スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
杉田 愉(すぎた さとる、1974年(昭和49年)10月29… 杉田 愉(すぎた さとる、1974年(昭和49年)10月29日 - )は、日本の映画監督・脚本家、新潟産業大学客員講師。 新潟県柏崎市出身。柏崎市立第二中学校、新潟県立柏崎高等学校を経て、中央大学文学部哲学科卒業。 2003年、第3回伊参スタジオ映画祭シナリオ大賞にて『貝ノ耳』が大賞を受賞、第9回函館港イルミナシオン映画祭シナリオ大賞にて『空の私と私の空』が準グランプリを受賞し注目を集める。 2004年、『貝ノ耳』(主演:鰐淵晴子、坂井昌三)がヴロツワフ国際映画祭にて審査委員長のアンジェイ・ズラウスキーから最優秀剣士賞を授与され、数多くの国際映画祭で招待上映、初監督作にしてグランプリを含む10冠の快挙に輝く。
近藤 正和(こんどう まさかず、1971年5月31日 - )… 近藤 正和(こんどう まさかず、1971年5月31日 - )は、将棋棋士。棋士番号220。原田泰夫九段門下。新潟県柏崎市出身。 1996年10月1日、25歳でプロ入り。プロデビューから負けなしの10連勝を飾り好スタートを切った。(「デビューからの連勝」の記録として当時歴代1位。現在でも藤井聡太(2017年)に次ぎ松本佳介(1996年)と並ぶ、歴代2位である。) 1997年、第10期竜王戦6組ランキング戦の6組優勝者となり、本戦トーナメント出場。本戦では3回戦で佐藤康光に敗れたが、5組昇級。同年、第47回NHK杯戦予選決勝で神谷広志に勝ち、初参加で本戦出場を果たす。 翌1998年第48回本戦トーナメントにも連続して出場した。
板谷 学(いたや まなぶ、1971年1月8日 - )は、中京… 板谷 学(いたや まなぶ、1971年1月8日 - )は、中京テレビ放送制作局制作部副部長兼チーフプロデューサー。元アナウンサー → ディレクター、プロデューサー。新潟県刈羽郡西山町(現・柏崎市)出身。新潟県立柏崎高等学校、法政大学卒業。血液型O型。愛称「板やん」。 大学卒業後、1993年に中京テレビに入社し、アナウンス部に配属。以来、数多くの自社製作番組と日本テレビ系列局共同製作番組に出演した。初の総合司会を務めた情報番組『キス・ミス・チック』の初回放送日には、中日新聞テレビ欄に掲載の番組宣伝広告に自身の写真が大々的に使われるなど、当時の若手アナウンサーの中では筆頭の売り出し方をされていた。 その後、制作側の仕事に興味を持つようになり、本人の希望により2003年に社会情報部へ異動。
村山 哲二'(むらやま てつじ、1964年9月19日 - )… 村山 哲二'(むらやま てつじ、1964年9月19日 - )は、日本の実業家。プロ野球独立リーグのBCリーグ初代代表。運営会社ジャパン・ベースボール・マーケティングの初代代表取締役で現会長。新潟県柏崎市高柳町(旧刈羽郡高柳町)出身。 高柳町立高柳中学校では野球部で県大会ベスト4となり、進学先の新潟県立柏崎高等学校でも野球部に所属し、秋季大会ベスト4、夏季大会3回戦まで進んだ[要出典]。 駒澤大学に進み、準硬式野球部に所属。駒澤大学北海道教養部の準硬式野球部主将を務め、北海道大会に優勝して、全国大会に出場した。1988年に駒澤大学法学部法律学科を卒業した。[要出典] 大学卒業後、外車ディーラーを経て、1998年に[要出典]電通東日本に入社。
吉川 浩民(よしかわ ひろみ、1964年8月15日 - )は… 吉川 浩民(よしかわ ひろみ、1964年8月15日 - )は、前日本の自治・総務官僚。内閣官房内閣審議官。群馬県副知事。 新潟県柏崎市(旧刈羽郡高柳町)出身。新潟県立柏崎高等学校を経て東京大学法学部卒業。東大法学部在学中に国家公務員一種試験(法律)に合格。1988年 自治省入省。税務局市町村税課。2005年4月 総務省自治行政局行政課行政企画官。2012年10月 群馬県副知事。2015年7月 総務省自治行政局公務員部福利課長。2016年6月17日 総務省自治財政局地方債課長。2017年7月11日 総務省自治行政局行政課長。2018年7月27日 総務省大臣官房審議官(地方行政、個人番号制度、地方公務員制度、選挙担当)。
桜井 雅浩(さくらい まさひろ、1962年〈昭和37年〉4月… 桜井 雅浩(さくらい まさひろ、1962年〈昭和37年〉4月30日 - )は、日本の政治家、教諭。新潟県柏崎市長(3期)。元柏崎市議会議員(4期)。 戸籍上の正しい表記は「桜」を旧字体にした櫻井 雅浩で、柏崎市役所のウェブサイトにも戸籍上の名義で表記されている。 新潟県柏崎市生まれ。1981年(昭和56年)3月、新潟県立柏崎高等学校卒業。1986年(昭和61年)3月、早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。同年4月、女子美術大学付属高等学校・中学校の教諭となる。 1991年(平成3年)4月、柏崎市議会議員選挙に初当選。同年7月、学習塾を創業。2003年(平成15年)に4期目の当選。 2004年(平成16年)11月14日に行われた柏崎市長選挙に、柏崎刈羽原子力発電所の再稼働容認を訴えて立候補するも落選。
松原 薫(まつばら かおる、1960年2月22日 - )は、… 松原 薫(まつばら かおる、1960年2月22日 - )は、日本の男子陸上競技選手。専門は短距離走。新潟県柏崎市出身。 ナイキジャパン所属時の1984年に日本陸上競技選手権大会の100m優勝、1987年の同大会でも優勝している。東日本実業団陸上競技選手権大会では、第26回、第28回、第30回、第32回、第33回と5回優勝している。1988年ソウルオリンピックでは4×100mリレーのメンバー(松原薫・青戸慎司・栗原浩司・笠原隆弘)として1次予選に出場し39秒70で準決勝に進んだ。 現在は、陸上クラブ のコーチをしている。
増井 修(ますい おさむ 1959年3月11日 - )は日本… 増井 修(ますい おさむ 1959年3月11日 - )は日本の編集者、音楽評論家、音楽ジャーナリスト、音楽エッセイスト。漫画に対する造詣も深く、漫画評論の著作も発表している。 新潟県柏崎市(旧西山町)出身。新潟県立柏崎高等学校卒業、新潟大学法学部中退。 『rockin'on』1979年10月号に投稿した原稿が初掲載される。1980年1月号の初の社員公募に応募、倍率200倍を突破しロッキング・オン入社。1985年、青山レコーディング・スクールにて講師を務める。1992年にロッキング・オン社取締役就任。 1990年5月号から1997年5月号まで『rockin'on』編集長。1997年3月には編集長として、雑誌『buzz』を創刊、vol.2で『rockin'on』と同時に編集長を引退。
堀井 真吾(ほりい しんご、1958年1月29日 - )は、… 堀井 真吾(ほりい しんご、1958年1月29日 - )は、日本の男性声優、ナレーター。新潟県柏崎市出身。青二プロダクション所属。 10歳まで鵜川地区に生まれ育つ。 柏崎市立鵜川小学校から柏崎市立枇杷島小学校に転校。 新潟県立柏崎高等学校28回生時代は剣道部に所属していた。 学習院大学に進学後は演劇に興味を持つ。大学時代はシェークスピア劇研究会に所属していた。 20歳で芙二三枝子舞踊団に門を叩く。21歳の時に芙二三枝子舞踊研究所に顔を出すようになる。その後は7、8年もお世話になり、男性が不足していたため、実力以上の舞台にも随分参加していた。 23歳で劇団に入団。24歳で初舞台。その後は俳優の道へ走り続けていた。
蓮池 薫(はすいけ かおる、1957年(昭和32年)9月29… 蓮池 薫(はすいけ かおる、1957年(昭和32年)9月29日 - )は、日本の著述家、翻訳家、大学教員。北朝鮮による拉致被害者。新潟産業大学経済学部教授。 新潟県柏崎市出身。新潟県立柏崎高等学校を経て中央大学法学部に進学、1978年(昭和53年)夏、大学3年生(当時20歳)のとき北朝鮮工作員によって拉致され、2002年(平成14年)10月に帰国するまでの24年間、北朝鮮において主として日本の新聞翻訳業務を強いられる生活を送る。帰国後、復学して中央大学法学部を卒業、その後新潟大学大学院に進んで修士課程修了。新潟産業大学経済学部教授。 著書『半島へ、ふたたび』により新潮ドキュメント賞を受賞した(2009年8月27日)。
蓮池 透(はすいけ とおる、1955年〈昭和30年〉1月3日… 蓮池 透(はすいけ とおる、1955年〈昭和30年〉1月3日 - )は、日本の政治活動家。1978年に北朝鮮に拉致された蓮池薫の実兄で、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会事務局長を務めた。 新潟県柏崎市出身。新潟県立柏崎高等学校卒業。1977年3月、東京理科大学工学部電気工学科卒業。同年4月、東京電力に入社。2002年、日本原燃出向。同社燃料製造部副部長。核廃棄物再処理(MOX燃料)プロジェクトを担当。2006年、東京電力原子燃料サイクル部部長(サイクル技術担当)。2009年夏に退社。 北朝鮮による日本人拉致問題について、「拉致は国家テロ。北朝鮮への経済制裁を行え」「これは戦争ですよ。アメリカならそうするでしょう」といった発言を繰り返し、また制裁要請のために横田滋・早紀江夫妻とともに渡米するなど強硬派と目されていた。
矢代 秀己(やしろ ひでき、1953年5月5日 - )は、日… 矢代 秀己(やしろ ひでき、1953年5月5日 - )は、日本の実業家。ジョナサン社長、小僧寿し社長。 新潟県柏崎市出身。1977年 駒澤大学経済学部卒業。同年すかいらーく入社。1992年ジョナス(現ジョナサン)取締役、1994年常務、1996年専務を歴任。2003年3月ジョナサン社長に就任。 2006年3月すかいら-くへ移籍、同社常務執行役員MDカンパニー代表。2008年9月同社常務執行役員人事本部長、同年12月同社取締役人事本部長、ジョナサン取締役会長。2009年10月すかいらーく取締役。2010年3月小僧寿し社長に就任、2012年3月同社取締役会長。
植木 義明(うえき よしあき、1953年2月21日 - )は… 植木 義明(うえき よしあき、1953年2月21日 - )は、日本の実業家。植木組代表取締役社長。 1983年、植木組入社。1987年、取締役就任。海外事業部長、東京支店長、営業本部長などを経て、2001年、専務取締役、2004年から技術本部長、代表取締役副社長執行役員。2006年より代表取締役社長に就任した。2024年4月より社長を退任し、代表権のある会長に就任する。 横浜国立大学工学研究科大学院(建築学専攻)修了。 社長就任後は新潟県中越沖地震や東日本大震災の復旧工事、柏崎駅前の新本社建設・移転などを指揮してきた。近年は建設現場のICT(情報通信技術)対応やDX推進などにも力を入れた。
徳間 佳信(とくま よしのぶ、1952年 - )は、日本の翻… 徳間 佳信(とくま よしのぶ、1952年 - )は、日本の翻訳者。中国当代文学研究者、翻訳家。駒澤大学外国語部門非常勤講師。新潟県出身。 1952年、新潟県柏崎市出身。新潟県立柏崎高等学校、明治大学卒業。
中俣 均(なかまた ひとし、1952年 - 2024年10月… 中俣 均(なかまた ひとし、1952年 - 2024年10月3日)は日本の地理学者。法政大学名誉教授。法政大学沖縄文化研究所元所長。 専門は文化地理学、社会地理学であり、奄美諸島、琉球諸島を中心とした島嶼研究に取り組んだ。 1952年、新潟県に生まれた。 柏崎市で育ち、新潟県立柏崎高等学校を経て、東京大学理科二類に進み、1976年に東京大学理学部地理学科を卒業し大学院に進み、1978年に理学系研究科地理学専門課程修士課程を修了して、1980年に科地理学専門課程博士課程を中途退学した。同年に島根大学法文学部助手、1984年に法政大学文学部地理学科専任講師、1987年に助教授を経て、1993年に教授に昇進した。
矢代 隆義(やしろ たかよし、1949年(昭和24年)11月… 矢代 隆義(やしろ たかよし、1949年(昭和24年)11月7日 - )は、日本の警察官僚。第86代警視総監、日本自動車連盟会長などを歴任した。新潟県柏崎市出身。 新潟県立柏崎高等学校を経て、東京大学法学部卒業。1973年警察庁入庁。山口県警察本部長、警察庁交通局交通企画課長、大阪府警察本部警務部長、埼玉県警察本部長、警察庁長官官房審議官(交通局担当)、交通局長などを歴任。2007年8月6日に第86代警視総監に就任し、2008年8月6日まで1年間務めた。就任直後の8月21日に発生した、警視庁立川警察署巡査長による拳銃を用いた女性射殺事件で国家公安委員会より9月20日に戒告の懲戒処分を受けている。
近藤 史朗(こんどう しろう、1949年10月7日 - )は… 近藤 史朗(こんどう しろう、1949年10月7日 - )は、日本の技術者、実業家。株式会社リコー代表取締役社長・最高経営責任者や、同社代表取締役会長を務めた。 新潟県柏崎市生まれ。新潟県立柏崎高等学校を経て、1973年新潟大学工学部卒業、リコー入社、厚木事業所電送機器事業部配属。1998年画像システム事業本部プリンタ事業部長。1999年画像システム事業本部副事業本部長。2000年執行役員画像システム事業本部長。2002年上席執行役員。2003年常務取締役。2004年MFP事業本部長。2005年取締役専務執行役員。2007年代表取締役社長執行役員 CEO。2013年代表取締役会長執行役員。2016年代表取締役会長、東北電力取締役。
会田 洋(あいだ ひろし、1947年(昭和22年)3月28日… 会田 洋(あいだ ひろし、1947年(昭和22年)3月28日 - )は、日本の政治家。元新潟県柏崎市長(3期)。旭日小綬章受章。 新潟県柏崎市生まれ。新潟県立柏崎高等学校、東京大学工学部卒業。 大阪市役所に就職後、1977年に長岡市役所へ。2002年から財団法人環日本海経済研究所へ。 2004年、柏崎市長選挙に出馬し、自民党と公明党の推薦を受けた現職の西川正純、柏崎刈羽原子力発電所再稼働容認派の桜井雅浩らをおさえ初当選した。 2008年、前回戦った桜井雅浩を破り再選。2012年の柏崎市長選は、原発推進派に推された元共同通信社論説委員長の西川孝純を破り3選。 2013年7月に柏崎刈羽原子力発電所の再稼働問題に関し東京電力の広瀬直己社長と会談し、「手続きもないまま申請を発表したことは、誠に遺憾。
藤島 安之(ふじしま やすゆき、1947年(昭和22年)3月… 藤島 安之(ふじしま やすゆき、1947年(昭和22年)3月25日 - )は、日本の通産官僚。通商産業大臣官房審議官、駐パナマ大使を歴任。新潟県出身。 同期に、町村信孝、佐野忠克(経産審議官、京大法卒)、及川耕造(特許庁長官)、太田信一郎(特許庁長官)、佐瀬正敬(沖電気執行役員)、岩田満泰(関電副社長、中小企業庁長官、近畿通産局長、東大経卒)、綾部正美(帝国石油専務、大臣官房調査統計部長)、作田穎治(住金専務、基礎産業局長、慶大経卒)、松倉浩司(交流協会元専務理事、東北通産局長)、河本博隆(特許庁審査第一部長)、野村弘(弁護士、1972年退官)など。
近藤 正道(こんどう まさみち、1947年1月25日 - )… 近藤 正道(こんどう まさみち、1947年1月25日 - )は、日本の政治家、弁護士(登録番号:15594)。 参議院議員(1期)を務めた。 新潟県三島郡出雲崎町生まれ。新潟県立柏崎高等学校、中央大学法学部法律学科卒業。1977年、新潟市で法律事務所を開業した。 1987年、日本社会党公認で新潟県議会議員選挙に出馬し、初当選。県議を5期務めた後、2004年の第20回参議院議員通常選挙に新潟県選挙区から無所属で出馬し、初当選。当選後、社会民主党・護憲連合(参議院の院内会派)入りした。なお近藤は1997年には社民党新潟県連代表に就任しており、2004年の参院選に出馬した時も党籍はあったが、民主党からの選挙協力を受けるため無所属で出馬し、民主・社民両党が推薦する形が採られた(新潟方式)。
矢島 秀三(やじま しゅうぞう、1946年11月27日 - … 矢島 秀三(やじま しゅうぞう、1946年11月27日 - 2006年11月18日)は、新潟県柏崎市出身の水球選手。 水球を始めたのは柏崎高校に入学し水球部に入部したのがきっかけ。入部当時は25メートル泳ぐこともできなかったという。入部後は第19回新潟国体での優勝を目指し厳しい練習に打ち込んだものの、8月開催を前に新潟地震が発生し、水泳競技はやむを得ず中止となり、水球競技も行われることはなかった。しかし国体の代わりに開催された全国高校選抜大会で5戦全勝で優勝し、同年のインターハイにおいても柏崎高校は日本一となっている。また、水球の他にも競泳に出場しており、3年時には県大会の200メートル自由形を制している。
平山 征夫(ひらやま いくお、1944年〈昭和19年〉7月2… 平山 征夫(ひらやま いくお、1944年〈昭和19年〉7月21日 - )は、日本の政治家、大学教員。新潟県知事(公選第14・15・16代、在任1992年 - 2004年)。新潟県知事時代に大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレを発案し、開催に漕ぎ着けた。長岡技術科学大学特任教授、事業創造大学院大学非常勤教員。新潟国際情報大学前学長(在任2008年 - 2018年)。 東京佐川急便事件に関わったとして金子清が辞職したことに伴い行われた1992年新潟県知事選挙にて、自民党と社会党からの推薦を受け出馬し、長﨑明を破り当選した。ロシアとの交流に積極的であり、1994年8月には新潟市にロシア総領事館を開設することなった。
新田 貞章(にった さだあき、1942年1月8日 - )は、… 新田 貞章(にった さだあき、1942年1月8日 - )は、日本の経済学者。専門は農業史。 新潟県新発田出身。新潟県立柏崎高等学校、新潟短期大学を経て、1964年明治大学卒業。学部生時代は雄弁部に所属。 大学では横畑護のゼミで学ぶ。後に五島茂にも師事し、ロバート・オウエンの研究をする。 大学院時代、大宅壮一東京マスコミ塾第3期生となる。大宅壮一の死後は、大宅の側近にあたる青地晨主催の読書会に合流。 大森実主催の太平洋大学にも参加、サンフランシスコ到着時にプラハの春の第一報を聞いたという。 1973年、明治大学農学部農業経済学科講師、1994年、同教授。明治大学ラグビー部選手として名を馳せた渡邉大吾は教え子。
近藤健彦(こんどう たけひこ、1941年10月19日 - )… 近藤健彦(こんどう たけひこ、1941年10月19日 - )は日本の大蔵官僚。 新潟県柏崎市出身(父母も新潟県)。柏崎市立第二中学校、新潟県立柏崎高等学校、京都大学法学部卒業。京大法学部在学中に国家公務員上級甲種試験(行政)と外交官試験に合格。1965年 大蔵省入省(主税局国際租税課)。1969年 グルノーブル大学法律経済学部大学院修士課程修了。法学修士修得。1970年7月 浜松税務署長。1989年6月23日 関税局総務課長。1990年6月29日 横浜税関長。1991年6月11日 大臣官房審議官(関税局担当)。1992年6月26日 退官。同年7月 日本貿易振興会(JETRO)理事(アジア地域担当)(〜1998年)。
新関 公子(にいぜき きみこ、1940年10月10日 - )… 新関 公子(にいぜき きみこ、1940年10月10日 - )は、日本の美術史学者、東京藝術大学名誉教授。 1940年新潟県長岡市生まれ。1959年新潟県立柏崎高等学校卒業。1963年東京芸術大学美術学部芸術学科卒業。1965年同大学院修士課程修了、東京芸大付属芸術資料館(現東京芸術大学美術館)に勤務(-1974年)。 1968年フランス政府給費留学生としてエコール・デュ・ルーヴルで博物館学研修を受ける。1982-1987年横浜市美術館開設準備室勤務。2002年東京芸大美術館教授、2008年退任、名誉教授。2012年『ゴッホ 契約の兄弟』で吉田秀和賞受賞。
北原 保雄(きたはら やすお、1936年8月4日 - 202… 北原 保雄(きたはら やすお、1936年8月4日 - 2024年2月22日)は、日本の国語学者・言語学者。位階は従三位。学位は文学博士(筑波大学・1981年)(学位論文「日本語助動詞の研究」)。筑波大学名誉教授・元学長。新潟産業大学名誉学長。独立行政法人日本学生支援機構元理事長、文化審議会委員(国語分科会会長)。 新潟県柏崎市出身。新潟県立柏崎高等学校、1960年、東京教育大学卒業。1968年、同大学大学院文学研究科国語学博士課程中退。東京都公立学校教員、和光大学講師、助教授を経て、1974年に筑波大学文芸・言語系助教授。1981年「日本語助動詞の研究」で筑波大学より文学博士の学位を取得。1984年に同大学教授に就任。
二宮 洸三(にのみや こうぞう、1935年8月1日 - )は… 二宮 洸三(にのみや こうぞう、1935年8月1日 - )は、日本の気象学者。学位は、理学博士(1968年)。元気象庁長官。 新潟県柏崎市出身。1958年東京大学理学部物理学科卒。1968年理学博士。1958年気象庁に入り、1974年気象研究所予報研究部第一研究室長、1978年電子計算室予報官、1980年同数値予報班長、1983年仙台管区気象台技術部長、1985年気象庁予報部数値予報課長、札幌管区気象台長、気象庁海洋気象部長、予報部長。1993年気象庁長官。1997年東京大学気候システム研究センター客員教授。2000年海洋研究開発機構特任上席研究員。2012年同退職。2005年藤原賞受賞。
小林 公生(こばやし きみお、1935年(昭和10年)- )… 小林 公生(こばやし きみお、1935年(昭和10年)- )は、日本の実業家。カルピス株式会社代表取締役会長・社長を歴任した。現在はカルピス株式会社相談役・財団法人三島海雲記念財団名誉理事。
若山 三郎(わかやま さぶろう、1931年3月16日 - 2… 若山 三郎(わかやま さぶろう、1931年3月16日 - 2009年10月1日)は日本の小説家。 1931年3月16日、新潟県刈羽郡高柳町(現柏崎市)出身。 日本作家クラブ理事長。日本文芸家協会会員。 新潟県立柏崎高等学校卒業、明治大学政治経済学部中退。 1951年から日本製鋼と西松建設の嘱託通訳を務める。 1953年から1963年まで在日米軍で特殊通訳を務める。消防署に詰めて、消防隊や救急隊が出動した時、当該事件の内容を英語で米軍に説明する仕事だった。このころ、勤務の合間に小説を執筆。 1961年、『国際仲人』によって『講談倶楽部』奨励賞を受ける(この時の同期に太田久行こと童門冬二がいた)。 1963年に米軍通訳を辞して文筆一本の生活に入る。
村越 潔(むらこし きよし、1929年12月5日 - 201… 村越 潔(むらこし きよし、1929年12月5日 - 2011年8月27日)は、日本の考古学者。弘前大学名誉教授。 北海道北見市出身。生後ほどなく横浜市に移る。日本大学文学部史学科卒。在学中の1953年、登呂遺跡の発掘に参加。新潟県立柏崎高等学校教諭、1958年弘前大学教育学部助手、講師、助教授、78年教授、95年定年退官、名誉教授、青森大学考古学研究所長、社会学部教授。1988年砂沢遺跡で弥生前期水田跡を発見。青森県文化財保護審議会会長。青森市史・浪岡町史編集委員長。
生田 房弘(いくた ふさひろ、1929年4月23日 - 20… 生田 房弘(いくた ふさひろ、1929年4月23日 - 2021年5月26日)は、神経病理学者、新潟大学脳研究所教授。 1929年生まれ。1955年、新潟大学を卒業する。 1960年、アメリカ合衆国に渡り、モンテフィオレ病院に従事する。同年3月の新潟大学医学博士論文の題は「Glioma(神経膠腫)の局在について」。1973年、新潟大学脳研究所教授に就任する。 1982年、ウィーンで行われた国際神経病理学会で、脳梗塞などで一部失われた脳機能が、グリア細胞のアストロサイトの細胞分裂や移動により、シナプスをカバーすることで重要な働きをするという研究を発表する。1992年4月には、医学書院より出版された年鑑『神経研究の進歩』36巻にて、「『脳死』の神経病理学」という題名の論文を発表し、脳死判定された患者の心停止死後の剖検結果を報告し、脳死判定後も、脳深部の視床下部の細胞が自己融解しない場合があることを明らかにした。
小林 正三郎(こばやし しょうざぶろう、1919年 - 19… 小林 正三郎(こばやし しょうざぶろう、1919年 - 1945年2月) は、日本の元アマチュア野球選手。新潟県出身。 柏崎中学(現・新潟県立柏崎高等学校)を経て、1939年早稲田大学に入学。東京六大学リーグ戦で捕手として出場した。しかし学徒出陣により応召され、1945年2月、フィリピン北部・ルソン島にて戦死した。享年25。 東京ドーム内の野球殿堂博物館にある戦没野球人モニュメントに、彼の名前が刻まれている。
今井 哲夫(いまい てつお、1912年(明治45年)5月20… 今井 哲夫(いまい てつお、1912年(明治45年)5月20日 - 1987年(昭和62年)12月27日)は、日本の政治家。新潟県柏崎市長を2期8年(1979年 - 1987年)務めた。 青年期には陸上競技選手(長距離走)として活躍し、慶應義塾大学在学中に箱根駅伝に出走したほか、3000メートル障害で当時の日本記録を更新した。1936年ベルリンオリンピックに3000メートル障害で出場。 新潟県刈羽郡比角村(現在は柏崎市の一部)出身。1922年(大正11年)、比角尋常高等小学校(現在の柏崎市立比角小学校)5年生の際に、新潟県少年オリンピック大会での総合優勝に貢献する。旧制新潟県立柏崎中学校(現在の新潟県立柏崎高等学校)に進学、近県中学校競技大会で4種目優勝を果たした。
杉 捷夫(すぎ としお、1904年2月27日 - 1990年… 杉 捷夫(すぎ としお、1904年2月27日 - 1990年12月10日)は、日本のフランス文学者。東京大学名誉教授。 新潟県柏崎市出身。旧制柏崎中学・旧制三高を経て、1926年東京帝国大学仏文科卒業。高千穂高等商業学校(現高千穂大学)、立教大学、東北帝国大学で教えた後、1949年から東京大学教養学部教授、56年文学部教授。1964年に定年退官後は立教大学教授、1968年、東京都立日比谷図書館長となり、土岐善麿以来13年ぶりの文化人館長として話題になった。1976年日本学士院会員。 プロスペル・メリメやギ・ド・モーパッサンの翻訳で知られ、その多くが岩波文庫等に入って読み継がれた。研究者としては『フランス文芸批評史』などの著書がある。
山田 勝次郎(やまだ かつじろう、1897年〈明治30年〉1… 山田 勝次郎(やまだ かつじろう、1897年〈明治30年〉10月7日 - 1982年〈昭和57年〉6月7日)は、日本の農業経済学者、実業家。筆名は柏崎次郎。旧姓・蝋山。蠟山政道の弟、小山長四郎(美峰酒類社長)、蝋山芳郎の兄。 群馬県高崎市歌川町に、蝋山政次郎の次男として生まれる。新潟県柏崎の祖父母のもとで育ち、旧制柏崎中学校(現・新潟県立柏崎高等学校)、旧制第一高等学校を卒業。1922年(大正11年)東京帝国大学農学部農業経済学科を卒業。同年山田昌吉(高崎商工会議所第6代会頭)の娘・とくと結婚し、山田に改姓。 東京帝国大学の副手・助手を経て、1925年(大正14年)京都帝国大学助教授となる。1926年(大正15年)から文部省在外研究員として1928年(昭和3年)までイギリス・ドイツ・フランスに滞在した。
石黒 敬七(いしぐろ けいしち、1897年8月10日 - 1… 石黒 敬七(いしぐろ けいしち、1897年8月10日 - 1974年10月1日)は、日本の柔道家(講道館8段、大日本武徳会10段)、随筆家、古写真収集家。徳川夢声が創設した「ゆうもあくらぶ」の二代目会長。レジオンドヌール勲章受章者。長男は写真コレクションを引き継いだ石黒敬章。 新潟県柏崎市出身。父親は越後縮布の行商人で、七男なので敬七と名付けられた。 中学時代から柔道に熱を入れ、18歳で講道館に入門。早稲田大学政治経済学部に入学し、学生時代は柔道部の主将を務めた。1922年(大正11年)に同大を卒業。1924年(大正13年)柔道普及のため海外周遊に出発、フランス、英国、トルコ、エジプトなどの陸軍・警察で柔道を教え、ルーマニアでは国王から王冠章を授与された。
渡辺 義介(渡邊、わたなべ ぎすけ、1888年4月12日 -… 渡辺 義介(渡邊、わたなべ ぎすけ、1888年4月12日 - 1956年1月6日)は、日本の経営者。日本製鐵・八幡製鐵(現・日本製鉄)社長。 新潟県西蒲原郡弥彦村出身。日本石油会社支配人・渡辺忠の二男として生まれ、新潟県立柏崎中学校、第四高等学校を経て、1915年東京帝国大学法科大学経済学科卒。同年文官高等試験行政科試験に合格、農商務省に入る。官営八幡製鉄所に勤務を経て、商工省に戻り、鉱山局鉱政課長を歴任する。 1934年に日本製鐵が発足すると八幡製鉄所に戻り、所長となった。その後、1942年には北支那製鉄社長に就任、鉄鋼統制会理事長も務めた。1945年、日本製鐵社長となり、鉄鋼統制会会長に就任した。
2代 小林 米三郎(こばやし よねさぶろう、1886年(明治… 2代 小林 米三郎(こばやし よねさぶろう、1886年(明治19年)11月20日 - 1968年(昭和43年)6月25日)は、大正・昭和期の実業家、政治家。位階は正五位。 参議院議員(1期)、小林酒造社長、栗山町名誉町民。旧姓は田中、旧名は栄。 1886年(明治19年)11月20日、新潟県刈羽郡(のちの刈羽郡二田村、現・柏崎市)に田中九平太の二男として生まれた。生家は造り酒屋の素封家であり、6人兄弟姉妹の5番目だった。出生名は田中栄であり、当地出身の田中角栄の遠縁にあたる。 1903年(明治36年)に新潟県立柏崎中学校(現・新潟県立柏崎高等学校)を卒業。 17歳の時に北海道夕張郡角田村(現・栗山町)の初代小林米三郎の養子となり、2代米三郎を襲名して酒造業を継承した。
小林 孝嘉 は、日本の物理学者。
大矢 政徳(おおや まさのり)は、日本の言語学者、明治大学国… 大矢 政徳(おおや まさのり)は、日本の言語学者、明治大学国際日本学部専任教授。専門はコーパス言語学と依存文法。