK) に入社。同局のアナウンサーを務めた後、2001年4月に琉球朝日放送へ移籍した。 報道制作部在籍時には副部長を、報道部在籍時には専任部長ならびにキャスター室長を務めていた。社外では、2019年6月に母校沖縄大学の同窓会長に就任した。 2020年10月の人事異動で報道の場から離れ、編成局編成部の部長に就任した。
知念 覚(ちねん さとる、1963年〈昭和38年〉9月19日… 知念 覚(ちねん さとる、1963年〈昭和38年〉9月19日 - )は、日本の地方公務員、政治家。沖縄県那覇市長(1期)。 1963年(昭和38年)、那覇市首里山川町生まれ。那覇市立城西小学校、那覇市立首里中学校、沖縄県立首里高等学校を経て、沖縄大学第2部法経学部法学科卒業。 1985年(昭和60年)、那覇市役所に就職。2000年(平成12年)、当時の那覇市長・翁長雄志により秘書に任命された。2010年(平成22年)から総務部長、2015年(平成27年)に副市長就任。 2022年城間幹子の引退に伴い実施される那覇市長選挙に無所属で立候補する意向を表明し、自由民主党・公明党からの推薦と城間市長から支持を受けた。
小磯 誠(こいそ まこと、1962年5月4日 - )は、日本… 小磯 誠(こいそ まこと、1962年5月4日 - )は、日本の会社役員。ラジオ沖縄のアナウンサー。東京都出身。 ラジオ沖縄のホームページでは「こいそまこと」と表記され、新聞の番組表では「小磯誠人」と表記されている。 2020年7月1日付けで取締役制作報道局長に就任した が、アナウンス業務や番組パーソナリティーは引き続き行っている。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
粟國 彰(あぐに あきら、1956年3月29日 - )は、日… 粟國 彰(あぐに あきら、1956年3月29日 - )は、日本の政治家。那覇市議会議員(3期)。 沖縄県宮古郡伊良部町伊良部島長浜(現宮古島市)出身。宮古島市立伊良部小学校、宮古島市立伊良部中学校を経て、高校は沖縄本島の沖縄高等学校へ進学。高校時代はボクシング部に所属した。沖縄大学卒業後は沖縄県土木建築部非常勤職員として下地島空港で働いたのち、1985年より建築会社に16年間勤務。 2001年、那覇市議会議員選挙に初めて出馬するも落選。4回連続の落選の中、知人から東京慈恵会医科大学の医師を紹介され、共同で那覇市に病院を設立。2004年に医療法人博鳳会、2009年に統合医療クリニック勤務。 2013年に那覇市議会議員に初当選を果たした。
古謝 景春(こじゃ けいしゅん、1955年3月24日 - )… 古謝 景春(こじゃ けいしゅん、1955年3月24日 - )は、日本の政治家。元沖縄県南城市長(4期)。元知念村長(1期)。 本籍は南城市知念字安座真。知念村立知念小学校、知念村立知念中学校、沖縄県立沖縄水産高等学校卒業。1979年(昭和54年)4月、知念村役場に採用される。1989年(平成元年)3月、沖縄大学法経学部法学科卒業。1992年(平成4年)、自治大学校卒業。 1998年(平成10年)12月22日、知念村助役に就任。2002年(平成14年)5月31日、助役を退任。同年9月21日、知念村長に就任。 2006年(平成18年)1月1日、知念村は佐敷町、玉城村、大里村と合併して消滅。南城市が誕生。
伊志嶺 吉盛(いしみね よしもり、1953年11月23日 -… 伊志嶺 吉盛(いしみね よしもり、1953年11月23日 - )は、沖縄県石垣市出身の高校野球指導者である。 石垣島の沖縄県立八重山農林高等学校から本島の沖縄大学に進み、準硬式野球部に所属し全国制覇。 帰島して1978年に沖縄県立八重山商工高等学校の監督に就任した。一度引退したが、石垣市の野球部監督派遣事業に伴い、2003年春に同校監督に復帰。 2006年春のセンバツに初出場し、同年夏の甲子園にも初出場。春夏連続出場を果たし全国最南端高校の偉業と注目された。主力であった大嶺祐太らを小学生時代から指導していた。そのため入学時から期待されていた世代だったが、選手のほとんどが同じ石垣島育ちの幼馴染で競争意識が無く、朝練を休んだりサボったりとのんびりした性格が災いし当初は勝ちきれずにいた。
上田 正則(うえだ まさのり、1952年8月26日 - )は… 上田 正則(うえだ まさのり、1952年8月26日 - )は、沖縄県出身の元プロ野球選手(投手)。 那覇商業高では、2年生からエースを任された。 沖縄大学では、1972年と1973年に全国大学準硬式野球選手権大会で全国制覇を達成。1974年にドラフト外にてロッテオリオンズに入団した。翌1975年に上田と同じくロッテに入団した池畑満也と共に準硬式野球の中心選手だった。 変則的なフォームから速球とカーブを投げ分ける投球が持ち味だったが、一軍公式戦の出場がないまま1976年に退団した。 その後、沖縄県唯一の女子硬式野球クラブ、沖縄ティーダバルの監督を務めた。 2015年からは、沖縄県還暦野球連盟の「琉球ベースボールクラブ」で投手として活躍中。
池畑 満也(いけはた みつや、1952年4月11日 - )は… 池畑 満也(いけはた みつや、1952年4月11日 - )は、沖縄県出身の元プロ野球選手(外野手)。 浦添高から沖縄大学に進学。大学時代は、1972年と1973年に全国大学準硬式野球選手権大会で全国制覇を達成。1975年オフに、ドラフト外でロッテオリオンズに入団。 1974年に池畑と同じくロッテに入団した上田正則と共に準硬式野球の中心選手で、自身は4番打者を務めていた。 粗けずりながら将来の大物と期待されたが、一軍公式戦の出場がないまま在籍1年で退団した。
上原 裕常(うえはら ひろつね、1949年〈昭和24年〉1月… 上原 裕常(うえはら ひろつね、1949年〈昭和24年〉1月27日 - )は、日本の政治家。元沖縄県糸満市長(2期)。 現在の沖縄県出身。琉球政府立糸満高等学校卒。沖縄大学中退。1967年〈昭和42年〉糸満町役場に入る。総務企画部長、中央図書館長などを務める。 2007年〈平成19年〉に市役所を退職。翌2008年〈平成20年〉の糸満市長選挙に立候補し現職の西平賀雄を破って、初当選する。2012年〈平成24年〉の市長選挙で再選。2016年〈平成28年〉に三選を目指したが、元那覇空港ビルディング会長の上原昭に敗れた。
西平 賀雄(にしひら がゆう、1947年〈昭和22年〉8月1… 西平 賀雄(にしひら がゆう、1947年〈昭和22年〉8月16日 - )は、日本の政治家。元沖縄県糸満市長(2期)。 沖縄県出身。沖縄大学第二部法学部卒。1972年〈昭和47年〉糸満市役所に入る。教育委員会教育部長、総務部長、参事監などを務める。 2004年〈平成16年〉の糸満市長選挙に立候補し現職の山里朝盛を破って、初当選する。糸満市長は1期務め、2008年〈平成20年〉の市長選挙で再選を目指したが、元糸満市職員の上原裕常に敗れた。
嘉数 昇(かかず のぼる、1902年3月15日 - 1974… 嘉数 昇(かかず のぼる、1902年3月15日 - 1974年7月23日)は、沖縄県の実業家。琉球生命保険の設立に携わり、沖縄大学の母体である嘉数学園を設立する。沖縄県那覇市出身。 明治35年(1902年)3月15日生まれ。大正4年(1915年)に真和志尋常高等小学校を卒業後、昭和7年(1932年)に日本生命保険に入社し沖縄支部長を務めた。 戦後、琉球列島米国軍政府より保険会社設立に関する相談を受け、保険業に精通している嘉数が中心となって1948年に琉球生命保険を創設した。その後、キャラウェイ旋風のあおりを受け、一時琉球生命の経営から身を引いたが、まもなく復帰した。 1956年に嘉数学園を設立し、沖縄大学などを運営した。
山城 博明(やましろ ひろあき )はフリーの報道カメラマン。
仲宗根 敦子(なかそね あつこ)は、日本の教育者。一般財団法… 仲宗根 敦子(なかそね あつこ)は、日本の教育者。一般財団法人絵本未来創造機構 理事長。沖縄県生まれ。 1991年JALにて、営業職・VIP顧客担当・予約センターチーフを担当。 社内の全国接客コンクールで、沖縄支店の予約センター教育責任者として、国際・国内予約部門で2年連続1位を獲得。 1996年ロサンゼルス支店での勤務を経験。 1996年結婚、出産後も仕事を続ける中、2003年3月32歳当時、子ども3歳、0歳時に夫が他界し、シングルマザーとしての仕事と子育ての両立生活が始まった。 子どもとの触れ合う時間をどう確保するかを模索し、「絵本子育て」を実践。 2013年に22年間勤めた航空会社を退職し、独立。