スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
金城 茉奈(きんじょう まな、1996年2月24日 - 20… 金城 茉奈(きんじょう まな、1996年2月24日 - 2020年12月1日)は、日本の女優、ファッションモデル、タレント。沖縄県那覇市出身。生前はGrickに所属していた。 東京ガールズコレクション公式ランニングチーム「TOKYO GIRLS RUN」4期生。ジャパニーズロックが好きであり、中でもONE OK ROCKのファンであった。弟が1人いる。 2017年6月12日、病気の治療のため入院中であることを報告。その後、復帰。病気のため2019年より休養していた。2020年12月5日付けで、12月1日に死去したことが発表された。24歳没。
糸数 陽一(いとかず よういち、1991年5月24日 - )… 糸数 陽一(いとかず よういち、1991年5月24日 - )は、日本の男子ウエイトリフティング選手。 沖縄県立豊見城高等学校、日本大学文理学部卒。警視庁所属。沖縄県久高島出身。2016年リオデジャネイロオリンピックに62kg級で出場し、4位入賞。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
山城 智二(やましろ ともじ、 (1971-07-22) 1… 山城 智二(やましろ ともじ、 (1971-07-22) 1971年7月22日(54歳)- )は、沖縄県を拠点とするお笑い芸人、ローカルタレント、映画監督。沖縄お笑い事務所FECオフィス社長。沖縄県那覇市出身。身長160.8cm、体重65kg、血液型O型。 父は小説家の山城達雄、妹は現代美術家の山城知佳子。沖縄県立豊見城高等学校卒業後、沖縄大学へ。大学在学中からFECに所属し、1991年に当銘正典と漫才コンビ「ふんけり(ふんだりけったり)」結成。FECを創設、主宰していた実兄の山城達樹が1996年に急逝し、FECを引き継いだ。しかし、悲しみの深さから、兄の死後2年間の記憶が無いという。趣味は映画鑑賞、夢は映画監督。
宜保 晴毅(ぎぼ はるき、選挙時は宜保ハルキ、1968年(昭… 宜保 晴毅(ぎぼ はるき、選挙時は宜保ハルキ、1968年(昭和43年)3月14日 - )は、日本の政治家。元沖縄県豊見城市長(2期)。元豊見城市議会議員(1期)。 琉球政府島尻郡豊見城村(現・沖縄県豊見城市高安)出身。那覇市立与儀小学校に2年生まで在籍。那覇市立古蔵小学校に3年生まで在籍。豊見城市立上田小学校卒業。豊見城市立豊見城中学校、沖縄県立豊見城高等学校、沖縄大学法経学部卒業。有限会社高安生コンクリート工業役員を経て、株式会社龍友建設代表取締役を務める。 2007年(平成19年)2月4日の豊見城市議会議員選挙に立候補し初当選。 2010年(平成22年)6月8日、金城豊明・豊見城市長は記者会見で引退を正式表明し、後継候補として宜保を指名。
石嶺 和彦(いしみね かずひこ、1961年1月10日 - )… 石嶺 和彦(いしみね かずひこ、1961年1月10日 - )は、沖縄県那覇市出身の元プロ野球選手(外野手、捕手、指名打者。右投右打)、プロ野球コーチ、野球解説者。愛称は「サッサ」。 現役時代は特に1986年から1993年にかけて阪急ブレーブスの強打の指名打者として、ブーマー・ウェルズ、藤井康雄と共にブルーサンダー打線の中心選手として活躍した。 沖縄県那覇市出身。小学校5年の時に、神原カープという少年野球チームで本格的に野球を始めた。投球動作がコンパクトだったため捕手として起用されたが、投手に憧れていたという。小学校6年の時にチームは沖縄県大会で準優勝し、石嶺も捕手として注目されるようになった。 豊見城高校では栽弘義監督のもとで猛練習を積み、1977年には下地勝治をエースとして擁するチームで2年生ながら四番打者を務め、選抜大会に出場した。
當間 盛夫(とうま もりお、1960年 (昭和35年)9月7… 當間 盛夫(とうま もりお、1960年 (昭和35年)9月7日 ‐ )は、日本の政治家。沖縄県議会議員(6期)。那覇市議会議員(1期)、政党そうぞう代表、日本維新の会沖縄県総支部幹事長兼代表代行などを務めた。 沖縄県那覇市出身。沖縄県立豊見城高等学校、阪南大学商学部卒業後、小禄農業協同組合(現:JAおきなわに統合)に就職。1990年1月、合資会社照屋総業などに勤務。 2001年7月8日、第16回那覇市議会議員選挙に当選。 2004年6月6日、第9回沖縄県議会議員選挙当選。以後、6期連続当選。県議会会派「維新の会」を結成。2005年12月、下地幹郎衆議院議員らと「政治団体そうぞう」を結成し政調会長に就任。
赤嶺 賢勇(あかみね けんゆう、1958年5月20日 - )… 赤嶺 賢勇(あかみね けんゆう、1958年5月20日 - )は、沖縄県出身の元プロ野球選手(投手)。 沖縄・豊見城高時代には、栽弘義監督の指導を受けて1年秋に県大会優勝、九州大会は準決勝で門司工に延長11回完投するもサヨナラ負け。1975年の選抜大会に出場し、初戦でその夏に甲子園優勝をとげた習志野高校を完封、準々決勝では、結果的に準優勝だった東海大相模高校に対して9回裏2死無走者(2死目は原辰徳から見逃し三振を奪った)までリードを保ち、そのあと津末英明からの被安打をきっかけに敗北したが、この大会の活躍で全国的に注目を浴びる投手となった。夏は県大会ベスト4、秋も県大会連覇すると九州大会では柳川商の久保康生に投げ勝つなど準優勝。