スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
大野 稼頭央(おおの かずお、2004年8月6日 - )は、… 大野 稼頭央(おおの かずお、2004年8月6日 - )は、鹿児島県大島郡龍郷町(奄美大島)出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 龍郷町立戸口小学校3年時から野球を始める。龍郷町立龍南中学校時代には離島甲子園で4強に進出した。 中学卒業後は本土の強豪私学の誘いを断り、島から甲子園を目指し、地元奄美大島の鹿児島県立大島高等学校に進学した。高校では1年秋からエースを務め、2年春に県大会4強、同年夏は8強。秋の鹿児島県大会に優勝して出場した秋の九州大会は興南高等学校を完封するなどの活躍で準優勝を果たし、8年ぶり2度目となるセンバツ出場に貢献した(1度目の出場は21世紀枠での出場であり、一般枠では初)。
里 歩寿(さと ありす、1993年10月25日 - )は、日… 里 歩寿(さと ありす、1993年10月25日 - )は、日本の奄美シマ唄の唄者(民謡歌手)、歌手。 奄美大島の南西部に位置する瀬戸内町はシマ唄の二大流派の内の東唄(ひぎゃうた)の中心地である。古仁屋で3歳からヤマハ音楽教室に通い、4歳からは兄朋樹とともに、中野律紀、元ちとせらの奄美民謡大賞受賞者をした輩出した唄者中野豊成(律紀の叔父)の教室「あさばな会」でシマ唄と三味線を習い始めた。毎日兄妹2人の掛け合いでシマ唄を歌うことで、みるみる上達し、2003年には小学生にして兄妹のCD『大樹のうた』が発売された。 2010年、高校2年生の時に「嘉徳なべ加那節」で奄美民謡大賞を受賞。1996年に高校3年生の元ちとせが同じ「嘉徳なべ加那節」を唄って樹立した最年少受賞記録を更新して、注目を浴びた。
竹山 浩史(たけやま ひろし、1985年2月22日 - )は… 竹山 浩史(たけやま ひろし、1985年2月22日 - )は、日本の元ラグビー選手。 高校からラグビーを始めた。 2003年、大島高校卒業後、関東学院大学に入る。なお大島高校時代、主将を務めたことがある。 2007年、関東学院大学卒業後、日本IBMビッグブルーに加入。同年10月27日に行われたジャパンラグビートップリーグ第1節のリコーブラックラムズ戦に途中出場で公式戦初出場を果たす。 2009年、キヤノン(現・キヤノンイーグルス)に加入。 2016年、現役を引退した。
盛岡 茂美(もりおか しげみ、1952年10月26日 - )… 盛岡 茂美(もりおか しげみ、1952年10月26日 - )は、日本の小説家、エッセイスト。鹿児島県名瀬市(現奄美市)出身。鹿児島県立大島高校、1978年早稲田大学第一文学部社会学専攻卒業。日本文藝家協会会員。 大学卒業後、地方公務員として神奈川の県立高校で英語教諭として勤務。勤務の傍ら1983年シナリオ講座に入学、研修科卒業。 1980年代以降、奄美大島の南海日日新聞を中心に、徹底して奄美にこだわり執筆活動を展開。 2018年県立高校を退職。
田畑 千秋(たばた ちあき、1952年 - )は、日本の民俗… 田畑 千秋(たばた ちあき、1952年 - )は、日本の民俗学者。大分大学名誉教授、博士(民俗学)。 鹿児島県名瀬市(現奄美市)出身。奄美大島の旧家に生まれる。民俗学者田畑英勝の三男。東京都練馬区長を務めた田畑健介は叔父(父英勝の弟)。 國學院大學文学部を経て法政大学大学院修了後、ドイツ・ボン大学に留学してクライナー・ヨーゼフに師事した。 奄美博物館創設に尽力、開館後初代主幹学芸員となった。国際日本文化研究センター客員助教授、鎌倉女子大学客員教授等を経て、大分大学教授。2004年、「奄美大島の口承文芸研究」で國學院大學より博士(民俗学)の学位を取得した。
朝山 毅(あさやま つよし、1947年(昭和22年)1月24… 朝山 毅(あさやま つよし、1947年(昭和22年)1月24日 - )は、日本の政治家。元鹿児島県奄美市長(3期)、元笠利町長(3期)。 鹿児島県立大島高等学校を経て、1969年(昭和44年)3月拓殖大学商学部卒業。同年4月、鹿児島県信用保証協会に就職。 1994年(平成6年)12月24日、笠利町長に就任。1998年(平成10年)に2期目の当選。2002年(平成14年)に3期目の当選。2006年(平成18年)3月20日、笠利町は、名瀬市および住用村と合併し奄美市となり、自治体として廃止される。それ伴って、同日、奄美市長職務執行者に就任。4月22日、新市長就任により同職を退職。6月3日、奄美市の助役に就任(のちに副市長に役職名が変更される)。
金子 万寿夫(金子 萬壽夫、かねこ ますお、1947年(昭和… 金子 万寿夫(金子 萬壽夫、かねこ ますお、1947年(昭和22年)1月11日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日重光章。 衆議院議員(3期)、鹿児島県議会議長、鹿児島県議会副議長、鹿児島県議会議員(6期)、瀬戸内町議会議員(1期)、全国都道府県議会議長会会長(第64代)などを歴任。 アメリカ合衆国占領下の奄美大島大島郡瀬戸内町に生まれる。鹿児島県立大島高等学校卒業。國學院大學中退。1972年、瀬戸内町議会議員に初当選。衆議院議員保岡興治の秘書を経て、1991年より鹿児島県議会議員に6回連続当選。この間は自由民主党に所属し、県議会議長、全国都道府県議会議長会会長などを歴任した。 2014年4月、徳田毅の辞職を受けて実施された衆議院鹿児島2区補欠選挙に、自由民主党公認候補(公明党推薦)として立候補し、民主党などが推薦した打越明司らを抑えて初当選した。
郡山 健次郎(こおりやま けんじろう、Paul Kenjir… 郡山 健次郎(こおりやま けんじろう、Paul Kenjiro Koriyama, 1942年8月20日-)は、日本のカトリック教会聖職者。カトリック鹿児島司教区名誉司教。洗礼名は「パウロ」。 鹿児島県大島郡竜郷町瀬留で郡山為業・セツ夫妻の7人兄弟の次男として生まれる。本人によれば、父は家に客があると手を頭の上に置き、「この子は司祭になる」と言っていた。名瀬の大島高等学校を卒業後、予備校に通っている間に司祭への召命を感じ、1964 年4月に鹿児島教区神学生として福岡サン・ スルピス大神学院へ入学。1972年3月20日、奄美大島名瀬の聖心教会で鹿児島教区糸永真一司教により司祭に叙階された。 33年間教区司祭として8小教区で働く以外に、教区青少年担当司祭、CLC(クリスチャンライフコミュニティー)、ME(マリッジエンカウンター)などを担当した。
和 秀雄(にぎ ひでお、1939年 - 2025年1月25日… 和 秀雄(にぎ ひでお、1939年 - 2025年1月25日)は、日本の霊長類学者、大阪大学名誉教授。 元北海道大学教授の和孝雄は兄。 鹿児島県・奄美大島生まれ。奄美小学校、名瀬中学校を経て、1957年鹿児島県立大島高等学校卒業、中央大学法学部法律学科中退、北海道大学理類に入学して獣医学部へ進み1962年3月卒業。1978年「ニホンザルの排卵前後の卵巣の形態学的変化に関する研究」で獣医学博士の学位を取得。(財)日本モンキーセンター研究員、日本獣医畜産大学教授、1996年大阪大学人間科学部人間生態学教授、2002年定年退官、名誉教授、広島国際大学社会環境科学部教授。1985年『ゴンはオスでノンはメス』で毎日出版文化賞を受賞。
平田 隆義(ひらた たかよし、1937年6月1日 - )は、… 平田 隆義(ひらた たかよし、1937年6月1日 - )は、日本の政治家。鹿児島県奄美市長(1期)。名瀬市長(3期)。名瀬市議会議員(3期)。 鹿児島県奄美市名瀬有良出身。鹿児島県立大島高等学校を経て、1961年中央大学法学部卒。東京での社会人生活の後、帰島して印刷会社を経営。奄美大島青年会議所理事長、名瀬市議を3期務め、1994年名瀬市長成田広男の辞職に伴う市長選に立候補して初当選。連続3期務めた。 2006年3月20日に名瀬市は住用村、笠利町と合併して奄美市が誕生。これに伴い、名瀬市長は3月19日付で退任となった。奄美市発足に伴う市長選挙に立候補し、拓殖大学教授の叶芳和を723票差で破った。
指宿清秀(いぶすき きよひで、1927年2月18日 - )は… 指宿清秀(いぶすき きよひで、1927年2月18日 - )は、日本の国会職員。第9代参議院事務総長、元財団法人奄美奨学会理事長。柔道家の徳三宝は伯父にあたり位牌を継ぐ親戚関係にある。
田畑 健介(たばた けんすけ、1921年(大正10年)3月1… 田畑 健介(たばた けんすけ、1921年(大正10年)3月16日 - 1989年(平成元年)7月31日)は、昭和期の地方公務員、政治家。東京都練馬区長。 鹿児島県大島郡名瀬村(現・奄美市)金久出身。兄に民俗学者の田畑英勝。旧制鹿児島県立大島中学校(鹿児島県立大島高等学校の前身)、旧制台北中学校(台北市立建国高級中学の前身)、旧制台北高等学校を経て、1944年東京大学法学部政治学科卒業。学徒出陣、復員後、郷里の奄美で大島郡連合青年団初代会長、大島高等学校教諭、古仁屋警察署署長を務める。 1950年東京都職員。労政課長、企画調整局参事などを経て、1969年主税局査察室長、1971年に練馬区総務部長となる。
宮之原 貞光(みやのはら さだみつ、1917年10月4日 -… 宮之原 貞光(みやのはら さだみつ、1917年10月4日 - 1983年10月29日)は、日本の政治家。日本社会党参議院議員(2期)。日本教職員組合中央執行委員長。龍郷町名誉町民。 鹿児島県大島郡龍郷町生まれ。戸口小学校から鹿児島県立大島中学校 (旧制)に進学し卒業。1938年鹿児島県師範学校(現・鹿児島大学教育学部)卒。鹿児島県内の小中学校の教員となる。鹿児島県教職員組合から日本教職員組合に入り、書記次長、書記長、副委員長を経て、1962年に中央執行委員長に就任した。1971年の第9回参議院議員通常選挙で全国区から日本社会党公認で立候補して当選。2期務める。国会内では建設委員長、公害及び交通安全対策特別委員長などを歴任した。
豊 永光(ゆたか えいこう、1916年10月3日 - 200… 豊 永光(ゆたか えいこう、1916年10月3日 - 2001年7月12日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(1期)。名瀬市長(1期)。 鹿児島県名瀬市(奄美市)出身。鹿児島県立大島中学校 (旧制)四年修了で第七高等学校造士館 (旧制)に進学、卒業。1939年、高等試験行政科試験に合格、翌年東京帝国大学法学部を卒業。農林省に入り、畜産局資料課長、大臣官房広報課長、大阪、熊本の各営林局長となり、1967年の第31回衆議院議員総選挙に奄美群島区から無所属で立候補したが落選。1969年の第32回衆議院議員総選挙で保岡武久を破り、初当選した。しかし、1972年の第33回衆議院議員総選挙では保岡武久の息子の保岡興治に敗れて落選。
田畑 英勝(たばた えいかつ、旧名:龍英勝、1916年8月1… 田畑 英勝(たばた えいかつ、旧名:龍英勝、1916年8月15日 - 1983年8月11日)は、日本の民俗学者。奄美群島の民俗調査、著作に功績がある。 奄美大島の旧家の長男として鹿児島県名瀬市で生まれる。名瀬尋常高等小学校(奄美市立名瀬小学校)、旧制鹿児島県立大島中学校(鹿児島県立大島高等学校の前身)を経て、國學院大學で折口信夫、柳田國男に師事する。旧制大島中では美術部と乗馬部、国学院大学では柔道部として活動。1939年に國學院大學本科国文科を卒業後、台湾での教職を経て、満洲国立新京法政大学(中国語版)教授。戦後は1947年に故郷奄美大島に帰り、旧制奄美高等女学校(鹿児島県立奄美高等学校の前身)および同専攻科の教員を務めながら、奄美の民俗研究に取り組む。
田畑 金光(たばた かねみつ、1914年(大正3年)1月22… 田畑 金光(たばた かねみつ、1914年(大正3年)1月22日 - 2013年(平成25年)4月22日)は、昭和期の政治家。民社党衆議院議員、いわき市長。 鹿児島県大島郡龍郷町芦徳出身。 1932年鹿児島県立大島中学校 (旧制)卒業。1936年大阪高等学校 (旧制)文科卒業。1939年東京帝国大学法学部法律学科卒業。 大学卒業後は満州国政府に勤めながら、大同学院を卒業。1940年に従軍し、1945年に陸軍主計大尉で復員。 戦後、福島県の現いわき市に移り、1946年大日本炭鉱勿来鉱業所勤務。1947年(昭和22年)福島県議会議員に当選。右派社会党公認で、1953年(昭和28年)に第3回参議院議員通常選挙福島県選挙区で初当選。
川上 嘉(かわかみ よしみ、1909年(明治42年)5月 -… 川上 嘉(かわかみ よしみ、1909年(明治42年)5月 - 1994年(平成6年)8月2日)は、日本の政治家、参議院議員。鹿児島県大島郡龍郷町戸口出身。龍郷町名誉町民。 鹿児島県立大島中学校 (旧制)および明治大学専門部法科を卒業。中央大学の税務高等経理講習と東京大学の公開講座を修了。 大島支庁に勤務した後、1935年から東京財務局管内の各税務署に勤務。1946年結成の全国財務労働組合(全財、国公関連労働組合連合会の前身の一つ)に参加し、1947年東京財務職員組合委員長に就任。 1947年の第1回参議院議員通常選挙全国区に無所属で立候補して、初当選(任期3年)。1948年、税務会計事務所を開設。
保岡 武久(やすおか たけひさ、1902年11月25日 - … 保岡 武久(やすおか たけひさ、1902年11月25日 - 1983年2月7日)は、日本の内務官僚、政治家。衆議院議員。 奄美大島にある鹿児島県大島郡宇検村の生まれ。旧制鹿児島県立大島中学校と旧制第七高等学校造士館を経て、東京帝国大学法学部政治学科卒。1929年、高等文官試験行政科に合格。群馬県警察警部補を振り出しに、1934年内務省警視庁警視に任命される。海軍司政官、二・二六事件を担当、1939年大阪府刑事課長、地方警視、鹿児島県副知事などを経て、1951年の第2回鹿児島県知事に自由党公認で立候補したが落選。1954年に行われた奄美群島の日本復帰に伴う衆院選に奄美群島区から自由党公認で立候補した。
金井 正夫(かない まさお、1892年(明治25年)2月14… 金井 正夫(かない まさお、1892年(明治25年)2月14日 - 1979年(昭和54年)10月4日)は、日本の政治家、裁判官、弁護士。衆議院議員、和歌山県知事。旧名、当央。 鹿児島県大島郡龍郷方浦村(龍郷村を経て現:龍郷町浦)で金井当説の五男として生まれる。1915年(大正4年)に正夫と改名。 大勝尋常小学校(現:龍郷町立大勝小学校)から4年次に名瀬尋常小学校(現:奄美市立名瀬小学校)へ転入し卒業。鹿児島県立大島農学校(現:鹿児島県立大島高等学校)1年修了の後、東京の旧制順天中学校で学ぶ。旧制第五高等学校を経て、関西大学を卒業、1919年(大正8年)京都帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。