福間 香奈 は、日本将棋連盟(関西本部)所属の女流棋士。森雞… 福間 香奈 は、日本将棋連盟(関西本部)所属の女流棋士。森雞二九段門下。女流棋士番号は33(2011年3月31日までの旧番号は57)。島根県出雲市出身。島根県立大社高等学校卒業。結婚を機に2024年から福間姓で活動。同じく女流棋士の川又咲紀は実妹。
島根県立大社高等学校:32人
※有名人ナビに登録されている32人を職業別に数えました。複数の職業を持つ人は、それぞれの職業に数えています。
福間 香奈 は、日本将棋連盟(関西本部)所属の女流棋士。森雞… 福間 香奈 は、日本将棋連盟(関西本部)所属の女流棋士。森雞二九段門下。女流棋士番号は33(2011年3月31日までの旧番号は57)。島根県出雲市出身。島根県立大社高等学校卒業。結婚を機に2024年から福間姓で活動。同じく女流棋士の川又咲紀は実妹。
曽田 一騎(そた かずき、2000年1月9日 - )は、島根… 曽田 一騎(そた かずき、2000年1月9日 - )は、島根県出身のサッカー選手。Jリーグ・FC琉球所属。ポジションはフォワード。 大社高校では1年時に全国高等学校サッカー選手権大会に参加。環太平洋大学在学中の2021年6月にはファジアーノ岡山FCの練習生としてJエリートリーグに出場している。 2022年、中国サッカーリーグの福山シティFCに加入。 2022年12月21日、愛媛FCに完全移籍で加入することが発表された。2023年3月5日、J3リーグ開幕戦のいわてグルージャ盛岡戦でJリーグデビュー。3月19日、第3節のガイナーレ鳥取戦でJ初ゴールを決めた。 2024年11月13日、愛媛FCから契約満了による退団が発表された。
吉井 佑将(よしい ゆうすけ、1995年6月22日 - )は… 吉井 佑将(よしい ゆうすけ、1995年6月22日 - )は、島根県出雲市出身のサッカー選手。中国サッカーリーグ・ベルガロッソいわみ所属。ポジションは、フォワード(FW)。 大社高校から関西大学へ進学し、2年時よりトップチームでプレーする。 卒業後は、吹田ジョカトーレ千里FCを経て、2019年、JFL・松江シティFCに加入。2020年からは福山シティFCへ移籍。2020年12月23日、天皇杯 JFA 第100回全日本サッカー選手権大会準々決勝でのブラウブリッツ秋田戦で1得点した。 2021年12月17日、カマタマーレ讃岐に完全移籍で加入。 2022年11月25日、カマタマーレ讃岐は契約の満了と来季に向け契約を更新しないことを発表。
里見 香奈(さとみ かな、1992年3月2日 - )は、日本… 里見 香奈(さとみ かな、1992年3月2日 - )は、日本将棋連盟(関西本部)所属の女流棋士。女流棋士番号は33。島根県出雲市出身。森雞二九段門下。島根県立大社高等学校卒。キャッチフレーズは「出雲のイナズマ」。
川上 典洋(かわかみ のりひろ、1987年4月4日 - )は… 川上 典洋(かわかみ のりひろ、1987年4月4日 - )は、島根県出雲市出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー。 サンフレッチェ広島F.Cの提携スクールの一つであるサンフレッチェくにびきジュニアユースからの初のプロ契約選手。くにびき時代の同期に平野甲斐がいる。 プロ3年目となる2008年にはJ1リーグ戦でもベンチ入りしたが出場は無かった。2009年からは栃木SCへ移籍。Jリーグ初出場を果たすも1年で戦力外となった。その年の最終節にJリーグ初得点を決めている。2010年5月にツエーゲン金沢に加入。 2016年、SC相模原へ完全移籍。2016年7月、テゲバジャーロ宮崎へ期限付き移籍により加入した。
ひらかわ あや(本名:山根 彩、1985年 - )は、日本の… ひらかわ あや(本名:山根 彩、1985年 - )は、日本の漫画家。女性。島根県出雲市大社町出身。島根県立大社高等学校出身。島根県立大学短期大学部卒業。 学生時代は同名義で二次創作及び創作系同人誌を発表していた。 デビュー前、『週刊少年サンデー』の月例新人賞である「まんがカレッジ」に、「ストーリー漫画をひと月2本」という驚異的なペースで投稿していた。その時、偶然に編集部に来ていた井上和郎が投稿作を読み、原稿を褒めたというエピソードがある。 大社高校在学中に「GREAT THIEF」で2003年まんがカレッジ12・1月期佳作を受賞。 2004年、『少年サンデー特別増刊R』(小学館)掲載の『伝説の指揮者』にてデビュー。
石飛 文太(いしとび ぶんた、1981年 - )は、島根県出… 石飛 文太(いしとび ぶんた、1981年 - )は、島根県出雲市湖陵町出身の高校野球指導者。島根県立大社高等学校国語科教諭。 小学校3年時に地元の「湖陵スポーツ少年団」で野球を始める。小学校5年時に第74回全国高等学校野球選手権大会に大社高校が出場し、地元の先輩がメンバーで名を連ねていた事から大社高校野球部に憧れを持つようになった。 湖陵中学校を経て、大社高校に入学。3年夏は主将として背番号4を背負いプレーし、島根県大会準々決勝まで勝ち進むも石飛は同試合には出場せずにランナーコーチャーとしてグラウンドに立った。試合は江の川高校に敗退し、甲子園の出場は叶わなかった。 高校卒業後は、兵庫県姫路市の姫路獨協大学教育学部に進学。
吉川 公二(よしかわ こうじ、1973年7月4日 - )は、… 吉川 公二(よしかわ こうじ、1973年7月4日 - )は、島根県出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現在はサンフレッチェくにびきFC監督。 島根県立大社高等学校から、1992年にサンフレッチェ広島とプロ契約する。同期には路木龍次がいる。 Jリーグ開幕後は中国サッカーリーグのマツダSCに在籍し一時はキャプテンも務めた。この間、国民体育大会サッカー競技広島県成年代表や島根県成年代表でも活躍している。 1999年島根に帰郷し、サンフレッチェ広島の提携チームであるサンフレッチェくにびきのコーチとして活躍。2007年より同クラブ監督に就任、平野甲斐・川上典洋・原裕太郎らを育てている。
江角 マキコ(えすみ マキコ、1966年〈昭和41年〉12月… 江角 マキコ(えすみ マキコ、1966年〈昭和41年〉12月18日 - )は、日本の元女優、元タレント、元CMタレント、元モデル、元バレーボール実業団選手。島根県出雲市出身。 2014年までは研音所属。2014年から2017年1月までは、自身の個人事務所であるインクワイヤーに所属。 島根県立大社高等学校卒業。在学中よりバレーボール部で活躍し、卒業後の1985年に日本たばこ産業女子バレーボールチーム(現SVリーグ・大阪マーヴェラス)に入団し、バレーボール選手として活動した。1986年、右肩の故障で競技引退。なお、日本たばこでは「塩事業部」に所属していた。 バレーボール選手引退後はファッションモデルに転身。
青木 一彦(あおき かずひこ、1961年〈昭和36年〉3月2… 青木 一彦(あおき かずひこ、1961年〈昭和36年〉3月25日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(3期)、参議院議院運営委員長。内閣官房長官・自民党参議院議員会長を務めた青木幹雄の長男。 内閣官房副長官(政務担当)(第1次石破内閣・第2次石破内閣)を務めた。 島根県簸川郡大社町(現・出雲市)出身。少年時代、実家近くの出雲大社でよく遊んだ。島根県立大社高等学校を経て1985年3月、早稲田大学教育学部を卒業。 山陰中央テレビジョン放送社員を経て、1999年から内閣官房長官秘書官となる。2000年(平成12年)から父幹雄の公設秘書を務めた。あまり帰郷しない父に代わって頻繁に地元島根に入って支援者を回っていた。
曽田 康二(そた やすじ、1957年11月10日 - )は、… 曽田 康二(そた やすじ、1957年11月10日 - )は、島根県出雲市出身の元プロ野球選手(投手)。
石橋 貢(いしばし みつぐ、1957年5月5日 - )は、日… 石橋 貢(いしばし みつぐ、1957年5月5日 - )は、日本の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。島根県出雲市出身。
竹内 まりや(たけうち まりや、1955年〈昭和30年〉3月… 竹内 まりや(たけうち まりや、1955年〈昭和30年〉3月20日 - )は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家、音楽プロデューサー。出生名同じ。結婚後の本名、山下 まりや。島根県簸川郡大社町杵築南(現・島根県出雲市大社町杵築南)出身。 生家・実家は出雲大社・二の鳥居近くに在る1877年(明治10年)創業の老舗旅館「竹野屋旅館」(後述参照)。父親は4代目竹内繁蔵(旅館経営者。のちには大社町町長も務めた)。夫は山下達郎(シンガーソングライター、ミュージシャン)(後述参照)。山下との間に一女がいる(※後述参照)。 スマイルカンパニーおよび夫と共同経営する(著作権管理用)個人事務所のテンダベリー&ハーヴェスト所属。
布野 幸利(ふの ゆきとし、1947年2月1日 - )は、日… 布野 幸利(ふの ゆきとし、1947年2月1日 - )は、日本の実業家。元日本銀行政策委員会審議委員。米国トヨタ自動車販売社長、北米トヨタ自動車会長、トヨタ自動車代表取締役副社長を歴任した。島根県出身。 島根県出雲市出身。島根県立大社高等学校卒業後、神戸大学経営学部に進学。同学を卒業後、1970年、トヨタ自動車販売に入社した。トヨタ自動車時代は米国トヨタ自動車販売の社長を務めるなど、海外畑の仕事が多かった。 2015年4月21日、 政府は衆参両院の議院運営委員会理事会に、日銀の森本宜久審議委員の後任として、布野を起用する人事案を提示した。5月21日、衆議院で採決が行われ、賛成多数で同意。翌21日、参議院で採決が行われ、賛成多数で同意した。
伊藤 光四郎 (いとう こうしろう、1937年7月28日 -… 伊藤 光四郎 (いとう こうしろう、1937年7月28日 - 2011年11月30日)は、島根県簸川郡大社町出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ、解説者。
青木 幹雄(あおき みきお、1934年〈昭和9年〉6月8日 … 青木 幹雄(あおき みきお、1934年〈昭和9年〉6月8日 - 2023年〈令和5年〉6月11日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲章は旭日大綬章。 竹下登衆議院議員秘書、島根県議会議員(5期)、参議院議員(4期)、内閣官房長官(第64・65代)、沖縄開発庁長官(第38・39代)、自由民主党参議院幹事長、自由民主党参議院議員会長を歴任した。 長男に青木一彦参議院議員がいる。 1934年6月8日、島根県簸川郡大社町の漁師の家に誕生する。実家は網元で、大社漁協の組合長だった。漁師の息子だった青木は稲佐の浜で朝から暗くなるまで勉強もしないで真っ黒になって遊んだ。島根県立大社高等学校を経て早稲田大学に入学。
手銭 弘喜(てぜに ひろよし、1932年3月22日 - 19… 手銭 弘喜(てぜに ひろよし、1932年3月22日 - 1993年6月24日)は、日本のテレビ演出家、映画監督。島根県簸川郡出身。 実家は、松江藩に300年仕えた十代あまりも続いている手錢家。長男であったが、実家は手銭記念館として保存されており、弟が後を継いでいる。 映画監督としては日活で基礎を身に着けた。早撮りの腕前が評価され、「暴れん坊将軍」や「太陽にほえろ!」をはじめテレビドラマ作品を中心に活躍したが、劇場映画を撮るチャンスになかなか恵まれず、晩年の「ファンキー・モンキー・ティーチャー」(1991年)が唯一の劇場映画作品となった。 孫は共同テレビジョン所属でドラマプロデューサーの手銭陸。
青木 伊平(あおき いへい、1930年12月9日 - 198… 青木 伊平(あおき いへい、1930年12月9日 - 1989年4月26日)は、日本の議員秘書。竹下登の秘書として知られている。 島根県簸川郡大社町(現・出雲市)出身。島根県立大社高等学校、明治大学工学部卒業。大学卒業後、ベアリングメーカーに就職したが1953年に島根選出の高橋円三郎衆議院議員の秘書となって政界に職を得る。1956年に高橋が死亡したためやはり島根選出の小瀧彬の秘書となる。1958年に小瀧が死去すると、ほぼ同時期に高橋の地盤を継いで衆議院議員となった竹下登の秘書となる。以降、竹下が首相の座に上り詰めるまで、30年間にわたり秘書を勤める。 初当選当時の竹下は、県議時代から議員報酬の大半を政治活動に充てるなど、家計が自転車操業状態にあった。
西倉 実(にしくら みのる、1929年1月20日 - 195… 西倉 実(にしくら みのる、1929年1月20日 - 1955年12月19日)は、島根県簸川郡大社町出身のプロ野球選手。
石塚 尊俊(いしづか たかとし、1918年9月21日 - 2… 石塚 尊俊(いしづか たかとし、1918年9月21日 - 2014年4月16日)は、日本の民俗学者、神官。島根県を本拠地に、当地域を中心とした地方の民俗学を牽引した。 1918年(大正7年)、島根県大津村(2006年現在の出雲市大津町石塚村)の社家の長男として生まれる。少年時代は簸川郡大津村小学校(現・出雲市立大津小学校)、島根県立大社中学校(現・島根県立大社高等学校)に通った。中学時代は理数科が苦手であった反面、歴史に興味をもち、郷土史の作成、出雲市長廻谷横穴墓群の調査などをおこなった。 1936年(昭和11年)、 國學院大學神道部に進学するにあたって上京する。小学校教員になるために師範学校へ行かせようとする親に上京を反対されたものの、伯母の助言で「伯母の監督つき」の条件のもと許されている。
原 良宗(はら よしむね、1915年〈大正4年〉3月9日 -… 原 良宗(はら よしむね、1915年〈大正4年〉3月9日 - 2004年〈平成16年〉9月22日)は、日本の政治家。島根県平田市(現・出雲市)長(5期)。位階は従四位。 島根県簸川郡平田町(のち平田市、現・出雲市)出身。1930年(昭和5年)、島根県立大社中学校(現・島根県立大社高等学校)中退。中退後は印刷所を経営。1941年(昭和16年)に島根合同印刷専務に就任し、のち報光社代表取締役となる。1955年(昭和30年)、平田市議会議員に当選する。1959年(昭和34年)、島根県議会議員選挙に平田市選挙区から自由民主党公認で立候補して初当選を果たした。県議を2期務めた後の1967年(昭和42年)、平田市長に当選する。
福田 時雄(ふくだ ときお) のち 森山 時雄(もりやま と… 福田 時雄(ふくだ ときお) のち 森山 時雄(もりやま ときお、1915年2月10日 - 2001年1月6日)は、日本の陸上競技(障害走)選手・指導者、実業家、美術収集家。1936年ベルリンオリンピックに男子400メートルハードルで出場。 島根県出身。県立大社中学校(現在の島根県立大社高等学校)卒業。 関西大学に入学。1936年ベルリンオリンピックで日本代表選手となり、男子400メートルハードルに出場。 1937年9月5日、日本陸上競技選手権大会400メートルハードルにおいて、当時の日本学生記録(54秒8)をマーク。 1938年(昭和13年)関西大学法学部卒業。醸造業を営み、島根県醤油工業協同組合理事長を務めた。
北井 正雄(きたい まさお、1913年8月7日 - 1937… 北井 正雄(きたい まさお、1913年8月7日 - 1937年8月7日)は、草創期のプロ野球選手。阪急の初代エース。投手。島根県出身。
中山 定義(なかやま さだよし、1905年(明治38年)8月… 中山 定義(なかやま さだよし、1905年(明治38年)8月16日 - 1995年(平成7年)1月16日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。海兵54期恩賜。第4代海上幕僚長。島根県出雲市出身。東京都目黒区在住であった。長男は第10代明治学院長の中山弘正。 旧制島根県立大社中学校より海軍兵学校第54期入校。席次は入校時は79名中4番、卒業時は68名中3番で恩賜の短剣を拝受。 海兵54期は、ワシントン軍縮会議の結果、艦船のみならず海軍士官も余剰と判断され、海軍兵学校生徒の採用数が通常年度の半分以下になった2期目のクラスである。 佐官になってからは、軍政部門での勤務が多かった。海軍大学校甲種第36期在校中に日中戦争が勃発、人手不足も手伝って、大学校在校者も駆り出され、中山は中国在勤を命ぜられる。
12代 桜井 三郎右衛門(さくらい さぶろうえもん、明治36… 12代 桜井 三郎右衛門(さくらい さぶろうえもん、明治36年(1903年)12月9日 - 平成3年(1991年)3月24日)は、日本の実業家、政治家。旧姓は大村、幼名は泰吉。桜井家第12代当主。 実父は実業家大村貞蔵、実兄は実業家大村義雄。 島根県簸川郡大社町(現出雲市)大村家に生まれ、大社中学を卒業して桜井家の養子となった。 島根県信用農協連、中央農協連、同信連各会長、県農業会議員、仁多郡町村会長、同畜産、同農業雲南漁業各組合長、仁多町長、島根県日産販売(株)、山陰酸素工業(株)各社長等を歴任。
尾原 勝吉(おばら かつきち、1899年 <明治32年> 4… 尾原 勝吉(おばら かつきち、1899年 <明治32年> 4月5日 - 1981年 <昭和56年> 3月6日)は、日本の指揮者、ヴァイオリニスト。 島根県簸川郡久木村(現、出雲市斐川町美南)に生まれる。父の甚四郎は華道・池坊の宗匠、兄の定次郎は高等女学校の図画教師という芸術一家で育つ。幼少期から音楽を好み、5歳で横笛を吹きこなして周囲を驚かせた。一方、大社中学校(現・島根県立大社高等学校)に進学後はスポーツにも万能で、野球部の主将として、1917年(大正6年)の第3回全国中等学校優勝野球大会に出場し勇名を馳せた。 1919年(大正8年)、同中学校を卒業し明治大学商学部へ入学。在学中の同年、宮内庁音楽部の山井基清にヴァイオリンの手ほどきを受け習得する。
恒松 安夫(つねまつ やすお、1899年(明治32年)3月1… 恒松 安夫(つねまつ やすお、1899年(明治32年)3月18日 - 1963年(昭和38年)5月20日)は、日本の政治家・歴史学者。島根県知事(2期)、大田市名誉市民。政治家・恒松隆慶の孫。位階は従四位。勲三等瑞宝章。 島根県安濃郡長久村(現大田市長久町)で、恒松嘉吉・ケン夫妻の二男として生まれる。杵築中学校(現島根県立大社高等学校)在学中は剣道に励んだ。祖父隆慶と岡本かの子の父・大貫寅吉が親しかったことから、慶應義塾大学予科に進学後、岡本一平・かの子の家に寄宿していた。岡本夫妻はともに家事家計が苦手であり、見るに見かねて手伝っているうちに家事一切や幼い息子太郎の世話、夫妻の給金や原稿料の貯蓄、かの子の執筆のための資料集めや原稿の清書までやる羽目になったという。
武永 貞一(たけなが ていいち、1898年〈明治31年〉8月… 武永 貞一(たけなが ていいち、1898年〈明治31年〉8月5日 - 没年不詳)は、日本の実業家、政治家。元武永明文舎印刷工場経営主、今市水道取締役。 元首相竹下登の伯父。元島根県会議員竹下勇造の実兄。 旧制島根県立杵築中学校(現・島根県立大社高等学校)卒業。1925年(大正14年)より1955年(昭和30年)まで今市町議から出雲市議を連続つとめ、また同商工会議所会頭等を歴任。 趣味は書画、骨董、旅行。宗教は真宗。
及川 規(おいかわ ただし、1893年(明治26年)5月26… 及川 規(おいかわ ただし、1893年(明治26年)5月26日 - 1981年(昭和56年)11月26日)は、大正から昭和期の教育者、弁護士、政治家。衆議院議員。 岩手県江刺郡岩谷堂町(江刺町、江刺市を経て現奥州市)で生まれる。岩手師範学校を経て、1917年(大正6年)東京高等師範学校(のち東京教育大学)を卒業。 岩手県師範学校教諭、島根県立杵築中学校(現島根県立大社高等学校)教諭を歴任。1920年(大正9年)高等試験行政科試験に合格。神奈川県視学官に就任。その後、横浜市で弁護士を開業し、横浜弁護士会副会長も務めた。その他、私立本牧中学校(のち現在の横浜中学校・高等学校に合併)校長兼理事長となった。
原 石鼎(はら せきてい、1886年3月19日 - 1951… 原 石鼎(はら せきてい、1886年3月19日 - 1951年12月20日)は、島根県出身の俳人。高浜虚子に師事、「鹿火屋」を創刊・主宰。大正期の「ホトトギス」を代表する作家の一人で、色彩感覚に優れたみずみずしい作風で一世を風靡した。本名は原 鼎(はら かなえ)。初号・鉄鼎。別号・ひぐらし。 簸川郡塩冶村(現出雲市)の医師の家に三男として生まれ、県立簸川中学校(現在の島根県立大社高等学校)に入学。教員として大町桂月がいた。2年のときに『山陰新報』課題句に投句し入選。5年生の時、新任教員であった俳人の竹村秋竹の家に寄宿し、秋竹の影響を受け俳句、短歌を初めとする文学活動に熱中。『国文学』に俳句、短歌、文を投稿ししばしば入選した(俳句は河東碧梧桐、歌・文は金子薫園選)。
河野 順一(こうの じゅんいち)は日本の経営者。一般社団法人… 河野 順一(こうの じゅんいち)は日本の経営者。一般社団法人 ミャンマージャパン・SEDA東京代表理事。コモンブリッジ株式会社代表取締役。一般社団法人有機系廃棄物資源化協会(OWRA)代表理事。一般社団法人 e世論協会 代表理事。株式会社ネスパ取締役会長。 河野順一は、1930年(昭和5年)、大連市生まれ。島根県大社中学校5年在学中に一級無線技士資格取得、卒業後無線機サービス業自営。その後数社でのサラリーマン勤務を経て、昭和41年、エスコリース起業。昭和50年、エスコリースを北海道拓殖銀行に事業譲渡。 昭和50年、温泉温泉総合エンジニアリングのマグマ社を創業、平成10年、長男に社長を譲りネスパ社創立、現在 取締役会長として活躍している。
千家 国麿 は、日本の神職。出雲大社権宮司。