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寺尾 榮夫(てらお ひでお、1931年4月7日 - 没年不詳… 寺尾 榮夫(てらお ひでお、1931年4月7日 - 没年不詳)は、日本の医学者。専門は脳神経外科学。東邦大学医学部に脳神経外科教室を創設、初代教授を務めた。静岡市出身。「寺尾栄夫」表記も多用される。 1931年、男ばかりの3人兄弟の次男として静岡市に誕生。静岡市城内東小学校卒業。1948年、静岡県立静岡中学校4年終了で、静岡高等学校 (旧制)に入学したが、学制変更により1年で廃止。新制静岡大学文理学部プレメディカルコースに入学。2年後に東京大学医学部入学。1955年、東京大学医学部卒業。医師免許を取得、東京大学医学部附属病院第一外科・脳神経外科に入局と同時に大学院生となった。大学院在籍の間に教授の指示で、船医を経験した。
寺尾 壽夫(てらお としお、1930年(昭和5年) - 20… 寺尾 壽夫(てらお としお、1930年(昭和5年) - 2026年〈令和8年〉3月30日)は、日本の医学者。専門は脳神経内科学。帝京大学名誉教授。静岡県出身。 1930年1月、静岡県生まれ。1946年、静岡県立静岡中学校卒業。1949年、静岡高等学校 (旧制)卒業。1953年3月、東京大学医学部卒業。1954年6月、東京大学医学部冲中内科入局。1955年4月、東京大学大学院修了。1968年2月、西ドイツ留学(ヴッパータール)。1970年6月、メイヨー・クリニック(アメリカ)Research Associate。1977年11月、東京大学医学部第三内科講師、外来医長。1980年4月、帝京大学医学部第1内科教授。
諸田 實(もろた みのる、1928年9月10日 - )は、日… 諸田 實(もろた みのる、1928年9月10日 - )は、日本の経済史学者、神奈川大学名誉教授。ドイツを中心としたヨーロッパの経済史が専門。 静岡県静岡市生まれ。1945年旧制静岡県立静岡中学校卒業。1948年旧制静岡高等学校卒業。1952年東京大学経済学部卒業。同大学院修了、1970年「ドイツ初期資本主義研究」で経済学博士の学位を取得。 福島大学経済学部講師、助教授、1965年神奈川大学経済学部教授、1999年定年、名誉教授。
八木 貞二(やぎ ていじ、1928年(昭和3年)6月14日 … 八木 貞二(やぎ ていじ、1928年(昭和3年)6月14日 - 2009年(平成21年)12月7日)は、宮内庁侍従次長。農学博士。 誠実で穏やかな侍従であったと伝えられ、長年にわたり天皇に仕えた。学生時代から登山に親しみ、当時皇太子であった明仁上皇の日本山岳会への入会のきっかけを作った。大学では鯨を研究した。1945年(昭和20年)、静岡中学卒業。1949年(昭和24年)、旧制静岡高等学校卒業。東京大学農学部水産学科卒業。1964年(昭和39年)東宮侍従となり、1989年(平成元年)即位に伴い侍従に就任。1995年(平成7年)から1999年(平成11年)まで、侍従次長を務めた。定年退職後も天皇の御用係として、さらに数年勤めた。
里見 元一郎(さとみ もといちろう、1928年 - )は、日… 里見 元一郎(さとみ もといちろう、1928年 - )は、日本の歴史学者、清泉女子大学名誉教授。専門は西洋中世史。 1928年、静岡県静岡市で生まれた。旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校を経て、東京大学文学部西洋史学科に進学。1952年に卒業。 卒業後は教員として東京都立白鷗高等学校、東京都立深川高等学校で教鞭を執った。1964年、東海大学文学部助教授に就いた。1967年、清泉女子大学文学部キリスト教文化学科助教授に転じた。後に教授昇格。1999年に清泉女子大学を退職し、名誉教授となった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
子安 勝(こやす まさる、1927年(昭和2年)5月18日 … 子安 勝(こやす まさる、1927年(昭和2年)5月18日 - 2008年(平成20年)4月8日)は、日本の学者。専門は騒音。 1927年5月18日、岐阜県大垣市生まれ。1947年、静岡高等学校理科卒業。1950年3月、東京大学第二工学部物理工学科卒業。同年4月、小林理学研究所入所。1952年4月、東京大学理工学研究所助手。1956年7月、再び小林理学研究所に入所。1965年8月、同所主任研究員。1971年10月、同所所長。1983年10月、音響工学研究所代表取締役。1992年4月から1998年3月まで、千葉工業大学教授。 1984年から1986年まで日本騒音制御工学会会長を、1987年から1989年まで日本音響学会会長を、それぞれ務めた。
中川 致之(なかがわ むねゆき、1927年 - )は、日本の… 中川 致之(なかがわ むねゆき、1927年 - )は、日本の農業技術者。専門分野は茶の化学分析、とくに味の研究。農学博士。静岡県出身。 旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校を経て、1953年に東京大学農学部農芸化学科を卒業。同年、静岡大学農学部助手、農林省茶業試験場化学研究室研究員、室長、場長などを歴任。この間「緑茶の滋味に関する化学的および統計学的研究」で日本食品工業学会奨励賞を受賞。1970年、農学博士号取得。1985年、退職。後、民間分析センター、株式会社エコプロ・リサーチで農産物の栄養成分の分析業務などに従事。株式会社佐藤園技術顧問、日本茶業技術協会顧問を歴任した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
清水 汪(しみず ひろし、1926年(大正15年)10月5日… 清水 汪(しみず ひろし、1926年(大正15年)10月5日 - 2014年(平成26年)4月18日)は、日本の大蔵官僚。環境事務次官。 1944年(昭和19年)、静岡県立静岡中学校卒業。陸軍士官学校在学中に敗戦を迎え、戦後、旧制静岡高等学校を経て、東京大学法学部政治学科を卒業。大学在学中の1950年(昭和25年)10月、国家公務員6級職試験(行政職、法律職)に合格。 1951年(昭和26年)4月、大蔵省に入省。大臣官房文書課に配属。1953年(昭和28年)8月、日本橋税務署長。大蔵省大臣官房参事官、大蔵省銀行局銀行課長、大蔵省銀行局総務課長、内閣官房内閣審議室長兼内閣総理大臣官房審議室長等を経て、1980年(昭和55年)6月、 大蔵省関税局長。
松本 三之介(まつもと さんのすけ、1926年2月22日 -… 松本 三之介(まつもと さんのすけ、1926年2月22日 - )は、日本の政治学者。専攻は近代日本政治思想史。東京大学名誉教授。 茨城県出身。旧制静岡高校を経て、1948年東京大学法学部卒業。東京大学で丸山真男に師事。 大阪市立大学法学部助教授(現准教授)を経て、1964年東京教育大学文学部教授、1975年東京大学法学部教授。退官後、駿河台大学法学部教授を歴任。丸山の近世政治思想史研究を引き継ぎ、近世国学や明治期の法思想などの分析をおこなった。東京大学における丸山の講座後継者でもあった。門下には坂本多加雄などがいる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
世古 真臣(せこ まおみ、1926年1月8日 - 2005年… 世古 真臣(せこ まおみ、1926年1月8日 - 2005年11月11日)は、日本の経営者、工学博士。旭化成工業社長を務めた。 三重県尾鷲市出身。旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校[要出典]を経て、1948年、東京大学工学部電気工学科卒業。同年、旭化成工業に入社。研究に携わり、1973年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1979年6月に副社長に就任した。1985年6月に社長に昇格し、1989年6月に副会長に就任し、1993年6月からは相談役を務めた。 1974年と1978年に大河内賞、1975年と1979年に日本化学会賞、1980年に電気化学会賞、1981年に高分子学会賞、1990年4月に日本原子力学会特賞を受賞。
河上 民雄(かわかみ たみお、1925年7月12日 - 20… 河上 民雄(かわかみ たみお、1925年7月12日 - 2012年9月22日)は、日本の政治家、歴史学者。衆議院議員(7期)、日本社会党国際局長・東海大学政治経済学部教授を歴任。聖学院大学大学院客員教授、東海大学名誉教授。アメリカ史を専攻。 兵庫県神戸市出身。関西学院教授・河上丈太郎の長男として生まれる。父・丈太郎は、1928年の総選挙で日本初の無産政党出身の代議士となり、戦後は右派社会党委員長・日本社会党委員長を歴任した。 旧制静岡高等学校(現在の静岡大学)を経て、1948年に東京大学文学部西洋史学科を卒業。大学卒業後、高等学校教師となったが、病気のために辞職を余儀なくされた。その後は病気療養を続けながら、翻訳業に従事したり、父・丈太郎の政治秘書・ゴーストライターを務めた。
村島 健一(むらしま けんいち、1925年3月21日 - 1… 村島 健一(むらしま けんいち、1925年3月21日 - 1990年10月13日)は、日本の社会評論家。戸籍名は村嶋健一。矢野 八朗(「ヤナヤロー」のもじり)の筆名でも活動。 ジャーナリストの村嶋歸之の息子として兵庫県西宮市に生まれる。静岡高等学校で吉行淳之介と知り合う。東京大学文学部独文科卒業後、毎日新聞社東京本社に入社。10年間の記者生活を経て、1959年4月からフリーとなる。『オール讀物』連載の人物論シリーズで注目され、その他、文明時評、コント、ショートショート、小説なども執筆。 長男の村嶋帰一は日興シティグループ証券チーフエコノミスト(東京大学教養学部国際関係論学科→野村総合研究所→シティグループ証券)。
田口 恒夫(たぐち つねお、1924年12月21日-2005… 田口 恒夫(たぐち つねお、1924年12月21日-2005年10月11日)は、日本の医学者。 静岡県富士宮市生まれ。旧制静岡高等学校文科卒。北海道帝国大学医学部入学、即休学。志願して第15期海軍飛行専修予備学生、海軍少尉となる。1950年北海道大学医学部卒。東京大学医学部助手(整形外科)、1960年「脳性小児麻痺児童の言語障害に関する研究」で東京大学より医学博士の学位を取得。肢体不自由児施設整肢療護園医員、国立聴力言語障害センター言語課長、1963年お茶の水女子大学家政学部児童学科助教授、教授、88年定年退官、名誉教授。2003年11月瑞宝中綬章受章。没後従四位受勲。NHK「ことばの治療教室」に出演した。
山田 芳治(やまだ よしはる、1924年10月5日 - 19… 山田 芳治(やまだ よしはる、1924年10月5日 - 1989年12月31日)は、日本の政治家(衆議院議員3期)。 旧制静岡高等学校から東京大学法学部を卒業。自治省に入庁し、京都府に出向して企画文書課長・人事課長・地方課長を歴任。自治省に戻り自治大臣秘書官・徳島県企画開発部長を歴任後、京都府知事だった蜷川虎三の誘いを受け総務部長から副知事(1967年)に就任した。 当時は蜷川の後継者と目されていたが、1972年の総選挙で京都2区選出だった柳田秀一の不出馬に伴い日本社会党公認から出馬、蜷川後継の立場を生かす格好でトップ当選を果たした。その後、1976年の総選挙でも再選を果たすが、蜷川が引退した1978年に社会党・公明党・民社党・社民連に推される形で京都府知事選に立候補。
吉岡 繁(よしおか しげる、1923年11月1日 - 201… 吉岡 繁(よしおか しげる、1923年11月1日 - 2017年1月26日)は、日本の牧師、実践神学者。日本キリスト改革派仙台教会牧師と日本キリスト改革派神学校校長を務める。 日本キリスト教団牧師・松尾造酒蔵は実父。双恵学園の創設者・松尾武は叔父にあたる。 神奈川県横浜市に生まれる。松尾造酒蔵と、妻・きくの次男だった。旧制静岡高等学校(1940年入学)を経て、1943年に東京帝国大学文学部に入学した。しかし、その年に学徒出陣の対象となり、10月21日の「出陣学徒壮行会」では明治神宮外苑競技場を行進した。同年、吉岡家(千代)の養子となる。吉岡千代の夫・愛(めぐむ)の父は吉岡弘毅で、三男が信時潔であった。
杉村 新(すぎむら あらた、1923年6月28日 - 202… 杉村 新(すぎむら あらた、1923年6月28日 - 2025年3月1日)は、日本の地震学・地球物理学者。火山フロント(火山前線)の概念を初めて導入した人物で、上田誠也とともに弧状列島の火山、地震、テクトニクス研究を進めた。 東京府に生まれる。父は東京文理科大学学長の杉村欣次郎。祖父は外交官の杉村濬。伯父も外交官の杉村陽太郎[要出典]。 旧制静岡高等学校を経て、東京帝国大学理学部地質学科に進学、1947年に卒業した。同年、東京大学助手となる。 1961年、「日本及びその附近における地球物理学的岩石学的諸現象の帯状配列」で理学博士の学位を東京大学より取得する。 1974年に神戸大学理学部教授となる。
中田 吉信(なかだ よしのぶ、1922年(大正11年)5月2… 中田 吉信(なかだ よしのぶ、1922年(大正11年)5月23日 - 1999年(平成11年)2月22日)は、日本における中国イスラーム史研究の先駆者の一人。専門は中国近現代史、特に中国イスラーム史(回族史)。中国の漢語を話すムスリムである「回族(回回民族)」の歴史や、清朝末期の反乱、近代におけるアイデンティティ形成の研究で知られる。 静岡県生まれ。静岡県立静岡中学校に学ぶ。旧制静岡高等学校を経て、東京帝国大学文学部入学。東洋史を専攻。1943年(昭和18年)、学徒動員、1945年(昭和20年)10月、復員、直ちに復学。1947年(昭和22年)9月、卒業。大学院で「清代の回教徒」を研究。1949年(昭和24年)、東京大学大学院修了。
長谷川 房雄(はせがわ ふさお、1922年(大正11年)1月… 長谷川 房雄(はせがわ ふさお、1922年(大正11年)1月 - 2020年(令和2年)12月29日)は、日本の建築学者。専門は建築環境工学、建築計画学。東北大学名誉教授。工学博士。 1922年(大正11年)、静岡市生まれ。1934年(昭和9年)3月、静岡市立安西小学校卒業。1939年(昭和14年)3月、静岡県立静岡中学校卒業。1942年(昭和17年)9月、静岡高等学校 (旧制)理科一類卒業。1945年(昭和20年)9月、東京帝国大学第二工学部建築学科卒業。同年11月、財団法人建設技術研究所に就職。1951年(昭和26年)3月、同退職。4月、東北大学工学部建築学科助教授、1961年(昭和36年)9月、『建築壁体の熱伝導計算法に関する研究』により工学博士(東京大学)。
三枝 正裕(さいぐさ まさひろ、1921年〈大正10年〉3月… 三枝 正裕(さいぐさ まさひろ、1921年〈大正10年〉3月4日 - 2001年〈平成13年〉10月19日)は、日本の医学者、医師。専門は心臓血管外科学。東京大学胸部外科第二代教授。東京大学名誉教授。医学博士。 1921年(大正10年)、広島県呉市に生まれる。旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校を経て、1945年(昭和20年)9月、東京帝国大学医学部卒業。海軍軍医(4月見習士官、9月復員)。同年10月、第二外科(都築正男教授)に入局。当時木本誠二を中心に開発が進められていた心臓外科の研究に従事、その成果が「非チアノーゼ性先天性心疾患の血行動態に関する研究」としてまとめられ、1956年(昭和31年)、医学博士。
萩原 淳平(はぎわら じゅんぺい、1920年4月4日 - 2… 萩原 淳平(はぎわら じゅんぺい、1920年4月4日 - 2000年12月17日)は、静岡県出身の東洋史学者。京都大学名誉教授、文学博士。 静岡県生まれ。1938年、静岡県立静岡中学校卒業。静岡高等学校 (旧制)を経て、1946年、京都帝国大学文学部史学科を卒業。大学院修了後、京都大学副手となったが郷里に戻り、1950年、静岡県立教員養成所教授、静岡大学教育学部講師となった。1955年、再び京都大学に戻り、1958年、京都大学文学部講師となり、『明代満蒙史料』(京都大学文学部刊)の編纂にあたった。1962年、助教授。1977年、『明代蒙古史研究』で京都大学文学博士。1978年、京都大学文学部教授。
平松令三(ひらまつ れいぞう、1919年12月5日 - 20… 平松令三(ひらまつ れいぞう、1919年12月5日 - 2013年5月14日)は、浄土真宗の仏教学者。学位は、博士(文学)(龍谷大学・2009年、学位論文「親鸞の生涯と思想」)。 1919年(大正8年)三重県津市生まれ。静岡高等学校卒、1943年(昭和18年)京都帝国大学文学部史学科卒、同大学院修了、1946年(昭和21年)郷里の一身田郵便局に勤め局長、1980年(昭和55年)龍谷大学文学部特任教授、教授、1990年(平成2年)定年退任。2009年(平成21年)「親鸞の生涯と思想」で龍谷大学より博士(文学)の学位を取得。
松平 千秋(まつだいら ちあき、男性、1915年9月13日 … 松平 千秋(まつだいら ちあき、男性、1915年9月13日 - 2006年6月21日)は、日本の古代ギリシア文学者・西洋古典学者。多数のギリシア文学原典訳を行った。学位は、文学博士(京都大学・1962年)(学位論文「イーリアス第二歌の研究」)。京都大学名誉教授。 1915年、岐阜県生まれ。静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校を経て、1938年、京都帝国大学文学部文学科言語学専攻卒業。1941年、同大学大学院を修了、同大講師。1947年から助教授。1958年、京都大学教授。1962年、「イーリアス第二歌の研究」で京都大学より文学博士の学位を取得。1979年、停年退官、名誉教授。その後も光華女子大学や京都産業大学で教鞭を執った。
重光 晶(しげみつ あきら、1915年1月15日 - 200… 重光 晶(しげみつ あきら、1915年1月15日 - 2000年8月27日)は、日本の外交官、外交評論家。位階は正三位。 外務省国際連合局長を経て、駐ナイジェリア特命全権大使や、駐ソビエト連邦特命全権大使を務めた。重光葵元外務大臣の甥。 石川県金沢市生まれ。東京出身。1935年静岡高等学校文科丙類卒業。1936年東京帝国大学法学部政治学科に入学。1938年に外交官試験に合格し、大学を中退した。1939年に外務省に入省し、ポーランド、ラトビア、ブルガリアでロシア語研修を受ける。 1951年から外務省条約局第三課長を務め、1952年からは外交官領事館採用試験専門試験委員(憲法)や、外務書記採用試験専門試験委員も担当した。
桜井 正寅(さくらい まさとら、1914年12月17日 - … 桜井 正寅(さくらい まさとら、1914年12月17日 - 1969年2月28日)は、日本のドイツ文学者。東京教育大学教授。 静岡県出身。旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校文科乙類を経て、東京帝国大学文学部独文科卒業。東京教育大学助教授、教授。学生による筑波移転反対闘争の際、機動隊導入の日の深夜に帰宅後、心筋梗塞の発作で急死した。
鴫谷 亮一(しぎや りょういち、1914年 - 1989年6… 鴫谷 亮一(しぎや りょういち、1914年 - 1989年6月21日)は、日本の医学者、医師。専門は循環器内科。 旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校理科乙類、東京帝国大学医学部卒業。1974年まで群馬大学医学部第二内科(循環器内科)教授。東海大学医学部教授、国立横浜病院院長を歴任。 新谷家は戦国期に今川氏勢力下の駿河国に来住、5代目述賢の頃に新谷を鴫谷姓に改め郷士となり、医術を甲斐国の徳本に学び、代々業とした。江戸幕末期の鴫谷一元(14代)は、兵太夫新田(現藤枝市内)の村松良元に医科修業、田中藩の御典医でもあったと伝えられる。この一元は1876年(明治9年)に隠居別家し、自らは代々定住の子持坂村(現藤枝市内)から近隣の横内村へ転居、医業を継続した。
松本 達郎(まつもと たつろう、1913年11月2日 - 2… 松本 達郎(まつもと たつろう、1913年11月2日 - 2009年2月7日)は、日本の地質学者。 1913年、東京府東京市小石川区で心理学者・松本亦太郎の三男として生まれた。旧制静岡高等学校に入学し、在学中に地学を今野円蔵から学んだ。1933年、高等学校を卒業して東京帝国大学理科大学地質学科に進んだ。大学では小林貞一に師事。1936年に卒業論文『九州大野川盆地の地史学的研究』を提出して卒業し、同大学大学院に進んだ。大学院在学中は小林貞一のアメリカ留学と重なったため、その間併任となっていた東北帝国大学の矢部長克の指導を受けた。 1936年、九州帝国大学理学部助教授に就いた。1944年、英文執筆した学位論文『日本白亜系層序の基礎的研究』を東京帝国大学に提出し、理学博士号を取得。
次田 香澄(男性、つぎた かすみ、1913年〈大正2年〉10… 次田 香澄(男性、つぎた かすみ、1913年〈大正2年〉10月26日 - 1997年〈平成9年〉12月12日)は、日本の日本文学者。専門は中世文学。 旧制静岡高等学校を経て、1936年(昭和11年)に東京帝国大学文学部国文学科を卒業。1961年(昭和36年)「玉葉和歌集・風雅和歌集の研究」で東洋大学より文学博士の学位を取得。二松學舍大学教授を経て、大東文化大学教授。中世和歌・女流日記などを研究した。
佐藤 公一(さとう こういち、1913年(大正2年) - 1… 佐藤 公一(さとう こういち、1913年(大正2年) - 1991年(平成3年))は、日本の農業技術者。元農林省技官。日本で初めて柑橘水耕栽培を行った。農学博士。静岡市出身。 安倍郡美和村(現在の静岡市)に生まれる。静岡県立静岡中学校を経て、旧制静岡高等学校卒業。東京帝国大学卒業。農林省園芸試験場(興津)見習生終了後、1938年(昭和13年)、静岡県、山形県、山梨県農業試験場を経て、1946年(昭和21年)、米軍水耕農場の管理に雇用される。1947年(昭和22年)、農林省園芸試験場東海支場(興津)。1950年(昭和25年)、農業技術研究所園芸部(平塚)に転出、果樹部長を経て、1967年(昭和42年)、園芸試験場興津支場長。
斎藤 錬一(さいとう れんいち、1913年 - 1983年1… 斎藤 錬一(さいとう れんいち、1913年 - 1983年10月31日)は、日本の気象学者。理学博士。 1913年、静岡県生まれ。旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校理科甲類、東北帝国大学理学部物理学科卒業。札幌気象台予報課長・観測課長、気象庁海上気象課長、気象庁統計課長、気象庁予報課長、福岡管区気象台長、気象庁観測部長、気象庁予報部長、気象大学校講師。(判明分) この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
三宅 静雄(靜雄、みやけ しずお、1911年(明治44年)2… 三宅 静雄(靜雄、みやけ しずお、1911年(明治44年)2月26日 - 1999年(平成11年)7月31日)は、日本の物理学者。専門は結晶物理学。東京大学物性研究所第3代所長。東京大学名誉教授。岡山県岡山市生まれ。位階は正四位。 静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校を経て、1933年(昭和8年)、東京帝国大学理学部物理学科卒業。同年3月、理学部助手、1934年(昭和9年)、理化学研究所研究生、1940年(昭和15年)、小林理学研究所研究員、1942年(昭和17年)、理学博士(東京帝国大学)。1949年(昭和24年)東京工業大学教授、1957年(昭和32年)東京大学物性研究所教授、1965年(昭和40年)、同所長、1971年(昭和46年)定年退職、東京大学名誉教授。
鈴木 與平(すずき よへい、1910年(明治43年)5月11… 鈴木 與平(すずき よへい、1910年(明治43年)5月11日 - 1993年(平成5年)5月23日)は、日本の実業家。元鈴与会長。旧名 鈴木一郎。 静岡県出身。鈴与商店社長で貴族院議員、6代目鈴木與平の長男として生まれる。清水市立清水尋常高等小学校卒業。静岡県立静岡中学校から、旧制静岡高等学校へ進んだが、2年次から旧制成城高等学校に転学し、卒業した。1935年(昭和10年)、京都大学経済学部卒業。山下汽船入社。1937年(昭和12年)4月、鈴与商店に転じ、1940年(昭和15年)5月、鈴与商店並びに鈴与倉庫、清水食品各社長に就任。同年8月、静岡鉄道監査役に選ばれ、次いで取締役となる。1944年(昭和19年)、鈴与社長。
松下 清夫(まつした きよお、1910年3月 - 2003年… 松下 清夫(まつした きよお、1910年3月 - 2003年5月5日)は、日本の建築構造学者。東京大学名誉教授。 旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校[要出典]を経て、1935年に東京帝国大学工学部建築学科を卒業。東京大学では木構造の講座などを担当。1970年からは東京理科大学教授併任。日本建築学会構造標準委員会主査など歴任。義父は師の内田祥三。専門は木造建築のほか免震構造など多数。主な構造設計に科学技術館、広島平和記念資料館、損保ジャパン日本興亜本社ビル、千葉県自治会館など。1989年、日本建築学会賞大賞受賞。 この項目は、建築・土木に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:建築/Portal:建築)。
三堀 将(みほり しょう、1910年2月14日 - 1996… 三堀 将(みほり しょう、1910年2月14日 - 1996年10月7日)は、日本のジャーナリスト、囲碁観戦記者、囲碁ライター。読売新聞社新聞監査委員長、報知新聞社副社長を歴任。 神奈川県出身。本名は将(ただし)。他の筆名は丘目山人(おかめ-さんじん)。 旧制静岡高等学校卒業。東京帝国大学経済学部卒業。1932年、読売新聞社に入社して囲碁担当となる。1938年から3年間、覆面子(4代目)の名で囲碁観戦記を執筆。呉清源対木谷実の「打ち込み十番碁」を取材するなど活躍。 戦後、出版部長、特信部長、新聞監査委員長などを経て1963年、報知新聞副社長。 1967年に辞任してフリーの囲碁ライターとして読売新聞社主催の棋聖戦などで健筆を振るい、囲碁界のご意見番的存在だった。
箭内 健次(やない けんじ、1910年1月16日 - 200… 箭内 健次(やない けんじ、1910年1月16日 - 2006年)は、日本の歴史学者。 東京都小石川に、東洋史学者箭内亘の次男として生まれる。旧制静岡高等学校から、1934年東京帝国大学国史学科卒業。36年台北帝国大学講師、38年助教授、敗戦によって引き上げ、47年外務省調査課入局、48年文部省教科書局、50年金沢大学教授、53年九州大学教授、64年同文化史研究所所長、68年東海大学教授、74年駒澤大学教授。
中嶋 敏(なかじま さとし、1910年1月9日 - 2007… 中嶋 敏(なかじま さとし、1910年1月9日 - 2007年6月24日)は、日本の東洋史学者。東京教育大学名誉教授。 1910年、石川県生まれ。1927年、旧制静岡県立静岡中学校卒業。1930年、旧制静岡高等学校卒業。東京帝国大学文学部東洋史学科卒業。東方文化学院研究員、民族研究所を経て、東京高等師範学校、東京教育大学教授、大東文化大学教授。東京教育大学名誉教授、東洋文庫研究員・評議員。 2007年6月24日、心筋梗塞のため死去。
大礒 義雄(おおいそ よしお、1910年1月3日 - 201… 大礒 義雄(おおいそ よしお、1910年1月3日 - 2015年)は、日本の国文学者。 東京市本郷区本郷生まれ。実は明治42年12月12日生まれだが届けが遅れて戸籍上は明治43年1月3日生まれになったという。1922年元町小学校、1927年東京府立第五中学校卒業、1年間浪人して1928年静岡高等学校文科甲類に入学。1931年東京帝国大学文学部国文科入学、志田義秀に師事する。1934年3月卒業するが不況下で就職口がなく、9月群馬県立渋川中学校に就職、1938年、新設の東京府立第十一高等女学校に移る。1944年6月愛知第二師範学校に移り、愛知学芸大学助教授、愛知教育大学教授、1976年定年退官。名誉教授となり、愛知大学教授を務める。
松村 博司(まつむら ひろじ、1909年11月5日 - 19… 松村 博司(まつむら ひろじ、1909年11月5日 - 1990年10月30日)は、日本の国文学者。名古屋大学名誉教授。文学博士。1958年、日本学士院賞受賞。 静岡県島田市出身。静岡県立静岡中学校、静岡高等学校 (旧制)文科丙類を経て、1933年、東京帝国大学文学部国文科卒業。1957年「栄花物語の研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。 1933年から1938年まで、母校の静岡中学で教鞭を執った(国漢)。山形高等学校教授、第八高等学校教授、名古屋大学文学部助教授を経て、1959年、同教授。1973年、定年退官、名誉教授。南山大学教授。1980年、南山大学退職。1958年、「栄花物語の研究」で日本学士院賞受賞。
斎藤 寿夫(齋藤 壽夫、さいとう としお、1908年1月11… 斎藤 寿夫(齋藤 壽夫、さいとう としお、1908年1月11日 - 1999年5月24日)は、昭和期の政治家、官僚。静岡県知事(公選第2 - 5代)。衆議院議員(1期)、参議院議員(1期)。 現在の静岡県富士市に、大地主の長男として生まれる。旧制静岡高等学校を経て、1933年京都帝国大学法学部を卒業。学生時代は河上肇の講義に親しみ、学究の道を志していたが、滝川事件を機に官吏へと志望を変更し、1934年高等文官試験に合格、内務省に入省。 厚生省引揚援護局指導課長、静岡県民生部長、同総務部長を経て、1951年静岡県知事小林武治との政争の末自由党の公認取り付けに成功、同県知事選に立候補し当選を果たす。
松丸 志摩三(まつまる しまぞう、1907年8月19日 - … 松丸 志摩三(まつまる しまぞう、1907年8月19日 - 1973年11月7日)は、日本の農民教育家・農業評論家・畜産学者。詩人・社会運動家・元共産党員のぬやま・ひろし(西沢隆二)は実兄。 西沢吉治・松丸みつの三男として神戸に生まれる。長兄・基一、次兄・隆二。 台町小学校から深川八丁堀の小学校に転校、麻布中学を経て旧制静岡高等学校理科を卒業。 1925年、父親の事業の破産に遭い、両親が八丈島に移住したのにつれて移住。 1932年、東京帝国大学農学部獣医学科を卒業。卒業と同時に松丸姓を継ぐ。すぐに朝鮮に渡り、全羅北道で農林学校の教諭を1年余り務めたのち、朝鮮総督府畜産技師となり、1940年、畜産課長となる。
山口 森三(やまぐち しんぞう、1907年〈明治40年〉8月… 山口 森三(やまぐち しんぞう、1907年〈明治40年〉8月15日 - 2002年〈平成14年〉2月23日)は、昭和時代戦後の政治家、初代藤枝市長。藤枝市名誉市民。勲四等旭日小綬章受章。 1907年8月、静岡県志太郡大富村中新田の大畑貞吉の三男として生まれる。1920年(大正9年)大富小学校尋常科卒業。1925年(大正14年)静岡県立静岡中学校卒業。静岡高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学を卒業。1932年(昭和7年)代議士山口忠五郎の養子となる。同年、陸軍経理部幹部候補生として、名古屋歩兵第6連隊に入隊。年末除籍。1933年(昭和8年)大同電力に入社。1941年(昭和16)年召集、名古屋停車場司令部、名古屋地区鉄道司令部を経て、1945年(昭和20年)12月召集解除(陸軍主計大尉)。
土屋 香鹿(つちや こうろく / かろく、1906年〈明治3… 土屋 香鹿(つちや こうろく / かろく、1906年〈明治39年〉8月28日 - 2006年〈平成18年〉11月26日)は、日本の内務官僚、弁護士。福岡県知事。静岡県浜松市出身。 浜名郡白脇村出身の海軍大佐土屋芳樹の四男として生まれる。1926年(大正15年)3月、静岡高等学校文科乙類を卒業。1928年(昭和3年)高等試験行政科に合格。1929年(昭和4年)東京帝国大学法学部法律学科を卒業。同年内務省に入省し新潟県属となる。1930年(昭和5年)高等試験司法科に合格。新潟県知事官房文書課長、愛媛県地方課長、同農商課長、徳島県警察部特高課長、山形県警察部特高課長、埼玉県警察部特高課長、京都府商工課長、同庶務兼人事課長、岐阜県官房長、同経済部第二部長、山口県経済部第一部長、福岡県警察部長、同県内部部長などを歴任。
平山 行三(ひらやま こうぞう、1906年 2月27日– 1… 平山 行三(ひらやま こうぞう、1906年 2月27日– 1992年4月28日)は日本の法制史学者。 東京府東京市牛込区払方町の、海軍教授や海軍大学校教官を務めた平山順の三男として生まれる。父の弟である叔父に天文学者の平山信がいる。祖父の平山銓は旧幕臣であった。1924年に東京高等師範学校附属中学校を卒業。1928年に静岡高等学校を卒業し、東京帝国大学文学部国史学科に入学。1931年に卒業。卒業論文は「守護地頭制度の崩壊」。徳川林政史研究所研究員、和歌山県立日高高等女学校教諭、和歌山青年師範学校教諭を経て、1949年に和歌山大学助教授、1952年に同大学教授。1971年に退官し、同大学名誉教授。
和島 芳男(わじま よしお、1905年 6月1日- 1983… 和島 芳男(わじま よしお、1905年 6月1日- 1983年2月28日)は、日本の歴史学者。 東京府東京市生まれ。1926年静岡高等学校卒業。1929年東京帝国大学文学部国史学科卒。立教大学講師、1936年神戸女学院專門學校教授、神戸女学院大学教授、1966年同学長、のち大手前女子大学教授。日本思想史が専門で、特に日本宋学史研究で功績を残した。
稲村 松雄(いなむら まつお、1905年1月28日 - 19… 稲村 松雄(いなむら まつお、1905年1月28日 - 1996年11月12日)は、日本の英語教育学者。 東京府八王子に織染工場の子として生まれる。静岡高等学校卒業、1929年東京帝国大学文学部英文科卒業。1931年静岡高等学校教授、1950年静岡大学教授、1952年学習院大学教授、1975年定年、名誉教授。1974年『ランダムハウス英和大辞典』で日本翻訳出版文化賞受賞。
小川 太郎(おがわ たろう、1904年(明治37年)12月 … 小川 太郎(おがわ たろう、1904年(明治37年)12月 - 1986年(昭和61年))は、日本の刑務官、行刑学者。 茨城県竜ケ崎生まれ。旧制静岡高等学校卒、1929年東京帝国大学経済学部卒、1931年京都府警部補、1932年司法省看守長、1936年府中刑務所典獄補、1938年滋賀刑務所長、1940年司法事務官、1942年司法書記官、1948年法務庁成人矯正保護局長、1949年関東地方成人矯正保護委員会委員長、1954年関東医療少年院長、1958年法務総合研究所第二部長、1958年アジア極東犯罪防止研修所次長、1965年「保護観察を基点とした保安処分」で東大法学博士。19966年亜細亜大学法学部教授、1970-75年法学部長、1975年学校法人亜細亜学園理事、1982年亜細亜大を定年退任。
岡崎 忠(おかざき ちゅう、1904年10月1日 - 199… 岡崎 忠(おかざき ちゅう、1904年10月1日 - 1990年2月10日)は、昭和後期から平成期の実業家。岡崎財閥の2代目総帥で、神戸商工会議所会頭等を務めた岡崎忠雄の婿養子。元海軍中将川島令次郎の四男。東京都出身。 旧制静岡高校を経て、1929年東京帝国大学を卒業後、三菱倉庫に勤務していたが、1931年岡崎忠雄の婿養子となり、1933年神戸岡崎銀行(後の神戸銀行、現在の三井住友銀行)に入行した。 1936年に神戸銀行が誕生して以降は、支店次長、支店長、本店営業部長などを歴任、1945年に常務、1947年1月に当時の経営陣が公職追放を受けて銀行を去ると、その翌月に頭取に就任。戦後の混乱の中、都市銀行としての確固たる地位を築き上げた。
塚本 憲甫(つかもと けんぽ、1904年9月16日 - 19… 塚本 憲甫(つかもと けんぽ、1904年9月16日 - 1974年6月7日)は日本の医学者。専門は放射線医学。国立がんセンター総長を務めた。 東京府で塚本道遠、塚本ハマの三男として生まれる。旧制静岡高校卒業。静岡高校時代以来の親友に長沼弘毅がいる。1927年東京帝国大学医学部に入学。1928年憲甫は年子(旧姓小林)と結婚。1929年10月29日長女ルリ子が生まれる。1931年4月、憲甫、東大臨床医学修了。稲田龍吉の内科医局に在籍した後、癌研究会附属病院の放射線科に入りがんの放射線治療にあたる。戦後茅誠司らの薦めで放射線医学総合研究所の二代目所長となる。1967年、久留勝の引きで国立がんセンター病院長となり、久留の後任として国立がんセンター総長となるが、自身ががんに罹り1974年6月7日総長在職のまま死去。
丸山 武夫(まるやま たけお、1904年〈明治37年〉7月1… 丸山 武夫(まるやま たけお、1904年〈明治37年〉7月19日 - 1997年〈平成9年〉10月29日)は、日本のドイツ文学者。獨協大学名誉教授。 群馬県吾妻郡中之条町生まれ。旧制中之条農学校、旧制静岡高等学校文科乙類を経て、東京帝国大学文学部独文科卒。旧制第五高等学校講師、旧制松本高等学校教授を経て、1950年東京大学助教授、1953年には教授に就任。1965年に定年退官し、獨協大学教授となる。1969年文学博士。外国語学部長を経て1975年定年退任、名誉教授。 1997年、呼吸不全のため死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
佐藤 正二(さとう しょうじ、1903年(明治36年)2月2… 佐藤 正二(さとう しょうじ、1903年(明治36年)2月28日 - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚、海軍司政官。 福井県福井市に生まれる。静岡高等学校を卒業。1929年(昭和4年)3月、京都帝国大学法学部を卒業し、同年10月高等試験行政科に合格する。1932年(昭和7年)12月、府属に任ぜられ、1937年(昭和12年)11月、地方理事官に進み、高雄州潮州郡守に就任。 その後は、高雄税関監視部長、外事部第二課勤務、台南州教育課長、同州地方課長、同州総務課長などを歴任した。1943年(昭和18年)3月31日、海軍司政官に任じられ南西方面艦隊ボルネオ民政部部員に発令された。
斎藤 久雄(さいとう ひさお、1903年〈明治36年〉 - … 斎藤 久雄(さいとう ひさお、1903年〈明治36年〉 - 1992年〈平成4年〉)は、日本の文学者(ドイツ文学)。静岡大学名誉教授。 静岡高等学校、静岡大学での勤務を経て、静岡女子大学学長(第2代)などを歴任した。 山梨県出身のドイツ文学者である。ノヴァーリスの作品の翻訳を手掛けたことで知られている。静岡高等学校、および、その後身の静岡大学にて教鞭を執った。静岡女子大学では学長に就任するなど、静岡県における女子教育の充実に尽力した。 1903年(明治36年)に生まれ、山梨県にて育つ。1926年(大正15年)に東京帝国大学に入学し、文学部のドイツ文学科にて学んだ。 その後はドイツ文学の研究者として活動する。