西原 廉太(にしはら れんた、1962年8月26日 - )は… 西原 廉太(にしはら れんた、1962年8月26日 - )は、日本聖公会の聖職者、日本の神学者。教名はアシジのフランシス。第22代立教大学総長。立教大学文学部キリスト教学科、立教大学大学院キリスト教学研究科教授。専門はアングリカニズム(英国宗教改革神学)、エキュメニカル神学。 立教大学文学部長、大学院文学研究科委員長、立教学院副院長・常務理事(社会連携担当)、立教大学副総長などを歴任。聖公会神学院特任教員・校長補佐。日本聖公会中部教区主教。桜美林学園理事。聖路加国際大学理事。日本クリスチャン・アカデミー評議員。日本聖公会管区渉外主査。日本聖公会管区共通試験委員会委員(教理)。日本聖公会教礼組委員(教理)。
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森山信三(もりやま しんぞう、Sulpizio Shinzo… 森山信三(もりやま しんぞう、Sulpizio Shinzo Moriyama、1959年1月17日 - )は、カトリック教会の聖職者。カトリック大分司教区の司教。洗礼名は「スルピス」。 1959年1月17日、福岡県福岡市生まれ。箱崎教会出身。1981年に福岡大学を卒業し、聖スルピス大神学院に入学。1984年に慶應義塾大学で哲学の学士号を、1988年には聖スルピス大神学院で神学の学士号を修得。1988年3月21日、カトリック福岡司教区で平田三郎司教より司祭に叙階された。 1988年から1991年まで福岡司教区の大名町教会、1991年から1993年まで小倉教会で助任司祭を務め、1993年から1995年まで福岡小神学院の院長を務めた。
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山野内 倫昭(やまのうち みちあき、1955年12月8日 -… 山野内 倫昭(やまのうち みちあき、1955年12月8日 - )は、カトリック教会の聖職者、サレジオ会士。カトリックさいたま教区の司教である。洗礼名は「マリオ」。 1955年12月8日、大分県佐伯市生まれ。1964年、家族と共にアルゼンチンへ移住。1975年、移住したアルゼンチンでサレジオ修道会に入会。1976年から1979年まで哲学と神学を学び、神学と教育学の学士号を修得。1984年1月31日に終生誓願、1984年12月21日に司祭に叙階された。叙階後、1985年から1988年まで、アルゼンチンのコルドバでサレジオ会哲学院で養成を担当。1988年から1991年まで、サレジオ会哲学院院長と管区評議員。
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前田 万葉(まえだ まんよう、Thomas Aquinas … 前田 万葉(まえだ まんよう、Thomas Aquinas Manyo Maeda、1949年3月3日 - )は、日本のカトリック高位聖職者、俳人。被爆2世。第3代広島司教、第8代大阪大司教を経て、初代大阪高松大司教兼枢機卿。洗礼名は「トマス・アクィナス」。 長崎県南松浦郡北魚目村(現・新上五島町)仲知にて、11人兄弟の長男として生まれる。1967年に長崎南山中学校・高等学校卒業後、1975年3月19日、聖スルピス大神学院を卒業し司祭叙階。その後、久賀島の教会に勤めていたものの、1979年頃に異動命令を受ける。2006年4月、カトリック中央協議会事務局長。 2011年6月13日、教皇ベネディクト16世より広島司教に任じられ、同年9月23日に司教叙階。
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郡山 健次郎(こおりやま けんじろう、Paul Kenjir… 郡山 健次郎(こおりやま けんじろう、Paul Kenjiro Koriyama, 1942年8月20日-)は、日本のカトリック教会聖職者。カトリック鹿児島司教区名誉司教。洗礼名は「パウロ」。 鹿児島県大島郡竜郷町瀬留で郡山為業・セツ夫妻の7人兄弟の次男として生まれる。本人によれば、父は家に客があると手を頭の上に置き、「この子は司祭になる」と言っていた。名瀬の大島高等学校を卒業後、予備校に通っている間に司祭への召命を感じ、1964 年4月に鹿児島教区神学生として福岡サン・ スルピス大神学院へ入学。1972年3月20日、奄美大島名瀬の聖心教会で鹿児島教区糸永真一司教により司祭に叙階された。 33年間教区司祭として8小教区で働く以外に、教区青少年担当司祭、CLC(クリスチャンライフコミュニティー)、ME(マリッジエンカウンター)などを担当した。
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岡田 武夫(おかだ たけお、Peter Takeo Okad… 岡田 武夫(おかだ たけお、Peter Takeo Okada, 1941年10月24日 - 2020年12月18日)は、日本のカトリック教会聖職者。カトリック浦和司教区(現カトリックさいたま教区)第3代司教とカトリック東京大司教区の第8代大司教を務めた。洗礼名は「ペトロ」。 千葉県市原市に生まれ、東京大学法学部在学中にプロテスタントからカトリックに転会する。 1973年11月3日に司祭に叙階された。船橋教会助任司祭、西千葉教会主任代行を経て、1975年~1979年にローマに留学。帰国後、柏教会主任司祭、日本カトリック宣教研究所所長を歴任した後、1991年4月15日に教皇ヨハネ・パウロ2世により、カトリック浦和教区(現在のさいたま教区)の司教に任命され、同年9月16日に白柳誠一枢機卿、および大阪教区・安田久雄大司教と長崎教区・島本要大司教の共同司式により、司教叙階の秘跡を受けた。
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森 紀旦(もり としあき、1940年1月1日 - 2018年… 森 紀旦(もり としあき、1940年1月1日 - 2018年7月10日)は、日本の聖職者、神学者、教育者。聖公会神学院校長、ウイリアムス神学館館長、日本聖公会中部教区主教。 1940年、埼玉県生まれ。 1966年に聖公会神学院を卒業し、翌1967年に執事叙任。1969年に司祭叙任。 1970年、立教大学大学院文学研究科修士課程修了。 1971年、米国マサチューセッツ州ケンブリッジのエピスコパル神学校に留学。 1976年、立教大学大学院文学研究科博士課程修了。 日本聖公会北関東教区の諸教会で牧会し、立教大学文学部キリスト教学科の講師を務め、ギリシア語や新約聖書を講じる。 聖公会神学院校長、ウイリアムス神学館館長を歴任し、新約聖書学、礼拝学を教える。
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野村 純一(のむら じゅんいち、Augustinus Jun… 野村 純一(のむら じゅんいち、Augustinus Jun’ichi Nomura, 1937年11月20日-)は、日本のカトリック教会聖職者。カトリック名古屋教区第3代司教を務めた。洗礼名は「アウグスチノ」。 高知県高知市に長男として生まれ、1949年8月15日に主税町教会で受洗。1956年に東京カトリック神学院、上智大学文学部哲学科に進み、1962年3月に上智大学大学院哲学研究科修士課程修了。同年にローマ・プロパガンダ神学校へ留学し、1964年12月19日にローマ・プロパガンダ神学校聖堂で司祭に叙階。1967年6月に教皇庁立ウルバノ大学神学部博士課程修了し、同年9月に帰国。 1967年9月から、カトリック主税町教会、カトリック名古屋教区本部事務局、東京カトリック神学院、カトリック小牧教会、カトリック布池教会司祭を経て、 1993年7月4日に名古屋教区司教に叙階され、教区長に就任。
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池長 潤(いけなが じゅん、1937年3月11日 - )は、… 池長 潤(いけなが じゅん、1937年3月11日 - )は、日本のカトリック高位聖職者、イエズス会士。第7代大阪大司教。洗礼名はレオ。 兵庫県神戸市生まれ。父は育英商業学校校長を務めた池長孟。兄は摂南大学教授だった倫理学者の池長澄。 1962年上智大学文学部ラテン哲学科卒業、1967年上智大学神学部卒業。 1968年(昭和43年)3月20日、司祭に叙階。 1995年11月2日、教皇ヨハネ・パウロ2世により、大阪教区協働大司教に任命された。1996年3月20日、パウロ安田久雄大阪大司教により、司教叙階の秘跡を受けた。 1997年5月10日、安田久雄の引退承認に伴い、大阪大司教の職務を引き継いだ。着座式は同年6月22日に行われた。
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三浦 功(みうら いさお、1930年12月2日 - 2021… 三浦 功(みうら いさお、1930年12月2日 - 2021年10月11日)は、日本のカトリック聖職者。イエズス会員 使徒ヨハネ。 山口県下関生まれ。高校卒業後、地元の信用金庫に勤務。その後、聖職者を志し、上京。上智大学文学部卒、1964年同大学院哲学専攻博士課程満期退学、1967年、神学研究科修士課程修了。1957年、イエズス会に入会。1966年、司祭叙階。宇部、長府、大船、萩、下関細江、彦島各カトリック教会で宣教師牧活動に従事。ノートルダム清心女子大学家政学部助教授。聖園女学院中学校・高等学校にて生徒の父親を対象とした聖書研究会を担当。2021年10月11日に帰天された。14日カトリック麹町聖イグナチオ教会主聖堂にて追悼ミサが行われ、葬儀ミサ・告別式がYouTubeにてライブ配信される。
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松永 久次郎(まつなが ひさじろう、Joseph Hisaj… 松永 久次郎(まつなが ひさじろう、Joseph Hisajiro Matsunaga, 1930年3月7日-2006年6月2日)は、日本のカトリック教会聖職者。カトリック長崎大司教区補佐司教およびカトリック福岡司教区第3代司教を務めた。洗礼名は「ヨゼフ」。 長崎県平戸市深川町出身。小学校時代は鹿児島教区糸永真一司教と侍者仲間であった。長崎公教神学校(現長崎カトリック神学院)で学び、1949年4月に福岡サン・スルピス大神学院に入学。 1953年にローマのプロパガンダ・ウルバノ大学へ留学。1956年12月22日に司祭に叙階され、ラテラノ大学で教会法博士号、アテネオ・アンゼリコ大学で神学博士号を取得した。
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佐藤 正明(さとう まさあき、1929年9月23日 - )は… 佐藤 正明(さとう まさあき、1929年9月23日 - )は、日本のカトリック聖職者・神学者。 神奈川県藤沢市出身。1948年カトリック教会にて受洗(洗礼名ヨセフ)。上智大学卒、エルマー神学大学倫理神学科卒。玉川大学文学部講師、助教授、教授(教育学)。国際援助団体・手を貸す運動代表。社会福祉法人・地の星理事。西アフリカ・シエラレオネにあるグァダルーペ聖母女子学園(OLG学園)を支援した。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:キリスト教/PJ:キリスト教)。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。
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西原明(にしはら あきら、1928年 - 2009年4月18… 西原明(にしはら あきら、1928年 - 2009年4月18日)は、日本のキリスト教聖職者。兵庫県神戸市出身。島之内教会第12代牧師。海外留学の経験より教会の公開に努め、音楽関係・演劇関係・自殺防止の働きなどで多方面と交流があった。特に晩年は自殺防止活動に注力した。
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奥村 一郎(おくむら いちろう 1923年 - 2014年6… 奥村 一郎(おくむら いちろう 1923年 - 2014年6月4日)は、日本のカトリック教会の聖職者、カルメル会の修道司祭。 1923年、岐阜県に生まれる。旧制高等学校在学中より臨済宗の中川宗淵に師事。1948年、東京大学法学部政治学科卒業。文学部宗教学科に入学。同年12月12日、カトリック大森教会にて、下山正義神父より受洗。1951年、同大文学部宗教学科卒業。渡仏し、カトリック修道会であるカルメル会(男子跣足カルメル修道会)に入会(当時の日本にはまだ男子カルメル会修道院はなく、女子カルメル会修道院しかなかったため)。1957年、ローマで司祭に叙階される。1959年に帰国。以来、仏教との対話、執筆活動に従事。
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安田 久雄(やすだ ひさお、Paul Hisao Yasud… 安田 久雄(やすだ ひさお、Paul Hisao Yasuda, 1921年12月20日 - 2016年4月23日)は、日本のカトリック教会聖職者。カトリック大阪大司教区第2代司教。洗礼名は「パウロ」。 福岡県久留米市生まれ。1943年に東京帝国大学農学部水産学科を卒業後、同年から中央気象台化学科生物係、1945年10月から1947年2月まで神戸海洋気象台海洋課化学生物係で働いた。 1951年に東京の上智大学文学部哲学科を卒業し、同年7月から1955年6月までアメリカ合衆国に留学。ボルティモアの聖マリア大学で学び、1955年5月21日に司祭に叙階。同年10月から1957年10月までローマに留学し、教皇庁立ウルバノ大学大学院博士課程を卒業した。
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石塚 尊俊(いしづか たかとし、1918年9月21日 - 2… 石塚 尊俊(いしづか たかとし、1918年9月21日 - 2014年4月16日)は、日本の民俗学者、神官。島根県を本拠地に、当地域を中心とした地方の民俗学を牽引した。 1918年(大正7年)、島根県大津村(2006年現在の出雲市大津町石塚村)の社家の長男として生まれる。少年時代は簸川郡大津村小学校(現・出雲市立大津小学校)、島根県立大社中学校(現・島根県立大社高等学校)に通った。中学時代は理数科が苦手であった反面、歴史に興味をもち、郷土史の作成、出雲市長廻谷横穴墓群の調査などをおこなった。 1936年(昭和11年)、 國學院大學神道部に進学するにあたって上京する。小学校教員になるために師範学校へ行かせようとする親に上京を反対されたものの、伯母の助言で「伯母の監督つき」の条件のもと許されている。
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矢崎 健一(やざき けんいち、1918年 - 没年不詳)は、… 矢崎 健一(やざき けんいち、1918年 - 没年不詳)は、日本の聖職者、教育者。日本聖公会の聖職者として小金井聖公会主任司祭や、教育者として立教大学一般教養部助教授を務める傍ら、立教学院百年史の編纂を提案し刊行するなど、立教学院の史実を掘り起こし、歴史を体系化することに尽力した。 1940年(昭和15年)、立教大学文学部宗教学科卒業。 1954年(昭和29年)、矢崎は小金井聖公会の主任司祭に就任する。1951年(昭和26年)に購入してあった用地に、牧師館と小金井聖公会仮聖堂が建てられ、同年12月12日には献堂式が行われた。 1964年(昭和39年)の秋頃、立教大学一般教育部助教授であった矢崎は、立教学院の年史書である「立教学院八十五年史」の次の年史である「立教学院百年史」の編纂を立教大学文学部史学科教授の海老沢有道とともに提案し、編纂を進めた。
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相馬 信夫(そうま のぶお、Aloysius Nobuo S… 相馬 信夫(そうま のぶお、Aloysius Nobuo Soma, 1916年6月21日-1997年10月6日)は、日本のカトリック教会聖職者。洗礼名は「アロイジオ」。カトリック名古屋教区第2代司教を務めた。 相馬又二郎と鈴子の三男として、東京市神田区で生まれた。祖父は専修大学創立者相馬永胤。1921年にカトリック神田教会で受洗し、1934年3月に浦和高等学校を卒業し、1941年3月に東京帝国大学理学部天文学科を卒業。さらに同大学院で学んだ。1942年に応召し、ニューブリテン島現パプア・ニューギニアのラバウルに出征。1946年に帰国。 1953年に東京カトリック神学院入学。1960年3月18日に東京教区司祭として叙階された。
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広安 孝夫(ひろやす たかお、1910年4月17日 - 19… 広安 孝夫(ひろやす たかお、1910年4月17日 - 1959年4月18日)は、日本の官僚、聖職者、教育者、翻訳家。文部省文部事務官、文部省宗教課文部属、日本聖公会の伝道師。 1910年(明治43年)4月17日、広島県沼隈郡郷村(現・福山市)にて、広安助一郎の三男として生まれる。 1923年(大正12年)、広島県立福山中学校(現・広島県立福山誠之館高等学校)へ入学。結核のため2年間の休学を経て、1930年に同校を卒業。青年期に兄・広安謙一の影響を受けてキリスト教を知るが、兄は、札幌農学校のクラーク博士の遺風を慕って、北海道帝国大学医学部に学び、後に旭川で開業医となっている。 1932年(昭和7年)3月25日に、地元の福山基督教会の司祭・横田金熊のもとで洗礼を受ける。
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ハインリヒ・デュモリン(ドイツ語: Heinrich Dum… ハインリヒ・デュモリン(ドイツ語: Heinrich Dumoulin、1905年5月31日 - 1995年7月21日)は、ドイツ出身で日本で活動した聖職者、比較思想史学者。 1905年、ドイツのラインラント・ウェベリングホーフィンで生まれた。1924年にイエズス会入会。1933年、司祭に叙階。オランダのファルケンブルヒ大学で学び、卒業。フランスのファルツ大学でも学び、ベルリン大学大学院で神学博士号を取得。 1935年に来日。1936年~1939年東京帝国大学で宗教史・東洋思想を学んだ。1946年、学位論文『賀茂真淵』を東京大学に提出して文学博士号を取得。1941年に上智大学講師となり、後に助教授、教授昇格。
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関屋 正彦(せきや まさひこ、1904年11月13日 - 1… 関屋 正彦(せきや まさひこ、1904年11月13日 - 1994年8月27日)は、日本の教育者、聖職者、官僚。立教英国学院校長、聖ヨハネ大学教授、普連土学園校長、日本聖公会の聖職者。 1904年、関屋貞三郎(第17代静岡県知事、貴族院議員)の長男として生まれる。 一高を経て、東京帝国大学法科を卒業後、内務省と進むも長野県庁出向時に辞職。 母親・キヌの影響で日本聖公会の信徒であったことから聖職者を志し、1930年にケンブリッジ大学ウエスト・コット・ハウス神学校(英語版)に留学。 1931年に満州事変がおこり、国は満州国建設と中国制覇に傾倒していくが、関谷は何が正しいかを考える青年の養成を志し、1932年に帰国すると東京北区滝野川に学生塾「一心塾」と開拓教会を開いた。
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荒井 勝三郎(あらい かつさぶろう、Lucas Katsus… 荒井 勝三郎(あらい かつさぶろう、Lucas Katsusaburo Arai、1904年10月17日 - 1990年7月25日)は、日本のカトリック高位聖職者。横浜司教区第6代教区長及び第4代司教。洗礼名はルカ。 栃木県宇都宮市出身。東京の暁星中学校を経てフランスに留学し、パリのサンスルビス神学大学哲学神学部を卒業後、1930年に当地で司祭に叙階された。 帰国後は東京大司教区の千葉教会、本郷教会、麹町教会担当及び大司教館付を歴任。 1949年には松戸教会の建設用地を確保し、1950年に定礎式を司式している 1951年5月に引退した脇田浅五郎司教の後任として同年12月9日に司教に任命され、1952年2月24日に司教に叙階された。
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北見 恂吉(きたみ じゅんきち、1902年 - 1990年)… 北見 恂吉(きたみ じゅんきち、1902年 - 1990年)は、日本の神官、歌人。 本名・鈴木重道。北海道出身。余市の神社の息子に生まれる。小樽中学校で二年後輩の伊藤整に、通学列車の中で島崎藤村詩集を教え、影響を与えた。伊藤の自伝的小説『若い詩人の肖像』に、本名が実名で登場する。 伊勢の神宮皇學館本科を卒業して、神宮文庫に勤務。根岸短歌会系の五更会に入り、同誌の編集発行を担当、岡麓に師事して短歌も詠んだ。埼玉県立久喜高等女学校教諭を6年勤めたのち、1934年に帰郷して神官となる。1937年より朝鮮神宮主典として京城に赴任して朝鮮総督府祭務官となるが、本州勤務を希望し福島県の伊佐須美神社宮司となり、そこで敗戦を迎える。
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戸田 帯刀(とだ たてわき、1898年3月23日 - 194… 戸田 帯刀(とだ たてわき、1898年3月23日 - 1945年8月18日)は、日本のカトリック聖職者。洗礼名はラウレンチオ。カトリック札幌使徒座代理および横浜教区長を務め、終戦直後の8月18日に射殺された。 1898年(明治31年)3月23日、山梨県東山梨郡西保村に生まれる。1923年(大正12年)11月にローマ・ウルバノ大学へ留学し、1927年(昭和2年)12月17日に司祭に叙階された。 1940年(昭和15年)10月11日に札幌使徒座代理に任命され、太平洋戦争中の1942年(昭和17年)3月、「米英を相手に戦争したらどうなるか分からない」と同僚神父に話したとして旧陸軍刑法違反で逮捕された。
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平井 清(ひらい きよし、1896年10月4日 - 1979… 平井 清(ひらい きよし、1896年10月4日 - 1979年1月16日)は、日本のキリスト教聖職者。日本福音ルーテル教会牧師。 久留米ルーテル教会伝道者平井輝熊の長男として、福岡県遠賀郡に生まれる。1911年4月博多ルーテル教会で山内量平より受洗。1916年福岡県立中学修猷館を経て、同年九州学院(現・九州学院中学校・高等学校)神学部に入学。在学中に渡米してレノア・リン・カレッジ、フィラデルフィア・ルーテル神学校、更にドイツに渡ってライプツィヒ大学神学部で学び、1927年帰国。 名古屋の千種教会牧師、目黒(都南)教会初代牧師を歴任。日本ルーテル神学専門学校(1964年日本ルーテル神学大学となり、1996年ルーテル学院大学と改称)教授も務めた。
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土井 辰雄(どい たつお、1892年12月22日 - 197… 土井 辰雄(どい たつお、1892年12月22日 - 1970年2月21日)は、大正・昭和期の日本のカトリック教会高位聖職者。洗礼名はペトロ。日本人初の東京大司教かつ、日本人初の枢機卿。 宮城県仙台市出身。1902年4月21日に洗礼を受ける。仙台第一中学(現・宮城県仙台第一高等学校)・第二高等学校(旧制)卒業後、ローマのウルバノ大学に留学し、神学・哲学の学位を得て帰国。1921年5月1日に司祭叙階。宮城県、岩手県の教会にて司牧活動の後、在京ローマ教皇使節秘書を務めていた。 パリ外国宣教会によって司牧されていた東京大司教区が1937年に邦人教区として独立した時、初代邦人大司教として東京教区長に任命され、1938年2月13日にジャン・アレキシス・シャンボン大司教の手により司教叙階を受けた。
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西村 敬太郎(にしむら けいたろう、1892年3月1日 - … 西村 敬太郎(にしむら けいたろう、1892年3月1日 - 1971年11月7日)は、日本の聖職者、教育者。日本聖公会の聖職者として真光教会や浦和や福島で司牧したほか、立教大学でチャプレン、学生部長および講師を務めた。 1892年(明治25年)、東京府東京市日本橋区瀬戸物町出身。1916年(大正5年)、立教大学文学部卒業。同級生に中国の政治家の陳樹人(広東省長、国民党外務大臣、嶺南画派の創始者の一人)がいる。 1923年(大正12年)に日本聖公会の執事となり、1926年(大正15年/昭和元年)に司祭に按手。 聖職者として浦和や福島で司牧したほか、1935年(昭和10年)に当時本所区(現・墨田区)にあった真光教会の第2代牧師として着任。
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湯浅 八郎(ゆあさ はちろう、1890年(明治23年)4月2… 湯浅 八郎(ゆあさ はちろう、1890年(明治23年)4月29日 - 1981年(昭和56年)8月15日)は、日本の昆虫学者・教育者・キリスト者。第10・12・13代同志社総長および初代国際基督教大学学長を歴任した。湯浅治郎の五男。 1890年(明治23年)、東京市赤坂に生まれた。父は同志社理事・群馬県会議長・衆議院議員を務めた実業家・政治家である湯浅治郎、母は徳富蘇峰・徳富蘆花兄弟の姉である初子である。湯浅家は当時の日本ではまだ珍しい、クリスチャン・ホームであった(父方の叔父に聖書学者として知られる湯浅吉郎がいる)。少年期は主として京都で過ごした。 1902年(明治35年)に同志社普通学校に入学、1908年(明治41年)に卒業し、米国に渡った。
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長谷部 栄二郎(はせべ えいじろう、1887年〈明治20年〉… 長谷部 栄二郎(はせべ えいじろう、1887年〈明治20年〉10月28日 - 1972年〈昭和47年〉12月26日)は、日本の神官。 虎杖子と号する俳人としても知られる。北海道俳壇の重鎮と呼ばれ、門弟の数は700人以上におよんだ。 1887年(明治20年)10月28日、宮城県亘理郡亘理村の尾形家に生まれる。 幼少時に自家が火災で焼失したため、両親とともに1890年(明治23年)、北海道有珠郡伊達村に移住する。これは、本家の尾形弥平が伊達邦成の家臣で、1873年(明治6年)に伊達へ入植していたのを頼ったものであった。 やがて成長した栄二郎は、札幌の帝国製麻琴似製線工場に就職。そして当別町の神官・長谷部多八の3女である亀菊と結婚し、長谷部家の婿養子となった。
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高松 孝治(たかまつ たかはる、1887年 - 1946年2… 高松 孝治(たかまつ たかはる、1887年 - 1946年2月13日)は、日本の神学者、教育者、聖職者。立教大学教授、大学チャプレン(牧師)、立教学院理事。ギリシア語の権威で語学の天才と呼ばれた。 立教大学文科(現在の文学部)を1回生として1911年(明治44年)に卒業した。小島茂雄(立教大学元文学部長、立教中学校元校長)や久保田正次(立教大学元教授、立教大学野球部元部長、商学部卒)と同級であった。 その後、聖公会神学院を経て渡米し、ケンブリッジ神学院、ハーバード大学神学部で学び神学博士(DD)を取得した。ギリシア語も修学する。 帰国後、京都聖マリア教会の牧師を務める。高松は立教学院のミッションでは1909年に伝道部主任、1910年には日曜学校部を担当する。
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秋岡 保治(あきおか やすじ、 1886年〈明治19年〉6月… 秋岡 保治(あきおか やすじ、 1886年〈明治19年〉6月1日 - 1971年〈昭和46年〉3月7日 )は日本の教育者であり神官である。岡山県倉敷市出身。 1886年(明治19年)岡山県窪屋郡大島村(現:倉敷市)に生まれる。旧制高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)を卒業後、國學院大學予科を経て、東京神官講習所である國學院大學へ入学する。1910年(明治43年)國學院大學国史科を卒業した。 卒業後、同年に旧制千葉中学(現:千葉県立千葉高等学校)へ教諭として赴任。1912年(明治45年)4月に埼玉県金鑚神社の宮司となり、1913年(大正2年)には、一年志願兵として大日本帝国陸軍歩兵第41連隊へ所属した。
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稲垣 陽一郎(いながき よういちろう、1876年〈明治9年〉… 稲垣 陽一郎(いながき よういちろう、1876年〈明治9年〉12月22日 - 1949年〈昭和24年〉4月1日)は、日本の神学者、聖職者、教育者、翻訳者。聖公会神学院校長、日本聖公会の司祭。 1894年(明治27年)和歌山聖救主教会で、アイザック・ドーマン宣教師から受洗。同年9月、開設された立教学校(現・立教大学)専修科に入学する。この時、信仰復興運動の中心となる永野武三郎(1877‐1898)も立教学校の3年に編入している。 翌1895年(明治28年)、稲垣、永野、池澤駿太郎(1876‐1956)らで、雑誌『廿八年』を発行して「十字同盟」を結成したことをきっかけに、寄宿舎の一室で祈祷会が朝夕開かれるようになり、盛んに伝道活動が行われた。
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大藤 鋳三郎(だいとう ちゅうさぶろう、1874年8月 - … 大藤 鋳三郎(だいとう ちゅうさぶろう、1874年8月 - 1961年4月7日)は、日本の聖職者、神学者、教育者。日本聖公会司祭、立教女学院第7代理事長、聖路加国際病院理事、学校法人聖路加看護学園(現・聖路加国際大学)理事。 1895年(明治28年)6月25日、立教学校(立教大学の前身校の一つ)を卒業。この時の卒業式は第3回生卒業式と、第4回生卒業式が併せて行われ、第3回生の卒業生には、木村重治、須藤吉之祐らがおり、同期である第4回生の卒業生には、大藤鋳三郎のほか、濱口梧洞(10代目濱口儀兵衛、ヤマサ醤油社長)、古河倍造、岩佐松太郎(島根出身)、曾根精(福井出身)、中村正路(熊本出身)、白井兵治(福井出身)、菅沼四郎(奈良出身)、鈴木一(千葉出身)らがいた。
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柴田 顕正(しばた けんせい、1873年7月15日 - 19… 柴田 顕正(しばた けんせい、1873年7月15日 - 1940年4月20日)は、日本の郷土史家、教育者、神官。 『岡崎市史』全8巻(1926年~1930年)とその別巻である『徳川家康と其周囲』全3巻(1934年~1935年)を半生を傾けて完成させた。正式には「柴田顯正」と表記。 愛知県額田郡伊賀村(現・岡崎市伊賀町)に伊賀八幡宮社司の柴田顯光の長男として生まれる。額田郡第十六番小学八幡学校(現・岡崎市立広幡小学校)を出たのち上京。1893年(明治26年)7月、國學院大學第一回生として同校を卒業後、史学者の三上参次のもとで教科書編集の仕事に携わった。 その後、1895年(明治28年) 石川県尋常中学校七尾分校(現・石川県立金沢泉丘高等学校)の教諭を経て、1897年(明治30年)9月から1901年(明治34年)8月まで、愛知県立第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)に勤務。
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山縣 雄杜三(山県 雄杜三、やまがた おとぞう、1871年 … 山縣 雄杜三(山県 雄杜三、やまがた おとぞう、1871年 - 1941年)は、日本の教育者、神学者、歴史学者、聖職者。立教大学教授、聖公会神学院教授、日本聖公会の聖職者。教会史の権威で、東京聖三一教会、府中聖マルコ教会で司牧。 立教大学校(現・立教大学)に入学。1883年(明治16年)に築地で創設された米国式カレッジの立教大学校には日本の野球の先駆けとなる野球チーム(現・立教大学野球部)があり、試合は新橋停車場内の広場で行われていたが、山縣は優勝チームの選手の一員として活躍した。 留学し、神学士(Bachelor of Theology(英語版))の学位を取得。 その後、立教大学でチャプレンを務め、立教大学文学部の教授としても基督教史を教えた。
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大石 誠之助(おおいし せいのすけ、1867年11月29日〈… 大石 誠之助(おおいし せいのすけ、1867年11月29日〈慶応3年11月4日〉 - 1911年〈明治44年〉1月24日)は、日本の社会主義者・キリスト者、医師。 幸徳事件(大逆事件)で処刑された12名の1人。雅号は「禄亭」(ろくてい)。 1867年11月29日(旧暦慶応3年11月4日)に紀伊国新宮仲之町(現:和歌山県新宮市仲之町)で生まれる。同志社英学校英語普通科を中退後、神田共立学校(現:開成中学校・高等学校)で英語を学ぶが中退する。1891年(明治24年)6月に渡米し、ワシントン州ワラワラ市のセントポーロ中学校へ入学したのち、1892年(明治25年)にオレゴン州立大学医科に入学する。1895年(明治28年)に卒業後はモントリオール大学で外科学を学んでから同年10月に帰国し、翌年に地元・新宮で医院を開業する。
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堀 卯三郎(ほり うさぶろう、1867年8月5日(慶應3年7… 堀 卯三郎(ほり うさぶろう、1867年8月5日(慶應3年7月6日)- 1923年(大正12年)12月20日)は、日本の実業家・聖職者。 日本鉄工株式会社取締役、三光合資会社代表社員。日本メソヂスト下谷教会日曜学校長。族籍は山形県平民。 長男は工学者の堀義路。孫は社会学者の杉山明子。曽孫はグロービス経営大学院大学学長の堀義人。 医師・堀東順の三男として山形県鶴岡町に生まれ、後に令兄・義水の養嗣子となる。16歳のときに父・東順が亡くなったため上京し、東京専修学校(現・専修大学)に学び理財科を卒業する。 日本メソヂスト下谷教会に通い始め、1886年(明治19年)に同教会で洗礼を受ける。 1893年(明治26年)頃、ミッションより派遣されて教会日曜学校のために働いていた潮田宇多婦人伝道師(婦人運動家・潮田千勢子の娘)と結婚。
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小林 彦五郎(こばやし ひこごろう、1867年7月31日〈慶… 小林 彦五郎(こばやし ひこごろう、1867年7月31日〈慶応3年7月1日〉 - 1944年〈昭和19年〉4月28日)は、日本の教育者、聖職者。立教女学校(現・立教女学院)校長、立教高等女学校校長、立教大学元教授、日本聖公会の聖職者。財団法人聖路加女子専門学校(現・聖路加国際大学)理事。 岡山出身。大阪・英和学舎(立教大学の前身の一つ)で学び、テオドシウス・ティングの薫陶を受ける。1886年(明治19年)3月には、授業日数を増やすなどの要求から生じた同校の学生運動では、元田作之進(後の立教大学初代学長)とともに急先鋒となり、改善を求める運動を行った。同1886年(明治19年)にヘンリー・ページ(Henry D. Page)よりキリスト教の洗礼を受けた。
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大倉 本澄(おおくら もとずみ、もとすみ、1867年3月29… 大倉 本澄(おおくら もとずみ、もとすみ、1867年3月29日〈慶応3年2月24日〉 - 1940年〈昭和15年〉6月19日)は、日本の英米文学者、英語教育者、翻訳家、聖職者。教育者として東京英語専修学校(立教大学の前身校の一つ)を創設したほか、旧制第六高等学校(現・岡山大学)教授や旧制甲南高等学校(現・甲南大学及び甲南中学校・高等学校)教授を歴任。英文学者や翻訳家としてシェイクスピア劇の講義に加え、イギリス公使の翻訳官を務めた。また、ハーバード大学で外国人初の舎監となり、日本聖公会の聖職者としても伝道に従事した。号は折鵬、竹隠。 1867年3月29日〈慶應3年2月24日〉、備前国岡山に生まれる。
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名出 保太郎(ないで やすたろう、1866年2月7日(慶応元… 名出 保太郎(ないで やすたろう、1866年2月7日(慶応元年12月22日) - 1945年(昭和20年)9月6日)は、日本の聖職者、教育者。元田作之進とともに日本人として聖公会初の監督(主教)を務めた。日本聖公会大阪教区初代主教。築地・聖三一教会(立教教会)初代牧師。 紀伊国那賀郡名手村(現・和歌山県紀の川市)で庄屋の家に生まれる。和歌山の小学校で教員を務める。 その後、大阪に出て、テオドシウス・ティング(米国聖公会宣教師)の大阪・川口の英和学舎(立教大学の前身の一つ)で学び、ティングのもとで聖職者としての道に進む。 1879年(明治12年)、日本の聖公会として初代の日本人牧師に就任。聖公会としては横山錦柵が1877年(明治10年)に米国で按手を受け日本人初の聖職者となっている。
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早川 喜四郎(はやかわ きしろう、1865年3月27日(慶応… 早川 喜四郎(はやかわ きしろう、1865年3月27日(慶応元年3月1日) - 1943年4月23日)は、日本の教育者、聖職者。平安女学院院長、日本聖公会の聖職者。聖公会の教会で奉仕しながら、院長として新校舎を建設するなど、平安女学院の発展に寄与した。 伊予国今治(現・愛媛県今治市)出身。戸塚多宮の子として生まれ、幼少期に早川家の養子となった。立教大学校(現・立教大学)卒業後、東京三一神学校(現・聖公会神学院)を経て、米国留学してバークレイ神学校(英語版)に学ぶ。 1892年(明治25年)に立教大学校、東京三一神学校(現・聖公会神学院)の同窓生である宮崎敬介(後の大阪電灯社長)が、米国に留学した際に、同じく同窓の大塚惟明(後の南海電気鉄道社長)とともに、同行した。
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杉浦 義道(すぎうら よしみち、1864年5月20日〈元治元… 杉浦 義道(すぎうら よしみち、1864年5月20日〈元治元年4月15日〉 - 1930年11月7日)は、日本の聖職者、医療従事者、翻訳家。日本聖公会の聖職者として、労働者への伝道に力を注ぎ、労働者矯風会を興して貧者の更生に尽力したほか、サマリタン医院を創設して医療活動に従事した。旧名は悦太郎。 1864年、若狭国小浜(現・福井県小浜市)生まれ。父親は、米国聖公会の宣教師ヘンリー・D・ペイジから洗礼を受けた聖公会信徒。弟は立教大学元学長の杉浦貞二郎。 築地の立教学校(現・立教大学)に入学する。同校在学中の1881年(明治14年)にチャニング・ウィリアムズ主教(立教大学創設者)より感化を受けて洗礼を受ける。
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多川 幾造(たがわ いくぞう、1862年2月18日〈文久2年… 多川 幾造(たがわ いくぞう、1862年2月18日〈文久2年1月20日〉- 1943年〈昭和18年〉7月2日)は、日本の教育者、聖職者。平安女学院院長(校長)、日本聖公会の聖職者・司祭。立教大学が築地から池袋に移転する際には、会計責任者として押川方義(東北学院創設者、前・東北学院院長)とともに校地の購入交渉を行った。 現在の大阪府岸和田市で生まれた。1883年(明治16年)に米国聖公会のテオドシウス・ティングより受洗し、大阪・英和学舎(立教大学の前身の一つ)でティングの薫陶を受け、1887年(明治20年)より、関西を中心として伝道師・牧師として働く。 1892年(明治25年)、大阪の川口居留地で米国聖公会が運営する照暗女学校(St.Agnes' School)を京都に移転することが決定し、京都府より「私立照暗女学校」の設立認可を受ける。
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清田 海一郎(せいた うみいちろう、1858年 - 1904… 清田 海一郎(せいた うみいちろう、1858年 - 1904年)は、日本の聖職者、浅草聖ヨハネ教会の初代牧師。日本聖公会の聖職者・司祭。 大阪・英和学舎(現・立教大学)での修学を経て、大阪・聖三一神学校(聖公会神学院の前身の一つ)を卒業。 上京したのち、1891年(明治24年)に、東京市浅草区黒船町(現・台東区駒形)で浅草聖ヨハネ教会の初代礼拝堂が聖別されると、同教会の初代牧師として活躍した。この時、宮崎敬介も同教会で司牧していた。この教会は、1876年(明治9年)にチャニング・ウィリアムズ(江戸監督)のもとで、クーパー(William B. Cooper)宣教師らによって東京府第五大区浅草広小路(東京都台東区雷門)で講義所として開設されたことに始まり、その後浅草界隈で何度も移転をしたのち、上述の初代礼拝堂が1891年(明治24年)に建てられ、浅草聖ヨハネ教会と称するようになった教会である。
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左乙女 豊秋(さおとめ とよあき、1855年 - 没年不詳)… 左乙女 豊秋(さおとめ とよあき、1855年 - 没年不詳)は、日本の教育者、聖職者。立教学校(現・立教大学)主監、立教中学校初代校長、立教専修学校校長、東京英語専修学校校長、札幌中学校(現・北海道札幌南高等学校)初代校長、私立奈良尋常中学校(奈良英和学校の後身)校長、和歌山県立田辺中学校(現・和歌山県立田辺中学校・高等学校)校長、大阪・英和学舎教授、大阪聖パウロ教会牧師。 1855年(安政2年)6月、名古屋藩生まれ。大阪・英和学舎(立教大学の前身の一つ)出身。英和学舎では、テオドシウス・ティングに学んだ。 その後、英和学舎の教員となるが、ティングやアーサー・ラザフォード・モリス、聖バルナバ病院創設者のヘンリー・ラニングら宣教師らに加え、英文学の第一人者の名声を得ていた清水泰次郎、洋行帰りとして大変珍しがられた山中幸平らの同僚教師とともに英語では他を圧倒した。
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多治見 十郎(たじみ じゅうろう、1851年 - 没年不詳)… 多治見 十郎(たじみ じゅうろう、1851年 - 没年不詳)は、日本の教育者、英学者、聖職者。聖教社教授、聖教社及び聖教社分校女子校の設立届出人、日本聖公会の伝道師。 岐阜県の士族の家に生まれる。文久元年から慶應3年まで7年間、松苗寛一郎に従い、漢学を修める。 1873年(明治6年)から1875年(明治8年)まで、鳴門塾において、英学及び洋算を修める。鳴門塾は通称であり。1872年(明治5年)に鳴門義民が芝露月町に創設した英学と洋算の塾であり、名称は単に英学所と呼ばれていた。 1875年(明治8年)から1878年(明治11年)まで、米国聖公会のチャニング・ウィリアムズに従い、立教学校(立教大学の前身の一つ)で英学及び洋算を修める。
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高山保次郎(たかやま やすじろう、1838年 - 1907年… 高山保次郎(たかやま やすじろう、1838年 - 1907年11月3日)は、幕末-明治期の神官、歌人。本姓は里井、名は慶孝、号は苞居。 1838年(天保9年)、和泉泉南郡南中通村(現・大阪府泉佐野市)、里井孝幹の二男として生まれる。幼名は寬三郞。 里井家は代々好学で、幼少より学を好み、家翁の教授を受け、15歳のとき堺市九間町の高山家の養子となり家督を継ぎ、名を保次郎と改める。 父の没後は岩崎長世に国学をまなび、大阪枚岡神社に出仕、歌会始の撰者に加わる。また堺の区長などをつとめる。 長世の没後は尾崎正明、渡辺重春らと交り歌道に専心する。 1907年(明治40年)、70歳で死去。没後に『苞居歌集』が刊行された。
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津田仙(つだ せん、天保8年7月6日(1837年8月6日) … 津田仙(つだ せん、天保8年7月6日(1837年8月6日) - 明治41年(1908年)4月24日)は、日本の農学者、キリスト者。学農社創立者。青山学院大学・筑波大学附属盲学校の創立に関わる。また、日本で最初に通信販売を行った人物でもある。同志社大学の創始者新島襄、人間の自由と平等を説いた東京帝国大学教授の中村正直とともに、“キリスト教界の三傑”とうたわれた。明六社会員。娘に、後に津田塾大学創設者となる津田梅子、サンフランシスコで日本語新聞「日米新聞」を発行し日系人社会のリーダー的存在だった安孫子久太郎と結婚しアメリカに移住した安孫子余奈子がいる。
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角田 忠行(つのだ ただゆき、天保5年11月6日(1834年… 角田 忠行(つのだ ただゆき、天保5年11月6日(1834年12月6日) - 大正7年(1918年)12月15日)は、日本の国学者・神官。通称は由三郎。 信濃国佐久郡長土呂村(現長野県佐久市)の近津神社の神主角田忠守と母小林氏の二男として生まれる。父は岩村田藩主の侍講、藩校達道館教授を務め、終身禄を受け藩士身分となった。弟(父忠守の四男)に同じく神官となった角田信道がいる。 安政2年(1855年)脱藩して江戸に出奔し、藤田東湖に入門。その後は国学者平田銕胤の門人となって塾の運営に関わった。文久3年(1863年)上洛して等持院にある足利三代木像梟首事件に首謀者の一人として関与し、幕吏に追われて伊那谷の松尾多勢子邸に潜伏。
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岡島 松太郎(おかじま まつたろう、生没年不詳)は、日本の教… 岡島 松太郎(おかじま まつたろう、生没年不詳)は、日本の教育者、聖職者。平安女学院元院長、聖三一幼稚園(福井)創設者、日本聖公会の聖職者。藍綬褒章受賞。 立教大学に入学し、1915年(大正4年)、同大学文学部を卒業。 福井聖三一教会で司牧し、1929年(昭和4年)に、以前にチャールズ・シュライバー・ライフスナイダー(立教学院総理)が使っていた福井市春山の宣教師館の1階を改造して、聖三一幼稚園を創設する。園長には米国聖公会から派遣されたパウエル女史が就任した。 その後も教育界で活躍し、平安女学院院長を務めた。聖職者としても、京都・聖アグネス教会(苑南基督教会)で奉職した。 1946年(昭和21年)11月には基督教保育連盟の全国大会が開かれ、同連盟の顧問に選出されている。
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